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雲のかなたへ-白い金色の浄土(3)

0913雲南省博物館01 新しい省博物館 海抜1800m


新しい雲南省博物館
 
 9月13日(水) 昆明楓葉王府酒店の朝食会場で、今回の調査で運転手を務めていただく羅さん、孫さんと顔を合わせる。羅さんは、教授が若いころにおこなわれた西北雲南チベット・ビルマ語族少数民族調査の際にも運転手を務めた元雲南省社会科学院の職員だった方と聞く。
 午前9時、羅さんの車に教授と学生二人が、孫さんの車に何大勇さん(雲南民族大学教授)と私が乗り、ホテルを出発する。昆明市は雲南省の省都である。標高1900mほどの高地だが、年をとおして気候が穏やであり「四時如春」と讃えられる町のようだ。ただし、この日は少々蒸し暑く感じた。


雲南省博物館青銅器9月13日


 しばらく走り、雲南省博物館に到着する。2015年5月に市の中心部から移転新装された博物館という。なかなか堂々とした外観の建物である。入館料は無料。大きな階段を上り2階の常設展「遠古雲南」に入る。雲南省で出土した恐竜の化石やジオラマからはじまり、人類誕生から旧石器時代の資料が展示してある。次に「青銅文明」の展示室に進む。昆明市の西に位置する「滇池(てんち)」周辺の遺跡から出土した紀元前3世紀代を中心とする青銅器が並ぶ。その展示はなかなかの圧巻。展示室を後にして、エスカレーターで3階に上がる。3階は「南詔大理国」と8世紀から10世紀に雲南地方で勃興した王国の仏教美術品が並ぶ。ブータンとの関係をうかがわせる小金銅仏が多く展示されており、教授は盛んにシャッターを切っている。続く展示室は「雲南少数民族の風俗」などの展示だった。パネルやキャプションに書かれている説明は漢字を拾い読みする程度であり、十分に理解することはできないが、展示は工夫されており見ごたえがあった。なお、図録を入手しようとしたが、かなり高価な写真集しかなく断念した。手ごろな展示解説があればと惜しまれる。


雲南省博物館小金銅仏9月13日


 博物館を後にして車は杭瑞高速道を大理に向けて走る。教授が雲南地方で調査をおこなっていた1990年代に高速道路はなく、一般道を8時間をかけて大理まで移動したが、車窓にひろがる棚田や段畑の美しい風景に感動したといわれる。その風景を私達に見せたいが、高速道路では叶わないと残念がっておられた。高速道路を淡々と進む。楚雄のあたりの山沿いに小集落を見ると、方形で壁が黄色く塗られた民家が多い。何大勇さんいわく、少数民族の彜族(イ族)の集落という。



0913楚雄あたり01伝統
車窓からみた楚雄あたりの風景 ↑イ族(もしくは漢族)の伝統的集落 ↓新建農村住宅
0913楚雄あたり02新建


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狛犬コレクション(1)

0628倉田01石獅子01遠景01 0628倉田01獅子舞01看板01


倉田八幡宮の狛犬

 倉田八幡宮には叢林・大イチョウなどの天然記念物や麒麟獅子舞(無形民俗文化財)が国や自治体の指定を受けているものの、社殿建造物などは近代の作らしく、有形文化財として指定・登録にあたいするものはないのか、ざっと観察したところ、狛犬が摩耗して古めかしくみえた。
 大雲院所蔵懸仏研究の残像なおあざやかなこのごろ、向かって左側の一角を有するものが雄の狛犬、右側が無角の雌の獅子というイメージを強く抱いていたのだが、調べてみると、日本において獅子が角をもつようになるのはどうやら平安時代からで、中世から簡略化が進み、とりわけ昭和以降は左右ともに無角のものが過半を占めるようになった。とすれば、倉田八幡宮の狛犬は建造物と同じ近代のものとみればよいのかもしれないが、それにしては一部の石獅子の摩耗が激しすぎる。
 さて、角がなくとも、雄と雌の区別はつく。一般的に、向かって右側の獅子は阿形(あぎょう)で口を開き、左側の狛犬は吽形(うんぎょう)で口を閉じている。倉田八幡宮には3列6体の獅子が設置されており、以下、簡単に紹介しておこう。


0628倉田03本殿02左02 0628倉田03本殿02左01縦 0628倉田03本殿02左03


1.拝殿脇の狛犬

 上は拝殿脇左側の吽形。角はないが、原則どおり、口を閉じる。目は凹む。下は阿形。わずかに口を開ける。口内に舌のような表現あり。目は凸る。雄雌とも尾が大きく縦に屹立し、股間にいっさい表現なし。


0628倉田03本殿01右02 0628倉田03本殿01右01 0628倉田03本殿01右03



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東照宮紀行(三) 紀州篇

20170309 ② 20170309 ① 図1・2


鳥取東照宮の面影

 最終日となる9日(木)、紀州東照宮を訪れた。その面影が鳥取東照宮と重なってみえた瞬間を今でも覚えている。日光・久能山と比べて、控えめな荘厳ではあるけれどもっj、随所に葵御紋を飾り、風景に溶け込むのように佇む姿は、鳥取東照宮と通じるところがある。拝殿への立ち入りは禁止され、境内に深く踏み入ることはできなかったものの、どこか懐かしさを覚える素朴な東照宮であった。


20170309 ③ 図3 楼門


楼門の邪鬼

 急な階段を登ると、日光・久能山と同じく見事な楼門が参拝者を迎える。一つだけ異なる点を挙げるとすれば、狛犬・獅子を伴っていなかったことである。その痕跡はないものだろうかと楼門の細部や周辺をつぶさに観察する。
 門を入ったり出たりを繰り返してるうちに、楼門屋根の隅木の下に力士のような小人像を発見した。ひょっとすると、これが狛犬の代替品かもしれないなと現地では思ったのだが、帰宅して調べてみたところ、「邪鬼」であることを知った。
 邪鬼とは、文字通り、人に災いをもたらす悪童鬼だが、仏教寺院においてしばしば四天王像に頭を踏まれて懲らしめられ、苦悶の表情をみせる。四天王像の代わりに隅木で邪鬼の頭を押さえつけているのは、隅木が最も屋根の重みを受ける材であるからだろう。狛犬・獅子が境内を守護する正義の霊獣であるとすれば、邪鬼は仏法を犯して境内を攪乱するヒール霊の象徴だと言える。ちなみに邪鬼の代表格は、世界最古の木造建築「法隆寺金堂・五重塔」だという。


20170309 ⑤
↑↓図4・5・6・7 楼門の邪鬼  
20170309 ④  20170309 ⑥  20170309 ⑤ 


最高の四日間

 3月初旬の4日間、三つの東照宮を弾丸ツアーした。巡礼した一つひとつの東照宮の思い出は、私の中で強烈なものとなった。恥ずかしながら告白すると、わたしは自分の卒論を好んでいる。愛着がある。今回の紀行で、東照宮に絡んだ卒論に取り組めたことを一層誇りに思えるようになった。 【完/武田】


*図1 東照宮拝殿  図2 石鳥居   図3~7 (本文参照)

東照宮紀行(二) 久能山篇

20170308 ① 20170308 ② 図1・2


久能山東照宮-神仏分離

 三日目となる3月8日(水)、静岡市の久能山東照宮を訪ねた。静岡駅からバスで日本平へ、日本平からはロープウェイに乗って久能山をめざす。空は快晴、道中から富士山がよくみえた(↑左)。
 久能山に着いて、さっそく東照宮境内へ。最初に目に入ったのが五重塔跡地である(↑右)。徳川家光の建立にかかる五重塔は高さ30メートルに達したが、維新後の神仏分離政策によって明治6年に取り壊されてしまう。鳥取市立川の大雲院が樗谿の因幡東照宮境内地から立ち退きを命じられたように、久能山でも神仏習合の空間構成は神道に純化?されていったのである。当時の「神仏分離/廃仏毀釈」運動が如何に強烈なものであったかを窺える。


20170308 ④ 図3


日光と久能山

 日光と同じく、豪華絢爛な荘厳が境内を飾る久能山東照宮だが、とりわけ目を引かれたのは極彩色の拝殿である。日光東照宮は、陽明門や唐門等に代表されるように、胡粉の白を基調にしていたが、久能山は黒漆を基調にしつつ落ち着いた淡い青・緑・紅が印象的であった。


20170308 ⑤ 図4


 こうした色彩を比較しても、日光と久能山は対照的な霊廟だと感じた。塗装彩色にとどまらず、境内の雰囲気がとても対照的に思えた。煌びやかなで賑やかな荘厳の日光東照宮は、神格化した東照大権現を祀る政事(まつりごと)の舞台としてふさわしい。一方、木漏れ陽が「奥社」を照らし、雄大な駿河湾を望む久能山(図6)には、自然の中でゆったりと時が流れる家康の「眠り」の場である。これほど素敵な安息の地もないであろう。天下をとってほどなく駿府に隠居し、そこで生涯を終えた家康の地元愛を理解できたような気がした。


20170308 ⑥ 図5


*図1 日本平から富士山を望む  図2 五重塔跡地    図3・4 久能山東照宮拝殿 
 図5 久能山東照宮「奥社」  


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東照宮紀行(一) 日光篇

20170306 ③ 20170306 ④ 図1・2 


石鳥居と階段の遠近法

 先生たちが東欧を旅しているころ、わたしは3月6~9日の4日間、日光・久能山・紀州三ヶ所の東照宮を巡礼してきました。初日は日光東照宮を目指して、新幹線等を乗り換え、栃木県の日光駅に到着したのは午後3時です。
 日光駅から大谷川に沿って歩くこと半時間、東照宮境内の参道に到着。参道手前の石鳥居の圧倒的な大きさを前にして、思わず感嘆の息が漏れる。江戸時代に作られた鳥居の中では最大級で、九州の大名・黒田長政が寄進したものという。伝承では、九州からわざわざ日光まで運ばれたものであり、巨大な石塊が運ばれる様に人びとは大層驚いたそうな。
 鳥居に続く石段も見どころの一つである。石段はあわせて10段あるが、最初の段から最後の段にかけて、階段幅が徐々に狭まっている。最上段に構える石鳥居を大きく見せるための遠近法が意図的に施されているのだ。何気なく敷かれている階段にも、職人たちの徹底した技術と知恵が垣間見える。参拝時間の関係上、この日は石鳥居周辺までにとどまったが、翌日への期待が膨らんだ。


20170306 ⑤
↑図3 日光東照宮仁王門の狛犬と獅子  ↓図4 (左)狛犬 (右)獅子
20170307 ⑥ 20170307 ⑦ 


仁王門の狛犬と獅子

 翌朝8時に宿舎を出て、再び日光東照宮の境内へ。いちばん外側の仁王門をくぐると、私の卒論に深く関与した狛犬・獅子が門脇に安置されていた。何回も画像を見てきたが、いざ実物を目にすると、感無量だ。しみじみと魅入るばかり。狛犬・獅子は思いのほか大きく、群青・緑青が鮮やかに鬣を彩る。表情は柔らかで、愛くるしさすら感じさせる。三間一戸脇室正面側は阿吽の仁王像が険しい表情で参拝者を迎える。一方、後室の狛犬・獅子は、参拝から帰る人達を優しく見送っているように思えた。仁王門だけでなく、その先の境内の荘厳も立派なものであったので、特に印象的なものを以下に紹介する・


20170307 ⑧ 図5 


南蛮鉄灯籠

 境内にある灯籠の全ては、全国の諸大名が奉納したという由緒がある。石造の灯籠が並ぶなか一際目につくのが、陽明門石段の下に並ぶ南蛮鉄灯籠である。伊達正宗が寄進したものである。当時としては珍しく鉄で造られた燈籠で、わざわざポルトガルから鉄を取り寄せて作らせたものである。一説によると、正宗が西洋列強との繋がりを誇示することを目的としたものではないかと言われている。奉納後わずか数年で錆びてしまったらしいが、正宗由来と相まって、大きくそびえる異質な鉄灯籠の存在感は強烈である。
 陽明門は日光東照宮の代名詞とも言うべき豪華絢爛な門である。白(胡粉)を基調に金箔や黒漆で彩り、唐獅子・龍馬・麒麟などの多くの神獣を飾る。残念ながら、この日はまだ門は修復中であり(現在は修復済み)、全貌を写真に収めることはできなかったが、まばゆいばかりの内部の装飾もまた、十分に一見の価値がある。


20170307 ⑨
↑図6 修復中の陽明門  ↓図7 陽明門の組物(左)と龍の天井(右)
20170307 ⑩ 20170307 ⑪

*図1 石鳥居と石段   図2 石鳥居の銘文 図3・4・5(本文参照)
 図5 伊達正宗寄進の南蛮鉄灯籠  図6・7(本文参照)



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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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