fc2ブログ

崖と建築のヒエロファニー 三徳山《日本遺産》フォーラム(報告6)

1126摩尼06護摩02


アップルパイ&シェイクで朝ブレイク

 11月26日(日)、崖シリーズ3日間の最終日となった。わたしは前日、後遺症を考慮して三徳山に登らなかった。あの根っこだらけの坂道や鎖坂はもう無理だと諦めている。自分の感覚でそう分かる。しかし、この日は摩尼山に登ることに決めていた。摩尼山なら、まだ登れるかもしれない。それは甘い目測かもしれないが、なにぶん同行者が多いので誰か助けてくれるだろうと思っていた。補助者がいても三徳山は容易くないが、摩尼山はぎりぎり行けるだろうという思惑である。だとしても、おそらくこれが最後の摩尼登拝になるという仄かな覚悟も内に秘めていた。生死に係る杞憂というほどではもちろんないけれども、補助者なしでは登れない状態で、再度登山の意欲が湧かないだろうと漠然と考えていたのである。それにしても、2日間の活動ですでに疲れが溜まっていた。体を一度休めたい。


1126mani00門前の説明


 そうだ、エガチャンネルのマックシェイクとアップルパイでブレイクしよう。10時に鳥取駅で全員集合した後、ただちに駅南のマクドナルドに移動し、かのブリーフ団が推薦しエガちゃんが絶賛した高級スィーツを注文した。熱々のアップルパイに冷えたマックシェイクを絡ませる作法は、環境大も筑波大も台湾人もブータン人も知らなかったが、全員満足してくれたようだ。とりわけ留学生たちは留学先で日々の食事に満足していないので、鳥取で口にする何もかも美味しく感じたらしい。マックのアップルパイごときに「美味しい」と言ってくれて、嬉しくあるはずもないけれども、まずはみんなで休んで雑談できたことが何より良かった。


1126摩尼01木橋01 1126mani01橋01


摩尼寺門前の親子

 摩尼山の門前に着くと、岡垣親子が待っていた。この日は奥さんが日曜出勤のため、若い父親が3人の子供を連れていた。上の二人は自分で歩けるが、下一人はまだ2歳だからオンブに抱っこが必要である。そうして山を上下するというのだから大したものである。旧参道に入り、まずは摩尼川源流に架かる木橋に至る。一段と滑りやすくなっていって、みな一歩ずつゆっくり渡ったが、自信たっぷりのドルジ君が転びそうになったのは可笑しかった。その後、しばらく道は失われていた。落石、洪水、雪、なんでもありの状態で、川と道の区別がつかなくなっている。以前はこんなことはなかったのに。わたしは山形の立石寺で買った杖をついて自力で登っていった。まだ、傾斜は緩かったが二度ばかり転んだ。そうして4度休み、奥の院と福部に分かれる三叉路まで辿り着いた。そこから奥の院にあがるヘアピンカーブは傾斜がきつく、滑りやすい。ここから、わたしはドルジ君にサポートを依頼した。手を引いてもらったのである。手を引いてもらわなければ上に進めなかい、時間がかかると判断した。おかげてヘアピンの斜路を登り切った。


1126mani01消えた山道 1126摩尼02円仁の札01


ボクシングジム山道巡り以来の「奥の院」

 11時半ころ、奥の院に着いた。いったい何年ぶりだろう。記憶を辿ってブログを検索すると、2019年9月、シュガーナックルボクシングジムの「摩尼寺護摩焚き・山道巡り」に山道案内係として参加して以来だと分かった。大勢の子どもと父兄が参加した。あのときは谷さんがいて、子どもの扱いが上手かったのをよく覚えている。それでも4年前か。62歳、まだ元気だった。夏休みにブータン、四川高原を訪問した直後の摩尼登山であり、その後11月には、中国の建国70周年で2週連続、学会シンポに呼ばれた年でもある。その2週めの福州大学科技史シンポから帰国した11月末、体調がおかしくなった。重い風邪のような症状だった。今だから言えるけれども、あれはコロナだったのではないか。中国でコロナ騒動が始まったのは12月からだったが、その直前のことである。その後の本格的なコロナ禍で私の人生は軌道がおかしくなってしまったが、今年5月の入院が禊になったような気がする。退院後の人生を好転させた福の神は「なまず」である。間違いない。魚類学ゼミの水槽を礼拝しないとバチがあたる。なまずは帝釈天だ。


1126摩尼03奥の院01ハチの巣01


続きを読む

宝珠山立石寺ー「山寺」の散策

0722立石寺(小林)01納経堂01 立石寺11


山寺という愛称をもつ山寺

 こんにちは、滅私です。2023年7月22日(土)、灼熱の晴天下、教授と東北在住の考古学者(匿名希望)の3名で山形市の宝珠山立石寺を参拝しました。東北地方ではひろく「山寺」という愛称で親しまれている山寺です。仙台市からわずか1時間の場所にあり、仙台縄文の森で聞いたところでは、小学校の遠足でよく行く名勝地とのこと。立石寺は、貞観2年(860)清和天皇の勅命によって円仁(慈覚大師)が開山したとされる天台宗の御山とされますが、円仁開山縁起をもつ寺院は600以上に及び、一般的には伝承の域を出ないものと認識されています。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 という松尾芭蕉の句でも知られています。現在は、約百町歩(約33万坪)の境内に、大小30余りの堂塔が残されており、「三つの不滅(法灯・香・写経行)」を今に伝えています。
 来たる11月25日、三徳山三佛寺本堂で開催されるフォーラム「崖と建築のヒエロファニー: そのアジア的視座」のための情報収集が立石寺訪問の目的でした。同じ天台宗の山陰の山寺、三徳山や摩尼山との比較はもちろんのこと、ブータンの崖寺に想いを馳せています。麓から1080段の石段が続く奥の院、五大堂をめざしました。


立石寺3 焔藏内装 立石寺2 焔藏


そばがそばがきになったラバトリー@焔藏
 
 まずは、腹ごしらえです。山寺門前にある「山形蕎麦の焔藏」に入りました。「十割板そば」や最上地方の在来品種「最上早生」が人気のお店ですが、メニュー表に「週末限定 そば1時間食べ放題1500円」を発見。人生初のそば食べ放題を開始しました。板そば600gが出てきますが、すぐに平らげ、おかわりをします。その後も食べ続け、結果的に3人で1800g、1人6人前のそばをたいらげたのです。店員のおばちゃんから「まだ食べるのか」と訝し気に睨まれておりましたが、「食べ放題」で時間が余っているのですから、食うしかない。蕎麦は美味しかったのですが、食べすぎでお腹が苦しい。入院以来お通じがよくない教授は、ラバトリーまで往復された後、いつもはナマズなのに、今日は蕎麦がきだったなどと訳に分からぬことを呟いておりました。


立石寺8 立石寺1

 
 登山口の階段を登った正面には、重要文化財の根本中堂があります(↑右)。天台宗道場の形式がよく保存され、堂内には、円仁作と伝える木造薬師如来坐像が安置されています。山門から長い石段を登り始めたのですが、すでに教授はきつそうです。脳梗塞の入院から2か月が経過し、体調が戻ってきたとはいえ、右脚の不調は相変わらずであり、土産物店で買った長い杖に頼ってのスローな登山になりました(↑左)。私も、先生が心配でゆっくりと後を追います。匿名希望の考古学者は、私と先生に構わず、すたすたと登っていきます。


0722立石寺(小林)01納経堂03 0722宝珠山立石寺納経堂(左)と開山堂(右)01


開山堂と五大堂

 開山堂は、祖師円仁を祀る施設です。慈覚大師の木造の尊像が安置されており、朝夕、食飯と香を供えています。向かって左、岩の上の赤い小さな堂は、写経を納める納経堂で、山内で最も古い建物です。宝珠山立石寺は規模がとても大きく、五大堂など懸造の建造物が数多くあります。11月には立石寺と同様に円仁開山伝承のある摩尼山・三徳山を登るわけですが、教授の感想としては、三徳山より摩尼山と構成が似ており、宝珠山をモデルとした行場の可能性すらあるとのことでした。
 一般客が通常1時間半で往来できる行程を、往復3時間かけてゆっくり巡り歩きました。崖や洞穴、豊かな自然の神秘的な空間、五大堂からの眺望には感激しました。11月のフォーラムでは、ありがたいことに私も発表の機会をいただきました。私はいつも取り掛かりが遅いため、迅速に作業を進め、いい発表ができるよう準備していきます。鳥取に来て6年目ですが、不動院岩屋堂、三徳山三佛寺投入堂、摩尼山「奥の院」のいずれも訪れたことがないため、こちらもとても楽しみです。(滅私)
 

立石寺5 0722立石寺(小林)03参道01
五大堂内部と参道


続きを読む

唯識の日曜日-玄奘三蔵展

玄奘DSC_1217


玄奘・道昭と行基、そして土塔

 快晴の日曜日、桜吹雪舞い散る御堀端の県立博物館まで足を運び、玄奘三蔵展をみた。県博開館50周年と薬師寺玄奘三蔵院伽藍落慶30周年を記念する企画展であり、正式の展示名は「三蔵法師が伝えたもの 奈良・薬師寺の名品と鳥取・但馬のほとけさま」という。
 玄奘(602年 - 664)と言えば唯識論である。といっても何のことだか分からないので、いつものごとく安易ですが、wikipediaを引用する。

  唯識とは、個人にとってのあらゆる諸存在が、ただ八種類の識によって成り立っている
  という大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、八種類の識とは、五種
  の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種
  の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態や
  それらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。あらゆる諸存在が
  個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり、客観的な
  存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えて
  しまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。
  このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。

 難しい。以下の要約は現代的である。

  唯識思想では、各個人にとっての世界はその個人の表象(イメージ)に過ぎないと主張し、
  八種の「識」を仮定する。

 客観的な事実など存在しない。あるのは個の認識するイメージのみ。現象学的社会学を彷彿とさせる。
 玄奘は唯識を深めるためインドで学び、帰国後、『瑜伽師地論』100巻、『成唯識論』10巻、『大般若経』600巻など大量の仏典を漢語訳した。瑜伽とはヨガのことであり、日本において唯識を伝える宗派を法相宗という。南都(奈良)で最大の勢力を誇る宗派であり、拠点は薬師寺と興福寺と法隆寺にあった。


玄奘DSC_1215 窓外に仁風閣と桜吹雪


 道昭(629- 700)は河内国丹比郡(現堺市)の出身。遣唐留学僧として玄奘に師事し、寵愛され、禅を勧められたという。帰国後、飛鳥寺(法興寺)で禅を修行し、本薬師寺で唯識に基づく法相宗を始めた。我が行基(668-749)は道昭の弟子とされる。出身地も道昭に近い(堺市)。展示・図録とも両者の師弟関係に言及しているが、玉田卒論新刊報告書でも述べたように、両者の関係を裏付ける古い記録がなく、後世の潤色の可能性があるとも言われる。だとしても不思議なのは、堺市大野寺の土塔である。727年ころの造営。十三重のテラスの最上部=中心部に円形の粘土ブロックを残し、(和風化した)インドの巨大ストゥーパをイメージさせる。あくまで想像を逞しくしたものとしてご理解いただきたいが、行基は道昭経由で玄奘のインド情報を吸収し、その情報を自分なりに咀嚼して土塔を造営したのではないか。こうでも理解しない限り、日本建築史のストリームからはみ出しすぎた土塔の成立事情を説明できない、と思っている。


玄奘DSC_1214
お昼は博物館カフェで。手前のジャンバラヤン・オムライスは辛かった・・・


続きを読む

あめさもまげねで

 『スッタニパータ』の影響が推定される宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を東北弁で読むという試みをメールで受け取りました。秋田方言での朗読音声データがあるのですが、ここにアップすることができません。以下のサイトにアップしましたので、ダウンロードしてお聴きいただければ幸甚です。期限は60日です。

https://59.gigafile.nu/0528-ce5c6923a65f36fedd37ecca9b75d2c3a


あめさもまげねで 
かぜさもまげねで 
ゆぎさもなつのあつぃのさもまげね
じょうぶなからださもってよ 
よぐは ねぐて 
ぜったいおごらねで 
えっつもしずがにしてわらってら 
ひにげんまいよんごと 
みそど さっとのなっぱくってよ 
なんでもかでもわはかんじょさいれねで 
しっかどみぎぎしてわがってよ 
んでわすれねでよ 
のはらのまづばやしのうらの 
ちゃっけかやぶきのこやっこさえで 
ひがしさやめぇのわらしえれば 
えってみでやって 
にしさこえぐなったばんばあれば 
えっていねたばしょってやり 
みなみさしんでしまうんたひとえれば 
えっておっかねがらねくてもえぇとしゃべり 
きたさけんかやさいばんさかげるんたことあればよ 
おもしぇぐねがら やめれとしゃべり 
へでりのどぎにはなみだぁながし 
さんびなぢはおろおろありって 
みながらあんぽたれとえわれで 
ほめられもしねで 
くにもされね 
そんたものに 
わはなりで

 原詩は以下のサイトを参照してください。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html



↑We are the world に比肩する取り組みですね。 東日本大震災十周年セレモニーでも英訳「雨ニモマケズ」が朗読されました。↓ナターシャさんも東日本大震災、チェルノブイリ被爆の両方に係わっておられます。上の東北弁翻訳者はバンドゥーラをバックに朗読したいという少々厚かましい希望をもっておられます。実現するといいですね。

スッタニパータ ブッダの言葉

スッタニパータ (光文社古典新訳文庫) ブッダの言葉  日常語訳 新編スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉


未来にこだわらず、過去を嘆かず

 『ブッダが説いた幸せな生き方 』(岩波新書・2021)に続く新作『スッタニパータ ブッダの言葉』が早くも完成し、著者よりご贈呈いただいた。書籍情報をまずは示しておく。

書名: スッタニパータ ブッダの言葉
著者: 今枝由郎(翻訳)
出版社 ‏: ‎ 光文社   発売日‏ : ‎ 2022年3月20日
ISBN-10 ‏: ‎ 4334754597  ISBN-13‏ : ‎ 978-4334754594

 『スッタニパータ ブッダの言葉』(↑左)はじつは新刊ではなく、2014年にトランスビューから出版された『日常語訳 新編スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』(↑右)を改訂された上で光文社古典新訳文庫より復刊したものである。
 紀元前5世紀、ネパールに近い北インドのシャーキャ(釈迦)国で誕生した王子ゴータマ・シッダルターは、29歳のとき、裕福な王宮の生活を捨て修行の旅に出る。それから数年後、ブッダ(目覚めた人)となり、残りの生涯を衆生を救う説法に捧げた。生前のブッダの教えは成文化されることはなく、覚えやすい歌訣として伝承されていったが、少しずつ文字に書き写されるようになり、その集積が今に残る経典の原型となる。経典のうち紀元前まで遡りうるのが「ダンマパダ(法句経)」と「スッタニパータ(経集)」である。パーリ語で書かれたこの二つの経典こそがブッダの説法に最も近い内容のものだと言われている。
 対話形式の『スッタニパータ』は中村元翻訳の岩波文庫本(1958)を口語訳風の嚆矢とし、その後も数多の碩学による翻訳が試みられてきたが、一般読者にとっては依然難解であるのに対して、著者は「翻訳にあたっては漢訳仏教用語は極力用いず、平易な日常語にすることを第一に心がけ」られている。内容については、書き写すことすら怖じ気づいてしまうけれども、たとえば以下の二つの偈(げ)を自戒のため引用させていただく。

 846 賢者は、自分の見解や考えを過信することがない。それが彼の人柄である。彼は祭祀や伝統にとらわれることなく、固定観念に執着することがない。
 851 彼(最上の人)は未来にこだわらず、過去を嘆かず、現在も感覚器官の対象に執着せず、偏見に陥ることがない。


北尿ワイン


続きを読む

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
04 | 2024/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR