熊野神社遺跡(Ⅰ)

修験の磁場へ
6月末で学生の摩尼山での活動は一段落し、学内での整理とプレゼン準備に移行してしまいましたが、私個人は佐治町の熊野神社遺跡をなんどか訪れていました。「聖なる巌」の鳥取講演に元校長先生のTさんが来場され、熊野神社遺跡のパンフをいただいたのが事の始まり。熊野神社遺跡は佐治村の指定史跡であったものが、2005年の市町村合併後に持ち上がりで市指定文化財(史跡)に格上げされたものです。中世に熊野神社信仰が全国各地にひろまり、それが佐治にも及んだものだろうと推定されており、パンフをみると、磐座、小鳥居、本殿跡、「奥の院」の石窟・羅漢仏(↑)に「那智の滝」などが山麓から山上に分散しています。これはぜひともみておきたいと、まず14日に現場を訪れ、近所で野良仕事をしていたTさんにご案内いただいた。その後、個人的にさらに2度訪問し、3度目の26日(木)には学生諸君数名に視察してもらいました。
というわけで、何回か熊野神社遺跡訪問記を連載しようと考えており、視察した学生のうちジャンケンで負けたイッポ君がブログを書くことになっていたんですが、そのイッポくんは、プロジェクト研究「修験道トレッキング」の感想文を先に送ってきたのです。昨夜のブレイクDくんの感想文で摩尼山の前期活動は一段落と思っていたのですが、もちろん掲載しないわけにはいかないですよね。
なお、本日掲載の写真はすべて熊野神社遺跡ですので、ご注意ください。

当たりくじを引いたプロ研
僕の授業資料ファイルには、今までのプロ研に関するブログ記事が全て印刷された冊子がある。パワーポイント作りのための資料だが、今回感想を書くにあたってちょっと取り出してみた。冊子はホチキスの芯1つでは綴じることができず、前半と後半に分けたほど分厚い。我々の活動を文字にして表すとこんなにもなるのかと少し感動した。そこで、一通り目を通すと1番最初の顔合わせが4月12日で以後15回の活動をこなし、7月21日の発表会をもってプロ研の活動が終了した。
僕は3ヶ月以上の期間をとても短く感じた。時が経つのを忘れるほど夢中になったと表現してもいい。実際、今回の活動や取り組みはバラエティに富んでおり、毎回楽しみだった。そもそもの始まりは、プロ研のシラバスに書かれた「山歩きの好きな人、大集合!」の宣伝文句だった。どんな研究分野かまともに見ることなく適当に選んだつもりが、今となっては当たりくじを引いたと確信している。
僕は普段一人でいることが多い。それは集団行動が苦手という意識があるからで、昔から団体作業や活動においては、場に馴染めるか馴染めないかがはっきり分かれていた。だから最初は不安で、退屈な授業になってしまうことを恐れた。しかし、GW明けに初めて摩尼山を訪れた頃から、その不安は消えていった。摩尼寺「奥の院」遺跡を整備するための活動が始まり、疲労が一気に増したことが大きな要因だ。それまでの坂谷神社や不動院岩屋堂の見学で、やることと言ったら先生の説明をメモ書きするか写真を撮るかだけだった。大学の外に出ることは嬉しかったが、いまいち物足りない。それが樹木の伐採や除草作業、土嚢階段作り、参道整備など自分たちの活動が目に見える形となって表れることに大きな達成感を感じた。こうして、いつのまにか夢中になったのだ。
今回のプロ研で良かったことの一つに、天候に恵まれたことが挙げられる。15回の授業のうち、1回目はガイダンス、後半3回が資料作り、最後が発表、それ以外の10回は全てフィールドワークだった。逆に晴れ過ぎで蒸し暑いなと感じることも多く、「奥の院」への道の最後は必ず大量の汗がつきものだった。おかげで先生の「生まれて来るんじゃなかった」「死んだ方がましや」という口癖が毎回冴えわたった。
