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菅原遺跡「円堂」復元の審査論文

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ようやく出ました!

 すでに懐かしい記憶となりつつありますが、菅原遺跡「円堂」復元の審査論文がようやく刊行の運びとなりました。昨年11月初旬、大急ぎで提出するよう指示があり、審査後の「微細な修正」を経て、年度末には無事日の目をみるはずでしたが、こんなに遅れてしまいました。延びたのはノビタのせいで、わたしとは関係ありません。
 以下、図書情報です。

浅川・岡垣・宮本・篠永・加藤・玉田(2022)
   菅原遺跡「円堂」の復元
   『古代』第149号:pp.69-90、早稲田大学考古学会、2022年3月

 本論文は、年度末に刊行した報告書『 ブータンの風に吹かれて-中後期密教空間の比較文化』の巻頭論文と同じものですが、誤字・脱字等を微修正しており、今回が正式な論文として位置づけられます。一方、報告書論文では、口絵に復元CGを網羅しています。
 抜刷ありますので、入手希望の方はコメントでお知らせください。


《関係サイト》
開学20周年記念『ブータンの風に吹かれて』刊行!
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2546.html
宝島社ムック本に菅原遺跡のCG掲載!
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2587.html
《卒論》大僧正行基と長岡院 -菅原遺跡を中心に-
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2519.html


   

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世界遺産の今-本物と復元で価値伝える

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復元建物に人を感動させる力はない

 新年度早々、4月6日に取材を受けた通信社の記事はGW開けに配信されるということであったが、一向に連絡がなく、よほど人気のない特集記事で掲載紙がなかったのか、と思っていたところ、30日(月)の深夜に某紙の紙面が送信されてきた。遺跡整備における復元建物などの表現方法を主に縄文世界遺産を素材にして論じ、その〆の部分をわたしがコメントする体裁になっている。
 これまで分かっている掲載紙は以下のとおり。

東奥日報(青森) 2022/05/14
高知新聞 2022/05/16
長崎新聞 2022/05/17
埼玉新聞 2022/05/19
伊勢新聞 2022/05/23
京都新聞 (夕刊)2022/05/24

 少ないですね。菅原遺跡CG復元の報道とは大違いだ。でもまぁ、この時代遅れの内容では、地方の各紙は買う気にならんでしょう。いまごろ三内丸山の巨根建築をクローズアップしても、喜んで読み漁る人はいませんよ。復元建物や遺跡整備について批判一辺倒になる必要はないけれども、少なくとも中立的立場から賛否両論取り上げて議論の俎上にのせないとね。これでは現場に対する忖度でしかない。インタビュー時には、増えすぎた世界遺産の不要性、感動できない復元建物やVA、日本が得意とするシリアル・ノミネーションの欠陥などが話題となり、おおいに盛り上がったが、こうした話題を通信社側はすべてカットし、私一人に批判的論調を押しつけた格好になっている。当日の録音データはすでに文字おこしを終えており、いつかその全貌をお知らせできる日が来ることをひそかに願っている。


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再考-遺跡整備と復元建物 インタビュー

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東京通信-人は何に胸を打たれるのか

 4月5日(火)の昼下がり、東京の通信社から突然のメールがあった。そのときちょうど新刊報告書の郵送宛名書きに追われていたので、てっきり菅原遺跡のことが主題であろうと思い込んでしまった。宛名書きはその前夜から始めていて、霞ヶ関の担当部局にも送ろうということで、旧同僚の知人に宛先と冊数などを確認しようと電話したところ、結構長話になった。この年末年始から奈良で物騒な報道が立て続けにあり、その件については不問に伏せて話をしようと思っていたのだが、知人は我慢がならないようで次第に高揚し、「○○だけは絶対許せない」と連呼した。読者はなんのことだか分からないでしょうが、大げさではなく、組織を揺るがすほどの大事件(の連続)だったからである。もちろん菅原遺跡の保存の件や、昨年(2021)世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」のことも話題になった。そんな翌日に東京在住の文化財担当記者さんから電話が来たものだから、てっきり知人の紹介なのだろうと思ったら、そうではなかった。以下、1本めのメールを抜粋する。

  弊社では現在、世界遺産や文化財を巡る現状や課題を取り上げる連載を
  地方新聞に配信し、掲載していただいております。
  今回は「遺跡や埋蔵文化財を伝える難しさ」といったテーマで、
  価値を伝えるための各地の工夫を紹介する予定です。
  その関連で、先生のCG復元の取り組みや、復元に対するお考えを
  インタビュー形式で紹介したいと考えております。
  (NHK鳥取の特集や、ブログはすでに参照させていただきました)

 まもなく電話がつながり、日程を調整した結果、翌6日に早くも来鳥され、大学で取材を受けた。
 主題は菅原遺跡ではなく、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」であった。たしかに私は研究所時代、この地域の縄文集落の整備に係わっていた。公務としては平城宮の発掘調査と復元事業を日々こなしながら、東北・北海道にも足繁く通った。それは、三内丸山や吉野ヶ里をはじめとする考古学と遺跡の狂想の時代であり、その喧噪に終止符を打ったのは2000年に露呈した旧石器ねつ造事件である。この喧噪とねつ造の両方の背景にいた中心人物(黒幕)がだれなのか、文化財関係者ならだれでも知っている。鳥取県の妻木晩田遺跡の保存も、その人物が主導したものであり、あのころ県の文化財課はすっかりヒールの役回りを強いられていたが、正義の味方のように振る舞う女性研究者と黒幕の不徳な癒着の噂もまことしやかに語り継がれている。


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懐かしの洞ノ原

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遠すぎた蕎麦屋たち

 1月14日(金)、正式に菅原遺跡の復元図一式が納品された。前にも述べたように、ちょうどその日、スタジオでメディア対応のCGを検索・収集していて(一覧リスト)、ついでに納品CDデータのチェックもスタジオでおこなった。新しくインストールしたMicroGDSが早くも大活躍です。
 土日を挟んで1月17日(月)、妻木晩田遺跡でロケがあった。本当は前日から松江入りし、伯耆・出雲の「山中の蕎麦屋」をめぐるろうと思っていたのだが、島根の感染者が100人を突破した直後でもあり、断念した。ちなみに、「蕎麦食のフードスケープ」で1・2年生が探しあてた以下の3軒がとくに気になっていた。

山小屋 上代 椿庵
手作りの山小屋風だが、内部はイロリなどあり、古民家風。
年中無休 完全予約制(4名)座敷・テラス席
鳥取県伯耆町福岡3378 ℡0859-62-0058
ときわすれ清水屋
古民家再生型 畳座敷+縁側
営業:定休日火~金 11時00分~15時00分
鳥取県日野郡 日南町菅沢1019 ℡0859-87-0006
扇屋そば
木次線亀嵩駅の木造駅舎内に大衆食堂風の店構え 
営業:(9:30~17:00) 定休日:毎週火曜日 祝日の場合は営業
島根県仁多郡奥出雲町340 ℡0854-57-0034

 日帰りの場合、これら奥地の蕎麦屋を訪問するのは難しい・・・ 捲土重来! 


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研究室制作の模型と再会

 17日の午後1時、滑り込みで妻木番田事務所に到着。 たどり着いたその感想を一言で表現するなら、懐かしい。あぁ、ここで活動していた時期があったんだと思い、当時は現場の若手だったKさんの出迎えと丁寧な応対に感激した。なにより洞ノ原の風景に感激した。これほどの絶景の場所に弥生時代の建物を再現できるのは名誉なことである。
 NHK鳥取のスタッフ3人も待ち構えており、少々段取りをして、さっそくロケが始まった。そうだ、そういえば、今回のロケでは入試広報課から貸与された緑のジャンパーを身に纏った。緑の眼鏡とあって良いと思ったが、ちょっとサイズが小さくて、腹の出が目立ったかもしれません(笑)。まずは収蔵庫と展示館の竪穴住居復元模型からスタート。竪穴住居の場合、いきなり復元設計図を描くのは難しいので、模型製作がスタートになり、CGの作成もやっかいであることを強調した。


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生活感溢れる竪穴住居

 その後、洞ノ原先端の復元建物地区に移動。私自身が20年前に指導した竪穴住居2棟、高床倉庫2棟が建っている。いったいいつ以来の訪問になるのだろうか。おそらく十年以上の歳月が過ぎている。竪穴住居は健全な姿を維持していた。なんだみすぼらしい見てくれの竪穴住居だな、と思う人もいるかもしれないが、私としては、妻木晩田遺跡で出土した焼失竪穴住居のデータを最大限活用し、生活感溢れる住まいの再現を狙ってのものであり、改めて自分の作品と出会って、決して出来はわるくないと思った。私の復元住居の代表は、世界文化遺産になった御所野遺跡(岩手県一戸町)だと思われがちだが、こうして改めて再会してみると、妻木晩田遺跡洞ノ原も優劣つけがたい(妻木山は私の指導ではない)。


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行基縁りの地を往く (7) -土塔と頭塔

大野寺土塔 大野寺土塔2


 昨年の11月5日(金)に始まった旅の最初の訪問地は堺市大野寺の土塔であった。その翌日には、奈良市の東大寺頭塔も訪れた。復元設計との絡みで八角円堂をこれまで紹介してきたが、この二つの異色の仏塔を紹介し、旅日記のフィナーレとしたい。


大野寺土塔

 『行基年譜』によれば、神亀4年(727)行基は大野寺を創建し、同時に土塔も築いたという。大野寺は行基建立四十九院の一つに数えられ、現在も法灯を絶やしていないが、中世の一時期中断しており、江戸時代になって土塔の前に伽藍を再興した。ただし、奈良時代当初の伽藍位置はわかっていない。『行基年譜』は鎌倉時代の成立なので、神亀4年(727)という造営年代については信頼性が高いとはいえないけれども、発掘調査では、文字瓦が多数出土し、神亀4年の銘を有するものを含むので、反体制的活動をしていた若かりし行基の造営である蓋然性は高いと思われる。
 大野寺の土塔は十三重塔の最上部に円形の粘土ブロックを残すモニュメントであり、屋根も壁も本瓦を直葺きにしていた。日本建築史上類をみないこの建築は、インド的な巨大ストゥ-パを和風化したようにもみえる。とくに頂部の円形構造物(おそらく伏鉢)の「円」はサンスクリット語のマンダラに相当し、9世紀以降に隆盛する真言密教の曼陀羅との関係を想起させる。


東大寺頭塔 東大寺頭塔2


東大寺頭塔

 行基の入滅(749)後しばらくして、東大寺別当良弁が弟子の実忠に命じて造らせたのが頭塔である。南大門の正面(南方)約1kmのところに所在する五重の土塔であり、壁面に44体の石仏を貼り付けている。いわばボロブドール(8世紀後半)の日本版というべきモニュメントであり、大野寺の土塔をさらに南アジアの立体マンダラ風に仕上げたもののようにみえる。
 東大寺頭塔の形状や配置はチベット・ブータン地域の伽藍とよく似ている。戒壇状テラスの壁面に多数の仏像を配し、その頂部に円形のストゥーパ(舎利塔)を置く立体マンダラの造形はもちろんのこと、伽藍正門の正面から一定の距離を隔てて立地する配置も類似しており、宝塔/多宝塔以前の密教的シンボルと言えるのかもしれない。(小霞)


東大寺頭塔3 東大寺頭塔4


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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