第25回六弦倶楽部練習会

尾崎家住宅公開講演に係わるミーティング
三朝シンポジウム終了後、調査官は足早に会場を去られた。5時代のフライトが迫っていたのである。残されたわたしたちはといえば、まずセッつぁんに射的の景品を渡した。喜んでくれたような気がする。
それから10月12日に迫っている尾崎家住宅公開講演のための打ち合わせをすることになった。若いご当主が来場されていたからである。会長の案内で、クラシックカーの展示されたカフェに移動。そこで協議した結果、講演の会場を住宅のドマではなく、安楽寺本堂にするのが良いのではないか、ということになった。なにせ、演題は「尾崎家住宅と安楽寺」ですからね。わるくないアイデアだ。
それから倉吉市内にある某町家へ移動。翌日、倉吉で六弦倶楽部の練習会が開催されることになっている。いったん鳥取の下宿に戻って、また倉吉にやってくるのも面倒くさいので、28日は帰宅せず、某町家に泊まることにした。まずは鍵を受け取りチェックイン。夕食は関金のサテンドールに決めていた。シンポジウムでのシノギがそこそこあり、サポートしてくれた学生たちにニジマスのムニエルを馳走したかったのである。関金まで行くのだから温泉に浸かろう。三朝温泉の朝湯は短時間であがったが、夜の関金温泉は「湯命館」でたっぷり長風呂してやった。倉吉に戻り、ワイファイのある店を探したのだが、ついにみつからなかった。ブータンではiPadの感度がよく、セブンやXPのパソコンが不通の場合でもiPadでワイファイに忍び込めたのに、倉吉では駄目だった・・・じつは平田から電話が入っており、報告書の最後の詰めの段階で結構大きな修正を余儀なくされているところがあり、メールを確認したかったのだが、かなわなかった。後期は始まっている。いつまでも報告書にひきづられるのはまずい。


今年も淀屋で練習会
町家で12時ころ眠りに落ち、8時半に目覚めた。まるで普通の人のような生活ではないか。赤瓦10号館の「天女の泉」という喫茶店にモーニングがあると聞いたので、町に出る。快晴。気持ちいい。まもなく玉川の畔で自転車に乗る人影がわたしに迫る。会長だ。『遙かなまち』にでてくる漫画の一コマのような風景であった。二人して「天女の泉」にしけ込むが、会長は財布をもっていない。ホカノや患者がよく使う手である。もちろん奢ってあげたぜ~
淀屋にはすでに六弦倶楽部の会員が2名やってきていて、PAのセッティングを始めていた。なにかお手伝いしようと願いでたのだが、なにぶん機械音痴なので、あまりお役に立てない。練習会は12時からということになっているが、なかなかメンバーが集まらなかった。わたしはその時間を利用して平田の原稿を推敲した。かなり手をいれた。これが限界だな・・・これで駄目なら割愛しよう。
練習会は13時にスタートした。集まったのは8名。昨年は弾き語りやフォークバンド編成が多かったが、今回はインストが主流で、歌を唱ったのは私とチョトロク会長だけ。全体にバラードが多く、大人っぽくてよいのだが、バラードばかりだと眠たくなるよね。

