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天国への階段(ⅩⅥ)

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バタッ村
 
 昼食を終え、車に乗り込んだ。めざすはルートマップ⑨番のバタッ(Batad)村である。マンガーンから2キロばかり引き返すと、V字に折り返す山道があり、そこに Rice Terraces の文字を含むサインボードを確認した。山道は勾配がきつく曲がりくねっている。再びギアをローに落とす。ゴトゴトガタガタ車は進み、20分ばかりしてサドル(Saddle)と呼ばれる地点に到達した。英語のサドルは「鞍」。そうか「馬の背」、尾根だね。サミット(山頂)ではないが、そのあたりではいちばん高い地点である。ルートマップによれば、バンガーン村の標高が1000m、バタッ村が1100mとある。サドルの標高はおそらく1500mを超えているだろう。めざすバタッ村は俯瞰しても見えない。サドルには駐車場とともに、いくつかの店がある。そして、「バタッ棚田活用プロジェクト」の大きな看板を発見した(↓右)。国家的プロジェクトとして、この棚田の活用を図ろうとしている。


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 店の脇に階段の降り口がある。石とセメントでできた階段で比較的楽に歩けはした。その階段は長い。段を下りきったところに標識があり、「412段」あることが示されている。そこから下り道が続く。下り道の歩行は足が棒になって膝が嗤う。上り以上に苦手とする人も少なくないが、私は苦にならない。スロージョギングで降ると膝が自ずと屈伸し、負担がかからない。38歳のジュンジュンは私についてこれなかった。村に至るまで休憩小屋が2~3ヶ所あって、1ヶ所で休憩した。「まだ40分はかかる」と言われうんざりしたが、ジュンジュンはお手上げ状態だった。サドルから1時間ばかり歩いて、ようやくバタッ村の看板を目にした。目の前に急峻な棚田がたしかにある(↑左)。しかし、棚田の範囲は狭いし、周辺にムラはみえなかった。


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 そこからまたしばらく歩いてようやく巨大な棚田と集落が眼前にあらわれた。ただし、そこもまた一種のサドルであり、休憩所が軒を連ねる眺望ポイントであった。いちばん奥の休憩所に腰を据え、棚田の景色を一望。これが「天国への階段(Steps to Heaven)」か。世界文化遺産「コルディレラの棚田」の最も代表的な景観をようやく探し当てたのだ。気分は爽快。店の女性が3人いて、声をかけてきた。端正な顔立ちをしている。

  「今夜はここに泊まるんでしょ?」
  「バナウエのホテルをとっているから、帰りますよ」
  「いつまでバナウエにいるの?」
  「明日マニラに戻らないといけないんだ。マニラには行ったことある?」
  「えぇ、行くけど・・・マニラは好きではないの」

 時刻は3時を過ぎている。時間が足りないことに気づくのが遅すぎたようだ。


02バタ村05本村02集落全景01 02バタ01記念撮影02



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天国への階段(ⅩⅤ)

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バンガーン村

 ジュンジュンの運転する車は土の道に踏み込んでいった。ギアをローに落としてゆっくり進む。谷筋に架かる橋の周辺だけぬかるんでいたが、他は路面が乾燥し硬かった。乾期の晴天に感謝。スローではあるけれども車は前に進んでいく。そして11時すぎ、ルートマップ10番のバンガーン村に辿り着いた。そこは村のはるか上方にある眺望地点で、いくつかのレストランが軒を連ね、小さな「街」ができている。女同士で髪を洗いあう風景に出くわした。とても端正な顔立ちをしている。マニラ方面のタガロクとバナウエのイフガオとでは容貌があきらかにちがうのだ。イフガオの方が凛々しい顔立ちにみえる。
 眺望ポイントから野道を下る。村を中心とする棚田の景観は見事というほかない。しばらくすると、テラス状の地形(日本でいうところの加工段)に四面開放の掘立小屋があり、赤い衣装を身にまとう老人が軒先にしゃがみ込んでいた。真っ赤な民族衣装からして女性だとばかり思っていたのだが、近づくと、男性であることが分かった。赤い褌で腰部を隠し赤い布を上半身に巻き付けている。頭に鳥羽の冠も被っており、ひょっとすると、シャーマンのたぐいの呪者なのかもしれない。


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 その先に進むと、こんどは赤い褌とTシャツを身につけた初老の男が歩いていた。こちらは農具を肩にしているので、普通の村人だろう。褌と言えば、ミクロネシアのヤップを思い出す。島の男は白い褌を身につけていた。ヤップの男はビンロウ(檳榔)の葉を噛む。ナルコティックスの役割を果たす噛みたばこのようなもので、歯と歯茎のまわりを真っ赤にしている。イフガオの男も同じだった。ビンロウ噛みの習俗はスリランカ、ミャンマーあたりからフィリピン、ミクロネシアにまで分布のひろがりがあるということだ。ミクロネシアの場合、文化の源流はフィリピン方面にあると言われるが、たしかにそのとおりだと思った。ただし、ミクロネシアではパラウとマリアナ以外に稲作は浸透していないし、その2島についても、過去における稲作の痕跡があるだけで、今はないはずだ。


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退職のご挨拶

 本年度をもちまして、嘱託職員としての任期を終え、来年度より島根県庁営繕課で勤務することとなりました。

 開学後1期生として入学し4年間、さらに職員として4年間の計8年間を本学で過ごし、何事にも代えがたい経験をすることができました。とくに、ここ3年は長期履修制度を利用して大学院生でもありました。職員と院生という立場から、先生方並びに、職員の皆様には、ご足労をおかけすることも多々あったかとおもいます。そのたびに、真摯にご対応いただきました。この場を借りて、感謝申し上げます。
 4月からは、久しぶりに鳥取を離れますが、母校である鳥取環境大学での経験を糧に、精進したいと思っております。

 短い挨拶で恐縮ではありますが、今後の皆様方のご健勝とご活躍、並びに鳥取環境大学のご発展を祈念致して、退職の挨拶に代えさせていただきます。
 本当にありがとうございました。(タクヲ;清水 拓生)


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天国への階段(ⅩⅣ)

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埋 葬

 駅前まで散髪に行った。もちろん走る。走るとまた「悲しくてやりきれない」が頭を駆け巡る。帰りも走る。途中、コープ前のたこ焼き屋台に立ち寄り、野菜焼き2枚とネギジャンボ1箱買った。オヤジに「17年間も家に住み着いていた猫が死んでね」というと、仰天した顔をした。

  「じっ、じゅうななねん・・・人間ならエラい歳でっしゃろな」
  「90歳くらいかな?」
  「いや、もっと上でっしゃろ」

 そこから走って家に戻り、さっそくスコップを手にした。庭の中央に立つ楓の樹の下の尾根筋に穴を掘った。家内を呼ぶ。彼女はこの場所が気に入らない。もっと手前の低いところとかなんとかまくしたてるのだが、水はけなどを考えると、尾根筋の高いところに埋めてマウンドを築くほかないと私は考えていた。白い布にくるまれたデブの骨をその穴に埋めた。土で埋め、さらに土を盛りあげ、使わなくなった洗濯物干しのコンクリート製土台で蓋をした。陵墓の形をした墓石である。これでだれも骨の上の土を踏めないだろう。四角錐の土台の頂部には鉄パイプの竿を差し込むホゾ穴もあいている。そこに土を詰めた。これで香炉の代わりになる。さっそく線香を5本立て二人で合掌した。


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 それから特養に向かった。玄関でなじみのHさんと顔をあわせたところ、連絡を待っていたという。じつは、六弦倶楽部の一部のメンバーが鳥取県西部の特養をまわってギター演奏していることに刺激され、わたしも奈良で同じような活動を始めるべく昨年末から打ち合わせしていたのだが、年明けから強烈なノロウィルスとインフルエンザが奈良を席巻し、特養は長く面会謝絶状態が続いていた。面会時は必ずマスクをし手を消毒して、ロビーでの会話だけが許されるようになったが、とても音楽会など開くのは無理だった。Hさんによると、「デイサービスの方ならやれたんですが」とおっしゃる。しかし、あのウィルス蔓延下で音楽会を演るような気にはなれなかったし、演ったとしても母はそれを聴くことができなかっただろう。
 3ヶ月ぶりに個室に入った。懐かしい風景だ。好物のたこ焼きを渡し雑談していると、担当の看護師さんがあらわれ、ある市販の薬品が必要になっていることを教えられた。そこでまた猫の話をした。17年以上住み着いていた猫が亡くなったと伝えるとやはりとても驚いた顔をした。「猫の1歳は人の5歳だから」と彼女は言う。17歳ならば85歳、18歳ならば90歳、19歳ならば95歳、20歳ならば100歳ということである。母は90歳になったばかりだが、すでにデブが母を追い越していたのかもしれない。
 生きられる限界まで生きてくれた。そのことに深く感謝している。


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天国への階段(ⅩⅢ)

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葬 儀

 昨日はまず夕方に次女が帰宅し、玄関の祭壇におかれた猫の遺体を目にして泣き崩れた。「慟哭」というに足る泣き方だった。私は夕食の準備を兼ねて、朱雀コープまで走ることにした。走りながら、フォークルの「悲しくてやりきれない」の歌詞とメロディが頭を駆け巡り、ベソをかいている自分を知った。息子は9時すぎに帰宅した。普段より2~3時間早い帰りで、リビングの扉をあけ「デブはどこ?」と口にして、自分の足もとに安置されていることを告げられ、その様をみてやはり泣き崩れた。小学校1年生からのつきあいなのだ。兄弟姉妹を失ったかのように、かれも泣き続けた。


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 東京にいる長女は懸命に残業を続けていた。翌日の仕事をあけるために、彼女ばかりか上司までもが残業につきあっているらしい。その長女は、今日の午後2時ごろ奈良の家に戻ってきた。すでに次女が火葬の手配を済ませている。家族5名が2台の車に分乗し、猫の遺体と好物を携え、生駒の向こうにある東大阪市の稲荷山動物霊園に向かった。家形をした紙の棺にデブは納められ、般若心経を聞きながら焼香し、最後のお別れをした。火葬のボタンは家族ではなく、職員が押した。1時間後、デブは白骨になってあらわれ、私たちは骨をひろった。遺体をみていると泣いてしまう子供たちも、骨には涙しなかった。少し気持ちが晴れたような気がした。
 家に戻って、みんなおかしな感傷に襲われた。家の中にデブはいない。昨日まではいた。帰宅した直後の挨拶は「ただいま」ではなく、「デブは?」だった。デブはもういない。
 サイドボードの上に仮の仏壇をつくって骨を祭っている。骨壺に「愛猫デブの霊」と書いてある。骨壺に入らない骨は白い風呂敷に包んでもって帰ってきた。明日、庭に埋葬する。


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天国への階段(ⅩⅡ)

訃 報

 我が家の愛猫デブが、本日正午、永眠しました。
 享年18歳以上(おそらく20歳前後)。大往生の旅立ちです。
 猫はこのひと月あまり、老衰による体調不良に悩まされておりました。通院による治療、お襁褓の装着、流動食の導入、注射器を使った飲水などに尽力し、東京在住の長女も2度帰省して見舞うなど、家族一同懸命に介護を続けてまいりましたが、本日早朝より動きが極端に鈍くなりました。家内が膝の上にのせて背中をさすり続け、生命の鼓動を確認しておりました。「まだ恢復する」という希望を抱いての介抱だったのですが、うつむいていた猫は喉が乾いたらしく、瞳を開いて私たちを見上げます。私が注射器を口にいれて2度水を注入したところ、ごくりと飲み干しました。計らずもそれは「死に水」だったようです。まもなく体が硬直して完全に動かなくなりました・・・瞳を開けたまま。本日12時ちょうどのことです。
 気配を感じないおとなしい猫で、食事どきになると椅子にあがってテーブルの上に顔を出す姿が忘れられません。家族以上に家族の一員として愛されてきたデブの冥福を祈ります。
 今夜は通夜、あした葬儀をおこないます。もちろん、近親者のみの密葬です。


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(左)11:55のデブ。このあと注射器の水を飲み息をひきとった。(右)庭のイシランメとボケは満開。


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2013卒業式

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桜梅桃李

 今年のデザイン学科卒業生は、半数が女子でそのほとんどは袴を着ていました。私も早朝に起きて着付けてもらい、式にのぞみました。
 卒業証書授与式で印象に残った言葉があります。在校生の送辞で「桜梅桃李」という熟語を贈ってくれたのです。桜・梅・桃・李(すもも)はそれぞれ違ってみな良い、という意味があるそうです。桜は梅にはなれないし、ならなくていい。たしかにそうだと思います。卒業生はそれぞれの進路に向かって歩んでいきますが、それぞれの地で、それぞれの未来にむかってがんばって!と、後輩が応援してくれるのだと受けとめました。私は研究室活動の傍ら、卒業アルバム製作委員会、ものづくりサークル、オープンキャンパスの案内スタッフ等の活動もしていました。そこで出会った後輩たちやお世話になった職員の方々との交流や挨拶もあって時間が惜しまれました。また、式のあと研究室にはOBのオカガキさんご夫妻が花束を持って駆けつけて下さっていました。着替えと謝恩会場への移動があったため、あまりまったりできず研究室をあとにしたのですが、4月から職場の先輩となるカドワキさんが来たとの知らせを翌日教授から伺い、驚きました。
 私は、幸い地元島根の工務店に就職が決まり、4月から新しい生活をスタートさせます。まだまだ半人前ではありますが、その分伸びしろがあるのだと捉えて、いろんな経験を積みさらに成長したいです。職場ではカドワキさんを見倣って、一日でもはやく慣れるようにがんばりたいです。また、研究で約2年間お世話になった雲州平田木綿街道にも、恩返しをしていけたらと思います。ASALABで学んだこと、迷惑をかけたこと、役に立てたこと、泣いたこと、笑ったこと、今後の人生にいかして生きていきたいとおもいます。(おぎん:仲佐望)

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摩尼寺「奥の院」ルートマップ

奥の院ルートマップ表紙


謎の修験者マニーさん、お目見え!?

 摩尼寺「奥の院」遺跡のルートマップが完成しました。後期プロジェクト研究でケントが制作を担当し、その後、富士屋の旦那も編集に加わって、このたび初版2000部が刷り上がったものです。A4四つ折りのA6サイズで、上がその表紙です。「奥の院」をめざす登山者はポケットサイズのガイド地図を携帯できるようになりました。ささやかながら研究活動の恩返しになったかもしれません。
 パンフの表(おもて)面には、「奥の院」遺跡のあらまし、摩尼山・坂谷神社の巨巌情報、「摩尼山を核とする景勝地トライアングル」構想(砂丘-久松山・太閤平-坂谷神社をつなぐトレイル計画)など、先日倉吉の会長さんが新聞コラム「潮流」に書かれた内容が要約してあります。裏面がA4サイズのルートマップで、謎の修験者マニーさんが案内役です。マニーさんのデザインは冨士屋さんが担当しましたが、旦那本人の顔とよく似ており、むしろ愛称はニシちゃんのほうが良いという声もあったりしております。
 これまで登山客や参拝客が門前から「奥の院」をめざすも、山径の分岐点で路に迷い巨巌に辿りつくことができないことがしばしばありました。このルートマップとサインボードをみてトレックすれば、茶屋から半時間で間違いなく「奥の院」に至ります。ルートマップは昨日、摩尼寺・門脇茶屋・同喫茶部・源平茶屋に届けてきました。喜んでいただいたと思っております。上記4箇所で無料配布しておりますので、ぜひとも摩尼寺門前までお出かけください。
 なお、環境大学の情報メディアセンター、鳥取県・鳥取市・倉吉市の広報関係部局のフロントでもルートマップは入手可能ですし、本ブログにご連絡いただけば送付可能です。必要とあらばご連絡ください。(白帯)


奥の院ルートマップ表  奥の院ルートマップ裏 ←摩尼寺「奥の院」遺跡ルートマップ表(左)裏(右)
※クリックすると画面が大きくなります

 *大学HPのTUESニュースにもルートマップの記事がアップされていますので、併せてご覧ください。

   http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/20130328/

続 巨巌現る

続巨巌あらわる164e


またまたコラム「潮流」

 3月17日(日)の日本海新聞(11面)コラム「潮流」に

  続 巨巌現る

と題するエッセイが掲載されました。執筆者はお馴染みの我らが会長さんです。題目どおり、「巨巌現る」の続編で、1月22日(火)のプロジェクト研究2&4発表会の内容を詳しく伝えています。とくに、「景勝地トライアングル」「山陰海岸ジオトレイル」「摩尼寺門前活性化計画」などを実現可能な構想と高く評価していただいており、深く感謝申し上げます。こうやって摩尼山での活動がメディアで紹介されると大変うれしいです。ぼくたちがやってきた活動がメディアを通じてひろく県民に広報されることで、多くの人が摩尼山まで足を運んでもらえると幸いです。下が記事の全文です。クリックすれば拡大して活字を読むことができますので、ぜひ読んでください。(白帯)


13年3月17日「潮流」全文

天国への階段(ⅩⅠ)

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バナウエ博物館

 一夜明けてベランダに出ると、棚田を霧が覆っていた。霧以外なにもみえない。山間地域における早朝の霧は昼間の快晴の予兆かもしれない、とは思った。かつて中国貴州や高地四万十川流域などで、そういう経験をなんどかした。霧を怖れる必要はなく、むしろ霧がうごめいて晴れ間がひろがるその変化のダイナミズムをレンズで狙うべきだ。しかし、朝食を終えても、霧は晴れなかった。
 予定ではバンガーン村(⑩)をまず訪れ、次にバタッ村(⑨)をめざす予定だったが、この霧が続くなら良い写真は撮れない。先にバナウエ博物館(③)に行こうと決めた。ところが、ジュンジュンは道を知らない。ルートマップを1枚渡したのだが、さっぱり博物館をみつけられぬまま、いつのまにか棚田のヴューポイントにたどり着いていた。看板にはディアナッラ(Dyanarra)という地名が書いてある。今思うと、ルートマップの④番だったのだろう。周辺には⑤ヒワン(Hiwang)村や⑥ハパオ(Hapao)村などの景勝地がある。とくにハパオ村はバナウエ地域における棚田の発祥地で、その年代は2000年前に遡るという。2000年前などという具体的な年代がなぜ分かるのか。その理由を知らないが、常識的には土器などの遺物の年代観に依拠しているのだろう。日本では弥生時代中期か。もちろん水田稲作は日本にもすでに波及し、普及している。ただ、そのころの日本に「棚田」があったのかどうか知識がない。


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 ジュンジュンは混乱していた。ビューポイントに至っても、自分がどこにいるのか分からない。車を動かしては停め、「バナウエ博物館はどっち?」と訊くのだが、答える側もいい加減なもので、「あっちだろ?」と指さすのだけれども、言われるがままに車を進めていくと、どんどん高度が上がって山中の峠をぐるぐるまわり始めた。どうやら私たちはボントックに向かっているようだ。ジュンジュンは車を折り返す。ずいぶん遠くまできたものだ。街に戻って、また道を訊く。交番に近い街中の細い路地を左に折れるとバナウエ博物館の建物がみつかった。その建物は2階は宿舎になっていて、多くの外国人が宿泊していた。小さな展示場でイフガオの民具や棚田の写真をみた。


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天国への階段(Ⅸ)

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タムアン村

 バナウエホテル&ユースホステルにチェックインする際、世界遺産「コルディレラの棚田(群)」のルートマップ(↓)をフロントで渡された。できる限りたくさんのビューポイントを訪れたい、どういう巡り方をすればよいのか教えてください、とフロントの女性にお願いしたところ、結構無愛想な人で、いきなり⑨バタッ(Batad)村と⑩バンガーン(Bangaan)村を指さし、「この二つで丸一日かかわるわね」という。あとは、西側の②~⑥のビューポイントで半日、北上してボントックに行き、バギオを経由してマニラに帰るコースを彼女は提案した。なるほど。


0308バナウエマップ01表 0308バナウエマップ02ウラ ←クリックしてみて下さい


 時間はまだ4時過ぎだった。今から行けるポイントはありませんか、とフロントの女性に質問すると、彼女はぶっきらぼうに①番のタムアン(Tam-an)村を指さした。急ぎ荷物を部屋におき、ロビーに戻ってジュンジュンにさっさと車を出すように指示すると、かれは首を横に振って歩き始めた。エントランスを出てUターンしホテルの壁際を歩いていくと裏にプールがあり、その下に村と棚田がみえた。なんだ、①番のタムアン村ってこれなのか。坂道のおりていくと、平屋がふたつあって、いずれも民家なのだが、お土産ショップに模様替えしている。村人は十分観光客ずれしているが、悪い人たちではない。「日本に行って働きたい、仕事はある?」と女主人が訊いてきた。「労働ビザをとるのが難しいだろう」と答えたら、悲しい顔をした。木彫の工芸品をいくつか買った後、奥の部屋には「骨」を祀っているが、みないか、と問われた。祖先の骨なのだそうだ。丁重にお断りした。あとで『地球の歩き方 フィリピン』のタムアン村(p.149)をチェックすると、「先祖の骨を見ないかと言い寄ってきたりする観光化された村」だと紹介されていた。その通りであって、こういうときには笑いたくなる。


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天国への階段(Ⅷ)

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GSの穀倉

 3月9日午前6時、ジュンジュンの運転する車がサンタクルーズの金城飯店を出発した。マニラ市内は朝から渋滞がひどく、郊外の緑地に出るまで結構時間がかかった。ルソン島北部のバナウエまで350km。日系のツアー会社からは片道12時間かかると予め伝えられていた。郊外の田園地帯にでて高速道路に乗り、気持ちよく窓外の景色を眺めていたが、まもなく眠りに落ちた。2夜連続まともに眠っていない。気がついたら、山間部のマウンテン・オアシスというレストランに着いていて、ここで昼食をとることになった。周辺には緩い棚田がみえる。チキンの照り焼きにご飯のついたランチは150ペソ(375円)。ジュンジュンには昼食代を支払っていることになっているが、かれは代金を払う気配がない。しばらく様子をみていると、ポケットから小銭を掴んで店員に渡そうというポーズをみせた。それをみて、「いや、いいよ」と遮った。


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 眠っていたので曖昧なのだが、このレストランはたぶんサンホセ市のあたりだろう。そこから北上していくと、ガソリンスタンドの敷地に宝形屋根の高床倉庫が建っていた。ボントックかイフガオかイゴロットの屋根倉(穀倉)である。このあたりに住む民族がイフガオなのか、ボントックなのか、イゴロットなのかマニラの人びとはよく理解していない。ジュンジュンも分かっていない。マニラ空港からホテルまで送ってくれた空港リムジンタクシーの運転手は、もう少し年上で知的レベルも高かったが、バナウエに行くのだと言うと、あぁイゴロットか、小さいんだ彼らは、と教えてくれた。バナウエはイフガオ州の州都であって、そこに住む民族はイフガオ族である。イゴロットはバギオに住む民族であり、ボントックはイフガオよりも北の山に住んでいる。ガソリンスタンドでみた宝形屋根の穀倉もイフガオのものである。もっと突っ込んで言うならば、イフガオの民族的象徴というべき物質文化である。


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天国への階段(Ⅶ)

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バナウエをめざして

 これまで何度か「コルディレラの棚田」を訪問しようとして断念した。いちばんの妨げになったのは雨である。雨季に行っても山道がぬかるんで車が動かなくなるという情報に怯えたのである。次に予算。フィリピンは日本から近い国で、棚田はマニラと同じルソン島の北部にあるにも拘わらず、ツアーには大変な値段がついている。たとえば今回の場合、まず成田2月15日発のルソン島北部の世界遺産ツアー(8日9日)があって、15名以上参加という条件付きで35万円した。一人部屋なら40万円を超える。次に別の東京のツアーで4泊5日だったかな、棚田の弾丸ツアーが25万円以上した。一人でも行ってくれるが、その場合、お値段は33万円ぐらいに跳ね上がる。トルコやイタリアが15万円前後で8日のツアーができる時代に、フィリピンの棚田の弾丸ツアーが33万円なんて、だれが行くかいな。


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 方針を変えた。まずスカイゲート社(http://www.skygate.co.jp/)でフィリピンの格安航空チケットを探した。大阪-マニラの往復なら4万円代からある。とくに安いのは中韓の航空会社だが、あまりお薦めはできない。香港とかソウル経由で、大阪からマニラまで半日を要するような乗継チケットばかりだからだ。ここは正統的にフィリピン航空を選びたい。フィリピン航空なら直行便でマニラまで4時間で着く。値段も往復5~6万円で、これにマニラのホテルをつけても7万円までで納まる。ただし、そのホテルは前回までにお知らせしてきたような貧相なものだが、治安の悪いダウンタウンのホテルではあったけれども、セキュリティはしっかりしていた。トイレとシャワーと眠るだけだと思えば、1泊2000円前後のホテルで十分だ。


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天国への階段(Ⅵ)

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半島を出よ

 昨夜、バナウエからマニラに戻ってきた。世界文化遺産「コルディレラの棚田(群)」は、それはそれは凄まじいものでしたよ。Steps to Heaven (天国への階段)と呼ばれるだけのことはある。これについては、明日以降アップします。
 マニラに戻って日に2回マックに入る。ワイファイが無料だから。私の泊まっているホテルはサンタ・クルーズという下町にある。その名のとおり、聖クルーズ教会が街中にあり、その正面のロータリーを中心にして放射状にダウンタウンがひろがっていて、汚れた洋館(植民地遺産)が散在しているんだけど、これが「中華街」なんだな。そうだ、ひとつクイズを出しましょう。私が宿泊しているゴールデン・シティ・ホテルもじつは中国系なんですが、ゴールデンは「金」でしょ。では、シティはなんという漢字の英訳でしょうか?

    1.市  2.城  3.街  4.珠  5.都

 正解だと思う番号をお知らせいただいた方のうち、たしかに正解だった方には『建築考古学の実証と復元研究』を3割引でお分けしましょう!?


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天国への階段(Ⅴ)

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建築考古学の実証と復元研究


 マニラの凄い下町のマックでワイファイに通じました。ちょっとウィルスバスターが効き過ぎていて、動きが鈍くて困っています。
 
 さて、上下に示しましたように、科研出版助成の新刊論文集が大学に届いたようです。わたしは本物をみていません。送信してくれた画像をみただけです。そういえば、『出雲大社の建築考古学』も出張先の教育委員会で、初めて現物をみたんだ。
 まぁ、よかった、よかった・・・
 明日からバナウエなので、たぶん接続できなくなるでしょう。


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天国への階段(Ⅳ)

天国の扉

 キューバに負けてしまいましたね。じつはライブを視ていなかった。ちょっとした報せがあって肩の荷がおり、WBCなんて意識もせずに、夜の街を歩いていたんです。そこで天国の扉を開けた。馬喰座の近くに呉羽という居酒屋があって暖簾をくぐり、極楽を彷徨ったんだぜぇ~
 負けても構わない試合なんだから、負ければいい。今回のメンバーでV3がなせるとはだれも思ってないでしょう。イチローも青木も中島も黒田も上原もダルビッシュもいない。昨日の韓国以上に華がないね。台湾に敗れても私は驚きませんよ。世界一になる選手には、それなりの風格がある。浅田真央に匹敵するオーラを発している選手がいますかね、今回の侍JAPANには?

 ビリー・ザ・キッドは劇場でみた。クリス・クリストファソンとリタ・クーリッジが主演だったよね。ジェイムズ・コバーンがパット・ギャレット??
 主題歌担当のディランがちょい役ででてるのね。「続き」に掲載しておきます。




ヘルプレスと似ている。マイナーコード使ってる分だけこちらのほうがもの悲しい。

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天国への階段(Ⅲ)

0305debu01.jpg ←ついに襁褓をつけました


得失点差における先攻・後攻の問題

 ネット上の速報でWBCの台韓戦を追っていた。8回裏、3点取って逆転した韓国は流石に粘り強く、9回に4点追加して首位通過もあるかと固唾をのんでいたところ、眼前のTVニュースが「韓国の一次リーグ敗退が決まりました」と報じた。そうか、9回コールド勝ち・・・得失点差で勝敗の決まるトーナメントでこのルールは「あり」で良いのかな。倫理上拙い、と思った方はいませんか。韓国が先行の場合、9回まで攻められるわけですよね。後攻のチームは8回でけりをつけなきゃいけない。8回終わった段階で7点差つけて勝ちきるのと、9回でそうするのとでは、わずか1回とはいえ、不平等にみえる。韓国打線が1回で5点取る能力がないわけではないのだから(二重否定は緩い肯定です)。得失点差システムではなく、当該チームの勝敗優先の場合、今回のルールで納得できるが、得失点差の場合は9回裏もありにすべきでしょう。「あり」にした場合、結構スリリングな展開になったかもしれない。ただし、その原則に従うなら、他の2試合もこうすべきであって、今回は全チームがコールド制を受け入れているのだから、文句言えないといえば言えないでしょう。

 さて、日韓が逆の立場だったら、おそらく隣国は歓喜の渦がぐるぐるまわって徹夜の大騒ぎとなったでしょうが、日本はそんなことしないよね、ねっ・・・ネット上でもおとなしくしようぜ。
 日本も台湾・オランダに負ける可能性がある。リーグ戦は実力の鑑だが、トーナメントは何がおこるか分からない。両国を研究し尽くして、第2次ラウンドに臨んで欲しいし、そうしてくれるだろうが、それでも勝負はどちらに転ぶか分からない。


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天国への階段(Ⅱ)

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雛祭り

 また走りましたよ。雛祭りの夕食はちらし寿司で、食後よく眠った。体調は上向いてきてます。白雲の炎症も枯れてきました。問題はデブだ。私が肥満に苦しんでいることを言いたいのではありません。愛猫のデブが老衰なのか病気なのか分からないのだけれども、不調に苦しんでいる。症状は22日あたりから出始めたと聞いています。よたよた歩きですぐ転び、キャットフードが食べられないし、好物の牛乳も飲まない。体重は最盛期の半分以下に落ちているでしょう。90になる母親が胃を2/3切除手術した後、激痩せしたころを思い起こしています。
 ごらんのように、寝袋に入ったままの時間が長い。食事どきには、家族と一緒にテーブルまわりの椅子に腰掛け、顔をちょこんとだしていたのが嘘のようです。椅子に上がれない。行儀よく専用のトイレを使いこなしていたのに、最近はその容器の手前で漏らしてしまいます。「認知症」なのかもしれない。
 日曜日、娘と家内はデブを動物病院に連れて行った。朝8時半に予約して、診療が終わったのは午後1時半。注射やらなにやらしてもらったようですが、帰宅後も不調は変わらない。家族全員心配してます・・・わたしゃ、正直、覚悟を決めています。長女が13歳のときに転がり込んできた猫でしてね。首輪して、不妊治療も済ませてあった。気配を感じさせないおとなしい猫で、最初は私のことを怖がっていたけど、カツオブシなどの高級食材を与えるのは私だけだから、深夜に甘えてくるようになりましてね。あれから17年経ったんだ。ヒトの年齢なら80歳をすぎている。母の年齢に近い存在だから、この猫は特養にいる母の化身だとさえ思ってたんです。母はまだ元気ですが、デブが危ない。東京にいる長女に連絡したところ、再来週帰ってくるそうです。
 家内を鳥取に連れていこうと思ったが、諦めました。だれかがこの猫を看取らねばなりません。


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↑ 左目がおかしいでしょ?

天国への階段(Ⅰ)

白い雲

 2週間ぶりにスロージョギングした。億劫だが、走るしかない。血圧計が非常に高い値を示していたからである。ホームドクターが知ったら目を剥くでしょうが、薬は駄目。薬で血圧を下げるのは「頓服」的な使い方に限るべきだと私は思っている。走るのがいちばんです。走ることで、心身とも正常値に近づいていく。いつもの表現を使うなら、自分を取り戻せる。
 走るには奈良に戻ってくるしかない。冬の鳥取では走れないし、山にも登れない。運動のしようがない。今年は雪作務すらまだ一度もしていない。おまけに、大学は戦場と化している。だから走るんだ。ところが、ちょっとした障害が発生しましてね。あれは岡山出張の夜でした。慣れない革靴に因があったと推測しています。岡山駅の薬局で安価なスプレーを買ったんですが、これが災いして、症状をさらに悪化させてしまった。おかげでホームドクターではない平城の診療所に駆け込むことになり、4種類の薬を頂戴しましたが、これは予備治療であって、本治療ではないそうです。そこで血圧を計られましてね。この症状と血圧の相関性はないんだけどね・・・血圧が高い理由は同年代の女医に説明しました。長距離運転とか講習とか示談とかアカハライモリとか校正とか、まぁいろいろあります。
 1日おいて走りましたよ。症状は快方に向かっている。走ったり、山に登ったり、旅に出ると、必ず良いことがある。女医は言うのです。旅に出るまえになおさいとね、と。来週また世界遺産をめざします。ヒントを出しましょうか。

 1)天国への階段

 2)田を耕して天に至る



こうして聞くと傑作ですね~

朗報(その弐)

黒帯の進学

 昨夜、6期生の黒帯からメールが入った。「春から仕事を退職して、筑波大学大学院 人間総合科学研究科 世界遺産専攻に進学することになった」ことの報告である。朗報でしょ!
 黒帯は3年次に常呂でオホーツク文化住居の発掘調査に参加して復元研究に携わり、東京大学考古系の学生と交流したあたりから研究熱に犯され始めた。4年次には、中国山西省の古建築視察にも参加した。そして、卒業論文「石窟寺院への憧憬」で学科省金賞を受賞した。昨日述べた8連勝の立役者のうちの一人だが、じつを言うと、あの学年には黒眼鏡という強力なライバルが他研究室にいて、審査会では負けを覚悟していた。
 そんなこんなで研究指向を強めていった黒帯だが、大学院進学を薦めたにも拘わらず、諸般の事情で某建材協会に就職した。1年早くホカノが就職した企業である。職場では苦労しているという噂をタクヲや足軽からよく聞いていた。以下、勝手ながら、本人の弁を転載しておく。

   私の就職に関しまして、卒業当時は御心配をおかけしておりましたが、
   周りの人に恵まれて約3年間、貴重な経験をすることができました。
   しかし、先生に教えていただいた研究の楽しみを忘れることができず、
   年齢的にも遅いと考えましたが我慢できず仕事の合間に受験するに至りました。

 本学の大学院ではなく、筑波を選んだのは大正解で、しかも難関を突破したというから驚き、喜んでいる。ただ、世界遺産コースとなれば、英語を始め、外国語が非常に大きなウェイトを占めるであろう。外国語は甘くない。不眠不休で取り組むしかないだろう。以下の決意を読めば、本人も十分わかっているのだけれども、いっそうの精進を期待したい。

   大学と社会人で学んだことを、どれほど生かせるか不安ですが
   謙虚さと努力を忘れず、研究に励もうと思います。

 いつか巨大なライバルとなって、我々の前に立ちはだかってほしい。

朗報(その壱)

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学科賞ワンツー・フィニッシュ!

 昨日の学科会議で卒業研究学科賞の投票結果が公開され、論文部門でワンツー・フィニッシュを勝ち得ました。1位(金賞)はおぎんちゃん、2位(銀賞)は白帯くんです。今後、おぎんちゃんは「おきんちゃん」、白帯くんは「銀次郎」(愛称「銀の次」)にハンドルネームを変えようということで、

   「おい、銀の次、今から摩尼寺参りに出かけるぜぇ」
   「へい、がってんだぃ」

という科白を反復練習してるんですが、駄目なんだな、これが。何回振っても、「はぁ今からですか?」なんて答えばかり返ってくる。こんなじゃ、吉本で生きていけない、雛壇芸人になれんぞ、と説教しているところです。一方、おぎんちゃんの方は論文部門金賞の連勝を8までのばしてくれました。この際だから、これまでの受賞歴をまとめておきましょうか。

  1期生: 清水(論文銅)
  2期生: 坂本(論文金)、宮本(制作金)、木村兄(首席、制作銅)、ノビタ(論文佳作)
  3期生: 森川(論文金)、北野(論文銀)、大城(論文銅)、安田(制作銅)
  4期生: 嶋田(論文金)、横田(論文銀)、松本(論文銅)
  5期生: 木村姉(論文金)、岡垣(制作金)、今城(首席、論文銀)
  6期生: 大給(論文金)、門脇(制作金)、宇田川(論文銅)、森(制作銅)
  7期生: 吉川(論文金)、竹内(制作佳作)
  8期生: 檜尾(論文金)
  9期生: 仲佐(論文金)、中島(論文銀)

 こうして受け継がれてきた破竹の進撃と連勝も、今年度でいったん終わりです。その理由は4月以降にお話ししましょう。
 二人の卒業論文とタクヲの修士論文の概要は『平成24年度 鳥取環境大学・大学院 建築・環境デザイン学科 環境デザイン領域 卒業・修了研究成果集』(↑ 以下『2013成果集』と略)に掲載されています。『2013成果集』を入手ご希望の方はご連絡ください。論文題目と掲載ページを「続き」に示しておきます。なお、3名の卒業・修了祝賀会を卒業式の開催される3月20日もしくは翌21日に予定しております。卒業生諸君はぜひご参集ください。


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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