fc2ブログ

摩尼寺紅葉コンサート2014へむけて(Ⅳ)

鴉天狗のマニーさん(圧縮)


鴉天狗のマニーさんも正式デビュー!

 昨日公開したチラシで摩尼山のキャラクター「鴉天狗のマニーさん」が正式デビューしました。デザインは3年の前田くん(別名「人鳥男爵」)です。前田くんはチラシ表面の背景も描いてくれました(↓)。映画「思い出のマーニー」の1シーンをモデルにして、紅葉バージョンに大改訂してくれたのです。下は原図に近い濃い色使いのバージョンです。とても暖かいイラストになっていますね。


濃・紅葉の摩~尼~001圧縮


 もう一人忘れてはいけないのが西川さん(2年生)のスケッチです。前期の講義「住まいと建築の歴史」のレポートで提出された摩尼寺本堂の素描はチラシ裏面の背景に使っています。再録になりますが、以下に掲載しておきます。
 二人の学生に感謝!!


(西川)本堂スケッチ00圧縮


摩尼寺紅葉コンサート2014へむけて(Ⅲ)

摩尼寺コンサート(完成)チラシ01表02圧縮 摩尼寺コンサート(完成)チラシ01表01 摩尼寺コンサート(完成)チラシ02裏01


チラシ完成!

 ようやくチラシが搬入されました。いま配布の準備を急いでおります。
 参加ご希望の方は上の右端の画像(チラシ裏面)をクリックし、必要事項を記載の上、事務局までご連絡ください。もっとも、第1部トレッキング以外は当日参加でもかまいません。ただし、駐車場の問題はありますので、バスを確保されたほうがよいかもしれません。以下、チラシと内容は重複しますが、イベントの概要を記します。


  摩尼寺本堂・山門・鐘楼「国登録有形文化財」答申記念
  摩尼寺紅葉トークセッション&コンサート2014
  「 思い出の摩尼」

 日時:  平成26年11月29日(土)

 第1部 摩尼寺「奥の院」遺跡トレッキング 【限定30名・雨天中止】
     10:00摩尼寺門前集合 → 摩尼寺「奥の院」遺跡   
      → 立岩(帝釈天降臨伝承地) → 摩尼寺境内    
     12:00 昼食 (茶屋で「精進弁当」を販売しています)

 第2部 トークセッション @摩尼寺境内善光寺如来堂
     12:50 開会ごあいさつ(摩尼寺住職)  
     13:00 摩尼山の文化遺産-登録文化財から登録記念物へ       
           浅川 滋男(鳥取環境大学教授)vs.棚橋恭子(ビオラ奏者)   
           【司会】 浜田 龍彦(鳥取県立むきばんだ史跡公園)

 第3部 境内コンサート  @善光寺如来堂正面広場 (雨天の場合、如来堂内部) 
      14:00 トリ・アンデス(ケーナ&フォルクローレ)   
      14:30 棚橋 恭子 (ビオラ独奏)
      15:10 閉会ごあいさつ(摩尼寺保存会世話人)


摩尼寺コンサート(完成)チラシ03MAP  ←ルートマップ

【バス送迎】 鳥取駅南口発12:00(往路) 摩尼寺門前発15:45(復路) 50名様限り500円
★門前駐車場 先着60台限り
★身障者・高齢者の方は門前より境内まで車で送迎いたします。

京大生同行記(Ⅲ)

141026 赤碕・河原町案内⑤   141026 赤碕・河原町案内⑥


赤碕の町並み

 10月26日(日)。京大生N君の案内3日目です。私はセツさんと赤崎の塩谷定好写真館を訪れました。今回私たちも初めて訪れる場所だったので楽しみにしていました。写真館は塩谷定好の生家(町家)を改装し、NPO法人塩谷定好フォトプロジェクトが中心に運営しているそうです。 

 「Café汐風通り」でランチをいただこうとお昼どきに到着したのですが、現在ランチメニューは中止しているそうで、残念ながら、たいやきセットなどを食べました。カフェで休憩したあと、写真館を案内していただきました。スタッフの方が部屋や写真を紹介してくださったおかげて、一つひとつの部屋が以前はどのように使われていたかを詳しく知ることができました。また、建物にはいたるところに細かい意匠や仕上げがなされており、建築が好きな人も、写真が好きな人も、両方が楽しめる場所だと思いました。最近では雑誌などに紹介され、北海道や九州の方からも観光客が訪れているそうです。館内展示の写真も定期的に入れ替わるようなので、一度訪れた人にももう一度足を運んでもらいたいと仰ってました。写真館から出てすぐのわき道を抜けると、そこは菊港です。町並みもとても綺麗で、N君も私たちも大満足でした。


141026 赤碕・河原町案内②   141026 赤碕・河原町案内①


続きを読む

サテンドール(ⅩⅩⅠ)

1026ポーズ06珈琲樹001 1026ポーズ06珈琲樹002


珈琲の樹

 先週末、近所の「ポーズ」がちょっとだけ位置を変えて新装開店していることを知った。午後4時5分に入店したところ、「日曜日は4時までです」と可愛ゆく微笑まれ、しばし立ち止まり、にわかに退散したのです。
 捲土重来。24日(金)のカフェタイムに再訪し、ベランダでのんびり珈琲を啜る。目の前のため池では鴛鴦が泳ぎ、その横の田んぼでは藁積みからほのかな煙が立ち上っている。
 新しいレストランはいかにも建築家が設計した風の建物である。音楽はJazz。JBLのスピーカーが縦2段に積み上げられ、その横にプレーヤーがおいてあるから、LPをまわしているのかと期待したが、音はそうではない。美貌のマダムによれば、

  「主人がオーディオ好きなんですけど、あのプレーヤー壊れてるんです」


1026ポーズ03


 よく考えてみると、プレーヤーが機能しているなら、スピーカーを縦に重ねないわな。残念なことだけれども、我らがバップはパソコンに接続された小型のスピーカーから流れていた。0と1の世界である。

  「前の店ではニール・ヤング流してたでしょ・・・今度はジャズ??」
  「はい、それも主人の趣味なんです」

とやや冷めた反応。思い切って「ベイシー」に話題を転じてみたのだが、まるで関心なし。「料理が忙しくて、音楽どころじゃないのよ」って顔つきでした。「この人も主人と同じ類型の男なんだわ」という諦め顔のようにもみえた。

 ベランダでとても気分のよい時間を過ごしたものだから、2日後の日曜日にもランチタイムに訪れた。とても暑い秋日和で、またベランダのテーブルに腰かけた。ランチはまぁまぁ。カフェセットを★★★★とすると、ランチセットと音楽は★★★かな・・・ 患者と話し合った結果、「サテンドール」の洋食が一枚上という評価に落ち着いた。ただし、環境は★★★★★の最高点、建築は(やめとこう)
 ベランダはこの日も最高だった。ため池の波に反射する陽光の揺らぎをみているだけで気持ちが落ち着く。もう少しこの場所にいたくなるのだ。おかげで、デザートを注文した。前回は赤紫蘇ジュースを追加注文したのだった。うまい仕掛けになっている。


1026ポーズ02



続きを読む

京大生同行記(Ⅱ)

2014摩尼寺コンサート最終ゲラ01圧縮 2014摩尼寺コンサート最終ゲラ02


摩尼寺コンサートまで1ヶ月

 鳥取で卒業設計するという京大生N君の案内2日目です。10月25日(土)、2番手は私と白帯さんです。目的地は摩尼山。じつは隠れたミッションが3つありました。

 1)摩尼寺コンサート2014最終ゲラ(↑)を関係者に届ける。また若干の書類を受け取る。
 2)「奥の院」で原木栽培しているシイタケの成長を確認する。
 3)三祖堂・閻魔堂・善光寺如来堂の枝数を平面図に追記する。


141026 N君摩尼山 一本丸太  141026 N君摩尼山 三本丸太


 摩尼寺門前に着いた私たちは、正面階段の脇路から奥の院を目指しました。途中にある一本丸太橋や三本丸太橋など見慣れた景色もN君とっては初めて経験する場所です。一つひとつ驚いてくれるので、新鮮なリアクションがとてもうれしいです。


141026 N君摩尼山 巨巌前にて


続きを読む

京大生同行記(Ⅰ)

20141024青谷上寺地遺跡遠景 20141024青谷資料館②

 
青谷上寺地へ 

 先週22日(水)のゼミに京大生N君があらわれました。自分と同じ4年生で、どういうわけか鳥取を舞台にして卒業設計に取り組みたいということで、先生に相談があったみたいです。N君は1週間鳥取に滞在し、できるだけ多くの建築をみたいということなんですが、車をもってきていない、ということで、車をもっているゼミ生が輪番で4日間対応することになりました。みんな卒業研究を抱えた忙しい時期なので、できるだけ自分の卒研に関係あることにお連れすることになりました。
 トップバッターは自分です。10月24日(金)。青谷上寺地遺跡展示館・収蔵庫と鹿野の城下町の視察に行ってきました。卒業研究で松原田中遺跡を担当することになった私ですが、遺跡というものを全く知らず、勉強も兼ねて青谷上寺地遺跡の建築部材をみたいと思っていたので丁度良い機会になりました。
 私たちはまず展示館に足を運びました。展示館では職員の方が丁寧に説明してくださいました。
 青谷上寺地遺跡は鳥取市青谷町に位置する弥生時代を中心とする集落遺跡です(弥生時代前期~古墳時代前期:今から2200年前~1700年前)。これまでの調査で弥生時代の暮らしに関わる数多くの遺物が出土しています。弥生人の脳をはじめ土器、木製品など通常の遺跡では朽ちて残らないようなものまで非常に良い状態で出土しており、2200年も前のものを目の当たりにできました。


20141024青谷資料館②

 
 続いて鳥取県埋蔵文化財センター青谷調査室を訪問し、収蔵庫の中を見せていただきました。この収蔵庫には多くの建築部材、土器や木製品などの遺物が保管されていました。なかでも驚いたのが長さ7m24cmにもなる柱です。大変長く、径も20cm前後であったため、最初は柱ではないという意見も出たそうですが、仕口をきれいに整えて貫をかませば十分柱は立つという説明を受けました。
 今回の青谷への視察を参考にして松原田中遺跡の卒業研究に取り組んで行きたいとおもいます。


20141024青谷柱 20141024青谷盾復元


続きを読む

メンバチョ-炎たつ湖(3)

1024 炎たつ湖 11 1024 炎たつ湖 12 p11-12


 その子どもは成長して、並外れた人物になりました。聖なる秘宝の発見者、タートンとなったのです。タートン・ペマ・リンパは最高に驚異的なことをやってのけることができました。岩の隙間に手を入れたり、川に飛び込んだりして、驚くべき品を持って帰ることができたのです。たとえば、書物や巻物、儀式用の短剣(プーバ)、ときには、口をきくことのできる仏像までも。


1024 炎たつ湖 13 1024 炎たつ湖 15 p13・15


 こうした宝物はテルマと呼ばれ、神聖で貴重なものです。それらを見たり聞いたりした者はみな、畏敬と驚きの念であふれるのです。


1024 炎たつ湖 14 p14


 . かつてタートン・ペマ・リンパは燃える松明(たいまつ)を手にもったままタン川の淵に飛び込みました。. 彼は暗い水底に消えていったのですが、仏像をもって水上に現れたのです。おまけに、手にしていた松明の火は消えずにあかあかと燃えていました。


1024 炎たつ湖 16 1024 炎たつ湖 17 p16-17


 それから、この山峡はメンバツォ、すなわち「炎たつ湖」として知られるようになりました。今では、メンバツォを、多くの僧や尼僧が訪れます。彼らが、この聖なる場所へ降りていくときには、心をこめて聖歌を歌うのです。【経営学科2年N.R】(続)


1024 炎たつ湖 18 p18



続きを読む

メンバチョ-炎たつ湖(2)

1024 炎たつ湖 04 1024 炎たつ湖 05 p4-5


 ねえ、ブンタンへ行きませんか。
 ティンプー(首都)の都市生活の華やかさと喧騒からのがれ、東へ向かいましょう。山を登り、山峡を渡り、松の植林されたブンタンの谷まで下りていきましょう。
 これからお話しする物語は、これらの谷筋の一つ、タン渓谷に伝わるものです。


1024 炎たつ湖 07 1024 炎たつ湖 08 p7-8


 これは私のおじいちゃんとおばあちゃんが話してきかせてくれた物語です。おじいちゃんとおばあちゃんは、自分たちのおじいちゃんとおばあちゃんからこの話を聞きました。そして今、私はあなたたちにお話します。だから、あなたも自分の子供たちにこのお話を語り継ぐでしょうし、子供たちもまたその子供たちに語り継いでいくでしょう。


1024 炎たつ湖 09 p9


 何百年か前、タイという土地の平凡な家庭で一人の子供が生まれました。いまタイは大昔の村の廃墟以外は何もないところです。タイはベブズール(ゾンカ語で「カエルの背」)と、クンザンドラッ(同じく「完璧な崖」)の間に位置しています。こんな名前をもつ場所を覚えられないわけないよね? [環境学科2年I.K]


1024 炎たつ湖 10 p10


続きを読む

なっぱ植えたぞ!

141023ハーブ引き抜き ←ハーブ引き抜き


ハーブ園に冬野菜

 10月23日(木)。前日のゼミで畑仕事をする予定だったんですが、一日中雨降りで、一日延期されました。前期、「廃材でつくる茶室」の裏手を開墾してできたハーブ畑を整備し、冬野菜を植えた。
 菜園にはハーブがかなり茂っており、まずはそれを引き抜いていく作業から始めた(↑)。3年生6人で手分けして片付けたのだが、予想よりもハーブが生長していたので、時間と手間がかかった。抜いたハーブは畑の外にまとめておいた。生命力が強いらしいので、来春には菜園の外から芽吹いてくるかもしれない。


141023鍬での作業


 ハーブを抜き終えた後は、鍬を使って土を耕した。周囲の樹木から伸びた根や小さな石がたくさん混じっていて、5分もすれば腕が疲れてきた。土も若干粘土質で固まっており、この日一番の体力を使う工程だった。
 柔らかくなった土で畝を3つ作り、全員で野菜の苗を植えた。苗は前日(22日)に購入したもので、水菜、白菜、レタス2種類。全てが畝にちょうどよく収まったのでほっとした。


141023畝と苗 1023なっぱ01



秋のシイタケ初収穫!

 シイタケがすでに数本原木で成長しているという情報を得ていた。この秋の初収穫だ。大小さまざま28枚ものシイタケと唐辛子3個が採れた。この原木はもちろん2014年に種駒を植え付けたもので、今春のものではない。昨年は摩尼山の方が早く成熟し、数もたくさん採れたと聞いている。さっそく白帯さんたちが土曜日に上ることになった。
 シイタケは美味い。とくにチビ椎茸がおいしいですね! (きい)

1023なっぱ10しいたけ01


続きを読む

徳島科学史研究会講演会のお知らせ

 徳島科学史研究会主催の第3回「科学史講演会」で講師を務めることになりました。日時等を以下に記しておきます。

   日 時: 11月15日(土)13:00~14:30
   会 場: 徳島大学常三島キャンパス 総合科学部1号館   
         南棟3階 第一会議室(徳島市常三島町)
   講 師: 浅川 滋男(鳥取環境大学教授)
   演 題: 大国主と卑弥呼の宮殿
          -出雲大社境内遺跡と纏向遺跡の大型建物を復元する-
   
   参加費 無料

【講演要旨】
 出雲大社に「上古は32丈(96m)、中古は16丈(48m)、今は8丈(24m)」という社伝が残っている。上古の高さ96mはありえないにしても、中古の高さ48mは可能だということで、福山敏男博士が戦前に棟高48m説を発表し注目を集めた。戦後になってこれを批判する風潮が高まったが、平成8年(2000)、出雲大社の境内で巨大本殿跡が出土し、高さ48m説が息を吹き返した。はたして中古の出雲大社はどれほどの高さを誇ったのだろうか。大国主命の宮殿について持論を述べる。一方、奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡では、平成17年(2009)、卑弥呼の宮殿と目される4世紀前半の大型建物群がみつかった。纏向遺跡が邪馬台国に比定される根拠を述べながら、「卑弥呼の宮殿」を復元的に考察する。卑弥呼が天照大神!?


続きを読む

倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(ⅩⅩⅢ)

20141019 オクトーバーフェスト①   20141019 オクトーバーフェスト②


スナーバックス-秋の地蔵盆(2)

 10月19日(日)。河原町に到着すると東地蔵の前で「地蔵ふれあい市」がおこなわれていました。さまざまな種類の野菜が販売されており、地域住民の人が店番をされています。お昼過ぎになるとたくさんの野菜はほぼ完売していました。普段でも1時間半もすればほとんどの野菜が売り切れるそうです。それだけ「地蔵ふれあい市」が地域住民にとって大切な行事になっていると感じることができました。


20141019 オクトーバーフェスト③ 


 また、この日はNEXT100の活動の一つ「くらよしAIR」に参加しているアーティスト永本冬森さんにヒアリングをさせていただきました。永本さんは、カナダ・トロントを拠点に活動する現代美術家であり、「スナーバックス」プロジェクトを計画した人です。「スナーバックス」プロジェクトとは、”近所にスタバができました感”を体験しながら、来年スタバが来ることによって生まれる摩擦を軽やかに、ポジティブに、回避してみようというアートプロジェクトだそうです。「スナーバックス」カフェはテント式の「移動カフェ」で、空き地や公園などの砂場があるところに出店することになっており、メニューは日替わりで飲み物だけとは限らず、地元の名品や選りすぐった逸品をお届けすることにしているそうです。この日販売されていた缶バッジは一日だけの限定販売で、倉吉の蔵がロゴマークの頭に乗っていました。永本さんは外から来たものは最初みんな飛びつくけれど、それは瞬時のものであり、このような活動でやっぱり地元の物産にもう一度魅力を感じてもらい、それを若い人がひろめてくれたらうれしいと話してくださいました。(写真↓の女の子は倉吉の出身の環境大学生でありNEXT100のメンバーだそうです)


20141019 オクトーバーフェスト④


続きを読む

倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(ⅩⅩⅡ)

20141018 オクトーバーフェスト②


オクトーバー・フェスト-秋の地蔵盆(1)

 10月18日(土)・19日(日)。倉吉の河原町(かわらまち)で「オクトーバーフェストin名倫地区」が開催されました。このイベントは倉吉商工会議所と河原町が合同で主催する「秋の地蔵盆」です。主催組織の倉吉商工会議所がNEXT100や地元企業などに声をかけ出店してもらっています。河原町自治公民館は地蔵ぜんざい無料配布と19日の地蔵ふれあい市がおもな活動です。
 ところで、「オクトーバーフェスト」とは毎年ドイツのミュンヘンで行われているビール祭りのことであり、現在世界で最も規模が大きいお祭りといわれています。そんな本場のドイツビールを日本でも楽しもうと、横浜でオクトーバーフェストが開催されて以降日本各地でも行われるようになりました。


ベルリンのビール自転車 ←ベルリンのビアサイクル


 18日(土)午前10時前に到着してまずはどの範囲でイベントが開催されているかを把握して回りました。私たちは東地蔵から西地蔵までの範囲全てが祭りの会場だと思っていたのですが、東地蔵を中心にして空き地などに拠点を置き出店されていました。夏の地蔵盆とは違い、朝早くから大勢の人で賑わっていました。賑わいの中心ははやり五叉路周辺です。鉢屋川の鯉にえさをあげる川縁には人だかりができ、天野種苗店さんのビニールハウス脇の広場にベンチなどが置いてあり、大勢の人が集まっていました。
 一方、西地蔵周辺には人が滞留するスペースがなく、イベントに訪れた人を見かけることはさほどありませんでした。一通り状況を確認したあとユート君と白帯さん、3年生は町内の出店などの手伝い、セツさんには河原町についてヒアリング、私は東地蔵周辺の配置図作成、ケント君には西地蔵の配置図作成のサポートをしてもらいました。12時からと15時からは地蔵ぜんざい無料配布だったのですが、配布される前から行列ができており、両時刻とも配布開始から10分以内に100杯が完売してしまいました。それだけ多くの人がこのイベントのために河原町を訪れてくれたのだと実感しました。


20141018 オクトーバーフェスト③   20141018 オクトーバーフェスト④


 私は配置図作成終了後、「味の素」看板をかけた町家の前で出店しているレンタサイクルを訪れ、ヒアリングをさせていただきました。このレンタサイクルは鳥取市にあるサイクルセンターヨネザワが今回商工会議所に声をかけてもらって出店することを決め、普段はやったこともないレンタサイクルをすることになったそうです。なんでも、河原町を初めて訪れた時に町並みに惹かれたそうで、またこのようなイベントに出店したいと仰っていました。


20141018 オクトーバーフェスト⑥   20141018 オクトーバーフェスト⑦

続きを読む

倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(ⅩⅩⅠ)

1020近江八幡調査1


重伝建近江八幡-石畳の小路


 倉吉を舞台とした卒業制作で重伝建の活性化と空洞化の対策を背景に、空き地に観光施設を設計することになった私ですが。この週末、参考のためにかねてから行きたいと思っていた近江八幡へ行ってまいりました。
 滋賀県にある近江八幡は、豊臣秀次が築いた城下町を基礎としつつ商業都市として発展しました。背後に八幡山がそびえ、八幡堀沿いの町並みを中心に日牟禮八幡宮境内地、新町通り、永原町通りの4箇所が「近江八幡市八幡重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、多くの人々が訪れる観光地として賑わっています。


1020近江八幡調査2


 この地を訪れた私は、まず観光客の多さに驚かされました。町並みに調和するよう舗装された歩道を歩く人々の数は私の想像以上でした。並木の立ち並ぶ町並みを歩きながら今回の視察のメインである八幡堀「石畳の小路(こみち)」に向かいました。八幡堀「石畳の小路」は一際目を引く観光施設であり、街の中心を走っている大通りと八幡堀沿いの遊歩道をつなぐ小路およびそれを囲む長屋風店舗群です。小路は空き地に造成された人工的な道路であり、周りのショップも新築されたものです。


1020近江八幡調査3  1020近江八幡4


 小路は5つの建物で構成されており、大通りには2つの建物が面していますが、片方は少しセットバックしていて石造りのベンチや和傘風の日よけなどで人々が滞留しやすい空間になっていて、店では鮎の佃煮・薫製や漬物などのお土産を販売していました。大通りに面した方の店は主に、この地域のブランドである近江牛を使った肉料理を販売していて、揚げたてのコロッケやメンチカツの匂いが食欲をそそります。観光客を小路に誘う仕掛けになっているのです。小路の門をくぐり石畳の路を入っていくと、小路は途中で鍵型に1度折れ曲がっており、先が見えないようになっています、これも人に興味を抱かせる演出になっていると感じました。中のショップはスイーツなどを食べることができる甘味屋さんと、アクセサリーなどを取り扱っているショップさんでした。甘味屋さんの店内は15人ほどのこじんまりとした食事のスペースでしたが、2階はゆったりとした雰囲気の食事スペースになっていました。小路最後のショップは町家ではなく、土蔵をもして造られた雑貨屋でした。この短い小路の中に5つの異なるターゲットを狙ったショップがバランスよく配置され、訪れた人が通り抜けるだけでなく、滞留して休憩したり買い物をしたりできる空間としてしっかりと機能していました。


1020近江八幡4



続きを読む

近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究(Ⅷ)

141017唐招提寺と宝塔寺02 141021唐招提寺戒壇院南門虹梁絵様


 修士2年次中間発表で米子八幡神社拝殿蟇股の年代観を確かめるために、天沼俊一の名著『日本建築細部変遷小図録』(1944)に記載されている蟇股の類例を探しました。その結果、拝殿側柱筋蟇股(A05・A06)は唐招提寺戒壇院南門蟇股(1696頃)、拝殿・幣殿境蟇股(D03・D04)は宝塔寺多宝塔初重東側蟇股(1590頃)によく似ていることが分かりました。それを棟札年代と照合し、天保13年(1842)に再建された現在の拝殿は、延宝期の旧社と天正期の旧々社の蟇股を継承したものではないかという結果を得ました。
 10月16日(金)、唐招提寺(奈良)と宝塔寺(京都伏見)を訪れる機会に恵まれました。その成果を報告します。


唐招提寺戒壇院南門の絵様と蟇股

 南都六宗の一つである律宗の総本山。苦難の末、来日をはたした鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の隠居寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。金堂は8世紀終盤、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により竣工したと言われます。
 唐招提寺の戒壇は天平の創建当初から存在していましたが、中世に廃れ、江戸時代になって徳川綱吉の母、桂昌院の寄進により元禄年間に再興されました。戒壇堂は元禄9年(1696)の上棟であり、南門もほぼ同時期の建立と推定されます。戒壇堂は嘉永元年(1848)の放火で焼失しましたが、南門は現存しています。虹梁に残る絵様は渦が正円に近く、線が細めであり、17世紀末の様式を示しています。蟇股の実物を見て米子八幡神社側柱筋蟇股と形状・スケールがよく似ていることが確認できました。


141017唐招提寺と宝塔寺03
↑唐招提寺戒壇院南門蟇股

141021米子八幡神社拝殿 側柱筋蟇股表面(A05)
141021米子八幡神社拝殿 側柱筋蟇股表面(A06)
↑米子八幡神社側柱筋蟇股(上・A05、下・A06)



続きを読む

閉塞

 患者は14日から16日にかけて吹田の国立循環器病センターに検査入院していた。カテーテルのためである。
 16日、患者を迎えに行った。地下のガンマナイフ手術室に近いパソコン部屋でMRIおよびカテーテルの画像をみながら、医師の説明をうけた。
 脳動静脈奇形は閉塞している。病気が治ったわけではない。患者は杖歩行者であり、言語障害があり、右目の視界が極端に狭い。しかし、今後、奇形から脳内出血を招く可能性は0%になった。
 1度めのガンマナイフが2005年の秋だった。その年のクリスマス、術後に病気が平癒したような錯覚に陥り、タイを旅した。二人で象にのった楽しい思い出がある。出血はその1年後のことだった。半年余りのあいだに3度か4度出血して入退院をくりかえした。その年の冬にはいちど快気祝いを配っている。ところが、2010年の春にまた出血した。奇形は小さくなっていたが、閉塞はしていなかったのだ。再びガンマナイフの手術をうけた。それから4年半、最初のガンマナイフから9年経った。40代だった私たちは還暦が近くなっている。
 それでも、9年間我が家を覆っていた暗い雲が遠くに流れ、晴れ間がのぞいてきたような気がする。まもなく父の7周忌になるので、法要と快気を兼ねたささやかな会を催そうと思っている。


1016循環01 1016循環02


メトの大冒険(1)

鏡20141016172516003 1016 メトの大冒険 01

【表紙】  メトの大冒険
 
  文  :ルイス・ドルジ  Louise Dorji     
  挿図 :ローペン・プーバ Lopen Phurba


 著者のルイス・ドルジは1970年代のブータンにおけるラジオ放送(ラジオNYAB)の開拓者の一人です。彼女はブータンの放送業界で18年間働きました。ルイスは現在、現役を引退し、3人の息子と孫娘たちに囲まれてティンプーで暮らしています。彼女の著書『川は流れる』『メトの大冒険』の販売売り上げはすべてタラヤナ財団に寄付されています。挿図は伝統的なタンカ(仏画)画家のローペン・プーバによって手描きされたものです。(環境学科1年O.Y)

-
前付
メトの大冒険
ISBN 978-99936-634-5-4
出版 タラヤナ財団


1016 メトの大冒険 00 1016 メトの大冒険 03 P3


メトの大冒険

 メトはふわふわした毛並みを持つ白い子犬でした。その子犬は、ヒルサイドの家に住むチェチェイという少女に飼われていました。チェチェイとメトが一緒に遊んだ大きな庭がありました。メトは庭に飛ぶ蝶々や、チェチェイが投げた赤いボールを追いかけてつかまえるのが大好きでした。その子犬は、銀色に輝く飾りをつけた可愛らしいピンク色の首輪をはめていました。チェチェイは、毎日メトの白くて柔らかい毛並みをブラシで梳いていました。


1016 メトの大冒険 04 P4



続きを読む

日韓環境デザイン学生交流会を終えて

1015交流会02 1015交流会01 - コピー


 10月15日(水)、表記の交流会を無事に終えました。ASALABは参加学生がいちばん多く、会のもり立てには貢献したと思います。会長が韓国における日式住宅の修復で協力してきた金先生(女性)が3時間にわたって通訳されました。お疲れさまです。私の発表内容は以下のとおり。

   山陰地方の岩窟仏堂

    1.岩窟・岩陰と複合する懸造(かけづくり)の仏堂
        三仏寺投入堂 不動院岩屋堂 鰐淵寺蔵王堂  
    2.日本の石窟寺院  
    3.めざせ、ブータン!

 鳥取・島根の岩窟型仏堂から思い切ってブータンに飛びました。講演時間は45分、学生の発表ではやや押されていたので、私の役割については自覚していたつもりです。
 それにしても、本学の男子学生はひ弱ですねぇ。腹くくってしゃべりなさいよ。(組長)


1015交流会04 


続きを読む

日伯戦@新嘉坡

 なんと申しますか、アジア大会に派遣するB代表とでもいうべきメンツで試合が始まった。なんか似たような記憶があるのね。オシムだな。代表監督就任直後のオシムは、Jリーグ選抜で代表戦に臨んだ。とくに千葉の選手をたくさん使った。山岸という選手には驚いたね。あれが代表の左サイドか。山岸なんて、そもそも名前が悪いやね、いやっ、山岸舞彩がいるな、山岸の全部が全部わるいわけじゃない・・・前半は、あんなメンツで善戦した方だよね。結構パスも通ったし、コンフェデの伯剌西爾戦に比べればマシだったかもしれない。

 ハーフタイムにマルイまで買い物にでかけた。雑炊にいれる卵がなかったからなんだ。帰宅したら0-2になっていた。本田さん、でているじゃないの。球がまわらなくなってる。本田には香川が必要だね。なんやかやいっても、あの二人は息があってる。
 ネイマール4点。カカは太ったね。痩せてほしいな。私みたいになって欲しくない。ドゥンガ、万歳!

 前半をみる限り、セレソンも心配だった。世界相手に通用するだろうか。ネイマールさえ潰せば機能しなくなるんじゃないかと。
 メキシコ人の監督を呼んだのは守備を強化するためでしょ。昨日の伯剌西爾なんて、1失点以内に抑えられるよ。守備重視で4失点なら、ザッケローニの方がましじゃないか。

  我希望監督交替、大仁辞任、原更迭。




倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(ⅩⅩⅠ)

1010河原町01調査風景03


倉吉河原町、秋の地蔵盆近し!

 10月10日(金)。先生以下、3年生5名、4年以上5名の計11名で倉吉へ。河原町の連続立面図の続きとポール君の卒業設計敷地周辺の立面スケッチ(重伝建地区)を進めました。私を含む7名は、小川酒造から小鴨川方面にむけて約20棟を描き始めました。3年生5名と白帯さんに補助してもらえたので、作業はスムーズに進み、スケッチをほとんど終えることができました。今回は、絵の上手なM君に町の中核になっている小川酒造のスケッチを任せました。どのようなスケッチに仕上がる楽しみです。
 今回のスケッチで約70棟ある建物をほとんど描き終えたので、残りは自分自身で倉吉に行って描き進めていこうと思います。今回の連続立面図はCADで図面起こしをするのではなく、スケッチを縮小して繋ぎあわせる予定です。今後は、一人ひとりが描いた立面をPhotoshopなどを使用して貼り合わせ、河原町・鍛治町の手描きの町並み連続立面図を完成させたいと思います。手描きの図面は一人ひとり人間味を映し出します。完成品がとても楽しみです。



1010河原町01セメント01 1010河原町01森脇家住宅01


続きを読む

摩尼寺紅葉コンサート2014へむけて(Ⅱ)

1012 思い出の摩尼 下見 味噌田楽02 1012 思い出の摩尼 下見 味噌田楽01


コンサートでは甘酒無料、屋台もでるよ!

 オーキャンは閑古鳥。昼食券をもらって学食行ったんですが、不味いね。隣にいた学生スタッフによると、「昨日よりはマシ」だそうです。公立化しても、学食は改善されていない。よくありませんね。なんとかしてほしい。
 研究室に戻ってもお客さんは来ない。ゼミ生連れてさっさと摩尼寺へ。
 この日は「まにでら秋のお祭り」。正式には摩尼寺法華会式という。ただし、門前に着いたら午後3時をすぎていて、行事は終わっていた。白いブラウスを身にまとう女性が群れをなして石段をおりてくる。もっていったコンサートのチラシ・ゲラを3~4人に一人ぐらいの割合で渡していった。


1012 思い出の摩尼 下見 白服02 1012 思い出の摩尼 下見 白服03


 境内にあがると、おおぜいの男性スタッフがテントを片づけていた。かれらは白い法被を着ている。そこに「立正校正会」の5文字を発見。そうか、このお祭りは主催が天台宗摩尼寺だが、共催が「天台宗金剛座寺/立正校正会鳥取教会」となっている。そうしてみると、「法華会式」という表現にも頷ける。昨年まではなかった祭りなんだ。

 境内にあがって屋台の経営者にお願いした。11月29日のコンサートでも出店ほしい、と。前日、保存会には無料配布品もお願いして、結果、「甘酒無料」が決まった。みそ田楽、ぜんざい、珈琲などは有料だが、そんなに高くはならないだろう。加えて屋台もでる。だんだん楽しみが増えてくるね。

 門前に下りて、2日連続で田楽を食べた。柚味噌の風味は抜群で、ケントとユートが1パックずつ味噌を買った。じつは私も前日2パック買っていた。いよいよ大根のシーズンだからね。ふろふきには百万力の味噌だね。


1012 思い出の摩尼 下見 白服境内 1012 思い出の摩尼 下見 交渉01
 

ジャマイカ

141011 オープンキャンパス1日目02 141011 オープンキャンパス1日目01


 蹴球酒場でジャマイカ戦をみた。ひどい試合だったねぇ~~
 閑散とした酒場がいちばん盛り上がったのは、長友のバックパスがジャマイカFWにさわられ、カウンターをくらった瞬間でした。あっあ~~っっ
 こういう試合は最後に1点チョコンとやられて終わるもんだ。そうつぶやいていたので、予想が的中するかと胸躍らせたのですが、結果は0-1。オウンゴールの1点のみ。ホームで、相手はジャマイカ。
 監督交代だね。原更迭、大仁辞任。革命だ! 天龍と長州、読んでこい!!

 その2日前、高校・大学を通じての同期生から電話があった。大学時代に所属していたチームが雲散霧消したとの報せに・・・驚きもしなかった。

   「諸行無常だからねぇ」
   「ほんと、40年もよく続いたもんだ」

 一方、OB会は健在で年に1度の集まりが妻恋であるというが、後期は入試、オープンキャンパス、父兄懇談会などが目白押しでスケジュールがきついし、「サッカーがおもしろくない、興味がわかない」と何度か述べた。
 ジャマイカ戦みたいな試合をみせられたら、サッカー嫌いに拍車がかかる。期待の女子バレーも悲惨だったけど、サッカーはその比じゃないね。なんとかしろ、バカヤロー(憤)!!

 ジャマイカ戦の翌日から秋のオープンキャンパスなんすが、AO入試の後だからねぇ、客足はいまひとつ。それでも2時間で3組の来室がありました。ちはらせいじの番組をみてアジア・アフリカに心ときめき、それならコイツだと高校教師に私を推薦されはるばる東海からやってきた女子学生、古生物の化石が好きだといいながら考古学にも興味があるという男子学生とやさしいお母さん、鳥取まできたけど在学中の学生が会ってくれないと言って毒を吐いてったおっかさん・・・みんな無印のレモングラス茶を「美味しい」と言って帰っていかれました。
 もう一日ある。台風が怖い。



↑なんだこれ、「クリスマス・イブ」でないの?


続きを読む

メンバチョ-炎たつ湖(1)

1009 炎たつ湖p00


 2014年度後期のP2&P4は「初級英語で読むブータンの絵本」という題目です。1年生が童話、2年生が昔話を読むことになっていて、いよいよ輪読が始まりました。まずは2年生担当の昔話「メンバチョ-炎たつ湖」からですが、1回めは前付け部分の訳で時間を費やしました。


ペマ・リンパ紹介

 タートン・ペマ・リンパは、タン渓谷の牛小屋(バリブラン)で生まれ、つらい幼少期を過ごしました。ペマが生まれておよそ1年がたち、お母さんはペマにお乳をあげることができなくなりました。お母さんが弟のグルを生んだからです。ペマは、こういうわけで、おじいさんに蜂蜜やバターを食べさせてもらい育てられました。ペマのおじいさんは鍛冶屋でした。ペマは幼いころからおじいさんと一緒に働き、鍛冶屋、銀細工師、大工、石工、仕立屋などの技を学びました。
 しかし、ペマ・リンパはとても信仰心のあつい少年でした。子どものころ、遊びながら寺院やストゥーパ(チョルテン)をつくったり、祈りの歌をうたい、放牧している羊の群れに喜びの言葉を与えたりしたものです。ペマ・リンパが、後に偉大なタートン(秘宝の発見者をさす尊称)の一人となり、多くの秘宝の発見者になったのは、彼の信仰心のあつさ、精神的なパワー、そしてグルリンポチェとの強い結びつきによるものでした。
 タートン・ペマ・リンパは、ヒマラヤ仏教世界(ブータン・チベット・ネパール)において傑出した偉業を成し遂げ、彼の教えや血脈によりひろく影響を及ぼした点において、ブータンがこれまでに輩出した最高の人物です。彼の人生と業績は、世界中のおびただしい数の人々の生きかたを方向付けしており、ブータン人のアイデンティティを確固たるものにしています。彼はブータン一の文化的英雄であり、精神的な父です。画家であり、建築家であり、仏僧、旅人、作家、詩人、交渉人であり、また大家族の長でした。彼の人格と人生については、簡単な記録や説明しか残されていませんが、彼の遺産はすべてのブータン人の生活に浸透しています。

 クンザン・チョデン -やはりタン渓谷の出身です- が著したこの詩的な物語は、1476年にペマ・リンパがメンバツォでおこなった2回目の宝さがしについて、美しい語り口で叙述したものです。ブータンの人びとには「トロンター」として知られる話ですが、このエピソードは、ペマ・リンパの一生の中で奇跡をおこし、宝物を手に入れた物語として、最も有名な事例です。ペマ・リンパ自身、自伝の中でこの出来事について記しています。

   崖の上で群衆を前にして、私はバターランプを手に、誓いの言葉を唱えながら、
   湖に飛び込みました。「もし私が悪魔の子ならば、この川で死んでしまいますように。
   もし私が、グルリンポチェの愛弟子であるならば、みなが待ち望んだ宝をもち、
   ランプの灯もそのままにして、ここに再びもどって来られますように」と。
   一部の見物人は、「彼は不名誉から逃れるために自殺したのだろう」と言いました。
   他の人は、私の両親に「あなたの息子は自殺してしまいました」と伝えましたが、
   私は怪我することもなく、仏像と刻印のある骸骨とともに湖からもどってきました。


続きを読む

上方往来を描く-河原宿(2)

141008 河原宿04


 10月8日(水)、先週に続き、ゼミの時間を利用して河原宿を訪れた。今回は4年生も一緒で、ゼミのメンバーが勢揃いした。天候は晴れのち曇り。
 3年生は各自担当の町家に散り、細部を計測しながらスケッチした。自分とM君は上方往来町並みの目玉、谷口家住宅を続行して担当したが、他のメンバーは町並みの歯抜けが多いということで、担当の町家がこの日変更された。先週は高さ計測機がなかったため、今回は家屋や植樹などの高さも含めた寸法も計測した。私は扉の幅や窓の間隔などの細かいところの写真撮影ができてなかったので、写真撮影や計測に時間を費やすこととなり、スケッチはあまり描き進めることができなかった。


141008 河原宿03 141008 河原宿01


 先週撮影できなかった表通りの西面が2年生のスケッチ対象になったため、白帯さんが真っ赤な一眼レフで立面を撮影していった。先週よりよく晴れていて、撮影をすると影が濃くなりすぎてしまい、なかなか難しかったようだ。表通り西面は町家が多く、写真は膨大な量になった。結果、表通りと蔵通りの撮影を終えることができた。
 4年生は先生に説明を受けながら町並みを見てまわり、2年生がスケッチする建物に番号をつけていった。最後は講義を終えた会長さんが合流し、倉吉町並み調査の打ち合わせをしながら、全員で町並みを見て歩いた。会長さんや4年生には、河原宿の暖かい町並みを感じていただけたと思う。


141008 河原宿02

続きを読む

無粋な手すり-摩尼山破景

0930岩肌の手すり03 0930岩肌の手すり04サムネイル


 9月末日におこなった摩尼山トレックの余話です。
 立岩から山道を下り、六角堂を経て、善光寺如来堂背面の岩山から境内に降ります。最後の岩山の道は尖った岩肌になっており、けが人も出ているそうで、危険だとは思っていました。今回見てみると、単管パイプの手すりが設けてあります。銀色に輝く手すりです。しかも、柱となる単管を岩山に打ち込み、セメントで固めているではありませんか。たしかに手すりができたことで、以前より歩きやすく、けがの心配もなくなりましたが、しかし、それにしても、風光明媚な霊山の風景になんの思いやりもみられないのはどうしたことでしょうか。将来的には史跡・名勝にしていきたいと考えている景勝地です。岩山に穴をあけるのも困りますし、機械のような手すりも困ります。「奥の院」の斜面に張られたロープにしても、色には気遣いが必要です。いまのままでは「破景」としかいいようがありませんね。


0930岩肌の手すり02 


 下山して茶屋のあたりをうろうろしていると、先生の携帯電話がなりました。新聞記者さんからの連絡で、摩尼寺が記事になったことを知りました。さっそくコンビニに寄り、新聞を買いました。下にスクラップしておきます。
 毎日に先駆け朝日でも摩尼山トレックが記事になったと聞いています。こうして、従来顧みられることが少なかった摩尼山ミニトレイルがメディアの注目を集めるのは喜ばしいことですが、その一方で、景観を無視したロープや手すりが摩尼山の風景を台無しにしています。
 一言相談してくれれば、いくらでもアドバイスしてあげるのに。残念なことです。


0930奥の院の黄色いロープ01


0930 摩尼寺周辺記事
↑毎日新聞(14.09.30)より

野木町煉瓦窯

 いつも修理工事が終わると竣工写真を送ってくれる技師さんから、今回は煉瓦窯の写真が届いた。正式名称は、重要文化財「旧下野煉化製造会社煉瓦窯」という。いわゆるホフマン窯ですな。ブータンのホテルには、こういう形をしたレストランがよくあるんだが、「さてこれはなんでしょう」と学生に問うたこともある。遊牧民のテントが巨大化したものなんですね、ブータンの場合。もちろん、ホフマン窯と遊牧民の関係などないけどさ。
 竣工すれば、渡り鳥さね。現場を変わる。異動です。しかし、今回はちがった。独立するとの報せに驚き、電話をかけてみた。声は明るい。ポジティブな未来にむけての退社だと知って喜び、逆に関心が薄れてしまった。幸せならそれで結構。そうでない場合がやっかいだ・・・

 異動といえば、研究室OBの黒帯くんが、この10月1日より和歌山県文化財センター(建造物担当)に採用され、すでに働き始めている。かれは筑波大学の修士課程に在籍中であり、働きながら修士論文を書くことになった。大変だね。職に就くということは生やさしいことではない。最初の1~2年はとりわけ苦しい。そんななかで修士論文を書き上げるのは並大抵ではないだろうが、まぁ根性の人なので、なんとか乗り超えてくれるでしょう。
 その反対にドロップアウトしてしまったOBもいる。かれは病に蝕まれている。リハビリ生活を因幡の農村で送っているのだが、連絡はとれない。時間が解決してくれることを祈っている。


(圧縮)野木町煉瓦窯の工事完了竣工:外部全景

上方往来を描く-河原宿(Ⅰ)

前田02圧縮


勉強部屋が残る町並み

 10月1日(水)。教授、院生、ゼミ3年生で河原宿を訪れた。3年生は後期第1回目の学外活動となった。天気は曇りで涼しく、秋らしい雰囲気だった。今年は夏が短かった分、秋が長くなるそうだ。

 今回は河原宿上方往来の町家と町並みの写真撮影が主なものとなった。2年次履修の居住環境実習・演習(Ⅰ)で描く町並みの対象地は、昨年は若桜だったが、今年から上方往来を北上し、まずは河原宿、来年は用瀬宿、再来年は智頭宿になる予定だという。2年生がフィールドに入る前の下見が今回の主目的である。国道53号線とほぼ平行に走る上方往来は江戸時代の参勤交代路であり、河原・用瀬・智頭には茶屋や本陣がおかれにぎわったという。余談ながら、河原は教授が幼少期を過ごした町でもあるそうだ。ここでも過疎の影響があらわれており、建物が壊されて空き地となった宅地がめだつ。教授の元実家は主屋が建て替えられているが、ハナレは残っている。ハナレの2階が教授の勉強部屋だったそうである。


前田01圧縮


 作業は3年生が上方往来表通りと蔵通りに別れ、それぞれの通りの建造物を写真に収めていった。町並みを斜めからとらえる風景写真は教授によって撮影済みだったため、今回は1棟ずつ正面からファサードを撮影した。事前に棟数を確認しておくことで、後に連続立面図を制作する際の棟ごとの振り分けが楽になる。私は通りの撮影作業はせず、後に立面図を担当することになる建造物の下描き・実測をおこなった。街道一大きな町家(谷口家住宅)であったため、あらかじめ下描きをすれば後の作業がスムーズになるという判断であった。撮影作業を終えた3年生も後半は立面図の下描き作業に移行した。教授と院生の先輩は町中を歩いて各所を撮影していた。そしてある程度まで作業が進んだところで今回の調査は終了となった。


1001河原宿003ミラー


 長期休暇が明けて久々の学外活動だったからか、あまり長い間作業をしなかったにもかかわらず若干疲れ気味の学生もいた。しかし、撮影した写真が未整理であったため大学へ戻ってからも作業は続き、結局翌日に持ち越しとなった。

 【今回の成果】
・河原宿上方往来表通り・蔵通りの町並み各棟の写真(未整理)
・後に作成する連続立面図の大まかな下描き

 活動の最後に教授から2つのイベントについての説明があった。10月18,19日(土、日)に倉吉市の明倫地区で開催されるオクトーバーフェストが一つ。学生にもできるだけ地域支援してほしいとの依頼があった。ともうひとつは昨日のブログで広報された11月29日(土)の摩尼寺トークセッション&コンサートイベント2014「思い出の摩尼」。こちらも準備が大変であり、ゼミ生全員28日~29日をあけておくよう指示があった。(人鳥男爵)


1001河原宿001 1001河原宿002

摩尼寺紅葉コンサート2014へむけて(Ⅰ)

摩尼寺コンサートちらし01圧縮 摩尼寺コンサートちらし02圧縮


摩尼寺紅葉トークセッション&コンサー2014「思い出の摩尼」

 摩尼寺本堂・鐘楼・山門の国登録有形文化財答申を受け、地元の有志を中心に「摩尼寺保存会」を組織し、保存会主催のイベントを下記のとおり開催することとなりました。上はチラシ案です(現在、印刷会社が本物を作成中)
 
  【イベント名】摩尼寺本堂・鐘楼・山門国登録有形文化財答申紀年
          摩尼寺紅葉トークセッション&コンサー2014「思い出の摩尼」
  【 日 程 】 平成26年11月29日(土)10:00~15:00
  【 次 第 】 10:00~摩尼寺「奥の院」遺跡トレッキング(限定30名)
           12:00~昼食
           12:50~トークセッション
           14:00~境内コンサート    
  【 その他 】 入場無料
          鳥取駅~摩尼寺門前の往復バス1便(先着50名予約制、500円)
          摩尼寺門前駐車場(先着60台利用可能)
 
 このイベントの目玉は「境内コンサート」でして、とりわけプロのビオラ奏者、棚橋恭子さんの独奏には期待を寄せてしまいます。その棚橋さんに現場を視察していただこう、ということになり、9月30日(火)、摩尼山・摩尼寺をご案内しました。


0930 摩尼寺t 出発  0930 摩尼寺t 案内


 先生がこの摩尼寺のイベントのため、チラシを仮作成されており、棚橋さんにお目にかかり、早速そのチラシをお渡ししました。ところが、グーグルの画像検索でダウンロードした写真が棚橋さん本人ではないことが判明。冷や汗たらたらで幕開けしましたが、後にご本人からプロフと画像が送信されてきまして、上の仮チラシの写真はご本人のものです。こういうミスをすると、ぼくら散々怒られるんですが、先生も棚橋さんにもっと怒ってもらった方が良かったんじゃないかと・・・
 30日はもちろん写真を差し替えることはできませんから、ご本人はもとより、主催者である茶屋のみなさんにも間違えたチラシをお配りして、イベントの構成をお伝えするしかありませんでした。


続きを読む

日韓環境デザイン学生交流会のお知らせ

 韓国農漁村公社主催「農村住宅コンペ」の受賞学生が韓国釜山東明大学の金弘己教授に引率され、10月第3週に来鳥されます。ついては、10月15日(水)日韓環境デザイン系学生の交流会がおこなわれることになりました。日程・会場等を下に記しておきます。

 日韓環境デザイン学生交流会

   【日時】2014年10月15日(水) 13:00~17:30
   【会場】鳥取環境大学 教育研究棟 1階 環境デザイン演習室( 4105 )
   【次第】
    第1部
     13:00-13:10 韓日代表あいさつ
     13:10-14:25 韓国農村建築大展受賞作品 発表(5名)
             *ポスターセッション(12名)
     14:25-14:55 鳥取環境大学建築・環境デザイン学科 学生発表
       ①「鳥取県 木育ひろば」コンペ受賞作品
       ②「形態から住宅へ」授業課題作品
     14:55-15:40 ミニレクチュア
       浅川滋男「山陰地方の岩窟仏堂」

    第2部 茶話会 (60分)

 事務局: 公立鳥取環境大学日韓環境デザイン学生交流会実行委員会
       @建築・環境デザイン学科内


日韓チラシ1015 日韓チラシ (右)クリックすると拡大します

倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(ⅩⅩ)

20140930河原町実測調査④ 20140930河原町実測調査②


借家群の実測調査

 9月30日(火)。小川酒造の前にある借家群4棟の実測を行いました。前期に3年生が立面図を作成してくれており、まずは立面採寸の作業から始めました。作業が一段落し、昼休憩をはさんで調査を続けていると、ポール君が調査補助に来てくれました。平面図を実測する際、4棟のうち1棟は現在も住んでいる方がいるので、実測できないのを知っていたのですが、もう一棟のドアが開かないことが分かり、残りの2棟を実測することになりました。2棟とも雨漏りなどのせいで床が朽ちています。各自が素早く行動し、借家群の実測も終えることが出来たので、、前日作成した6枚の立面図のうち4棟の採寸に移行しました。また、大鳥屋(IJU大学)の測り残し箇所も実測することができました。一人ひとりが何を優先的に行うかを考えながら行動することで、以前より作図や実測が早くなったと思います。 (ユリ)


CIMG7713.jpg


腕木の拓本採取

 10月1日(水)。町並み立面図の実測と拓本取りを行いました。倉吉に着いて作業時間を決めてから、前日までに描いた五叉路周辺の立面の続きのスケッチをしました。以前から鍛治町・河原町の町並みの立面図のスケッチをおこなっており、手描きの連続立面図の作成をしてきましたが、今回は、町並みの修景計画を考えるため、CADに起こす必要があります。そのため、今まで描いたスケッチや今回追加したものに採寸したのです。


P1020835.jpg


続きを読む

倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(ⅩⅨ)

0929河原町02 


呆けた夏休みの後に

 夏休みが終わりました。倉吉の調査もいよいよ再開です。卒業研究締め切りまで残すところ4ヶ月になりましたが、夏休みに何もしなかったぼくたちは、9月25日の修士研究中間発表会の後、すいぶん絞られました。いちばんの原因はぼくでした。前期中に描き終えることができなかった摩尼寺庫裡の断面図が夏休みあけまで完成しなかったからです。断面図1枚にまる四ヶ月・・・弁解のしようもありません。
 その結果、卒業研究の組み直しをおこなうことにありました。当面は人数をかけて、まったく進んでいない倉吉の調査を進めなければなりません。先生は週末に自主的な活動を始めるだろうと期待されていたようです。しかし、ぼくたちは、また、何もしませんでした。摩尼寺での失敗を繰り返してしまった自分に腹が立ちます。一方、先生は週末、赤碕から倉吉入りされ、ヒアリングの段取りを整えられたようです。

0929河原町04


調査再開

 8月29日(月)、40日ぶりに倉吉を訪れました。河原町・鍛冶屋町活性化の鍵を握る「五叉路」に調査の重点をおくことになりました。先生は大鳥屋(IJU大学)から始まって、苗木屋さん、小川酒造さんで長時間のヒアリングを続けられました。収穫は非常に大きかったようです。
 学生はおもに五叉路周辺の立面図を採りました。こういう作業なら学生だけで十分できたはずなのに、夏休みにだれもその仕事をしなかった。結果、たくさんの作業が残ってしまいました。今回の役割分担は私と女子2名が立面図の作成、そして男子2名は前期に3年生が描いていてくれた立面図(IJU大学と味の素)の採寸です。

 半日集中して作業したので立面図は3人で6枚完成させました。しっかり動けば成果は出るので、30日~1日と調査を続けていきます。30日は小川酒造の前の借家群の平面図、矩計図、立面図に寸法を入れる作業、時間があれば今日とった立面図に寸法を入れる作業をしようと思っています。
 中間発表まで本当に時間がないので必死でやっていこうと思います。(ユート)


0929河原町03
種苗屋さんで餌を買い占め、2回にわけて鯉に餌をやりました。コミュニティ参加!
0929河原町01

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2014/10 | 11
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR