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2021いい加減に学ぶ中国語講座(3)

図1ーホテル産業


百度百科「澳門」翻訳 テイケンキン・魚谷侑磨
https://baike.baidu.com/item/%E6%BE%B3%E9%97%A8/24335


濠鏡、濠江、海鏡、鏡海 一澳門の別名

1.原文
 澳门实行资本主义制度,是国际自由港、世界旅游休闲中心、世界四大赌城之一,也是世界人口密度最高的地区之一。其著名的轻工业、旅游业、酒店业和娱乐场使澳门长盛不衰,成为全球发达、富裕的地区之一。2017年,澳门地区生产总值4042.0亿澳门元。
 澳门以前是个小渔村,它 的本名为濠镜或濠镜澳,因为当时泊口可称为“澳”,所以称“澳门”。澳门及其附近盛产蚝(即牡蛎),因此后人 把这个 名称改为较文雅 的“濠镜”。清乾隆年间出版的《澳门纪略》中说:“濠镜之名,于《明史》。东西五六里、南北半之,有南北二湾,可以泊船。或曰南北二湾,规圆 如镜,故曰濠镜。”从这个名称中,又引申出濠江、海镜、镜海等一连串澳门的别名。

2.中国語の繫体字を日本語の漢字に変換
参考サイト「楽訳中国語翻訳」 http://www.jcdic.com/chinese_convert/

 澳門実行資本主義制度,是国際自由港、世界旅遊休閑中心、世界四大賭城之一,也是世界人口密度最高的地区之一。其着名的軽工業、旅遊業、酒店業和娯楽場使澳門長盛不衰,成為全球発達、富裕的地区之一。2017年,澳門地区生産総値4042.0億澳門元。
 澳門以前是個小漁村,它的本名為濠鏡或濠鏡澳,因為当時泊口可称為“澳”,所以称“澳門”。澳門及其附近盛産蚝(即牡蛎),因此後人把這個名称改為較文雅的“濠鏡”。清乾隆年間出版的《澳門紀略》中説:“濠鏡之名,于《明史》。東西五六里、南北半之,有南北二湾,可以泊船。或曰南北二湾,規円如鏡,故曰濠鏡。”従這個名称中,又引申出濠江、海鏡、鏡海等一連串澳門的別名。


図2ー16世紀のマカオ地図


3.和訳
 マカオ(澳門)は(中国の共産主義ではなく)資本主義制度を実行しており、国際的な自由貿易港であり、世界の観光とレジャーの中心、世界四大ギャンブル都市の一つであり、世界で最も人口密度の高い地域の一つである。 その軽工業、観光業、ホテル産業とカジノはマカオに長期の繁栄をもたらし、衰えをみせることはない。世界的にみて最も先進的で裕福な地区の一つになっている。 2017年、マカオのGDP(国民総生産)は4,402億パタカ(約6兆円)である。
 マカオはかつて小さな漁村であり、その元の名は濠鏡または濠鏡澳であった。当時、埠頭を「澳」と称することもあったので、マカオは「澳門」と呼ばれた。 マカオとその周辺ではカキ(牡蠣)を産していたことで、後世、より雅な趣きのある「濠鏡」と改められた。 清の乾隆年間に出版された『澳門紀略』は以下のように記している。「濠鏡という名は『明史』に記される。東西5~6里(約2.5~3km)、南北はその半分。南北には二つの港があり、船を停められる。あるいは、南・北二湾がまるで鏡のように円弧を描くので、濠鏡という」。 この名前から、濠江、海鏡、鏡海などの一連のマカオの別名が派生した。(金巴克・遊民)


図3ーマカオの埠頭地区(1900年) 図5ーマカオの道の風景

いい加減に学ぶ中国語講座(16)

東 新天地3 


新天地
https://baike.baidu.com/item/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E6%96%B0%E5%A4%A9%E5%9C%B0

(1) 原文
 上海新天地是一个具有上海历史文化风貌,中西融合的都市旅游景点,上海新天地以上海近代建筑的标志石库门建筑旧区为基础。漫步新天地,仿佛时光倒流,有如置身于二十世纪二、三十年代的上海,但一步跨进每个建筑内部,则非常现代和时尚,亲身体会新天地独特的理念,这有机的组合与错落有致地巧妙安排形成了一首上海昨天、明天、今天的交响乐,让海内外游客品味独特的文化。

 上海新天地 [2] 上海市中心,(Xintiandi·Shanghai)是一个展现上海历史文化风貌的都市旅游景点,它是以上海独特的石库门建筑旧区为基础改造成的集餐饮、商业、娱乐、文化的休闲步行街。以中西融合、新旧结合为基调,将上海传统的石库门里弄与充满现代感的新建筑融为一体。

(2) 簡体字(中)→繁体字(台)
 上海新天地是一個具有上海歷史文化風貌,中西融郃的都市旅遊景點,上海新天地以上海近代建築的標誌石庫門建築舊區為基礎。漫步新天地,倣彿時光倒流,有如置身于二十世紀二、三十年代的上海,但一步跨進每個建築內部,則非常現代和時尚,親身體會新天地獨特的理唸,這有機的組郃與錯落有緻地巧妙安排形成了一首上海昨天、明天、今天的交響樂,讓海內外遊客品味獨特的文化。

 上海新天地  上海市中心(Xintiandi·Shanghai)是一個展現上海歷史文化風貌的都市旅遊景點,它是以上海獨特的石庫門建築舊區為基礎改造成的集餐飲、商業、娛樂、文化的休閑/閒步行街。以中西融郃、新舊結郃為基調,將上海傳統的石庫門裏弄與充満現代感的新建築融為一體。

(3) 日本語の簡体字に変換
 上海新天地是一個具有上海歴史文化風貌,中西融合的都市旅游景点,上海新天地以上海近代建築的標志石庫門建築旧区為基礎。漫步新天地,仿佛時光倒流,有如置身于二十世紀二、三十年代的上海,但一步跨進毎個建築内部,則非常現代和時尚,親身体会新天地独特的理念,這有機的組合与錯落有緻地巧妙安排形成了一首上海昨天、明天、今天的交響楽,讓上海内外客遊品味独特的文化。

 上海新天地 上海市中心(Xintiandi·Shanghai)是一個展現上海歴史文化風貌的都市旅遊景点,它是以上海独特的石庫門建築旧区為基礎改造成的集餐飲、商業、娯楽、文化的休閑步行街。以中西融合、新旧結合為基調,将上海伝統的石庫門里弄与充満現代感的新建築融為一体体。


東 新天地4


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雲のかなたへ-白い金色の浄土(15)

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雲南民族大学校門にて-抗日戦争勝利記念日
 
 9月18日(火)。雲南省の最終日です。朝8時半にホテルを出発し、まずは何大勇さんの勤務する雲南民族大学に向かいました。本来なら午前に教授の講演会があり、副校長さんたちとの昼食会が予定に組まれていましたが、抗日戦争勝利記念日のイベントがあるので中止となったことを一方的に通達され、大学博物館などの見学どころか、キャンパス内への立ち入りすら躊躇われる状況であり、門前での写真撮影が精一杯でした。講演会を企画した何さんも立場が苦しいところでしょう。


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↑↓廻龍寺
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三教合一寺院「廻龍寺」

 空港に直行するには時間が早いので、最初は浄土伽藍で有名な円通寺を訪問しようと考えていたのですが、方向が真反対なので、空港と同方向にある廻龍寺の視察に切り替えました。廻龍寺でまず目につくのは、門の軒反りです。とても印象的でした。門の組物の彩色は群青を基調とし、獅子や鳳凰を表現しています。門をくぐると小太りの達磨大師像が迎えてくれます。その両脇には四天王が二体ずつ対称に立ち並びます。教授によれば、建物は民国時代のものではないか、ということです。あるいは文化大革命後の再建かも?


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 門を抜けると、中庭を建物が囲む四合院となっており、本堂(大雄宝殿)は門の向いに位置します。本堂には3体の釈迦仏が並んでいます。本堂の正面右側には脇院があり、鼎(カナエ)と呼ばれる中国古代の青銅器を中庭におき、その奥の堂屋に儒教と道教の尊格を祀っています。廻龍寺は仏教・儒教・道教を併祀する三教合一寺院なのです。有名な寺院ではないそうですが、とても新鮮に感じました。


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男はつらいよ-ハ地区の進撃(10)

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アンビエントカフェに絵本を

 9月2日16時前、首都ティンプーに戻った。街に出る。まずは馴染みのアンビエント・カフェに。カフェの本棚に英語や日本語の雑誌・書籍・絵本が並んでいたので、我々の訳した絵本もおいてもらおうと思ったのである。従業員は快諾してくれた。『心の余白』と『炎たつ湖』の2冊が本棚に加えられた(↑)。
 再び街にでる。CDを買おうということになった。CDショップの名前も場所も知らない。学生諸君に英語で質問してもらうことにした。さっそくケントが美人をつかまえた。彼女は驚くほど親切に行き先を教えてくれた。
 途中の道ばたで農民たちが野菜を売っている。そういえば、今枝先生の奥様が「いまはゼンマイが美味しいの」と教えてくださった。道ばた市場で、今度は頼みもしないのに、二人の女子学生がゾンカ語の通訳をかってでてくれた。おかげで、ゼンマイとワラビを一束ずつ買うことができた(こちらではソテーにする)。CDは4枚買った。民族音楽、仏教音楽ばかりである。11月12日のイベントに使いたいと思っている。


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 工芸品ショップにも立ち寄った。カウンターのむこう側に艶やかな女性が坊やと一緒に立っている。坊やに訊ねた、「お母さんなのかい?」と。すると、その女性は大笑いした。わたしは、この子の姉で、まだ14歳なの・・・だって。どうですか、みなさん、下の写真をみて14歳と思えますか。よく聞くと、この日は特別らしい。踊りの発表会があり、衣装を着て化粧をしたのだそうだ。それにしても畏れ入ります。女は化生だ・・・ここでくらのすけ15が帯に拘った。すでにキラとテゴは手にいれたが、ユーチューブで着付けをチェックすると、帯があったほうがいいようだ、というのである。店だなには綺麗な帯が並んでいた。上質な手織りである。また、散財してしまった。(ケーシー)


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スケッチ・オブ・ゴンパ -第4次ブータン調査(9)

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カプタンの苦味

 9月1日(火)。調査4日目の朝食は蕎麦のパンケーキ(カプタン)をいただきました。見た目はホットケーキですが、後味に若干の苦みが残り、甘い蜂蜜と絡めれば非常においしく、朝から食が進みました(画像1)。朝食を終えて、3日間お世話になったブンタンのホテルをあとにし、調査隊は再びプロペラ機に乗りました。
 朝からの雨のため、プロペラ機のフライト時間が1時間ばかり遅れるというトラブルもありましたが、無事パロに戻って来られました。さっそく車に荷物を詰め込み、首都ティンプーへと向かいます。ティンプーは今まで訪れたパロ、ブンタンと違い、ずいぶん都市化しています。道路がアスファルト舗装されていることを始め、車や人の数がとても多く、今まで訪れた町とのギャップが大きくて、驚くことばかりでした。しかしながら、ティンプーの町なかにおいても、仏教の存在感はとてつもなく大きいです(画像2)。市街地に大きなチョルテンがいくつも建っており、そこで人々がマニ車を回している光景が見られました。ティンプーを囲う山の一角には金色に輝く大きな大仏の像も望めます。


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タンディネ寺の調査

 ティンプーでは最初にJICAへと向かいました(画像3)。JICAにも絵本『メンバツォ-炎たつ湖-』を贈呈しました。その後、この日の調査地であるタンディネという崖寺を訪れました(画像4)。グル・ンポチェの妻であるイセ・ソゲルが瞑想修業した場所であると伝承されています。イセ・ソゲルがティンプーを訪れた際、雨が降っていたのですが、タンディネだけ晴れていたり、他の場所が晴れていてもここだけは雨降りだったりしたので、タンディネには何か神秘的なものがあると思い瞑想修行したそうです。


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 タンディネはかつてヤルン・シャリドラという名前の僧院でした。サブドル・ナマン・ナムキュルによる建国以前、すでに僧院はあったと言います。そこには悪霊が住んで悪さをしていました。頭から上は馬の姿をしています。その悪霊をプージャ(儀式)によって浄化すると、ペマジュネ(グル・リンポチェ八変化の一つ)の顔に変わりました。顔はニンマ派のペマジュネ、体はドゥク派の僧侶という風変わりな姿です。本堂ラカンは17世紀前半にテンジンという僧が建立しました。はじめは崖の洞穴に密着する位置にラカンがあったといいます。その後、17世紀後半にペマカルポという僧侶が崖の前側に今の本堂を建てたそうです。瞑想場は本堂より上の崖にあったようですが、そちらに上がることは許されませんでした。
 タンディネでの調査分担は以下のとおりです。

   先生:インタビュー   大石:先生の補助  吉田:配置図
   山本・武田:本堂正面 立面図

 2時間ほどのフィールドワークでした。


画像4 0901ダンヂネイ01 画像4



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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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