fc2ブログ

寒冷過疎地の古民家再生と移住の諸課題 -真実性と快適性の両立へむけて《2023年度卒論概要》


卒論1枚目(尾前) スライド1


 こんにちは、尾前です。2月7日(水)ポスター研究発表会の発表内容と概要を報告させていただきます。 卒業研究にご協力いただいたすべての皆様に厚く御礼申し上げます。

題目:寒冷過疎地の古民家再生と移住の諸課題
    -真実性と快適性の両立へ向けて-
Issues of restoration of Traditional Private Houses and migration in cold depopulated areas
-Toward the Compatibility of Authenticity and Amenity -
 【中間報告


1.日本の過疎過密問題と古民家再生

 昭和戦後から近年に至るまで、気候条件の厳しい日本海側を離れ、太平洋側の都市部に仕事を求め、移住する傾向が強まっている。この結果、日本海側では、著しい過疎と高齢化が進行し、大きな社会問題になっている。一方、そうした過疎地の自然や文化を愛し、そこを自分の「居場所」だとして動こうとしない人も多くいる。本研究は、古民家の保全再生の変遷を、そうした人間の居場所や移住の問題と絡ませて論じるものである。とくに、古民家の文化財としての真実性(オーセンティシティ)と住まいとしての快適性(アメニティ)のバランスについて注目する。


卒論2枚目(尾前) スライド2


2.文化財指定された古民家の実態

 昭和40年代前後の高度経済成長期、活発な地域開発により国土の景観が乱れ始め、また大都市と地方の過密過疎問題が露呈してきた。こうした状況を危惧した文化庁は日本各地の町家・農家の状況を把握し、文化財としての指定と保存をめざして、全国緊急民家調査を実施する。この成果を受けて、突出した価値をもつ多くの民家が国や自治体の指定文化財となった。スライド2の左は国指定重要文化財(重文)の一例である。大学の近隣にある重文「福田家住宅」は囲炉裏やカマド、屋根構造等、江戸時代の姿をよく残しており、文化財としての真実性を高いレベルで保持している。しかし、重文であるがゆえに、現代生活に見合う内部改修が許されない。そのため福田家は、道路の対面に住宅を新築し、生活の快適性(アメニティ)を高め、そこで現代的な生活を送りながら、空き家となった重文民家を管理している。重文民家ではこういうケースが増えており、左下の石田家住宅も居住者がおらず、真実性の高い空き家を考古学的標本として公開している。
 右側は自治体指定の民家である。自治体指定の民家は、国からの補助に恵まれた重文とは違い、維持修理の補助金が少なく、自己負担金に耐えられなくなり、それでいてアメニティ向上のための内部改装も認められない。その結果、居住者が「指定解除」を求めるケースがやはり増えている。右上分布図の赤丸、青丸は鳥取県内で指定解除となった民家である。最も強調した分布図赤丸は指定解除となった日野郡内井谷の内藤家(県指定)である。もともと豪雪の影響で建物が傾いていたが、2000年の県西部大地震で半壊状態に陥り、指定解除となった。いま訪れても民家はなく、空き地になってしまっている。周囲の民家もすべて空き家で、集落は廃村化している。これが日本海側山間集落の現実である。


卒論3枚目(尾前) スライド3


3.町並み保全と登録有形文化財

 1975年の文化財保護法改正で、町並み保全の制度(重伝建)が制定され、町並み保全地区内の古民家は、外観さえ維持すれば、内部の改装は自由にできるようになった。その方式に従う場合、1棟につき上限一千万円の補助金が支給される。ただ、これは国の重伝建(左側)のみの補助であり、右側の自治体の町並み保存地区の場合は補助金は十分ではない。
 まず国選定重伝建の代表例として、奈良県橿原市の「今井町」を取り上げる。今井町は戦国時代の寺内町に端を発し、今でも江戸・明治の景観を非常によくとどめている。保存地区内には国の重文や県市の指定文化財の建造物を数多く含んでいる。日本有数の町並みを誇る集落であり、民家内部の活用・転用を抑えて、町全体に重要文化財の趣きがひろがっている。
 スライド3左下の美山は、京都府南丹市の重伝建であり、近畿を代表する「茅葺きの里」である。39棟のかやぶき民家が軒を連ねる。今井町と違い、民家を活用したカフェ、民宿、土産物店などに転用されているが、内部改装は大人しくまとめている。
 右上は奈良町(ならまち)である。重伝建ではなく、奈良市の都市景観形成地区として民家の再生・活用が活発だ。東大寺・興福寺・元興寺などの門前町として栄えてきたところで、観光客が非常に多いエリアである。右下は鳥取県智頭町の「板井原」である。県の伝建地区に選定されているが、この集落に常住するのは2世帯のみ。いわゆる限界集落である。母親の故郷にUターンした女性が古民家カフェを開いていて、結構人気がある。素朴ながら、カフェらしい内装に改修されている。こうした改修・再生は重要文化財ではできない。


卒論4枚目(尾前) スライド4


4.アメニティの向上とオーセンティシティの喪失

 重伝建地区において、民家の内部改装は自由であることから、アメニティ(快適性)の向上が期待された。しかし、過度の内部改装は、古民家の魅力を損なう原因となる。スライド4上は兵庫県の重伝建「篠山」の蕎麦屋である。城下町の町家らしい外観をよくとどめているが、内部は壁も天井も新建材をはりつめており、民家の真実性をまったく感じさせない。骨董のような和風木造の風貌と歴史性を失ってしまっている。このように内部の自由な改装は、文化財建造物のオーセンティシティに大きなダメージを与える場合がある。
 もちろんすべてがこのような状態に陥っているわけではなく、同じ丹波篠山市の重伝建「福住」にあるパン屋は、建物の内部でも、古い部材を非常によく残しており、カウンターやガラスケースのみ新しくして快適性を確保している(スライド4下)。築150年以上の古民家を、大阪から移住してきた若い夫婦が地元の大工さんと協働して内部改装したものである。


続きを読む

龍年大吉_Built Heritage

Happy Spring Festival_Built Heritage 建築遺産署名


『建築遺産』からの春節賀状

 春節(旧正月)を迎えた中国から年賀のメールが届いている。もちろん当方の賀状は昨年末に投函しているのだが、中国の賀状は春節なので一月遅れになるようだ。昨年最大の出来事は母校、同済大学(上海)での講演であった。帰国後自然に情報が集まってきた。わたしとほぼ同時期に学会参加などで中国渡航を企てた教員(中国籍以外)はほぼすべてビザ取得に失敗している。成功したのは私だけ。よくビザがとれたものだと思う。長年お世話になっている旅行社のサポートが抜きんでて良かったのだと改めて感謝している。
 上は同済大学『建築遺産』誌編輯部の電子賀状。龍年なのね、辰年。座って辰年、寝ても辰年。甲辰(きのえたつ)。登り龍とはきっと鯰のことだな、そう信じよう。『建築遺産』誌にはある約束をしているのだけれども、なかなか果たせていません。必ずやります。以下、挨拶文。

  很高兴能收到您寄来的明信片,太温暖了,非常感谢!
  龙年马上就要到了,我代表期刊编辑部,奉上一张BH电子贺年卡,
  并向您致以最诚挚的祝福:祝您和您的家人新春快乐!
  身体健康!万事如意!
  让我们保持联系,期待着您的大作!


一角獣440px-Qilin_in_sancai_tuhui 古代の一角獣(麒麟?)はなぜか龍にも似ている


続きを読む

うだつの上がらぬ町家(1)

0107古町01外観03


猫と娘に見送られ

 地震、空港事故、火災、葬儀などいろいろあったが、家族に限っていえば、この正月は久しぶりに全員が揃い、平和な時間を過ごすことができた。淀の競馬場に出かける者、大阪湾まで釣りに行く者、ママさんバレーを掛け持ちする者などいて、団結的な行動をとるわけでは決してないが、いつも誰かが何かを買ってくるので、集まればただちにお茶にしよう、珈琲にしようとあいなり、ブレイクの時間が長くなる。また、娘が母親に楽々スマホを買ってあげると言い出して、ドコモに3名で乗り込んだ。残念ながら、家内の適応は20%程度にとどまる。電話を受け取り、かけるのが精いっぱいだから、ガラケーのままの方がよかったのかもしれない。手続の手間やレッスンの甲斐もなく、いまだラインすら使えない状態だが、何度も使い方を教えるため母親のまわりに子供たちが群がることとなった。ドコモショップは、同じような高齢者で溢れていた。いまこの世代に売れる機種が求められているのだと思う。ITに弱い高齢者、身障者用のスマホを上手く開発すれば、おおいに売れるだろう。いまはまだユニバーサルデザインのレベルに達していない。
 1月7日(日)、翌日は成人式だからまだ休みは続いていたが、夫婦は所用があり、一足先に鳥取に戻ることになった。早朝から大阪湾に釣りに行った1名を除く2名は、いつもと反対で見送る側になり、母との別れを惜しんでいる。猫も二階部屋の窓際からその光景を眺めていた。


0107古町01外観01


うだつの上がらぬ町家の正体

 午前中に奈良を出発し、午後2時、大原古町に到着した。例の買い物の問題で、地元の建築家Mさんとともにもう一度内部に入って観察しようということになったのである。1階の土間は広くてよかったが、Mさんは一目視るなり、「壁が少ない」。耐震構造の基準に達していない、ということだ。壁の少なさは本棚を並べる壁を内部に復活することで対応できる。書棚の裏の壁だから、伝統的な構法に従う必要もなかろう。外壁の断熱も経費がかかるらしいが、やはり一面書棚として、裏に断熱・防湿シートを張り、書棚の前に明かり障子の建具を通せば一定の断熱効果はあるだろうし、見栄えも落ち着く。表の格子窓(掃出し)の内側にも障子を通すか、外側に雨戸をつけるしかない。この場合、右手で盛んだったというミツマタ和紙の障子紙を使えれば最高だろう。


0107古町02土間内部01 0107古町02土間内部06天井01 0107古町02土間内部05 


 ぼろぼろになった新しい天井を取っ払って、大引や根太を露出させたいと思っていたのだが、それらの古材を残すのは表側のみで、奥側は天井の裏側に鉄骨をしのばせているようだ。ただし、わたしは文化財建造物の鉄骨構造補強を支持する者なので、一部に鉄骨を露出させてみせるのも悪くないと思っている(鉄骨も新材に差し替えるべきだろうが)


0107古町02土間内部02 0107古町02土間内部03 0107古町02土間内部04


 2階はたしかに雨漏りが目立った。早急の修復が必要である。少なくとも、当該部分の屋根にブルーシートを被せる必要がある。畳を復活させるつもりはなく、断熱材の上に板敷フロアとする。続き間はすべて多機能スペースとし、寺子屋風の講演会を開いたり、OBや家族のゲストハウスとする。外からみると、2階のデザインは古町特有の袖壁(古町流うだつ)のない格子窓だけのシンプルなものであり、1階とよく調和しているけれども、2階内部をみれば材はさほど古くなく、おそらく元は茅葺屋根の平屋建物であったろう。この町家を「書庫兼アトリエ」のセカンドハウス(兼小規模カフェ)とする場合、正直、2階は不要であり、撤去しても良いぐらいだが、撤去費と新しい平屋の屋根づくりの費用は相当な額になるから、法隆寺金堂のように飾りの2階と考えるしかないが、構造だけは健全化しなければならない。


0107古町03上階01 0107古町03上階03奥の部屋01 0107古町03上階02天井01


続きを読む

本家うだつの町並み-美濃市美濃町

1026美濃01うだつ05連棟01 1026美濃01うだつ03全景01


茶匠金森

 大徳寺真珠庵の庭玉軒は有楽苑如庵(二畳半台目)より小さい二畳台目だが、講義では千利休没後の「反利休」の一例として紹介している。内坪(うちのつぼ)を構えるからである。内坪とは閉鎖的な土間の玄関だが、利休はこれを取っ払い、露地からいきなり躙口を潜って小間の茶室に入るようにした。利休が廃した内坪を復活させたのは金森宗和である。庭玉軒では内坪に飛石・蹲踞・刀掛を取り込み、躙口を大きめにつくっている。利休好み二畳の息苦しさに抗う姿勢がうかがえる。宗和の茶室は公家社会で歓迎されたという。


1026美濃01うだつ06 1026美濃01うだつ02


 宗和は京都隠棲後に剃髪した際の号である。実名は金森重近(1584-1657)。飛騨高山の初代藩主、金森長近の長男として生まれた。金森という氏名は、応仁の乱で活躍した大畑定近(後の金森定近)が一族ともども近江の寺内町、金森に住んでいたことに因むという。 長近は茶の湯の才にも秀でており、秀吉が伏見在城の時は伏見城下の自宅に書院と茶亭を造り、しばしば秀吉を招いた。千利休の弟子として茶会に招かれたり、古田織部とも交流があった。しかも、秀吉が利休に切腹を命じた時、利休の嫡男、千道安を飛騨高山に匿った。その時、重近(宗和)が、道安から茶の手ほどきを受けたという。 大阪の陣の直前、父長近が徳川方につくことで袂を分かち、重近(宗和)は京都に隠棲した。以上の生涯をみる限り、宗和は利休系の茶人であるとはいえるけれども、内坪はむしろ利休の師匠、武野紹鴎の四畳半茶室の形式を受け継ぐものである。


1026美濃01うだつ04 1026美濃01うだつ01


続きを読む

虎渓山永保寺

1226永保寺01開山堂02梵音巌01 1226永保寺01開山堂01


巌と窟の禅寺

 「住まいの建築と歴史」講義の第11回「金閣と銀閣-禅宗様と方丈と枯山水」、第12回「書院造」をまたぐようにして、夢窓疎石(1275-1351)の話をする。動画も活用しながら。もちろん虎渓山永保寺を取り上げるのだが、これまで訪問したことがなかった。ただし、本家lablogには2回登場している。いずれも賀状の写真として修理現場の技師(今は独立、菅原遺跡と関係あり)から送られてきたものである。私学としての環境大学が終わろうとしていたころの年賀紹介である。文末にサイトを示しておく。じつは先日の「崖と建築のヒエロファニー」でも梵音巌なる巨岩が聖地の始まりであり、仏寺はその聖地を活用したものであろうと述べた。本堂にあたる観音堂(国宝・南北朝)は、案内板によると、聖観世音菩薩坐像を岩窟に祀るとあり、ますます巌(いわお)や窟(いわや)との関係を感じたが、内部も背面もみていないので、どうなっているのかは分からない。


1226永保寺02庭01梵音巌01 1226永保寺00全景01


 梵音巌は思っていたほど大きくなかった。岩上に六角堂を構え、多数の石仏をまわりに配す。観音堂から池の対岸に木造アーチ式の無際橋をわたす。中央に亭あり。わたしと家内の脚でもなんとか渡りきった。橋を渡って右に折れると最上の撮影スポットがあり、記念写真を撮影しようと待機していた。来た、来た、3人家族だ。娘さんに撮影をお願いすると、「ここを押せばいいんですか」と訊ねられたその発音で中国人であることがわかった。


1226永保寺02庭02無際橋02 1226永保寺02庭02無際橋01絵様01


続きを読む

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
01 | 2024/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 - -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR