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ドーハ通信

バルサのスポンサーとして名を馳せているカタール航空ですが、
乗り心地よくないよ。
座席がせまくて、おしりが痛あいのなんの。
ドーハから大阪まで十時間の苦痛です。


0323プラド博物館前のサクラ ←マドリッドの桜


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山陰海岸ジオパークロングトレイル

 「歴史遺産保全論」講義を受講していた山梨の一歩が、昨年12月あたりから「摩尼寺山頂から砂丘に下りるルートを探せという依頼が来ています」と申し伝えてきた。その依頼先はどうやら県庁らしい。
 そうか、こういうことなんだ。「山陰海岸ジオロングトレイル」だって。
 どっちのアイデアが先なんだろうか。我が「山陰海岸ジオトレイル構想」(2012)の前から、県は海岸沿いのトレイル構想をもっていたのかもしれない。しかし、摩尼山を経由して久松山に至るトレイルのアイデアは、我が「景勝地トライアングル」が影響しているのは間違いない。知的財産権の侵害だ、などと言うつもりはさらさらありません。おおいに活用していただきましょう。
 数年前まで摩尼山は「観光地として認知されていない」(某役人の発言)状態であった。わたしたちの地道な活動がそれを動かし始めているのだと自負したい。

 それにても、38キロで「ロング・トレイル」とはね・・・普通に「トレイル」でいいんじゃないの。「山陰海岸ジオトレイル」のほうがずっとしっくりくる。こうすると、ますます知的財産権の問題になるのかな?
 ロング・トレイルというからには200キロ以上欲しいよね。久松山を出発して天橋立まで歩くんだ。いつも冗談で言ってんですが、ママチャリで天橋立まで歩いてみるか。

 摩尼山摩尼寺がトレイルの「中継点」として発展することを祈ります。


ジオトレイル(日本海)0319圧縮web ジオトレイル(日本海)0319圧縮doc

米子八幡神社春季例大祭にともなう講演会のお知らせ(2)

 表記講演会が鳥取環境大学ホームページでも広報されました。

http://www.kankyo-u.ac.jp/news/2014nendo/20150412/


 講演会についてのお問い合わせは、八幡神社(℡0859-27-0339)、もしくは鳥取環境大学保存修復スタジオ(e-mail: hozonshufuk@kankyo-u.ac.jp)までお願いします。


20150412八幡神社講演会01チラシ_02圧縮 20150412八幡神社講演会01チラシ_01
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Sugar 05

 2月17日に始めたボクササイズ、3月19日までに15回通った。20日午前に健康診断があり、果たして体重は-4.5キロ。目標値に2キロ足りなかった。残念です。しかし、血圧は前年比-42。昨年高すぎたんですね。上が170もあったんです。普段はもう少し低いんですが、それでも上限とされる140は越えてました。今年は(上)128、(下)72。問診した医者も驚いてました。

 18日~19日は大好物のカーリング観戦も諦めて、ひたすらジムで汗をかきましたよ。日の丸温泉にもつかりました。絞れるだけ絞りたかった。

 卒業式を終え帰宅して、楽しみにしていた日中戦の録画をみたんです。悲惨だねぇ、この試合。
 年長者が一人よがりの判断をして若い3名を苦しめている。初戦のスイス戦もひどかったみたいだけど、わたしはみてません。ただ、今回のスイスは強いから。
 中国は強いというほどではないよね。適当にミスしてくれて付け入る隙はあった。ところが、初回・2回とスキップが連続ミスして先行を許し、その後も何度かエラーして、ついに追いつけなかった。
 問題は技術だけではない。中国戦の場合、判断ミスが重なって日本は苦境に追い込まれた。もっと若い3人の意見を聞かないとね(人ごとではないけど)。いまのチームだと一人の独断専行で組織ががたがたになっている。


0321卒業式03玄関前05
↑なんだ、この白いヤツ?


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2015卒業式

0321卒業式01岡田01 ←学科首席


 21日、建築・環境デザイン学科最後の卒業式を終えました。予想したとおり、ASALABのための卒業式でしたね。卒業生全体の総代(答辞)が当ゼミ生で、学科賞授与式でも5名全員が受賞し、2名が重複受賞しました。
 学科の成畢記念品と学科賞副賞はわたしが準備した因久山焼です。なぜか高揚した気持ちになれなくて、淡々と式次第の進行を眺めていました。

 ハナビかもしれないね。あとはズド~ん。(組長)


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↑感謝状(河原町の文化を守る会) 授与は会長が代行

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↑左(制作金賞) 右(論文金賞)

0321卒業式03玄関前01 0321卒業式04ブータン
↑(左)花束贈呈[4年←3年] (右)トリオ・ザ・ブータン[2年]

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↑にぎやかな記念撮影になりました。総勢19名。


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春の地蔵際-河原町風物誌

春の地蔵際 山本


 3月15日(日)、倉吉市河原町の「春の地蔵際」に参加してきました。もち米をぺったんぺったんと搗いて、いただくという至ってシンプルなイベントでした。たくさんの地域住民の方が参加されていて、ほどよい陽光でとてもいい雰囲気でした。クラスケくんもやってきて子供たちはとても喜んでいました。楽しそうに餅を搗き、餅を食べている姿は煩わしい日常を忘れさせてくれました。地域活性化は現代の地域社会において重要な課題となっていますが、その地域に住んでいる方々がその地域を好きになることが、課題を解決する第一歩なのだ、と大人たちに囲まれて餅を搗く子供たちの姿に教わりました。
 おいしいお土産をいただきありがとうございました。(Nobody)


春の地蔵際 山本2

春の地蔵際 山本3

春の地蔵際 山本4

春の地蔵際 山本5

米子八幡神社春季例大祭にともなう講演会のお知らせ(1)

 ASALABは平成25年度に学内特別研究費、翌26年度に鳥取県環境学術研究費の助成をうけて「中近世木造建造物の科学的年代測定に関する調査研究」に取り組んできました。米子八幡神社については、本殿・拝殿の実測、棟札の翻刻、蟇股・神像の科学的年代測定などの調査をおこない、平安時代に遡る測定年代を始め瞠目すべき成果をあげております。このたび八幡神社の春季例大祭にあわせて講演会を開催し、研究成果を初公開することになりました。ご来場をお待ち申し上げます。

   講演会「米子八幡神社の棟札と拝殿・蟇股の年代」

 日 時: 2015年 4月12日(日)春季例大祭後の午後2時~4時
 会 場: 米子八幡神社 拝殿 
       〒689-3535 米子市東八幡276  
          ℡0859-27-0339 Fax.0859-27-0339
 講 演:  1.原島 修(地域史研究家)
         「棟札からみた八幡神社の造替」
        2.浅川 滋男(鳥取環境大学教授)
         「科学的年代測定と様式-八幡神社拝殿蟇股を中心に-」 
        3.コメント 眞田 廣幸(倉吉文化財協会会長・鳥取環境大学非常勤講師)

 お問い合わせは八幡神社(℡0859-27-0339)、もしくは鳥取環境大学保存修復スタジオ(e-mail: hozonshufuk@kankyo-u.ac.jp)までお願いします。


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後記(5)-続・中近世建造物の科学的年代測定

5-2 米子八幡神社蟇股の科学的年代測定
 近世期では曖昧だった放射性炭素年代測定が、中世期に遡ると、サンプル1点を分析対象とするAMS法でさえ非常にクリアな結果を得る。それを長谷寺の部材が教えてくれた。古代になると、さらにその傾向が鮮明になる。八幡神社の3サンプルの結果を以下に示す。

  蟇股D04[年輪数101・心材型]スギ   1036-1080calAD (信頼性95.4%)
  女神像A[年輪数12・ 心材型]ムクノキ 862-973 cal AD (信頼性85.8%)
  女神像B[年輪数11・ 心材型]ムクノキ 860-973 cal AD (信頼性82.3%)

 いずれも心材型であり、原木伐採年代の特定は困難だが、拝殿・幣殿境の蟇股D04については「1036年以降の伐採」が確定している。さらに、最外資料の外側に50年輪、100年輪、150年輪が存在した場合を検討した上で、平安~鎌倉期の蟇板類例と比較して「平安後期~鎌倉前期」の制作と推定した。
 2体の神像については、残存年輪が非常に少ないため、制作年の特定はさらに難しいが、長谷洋一の様式年代観である「平安中期~鎌倉初期」は妥当と考える。蟇股・神像のいずれの年代観も享保18年(1733)棟札書出にいう天永年間(1110~1113)の棟札年代を含んでおり、注目される。
 なお、八幡神社の年代測定に関する研究成果は本報告書刊行直後の4月12日に公開する。

  日時: 4月12日(日)春季例大祭後の午後2時~4時
  会場: 八幡神社 拝殿
  講演会:
   1.原島 修「棟札からみた八幡神社の造替」
   2.浅川滋男「科学的年代測定と様式-八幡神社拝殿蟇股を中心に-」

5-3 酸素同位対比年輪年代測定
 酸素同位体比年輪年代学のサンプルは計12点を総合地球環境学研究所中塚武研究室に送付した。うち初年度に結果がでたのは、①摩尼寺本堂小屋梁(1846 AD)、②本高弓ノ木遺跡5区 ケヤキ材(748 BC)、③松原田中遺跡地中梁サンプル資料№1870(15 AD)・資料№1871(56 AD)の3種4点である。本報告書入稿以降にもたらされたデータもあり、ここで再度考察しておきたい。
 ①摩尼寺本堂小屋梁[110年輪・樹皮型・マツ]については本書第4章で詳述したとおり、西暦1846年に相関性のピークがきており、安政7年(1860)の棟札年代から14年遡るが、妥当な年代と思われる。文政六年(1823)の棟札を残す摩尼寺庫裡棟通桁[108年輪・樹皮型・マツ]は1820年で低いピークを確認できた。統計学的に必要なレベル( t 値 > 5 )には達していないけれども、1820年という推定値は本堂小屋梁以上に説得力のある年代である。
 一方、聖神社本殿はね木[65年輪・樹皮型・マツ]は年代を特定できなかった。新聞報道や講演によると、酸素同位体比年輪年代測定は50年輪で年代を特定できると広報されてきたが、山陰地域に関して言えば、65年輪でも統計的な必要レベルを満たさないようである。樹種を問わず年代測定が可能であるところも酸素同位体比年輪年代測定の長所とされるが、山陰ではデータが蓄積されておらず、小屋組材に多用されるマツはヒノキやスギなどの基準資料と年輪変動パターンがあいにくいという。さらに積雪地域の樹木の場合、太平洋側とちがって融雪水が土壌水に大きく影響することも測定を難しくしている。


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後記(4)-中近世建造物の科学的年代測定

5-1 長谷寺本堂の科学的年代測定

 平成25年度(2013)に学内特別研究費、翌26年度(2014)に鳥取県環境学術研究費の助成をうけて木造建造物の科学的年代測定に関する調査研究に取り組んだ。そのプロローグとなったのは雲州平田の町並み調査(2012)である。町並みの核となる大型町家の建築年代を放射性炭素年代測定によって実証しようとしたのだが、17~19世紀の場合、複数の年代候補があらわれ、何度も期待を裏切られた。貴重な研究費を費して炭素14年代測定を繰り返したが、よい結果を得るのは稀であり、諦め節を呟くばかりであった年の暮れに朗報がもたらされた。
 長谷寺本堂の床上柱2本D05・E05の年代測定結果をいま一度記してみよう。

  D05[年輪数不明・心材型]カヤ  1401-1439calAD(信頼性95.4%)
  E05[年輪数 79・ 心材型] ケヤキ 1351-1399 calAD (信頼性95.4%)

 この2材から本堂の建立年代を「遅くとも15世紀末まで」と考察した理由を整理しておきたい。本堂の上限年代を示すのはD05の方であり、「1401年以降」という前提がまず導きだせる。次に最外資料の外側にどれだけの年輪があったのか、不明ではあるけれども、一定のレベルでその数を推しはかることはできるだろう。
 D05とE05の伐採年代がほぼ同じであるとすれば、表皮側の年輪数を規定するのは古い年代を示すE05だと考えられる。E05は半径215㎜(直径430㎜)で年輪数が79なので、年輪幅の平均値は215㎜/79=2.7㎜となる。年輪幅は外側に向かって短くなるので、仮に最外資料より外側の年輪の平均幅を2㎜、部材加工前に存在したであろう外側の年輪数を100と仮定すると、最外年輪外側の長さは200㎜、原木の半径は415mm(直径830㎜)に復原される。直径830㎜の木材を直径430㎜の心持材に加工するということがありうるだろうか。元口ならば最外資料の外側に多くの年輪が存在したかもしれない。しかし、サンプル採取位置は柱の上端である。2柱とも、樹木の梢に近い末口の断面で年輪サンプルを採取したのだ。末口では辺材をよける程度で精一杯であったと想像して然るべきであろう。
 以上の論理を背景にして最外資料より外側の年輪数は50程度だろうと推定した。追加分を50年輪とすると、E05の伐採年代は1401-1449 年となる。この年代幅はD05の測定値にほぼ重なりあう。追加分の年輪が100年輪まで増えると、E05の伐採年代は1451-1499 年となる。これを下限とみなし、本堂2柱の伐採年代はおそらく15世紀前半で、遅くとも15世紀末までに納まるであろうと考えた。
 その1年後、本堂厨子の台座に転用されていた巻斗の年代データが届く。

  巻斗[年輪数 222・ 心材型]スギ 1287-1331calAD (信頼性94.4%)

 巻斗は267mm×328mm×196mmの心去材であり、「1287年以降の伐採」とみなせるが、大型の心去材であることから最外資料より表皮までの年輪数はそう多かったはずはないと判断した。仮に50年輪存在したとすれば、伐採年代は1337-1381年となる。これを参照し、巻斗原木の伐採年代をおそらく14世紀前半、遅くとも14世紀末までには納まると推定した。


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後記(3)-地蔵盆を未来へ

 知られざる建築物語  平成25年(2013)、倉吉市は市制60周年を記念して「知られざる倉吉建築物語」と題する5回の連続講演会を催した。わたしはそのコーディネーターということになっていたが、企画にはほとんど係わっていない。その大役を果たしたのは会長である。杉ボーとわたしは会長の依頼により初回と最終回の講師を務めた。会長自身も第4回に長谷寺に関する講演をしており、以上3回の講演記録を軸にして本書は構成されている。
 第4回と第5回の中間にあたる11月13日には、郡家のカフェ黒田で第1回れきまち研究会を開催し、松江市都市整備部歴史まちづくり課の飯塚係長に「歴史まちづくり法による松江市の取り組み」と題する講演していただいた。この記録を本書のまとめにあたる第5章に収録している。当時、平成25~27年度鳥取県環境学術研究費振興事業に採択された「倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査」が始まったばかりであり、歴史まちづくり法の骨子である歴史的風致の維持向上について松江市の取り組みを通じて理解することができた。いちばん大きな衝撃は、有形遺産(町並み・建造物等)と無形遺産(祭礼等)の重なりあいに歴史的風致の本質を位置づけている点であり、その後の研究に大きな影響を与えることになる。
 初年度の研究対象は打吹山長谷寺であり、前期から山腹の古刹に足繁く通っていた。とくに夏休みのインターンシップでは、4年生5名(岡田・中田・藤井・吉田・山家)が2週間のあいだ倉吉市文化財協会の預かりとなって長谷寺の実測等に汗を流した。長谷寺の本堂は「未完成」とも「移築」とも噂される奇怪な懸造の中世仏堂である。建立年代は不明であり、わたしたちは放射性炭素年代測定により、その問題の解明に挑んだ。考察の要旨を付録3(中島修士論文)でまとめているが、詳細は本書と同時に刊行されるもう一冊の報告書『近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究』をご参照いただきたい。
 地蔵盆を未来へ  年が改まり平成26年度(2014)になって研究の主題は「町並み」に変わり、フィールドを鍛治町・河原町に遷した。いつものように町並み連続立面図の作成から始まり、建造物データベースと分布図を作成し、町家の修景図を描いた。そうした活動のなかでわたしたちは「地蔵盆」の重要性に気づき始める。少子高齢化の嵐のなかで地方都市は空洞化が進み、空き家・空き地が急増している。その結果、町並みは歯抜けが増えて崩壊の兆しをみせている。口絵に掲載した山家の卒業制作は、空き地(駐車場)を保全的に再開発して町並みの綻びを恢復し、活性化の起爆剤を人工的な小路に埋め込もうとする企みである。学生の作品としてはよく出来た方だと思うけれども、こうした内容についてはすでに何度か発言してきている。


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青い瞳のイブ

 ミュアヘッドが降臨しましたね。
 日本のスキップとの実力差をまざまざとみせつけるか、と思いきや、不調でした。不調でも、ショット率は日本のスキップより上なんだけどね。日本は3戦2勝1敗、スコットランドは2戦2敗。決勝トーナメントに戻ってきて、もう一度日本と戦って、ぼこぼこにして欲しいものです。

 イブ・ミュアヘッドはダンケルドという田舎町の倶楽部でプレーしているらしい。
 ダンケルドには立ち寄ったことがあります。グラスゴーから列車に乗り、一時間半でダンケルドに着いたんですが、バスがなかなかやって来ない。一時間ばかり町をうろついてバスを待ちました。綺麗な町並みがあって、カフェやレストランもたくさんありました。そこから40分バスに揺られてアバーフェルディへ。それかから先のお話は「スコットランドの寒い夏(Ⅷ)」をお読みください。
 すでに9年半も前の、2005年夏のことです。

夢枕-続・登録証

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 3月12日に市役所でおこなわれた伝達式の記事が地元新聞に掲載されました。
 日本海新聞を定期購読したいとも思うのですが、わたしのような下宿生活者は、マンション扉の郵便箱に新聞が溢れてしまいますからね。泥棒さんの標的になるだけでして・・・

 寅次郎夢枕篇のマドンナは八千草薫でした。寅さん、惚れられちゃうのね。ライバルの米倉斉加年は大学教授という設定。大学教授は寅さんよりもてない。んだ、んだ・・・シュガーで「教授、教授」と呼ばれるの、困ってます。せめて「先生」にしてほしいね。○○さん、がいちばん良いけど・・・
 すでに環大の学生2名にジムで遭遇しますた。あんまりカシコ気でないなぁ、うちの学生さん。


日本海0-314IMG圧縮01←日本海新聞2015.03.15
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摩尼寺に登録有形文化財登録証を伝達!

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 12日午後1時半より鳥取市役所第一応接室で平成26年度登録有形文化財(摩尼寺・立川稲荷)登録証伝達式が執り行われた。
 深澤義彦市長から登録証は田尻住職に、銅製プレートは摩尼寺保存会長に渡された。大変お目出度い席に同席させていただき、感謝申し上げます。

 会の終了後、ご住職、保存会長と今後のことを話しあった。まずはプレートの展示方法である。これについては、一級建築士設計事務所をたちあげる社長に業務委託することになった。Aサイズで重さ5キロの銅製プレートは、当然のことながら、本堂の正面に展示することになるだろう。どのようなデザイン・材料で銅製プレートを保護しつつ展示するのか、社長の腕に期待したい。本堂・鐘楼・山門の案内板も併設したほうがよいでしょうね。


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 ご住職、保存会長ともに、庫裡の指定、および新年度のイベントに意欲を示された。昨年は「音楽」というアミューズメントに傾斜したが、今年は山林寺院の原点たる「仏教」に立ちかえり、講演・法話・写仏などをテーマにして連続の企画を考えてはどうか、という提案もあった。国外から仏僧をお招きする手もある。
 それもこれも予算次第だが、今年も縁の下の力持ちとして、摩尼山摩尼寺をサポートしてゆきたい。


伝達式01圧縮04プレート

後記(2)-思い出の摩尼

 祝 描  日本の住まいと建築の歴史を講じる授業でホームワークを2回課した。中間試験にあたる時期に「神社本殿の調査」、期末試験にあたる時期に「寺院本堂の調査」をしてもらったのである。両面コピーの調査シートを与え、表面はレポート、裏面は写真とスケッチを貼り付ける。スケッチは必須ではなく、描きたい人だけでよいが、スケッチを描いた学生には加点するというシステムをとっている。履修者は55名で、「神社の調査」のスケッチ提出者は29名であった。レポート締切の2週間後におこなった講評が好評を博し、期末の「本堂の調査」ではスケッチ提出者が40名に増え、その全作品を最終講義で講評した。
 突出した描写力をもつ学生が1名いた。神社スケッチ公開のトリとして、彼女の描いた桂木神社拝殿をスクリーンに映しだした瞬間、教室にどよめきがおきた。しかし、残念なことに、わたしは「本殿」を要求していたので、その旨伝えると、彼女はうつむいてしまう。レポートの感想欄には「悔しい」とだけ書いてあった。その学生が捲土重来で描いてくれたのが摩尼寺本堂である(図1)。期末レポートの提出は7月17日(木)。その日、摩尼寺本堂・鐘楼・山門の登録文化財答申が解禁になり、翌18日、五紙で一斉に報道がなされた。まさに祝砲の如き素描であり、わたしにとって、これ以上のプレゼントはない。その後、紀要論文(本書第1章)と紅葉コンサートのチラシで本堂スケッチを使わせていただいた。

 鳥取型本堂の様式を読み解く  手元に届いた40枚の寺院本堂スケッチのうち2枚は京都の本願寺と東福寺を描いていたが、他の38枚は鳥取県内の寺院本堂であり、その90%以上が鳥取市内に所在している(図2~5)。スケッチを眺め、構造形式と細部のチェックをしていくうちに、「鳥取型寺院本堂」の特質がおぼろげながらつかめたような気分になった。38枚のスケッチを眺め、50枚のレポートを読んで気づいたことを整理しておこう。
 本堂本体部分の組物は大斗肘木か舟肘木で、組物のない桁天のりの場合もある。平三斗以上の組物は例外的でしかない。その本体は1間ごとに柱を立てるものが多く、その場合、中備はない。柱間が1間半以上になると、間斗束を立てる。木鼻のない例も少なくない。軒は一軒、平行垂木が圧倒的に主流で、隅の反りもない。ほとんどが畳敷きの住宅系仏堂であり、庫裡の様式を少々格式化しているような印象を受ける。組物は大人しいが、壁に嵌め込む花頭窓の印象が強い。ただし、花頭窓を使う本堂は全体の3割程度にとどまる。
 一方、向拝はやや派手につくる。組物は三斗組で、中備は蟇股、木鼻は動物彫刻が多い。正面に虹梁型頭貫、側面に海老虹梁を架け、挿肘木で虹梁を受ける。礎盤に几帳面取角柱を立て三斗組をのせるが、しばしば大斗の下に皿斗を削り出しでつける。海老虹梁・礎盤は禅宗様、皿斗・挿肘木は大仏様であり、向拝は賑やかな折衷様になっている。
 本堂の本体部分は(花頭窓をのぞいて)庫裡のように大人しい住宅系の仏堂とする一方で、向拝を折衷様にして派手にみせる。寺院の意匠を向拝に集中させてアピールしているのである。ただし、以上は明治の大火後に再建された近代の寺院本堂に顕著な傾向である。本書で取り上げた摩尼寺本堂や常忍寺本堂は住宅系の「鳥取型本堂」とはちがって、本体部分も寺院らしい細部で彩られている。いずれも江戸時代に遡る本格的な仏堂だと言えるであろう。その点、国の登録有形文化財にふさわしい由緒・構造・意匠を有する建造物と言えるかもしれない。


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後記(1)-炎立つ湖

 2014年9月のブータン調査の帰り途、中央ブータンのブンタン市街地にある土産物店で1冊の絵本が目にとまった。クンザン・チョデンの『メンバツォ-炎立つ湖 』は薄っぺらい装幀ながら、全色カラーの綺麗な絵本であり、ブータンの小学生が英語を学ぶための教材であることをその店で教えられた。レベル的に本学学生の英語平均値に近いであろうと想像したと言えば、学生に失礼かな。
 そのころ、10月から始まる1・2年生後期の演習(プロジェクト研究2&4)の課題で悩んでいて、絵本の翻訳でもしてみようと思ったのが、この企画の始まりである。その2日後、こんどはパロ空港内の土産物店で別の絵本を発見した。ルイス・ドルジの『メトの大冒険』である。『メンバツォ-炎立つ湖』は仏教説話をアレンジした絵本だが、『メトの大冒険』は現代ブータンの童話であり、両者の色合いがずいぶん異なることにためらいを覚えつつ、きっと女子学生が食いつくだろうと予想し、果たしてそのとおりになった。まずは2冊の書籍情報を整理しておく。

1.『メンバツォ-炎立つ湖 』 Membar Tsho-The Flaming Lake
 著者: クンザン・チョデン Kunzang Choden
 挿図: ペマ・ツェリン Pema Tshering
 出版: リヤン書籍 Ryang Books in Bhutan(2012)
 ISBN: 978-99936-899-1-1 

2.『メトの大冒険』 Metho's Great Adventure
 著者: ルイス・ドルジ  Louise Dorji 
 挿図: ローペン・プーバ Lopen Phurba
 出版: タラヤナ財団 Tarayana Foundation(2012)
 ISBN: 978-99936-634-5-4 


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Sugar 04

ゆららの湯

 10回もシュガーに通い、少々減量に成功していたのに、週末に雨ばかり降るので、スロージョギングもままならず、肩凝りと頭痛が再発してしまい、これはまずいということで、25ヶ月ぶりにゆららの湯に浸かってきた。果たして体重は2キロばかりリバウンドしており、サウナ3回、ミスト3回、小刻みに入って1.3キロ減量した。これらの重みはすべて水分である。風呂上がりともに、牛乳を1本。そして、スポーツドリンクも1本。それでも1キロ減か。
 こうして原稿などタイプしなければ、肩凝りにもならず、すんなり眠れていいのに。早晩湿布薬のお世話になるでしょう。

 20日(金)10:15~@鳥取県保健事業団の健康診断が近づいてきた。日々のトレーニングが欠かせない。ですから、この年度末は鳥取にいるべきであるのです。
 帰ろうかな。でも・・・大雪みたいだな。志戸坂怖いしな・・・

 アルガルベのなでしこ、厳しいねぇ。4年前の流れるようなパスワークが消えてしまった。メンバーがほとんど変わっていない点も気になる。グループリーグ3位は妥当な結果でしょう。澤の復調を祈りたい。


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柴又慕情-爆笑問題

 今週の寅さん、マドンナは吉永小百合でした。ずいぶん短いスカート穿いてましたね。ツィッギーの来日が昭和42年、柴又慕情篇の公開が5年後の昭和47年です。昭和40年代はミニスカートの時代だったんだ。
 「限界集落株式会社」は終わってしまいましたが、日曜夜のBS02で「ここにある幸せ」を視たんです。福岡の津屋崎という漁村を舞台にした福岡発地域ドラマ。ちょっと展開が唐突すぎて速すぎて困惑しましたが、天野さんの講演と重なりあうところがありましたね。

 昼下がりのスタバで久しぶりにメディアの取材を受けたんです。取材というよりミーティングに近いか。爆笑某の仕切るバラエティで日本の古建築を扱うのでどうのこうの、というお話。わたしはオプションの一人のようでした。もっと有名なセンセを使ったほうがいいと思います、我ながら。
 サグラダ・ファミリアの工匠を呼ぶというのだけど、「ガウディは過剰装飾で必ずしも良い建築ではない」と本音をもらし、おまけに月末にはバルサに行くとも告げた。まるで寅さんだね。


2014年度実績報告(2)

研究種目: 平成26年度鳥取県環境学術研究費助成研究【地域部門B1413】
代表者:   宮本 正崇
研究題目: 近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究
         -酸素同位体比年輪年代測定の導入と深化にむけて-
                           
1.研究の背景と目的
  科学的年代測定として「年輪年代測定法」と「放射性炭素年測定法」の2種類がよく知られている。従来の年輪年代測定は先史から近代に至るまで誤差の少ない測定が期待されるものの、材種はスギ・ヒノキ等一部の針葉樹に限られる。一方、放射性炭素年代測定は炭素14の半減期(5568年)を利用した年代測定法であるため誤差が大きく、歴史考古学には不向きであるとされてきたが、近年、加速器質量分析法(AMS)とウイグルマッチ法(樹輪暦年較正)の開発により精度を高めている。本研究は科学的年代測定に絶対的な信頼を寄せていはいない。文献史料・様式・科学的年代測定値は対等に扱うべき相互補完的な資料と位置づけ、三資料を総合的に検討し、慎重に建築年代を割り出すべきと考えている。

2.長谷寺本堂の年代測定
 倉吉市の長谷寺本堂で採取した5サンプルのうち、床上の柱2本(D05・E05)の年代は中世に遡る。D05柱上端は1401-1439calAD(信頼性95.4%)、E05柱上端(年輪数79)は1351-13999calAD (信頼性95.4%)である。1401年以降の建築であり、木取りの常識から考えて、おそらくは15世紀前半、遅くとも15世紀末までに伐採された材であろう。室町後期とされる内陣厨子(重文)より本堂(県指定)が先行して建設された可能性が高くなっている。本堂に残る巻斗(222年輪)の測定結果は1287-1331calADであり、正安3年(1301)の国英神社所蔵梵鐘銘の年代を含んでいる。心材型の心去材だが、14世紀の部材とみてほぼ誤りなく、現本堂前身建物の部材である可能性が高い。詳細は割愛するが、15世紀に他の場所で建立された組物のない本堂が16世紀後半に移築され、14世紀建立の組物付本堂と入れ替わった可能性がある。16世紀後半は内陣厨子の制作年代にあたり、『長谷寺要用書記』にいう弘治3年(1557)棟札の年代とも一致する。

3.米子八幡神社の棟札と拝殿蟇股及び神像
  八幡神社は鳥取県西部で最古級の由緒と格式を備える旧社である。日野川の大洪水により現在の敷地に境内を移したのが16世紀後半とされる。神社は73枚の棟札を所蔵しており、うち27枚を翻刻した。天正17年(1589)に「若宮」を建立し、本殿は承応2年(1653)と天保13年(1842)に再建、拝殿は延宝元年(1673)と寛政11年(1799)に再建されている。拝殿は本体より古い蟇股を2種16枚受け継いでいる。拝殿側柱筋14枚の蟇股は、県内外の類例と比較した結果、延宝元年(1673)造替時の制作と推定される。一方、幣拝殿境の蟇股2枚(D03・D04)は格段と古式の様式を示し、1036-1080calAD(信頼性95.4%)の年代結果が得られた。心材型の試料なので年代を特定できないが、「西暦1036年以降の伐採」であることは確認できる。このことから、伐採年代を「平安時代後期~鎌倉時代前期」と仮定して、蟇股データベース(324枚)のサンプルと比較した結果、平安後期の要素と鎌倉前期の要素をともに含むことが判明した。享保の棟札書出にみえる天永年間(1110~1113)の造営に対応するとすれば、宇治上神社本殿に次ぐ日本で2番目に古い刳抜蟇板ということになる。 
 八幡神社の神像類については、長谷洋一(2012)が「平安中期~鎌倉初頭」の作と推定している。立膝女神像のAMS測定年代では、立膝女神像(A)862-973 cal AD(信頼性85.8%)、立膝女神像(B)は860-973 cal AD(信頼性82.3%)の結果を得た。ただし、残存する年輪は10年余りであり、長谷の想定する年代幅に対応する可能性が高いと思われる。紀氏の土着から隆盛期(11~12世紀)に神社が造営された蓋然性がいっそう高まった。

4.酸素同位対比年輪年代測定
  画期的な年代測定法と言われる酸素同位体比年輪年代測定であるが、降水量の多い日本海側での適用例はなお少なく、山陰地方では実用的と言える段階に至っていない。近世建造物では、わずかに摩尼寺本堂小屋梁で1846年という伐採年代が得られたにとどまる。また、大がかりな破壊分析になる点も課題の一つであり、この点、文化財・美術品には不向きな測定法と言わざるをえない。ただし、発掘調査で出土した自然木や建築部材などは測定対象たりえるであろう。今後はおもに考古遺物を対象にして測定データの数を増やしていきたい。


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平成26年度登録有形文化財(摩尼寺・立川稲荷)登録証進達式のお知らせ

 登録文化財に答申の段階で記念イベントをおこなった摩尼寺本堂・鐘楼・山門ですが、年明けになって正式に官報告示があった。登録証は鳥取市教委に届いており、来たる3月12日(木)、市役所で進達式がおこなわれることとなった。以下が日時・会場である。だれでも出席できるイベントではない。ただ、こうして書き留めておかないと、すっぽかしてしまう怖れのある人物なので(私が)、ここに掲載します。

  【日時】 平成27年3月12日(木) 13:30~14:30
  【会場】 鳥取市役所本庁舎 第一応接室
  【出席者】深澤市長
       田尻光照師(摩尼寺住職)・浅川・摩尼寺保存会世話人



入 稿

 年度末に大小あわせて3冊の報告書、1冊の絵本、2本の紀要論文を抱えています。第3回れきまち研究会を終えた翌日、印刷会社から催促が来たんです。「そろそろ入稿してくれないと年度末刊行なんて、ありえんでぇ~」。仰るとおりでありまして、さっそく3年生に号令をかけたところ、よく働いててくれましてね。みんな消えてしまうかと思っていたんですが、じつに献身的なサポートをしてくれて、感心しました。白帯も修士論文を2段組に編集しなおしてくれました。2年前のタクヲとはえらい違いだ。

 4日午後、おかげさまで、9割方入稿を終えました。バット・・・
 
      There is no rule but exception.

 エクセプション(例外)とはガーヤマです。ヤツの卒業制作は倉吉報告書のグラビアになる予定なんすが、催促してんのに、まったく研究室に姿をみせません。中国支部に出品しなきゃいけないんだから、はやいところ片づけてほしいもんです。




成 畢

 今年の卒業式は、建築・環境デザイン学科終幕を記念して、関係する全学生・教職員に記念品を贈呈することになっています。その記念品係を引き受けてしまった。なにが入っているかは言えませんが、今夜は熨斗紙について一言。初めは以下のような文言にしようとしていました。

鳥取環境大学
建築・環境デザイン学科
終了記念品
平成二七年三月二一日

 しかし、「終了」という言葉には明るい響きがない。そこで、以下のように変更しました。

鳥取環境大学
建築・環境デザイン学科
成畢記念品
平成二七年三月二一日

 成畢(せいひつ)は「なしおえる」と訓読します。なんのことはない、八幡神社の棟札に使われている文言です。意味としては「成就」に近く、具体的には「上棟」もしくは「竣工」を意味します。
 建築・環境デザイン学科が竣工した。目出度い。さあさ、元気に別の現場に移ろうぜ。
 
 さてさて、謎の記念品ですが、ゼミのOBや関係者で所望される方がありましたら、ご一報ください。紙箱・熨斗紙とともに準備させていただきます。


豆版8号 環境大学記念品0304圧縮



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久々の3冠でフィナーレ!!

 第3回れきまち研究会の翌日(3月2日)、学科会議が開催され、2014年度建築・環境デザイン学科卒業研究学科賞の審査がおこなわれました。事前に投票がおこなわれ、得票ポイントの集計はメールで知っていました。ポイントの段階で、ASALABは他を引き離していましたが、審議で順位がひっくり返ることもあります。
 やや不安視される部分もあるなか、ASALABは6年ぶりの3冠を達成し、建築・環境デザイン学科のフィナーレを飾りました。ちなみに1度目の3冠は2期生(宮本・坂本・木村)、2度めは5期生(岡垣・木村・今城)です。ASALABは論文部門が圧倒的に強いので、他研究室は2冠どまりで、3冠はありえません。3冠をなしえるのは我がゼミだけでした。
 5期生のうち2名が大学院に進学すると同時に清水が復帰し、さらに吉川が加わった2009~10年度が最盛期だったかもしれません。纒向復元から摩尼寺「奥の院」遺跡発掘調査のころです。その後、学科は限界集落化し、研究室も少人数になりますが、少人数の割には元気に活動していたように記憶しています。清水・檜尾・中島・仲佐の4名が研究室を支えてくれました。
 これまでの戦績は、こちら にまとめていますので、ご参照ください。
 11期生は良いメンバーが集まりましたが、危険な状態に陥っていたころもあります。能力が高いにも拘わらず、少人数時代ほどの結束がなく、大げさに言えば、ゼミに亀裂が走っていたのです。いらついたわたしは「君たちは優秀じゃない」とまくし立てたこともありました。しかし、最後は見事にまとまって良い成果をあげてくれました。それもこれも、昼行灯のような顔をしてゼミを縁の下から支えた中島(院生)のおかげでしょう。4年生5名は中島に感謝しないといけません。
 前ふりはこれぐらいにして、結果をお知らせします。

1.「卒業論文」部門

  金賞  吉田 健人
   「フィールドワークに基づくブータン洞穴僧院の基礎的考察」成果集2015:p.34-35
    *論文金賞は2年ぶり通算9回め。
  銀賞  岡田 知佳 
   「倉吉市鍛冶町・河原町の町並み景観に関する基礎的考察
    -建築的・空間的課題と保全計画の展望-」成果集2015:p.20-21
  銅賞  中田 優人 
   「松原田中遺跡で出土した地中梁と布掘堀形の分析
    -古墳時代前期の大型高床倉庫に関する復元研究-」成果集2015:p.28-29
    *ワン・ツー・スリーフィニッシュは4期生以来7年ぶり。ワン・ツーフィニッシュなら2年ぶり。

  河原町の文化を考える会からの感謝状  
    藤井 祐里「地蔵盆を未来へ伝えるために
    -空洞化する歴史的市街地の無形遺産に係わる事例研究-」成果集2015:p.32-33

2.「卒業制作」部門

  金賞  山家拓臣(制作) 
    「打吹玉川 -白壁小路の宿- Utsubuki-Tamagawa Side street Inn」成果集2015:p.14
     *日本建築学会中国支部出品
     **制作金賞は5年ぶり4回め。


2015卒論成果集01圧縮doc  平成26年度(2015) 鳥取環境大学建築・環境デザイン学科 大学院環境デザイン領域 卒業・修了研究成果集【クリックすると表紙が大きくなります】 デザイン:岡田


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速報(2)-第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」

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まちの限界集落株式会社

 10分ばかりの休憩を挟んで第2部へ。
 講演者の天野さんは、いきなり「昨夜の『限界集落株式会社』最終回を視た人?」という質問をした。10人以上の方が挙手されたように記憶している。儲けを切り捨ててでも、一軒の農家を救った最終回の顛末にみな感動していたようだ。
 河原町の高齢化率は40%であり、学術用語を使うなら「準限界集落」である。限界集落まであと一歩のところまで来ている。まちの限界集落ですね。
 講演「まちの里山資本主義」の内容は、意識的ではないと思うけれども、「限界集落株式会社」の流れに沿ったものであった。そもそも「まちの里山」とはおかしな概念である。まち(都市)は里山ではないから、森林も農地もない。森林や農地の副産物から利益やエネルギーを得ることはできるだろう。また、渡名喜島のような里海的島嶼でも、海水から上質のミネラル・ウォーターを得ることができる。そういう資源に恵まれていない「まち」で、どのようにして「里山資本主義」を実践できるのか。


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 天野さんの論理は明快であった。すでにあるものを利用する。すでにあるものとは、お地蔵さん、建造物、空き地、鉢屋川、鯉、そしてネコなどである。言うまでもなく、河原町で突出した活用状況を呈しているのはお地蔵さんである。四季折々の地蔵祭によって利益が生まれ、その利益によって次の地蔵祭を開催する。そのなかに住民の「交流」と「楽しみ」が生まれる。そこでは「地位」も「名誉」も「金」もないけれども、高齢者は光齢者となって光輝き始める。光齢者が楽しむ活動をこれからも続けていく、というお話であった。
 地位・名誉・金と絶縁した世界にわたしは潜入し、とても嬉しく感じていた。わたしに言わせれば、それは役所や補助金と無縁な世界であり、そうした世界で理想的なまちづくりがおこなわれていることを知って、新規「重伝建」選定などを声高に主張している自分が馬鹿らしくなった。そういう制度は限界集落の「株式会社」であって、結局は利益を追求し、人と組織を崩壊させるものになるかもしれない。そんなことを考えながら、天野さんの話を聞いていた。
 さてさて、熱弁の途中から黒猫が登場。ネコ嫌いの天野さん宅に居着いた美貌の黒猫です。河原町では「地域猫」が地域課題になっていて、それを逆手にとって、猫でコミュニティの緊密化をはかれないか、という提案でした。これは、来年度以降、切実な問題になっていくでしょう。


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 熱弁の最後はチラシの下段を飾ったカール・ブッセの「山のあなた Über den Bergen」(上田敏訳)が引用された。

   Über den Bergen, weit zu wandern     山のあなたの 空遠く   
   Sagen die Leute,  wohnt das Glück.     「幸」住むと 人のいふ
 
 山のあなたの空遠く、といえば、里山的限界集落(桃源郷)を思い起こすが、天野さんはそういう彼岸の世界に「幸」があるのではないと言い切った上で、

   幸せは、みなさんが住んでいるこの町にあるのです。
   みんなで町づくりをして行きましょう。

と締めくくった(↓クリック)。


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速報(1)-第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」

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雨のビニールハウス

 3月1日は大雨。倉吉に向かう車の中で「冬らしくない暖かい雨」に少々滅入った。いったいだれが雨男なのか?
 11時会場着。4年生たちは天野さんや会長とともに会場設営を始めていた。ビニールハウスの中に入る。しっかりした鉄骨構造で安定感があり、防水性能も万全で雨漏り等の心配もない。ただ、屋根を叩く雨の音が大きかった。トタン張りの屋根と変わらないほどの音がする。
 まもなく、白帯が3年生を連れて入場。ポールのパネルを抱えている。しっかりした資料を作成したのだから、パネルまでもってくる必要もないと思ったが、展示するとやはり迫力がある。


0301れきまち02大鳥屋01 0301れきまち02大鳥屋02


 12時過ぎに設営完了。大鳥屋さんからのお言葉に甘えて、炬燵部屋とお座敷で昼食。12時45分ころからようやく会場にお客さま入場。この出足をみて、お客はわずか数名ではないか、と心配したんですが、13時の開会直後から一気に来場者が増えました。
 第Ⅰ部はASALAB(保存修復スタジオ)の卒業研究発表です。一人目の発表はセッさんで、題目は「鍛冶町・河原町の町並み保全にむけて」。予想以上に雨音が大きく、女子の声が通らない。まもなく大鳥屋さんにお願いして、マイクとスピーカーを貸していただきました。途中から声が聞こえるようになった。セッさんの結びは、以下のとおり。

  鍛冶町・河原町は重伝建地区にふさわしい文化財価値を有しています。ここは「打吹玉川」地区
  から離れており、歴史的背景も異なるので、「打吹鉢屋川」として新規選定するのが望ましい
  でしょう。ただし、町家等の取り壊しが相次いでおり、重伝建選定前から建造物の数を少なくしない
  ような配慮が必要です。(略)
  倉吉は「中心市街地活性化」の取り組みを始め、(略)打吹エリアに関しては、重伝建の選定や
  歴史まちづくりと矛盾するものではなく、「都市の個性や歴史を活かす」という目標に町並み保全
  は大きく貢献するものと期待しています。


0301れきまち03会場外観03 0301れきまち03会場外観01
↑会場外観

0301れきまち04学生壱01
↑学生発表(一人目)。マイクがなく、声が雨音に掻き消される・・・



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恋歌-限界集落

 寅さんのマドンナは池内淳子でした。「女と味噌汁」の芸者役、懐かしいね。和服が似合う女優さんでした。「女と味噌汁」の若手芸者が長山藍子でしたね。
 長山藍子の演技は今夜も冴えてました。限界集落株式会社の最終回、参りました。ちょっと堪えた、わたし・・・学ぶところの多い番組でした。津野の風景を思い起こしながら、何度も録画をみるでしょう。

 1週間休んだSugarに復帰。昨日で5回めだ。ウォーミング・アップでエアロ・バイクをこぐんですが、全然疲れない。20分走っても何ともない。それがシャドウ・ボクシングになると、ふらふらさ。3分でふらふら。
 4回めからリングに上がるようになったの。1歩前に出てジャブ、もう一歩前にでてストレート、さらに前に出てワンツー。今度は下がってジャブ、下がってストレート、さらに下がってワンツー。下がるほうがやりやすい。なぜかと言うと、利き足の右足から動くから。前に出るときは、軸足の左足を前に出す。右利きには容易でありません。

 限界集落株式会社を見終えて、研究室へ。2月末日の夜、4年生全員、3年生2名、院生1名集合。れきまち研究会の準備と、報告書関係の課題の締め切りです。
 今日で4年生は解散です。白帯もそろそろ解放してやんないとね。
 わたしだって休みたい。そういうわけにはいきもはん、残念ながら。



プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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