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ウクライナの風に吹かれて(20)

山陰中央新報圧縮(避難民)10月15日_page-0001


風速計

 学園祭でゼミ生がごちゃまぜ料理屋を出店するというので、そわそわしていた15日(土)、山陰中央新報の山陰版(島根・鳥取共通)で10月4日講演会「ウクライナ避難民の支援と人類社会の未来像」に係る記事が論説コラム「風速計」に掲載されました。私の名前が4回も出ていて恥ずかしいですが、4日講演会の内容をかなり忠実に再現しつつ独自の見解も示しており、注目されます。
 島根は出雲のロシア人のことが頭にあるので、私の発言をよく引用してくれます。鳥取ではほぼ無視ですね。

 なお、以前ネットサイトを示した中国新聞広島から紙面が送られてきました。これについても近々アップします。
 ウクライナの戦況は激変し、プーチン大統領の立場は日に日に悪化している。わたしは前からベラルーシを調略して小早川にしてしまえば、ロシアは関ヶ原の西軍のように壊滅するだろうと予測していた。ロシアが負けても、おまえだけは許してやる、とルカシェンコに呟いて相応の賄を懐にしのばせれば、永遠に動かないロシア支援軍になりそうだ。チェチェンも同じ。ラムザン・カディロフはいつ寝返ってもおかしくない。寝返るどころか、プーチンの寝首を掻き、チェチェンをイスラム帝国として独立させるかもしれない。こんなこと、国際政治の面では当たり前であり、 CIAだとかMI6はこれらの近隣諸国に対して猛烈な揺さぶりをかけているのでしょうね。


新聞記事_中国新聞_page-0001sam 中国新聞(広島)10月6日22面


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中国道蕎麦競べ(25)-やぶ勝

JOCA南部法勝寺温泉 (1) JOCA南部法勝寺温泉 (2)


JOCA南部・法勝寺温泉オープン
 
 鳥取県南部町で長年準備してきた新たな拠点「JOCA南部・法勝寺温泉」が6月11日(土)にオープンしました。6月某日、先生ご夫妻と法勝寺温泉内に開業した蕎麦屋「やぶ勝」を訪れました。JOCA南部のスタッフの方々から、これまで何度か施設の案内や情報をお知らせしていただいておりましたので、正式な開業を大変うれしく思います。JOCA南部の拠点施設は、佛子園のコンセプト「ごちゃまぜ」(子ども、若者、高齢者、障害のあるなし、認知症の人も、そうでない人も、日本人も外国人も分け隔てなく、みんなが互いに関りながら、「ごちゃまぜ」で過ごすことのできる空間)のコンセプトを実践するものです。今回は、温泉と蕎麦屋の施設がオープンしましたが、ウェルネスの建設など2期工事も控えているそうです。


JOCA南部法勝寺温泉 (3)
↓えび天蕎麦(左)、きつね蕎麦(右)
JOCA南部法勝寺温泉 (6) JOCA南部法勝寺温泉 (7)


 施設は木造桟瓦葺きの落ち着いた外観をしています。中に入ると明るい現代的な空間がひろがっており、佛子園で感じたような温かい空気に満ち溢れていました。食事処「やぶ勝」には、私たち以外に町の人たちですでに賑わっていました。メニューは佛子園の「行善寺やぶそば」を参考にしているため、昨年佛子園本部(石川)で食べたミニ丼・蕎麦セットもメニューにありました。佛子園と同様、JOCAの経営するソバ屋にはブータン蕎麦が使われています。「やぶ勝」ももちろんです。先生のようなソバ通は普通「ざる」か「おろし」の冷ソバを必ず食べられるそうですが、ブータン蕎麦に限っては、温ソバが美味しいと仰います。麺が硬いからです。冷ソバの場合、麺が硬すぎて冷たすぎるきらいがありますが、麺がのび気味になる温ソバには堅めの麺がよくあいます。温ソバの麵は時間が経つに従い、柔らかくなっていきます。温ソバの場合、まずは堅めの麺を味わい、しばらくすると、少し柔らかくなった麵を味わうことができるのです。一椀で二度美味しい!
 私はえび天蕎麦をいただきました。先生と行動をともすることで、この2年間、たくさんの蕎麦を食べてきましたが、その中でも一、二を争うぐらいおいしかったです。佛子園特製の「かえし」を使ったつゆは深みがあり、麵との相性が抜群でした。協力隊ビールと蕎麦の相性も予想以上に良かったです。食後には、協力隊珈琲もいただきました。
 鳥取県南部町では、内閣府が掲げる『生涯活躍のまち』プロジェクトが進められています。JOCA南部の拠点を中心に人の流れを促進し、以前のように活気ある場所となることが期待されます。(滅私)


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ウクライナ・ロシアを訪ねる出雲の旅(1)

ロシア避難民との交流
 
 ナターシャ・グジーさんの出雲公演の前にロシア避難民と情報交換をしました。早くから出張伺を申請し出雲調査の準備を進めていたところ、出雲に避難してきたロシア人が4名いるという衝撃的な報道に接し、先生がコンサート主催者にメールで問い合わせされました。すると、主催組織の重鎮Sさんがロシア避難民のアパートの世話などをしていることが分かり、急遽面談が決定したしだいです。面談の会場は、発達障害・不登校の子供たちを支援するスタンドバイYouです。面談には、コンサート主催会社のSさん、4名のロシア人をサンクトぺテルブルグで雇用していたMさん、スタンドバイYouの代表者も同席されました。
 Mさんはロシアに拠点を置く日系ITコンサルティング会社SAMIのCEOです。今回避難してきた4人はこの会社で働いています。避難民の一人はモスクワで反戦デモに参加したため拘留され、その懲罰としてウクライナ最前線に派兵される可能性が高くなっていました。Mさんは社員の身の安全を考えて、4人をロシアから出国させることにしました。友人のツテを頼り、たどり着いたのが出雲市であり、Mさんがアパートの家賃を支払い、4人を住まわせています。
 今回避難してきた4人のロシア人とMさんは日本に1,000人以上移住してきているウクライナ避難民の支援サイト「ドポモーガ(Dopomoga.jp)」を立ち上げています。避難生活に必要な住居や仕事を提供する自治体とか企業を分かりやすく地図にして掲載しています。
 
 面談では、先生とMさんを中心に避難民の日本語習得、雇用と就学、居住地など「居場所」に係る包括的な話し合いが行われました。Mさんは、ウクライナ避難民支援とのコミュニケーションが進んでおり、避難民の意識と課題について貴重なお話を聞くことができました。

①日本語習得
 まず日本語習得の問題が取り上げられました。先生はこれを大変重視されています。各地の避難民が正式な日本語教育を受けることなく、就学したり、働き始めることに懸念を抱かれているのです。実際、避難民の日本語習得方法は、自治体によって対応がばらばらであり、国の方針も決まっていません。幼稚園・保育所、小学校、中学校、高校、大学、社会人、それぞれどうすればよいのか。日本語だけを集中的に学ぶ期間を作るのか、日本語を学びながら働くのか、日本語は学ばず通訳で済ませるのか。言語の問題は雇用や就学など生活に直結しています。Mさんは、幼稚園・保育所については問題ない、とされました。しかし、小学校以上になると、授業を受けるためにも日本語の教育が必要です。

②雇用・就学
 日本語を話せない避難民は雇用・就学に問題を抱えています。Mさんは、雇用の場合、リモートワークができない人材が問題だと指摘されました。ウクライナのIT専門家は非常に優秀です。この優秀な人材をめぐって欧米では争奪戦が発生しているほどです。彼らは、パソコン1台あれば、事務所がなくとも、どこでも働くことができます。日本にいながら欧米の仕事ができるため、問題は小さいと言われます。ところが、日本ではIT技術者がハローワークを訪ね、日本語コミュニケーションができないから、と雇用を拒否された事例などが報じられています。こういう技術者は、上記ドポーモガのサイトを利用することで、自分の技能を活かせる雇用先をみつけることができるでしょう。ドポーモガはウクライナ語とロシア語で就職先を紹介しているからです。
 問題は、母子や高齢者の組み合わせで避難してきた方たちです。これらの方々はリモートワークに馴染んでいないのが一般的でしょう。そういう避難民は優秀な人材であっても、日本語会話ができないので、どのような仕事を選ぶべきか困惑しています。こうした避難民には、事実上、仕事の選択肢がありません。

③都会と地方と
 現在、避難民のほとんどは大阪や東京など大都市に集中しています。大都市は人が集まりやすく、便利ではありますが、欠点ももちろんあります。実際、避難民にとって都会のほうが大変だとMさんは指摘されます。地方では製造や一次産業など語学力が高くなくてもとっつきやすい仕事があるのに対して、大都市はサービス業が多いため、会話能力を要求されるからです。また、都会の方が生活費・家賃が高く、地方は避難民の数が少ないから支援も手厚く受けられます。その一方で、避難民が地方に住む場合、近隣に友達がいなくなってしまいます。Mさんはこのトレードオフ(両立できない関係性)を解決するのが難しいと仰います。地方に移住したその後が大事であり、たとえば誰かとご飯を食べに行こうとなっても人がいない、生活の悩みを誰に相談するのかなどサポートができないといけません。
 先生はここでも日本語学校が重要な役割を果たす、とお考えです。いろんな国からやってきて日本語を学ぶ人たちがコミュニティをつくる。自ずと友達はできるでしょう。日本語学校のなかに支援の窓口を設ければ、いろいろな相談にのってもらうこともできます。先生はまた過疎地の地域振興と避難民の支援を連動されることを考えられています。農業を始め、働き場所はいくらでもあるので、生活費が安く暮らしやすい地方で積極的に避難民を受け入れる努力をすべきだと仰います。


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登録記念物-摩尼山の歴史性と景観の回復(19)

2011法界場の石仏10 法界場


「賽の河原」で石を積むイベント

 摩尼山鷲ヶ峰の地蔵堂や立岩が戦前まで参拝者の多かったことは「因伯時報」昭和13年の記事が伝えるとおりである。しかし、今は境内ですら参拝者が激減しており、鷲ヶ峰立岩の帝釈天礼拝を目的として登山する人はごく稀になってしまった。ここで原点に立ち返りたい。登録記念物「摩尼山」の活用整備方針の主軸となるコンセプトは「摩尼山-歴史性と景観の回復」である。摩尼山の歴史性の根幹にあるのは、立岩における帝釈天の降臨であり、そこはまた「賽の河原」としての信仰を集めてきた場所でもある。
 いままでおもに明治期の地蔵堂・鐘楼等の復元に焦点を絞って考察を進めてきたが、その成果に基づきつつ、敢えて名勝整備の重心は立岩と「賽の河原」の複合性を強調した江戸時代後半の姿におくべきであることを提言したい。かりに明治期の歴史的景観を再現するとなれば、地蔵堂・鐘楼などの建造物を復元することになるけれども、その工費は尋常なものではなく、維持管理もまた容易ではない。とすれば、明治期の遺構については基壇・礎石の整備程度にとどめ、むしろ『因幡志』(1895)に描かれた「財河原」イメージの醸成をめざすべきではないかと考える。すなわち石積み塔と地蔵石仏を「賽の河原」に蘇らせるのである。地蔵石仏については、法界場などに集中する石仏の一部を移設すればよいだろう。設置場所は旧地蔵堂跡地がふさわしく、その石仏は簡単な覆屋で保護するほうがよいかもしれない。


2009法界場の地蔵 法界場


 石積み塔は人工的に導入するのではなく、年に1~2回「賽の河原に石を積む」イベントを開催して、少しずつ石積みの数を増やしていくのがよいのではないだろうか。門前から「奥の院」に至る旧登拝道は摩尼川の源流に沿っている。イベントはトレッキングと複合させる。摩尼川の源流を沢登りしつつ小石を集め鷲ヶ峰までもって上がり、その石を地蔵堂・鐘楼基壇の上に積み上げるのだ。立岩の上に積みあげても構わないだろう。誰でも参加可能のイベントだが、子どもを含む家族連れで楽しめるようなイベントにできれば最善と思われる。


2010法界場の地蔵 六角阿弥陀堂脇


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トンレサップに帰ろう(4)

訃報

 8月25日夜、訃報を受信した。成都から西寧に飛び、そのまま車で日月峠と青海湖を経由して夜半に到着した都蘭での出来事である。高橋一学長が急逝されたのだ。自分でも想像していないほど衝撃を受けた。よく喧嘩した仲だが、大変お世話になったと素直に思っている。学長は数少ない私の理解者であり、支援者であった(と今にして思う)。どうしても弔電が打ちたい。しかし、第一報には葬儀の予定が決まっていないとある。とりあえず、同僚に弔電の代打をお願いしたが、本心はちがった。ラサで必ず弔電を打つ。
 青海省の都蘭は標高3200mの高地にある。あたり一面は草原で、遊牧民がほぼ距離を同じくして分散しつつ宿営地を営み、そこで何千頭ものヤクと羊を放牧している。翌朝ゴルムドに向かうことになっていた。ゴルムドから青蔵鉄道に乗って車中泊し、ラサに着くのは2日後のことである。青蔵鉄道は標高4200~5300mの高原を往来する鉄道である。コンパートメントには酸素を吹き出すボンベ口が4ヶ所設けてあった。
 27日の早朝、車中で目覚めると、日本からの客人はみな鎮痛な表情をしている。酸素不足による頭痛に悩まされ、食欲をなくしていたのだ。わたしは唯一例外的に食欲があり、何杯も粥のお代わりをした。すでに体が高地に順応し始めていたのである。ラサに着いて、後頭部に鈍痛を感じはしたが、他の日本人に比べればはるかに元気であり、なにより食欲が旺盛にあった。日本では制限している澱粉・糖類をラサでは貪りくらった。血糖値を上げないことには話にならないからである。ホテルはなかなか高級で、ワイファイの通信状況は良好であり、学長の葬儀は東京でおこなわれるという新たな報せを受信した。その夜、NTT東日本にアクセスし打電に成功した。「いまラサ(拉薩)の星空を仰ぎながら、極楽往生を祈るばかりです」などという文言を呟いていると、横で聴いていた会長が素っ気なく答える。

  星は全然みえませんねぇ、楽しみにしてたんですが・・・

 同日、ダライ・ラマ重体のニュースがネットを駆けめぐった。ダライ・ラマが逝去すれば、ラサは再び暴動の嵐となるだろう。帰国できなくなるかもしれない。そういう怖れをいだきながら、じつは、個人的には、ダライ・ラマはすでに亡くなっているような気がして仕方なかった。信玄急逝時の隠蔽工作のようなものである。中共の陰謀を阻止するためには、ダライ・ラマは永遠に生き続けなければならない。

朗報

 こうした暗雲を覆い尽くすような朗報が出国直前にもたらされていた。母校のスーパー・グローバル・ハイスクール(SGH)の課題研究において、指導した「トンレサップ湖に学校をつくろう」プロジェクトが、校内評価の結果、優秀賞に輝いたという報せが届いていたのだ。とても嬉しかった。還暦の年に少しだけ母校に恩返しができたような気がしたのだ。嬉しかったから会長に何度も自慢した。
 ブータンから帰国した9月下旬、課題担当教員と代表生徒1名の表敬訪問を受けた。その生徒は大学の建築学科を志望していると聞いて仰天。わたしのやっていることに興味をもったようだが、もちろん偏差値が高いので、近畿方面の有名大学の建築学科をめざしている。しかし、その女子生徒の話を聞いてみると、工学部建築学科より、旧生活科学系(いまは人間環境/環境デザイン系)のほうが似合っていると感じたので、大阪市大などの住居系を推薦した。そして、ぜんぶ落ちたら環境大の一般後期をうければいいよ、というと、本人は笑顔になったが、先生の表情は少々曇ったような気がした。頭が良いだけでなく、コミュニケーション力の高い逸材で、喉から手が出るほど欲しいと思ったが、偏差値が高すぎて、来てくれないでしょうね・・・
 大学HPに掲載された以下の記事もあわせてお読みください。
 
 浅川教授が指導した鳥取西高SGH課題が優秀賞を受賞しました
   http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2017nendo/20171002/
 
 来春には、最優秀作・優秀作の正式な発表会が催されることになった。まことに結構なことだが、受験勉強に影響がでないことを祈っております。

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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