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最終講義

 1月30日(木)3限「建築の保存と修復」第15講(13講義室)。2001年に開学した鳥取環境大学の環境デザイン学科~建築・環境デザイン学科でおこなってきた授業「建築の保存と修復」の最終講義で、わたしは唐招提寺の修理に係わる短いスピーチをした。その後、学生たちは英文和訳と長いレポートを書いた。期末試験の代わりである。
 その短い講義は、「建築と都市の歴史」「地域生活文化論」を含む私学時代の全講義の最終講義でもあった。すでに大学は公立化しているが、私学時代の授業はわずかに残っている。いまの3年生を卒業させると同時に私学としてのカリキュラムは終焉となるわけだが、一年早く担当講義がフィナーレを迎えたのである。
 研究所を辞めて44歳で大学に移った2001年、定年退官した60代の教官のような心境に陥っていた。40代半ばにして、これからは余生だと思ったものである。その余生が終わったのだから、この先は余生の余生ではないか・・・などという感慨にどっぶり浸る間もなく、4限には大学院修士課程1年次の中間発表会が14講義室で始まった。その内容については、発表した白帯自身がまもなく報告するであろう。わたしは毎年同じ説教をしている。発表準備の着手が遅すぎる。
 会の終了後、長谷寺報告書の打ち合わせを経て、ダウラへ。発表した白帯とサポートした3年生の慰労会だが、考えてみれば、摩尼寺建造物の登録文化財申請完了、最終講義に伴う英語和訳・長文レポートの解説と慰労が重なっている。時代は入れ替わりつつあった。同じ時間、学内では新3年生(現2年生)のゼミ選択投票がおこなわれていた。状況は楽観視できない。新ゼミは「文化遺産と歴史的環境の保全・再生」を旗印にしているのだが、理系の学部だからだろうか、「歴史」という言葉に拒否反応を示す学生が少なくない。また、製図やスケッチを苦手とする学生が圧倒的多数を占めている。おまけに、教師は「厳しい先生」の代表格である。極端に悲観的な見方をするならば、0名もありうる。アッサムを啜りながら、そう口にした。


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悲しい色やね

 たかじんの追悼番組が目白押しで、それらをすべて視たわけではないが、最も深く鋭い視線でたかんじんという人物を切ってみせたのは「くぎづけ」の上沼恵美子であった。鳥取は関西の2週間遅れで「くぎづけ」の放送がある。その放送は奈良で一度視ていたが、2週間遅れの自動録画にまた吸い寄せられてしまった。
 たかじんは神経質で、潔癖症で、気が小さく、あの暴れん坊ぶりはテレビのディレクターが誘導し育んだ姿だという指摘がまず最初にある。ここまでは十分想定内。その後、上沼は「あの人はシンガーだから」と言い切り、「歌は上手いが、ヒット曲が足りなかった」「NHK嫌い、東京嫌いは隠れ蓑で本当は紅白歌合戦にでたかったはずだ」と歯に衣着せず、そして、もし来世があれば「わたしが紅白の司会をして、あの人が白組で歌をうたって」と続けながら、こらえきれず涙を流した。

 たかじんの歌唱力については文句のつけようがない。並みの歌手ではとても太刀打ちできないだろう。ただ、歌詞とメロディ(と歌い方)に違和感を覚える聞き手もいたはずだ。スタレビやオフコースのラブソングがそうであるように、「やっぱ好きやねん」「東京」を人前で唱うのはこっぱずかしい。あの歌詞と歌い方は、バラエティ番組における暴れん坊ぶりからかけ離れすぎている。どちらがたかじんの本質なのか、と言えば、歌い手としての姿だと上沼は断言するのである。わたしは「くぎづけ」を視ながら、なんども頷いた。




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財布も心も

 昼過ぎに白帯から電話あり。またぐずぐず言っている(ベソ掻いている)。発表会の前になると、倒れてしまったり、胃腸炎になったりするのが常態化しておりまして、またぞろ悪い癖が出始めた。修論中間発表は2日後に迫っている。今回は精神的不調だというのだが、逃げの一手にでようとしているのはあきらかなので、一喝。というか、なだめすかしました。どうなだめたかというとですね・・・おまえは軍師勘兵衛だ。いちばん上に立つと機能しなくなってパニックに陥るけれども、トップから指示さえ受ければ献身的に働く最高のナンバー2だから??(おかしな論理だね)

 とにもかくにも、3年生が全面的にバックアップすることで(先週から決めていたことなんですが)、なんとか心を落ち着かせたのであります。で、今もまだ3年生は勘兵衛のために奉仕労働している。「こういうときはな、おまえ、みんなにぱぁっ~と奢ってみろ、気持ちがすっきりするぞ!」とけしかけると、ケントがさらに突っ込みをいれた。

   そうですよ、そうすれば、財布も心もか~るくなります。

 上手いね、座布団一枚。



ビリー・ホリディの「身も心も」(1957)。伴奏のギターはだれでしょう?
音色で分かるよね??

摩尼寺建造物の調査報告(Ⅲ)

2014摩尼寺01配置図02圧縮


2.登録候補建造物【続】

 (2)山門
                           構造形式:一間薬医門 切妻造桟瓦葺平入
                           建築年代:明治中期(推定)

 摩尼寺山門は本堂の南側正面にあり、両開きの桟唐戸を設えた一間一戸薬医門である。西側の漆喰塀に潜戸を伴う。親柱は五平の鏡柱とし切石の礎石の上に立て、控柱は角柱で礎石の上に礎盤を挟んで立てる。親柱上に冠木をわたし、その上に皿斗付大斗をのせ三斗組を組んで実肘木をのせる。控柱上にも本柱と同様に冠木をわたし、皿斗付大斗上に実肘木を置いて、その上に女梁(肘木)と男梁(腕木)を架け控柱の桁につなぐ。親柱と控柱をつなぐ繋梁は短いが虹梁風にして絵様を施す。軒は二軒繋垂木。妻飾には蓑束を立て、その左右に装飾的な笈形をあしらう。木鼻や実肘木の絵様、とくに渦の形状は、本堂腰組の頭貫や木鼻と酷似しており、本堂とほぼ同時期に建立された可能性が高いと思われる。
財産台帳(登記簿)に山門の建物名称はみえず、これに相当する可能性があるのは木造瓦葺平屋建屋根切破風の「中門」であろうか。中門の建築又ハ取得ノ年月日の項に「明治廿二年再建ス」と記されている。山門は絵様・彫刻が本堂に近似するが、明治22年再建の可能性もあり、或いは同年に屋根替えなどの大改修がなされた可能性もある。
 ちなみに、門前と山門の中間に建つ仁王門(県指定保護文化財)は、文禄3年(1594)に島根県隠岐郡西ノ島町の焼火神社(旧焼火山雲上寺/重要文化)より移築と寺伝に言う。しかしながら、虹梁絵様の様式は18世紀後期を示しており、壁や柱には文政七年(1824)、安政二年(1855)、安政三年(1856)、文久(1861-63)の落書が残っている。落書の多くは本堂・山門再建の年代と近接しており、仁王門の移築がなされたとすれば、本堂・山門の建設と同じ幕末期の可能性がある一方で、隠岐諸島で明治期に推進された廃仏毀釈に伴う移設の可能性も否定できない。その場合、山門の明治22年再建と仁王門の移設が同時期であったことになるだろう。



2014摩尼寺04山門図02平面図01圧縮
↑山門平面図

2014摩尼寺04山門図03断面01
↑山門背面図・断面図



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摩尼寺建造物の調査報告(Ⅱ)

2014摩尼寺03断面図01圧縮


2.登録候補建造物

(1)本堂
          構造形式:入母屋造桟瓦葺平屋建平入・正面千鳥破風付・向拝一間 軒唐破風銅板葺
          建築年代:万延元年(1860/棟札)

 摩尼寺の本堂は3柱間四方の内陣に奥行1間分の外陣を付加し、全体平面を梁間3柱間(7間)×桁行4柱間(5間)にした平入の天台宗本堂である。堂内の柱はいずれもケヤキ材を使用しており、尺三寸(直径約40㎝)にもなる丸柱を16本立てる。内外陣ともに中央間を2間、その両側に1間半の余間を配す。内外陣境両余間は障子戸引違、中央間には結界の框を入れて開放にしているが、二本溝敷居が残り、当初は格子戸構えであった。また長押の上部には中央間・余間ともに彫刻欄間を施し、中備には異なる意匠の蟇股を配している。
 内陣は中央間・両余間境に無目敷居を通し、床を一段床を高くして須弥壇を置き、厨子を安置する。脇仏壇は両余間の背面に造りつけ、左右に二天ずつ四天王像を奉る。厨子両脇の柱以外に内陣内部に柱はなく、30畳を1室として上に格天井を張る。虹梁は内陣では須弥壇・脇仏壇まわりにのみ飛ばし、荘厳にしつらえる。なお内陣の中央間の柱間は14.5尺(4405㎜)に対し、外陣中央間の柱間は15.5尺(4660㎜)として、後者を9寸(2枝?)ばかり広くしている。参拝の用に資するための工夫と思われるが、柱筋がずれており、これを解消するため、柱上にまわした板状の台輪で横架材を承けて荷重を柱に伝達し構造を安定させている。
 丸柱にはすべて粽があり、台輪と複合して禅宗様の匂いを漂わせている。側柱柱上の組物は正面・側面とも拳鼻付の平三斗である。中備は蟇股とするが、間口によって異なる彫刻を施す。天井は内外陣ともに格天井とする。内外陣の柱・長押・組物等は素木とし、須弥壇及び厨子等は紀州塗(漆塗)とする。側柱筋の柱間建具はすべて舞良戸で、内側に片引き障子を配する。正面入口は両折上桟唐戸の内側に4枚引違い障子とし、上部に長押を通す。側柱の外側は、正面と両側面に幅半間の切目縁をめぐらせ、擬宝珠高欄をまわし、背面には庫裡に接続する渡り廊下を設ける。小屋裏は和小屋組とし、大断面の桔木を配する。軒は二軒繋垂木とし、妻飾りは平三斗・蟇股の上に大虹梁をのせ、その上に大瓶束を立てる。
  向拝は外陣中央間2間分を1柱間とし、軒唐破風(銅板葺)を付ける。向拝柱は几帳面取角柱で切石の礎石の上に礎盤を置く。柱は装飾の濃い彫刻が全面に施された虹梁型頭貫で繋ぎ、その中備に雲龍彫物を配する。柱頭の組物は皿斗付大斗、木鼻は向拝頭貫の先端を獏鼻、海老虹梁の先端を獅子鼻とする。

2014摩尼寺02平面図01圧縮 2014摩尼寺02平面図02虹梁01圧縮
↑【左】本堂平面図 【右】虹梁・長押の分布


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摩尼寺建造物の調査報告(Ⅰ)

1020mani初詣23善光寺如来堂03全景


1.摩尼寺の歴史と境内の建造物

 (1)摩尼寺の歴史と伝承
 摩尼山は鳥取市覚寺集落から東へ4km余り上流に位置する霊山(標高357m)で、中国三十三観音霊場の一つである。別名を喜見山ともいう。喜見山摩尼寺は帝釈天を本尊とする古刹であり、鳥取県内では大山寺、三仏寺と並ぶ天台宗の拠点として崇拝されている。天和3 年(1683)に権大僧都法印覚深の著した『因州喜見山摩尼寺縁起』(以下「縁起書」という)によれば、承和年間(834 ~ 848)に比叡山第三代座主、円仁(794 ~ 864)によって開山されたと伝えられており、伽藍の造営を藤原秀衡(1122 ~ 1187)が指揮したというが、9世紀の高僧と12世紀の武将が複合した開山伝承に疑問を覚えない人はいないだろう。2010年におこなった摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査の結果、「奥の院」に平場が造成され建造物が建立されたのは10世紀後半以降に下ることが明らかになり[浅川編2012]、円仁の開山は考古学的に否定されている。一方、秀衡については、奥州平泉との距離が遠すぎて関与を想定し難いが、年代に限定した場合、12世紀の造営を完全に排除できるわけではない。


1020mani初詣21山門01


 再び縁起書に戻ると、平安時代後期以降、摩尼山は極楽往生の末法思想と結びつき、因幡国山中他界信仰の霊山となって、国内の死者の霊魂は摩尼山を経由して極楽に行くと信じられるようになった[竹内編1982]。以後、中世に繁栄を遂げるが、天正9年(1581)、羽柴秀吉が鳥取城渇殺に伴い摩尼山を焼討ちし、戦火で荒廃した境内は、元和3年(1617)に池田光政が再興したと縁起書は記す。先の発掘調査では、上層整地土最下層から15~16世紀の備前焼や青磁香炉などが出土している一方で、上層遺構を覆うほどの炭層の堆積は認められていない。しかしながら、摩尼山は久松山(鳥取城)からの距離が近く、因幡国天台宗の拠点であったことからみて、秀吉による焼討ちの可能性は依然消えていない。
 阿部恭庵『因幡志』(1795)は「按るに秀吉公這回寺を焼拂ひ玉ひしは今の摩尼寺にはあらず其地三四町東に離れて今の奥の院の谷にありしを焼打せられたるにて後に今の境内再興したるなり」と記しており、秀吉が焼討ちしたという摩尼寺は現在の境内ではなく、山頂に近い「奥の院」であって、小泉友賢『因幡民談記』(1688)所載の絵図には、山頂に近い摩尼寺「奥の院」あたりに2 棟の重層建物を描いている。光政が再興したという境内は、17世紀末になってなお「奥の院」に所在したようである。一方、『因幡志』は山麓の現境内を描いているので、1688~1795年の間に摩尼寺の伽藍は山上から山麓に移設されたことになるが、その正確な年代は詳らかでない。縁起書の追記によれば、摩尼寺は元禄3年(1690)に東照宮の別当寺淳光院(大雲院)の末寺となり、さらに享保3年(1718)に天台律院の比叡山安楽院末寺となって輪住が派遣されるに至る。この17世紀末~18世紀前期(1690~1718)が伽藍山麓移設期の有力な候補であろう。


まに寺パンフ01表  まに寺パンフ02裏
↑【左】境内図(摩尼寺パンフより転載) 【右】摩尼寺パンフ裏面。縁起書に基づいた解説になっている。


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ヒノキ浴

 「入浴剤」と題する日記を書いたのは一昨年の11月でして、以来、鳥取と奈良の両方で常備するようになったのですが、センター入試の前に鳥取の入浴剤が切れてしまいましてね。忙しくてスーパーに行くひまがなく、コンビニで買ってみたのですが、高いね。1回分の小袋が105~140円もする。こいつはたまらん、ということで、先週なんとかマルイに駆け込み、バスロマンを買いました。種類が増えてます。新旧あわせると、10種類ぐらいある。わたしが目をとめたのは「ヒノキ浴」でした。さっそく使うと、これが素晴らしい。黄みを帯びた乳濁色で、ぬるめの湯にすると、半時間でも1時間でも浸かっていられる。極楽だわ。ヒノキの匂いはたしかにします(徐々に薄れてはいきますが)。これはいい、奈良でも使おう、ということで買いだめを決め込んだの。カインズホームやサンマートに行く用があり、ついでに1~2缶買い足そうとしたのですが、どういうわけか、「ヒノキ浴」は棚に並んでいない。再びマルイに駆け込み2缶仕入れ、1缶は鳥取の備蓄、1缶は奈良に持ち返ってきたんです。

 はたして奈良でも好評でして、買って返ったその夜、娘と母はヒノキ風呂に浸かったまま出てこない。母は45分、娘は1時間後にようやく居間にあらわれました。その2日後、イオンに食材を買いに行って、ついでにバスロマンを探したんです。数種類並んでいるけれども、「ヒノキ浴」がないのね。仕方ないので、天然コラーゲン配合の「スキンケア」を1缶購入。「かさかさお肌にハリ感」を与えるという乳白色の入浴剤です。娘はさっそく「スキンケア」をバスに入れた。わたしも、白い濁り湯に浸かりましたが、うぅ~ん「ヒノキ浴」ほど気持ちよくないなぁ。やはりヒノキの匂いには人を癒す強力な力があるのでしょう。そして、硫黄温泉を彷彿とさせる黄色い乳濁の湯がなんとも心地よい。
 バスロマンの「ヒノキ浴」は掘り出し物ですよ。この商品を置いているスーパーは限られている。わたしの知るかぎり、一部のマルイだけですね。




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修士研究中間発表会のお知らせ

 プロジェクト研究の発表会が終わって、今度は修士研究1年次の中間発表会です。白帯くんが準備に悪戦苦闘中でありまして、はたしてどこまで成長した姿をみせてくれるか楽しみであり、不安でもあります。
 大学院1年次中間発表会は30日(木)14:40~16:10です。白帯くんは2番目の発表者となっております。会場と時間は以下のとおりです。
 

  日 時: 平成26年1月30日(木)15時10分~15時30分
  会 場: 14講義室
  発表者: 中島 俊博
  題 目: 近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究


 内容は昨年C14年代測定した長谷寺、聖神社、平田町家、ブータン寺院のうち前2者(長谷寺・聖神社)の成果が中心になると思います。なかなか面白いデータが届いているのですが、かれはそれをどう料理ししてみせるでしょうか?

 多数のご来場をお待ち申し上げます。

満場御礼! -茶室公開

0123茶室公開04来場者02


 1月23日(木)、午前10時すぎからプロ研のメンバーが三々五々茶室に集結。木曜日になると、どういうわけか、よく晴れる。天気は良いのだが、茶室に至る山道は昨日以上にぬかるんでいて、聴講者の足下が心配になった。すでに、一部の学生は室内清掃、カマドの火おこしを始めている。
 10時50分過ぎにミャンマーの鐘を鳴らし、体育館に待機する聴講者に時と場所を告げた。まもなく男子学生2名があがってきた。聞けば、指定聴講ではない。「焼き芋、食べたいんですか?」と訊ねると、二人は首を横に振った。背の高い方の学生が「興味があるんです」ときっぱり言い放ったので、驚いた。
 こんな寒い季節に山道のぬかるんだ森の中にある「廃材でつくる茶室」まで公開を見に来る学生は少ないだろう。指定聴講の学生十数名だけかもしれない。指定聴講でなければ、焼き芋狙いだろう。そう予想していたのだが、いきなり二人の学生は、真逆の反応を示したのである。それは、紛れもなく、吉兆であった。
 11時過ぎに登山靴を履いた会長が茶室まで上がってきて、笑いながら「カドカワが滑って転びましたよ」という。カドカワとはブータンでワープを試みたエイリアン君のことである。まもなく、泥まみれになったエイリアン君があらわれた。久しぶりにかれの特殊な言語と笑顔に接し、わたしもゼミ生(3年生)もおおいに笑った。


0123茶室公開03お手前03土間から 20140124お手前01縦


 来場者は続々増え続けた。50枚用意した配布資料が飛ぶようになくなっていく。あとで残部を確認したところ10枚程度だったので、指定聴講と自由聴講で40名の学生が来場したことになる。加えて、迎えるスタッフは1・2年が13名、3年が5名で、教職員4名を加えると、総勢60名前後が茶室に集まっていたことになる。これだけの人数がいると、茶室を回遊してもらうにも、身動きがとれない。とりあえず、数名ずつ茶室の中に入ってもらってお茶を点て、残りの人数は少しずつ動きながら、背面の火鉢ではお餅、正面のカマドでは焼き芋をとってもらった。解説はろくにしなかった。わたしが3分、1年のリーダーが1分話すだけ。あとは指定聴講担当教授の質問に答えただけである。これでいいと思う。現場でホンモノに接してもらうのがなによりだ。
 11時45分には聴講時間が終わるので、学生たちは徐々に山をおりていった。プロ研のメンバーに「片付けよう、ブルーシートをかけよう!」と声をかけるのだが、まだ芋が余っていて、「先生、まぁいいじゃないですか、もうちょっと焼き芋やりましょう」との提案があり、なかなか祝祭は終わらなかった。
 わたしは、先に山をおりた会長との協議を控えていたので、1枚だけブルーシート被せをしてから先に下山した。望外の賑わいに心は弾む。個人的な感想ではありますが、とても達成感のあるプロ研でした。
 力一杯動いてくれた学生諸君に深く感謝します。


0123茶室公開02水屋03来場者  0123茶室公開02水屋02来場者
↑背面水屋まわり

0123茶室公開05屋外炉02囲んで 0123茶室公開05屋外炉01
↑正面カマドまわり


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茶室公開準備完了!

0122茶室03炉03暗闇01 ←炎を吐く龍?


 昨日から1~3年生が茶室の現場で活動し、懸案だった彫物の設置、炉の灰入れなどを完了させました。この4ヶ月間の活動は明日の発表会を残すだけとなりました。焼き芋、焼き餅、抹茶を準備しておりますので、ぜひ多くのみなさまにご来場いただきたくお願い申し上げます。
 ただ、心配なのは山道です。雪どけ水でとてもぬかるんでおりますので、しっかりした運動靴もしくは長靴をご用意の上、茶室までご参集ください。11時に体育館に集合してください。プロ研のメンバーが茶室まで誘導します。11時前から茶室の鐘を鳴らしますので、その鐘の音をめざして山をあがってきてください。クラブハウスから約3分です。


茶室チラシ表サムネイルimg014茶室チラシ裏サムネイルimg015←(左)ポスター表 (右)同裏 クリックすると画像が拡大します。


プロジェクト研究2&4「わびさび-茶室と心の技-」発表会
 
  日  時: 1月23日(木)11:00~11:45  *雨天決行
  会  場: 大学裏山の「廃材でつくる茶室」修復現場
  集合場所: 体育館前に11時集合(スタッフが茶室まで誘導します)
  発表形式: 聴講者を2班にわけ、①「外装の説明(焼芋付)」と②「内装の説明(抹茶付)」を
        ローテーションでおこないます。
  注意事項: 会場は足場が悪く寒いので、来場者は運動靴・防寒着・雨具等を準備してください。
  特  典: 抹茶と焼き芋あります!!

 そうそう、畳や鉄板などの古材提供などで大変お世話になった棟梁から、以下の激励メールを頂戴しております。

   修復おめでとうございます、学生諸君ご苦労様でした。
   あいにく23日は東京出張が入っていますので伺えません、すみません。
   この活動に係った学生たちの貴重な体験がこれからの人生に役立つことを
   楽しみにしています。これからも頑張ってください。


0122茶室03炉02炉01全景
↑左の小炉は香炉です。ミャンマーの採石場で採った黒い砕石の粉を灰床表面に敷いてます。右が茶の湯用の炉。鉄瓶をのせる予定です。奥のフレーム中央が龍の彫物。

0122茶室04床の間01 0122茶室04床の間02脇の兎
↑(左)「森羅万象」の掛け軸が戻りました。林ナオキ(5期生)作です。(右)床脇に兎の彫物を配しています。

0122茶室04床の間04小天井 0122茶室04床の間03縦01
↑(左)床の間上部の編竹小天井 (左)床の間全景

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56歳からのCAD

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 後期の「居住環境実習・演習Ⅰ」の後半はCADのレッスンでして、教材はObraclub『はじめて学ぶJW-cad7』(エクスナレッジ、2011)です。これまで環境大学の環境デザイン学科~建築・環境デザイン学科ではマイクロGDSというCADソフトを使ってきましたが、有料(高価)で汎用性に乏しいため、環境学科居住環境プログラムではJW-CADを教えることになりました。わたし以外の3名の教員はCADを扱えます。とくに1名の女性教員は自分の設計事務所でJW-CADを使っているので、このソフトに習熟しています。わたしはCADをまったく使えませんでしたが、仕事上でつきあいのある業者さんは80%以上がJW-CADでして、エアポート夫妻やタクヲらような自治体就職組も今はJW-CADを日々使っているようです。
 JW-CADはなによりフリーソフトであるところがよいですね。ソフトのダウンロードに費用が発生しない。3Dには弱い(できない)みたいですが、2次元の製図にはなんら問題がない。だから、ひろく普及しているのでしょう。


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 11月以降、学生と一緒にCADを学んでいます。隣には指導係の社長に腰掛けてもらってますが、かれは前職場でAuto-cadだったので、JWは「結構難しい」と言っています。小生、進むスピードは学生より遅いですが、『はじめて学ぶJW-cad7』テキストは2コマ×2回半で終わりました。なにぶん手取り足取りのガイドブックなので、そのとおりにやれば難なくこなせます。問題はガイドブックを離れてからでしてね。ル・コルブュジェの「小さな家(母の家)」を描いているのですが、なかなか進みません。それでも、先週まではそこそこついていけてたのですが、今日は駄目でした。やはり健康診断を最悪の日に受けてしまったようで、肩こりと頭痛がひどく、途中退席して研究室で半時間ばかり横になってました。こんな体調でCADをやり続けると脳卒中であの世往きになりかねない。おれが死んだら「メシ、うまっ!」とか言って喜ぶヤツが少なからずいるでしょうが、まだ住宅ローンが1年残っているし、今秋には●▲■さんとのトークショーも予定されているので、このままくたばるわけにはいかない。

 というわけで、学生たちが「小さな家」平面図完成品を続々提出するなか、わたしはまだその図に悪戦苦闘中です。でもね、民家の間取りぐらいなら、もうCADで描けますよ。これは大きな収穫だ。平面図と写真でレポートを書けるからね。いずれCAD図面デビューしようと思っています。


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摩尼寺初詣

1020mani初詣02石段 1020mani初詣01地蔵


 逃げ回っていた健康診断に行ってきました。予想していたとおり、悲惨な値が次々示され、顔面蒼白。通常、ホームドクターの検診はかくもひどくないのですが、やはり年末の中国シンドロームが響きましたね。あれは恐ろしいブラックホールでした。
 気分一新にと、摩尼寺へ初詣にでかけました。砂丘にも市街地にも近い丘のような山ですが、谷筋の車道に踏み込むと風景が一変します。残雪が多く、道路が凍っている。できれば「奥の院」まで上がりたいところですが、この体調で無理するわけにもいきません。とぼとぼ石段を歩きました。仁王門の少し上に鎮座するお地蔵さんの帽子は地味なベージュに変わっておりました(↑右)。
 こんな寒い日にも参拝者はいます。石段では3人の女性とすれ違い、山門に近づくと、鐘を叩く音がする。山門をくぐると、鐘を突いていた一人の男性は本堂に移動して礼拝を始めました。本堂はその男性に譲ることにして、わたしは閻魔堂(↓右)、三祖堂(↓左)の順に礼拝し、さらに善光寺如来堂へ。ここで初めて扁額に「明治45年」の年号を確認したんです。お賽銭を投じ、御神籤をひく。「吉」でした。二年連続「末吉」でしたが、少々運勢が向上しているのかもしれません。神籤はさっさと小銭入にしまう。


1020mani初詣03三祖堂 1020mani初詣05メイドの度


 石仏群に合掌するため善光寺如来堂(↓右)の背面にまわると、縁に六角形の小さな須弥壇が持ち出され、仏を鎮座させていました(↓左)。正月ならではの室礼でしょう。如来堂を離れ、最後の最後に本堂を参拝。賽銭は投じましたが、御神籤を引くのはやめ。折角「吉」が出たのだから、それ以上を望んでも転ぶだけでしょう。

 寺務所に行くも、すでにご住職夫妻の影はなく、当番の男性が応対してくれました。摩尼寺に新しい時代が訪れています。石段を下り、喫茶部へ。いろいろなお話を聞かせていただきました。地域の力が胎動し始めています。まだここに公開できる内容ではありませんが、いずれ朗報をお届けできるかもしれません。
 清々しい初詣でした。摩尼寺に感謝!


1020mani初詣04小仏 1020mani初詣06善光寺

第14回「わびさび-茶室の心と技-」

茶室チラシ表img014 0116茶室03全景01←右の写真をクリック! 


プロジェクト研究2&4「わびさび-茶室と心の技-」発表会のお知らせ
 
 1月16日(木)、最後のプロ研授業の日、ようやく発表会のポスターが完成しました。表は広報用(↑)、裏は発表会での説明資料になっています。いちばん下の画像をクリックすると、表と裏の画像が拡大します。また、上右の小さな写真をクリックすると、最新の全景画像が拡大してご覧になれます。
 会場は講義室ではなく、大学裏山の「廃材でつくる茶室」修復現場です。指定聴講・自由聴講の学生は注意してください。以下、発表会の日時等についてお知らせしておきます。(環境学科1年リーダー)

  日  時: 1月23日(木)11:00~11:45  *雨天決行
  会  場: 大学裏山の「廃材でつくる茶室」修復現場
  集合場所: 体育館前に11時集合(スタッフが茶室まで誘導します)
  発表形式: 聴講者を2班にわけ、①「外装の説明(焼芋付)」と②「内装の説明(抹茶付)」を
        ローテーションでおこないます。
  注意事項: 会場は足場が悪く寒いので、来場者は運動靴・防寒着・雨具等を準備してください。
  特  典: 抹茶と焼き芋あります!!


茶室チラシ表サムネイルimg014茶室チラシ裏サムネイルimg015←(左)ポスター表 (右)同裏 クリックすると画像が拡大します。


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無用の用

 一年でいちばん長い日の仕事がいま終わりましたよ。
 老骨に鞭打って問題に立ち向かってみたんだけど、難しいねぇ。難しいというか、量が多くて大変だわ。とくに国語は難しくて量が多いから、どの先生も「全然分からなかった」というの。わたしもほぼ同じ感想でして、とくに源氏物語の不倫の話は理解のレベルを超えていたけれども、漢文のほうは、まぁ、読解できたつもりです。
 甘い筍(たけのこ)は美味しいから伐採されて姿形がなくなる。苦い筍は不味いので伐採されないから天寿を全うする。この「甘い」が「有用」で「苦い」が「無用」だとすれば、幸運にも無用のほうが長生きしているわけで、荘子の「無用の用」そのものではないか、なんて話だろうと思うんですが、間違ってたりしてね。あんな難しい現代文や古典を解読できるなら、本学の期末試験なんてちょろいものですな。
 ならば、もう少し難しい問題にしてやろうか、なんて書くとね、ポールくんがベソ書いちゃうかもしれません、だはは。

 ヒアリングの直前から雷鳴轟き、どうなるかと心配しましたが、まもなく爆音は薄れ、雪が降り始めて、外は真っ白になってます。でも、まぁ、こういう夜はストレス解消しないとね。

上を向いて歩こう

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銀河高原とボルドーとメイリーン

 1月15日(水)。新年2度目のゼミです。前週の約束どおり、白帯くんに修士論文中間発表会のためのパワポの発表練習をしました。「近世木造建造物の科学的年代測定」がかれのテーマですが、はたして内容は悲惨なものでした。まぁ、叩き台にはなりました。3年生5名が長谷寺、聖神社、摩尼寺、平田のデータを個別に分析しており、白帯くんの発表と絡めて討論したのです。もっともわかりやすいのは聖神社拝殿で、次が長谷寺本堂、平田の町家は苦戦しており、今後、歴史観の見直しが必要になるでしょう。
 水曜日は会長が非常勤講師で来学される日でもあり、なんと会長の出資により、新年会を催すことになりました。なにを食べたかって、まぁ本日のタイトルで想像してください(若い人にはわからないか?)。

 さて、遅くなりましたが、まずはお歳暮の御礼から。東京のチャックから「銀河高原ビール」が届いておりまして、正月あけに受け取りました。一戸に通っているから岩手の地ビールなんでしょう。「常温保存」となっているので、そのとおりにしておきましたが、結局、氷を絡めて飲んでしまいました。次に新年のお祝いとして、先週の酸素同位体比年輪年代測定講演を来聴された山村カメラマンからボルドーの赤ワイン2本(2010と2012)を頂戴しました。また、会長さんからも同じ日に明倫地区の蜂蜜酒「メイリーン」を頂戴しております。
 というわけで、カンパ~イ!!
 みなさん、ありがとうございます。お肉によくあうお酒ばかりでありました。お返しと言ってはなんですが、会長さんにはミャンマーの不味い茶とエロティックな栓抜きを差し上げました。漆細工のコースターも買って返ってきたんですが、どういうわけか不評で売れ残っております。インテリアの先生にもってったら、「箱フェチなんで、箱だけ欲しい」と言われ、コースターがまだ研究室に残っております。涙がでるなぁ・・・
 上を向いて歩こう。


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鳥取ロータリークラブ卓話のお知らせ

ミニ講演の依頼がありました。ロータリークラブの卓話です。

  主  催: 鳥取ロータリークラブ
  日  時: 2月6日(木)13時~13時半
        (講演者は12時20分までに来場)
  会  場: ホテル・ニューオータニ2階
  卓話演題: 摩尼山を中核とする景勝地トライアングルの構想


 ロータリークラブの昼食会に伴う卓話ですから、一般公開ではありません。
 だからここに広報する必要もないのかもしれませんが、ご存じのように、物忘れがはげしくなっておりまして、自分に対するメモ書きでもあります。
 登録文化財の申請が月末に迫っており、摩尼寺・摩尼山に係わる講演をさせいただけるのはとても有り難いことだと思っております。

第13回「わびさび-茶室の心と技-」その2

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彫物と行灯の仕事

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 1月9日(木)はとうとう雪が降ってしまいしました。よって屋内で活動です。今日は彫物を納めるフレームづくりをしました。また、傘たてで行灯を作りました。
 龍と兎の彫物はそれぞれ炉の奥と床ノ間の脇に納めます。このフレームには、インテリア工房で廃材となってしまった組子を使います。細い障子枠のような板材ですが、一定の間隔で凹状になっていて、その部分で直角に組み合わせると障子の桟のようになります。龍は縦28センチメートル×横89センチメートルの板材に彫られており、炉の奥に納めます。角は釘で固定し、龍の版画を埋め込めば完成です。兎の彫物は31センチ四方のちいさな窓に入れることになりました。
 行灯も作りました。傘立てのブリコラージュです。この傘立てはいわゆる「海ごみ」でして、2005年に4期生の女子学生が日本海沿岸の砂浜で拾ってきたものだそうです。その先輩が和紙を傘立ての外側に貼って行灯に転用し、修理前の茶室では土間におかれていました。しかし、すでに和紙は破れ、骨組も汚れていたので、それを清掃し、和紙を貼り替えたのです。内側から障子を貼るのは難しかったため、外側に障子を貼りました。中に蝋燭をおいて火を点せば、とてもきれいでしょう。
 発表会が近くなり、心配な部分もありますが、がんばりたいと思います。(経営学科2年I.M)

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第13回「わびさび-茶室の心と技-」その1

発表会にむけての準備

 1月9日(木)。木曜日になると晴れていたプロ研ですが、ついに雪が降り、室内での活動となりました。
 男子は、まず修復建築スタジオの廊下や門前に散乱している大工道具等ので片付けをしました。最初にスタジオの廊下に放置されている物をすべて屋外にだし、廊下の掃除をしました。同時に、使用可能のなものと不可のものを仕分けしていきました。使い込まれた道具や見たこともないものまでさまざまで、それらを処分することでこのプロ研の終わりが近いことを実感しました。
 清掃後、4階の演習室で、1月23日(木)に開催される発表会にむけて、具体的な計画をたて、3班に分かれて作業しました。1班は広報と発表の両方に使うポスターの大まかな枠組みを練り上げました。おそらく聴講者の第一印象となるので手は抜けず、慎重になりつつも各々のアイデアを出し合い、何とか形が見えるようになりました。ポスターは表面と裏面の作成を計画しているので、来週までに裏面の完成度を高めておく必要がありそうです。
 2班はポスターに掲載する茶室のアクセスマップを作成しました。まず大学の地図を入手し、その画像を編集してわかりやすく経路を示すようにする作業です。多くの人が茶室の場所や存在すら知らないでしょうが、このアクセスマップがあれば、茶室の位置が分かるはずです。当日はおそらく大学のクラブハウス前の広場に集合し、プロ研のメンバーが聴講者を誘導することになるでしょう。
 3班は今までのブログを全てプリントアウトし、それを日付順に並べて両面コピーし、関係者全員に配布しました。12回分のブログの量は紙にしてみるととても厚みがあり、一苦労だったようです。
 来週までメンバー全員がブログに目を通し、それぞれが発表会の形と役割分担を思い描くことができるよう準備作業を進めていこうと思います。
 なにはともあれ、あと数回のプロジェクト研究を精一杯楽しみたいと思います。(経営学科1年H.S)

  プロジェクト研究2&4発表会

1.プロジェクト題目: わびさび-茶室の心と技-
2.日時: 2014年1月23日(木)11:00~  *雨天決行
3.会場: 廃材でつくる茶室(大学裏山、アクセスマップ↓参照)
4.特典: 焼き芋あります!


茶室のアクセスマップ ←「廃材でつくる茶室」アクセスマップ

「新しい年輪年代測定法の誕生」講演会の報告

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 1月8日(水)、総合地球環境学研究所の中塚教授による酸素同位体比年輪年代測定の講演会がおこなわれました。来場者は丁度50名。講義室は満杯です。木材を対象とするこれまでの科学的年代測定には、年輪幅の変化に基づく従来の年輪年代測定法と放射性炭素(C14)の半減期を利用した方法(AMS法・ウイグルマッチ法)の2つがありますが、中塚教授は前者の手法を大きく発展させた年輪セルロースの酸素同位体比による年代測定の方法を開発されました。
 さて、そもそもセルロース(繊維素)とはいったい何なのでしょうか。wikipediaによると、分子式 (C6H10O5)n で表される炭水化物(多糖類)であり、植物細胞の細胞壁および繊維の主成分であって、天然の植物質の1/3を占め、地球上で最も多く存在する炭水化物であるとのことです。
 木材の年輪セルロースには、質量16・17・18の3種類の酸素が含まれており、質量18の数量を質量16の数量で割った数値、すなわち「酸素同位体比」は年間の降水量によって左右されるのですが、その変動パターンは樹種を問わず、現状では西南日本のひろいエリアで共通しています。ただし、木曽・伊那のヒノキを主としたデータを基準としているので、西南日本(の太平洋側と瀬戸内地域)で強い相関性が確認されていますが、関東の一部の地域などではまったく異なる変化も認められるようです。


140108年輪酸素同位体講演04


 従来の年輪年代測定は、精度は高いのですが、スギ・ヒノキなど一部の針葉樹に樹種が限定されるため、とくにクリ・マツ・ケヤキなどの広葉樹を多用する近世の建造物には適用できませんでした。それが年輪セルロースの酸素同位体比年代測定では樹種に限定されないのですから、期待は大きく膨らみます。しかし、上に述べたように、酸素同位体比は水分量に大きく影響されるため、関東地域での変動グラフが西南日本のそれにあまり合致しないという結果がでています。豪雪地帯である山陰・北陸・東北などで現状の標準変動グラフが適用可能かどうかを検証する必要があるでしょう。山陰に住むわたしたちは、山陽・近畿の気候との違いを体で知っています。山陰のデータはまだあまり分析されていないので、考古学・建築史の分野から多くのサンプルを提供することで、それぞれの地域に特有の変動パターンを導き出すことができるでしょう。この講演会が情報提供のきっかけになれば良いと思いました。

 年輪セルロースの酸素同位体比を年代測定の一つとして導入することで、樹種に依らず、高い成功率で、1年単位の年代決定ができます。それに併せ降水量などの「気候変動の復元」が、1年単位で可能になります。しかし、いつもうまくいくとは限らず、地域を比較したときに非常に高い相関を示す年代であれば、それが正解であることを明確にできますが、どんぐりの背比べのようなパターンでは正しい年代を判断することができない場合もあります。その要因として、地域間の距離の遠さや樹種の違い、サンプル処理者の能力や同位体比の機器分析誤差があるそうです。
 これから、年代決定の基準となるデータが増えることによって、地域ごとで正確な変動を知ることができるようになっていくでしょう。現在はまだクリアすべき問題をいくつか残していますが、安価で分析に時間がかからないことなどを考えると、この科学的年代測定法が近い将来主流になっていくだろうと感じました。(白帯)


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歴まちを訪ねて(Ⅱ)

尾道・竹原の視察のために

 ご無沙汰しております。尾道出身の研究室OBです。標記の件で、ご案内差し上げます。
 尾道市の尾道市歴史的風致維持向上計画のエリアは、尾道・向島地域(尾道水道に面するエリア)と瀬戸田(生口島)の2ヶ所に分かれているようです。個人的には、どちらの地区も海面とその遠景の眺めがよいだけだと思っています。歴まち制度のなかに、建物除却の補助制度が含まれているので、老朽化建物の対策として主に利用されているのではないかと思いますが、活用の実態は知りません。
 その一方で、NPO法人「尾道空き家再生プロジェクト」があり、いくつか再生プロジェクトを手がけているようです。そのひとつに「アナゴのねどこ」なるゲストハウスがあります。こちらはNHKなどで紹介されていたりします。NPOのホームページに他の事例や町の風景の写真があるので、http://www.onomichisaisei.com/about.phpをご覧ください。

 吉和漁港は風致地区から外れています。尾道から竹原へ移動する際、途中にあります。漁民アパートはすでに取り壊されていますが、港の中は相当数の漁船が停泊しています。おそらく、家船はないと思いますが、船尾側に帆を備える漁船があります。
 竹原は、尾道に比べて、まとまりのある町並みをみることが出来るはずですが、あまり詳しくないのです。竹原より先に、大崎下島という島があります。ここにもう一つの重伝建「御手洗」地区があります。竹原港から高速艇にのるか、距離はありますが大崎下島へは橋を使って車で行くことが可能です。竹原には、旅館がありますので、ここで一泊してから御手洗へ行かれるのはいいかもしれません。
 以上、ご参考になれば、幸いです。 (ホカノ)

酸素同位体比年輪年代測定講演会のお知らせ(Ⅳ)

2014年1月8日講演チラシ圧縮


中塚教授講演、迫る

 光陰如矢。地球研・中塚教授の講演が明日開催されます。申し込みのない方でも聴講可能ですので、どうぞ皆様、会場に足をお運びください。すでに資料も届いております。刺激的な講演になること間違いありません。詳しくは、下に掲示したチラシの画像をクリックしてみてください。
 みなさまのご来場をお待ち申し上げます。


 講演会概要

  1.日時 2014年1月8日(水)13:30~15:30
  2.会場 鳥取環境大学 第13講義室
  3.話題提供 中塚 武教授(総合地球環境学研究所・名古屋大学併任)
  4.演題

            新しい年輪年代測定法の誕生
   -酸素同位体比を使ってあらゆる木材の年代を1年単位でピタリと決める-



2014年1月8日講演チラシ ←クリックすると拡大します

歴まちを訪ねて(Ⅰ)

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竹原の町並み

 以前わたし自身がお知らせしましたが、冬休みにゼミのメンバーで中国5県に所在する「歴史まちづくり法」適用の都市を訪問し、レポートを書くことになりました。中国地方には、松江・津和野(島根)、萩(山口)、竹原・尾道(広島)、津山・高梁(岡山)の7都市が「歴まち」に認定されており、ゼミ生は実家に近い歴史都市を訪問することになりました。ただし、必ずしも「歴まち」である必要はなく、重伝建地区も可という課題設定です。私は広島県福山市出身です。今回は竹原の町並みを訪れました。初めての訪問です。
 広島県竹原市は、竹原地区が1982年12月に製塩町と価値を評価されて重伝建地区に選定され、2012年6月には歴まちにも認定されました。建造物と景観が一体となった風情ある町並みだと思います。
 【註:竹原の町並みは教師が学生時代に東大建築史研究室が調査をおこなった。陣内さんがイタリアから持ち帰ったティポロジアという手法で町並みを分析したが、報告書を読んでもチンプンカンプン?】


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 「安芸の小京都」と呼ばれる竹原は江戸時代から明治、大正、昭和に至るさまざまな時代の建造物が残っています。町家には妻入、平入、長屋型、高塀をもつ屋敷型などのタイプがあり、さまざまな格子や窓が見られます。竹原地区の重要伝統的建造物群保存地区は、棒瓦の屋根と塗りごめ壁、深い飴色の格子窓の建物が並び、また、道路も周囲の景観に合うようなデザインになっていました。溝の蓋や外構なども景観に合うように工夫されていたので、とても落ち着くたたずまいを醸し出しています。重伝建地区選定の際、周囲の景観に合わせるため、郵便事業創業当時に使用されていたポストと同じ型のものが設置されたと聴きました。


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 町並みは本通りを中心に大小路、板屋小路、中ノ小路などの路地があります。近くには神社仏閣もあり、なかでも西方寺普明閣は景観の中心となる重要な建築です(↓)。普明閣にのぼると竹原の町を一望できます。
 竹原は竹を用いた行事などが多くあり、秋になると「町並み竹灯り-たけはら憧憬の路-」という行事があり、古い町並みが竹筒からあふれるろうそくの明かりでライトアップされるそうなので、またこの時期に見学に来たいと思いました。以前竹原市が舞台となったアニメが放送されたこともあるからでしょうか、町並みを見学する観光客は少なくありません。竹原市の観光HPを見てみると、町並み保存地区の楽しみ方なども記載されているので、HPを見てから訪れるのも良いかと思いました。今回は、町並み保存センターなどが休館日だったので町歩きしかできなかったので、機会があればもう一度訪れたいと思いました。また、1994年に重伝建地区に選定された呉市豊町御手洗も近くにあるようなので、次は両方あわせて見学に行こうと思います。(セツ)


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写真を挿入しました

 年末にミャンマーで原稿のみアップした「シャン高原の青い海」()()()に写真を挿入しました。画像とあわせて読み直していただければ幸いです。


1224インレー湖001 インレー湖の水鳥

ボンジュール2014

 ちょっと体がへこたれて、けんびき状態に陥ってます。風邪も絡んでいるかもしれない?
 結果、くっちゃね、くっちゃね・・・ほんとはミャンマーの連載を続けたいし、ほかにもやることいっぱいあるんだけど、頓挫したまま遅々として進みません。疲労回復・滋養強壮のため、昨夜は牛角に行って、大蒜ぼりぼり(ほくほく?)かじってやりました。
 そうそう、研究室一同から紅茶のお歳暮が届いておりました。長いあいだ郵便局が預かってくれていて元旦に届いたの。学生というのは、貧乏なようで、そうでもない(噂によると、バイトに集中して月収10万円のゼミ生もいるとか)。ダージリンとキームンの高級茶葉のお歳暮ですからね、有り難う!

 フランスから素敵なグリーティング・カードが届いてます(↓)。猫が羨ましい。


2014猫newyear圧縮

2014 謹賀新年

新春あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

賀状の投函が昨日の大晦日(誕生日だよ!)になりましたので、
お手元に届くのがずいぶん遅れると思いますが、
ご容赦ください。


2014年賀状01


プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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