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【講演記録】倉吉の町家と町並み(9)

7.町並みのオーセンティシティ 【続】

 (2)文化遺産としての大衆食堂
 わたしはヨーロッパの流儀を完全に支持しているわけではありません。モニュメントを復原することで価値があがる場合もあるし、町並み整備にとって復原的修景が基本であることにも同意します。しかし、全部が全部そういうやり方では済まされないだろうと、とも思う次第です。
 町並みの復原的修景については、奈良を例にとってみましょう。奈良町でも盛んに復原的修景をやっています。今日は1990年代におこなわれた初期の修景をとりあげます。図54は「柿の葉寿司」の店舗ですが、修景後に図55のようになりました。「復原」的な介入というよりも、町家の景観にファサードをあわせた修景ですね。でもまぁ、悪くはない。柿の葉寿司の店が綺麗になってよかったなという意見が多いかもしれません。図56はパン屋さんです。昭和戦前のコンクリート造です。意匠的に決して悪くはないとわたしは思います。戦前の近代化遺産として、それなりの文化財価値をもっている。それが和風の木造建築に変わりました(図57)。90年代では、戦前のコンクリート造は歴史的町並みによってネガティブな要素だと思われていたのでしょうか。こういうことやってはいけませんよね。町と町並みの「歴史の重層性」が破壊されてしまう。和風木造への建て替えなんて、税金の無駄遣いです。戦前のコンクリート造の建物を活かして、修復・構造補強し、内装を新しくすれば、素敵なパン屋に生まれ変わったはずです。何でもかんでも格子を張ったらいいというものではないという典型だと思います。ちょっとやり過ぎではないか。
 図58は大衆食堂です。左が昭和40年代、右が修景後の姿です。これについても、90年代なら「綺麗になって良かった」と思うかもしれません。そして20年が流れ、2013年になりました。どうでしょうか、みなさん、左の大衆食堂、懐かしさを感じませんか。昭和戦後の大衆食堂もずいぶん少なくなりました。気楽に定食やお総菜を食べられるお店をあまりみかけませんね。こういう大衆食堂そのものが文化財になり、その風景もまた歴史的景観になってきているわけです。であるとすれば、昭和の大衆食堂の外観も現状維持であっていいはずです。全部が全部そうしろとは言いませんが、看板建築的な大衆食堂の外観を保全すべき時代に入ってきているということを申し上げておきたいのです。


2013倉吉の町家と町並み02配布資料_05



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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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