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第9回「わびさび-茶室の心と技-」その1

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ゴムアスから鉄板葺きへ

 11月28日(木)。雨の予報が外れ、晴天のひろがるとても寒い昼下がり、男子はまず修復建築スタジオの軒先に残る鉄板を取りに行った。鉄板の端は鳥の糞で汚れており、ますは洗浄。その後、茶室まで移動した。現場では3班に分かれた。

  1班: 大屋根にゴムアスを敷く(3名)
  2班: ゴムアス上に葺く鉄板を専用のハサミで切る(2名)
  3班: 妻庇に板の重ね葺きをする(2名)

 1班は前週、床の間側に1枚のゴムアスを敷いており、今回はまずステンドグラス側の軒先から1枚敷いてタッカーでとめた。そして、棟を頂点にして左右のゴムアスを覆うように1枚のゴムアスを重ねる。葺き足が10㎝とやや短く心配なところもあるが、4枚使うのももたいないので、3枚重ねとした。前週もそうだったが、屋根板が大変すべりやく、屋根にのぼった人はみんな一度は滑り落ちそうになっていた。


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 2班はゴムアス上に葺く鉄板(トタン)をハサミで切りそろえていった。ステンドグラス側の大屋根の葺板長さは157㎝であり、鉄板の長さを165㎝とした。水切りを8㎝とったことになる。重ね葺きの方法は単純で、左右の鉄板を重ねあわせ、重ね部分の「山」の位置でビスを打つ。これで水漏れしない。雨水は「谷」の部分を通るからだ。屋根上に2名、軒下に1名がいて、鉄板を揃えながらビスを打っていく。ステンドグラス側は6枚を葺き重ねたところで、背面側のケラバに10㎝ばかりの露出部分が残ったが、ここには旧葺き材のビニール波板を重ねて防水処理した。鉄板とビニール波板の混合葺きでデコボコになっていた大屋根が見事な鉄板縦葺きに姿を変えた。先生は、「これで20年もつ」と豪語されていた。


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↑鉄板切りそろえ(165㎝) ↓ステンドグラス側の鉄板葺き完了
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竈は炉に如かず

 ちょっとしたことが気になって、久しぶりにアクセスランキングを覗いてみた。FC2ブログの学校教育部門におけるLABLOGとLABLOG 2Gのアクセス数を比較してみよう。更新日時:2013/11/29 05:55のデータ。

LABLOG: asaさんのランキング
学校・教育 211位 (昨日:251位) / 14232人中
学校 38位 (昨日:45位) / 2884人中

LABLOG 2G: 浅川研究室さんのランキング
学校・教育 330位 (昨日:287位) / 13697人中
学校 61位 (昨日:53位) / 2755人中

 というわけで、LABLOG 2Gはサイト・オープン後1年半を経過してなおLABLOGのアクセス数に及ばない。両者あわせて100位というところだろうか。「未像の大国」というサーチワードでアクセスが上昇しているかもしれないと睨んでランキングをチェックしてみたのだが、変化らしい変化は確認できなかった。かつて全国6位のアクセスを誇った時代が懐かしいね。あのころ「塩崎綾」というサーチワードがしばしば上位にくいこんでいた。塩崎綾さんは関西を中心に活躍したタレントで、いまネットで確認したところ、今年の3月に結婚し、芸能界を引退されたようだ。
 彼女との出会いの場は「廃材でつくる茶室」であった。当時の「茶室」は破竹の快進撃を続けており、マスコミ各社に注目されていた。そのクライマックスは朝日放送の早朝番組であった。塩崎さんはその番組のレギュラーであり、茶室のレポーターとして本学までやってきたのである。2005年10月取材当時の4年生は2期生であり、塩崎さんを間近にみたピエール、ホカノ、西河、吉田、そして社長(ミヤモト)らはこぞって鼻の下をのばし大騒ぎになった。ホカノに至っては「あんな綺麗な人はみたことがありません」と口走る始末(後にスリランカでも同じ言葉を吐いた)。その後ながいあいだ「塩崎綾」はLABLOGサーチワードのトップ5を占めることになる。
 塩崎さんはたしかに綺麗なレポーターだったが、全国的にみればメジャーなタレントさんではない。さほどファンが多いわけでもないだろうに、どうしてこんなにアクセスを集め続けるのか不思議でならなかったのだが、どうやらある事件と関係しているであろうことがまもなく判明する。塩崎さんを連れてきた番組制作会社のディレクターが翌年逮捕されたのである。「催涙スプレー事件」として結構大きく報じられた。


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倉吉市制60周年記念講座を終えて

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 勤労感謝の日に勤労し、今年最後の講演を終えました。この秋は珍しいことに5つの講演依頼があり、自らも2回の講演会を主催し県外から2組3名の専門家を招聘しました。ちょっとバテましたが、なんとかフィナーレを迎え、安堵しております。すべての関係者のみなさまに深く感謝申し上げます。
 倉吉市制60周年記念講座「知られざる倉吉建築物語」第5回講演の演題と構成は以下のとおりです、

  倉吉の町家と町並み
  1.近代化遺産と登録文化財 
  2.倉吉再興   
  3.倉吉の町家と町並み
  4.ふるきかぜ あたらしきかぜ
  5.はるかなまち、その未来
  6.広域的景観保全をめざして


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 目次をみればあきらかですが、講演の内容は倉吉に係わる報告書の題名を年代順に並べたものです。6は現在進めている鳥取県環境学術研究費助成「倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査-歴史まちづくり法よる広域的景観保全計画にむけて―」(2013-15)の目標だけさらりと述べ、講演の結びとしました。
 振り返ってみれば、講演内容の主旨は以下の2軸に大別できますね。

1.町並みの歴史性について
 わたしたちが目にしている倉吉の町並みは、江戸時代の要素が少なく、大半が明治中期以降の景観である。最古の町家は18世紀中期まで遡るが、それらも幕末以降に改造されている。造酒屋などの大型町家も幕末~明治中期の建築ばかり。むしろ江戸の景観を残すのは茅葺き民家である。明治26年水害写真にも大量の茅葺き民家が写っており、その多くは茅葺きの上屋に瓦葺きの下屋(庇)をつけている。こうした伝統は江戸時代まで遡る可能性があり、市中の地下から瓦が出土したからといって、その付近の町家が全面瓦葺きだったという根拠にはならない。地方都市の類例をみる限り、当時の武家屋敷も茅葺きであり、商人・職人などの住宅が全面瓦葺きとは考えにくい。
 現在、倉吉の旧陣屋町エリアには7棟の茅葺き民家が残る。鍛冶町・河原町などの周辺地区では寄棟妻入の農家型、西岩倉町などの中心市街地では切妻平入の町家型となる。後者が平屋建瓦葺きの町家に変化した可能性がある。とくに重要な遺構は山陰民具であり、総2階式町家の内側に茅葺き屋根を今も残す。家伝によれば、建立は18世紀に遡るといい、淀屋より古い倉吉「最古の町家」である可能性なきにしもあらず。
 明治26年から昭和9年の水害写真をみる限り、前者の段階ですでに高2階の町家が散見され、後者の段階では高2階式の町家が軒を連ねている。つまり、茅葺きを主流とした江戸時代の町家は明治維新前後から平屋建の町家になり、さらに明治中期から昭和戦前までの時期に高2階化が少しずつ進行したと考えられる。


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摩尼寺建造物の調査(Ⅷ)

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箕甲

 「奥の院」から立岩を経由して境内に下りると、白帯が本堂向拝の寸法を測っていた。社長は天井裏に上っている。この日の調査参加者は2名のみ。先週はイッポだけだったから、1名増で改善の兆しありか・・・ 摩尼寺「最後」の補足調査を実施しようとしたにも係わらず、あまりの準備不足に調査はいったん頓挫した。この夏の長谷寺やブータンは何だったのか。問題の根は深いのか浅いのか・・・以来、学生に指示を出したり依頼するのが億劫になってしまった。抑も「不夜城」と呼ばれたASALABに夜の灯りがともっていない。隣のデザイン系研究室では毎夜課題に励んでいるというのに、ASALABにはだれもいない。という指摘を1週間前のゼミでしたところ、途端に学生が演習室で作業するようになったが、正直すぎる輩もいて睡眠不足に陥り、どうやら便秘に悩んでいるらしい?
 ゼミでチェックする図面の質にはかなり高低差がある。いちばん苦しんでいるのは摩尼寺山門の立面図(と平面図)。山門は小ぶりの一間門で、単純な切妻造だが、箕甲(みのこう)を舐めてかかれませんよ。結果、2週連続の駄目出し。次週も同じなら没だと宣言したのだが、しっかりした補足調査ができているのか、心配この上ない。だから、わたしも箕甲の写真を撮った。はたしてかれは箕甲を、そして立面図を描けるだろうか。


1122境内02山門03箕甲 1122境内02山門04全景


摩尼寺本堂断面図の実測

 本堂は単純な和小屋で、千鳥破風のない部分を切れば、断面図はそう難しくない。おそらく一部の3年生は描けるだろう。社長はプロなので、あえて千鳥破風と向拝を含む中心部分を実測している。これはなかなかやっかいだ。とくに向拝は思いのほか丈(せい)が高く、梯子を使えば獅子鼻はなんとか略測できるが、三斗組までコンベックスが届かない。本堂・山門とも大斗・巻斗の両方に特殊な皿斗をつけており、細部の寸法が欲しいところだが、現状では難しいかもしれない。本堂は、内外陣境の中央間が背面側より広くなっている。この柱筋のずれを解消するため、柱頭に幅広の板状台輪をのせている。台輪がベタ基礎の役割を果たしているのだ。
 わたしは登山靴を履いていたので、天井裏に上るのを断念した。靴下のまま屋根裏に上がると大変なことになる。社長に一眼レフの撮影をお願いし、昭和修繕棟札を下ろしてもらった。
 今週水曜日のゼミまでに白帯とセッツァンで2枚の棟札を実測、文字写しまで進めてもらうことになった。その日、会長は講義のため来学している。また、市教委のSさんにもチェックしていただくことになった。


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紅葉のチビキノコ

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 11月22日(金)。未明までかかって倉吉講演のパワポを完成させ、一眠りした後、昼過ぎから摩尼寺「奥の院」遺跡をめざした。午前から白帯と社長は本堂断面図実測の作業に着手している。わたしは「奥の院」のシイタケが気になって仕方ない。60枚近くのシイタケを17日(日)に収穫したばかりだが、2週間放置していたホダギには直径20㎝を含む夥しい数のキノコが笠の華を咲かせていたし、その前週には茶室において、わずか1週間のあいだにφ3㎝の笠がφ12㎝まで成長したことを確認している。しかも、17日にはφ1㎝前後の超チビキノコを残して遺跡を後にした。そのチビキノコが気がかりなのである。中4日とはいえ、φ8㎝程度まで成長しているのではないか。前にも述べたように、φ8㎝前後の笠をもつシイタケがいちばん美味い。それを狙っての登山だったのだが、予想は裏切られた。シイタケの笠は大きいものでも、φ4~5㎝にとどまっている。獲ろうかどうか迷ったのだが、この次いつ山に上がれるか分からないので、φ1㎝程度のものを残して収穫することにした。ごらんのとおり、数は馬鹿にならない。たしか24枚の収穫があった。


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 紅葉は最上のシーズンを迎えている。「奥の院」から山頂の立岩までの道筋で、何度もなんどもシャッターを切った。じつは摩尼山全体の植生調査をした方がいい、というご指導を受けている。調査研究の蓄積があるかどうかも知らないのだが、紅葉のシーズンになると、落葉広葉樹・照葉樹・針葉樹(杉の植林)の差は歴然としていて、素人めにも一目瞭然だ。山頂から境内を目指して下山し始めると、雨が降ってきた。結構な大降りになってきたが、予め傘を用意していたので、さほどの被害はない。境内と立岩の中間には日本海を見渡す眺望スポットが1ヶ所ある。じつは何カ所でもつくれるのだ。海側の灌木林を間引き伐採すれば、長い距離の登山路から日本海や砂丘が見渡せる。植生調査とともに、将来的には重要な課題になるだろう。(続)


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↑道標健在(岩窟~立岩) 

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↑(左)立岩周辺 (右)山頂からの眺望

第8回「わびさび-茶室の心と技-」その2

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ゴムアスを敷くまえに

 11月21日(木)。男子は茶室の屋根に上り、まずは大屋根に残る古い鉄板(トタン)を取り除き、さらに古い板葺きの目地板もバールで剥がしていった。屋根葺きの基本方針は、重ね葺きの板葺きは化粧として屋外に露出、板敷きの大屋根はゴムアスファルト・ルーフィングを敷いた上に鉄板葺きとすることになった。大屋根の旧葺き板は一部がすでに腐りかけているようにもみえたが、強度はなかなかのものと判断し、引き続き使用することにした。この作業は骨が折れた。残された半時間で、床の間側の大屋根にゴムアスを1段分だけ貼ってみることになった。ゴムアスを横352cmの長さに切り、3人がかりで屋根にあげ、3人がタッカーでホッチキス打ちのようにゴムアスを貼り付けていった。このとき、タッカー針を打った穴から雨水が浸入してしまうので、その部分を重ね張りしないといけないという点に気を付けないといけない。今回はゴムアの上半分部のみにタッカーを打った。次回はこの針を隠すように重ね貼りしていく。


1121special.jpg 1121茶室02妻庇05before


 正面の妻庇は椎の丸太垂木の上に直接鉄板を葺いていたが、デコボコが激しく、全面葺き替えすることになった。残る板の枚数を数えたところ、十分多いので重ね葺きする。これにより、正面から意匠は大きく向上するだろう。妻庇の鉄板と椎垂木は、深くビスが打ち込まれていたため、撤去に思いの外、時間がかかった。この部分は足場となる部材が少なく、作業がしばしば滞った。しかし、夕方5時にはすべての鉄板と椎垂木を解体撤去できた。鉄板はビス打ちされていたので比較的楽に剥ぐことができた。


1121茶室02妻庇02 1121茶室02妻庇01


 ステンドグラス側の大屋根は軒の出を床の間側の庇に揃えて切りそろえた。軒の出は側柱の外面から40㎝(斜辺の長さ)である。床の間側の庇はこの長さでちょうどよい感じだが、ステンドグラス側は庇のない大屋根で、軒は高い位置にあるため40㎝では短くなりすぎたかもしれない。先生は、上に貼る鉄板の先端水切り部分を長くとると言っておられた。
 

1121茶室03大屋根左02 1121茶室03大屋根左01
↑ステンドグラス側の軒が短くなりすぎたか?


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第8回「わびさび-茶室の心と技-」その1

1121茶室11簾03 1121茶室12伐採女子


活動真っ盛り

  紅葉が 終わる頃かと思いきや
  茶室に集う 若人盛ん

 秋が終わりを迎え、冬になりつつある晴れた日に茶室での活動はおこなわれた。
 波板ビニール、鉄板(トタン)の廃棄物、防水シート(ゴムアス)の新品一巻を工務店から寄贈していただき、茶室復活にますます熱が入る。上手に活用できるようがんばります。本当にありがとうございました。
 さて、新しく手に入った畳以外の材を茶室に運び、作業スタート。茶室女子チームは先日作った簾の端をそろえてカットする作業から始まった。縛った竹を一本一本切るのは少々難ありで、力、根性、繊細さ?が必要であった。休みつつ、うなりつつ、無事、すべてカットし終わった。天井に設置する日がとても楽しみである。


1121茶室11簾02 おしり
 


 カット作業が終わり、周りに生えている木をノコギリで伐採していく作業もあった。1年生のNさんには「伐採女子」という称号が与えられた。「伐採女子」とは楽しそうに、力いっぱいノコギリを動かし、木を倒す女の子のことである。これからもパワー溢れるパフォーマンスに期待したい。「伐採女子」のおかげで茶室の周りが広くなり、先生の宝物「原木しいたけのほだ木」にも陽があたりそうである。しいたけも先生も喜んでくれたはずである。
 また、卒業生の先輩(4期生のチャックさん)が制作したカマドを移設することになった。瓦、テストピース、土管部品でできていたため、それらを茶室の手前側に運ぶ。穴をスコップで掘り、瓦で壁をつくる。木の根が強く張っており、穴を掘る作業には苦労した。来週も引き続き作業をおこなうため、テストピースを中に入れて今日の作業は終了した。


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摩尼寺建造物の調査(V)

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昭和修繕の棟札を発見!

 毎度のように、「最後の・・・」などと書く摩尼寺の調査が延々と継続しております。昨日(20日)からは本堂断面図作成のための調査が始まりました。この日は「茶室」制作を指揮する先生と白帯さんを除いた全員が参加。本堂は千鳥破風付の入母屋造で、学部生には難度が高いため、主担当は社長さんに決まりました。
 今日のお噺はその余話です。

 本堂断面図を描くためにはもちろん天井裏に上らなければなりません。天井裏で先々回に棟礼をみつけ、先回それを下ろして、これからセッツァンが詳細調査をすることになっています。私は二度も天井裏に上がっているので、社長さんの案内役として、また昨日も暗闇にもぐりこんだのでした。これから2~3回本堂に通い、社長さんは本堂の断面図を描かれるわけですが、ASALAB2期生のエースですので、どのように料理されるのか興味津々です。


修繕棟札CIMG2600


 天井裏の部材には埃が積もっており、所々外されている箇所がある。紐や木材も乱雑に天井板の上に置いてある。私はまず以前発見した棟礼の場所に社長さんを案内したところ、あの大きな棟礼が立てかけられていた位置の下側に小さな板がみえたのだ。横架材にもたれかかった状態で天井板の上に置いてある。手にとってみると、「本堂屋根 大修善」の墨書を確認できた。と書かれていた。安政七年(1860)の棟礼よりずいぶん軽く、小ぶりなものだが、屋根の修善を記録した札で、「昭和六年十月」の年号も示されている。裏に墨書はない。先生に電話してもっておりるべきかどうか問うたところ、「今は寸法を測り、写真を丁寧に撮る」よう指示があったので、それに従った。昭和6年(1931)の修繕棟札とはいえ、本堂の歴史を知る有力な史料であるのは言うまでもない。詳細調査のため、いずれ大学に持ち帰ることになるかもしれない。
 屋根裏に上がるたびに何かを発見するケントでした。


修繕棟札あCIMG2614 1121 修繕札05

若桜の町並みを測る

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連続立面図完成

 先週火曜日は雨で若桜行きを中止し、製図室で学生全員の立面図(蔵通り表通り)を縮小コピーし貼り合わせた。まぁみてやってください。上は表通りの一部分。下右は表通りと裏通りの圧縮です(クリックしてください)。凄い連続立面図でしょ。生まれてこのかた、こんなに質の高い連続立面図にお目にかかったことはございません。本気でそう思ってます。プロならみな口を揃えて、これに近い感想を述べるのではないかな。しかし、2年生たちは自分たちがどれほど素晴らしい仕事をしたのか、たぶん理解していない。環境学部の学生は建築教育を受けていないからね。いつか分かってくれるでしょう。

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町並みを測る

 今週火曜日(19日)も天気予報は「雨時々曇」で降水確率50%。「ところによっては日本海側は雪が降るでしょう」とテレビのお天気お姉さんは解説し、若桜教委からのメールにも同じことが書いてありました。嗚呼また延期か、と半ばあきらめていたのですが、夜空に星は輝いているし、ネット上の天気図を拡大してみても雲のひろがりは遠い位置にある。目覚めて、空には青空が点在しており、午後のフィールド実習敢行を決断した。ただし、この日の冷え込みは尋常ではなかったようです。12月下旬並みの気温まで下がった。しかし、わたしは寒くない。ジャンパーを2枚羽織ってましたからね。下にスカラブレーで買ったフリースのジャージ、上にバンクーバーで買ったカナダ代表アイスホッケーチームの黒いウィンドブレーカーを着込んでいたの。学生たちがいくら「寒い、さむ~ぃ、手がかじかんで動きませ~ん」なんて言っても、わたしには分からない。だって、暖かいんだから。フリースの保温効果に改めて感謝。


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 19日のテーマは「町並みを測る」。最初のフィールドワークで描いた土蔵のスケッチに寸法を書き込んでもらいました。この日の採寸を活かしてスケッチを図化する日があるかどうか分かりませんが、正直なところ、学生たちの手描き以上に味のある清書の図面が生まれるとはちょっと思えませんね。
 なお、この日もASALABの3年生・院生が4名参加(社長も参加)。オートレベルを持ち込んで、道路の傾斜を計測する班と巻尺で間口の通し寸法を採る班に分かれて活動しました。上級生にも学習効果のある実習・演習になったと思います。


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またもやシイタケ大収穫!

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まだまだ摩尼山

 日曜日の午後、どういうわけかイッポと摩尼山に登り、奥の院で原木栽培のシイタケを収穫した。
 登山路はますます荒廃している。丸太の3本橋を流され、倒木と落石が道を塞ぐ(↓)。しかし、気候は暑くもなく寒くもなく、紅葉もいちばん見頃の時期であり、心地よく山登りができた。奥の院に着くや否やホダギに目をやると、でてる、でてる。先回の87枚大収穫が2週間前のことであり、20枚ばかり小ぶりのキノコが採れればよいだろうと予想していたのだが、大量のキノコが笠をひろげ、大半はすでに十分大きくなっている。否、大きくなりすぎている。今回は笠の直径が20㎝を超えるシイタケも含まれていた。茶室を上回る大型のキノコがわずか2週間のあいだに誕生し、成長したのである。


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 まぁ、一休みだ。ストゥールに腰掛け、ファミマで買ったばかりのメンタイシラス弁当を腹に納め、水出し麦茶を飲んだ。奥の院で食べる弁当は格別だな。茶屋が精進弁当を売り出すなら毎回買ってトレックするんだけどねぇ。
 いざ収穫。ぱっとみて分かることだが、シイタケは2群の色合いに分かれる。茶色でおおぶりの笠をもつ一群とこげ茶に白い筋の入った小ぶりの笠をもつ一群であり、後者はみるからに美味しそうだ。後者が前者に成長していったのかもしれないが、思うに、春植えと秋植えの種駒はそれぞれ通販の直径9㎜と菌蕈研究所提供の直径8㎜であり、この差が二群に分かれた可能性もあるだろう(ないか?)。
 収穫したシイタケは59枚。うち2枚は汚れがひどく、森に捨てた。このほかホダギには20ヶ所ばかり直径1㎝程度のチビキノコが笠の芽を出している。これを1週間放置すれば、直径10㎝を超えてしまうだろう。おいしいシイタケは直径8㎝以内だと経験的に感じている。だから、また週末には採取にでかけなければならない。おそらく12月初旬まで毎週摩尼山に登ることになるだろう。


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↓やや小さすぎるが、1週間放置すると ↑ のようになってしまう。小さいほうが美味しい。
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続々・スリランカの獅子

 グーグルの画像検索に「sri lanka lion」と入力して検索し、下の復元図を発見してから結構な時間が流れている。リトル・トッパーズというイラスト&デザインの会社が制作した作品で、絵はがきなどの図柄として用いられているようだ。この素朴な復元的イラストに共感を覚えている。シーギリヤ・ロックの入口を飾る獅子として、わたしのイメージと近い。
 まず、ライオンの爪の上に短いながらも脚部がちゃんと表現されており、それをたてがみが隠している。口を含む頭部は脚部の上にあり、両脚のあいだに入口を納める。入口は獅子の喉にあたる位置になっている。獅子頭はデフォルメが弱く、写実性がある。爪やシーギリヤ・レディとの隔たりをあまり感じない。

 TBS「世界不思議発見」の獅子は、爪の上にわずかに残る脚部がぶっちぎれた状態のままになっている。これでは遺構の現状を示すだけであり、復原とは言えない。ライオンの顔は小さく、低い位置にあり、口と喉が一体化して、入口の階段を受け入れている。NHKの番組(たぶん「世界遺産への招待状」?)でも、口と喉を合体させて、その内側に階段を通す復原案を示しているが、英文Wikipediaに含まれる下の解説と矛盾している。

  There was a sculpted lion's head above the legs and paws flanking the entrance,
  but the head broke down many years ago.

【訳】(1890年代)獅子頭が入口の両脇にある脚と足の甲(pawは手のひら) の上部に存在した。
   しかし、その頭はずいぶん前に壊れて崩落してしまった。

 繰り返しになるけれども、入口の両脇には脚(leg)が存在しなければならない。上の文章だけでなく、実際に遺構として脚の根っこが残っている。こうした証拠と最も整合しているのは、リトル・トッパーズの復原イラストではないだろうか。


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第7回「わびさび-茶室の心と技-」その2

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リファーレンいなば訪問

 11月14日(木)、女子チームは車で白兎海岸近くにある「リファーレンいなば」に行きました。リファー レンいなばはリサイクルやリユースを考え、体験する多目的施設で、不要になった食器や家具がとても安く入手できたり、またワークショップを通じて廃棄物によるものづくりの楽しさを学ぶことができます。そのワークショップの一つに空き瓶を使ったステンドグラスづくりがあるのです!
 「廃材でつくる茶室」を彩るステンドグラスは2006年度に当時4期生のヨシダさんと3期生のシロマさんが共作したものですが、ビール瓶やウィスキー瓶の破砕ごみをリファーレンの窯で溶かしたと聞いています。今回の茶室修復にあたって、OB制作のステンドグラスは歪みが生じているものの現状保存し、他の2ヶ所に新しいステンドグラスを設えようという構想がもちあがったため、急遽訪問することになりました。
 リファーレンでは、10cmx10cmの窯が2つあり、そこにガラスを入れ、溶かして模様ができます。それをパズルのように並べて柄を作っていく。ガラスはじっくり冷まさないといけません。急に冷えたらヒビが入ってしまうそうで、一回焼いたら半日置いておかないといけないらしい。
 私たちが作る予定のステンドグラスの大きさは約30cmx30cmと約20cmx50cmの大きさが必要です。ということは・・・10cmx10cmをそれぞれ9枚と10枚つなぎ合わせないといけないのです。その前にデザインも考えないと・・・
 とてもきれいなガラス。でも、とても大変なガラス。
 不安と戸惑いでいっぱいの女子チーム。はたしてステンドグラスは完成するのか!?  
 はたまた、ステンドグラスをあきらめるの か!?
 乞ご期待!! 
                               (2年環境学科ハブ)

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第7回「わびさび-茶室の心と技-」その1

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大屋根板葺き

 11月14日(木)、薄曇り。今週は雨が続いていましたが、雲こそ多いものの、雨の心配はない日となりました。最近の寒波で気温が下がっている上に、雨が降ればつらい屋外作業となっていたでしょう。
 この日の男子グループの作業はまず、床の間側の庇屋根の最終処理から始めました。庇は重ね板葺きですが、オモヤの梁の木鼻が邪魔をして、2枚連続下材を葺いた部分があり、その目地を半割した板材で隠す作業が残っていたのです。このままでは雨漏りしてしまいます。ですから、目地の部分を半割板で塞ぎ、ビスでとめました。
 こうして、床の間側の庇屋根は完成しました。ここに乗って大屋根を葺くのですが、まず短い床の間側を葺き、それが完成したら、今度は長いステンドグラス側の大屋根に板を葺くというプロセスをイメージしています。まず、大屋根を覆っている古いビニール波板を外す必要があります。この作業はそんなにやっかいではありません。それからいよいよ屋根板を張ります。大屋根は重ね板葺きを断念しました。板の枚数が足りなくなっているのです。目地の露出した単純な縦板葺きとし、その上にビニール波板やトタン(鉄板)を重ねて防水する予定です。下側は庇屋根に坐ってビスを打ち込みますが、棟木の上はしばらく放置しておきました。これには事情があります。


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 大屋根を張り替えている間、外したビニール波板を洗浄しました。板材だけでは防水に不安があるので、波板を板材の上に張るのです。波板は長年放置されて腐りかけた落ち葉でドロドロになっていましたが、タワシで擦り、水で洗い流すと綺麗になりました。もちろんリサイクル可能です。

 ステンドグラス側でも、別の作業が始まっていました。正面に近い3枚の葺き板が著しく腐朽していおり、トタンに覆われていましたが、新材に差し替えることになったのです。この作業を担当したのは、我らが俊輔君(ほんと中村俊輔そっくり)です。ところが、いちばん高い位置は棟覆いの箱状トタンが被さっていて容易に動きません。しかし、1時間ばかりの時間をかけて、この箱物を取りはずすことができました。これで、ステンドグラス側の長い大屋根に板を葺くことができます。背面側露台上では、屋根の両側から板を渡し、下側は庇屋根もしくは脚立にのってインパクト・ドライバーでビスを打ち、棟の上ではTくんが両側の板を棟木にビス打ちしていきました。


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歴史まちづくり法による松江市の取り組み

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 11月13日(水)夕刻、カフェ黒田にて「歴史まちづくり法に関する研究会」が開催された。昨年9月末の「アジア石窟寺院研究会」と同規模(16名参加)の小さな研究会だが、今年もまた内容の充実した講演をもとに自由闊達な質疑応答が交わされた。
 話題提供者は松江市都市整備部歴史まちづくり課施設整備係長の飯塚さんで、演題は「歴史まちづくり法による松江市の取り組み」。講演のおおまかな流れは以下のとおりである。

  1.「歴史まちづくり法」策定の背景と制度
  2.歴史的風致とは何か
  3.松江市の歴史的風致
  4.松江市歴史まちづくり計画
  5.歴史まちづくり事業
  6.今後の展望-20年後の松江のために-


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 松江市の歴史まちづくり計画は、時間軸としては「古代」と「近世」を大きな柱としており、一方、空間軸では「旧城下町エリア」「国府跡周辺エリア」「宍道エリア」「鹿島エリア」「美保関エリア」を重点区域に設定しています。
 「歴まち法」の事業では、とくに「街なみ環境整備事業」により、歴史的建造物の整備、まち歩きマップ作成・まち歩き案内板整備、個人住宅の修景支援、伝統行事の支援、道路の美装化などを進めています。また、松江市全体を景観法の景観計画区域として、景観計画と歴史まちづくりとの連携を強化しています。松江市内には重要伝統的建造物群保存地区は存在しませんが、松江市条例で定められた「伝統美観地区」があり、とくに塩見縄手通りの景観整備に力を注いでいるそうです。また、「道すじ修景整備事業」では現代建築の修景にも積極的に取り組んでいます。
 2013年4月現在、「歴まち法」の認定地は全国で38都市に及び、中国地方では津山市・高梁市(岡山)、松江市・津和野市(島根)、萩市(山口)、尾道市・竹原市(広島)の7市が認定されており、去る11月11日(月)には萩市で「中国地方歴史まちづくりサミット」が開催されたばかりだとの報告もありました。鳥取県ではまだ一つの自治体も認定されていませんが、倉吉のほか、鳥取や若桜なども十分候補になるだろうという感想が研究会で聞かれました。ASALABの研究活動が県内の「歴まち」誕生に貢献するよう尽力していきたいと思います。


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摩尼寺建造物の調査(Ⅴ)

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本堂棟札続報

 1月13日(水)。この日のゼミの活動は、3年男子3名が摩尼寺の棟礼調査に出向き、残りのメンバーが夕方から開催される「歴史まちづくり法に関する研究会」の準備を担当しました。
 先生は入試説明会などの業務があり、調査に参加できませんでしたが、ご住職の同意が得られるならば、「棟札を外して大学に持ち帰る」よう男子3名に予め指示されていました。
 午後4時ころ3名が帰学し、エアマットと新聞紙で梱包された大型の棟札が研究室に持ち込まれました。ちょうど「鳥取学」講義を終えた会長さんも研究室におられたので、みんなでじろじろと棟札を観察。長さ6尺ばかりある棟札です。私が今まで見た中で一番大きな棟礼でした。材種はおそらくスギです。それにしても、会長さんは元気がなく、しょぼんとしておられました。「すべった、すべったぁ~」と嘆いておられるのです。なんでも講義で戦国時代の話を90分してしまい、レポートの時間がなくなったんだそうです。


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 棟札の表の文字はすべて読めますが、裏には若干不明の文字も含まれています。また、多くの人物が記されていますが、一部の人名は赤い取り消し線が上塗りされていることもわかりました。全体的に「官」の色彩はほとんどなく、有力な商人の名前が多数書いているのですが、興味深いことに、「本堂」以外に「古本堂」の記載も含まれています。「古本堂」とは古本屋さんのことではありません。今の本堂の前の旧本堂を意味するようです。先生は、その旧本堂を「奥の院」から移築された建物の可能性があるとみておられるようです。
 これから、実測・採寸・樹種鑑定・翻刻などの作業を分担して進めていくことになりますが、翻刻については専門家のご指導を仰ぐことになるのは間違いありません。なにとぞよろしくお願いいたします。
 棟札の発見は摩尼寺本堂など建造物の登録文化財申請を強く後押ししてくれますが、なにより建造物の実測図を正確に仕上げる必要があります。3年生が全員揃ったところで、分担して進めていた図面チェックを受けました。図面表現の細かいところの指摘を受けたので、修正してメリハリのある図面に直していく必要があります。こういう地道な作業がこれからの活動で重要になってくるので、自覚を持って取り組んでいきたいと思います。(セツ)


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倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(Ⅶ)

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長谷寺本堂の謎に迫る

 日本のハリウッドスターこと、会長です。11月9日(土)の夕方、「長谷寺の建造物群」の発表をなんとか終え、ご協力いただいた教授にお礼のメールを送信した。しばらくして返信メール。そこには「ブログ、明日が締切りです!」の一文。依頼された記憶が飛んでしまっている。最近、物覚えが悪くなった。加齢によるものだろうか。それとも、自分に都合の悪いことは記憶にとどめないようにしている性分によるものか。たしかに、今回の発表で浅川研究室のゼミ生、ユート、ケントの両君が作成した長谷寺に関するパワーポイントのデーターをいただいた際にそのようなことがあったような・・・


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 長谷寺は、倉吉のランドマーク「打吹山」(標高204m)の中腹に位置する天台宗の古刹。市民からは「長谷の観音さん」として親しまれている。本堂は南斜面の傾斜地に建つ懸造の五間堂で、内陣に本尊の十一面観音菩薩坐像を安置する一間厨子を納めている。ともに16世紀代の建物で、本堂は県保護文化財、厨子は重要文化財に指定されている。このうち本堂は、屋根が改造されているためか、円柱の上に組物がないなど、いくつかの疑問点や問題点がみられるものである。いずれにしても、中世の建造物が少ない、いや、皆無の倉吉にとって貴重な歴史遺産であることは間違いない。このため、ASALABが今年度から取り組んでいる鳥取県環境学術研究費助成研究「倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査-歴史まちづくり法による広域的景観保全計画にむけて-」の研究対象になっている。また、倉吉文化財協会でも、数年前から長谷寺の文化財調査を断続的に進めてきている。このような動きのなか、今年の夏、ユート、ケント両君のインターシップを我が文化財協会で受け入れることになった。もっけの幸いと長谷寺の調査を実習現場の一つとしたのだった。このインターシップの報告会用に作成された資料を拝借し、発表の資料の一部としたしだいである。


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酸素同位体比年輪年代測定講演会のお知らせ(Ⅰ)

 去る8月8日、毎日新聞の記事をもとに 木材に含まれるセルロースの酸素同位体比による年輪年代測定について記事をアップしたところ、さっそく愛知県埋蔵文化財センターからコメントが入り、情報交換を続けていたのですが、その結果、この年代測定法の開発者である中塚武教授自らご講演いただくことになりました。今後チラシ等を作成し、より詳しいお知らせをしますが、とりあえず第1報を速報する次第です。

 日時・会場等は以下のとおりです。

  1.日時 2014年1月8日(水)13:30~15:30
  2.会場 鳥取環境大学 第13講義室
  3.話題提供 中塚 武教授(総合地球環境学研究所・名古屋大学併任)
  4.演題
 
     新しい年輪年代測定法の誕生
   -酸素同位体比を使ってあらゆる木材の年代を1年単位でピタリと決める-


 中塚先生は日帰りで京都に戻られますが、講演後の時間を利用して、ささやかな情報交換会を開催する予定です。考古学・建築史・美術史等の関係者必聴の講演会です。
 みなさまのご来場をお待ち申し上げます。


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続・スリランカの獅子

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 自分で撮影した写真データを探したところ、シーギリヤをホカノと訪問したのは2006年3月25日のことで、当時獅子の爪の片側を修復中でした(↑)。英文wikipediaの「Sigiriya」の項に、入口に残る獅子の彫像についての短い説明が含まれています。

  There was a sculpted lion's head above the legs and paws flanking the entrance,
  but the head broke down many years ago.

【訳】(1890年代)獅子頭が入口の両脇にある脚と足の甲(pawは手のひら) の上部に存在した。
   しかし、その頭はずいぶん前に壊れて崩落してしまった。

 legs(両脚)という言葉に注目すると、爪を強調する足の甲の上にはライオンの脚部が彫られていたことが分かります。おそらく、その脚部をたてがみか何かで隠していたのでしょうね。言い換えるならば、両脚のあいだに入口があった。口を含む顔面は入口のマグサの上に刻まれていたということになります。
 下はムンバイのライオン像を使って入口(青色)と獅子像の関係を示したものです。

ムンバイのライオン
 

 『世界大百科事典』第2版の解説によると、シーギリヤ【Sīgiriya】という地名は、シンハラ語で「シンハ・ギリ(獅子の山)」を意味し、現名はその転訛であるという。ところが、2011年3月に放送されたTBSの「世界不思議発見!」では、シーギリヤは「ライオンの喉」という意味であるとして、階段部分に喉口を配するCGを制作している。

 さて、シーギリヤを訪問した2006年3月25日には、そのまま移動してポロンナルワも視察しています。そこで、いくつか獅子像をカメラに納めている。12世紀まで下るから5世紀末のシーギリヤとは時間差がありすぎるとも言えますが、参考までにすべて掲載しておきます。
 11月8日に転載した獅子像と似て、いずれも剽軽な顔をしており、たてがみが少なく、耳を露わにしています。たてがみがないと脚部が隠しにくい。胴体を表現しなきゃいけない。辛いところですね・・・かのシーギリア・レディが写実的なまめかしい女性たちを描いていることを斟酌すると、5~6世紀の獅子像はムンバイのような写実的なものだったのかもしれません。証拠が欲しいね。


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摩尼寺建造物の調査(Ⅳ)

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【速報】摩尼寺本堂で棟札発見!!

 11月6日(水)。前期に続けていた摩尼寺境内建造物の調査を4ヶ月ぶりに再開。登録文化財申請にむけて、最後の調査にする予定だったが、右から左まで頭のネジが何本か抜けており、新任の社長さんまで参加されていたにも係わらず、調査はいきなり2時間ストップ。先生と社長さんは先に帰学されました。結局、6日で調査は終わらず、7日(木)も「茶室」制作に加わることなく、摩尼寺に足を運んだのですが、鐘楼の断面図などに未採寸の部分を残してしまいました。段取りがわるければこうなる、という見本のような2日間でした。「嗚呼、亦ポールか」の嘆きも耳にしましたが、担当者にだけ準備をおしつけて知らんぷりするチームワークの悪さも原因の一つだと思います。


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 ただ、一つだけ朗報がある。先生の指示に従い、わたしは本堂の天井裏にあがった。ご住職から2連梯子を拝借し、本堂隅の天井板を外して上れる場所を探した。天井は床から約4.5メートルの高さにある。懐中電灯とカメラを手にもった状態で、横架材の上を歩いていった。何年も掃除されていないのだろう、梁や天井板の上には埃が溜まっていた。足元を汚しながらも、埃を除けて小屋組の構造を調べながら、写真を撮っていった。ごらんのとおり(↑)、典型的な和小屋である。そろそろ降りようかとした時であった。天井裏の奥のほうに大きな木の板が小屋束に刺さっていた。近くまで行ってみると、それが棟札であることが分かった。私は、気持ちがとても高揚した。建物の建立年代を知るうえで、最も重要な史料である棟札を発見したからだ。まだ解読するには至っていないが、撮影した写真を再確認すると、棟札の裏に「安政七庚申年 三月廿九日」と書かれている。建造物の実測調査はなんとか終えたが、今度は棟札の調査をしなければならない。いちど屋根から棟札をおろし、から拭きした上で、写真撮影・翻刻・採寸などをする必要がある。これからの研究が楽しみになってきた。(ケント)

【解説】 棟札に記された安政七年は、西暦1860年にあたる。これまで摩尼寺本堂建立年代の指標とされていたのは、奈文研『鳥取県の近世社寺建築』(1987)に記された万延元年(1860)の擬宝珠銘である。さらに、前期6月28日の調査で文久元年(1861)の金具銘と亀腹銘が発見された。
 明治維新に近い幕末にあっては、1~2年刻みに年号が変わっている。以下に整理しておこう。

  安政七年 1860年 1月 1日~ 3月17日
  万延元年 1860年 3月18日~12月31日
  万延二年 1861年 1月 1日~ 2月18日
  文久元年 1861年 2月19日~12月31日

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第6回「わびさび-茶室の心と技-」その2

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簀の子天井ほぼ完成

 11月7日(木)。この日は制作を続けてきた竹編み簀の子天井の完成を目標に作業を開始した。先週はインテリア工房を使わせていただいたが、今週は修復建築スタジオを片付けて工房にした。
 簀の子天井は2枚作らないといけない。前回途中で終わってしまった1枚目を担当するグループと2枚目を制作するグループに分かれ作業をした。
 前回から縄編みを担当している3人はすでにセミプロ状態で、職人の雰囲気すら感じさせた。1枚目は両端と中央の3ヶ所だけでは、天井がたわむ可能性があると先生に指摘されたので、その中間2ヶ所に縄の1本編みで割竹をつないでいった。


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 2枚目はまず3列を「職人」を中心に作りあげた。そして端の2列は「弟子」に技を伝授しながら、みんなで完成させた。竹の編み方は動画サイトを参考に使ったのだが、初め方がとても難しい。動画では、説明しなが編んでおられたのだが、技が速すぎて謎が多かった。一時停止機能を使用するが、なかなかうまく見えず、「おじいちゃん、待ってー」と声をかけながら割竹編みに取り組みました。最終的に竹編みの始め方をマスターすることはできませんでした。しかし、みんなで「あれも違う、これも違う、あ、できた!」などと会話しながらの作業は楽しいものでした。


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第6回「わびさび-茶室の心と技-」その1

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実感する修復作業-屋根葺き班

 11月7日(木)。雨上がりの後の快晴。秋の肌寒い風が吹く中、少し厚着で出ると太陽の光がいささか暑いくらいの昼下がり。この日も男女に分かれて前回の続きの作業をおこなった。
 まず実験棟に行き、男子は追加で買い揃えたのこぎりを持って茶室に移動。茶室に到着してまずビニールシートにたまった水と落ち葉を落とす、新しくたまった落ち葉は秋を感じさせる。そういえば、ホダギに小さなシイタケがまた実りつつあった。
 男子は2~3人のグループ3組に活動して併行して作業を進めた。

 メインの作業は床の間側の庇を完成させること。今回は軒の出を揃えるため、軒を通しで40㎝の長さに切りそろえながら背面露台上の庇屋根を同じ方法で葺いていった。まだインパクト・ドライバの扱い不慣れな人もいたが、
徐々になれていき、床の間側の庇屋根の重ね板葺きはひととおりきれいになった。
 作業をしている途中、修復スタジオで簀子天井を制作中のハルナさんが大勢の学生を連れて茶室にやってきた。なんでも「環境大の価値を探そう」とかいうプロ研の集団で、はじめて茶室をみて結構な騒ぎになっていたが、我らがA教授は「価値なんかないので、大袈裟に広報しないで欲しい」と答えられていた。


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↑↓軒を切りそろえると屋根が綺麗にみえる
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社長です

 鳥取に帰ってきました「社長」こと、ミヤモトです。
 (誰だこいつ?そんな奴居たっけ?っていう方々は2005年~2006年3月のLablog参照)
 この度11月より建築・環境デザイン学科の嘱託職員に着任することになり、鳥取に赴任しました。2期生として卒業して早7年半、もう二度と鳥取で生活することはないだろうと思ってましたけど、紆余曲折を得て再び戻ってまいりました。まだ赴任して間もないですが、デザイン学科教員のみなさま、学生諸君などと接する機会があり、良い刺になりそうです。
 至らぬ部分もあるとは思いますが、これからよろしくお願いいたします。(社長)


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WANTED !

スリランカの獅子

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 スリランカの獅子像をネットでざぁっと眺めてみました。
 ずいぶんデフォルメされてます。が、よく考えてみると、日本や中国の獅子舞もごつい顔してますから、あんがい関係あったりしてね。
 なんで、こんなことやってるかって、まぁいずれ分かりますよ。


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 ここまでがスリランカ。下はインドです。さらにデフォルメがきついね。

1105スリランカの獅子04じつはインド

夕陽は赤く

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第27回六弦倶楽部練習会

 水鳥公園でのアコギ大会も4年目を迎えた。
 わたしは午前中、ホテル松本の隣のT横インのラウンジに居座って、パソコン仕事をしていた。ジオパーク・シンポの記事が辛口すぎたかな、と反省し、推敲を重ねていたのだ(こういうことよくあります)。で、いまの文章になったのだが、本日、会長に感想を訊いたところ、「あの(シンポの)内容じゃ仕方ないでしょ」とのこと。というわけで、アップしたままにしておきます。
 昼過ぎに水鳥公園に着いてぼんやり椅子に座っていると、主催者のKNさんが近づいてきて、「ふたり、できますか?」と問う。なんのことやらよく分からず困った顔をしていると、

  「スタレビの『ふたり』です。うちの若い衆が『ふたり』を唱いたいと言っている
   ので、伴奏していただけないでしょうか」

ということだった。もちろん二つ返事でOK。もともとギターは歌伴の楽器ですからね。ヴォーカルの伴奏がしたくてしょうがないんだけど、なにぶんオファーがないので、自ら弾き語りするしかないわけです。「ふたり」は私の大事な持ち歌ですが、もちろん伴奏を厭う理由はありません。
 その若い衆と二人、会議室で軽い音合わせをして会場に戻ると、すでに会長の演奏が始まっていた。再びKNさんが近づいてきて、順番は「9番目」だと教えられた。ビリから4番目だ。あぁ、また今年もこういう順番か。お客さんがいるのは前半だけで、後半になると六弦倶楽部のメンバーだけになっちゃうからな・・・早めに演らせてほしいよね、たまには。


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 会全体の問題としては、最近インストが多くなりすぎて、しかも曲目にだぶりがしばしばでるようになっています。みなさん、岸部、住出、押尾をおもな練習曲目としているから、こうなるわけです(わたしゃ無縁ですが)。それで、会長から「歌もうたってください」というお達しがでました。当然だと思うのね。基本的にアコギ芸術というのは、ソロのバラードが大半を占める。前にも書いたけど、バラードばっかり聞かされていると、眠くなります。何かインパクトというか、バリエーションが欲しい。よく考えて欲しいのだけれど、アコギのソロで人を感動させるだけの芸術表現をするのは並大抵ではありません。簡単なようで、簡単ではない。それになにより、コピーなんだからね。芸術の根幹たるオリジナリティが失われている。だれがどう考えても、その曲の作曲者や編曲者であるところの演奏者にはかなわない。たとえば、「タンゴ・アン・スカイ」を例にとると、村治香織の演奏は、天地がひっくりかえっても、ディアンスには及ばない。根本的に次元が違う。
 となると、わたしたちは、どういう道を歩むべきなのか。自分で曲をつくるか、自分で編曲するか。あるいはまた、他の演奏者のオリジナル演奏を変奏曲のようにして弾くのか、なにか工夫が要ると<わたし>は思っています(みんなにそうしろと言っているわけではありませんよ)。


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↑眼鏡をかけているということは歌詞カードを読んでいるんですね。シャウトして眼鏡が落ちるの。


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倉吉市政60周年記念講座「知られざる倉吉建築物語」

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11月9日と11月23日の講演会のお知らせ

 来たる11月9日、国際的に有名な日本のハリウッドスター、真田広之さんが倉吉未来中心で講演されるそうです。しかも、演題は「長谷寺の建造物群」。長谷寺に町並みがあったんですね・・・あれっ、役職が倉吉文化財協会長になっている・・・そのポストは、うちの会長だろ?? 
 残る2回の講座は以下のとおりです。

 第4回講座
  日 時: 11月9日(土)13:30~15:00
  会 場: 倉吉視聴覚ホール 交流プラザ(倉吉未来中心内)
  講 師: 眞田廣幸(倉吉文化財協会長・鳥取環境大学非常勤講師)
  演 題: 謎の多い長谷寺の建造物群-懸造の本堂と本堂内の大型厨子-
  要 旨: 倉吉の多くの方々が「長谷の観音さん」と親しまれている「打吹山長谷寺」は、奈良時代の
       養老年間に創建されたと伝えられる古刹です。崖に建つ懸造りの本堂(県保護文化財)や
       本尊を安置する大型厨子(重要文化財)などの室町時代に建築された建物などの文化財が
       多数存在しています。これらの本堂や厨子などの建物は鳥取県を代表する建造物ですが、
       多くの謎を秘めています。これらの謎を紹介しながら、中世から近世おける倉吉の歴史の
       一端を垣間見たいと思います。   

 第5回講座
  日 時: 11月23日(土)13:30~15:00 *閉講式あり
  会 場: 倉吉視聴覚ホール 交流プラザ(倉吉未来中心内)
  講 師: 浅川滋男(鳥取環境大学教授)
  演 題: 倉吉の町家と町並み
  要 旨: 打吹山の山麓には中世に城下町が築かれ、一国一城令による廃城の後も鳥取藩家老荒尾氏
       が統括する陣屋町として栄えました。その範囲には歴史的な町並みがよく残っており、
       一部が重要建造物群保存地区に選定されています。保存地区周辺に残る町家や茅吹き民家
       を手がかりに江戸時代~近代の都市景観について語り、あわせて重伝建地区周辺の文化
       遺産群と連携をはかる「歴史まちづくり法」適用の可能性をさぐります。

シイタケ大収穫!

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今年最後の摩尼山?

 ジオパーク・シンポジウムの前日(11月1日)、摩尼山に登りました。講演者として来鳥されているHさんをご案内するためです。昨年は毎週のように登っていた摩尼山も、「奥の院」での活動が一段落して後期は一度も登っていません。おそらく、これが今年最後の摩尼山になるだろう、と思いながら、山道を歩み続けました。いざ登っていくと、登山路は先月の台風による集中豪雨の影響で倒木が道を塞ぎ、土砂が崩れているところもありました。本格的に登山路の整備をしないかぎり、豪雨・豪雪のあとは必ずこうした事態を迎えるでしょう。われわれが設置していたサインボードも一枚落ちていましたが、おおむね健常でした。おもしろかったのは、巻尺で距離を計測したラベルがまだ雑木に張り付いていて、その日付が「11月1日」と書いてあったことです。まる1年前にインドアーズたちがラベルを書いたことに、ふと懐かしさを覚えました。


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 ひさびさの登山で「奥の院」までいくだけでも足がつらかったですね。なんとか登りきると、懐かしい巨巌が視界にあらわれました。雑草はそれほど生えておらず、巨巌の迫力は相変わらずです。改めてその景観を見ると、昨年はすごい仕事をしたのだなと実感した。伐採木のスツールで休憩しているとき、ふと茶室でシイタケができたのを思い出し、「奥の院」で合掌掛けしていたホダギ(昨年伐採したスダジイS05・06)に目を移すと盛りだくさんのシイタケができているではありませんか。大きいものは茶室で採った2枚のシイタケと同じぐらいですが、全体的にもう少し小さめで、肉厚も厚く、茶室のシイタケより美味しそうです。最初は20~30枚ぐらいかと思ったのですが、全部もぎとると総数は86枚に及ぶことがわかり、仰天驚喜し、すべてのしいたけを集めてる「きのこの山」をつくりました。ができるほどだった。昨年、「奥の院」まで重たいガソリン発電機等を運んで苦労したシイタケの種駒植え付けが、1年半後の季節外れの晩秋に実を結び、望外の喜びを分かち合いました(Hさんは呆れていましたが)。しかし、残念なことに、ぼくはシイタケ(というかキノコ全般)が苦手なんです。


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第5回「わびさび-茶室の心と技-」

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板屋根葺き替え作業

 10月31日(木)。曇り。まだ暖かかった10月も終わり、冬の匂いのする11月を迎えようとしている。今回はまず実験棟前に全員が集まった。その後、2班に分かれて、女子はそのまま実験室で活動。男子は全員先週確保して加工してもらった板材などを運び茶室へ移動した。
 茶室に到着すると、ゼミの先輩方が前日葺き終えた板屋根の一部がみえた。そして、棟梁からのアドバイスを基におもに屋根板の差し替え作業に取り組んだ。ここでいくつかのグループに分かれた。ステンドグラス側の背面部分では脚立にのぼり、ビニール波板をとりはずし、ノコギリで側面の板屋根の軒を切り落とした。最初は20㎝短くする予定だったが、上にトタンが被っているため、トタンの先端にあわせて板材も裁断していった。その後、大屋根にのせる長さ2mの板材を仮置きした。片面で11枚必要なようだ。


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 床の間側では屋根に覆いかぶさっているビニール波板を取り外し、屋根板を納めるため木鼻状の梁の突出部分を13㎝短くした。その後、腐ったり傷んでいる屋根板を外す作業をした。これが意外にも、ネジ穴がつぶれていたりクギが硬かったりしてしていて苦戦苦闘した。そして、庇の屋根板をすべて外し、製材された新しい板材を葺く。まず板材の木口の両端から2cmの部分に線を引く。ここが上下材の葺き重ね部分になる。上下の板を重ね、交互にビスをうって、床の間上面の屋根葺きが完了。


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 正面側隅の露台上ではトチ葺きの葺き替え作業に取り組んでいたが、茶室周辺に繁茂するシイが細いのに異常に硬くビスを受け付けない。これには本当に驚いた。スギ、ヒノキ、マツなど針葉樹の柔らかさに対して、広葉樹の硬さを思い知らされたのである。ビスの回転が増えれば増えるほどその部分に熱が滞留する。先生は摩擦熱をおびたビスに触って、「あっちいいい」と叫んでいた。作業をしていて分かったことだが、使えるノコギリがほぼなくなってきた。新しいノコギリが必要だ。結局、シイの垂木は飾りにして、外からみえばい内側にスギの板垂木をわたし、トチ葺きの板材は板垂木にビス打ちすることになったのだが、いまのところ一番下の1枚しか葺かれていない。
 来週はトチ葺きの続きとステンドグラス側の大屋根の板葺きを進めることになる。かなり本格的な設置作業だが、なんとかなるだろう。(経営学科2年T.S)
  
 【残りの板材】
  ①大(大屋根用200㎝)24枚 ②中(庇用150㎝)17枚 小(トチ葺き用95㎝)21枚


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茶室の屋根葺き替えスタート

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 10月30日(水)。まもなく10月も終わろうとしている。なんでもカメムシが大発生していて、この冬は豪雪だと予報されている。鳥取で野外活動できるのもあと1ヶ月あまりであろう。しかるに、茶室の修復工事に未だ着手していない、ということで、翌日にP2&P4を控えた水曜日のゼミで3年生と院生が「廃材でつくる茶室」の修復に着手することになった。
 先週の棟梁の指示に従い、まずは違い棚側の庇屋根を差し替えることにした。この部分の雨漏りがひどく、早急の処置が必要と判断されたからである。腐朽した当初の屋根板の取り外しの作業から進めていく。庇の屋根板には、木板と波形ビニール板の2つの材が使われています。木板は基本的に釘やネジでとめてあるだけなので、一つひとつバールで取り外していくという作業であったが、釘も錆びついている。簡単に抜けるものもあれば、途中で折れてしまってなかなか抜けない釘やボルトもあった。ビニール板はプラスチック製の紐で結んであり、選定鋏で切断していった。屋根を撤去し終えたら、ただちに新しい板材を重ね葺きする。本瓦葺きのように、下板と上板の縁を2㎝だけ重ね合わせて、ビスを打つのだ。新しい屋根板は構造実験の廃材となった角材を旋盤でスライスしたもの。厚さ2㎝。庇用の材の長さは1.5m前後である。いったん仮組すると、梁の先端に板があたる部分があり、梁を13㎝切り落として対応した。


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 まずは下材も中央にビスを打ち込み、桁に固定する。上上の板材は縁を2㎝だけ重ねあわせ上材から下材にむけてはビスを打ち込む。白帯さんが2台のインパクトドライバを買ってきていて、最初は使い方にてこづったが、担当したケントは、途中からコツを掴んだようで、どんどんスムーズに仕事が進んでいった。この日は棚の上だけ新材に吹き直したが、ずいぶん新しくみえるようになった。


1030茶室屋根葺き替え06 1030茶室屋根葺き替え05


 躙口の横にある露台上のトチ葺き屋根も取り外した。こちらの屋根にはシイの細い皮付丸太垂木がかかっており、その垂木に屋根が固定してあったのだが、ネジが潰れていて抜けなかったので、垂木ごと取り替えることになった。トチ葺き屋根は仮組までで終わった。板屋根の施工について自信を得た一日となった。翌日のP2&P4もうまく進行してくれるだろう。
 2時間ばかりの作業を終え、例の巨大シイタケがみつかった。その内容は、これは教授が書かれた記事のとおりである。(ポール)


1030茶室屋根葺き替え03 1030茶室屋根葺き替え07

ホテル松本

1102シンポ01


 ジオパーク・シンポジウムを終えて、ホテル松本にしけ込んでます。LABLOG愛読者で「ホテル松本」を知らないならモグリだよぉ。
 ホテル松本までの往路でずっと日本シリーズを聴いていました。マー君、負けちゃいましたね。負けるが勝ちということもあるので、明日に賭けましょう。

 さてさて、ジオパークの「マネジメント」と銘打つのは結構ですが、シンポジウム自体の「マネジメント」は如何なものだったでしょうかね。かなりな方が勘違いしていると思うのですが、このシンポジウムはASALABの主催ではありません。造園系研究室の主催です。だから、うちの学生は私服できた。主催の研究室はみなスーツです。スーツ姿の学生さんたちは、ピンぼけのプロジェクターを修正しようともしないし(何故か白帯が調整していた)、ブレイク用の珈琲も準備していない(指示もうけていないのでしょう)。あれではみんな会場の外にでて、飲料を買うしかないではありませんか。そうなると、ポスターセッションやってる学生の周囲に人は集まりませんよね。パネル・ディスカッションの配置換えに至っては、わたしと研究所の後輩(発表者=客人)が机を動かしました。かの後輩は、司会者の机まで角度を変えていた。お詫びするほかありません。


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 各発表者のプレゼンはさておき、PDに悔いが残ります。昼食時の打ち合わせで、質問用紙を準備していないことが発覚。そもそもパネル・ディスカッションというのは、パネラー相互の討議を前提に進め、その流れに沿って来場者との質疑を絡めていくものです。質問用紙なしで会場に挙手を求めても、手をあげる人がいないのはわかりきっている。だから、ご指名の運びになるわけですが、その裏返しで、話したいことを話せないもどかしさを感じていたパネラーが少なくなかったでしょう。実際、「わたし何しに来たの?」のコメントを閉会後頂戴しております。最後の一言だけでも、遠来のパネラーからお言葉をいただいて、会を締めるべきでした。

 閉会後、ASALAB関係者は駅のドトールに集合。聴講者の数は、はったりでも「満員御礼」とはいえない状態でしたが、予想を上まわる数の行政関係者が来ていただけに、PDはもったいないことをしたという意見が大勢を占めました。シンポの前後でなにか変わったことがあるのか、といえば、ないので、報告書を出す意義があるのかどうか・・・
 ただし、イッポ君の「ジオ・トレイル歩き」(ポスターセッション↓)だけは評価してあげないといけませんね。かれの紀行文をまもなくLABLOGで連載する予定です。乞ご期待! 


1102シンポ05

若桜の町並みを描く(Ⅱ)

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 10月29日(火)。今週も環境学部2年生の「居住環境実習・演習Ⅰ」につきあって、ゼミ生5人が若桜に足を運びスケッチしてきました。先週は裏の蔵通りを描きましたが、今週はオモテ通りの町家をひとり1軒描きました。方法は先回と同じです。先週から3年生はオモテ通りの大型町家の立面図を描いており、まずはそれを完成させ、さらに2年生だと苦しみそうな町家をもう1棟ずつ選びスケッチしました。
 先週はバイトで不在だったケント君が参加したことで(ポール君は授業のため参加できず・・・)、25棟の連続立面図が出来上がるはずなのですが、ユート君が先週担当した町家が予想以上に上手にあり、2年生が加わっても到底届かない距離で、先生から「もっと近くの町家があったでしょうが」とアドバイスされていました。


1028若桜02←白帯も書いたぜぇ~


 左右の高さを両隣の人と調節しなければならないため、隣でスケッチを行っていた2年生との調整が必要です。ほかにも、分からない部分がある際などにも質問してきてくれて、先週のような孤独感はなく、みんなで楽しくスケッチ演習を行うことができました。先生がおっしゃっていた通り、学内で演習している時よりもフィールド演習の方が、みんな楽しそうに、しかも、集中して立面図作成に取り組んでいたように感じました。
 先生が周って来られ、先週描いていた図を見せると、2階の屋根を小さく描きすぎだと言われました。道路に立っていると、屋根は低くみえますが、勾配などから推定すると軒から棟まで2.5m+αの高さがあるようです。私もまだまだ実測の練習を行わなければならないと痛感しました。寸法を記入するまでに修正しておきたいと思います。


1028若桜05
↑↓男子学生も写生に集中
1028若桜04


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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