唯識の日曜日-玄奘三蔵展

玄奘・道昭と行基、そして土塔
快晴の日曜日、桜吹雪舞い散る御堀端の県立博物館まで足を運び、玄奘三蔵展をみた。県博開館50周年と薬師寺玄奘三蔵院伽藍落慶30周年を記念する企画展であり、正式の展示名は「三蔵法師が伝えたもの 奈良・薬師寺の名品と鳥取・但馬のほとけさま」という。
玄奘(602年 - 664)と言えば唯識論である。といっても何のことだか分からないので、いつものごとく安易ですが、wikipediaを引用する。
唯識とは、個人にとってのあらゆる諸存在が、ただ八種類の識によって成り立っている
という大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、八種類の識とは、五種
の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種
の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態や
それらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。あらゆる諸存在が
個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり、客観的な
存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えて
しまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。
このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。
難しい。以下の要約は現代的である。
唯識思想では、各個人にとっての世界はその個人の表象(イメージ)に過ぎないと主張し、
八種の「識」を仮定する。
客観的な事実など存在しない。あるのは個の認識するイメージのみ。現象学的社会学を彷彿とさせる。
玄奘は唯識を深めるためインドで学び、帰国後、『瑜伽師地論』100巻、『成唯識論』10巻、『大般若経』600巻など大量の仏典を漢語訳した。瑜伽とはヨガのことであり、日本において唯識を伝える宗派を法相宗という。南都(奈良)で最大の勢力を誇る宗派であり、拠点は薬師寺と興福寺と法隆寺にあった。

道昭(629- 700)は河内国丹比郡(現堺市)の出身。遣唐留学僧として玄奘に師事し、寵愛され、禅を勧められたという。帰国後、飛鳥寺(法興寺)で禅を修行し、本薬師寺で唯識に基づく法相宗を始めた。我が行基(668-749)は道昭の弟子とされる。出身地も道昭に近い(堺市)。展示・図録とも両者の師弟関係に言及しているが、玉田卒論や新刊報告書でも述べたように、両者の関係を裏付ける古い記録がなく、後世の潤色の可能性があるとも言われる。だとしても不思議なのは、堺市大野寺の土塔である。727年ころの造営。十三重のテラスの最上部=中心部に円形の粘土ブロックを残し、(和風化した)インドの巨大ストゥーパをイメージさせる。あくまで想像を逞しくしたものとしてご理解いただきたいが、行基は道昭経由で玄奘のインド情報を吸収し、その情報を自分なりに咀嚼して土塔を造営したのではないか。こうでも理解しない限り、日本建築史のストリームからはみ出しすぎた土塔の成立事情を説明できない、と思っている。

お昼は博物館カフェで。手前のジャンバラヤン・オムライスは辛かった・・・