
← 焼却実験住居跡(下2枚も)
念力 一夜あけて空は雨模様。
8年ぶりの御所野だというのに、昨夜「世界遺産狙い」を酷評した罰が当たったのかもしれないな・・・徐々に雨は小降りになり、遺跡を歩いて回れるぐらいになった。
ここにはやはり「地霊のオーラ」がある。「豊かな自然」とか「緑の広場」とか、そんな生やさしいモノではない。かつて何かが存在し、眼にみえない超自然的な何かがこの高台を支配していて、そこに入ると人は自らが浄化されたような気持ちになる。研究所の激務に苦しんでいたころ、年に何回か御所野に出張した。奈良を出て交通手段を5回変える。ただでさえ頭は痛く、血圧は高く、苦悩しつつ御所野にたどり着くのだが、高台に立った瞬間、気持ちが清浄になって頭は冴え始める。「また来て良かった」と感じ入ったものである。今回もそういう内面の変化がたしかにあった。
驚いたことに、御所野を初めて訪問する患者も似たような反応を示した。いきなり、
「平城宮よりずっと気持ちいいやん」
と口走ったのである。ムナモト(仮名)はムナモトで、
「実家に一晩帰ってましたが、ぼくにとっては御所野の方が実家らしい
実家ですね・・・」
という。わたしも遂に故郷に戻ってきた想いがした。そして、昨晩、世界遺産騒動を批判したことを少々反省した。ここが世界遺産になってくれたらいいのに、という気持ちが、大きくではないけれども、心の底に芽生えたのは事実である。
「御所野だけで申請したらいいですよ。ここだけで勝負すべきだ」
勝てる保証はない。欧米人に「地霊のオーラ」が感じ取れるかどうか分からないし、仮に感じ取れたとしても、それが文化遺産として評価されるとは限らないだろう。ただ、ここは他の縄文遺跡とはちがう。少なくとも、林謙作さんや私はそう考えていたし、再訪してまたそう思った。

今回の東北行で、患者がもう1ヶ所はしゃいだ場所があった。
毛越寺(もうつじ)である。雨のなか、一関のホテルから平泉まで移動するタクシーの中で患者に諭しておいた。「平泉で世界遺産たり得るのは毛越寺だけだ(から最初に行く)」と。はたして毛越寺の浄土庭園遺跡を回遊しながら、彼女は何度も記念写真を撮ろうと提案した。「撮影を頼むと迷惑がかかるだけだからやめよう」と答えるのだが、彼女はその要望を断念することがなく、遣水の畔と鐘楼跡で見知らぬ旅人に2回も撮影してもらった。いま振り返ると、二人で記念撮影したのは、毛越寺だけなのである。彼女は毛越寺を異常に気に入っていた。毛越寺にも地霊のオーラが存在したのだ。
御所野と毛越寺には、人間を浄化し躍動させる何かがある。ただ、文化遺産としての評価はおそらく毛越寺が有利だろう。あの池と州浜と建物の礎石跡は藤原氏の時代のものだ。そういうオーセンティックな遺跡が目の前にひろがっている。そして、復元建物がいっさいないことで場の真実性が際立っている。前にも述べたように、毛越寺庭園の整備はシンプルであるが故に、平城宮東院庭園を上回っている。東院庭園に復元建物を建てたのは間違いであったと思う。毛越寺のように、遺跡をそのまま見せれば良かったのだ。

↑毛越寺庭園遺跡(平泉)
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