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いい加減に学ぶ中国語講座(43)

ボン教論文摘要(7)

 長らくお付き合い頂きありがとうございました。ボン教論文の摘要は本記事で最後になります。

№2 黄渝平(1995)
①原文: 「马尔康地区藏族民间建筑一览」 『建築艺术』 第4期 :pp.34-37
 地处藏区边地的马尔康县,历史上有嘉戎四土之称(即梭磨、卓克基、松岗和党坝四土司豁地).特殊的地域环境以及长期以来各民族的密切交往,使这一地区的各类建筑有着自己独特的风格.
〔关键词〕 民间建筑 藏族 建筑艺术 建筑材料 本波教 碉楼 寺院建筑 社会环境 建筑物 地域环境

②日本漢字: 「馬爾康地区蔵族民間建築一覧」 『建築芸術』 第4期 :pp.34-37
 地処蔵区辺地的馬爾康県,歴史上有嘉戎四土之称(即梭磨、卓克基、松崗和党壩四土司豁地).特殊的地域環境以及長期以来各民族的密切交往,使這一地区的各類建築有着自己独特的風格.
〔関鍵詞〕 民間建築 蔵族 建築芸術 建築材料 ボンポ教 碉楼 寺院建築 社会環境 建築物 地域環境

③和訳:  「馬爾康県地区チベット族民間建築一覧」 『建築芸術』 第4期 :pp.34-37
 チベットの国境地帯に位置するマーカン(馬爾康)県は、歴史上、ギャロン四土(スオモ、ジュオケジ、ソンガン、ダンバの四土司訳注1)が管轄する地)と称される。特殊な地理的環境及び長期にわたる各民族グループの密接な交流を以って、この地域の各種類の建物に自己の独特な様式(スタイル)を持たせている。
〔キーワード〕民間建築、チベット族、建築芸術、建築資材、ボン教、碉楼、寺院建築、社会環境、建築、地域環境
※土司……少数民族世襲の地主階級
【参考】 wikipedia 馬爾康県 歴史より
URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E7%88%BE%E5%BA%B7%E5%B8%82


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いい加減に学ぶ中国語講座(42)

ボン教論文摘要(6)

No.7 同美娜塔(2011)
①原文: 「苯教寺院的教育与管理――岷江上游苯教寺院为例」 『中国藏学』 第4期(总第99期): pp.61-67
 本文在笔者对家乡长期深入了解的基础上,利用实地调查采访、古藏文文献资料解读等方法,特别是通过对岷江上游苯教寺院的教育制度、课程内容、组织系统、制度条例等方面的研究,认为西藏苯教作为藏族的本土宗教,除了具有神学宗教的一般特点以外,还具有浓郁的民族区域性、民间大众性等特点,因此,如果说藏族寺院教育是藏族传统教育的重要组成部分,那么苯教寺院教育是藏族传统教育的源头和最典型的代表。
〔关键词〕苯教 教育 组织管理 课程

②日本漢字: 「笨教寺院的教育与管理――岷江上遊笨教寺院為例」 『中国蔵学』 第4期(総第99期): pp.61-67
 本文在筆者対家郷長期深入了解的基礎上,利用実地調査採訪、古蔵文文献資料解読等方法,特別是通過対岷江上遊笨教寺院的教育制度、課程内容、組織系統、制度条例等方面的研究,認為西蔵笨教作為蔵族的本土宗教,除了具有神学宗教的一般特点以外,還具有濃郁的民族区域性、民間大衆性等特点,因此,如果説蔵族寺院教育是蔵族伝統教育的重要組成部分,那幺笨教寺院教育是蔵族伝統教育的源頭和最典型的代表。
〔関鍵詞〕笨教 教育 組織運営 過程

③和訳: トンミナタ「ボン教寺院の教育と管理-岷江上流のボン教寺院を例に」 『中国蔵学』 第4期(総第99期):pp.61-67
 本論文は著者の故郷における長期滞在による深い理解をベースにして、フィールドワークや古代チベット文献資料の解読等の方法を活用し、特に岷江上流のボン教寺院の教育制度、カリキュラム、組織系統、制度条例等の方面の研究を通して、チベットのボン教がチベット族本来の宗教であると考える。神学的宗教の一般特徴以外にも、さらにまた濃厚な民族的地域性、民間大衆性等の特徴を備える。つまり、チベット族の寺院教育はチベット族の伝統教育の重要な構成であり、このようなボン教寺院教育はチベット族伝統教育の源であり最も典型的な代表例である。
〔キーワード〕 ボン教 教育、組織運営、過程


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いい加減に学ぶ中国語講座(41)

ボン教論文摘要(5)

No.4 田必伟(1988)
①原文: 「略论笨教的产生及演变」 『宗教学研究』 第4期 : pp.52-56
 笨教是西藏社会最早出现的一种宗教. 由于当时没有文字记载, 因而人们很难确切地了解其产生与演变的历史, 即使在一些藏文史籍中有所反映, 也仅是一些零星的材料, 而且较为混乱。如, 关于笨教的起源, 有的书上说是由吐蕃第一代赞普— 聂尺赞普时策米兴吉母杰所创; 而有的书_L又说笨教应产生于吐蕃第八代赞普――直贡赞普之时的兴饶. ①但我认为, 作为西藏原始宗教的笨教, 从它最初所崇拜的宗教观念来看, 决非产生于吐蕃赞普出现以后的某一位“ 圣人” 之手, 而其演变也有着自己固有的规律. 对此, 本文仅从历史唯物主义的角度对这个问题略加探讨, 不当之处, 还望批评指正.

②日本漢字: 田必偉「略論笨教的産生及演変」 『宗教学研究』 第4期 :pp.52-56
 笨教是西蔵社会最早出現的一種宗教. 由于当時没有文字記載, 因而人們很難確切地了解其産生与演変的歴史, 即使在一些蔵文史籍中有所反映, 也僅是一些零星的材料, 而且較為混乱。如, 関于笨教的起源, 有的書上説是由吐蕃第一代賛普— 聶尺賛普時策米興吉母傑所創; 而有的書_L又説笨教応産生于吐蕃第八代賛普――直貢賛普之時的興饒. ①但我認為, 作為西蔵原始宗教的笨教, 従它最初所崇拝的宗教観念来看, 決非産生于吐蕃賛普出現以后的某一位“ 聖人” 之手, 而其演変也有着自己固有的規律. 対此, 本文僅従歴史唯物主義的角度対這箇問題略加探討, 不当之処, 還望批評指正.

③和訳: 田必偉「ボン教の発生と進化変容に関する概論」『宗教学研究』第4期:pp.52-pp.56
 ボン教はチベット社会に最も早く出現した宗教の一種であり、当時は文字記録がなかったため、その発生と深化変容の歴史を確定的に理解するのは難しい。たとえいくつかのチベット文献記載に(ボン教のことが)反映されていたとしても、それは星屑のように断片化した資料に過ぎず、なおかつかなり混乱している。例えば、ボン教の起源については、吐蕃の初代ザンプ(訳注1)-ニャティ・ツェポの時、ゼミシン・ジンメ(Zermising Jimje)によって創造されたと書く本もあれば、吐蕃の第八代国王のディグム・ザンプの時代に興ったと説く書もある(原注①)。しかし私は、チベット原始宗教としてのボン教は、それが最初に崇拝するところの宗教観念からみて、吐蕃国王の出現以降の某かの''聖人’’の手によって生まれたのでは決してなく、(ボン教の)その進展変化にも独自の法則があると考える。本論文では、唯物史観的立場から、この問題について若干の検討を加えたい。不適切な部分については、大方の批評と指正を乞いたい。
訳注1)吐蕃賛普……トゥボザンプ 吐蕃国王のこと。
原注① 『新紅史』16頁、『茫茜蔵赶教合一制度』6 ~ 7 頁 参照



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いい加減に学ぶ中国語講座(40)

ボン教論文摘要(4)

№1 段克兴(1983)
※摘要がない論文のため、最初の段落を翻訳しています。
①原文: 「西藏原始宗教―本教简述」 『西藏研究』 第1期:pp.76-77
 本教, 亦作“钵教”、“笨教”, 俗称“黑教, 汉族因语言关系, 称之为崩崩教. 它是藏族古代盛行的一种巫教, 祟拜鬼神和自然物. 据《本教源流》载, “黑教开始传播于现在阿里三区之一的向雄地方, 旧名古盖’’。因为本教发祥于比地, 故西藏人称该地为向雄本教地方. 本教创始人名叫本` 馨饶米伯耶馨, 后人简称馨饶。

②日本漢字: 段克興「西蔵原始宗教―本教簡述」 『西蔵研究』 第1期:pp.76-77  
 本教, 亦作“鉢教”、“笨教”, 俗称“黒教, 漢族因語言関系, 称之為崩崩教. 它是蔵族古代盛行的一種巫教, 祟拝鬼神和自然物。拠《本教源流》載, “黒教開始伝播于現在阿裏三区之一的向雄地方, 旧名古蓋’’。因為本教発祥于比地, 故西蔵人称該地為向雄本教地方. 本教創始人名叫本` 馨饒米伯耶馨, 後人簡称馨饒。

③和訳:  「チベットの原始的宗教―ボン教概説」『西蔵研究』1983年第1期:pp.76-77
 本教(ボン教)は「鉢教」または「笨教」とも書き、俗に「黒教」と称する。漢族は言語(の音声)関係により「崩崩(ポンポン)教」と呼んでいる。それは古代に盛行したチベット族のシャーマニズムの一種であり、鬼神と自然物を崇拝する。『本教源流』の記載によると、「黒教は現在のガリ地方3区のうちの一つである象雄地方(旧ミンクカイ)に伝播を始めた」と記載されている。ボン教はここに発祥したので、チベット人は当該地を象雄(シュンシュン)ボン教地方と呼ぶ。笨教の創設者の名は元は「シェンラプ・ミウォ・ヤシェ」といい、後世の人は「シェン」と略称した。


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いい加減に学ぶ中国語講座(38)

ボン教論文摘要(2)

 引き続き、中国で発表されているボン教論文の摘要を日本語訳していきます。

№9 石 硕(2011)
①原文: 「藏地山崖式建筑的起源及苯教文化内涵」『中国藏学』第3期(总第98期):pp.148-153
 过去学者多认为藏地山崖式建筑主要是出于防御需要,文章对此提出了不同的看法,认为这种建筑主要同世俗权力相关,它的起源与苯教观念有密切联系。由于藏地最初之王及吐蕃王系均被称作自天上降临人间的“天神之子”,这意味着西藏世俗权力最初是借助苯教信仰中的“天神”来获得的。因“天神”居住在天上,作为“天神之子”的藏王的宫殿自然要建在离天最近的山冈上,此传统为后世所延续并逐渐形成固定模式。山崖式建筑所体现的“王权天授”之内涵,正是其与世俗权力相关的原因。此外,苯教“以上方作供祀天神”所派生的以“高”为神圣的观念,也是山崖式建筑的重要文化土壤。
〔关键词〕山崖式建筑;苯教信仰;天神之子

②日本漢字: 石碩「蔵地山崖式建築的起源及笨教文化内涵」『中国蔵学』第3期(総第98期):pp.148-153
 過去学者多認為蔵地山崖式建築主要是出于防御需要,文章対此提出了不同的看法,認為這種建築主要同世俗権力相関,它的起源与笨教観念有密切聯系。由于蔵地最初之王及吐蕃王系均被称作自天上降臨人間的“天神之子”,這意味着西蔵世俗権力最初是借助笨教信仰中的“天神”来獲得的。因“天神”居住在天上,作為“天神之子”的蔵王的宮殿自然要建在離天最近的山岡上,此伝統為後世所延続併逐漸形成固定模式。山崖式建築所体現的“王権天授”之内涵,正是其与世俗権力相関的原因。此外,笨教“以上方作供祀天神”所派生的以“高”為神聖的観念,也是山崖式建築的重要文化土壌。
〔関鍵詞〕 山崖式建築;笨教信仰;天神之子

③和訳: 石碩「チベット山崖式建築の起源とボン教文化の内実」『中国蔵学』第3期(総第98期):pp.148-153
 これまで学者の多くは、チベット地区の山崖式建物は主に防御の必要性に由来すると考えているが、本論ではこれに対し異なる見解を提示する。この種の建築は主に世俗権力と関係しており、その起源はボン教の観念と密接に関連している。 チベット最初の王及び吐蕃王系は、いずれも天上より降臨した人間世界の「天神の子」と称され、これはチベットの世俗権力が最初はボン教信仰中の「天神」(の概念)を借用することで獲得されたことを意味する。 「天神」は天上に住んでいるため、「天神の子」としてのチベット王の宮殿は、自ずと最も天に近い山丘の上に建立する必要があった。この伝統は後世に継承され、徐々に定型化されていく。山崖式建築によって具現化した「王権天授」の内実は、世俗権力と相関することに起因している。 このほか、ボン教の「上方を以て天神に供祀する」ところから派生した「高」を神聖とみなす観念も、山崖式建築の重要な文化的土壌である。
〔キーワード〕 山崖式建築(山上の懸造?) ボン教信仰 天神の子


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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