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今年も、晴耕雨読(五)

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里芋の植え替え

 5月下旬の日本各地で連日真夏日を記録しており、本日(5月30日)が梅雨入り前のピークとのことです。ところが、今年に限って講義室の空調が6月下旬まで入らないよう設定されていて、学生・教員からブーイングが発せられている今日このごろです。
 さて、先生は昨年いくつか球根を寄贈され、11月にチューリップと思ってプランターに植えたところ(↑)、発芽し生育していくにつれ、どうやら里芋であることがあきらかになってきました。先生は誰から里芋の球根をもらったのか、さっぱり記憶にないそうです。


170530畑 写真③ 170530畑 写真①


 里芋の栽培方法が分からないので、倉吉のマッド・アマノ氏に教えを乞うたそうですが、プランターではなく地植えが必要だというアドバイスを頂戴し、このたび茶室裏の菜園に植え替えすることになりました。参加者は4年4名と3年1名です。先生から譲り受けた立派な里芋の苗を、ひとつひとつ丁寧に植えていきました。猛暑のなか、蚊と格闘しながらも、作業に励む男子の姿が印象的でした。

 里芋は個人的に、とろろ蕎麦としていただくのが大好きです【教師注:あれは長芋でしょ】。他にもいろいろな料理法があるので、収穫後ゼミ生全員で検討してみたいと思います。今から収穫するのが、とても楽しみです。ほかの野菜も問題なく育ってくれているようで安心しました。昨年のキュウリの悲劇が再発しないよう、暑さに負けず育ってくれることを祈ります。(きびたろう)


170530畑 写真④
植え替え完了
170530畑 写真⑤


男はつらいよ-寅さんの風景(6)

寅次郎かもめ歌 amazon


寅次郎かもめ歌

 5月25日(木)。『男はつらいよ』シリーズの第26作「寅次郎かもめ歌」(1980)を2年生にみてもらった。マドンナは伊藤蘭。キャンディーズ解散後、ソロとして復帰した直後の演技である。わたしは、この作品がとても好きだ。中期の傑作の一つだと思っている。とくに気に入っているのは夜間学校のシーン。先生役の松村達雄がじつに効いている。国鉄便所掃除の詩を朗読するシーンは寅さん映画史上屈指の場面であろう。松村達雄がおいちゃん役ではなく、脇役ででている作品に秀作が多いとも思っているが、「口笛を吹く寅次郎」の和尚役と本作の夜間高校教師役が双璧ではないか。ところが、レビューを読むと賛否両論で、わたしと同じ高評価もあれば、「中途半端」という低評価もある。そして学生たちの反応はどちらかといえば、後者に近いものだった。すみれが男と一夜を過ごし、朝帰りをしたところで旅にでる寅さんは「無責任」という感想もあった。わたしには寅さんの気持ちがよくわかる。父親代わりの娘に対する愛情が7割、恋愛感情が3割。相手の男を目の前にしたら「何をするかわからないだろ」とさくらに告げて団子屋から消える寅さんの心情が痛ましかった。余談ながら、誘拐犯手配の似顔絵は寅さんとフィアンセの大工(村田雄浩)の両者に似ている。すみれの好みは寅さん似だということを暗示したものと思われる。地震と津波で壊滅した奥尻島の漁村風景も貴重。

 <ストーリー>  北海道は江差。追分まつりのバイに出かけた寅さんは昔仲間のツネの死を聞き奥尻島へ渡る。墓参りをすませての別れ際、島で働くツネの娘すみれは「東京へ出て働きながら夜間高校に通いたい」と訴える。柴又とらやでは突然寅さんがすみれを連れて帰って来たのでひと騒動。事情がわかるとセブンイレブンへの就職も斡旋してやり、夜間高校への入学も一家をあげて応援する。わがことのように嬉しい寅さん。そんなある日、すみれの恋人が現れた。彼女の告白に顔色を変える寅さんはまた旅に出る。


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トンレサップに帰ろう(2)

異文化社会における学校づくり

 5月24日(水)。3限の「パリンカの夢」中間発表練習を早めに切りあげ、4年生+αとともに母校をめざす。SGHトンレサップ課題の指導は午後3時すぎから始まった。生徒数は15名程度で3班に分かれる。女子が多い。まず自己紹介した。

  わたしは本校の卒業生です。もう60歳になってしまいましたが、開校百周年のときに2年生
  でして、野球部が甲子園に出場して仙台育英を3-1で倒したのを応援したんですよ。大学
  は建築ですが、そんなに建築が好きなわけではなく、むしろ文化史・民族学・考古学の分野
  と深く係わってきました。トンレサップには2回行きました。いつも辺境を放浪しています。
  放浪ほど楽しいものはない・・・

 寅くんはこちらを覗きこんで、「あれをやるんですか」と問うてくる。そっとウィンク?すると、本当にやっちまった。

  このたび名古屋グランパスからFC東京に移籍してきた○○です。

 結果、おおすべり。予想どおりです。何ヶ所かまわって挨拶するに、あまりに真面目でつまらなかったので、蹴球酒場用に準備した挨拶ネタを高校でも披露したのだが、受けるわけありません。「やっぱ受けなかった」という自虐コメントが受けるパターンです。


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今年も、晴耕雨読(四)

茶室


噂の寅くん

 5月23日(火)。本日は晴天なり。どういうわけか、寅くんと称する某私学の4年生が来学しています。昨日紹介ありましたが、水上居住に係わる卒業論文に取り組んでいるそうで、奈良から鳥取まで同行し、前夜は先生宅にシュラフで宿泊したとのことです。火曜日はいつも午後1時より先生の講義(2年対象)があるので、その間、ゼミ生が「廃材でつくる茶室」の案内しました。


畑


 茶室内部は畳の傷みもなく、まだまだ使っていけそうです。簡単に掃除をしておきました。菜園のほうは、ここ数日の厳しい日射にローズマリーが一株枯れてしまっていました。他の野菜は負けないように祈るばかりです。

 講義を終えてゼミ室に戻ってきた先生は「あ~しんどっ」。翌日のSGH指導の準備はとくに必要なわけでもないので、寅くんも混ぜて一同駅前をめざしました。大丸5階のカフェでくつろぎながら、今後の活動について緩いミーティングをしているところに、市役所の方が来られて、先生との打ち合わせになり、若い世代は雑談に移行。パディさんがいつもの調子で、「イケメンいませんか?」で切り出したのには驚きました。先生のほうは、どうやら摩尼山に係わる問題を抱えているようでした。 (だっしょ) 【続】


集合

トンレサップに帰ろう(1)

寅くんのサラダ記念日

 まる1週間前の日曜日、東京から若い客人をむかえた。大学4年生で建築の専攻。どこの大学かは言いにくいが、ヒントをあげるとするならば、「男はつらいよ-寅次郎サラダ記念日」(第40作・1988)。通ならすぐにピンときますよね。以下、「寅くん」の愛称で呼ぶことにします。
 寅くんは建築家になりたいのだそうだが、どういうわけか、水上居住に興味をもっていて、わたしを訪ねてきた。5月7日に受信した最初のメールを読み返すと、以下のように記してある。

  私は移動する建築物・人口建造物に興味を持っており、家船や水上建築の陸との関わり方や、
  そこに生じる生活空間について卒業論文で扱おうと思っております。現在、チチカカ湖の葦船、
  カンボジアのトンレサップ湖の家船居住、バジャウ・モーケン等、東南アジア海域の漂泊民に
  ついての資料収集と、そこから得られる現代都市への問いを模索しています。

 私の如き田舎教師でよければアドバイスさせていただきます、と返事して、21日(日)、高の原イオンのスタバで落ち合うことに。暑い日だったが、あきらかにリバウンドしてきたお腹を少しでも引き戻そうと真っ赤な自転車に乗ってった。平城NTの坂はきつく、上下が激しい。ふらふらになった。
 スタバに着くと、すでに寅くんは待っていた。若く清々しい風貌の人物である。問われることにはすべて答えたし、二軒目の大戸屋で少々アルコールもまわったので、余計なことまで口走った(反省)。寅くんには母校のSGHトンレサップ課題のことも伝えてあったのだが、「興味があります。研究の手がかりになるかもしれないので見学させていただきたいです」という返信をもらっていた。これほど意欲のある学生は身の回りから消えてしまったね・・・
 その課題指導が6月14日(水)から5月24日(水)に急遽変更になったのだが、寅くんの気持ちは変わっていなかった。東京から奈良までは深夜バスできたという。その夜は京都泊。そのまま鳥取に行く予定だというので、少々悩んだが、車にのせて一緒に帰鳥するこにした。
 月曜の深夜、大学着。ただちに講義資料のコピーに移行し、しばし雑務をこなす。そのあいだ寅くんは演習室で自由に過ごしてもらった。【続】

 

おい源公、おまえが犠牲になって、ひとり死ねっ(笑)

男はつらいよ-寅さんの風景(5)

寅次郎夕焼け小焼け


寅次郎夕焼け小焼け

 5月18日(木)。第17作「寅次郎夕焼け小焼け」(1976)を1年生にみてもらました。最初の2作品は寅さんがマドンナ(若尾文子・岸惠子)に恋して振られる初期の定型バージョン、3番目の作品はマンドナ(竹下景子)に恋心を寄せられる中期の逆定型バージョンだが、本作は惚れた腫れたを超越した複雑なストーリーが展開する。龍野芸者演じる太地喜和子の存在感が凄まじく、日本画家役の宇野重吉の枯れた演技もどっしり効いている。この作品を寅さんシリーズ48作中の最高傑作と評するレビューも少なくない。「男はつらいよ」が比較的単純なドタバタ人情劇から大きく飛躍した記念碑的作品であり、学生のレポートを読んでも感嘆の声しきりであった。

 <ストーリー>  満男の新入学祝いに帰ってきた寅さんは、飲み屋で一文無しの老人の飲み代を立て替え、とらやへ連れて帰った。とらやを宿屋と勘違いした老人は贅沢三昧を反省し、絵を描いて寅さんに渡す。その絵が七万円で売れて仰天、この老人は日本画壇の重鎮、池之内青観であることを知るが、すでに青観は姿を眩ませていた。播州龍野で青観と再会した寅さんは、歓迎会の宴席で芸者ぼたんを見染める。その後、ぼたんが柴又を訪ねたが、ぼたんは二百万円の詐欺にあっており、タコ社長とともに取り立てに出向くも、相手は手強い。見兼ねた寅さんは青観を訪ね、ぼたんのために絵を描いてくれと頼む。




↑寅さん、わたしと所帯もつ言うたやろ!?



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立川~樗溪の町並み調査(10)

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崩れゆく町並み

 ニューオリンズから大雲院へ向かいました。この日は、どういうわけか、女子3名に住職さんが「歴史とは何か」講義を始められました。先生と男子2名は御霊屋の宝塔を再観察。OK君は二手先の基本を学んだそうです。そして、立川4丁目の町並みにでると、なんと!!!!
 未登録のほうのY家の隣に建っていた町家が取り壊され更地になっていました。調べてみると、5月2日の訪問時にもすでに空き地化していたのですが、Y家との間には遮蔽装置が設けられています。今回は、その遮蔽装置がなくなっていたので、Y家の妻壁の全景と前庭を望むことができました。
 昨年、一所懸命スケッチした地区だったので、なんだか寂しく感じました…【涙】   (かっきーさん)


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↑5月15日 ↓5月2日
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【追記】  備中高梁を舞台とした『口笛を吹く寅次郎』で、博の兄弟が父の遺産相続をめぐる争いをするシーンが頭に浮かんだ。長男が幼少期を過ごした父の家を継いで移住し守りたいと主張すると、次男・長女がこれに猛反発。さんざん言い争いした後、長男は「分かった、処分して財産を4分割する」と吐き捨てるように宣言する。こうして「歴史的建造物」は金銭に代わり空き地になっていく。町並みという風景は漸次崩壊していくのである。


昨年の様子
(上)昨年→(下)今年=最近
今年の様子


鳥取中央ロータリークラブ卓話(記録)

ロータリークラブ卓話 0515中央ロータリー02


摩尼山-日本最大の登録記念物

 先般お知らせしたように、5月15日(月)、先生が鳥取中央ロータリークラブの卓話をされました。会場はホテル・ニューオータニ2階です。録音・撮影・募金活動のため、ゼミ生数名も会場にかけつけ、スピーチを拝聴したので、その概要をお知らせします。構成は以下のとおりです。

  0.未指定・未登録文化財に支援を-中部地震の課題
  1.世界遺産登録運動の挫折(2006-07)  
  2.摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査(2010)   
  3.摩尼寺の建造物-国登録有形文化財(2014)
  4.摩尼山-日本最大の登録記念物(2016)
  5.パリンカの夢

 以下、わたしのメモを箇条書きで示します。

 1)2006年から2007年にかけて「三徳山」が世界文化遺産の暫定リスト入りを目指して国内予選を戦ったが、「顕著な普遍的な価値が証明できていない」という評価を受け、結果は惨敗であった。そこから展開して、国内外の調査研究と摩尼寺・摩尼山の保全活動を進めている。
 2)懸造(かけづくり)とは前方が高床で、後方が地面に接地している半高床の建築形式である。京都の清水寺本堂や奈良の室生寺金堂は野外に懸造仏堂が開放的に建っている。しかし、三徳山三仏寺投入堂や若桜の不動院岩屋堂は岩陰・岩窟に懸造の仏堂を収めるところに特徴がある。岩窟と複合しているという点において、「日本の石窟寺院」という表現が可能であろう。
 3)摩尼山鷲ヶ峰の立岩に帝釈天が降臨したという伝承が残っている。摩尼山は仏教の山号で「喜見山」といい、須弥山の頂にある「喜見城」に帝釈天が住むという仏教の世界観を山全体に投影している。立岩の脇にはかつて閻魔堂が位置していたことも重要な意味がある。。マニはチベット仏教でよく使われる概念で、「宝石」「宝珠」を意味し、秩序、慈悲、思いやりなど悟りを開くための要素を表している。
 4)「立岩」から60mほど下に「奥の院」遺跡が位置しており、2010年に発掘調査をおこなった。発掘した遺跡は上層と下層に分かれており、上層は室町時代後期~江戸時代初期、下層は平安時代中頃の土器が出土した。おそらく室町後期から江戸時代には懸造の大型仏堂が2棟存在した。岩陰には仏が祀ってあり、その中の木彫仏の年輪年代は15~17世紀であり、上層に対応し、本尊帝釈天像の可能性がある。
 5)2014年に「摩尼寺本堂・鐘楼・山門」が国登録文化財となった。その後、遺跡・巨岩・生態系・眺望景観などが評価され、2016年10月3日に「摩尼山」が国登録記念物(名勝地)となった。総面積約367,000㎡に及ぶ「日本最大の登録記念物(名勝地」である。大山・長谷寺・三徳山・摩尼寺などの霊山が連携して保全・振興に取り組むことを望む。
 6)摩尼山・摩尼寺に係わる新規目標
  ・門前の新規店舗を誘致(強くアピールされていました)
  ・閻魔堂の地盤沈下→立岩脇の原位置に移設し、摩尼山巡回トレイルを充実させる。
  ・重要文化的景観「山湯山の梨園と浜湯山のラッキョウ畑」の実現をめざす。


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男はつらいよ-寅さんの風景(4)

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口笛を吹く寅次郎

 連休あけの5月11日(木)は、1・2年合同で第32作「口笛を吹く寅次郎」を鑑賞しました。マドンナは竹下景子(の1回目)。舞台は備中高梁。高梁の吹谷地区は1977年に「鉱山町」のカテゴリーで重要伝統的建造物群に選定されています。寅さん映画よりも早く指定・選定・登録がなされているのは、むしろ珍しいほうだと思います。前2回が70年代前半の定型バージョンであったのにくらべて、第32作は寅さんが惚れられる逆典型バージョンで、その嚆矢は第10作「寅次郎夢枕」(1972)です。マドンナ八千草薫に「寅ちゃんとだったら結婚してもいい」と告白されて腰を抜かすシーンが頭に残っています。第32作でも寅さんはマドンナに愛されていた。愛されているからこそ「冗談だよ」と気をそらす寅さんにいらつきながらも心を動かされる名作ですね。


 <ストーリー>  備中高梁で博の亡き父のお墓参りをした寅さんは酔っぱらいの和尚(松村達雄)に気に入られ、いつのまにかニセの和尚になってしまう。和尚には朋子(竹下景子)という美しい娘が出戻っており、寅はたちまに虜になる。さくらたちは三回忌のために菩提寺に集まると、寅が坊主の格好をしてお経を読んでいた。ある夜、入浴中の和尚が薪をくべる朋子に「寅を養子に貰うか」と語りかけたことを耳にして、寅は柴又に戻っていった。僧になるため帝釈天で修行するもあえなく挫折し、「これがほんとの三日坊主」と笑われる。弟を心配して東京にでてきた朋子は寅さんとも再会を果たすが、予期せぬ結末が待っていた・・・



↑大山が出ますよ、因島フェリーも・・・

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サテンドール(ⅩⅩⅤ)

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ウェザーリポート下見

 ズージャのインテリアとエクステリアはとても洗練されている。遠音の白とは対照的な黒を基調とする。客席は少ないようで、そうでもない。カウンターに数席、その後ろ側にテーブル。最初はこれだけかと思ったが、テーブルの脇にもうひとつ部屋があり、女性客が出入りしていた。たぶん20席ぐらいはあるのだろう。客層は常連客ばかり、といった印象。知的なジェントルマンが、わたしのあとから二人カウンター席について主人と話し始めた。

  「ウェザーリポートは調整が終わりましたか?」

といきなり主人が切り出した。松江で週末だけ復活することになった老舗ジャズ喫茶の話題である。常連の客は、

  「電源が22あって、うち15を使うんですが・・・」

と答えはじめ、あとは音響の専門的な話題に終始した。ウェザーリポートの現状については、ひょっとすると、一見さん(私)を会話に引き込もうとする呼び水だったのかもしれないが、とても話についてけないので、黙って聞いていた。機械は不得手な分野である。ギターもそうなんだ。演奏あるいは音楽そのものには頗る興味があるのに、ギター本体・音響とも無頓着の極みであり、さらに複雑なステレオセットとなれば、ちんぷんかんぷん。『タモリ倶楽部』のステレオ・マニア回は楽しくみるけれども、その内実はさっぱりわかっていない(そもそも財布がついてかない)。


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 ミュージシャンや音楽に詳しいだけではジャズ喫茶は開店できない。ズージャは遠音に比べるとはるかに器材が威圧的で音量も大きい。だから仲間ときてリラックスするというムードではなく、個人で音楽を聴きながら孤独な時間を過ごすというジャズ喫茶本来の匂いがぷんぷんしている。かりに退職後じぶんでやるとならば、ズージャは無理だ。遠音ならなんとかぎりぎり行けるかもしれない。
 チャイを飲み干して400円払い、店をでようとした。玄関側から全景を撮るべくレンズを向けると、前室壁付きの本棚に建築系の雑誌や専門書がずらっと並んでいるのに気がついた。そこで、いったんカウンター側に後ずさりし、「建築の関係者がいらっしゃるんですか」と問うと、主人は「わたしがそうなんです、インテリア関係なんですが」と答えられた。なるほど、道理で室内外のデザインが凝っているんだ。インテリアは現代的でしゃれているし、エクステリアは数寄屋の庭のような匂いがする。全体的に、バンコクのジム・トンプソン邸を彷彿とさせると言えば誉めすぎかな??


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サテンドール(ⅩⅩⅣ)

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ズージャ

 山下清展を見終え、こんどは市内安部にあるジャズ喫茶「ズージャ」で一休み。ネット上で隠れ家的な場所にあるという情報を得ており、方向音痴のわたしは不安にかられた。果たして道に迷ったので電話をかけたところ、髭の生えた主人が玄関先まで出迎えてくれた。カメラをもった一見さんの訪問に訝しく思われている節もあり、「メディアでもなんでもありません。ただ、ジャズ喫茶が好きなだけなので写真を撮らせてください」とお願いした。すぐに流れている音楽についても質問したが、「これです」と言ってパソコンの画面をぶっきらぼうに指示された。近寄ってみたが、目がわるくなっていて小さな字が読めない。現代的なモードの演奏だったように記憶するが、ジャズ喫茶でパソコンには驚いたね。やっぱりLPをかけてほしい。アナログの世界でライブ感を再現してほしいものだと勝手に思う。
 カウンターに腰掛ける。ここもジャズ喫茶らしく、メニューは究極的にシンプルである。珈琲、チャイ、ジンジャーエールの3種だけ(すべて400円)。熱い1日だったので、冷たいジンジャーエールにしようとも思ったのだが、糖質制限している身としては、さきほどのシフォンケーキがすでにして規則違反であり、これ以上甘いものはとれない。チャイを注文した。


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日本ぶらりぶらり

 チャイを待つあいだ、ミュージアムショップで購入した山下清の『日本ぶらりぶらり』(1958)を読み始め、まもなくわたしは山下の文体の虜になった。なんだろう、この文学・・・言語学的にみれば、文法のおかしなところが結構あり、「・・・ので、・・・ので」の反復も、村上春樹流にいうならば「文章のスタイリストではない」ことになるが、スタイリストであろうとなかろうと、文意は通じやすく、独特のリズム感に惹きつけられる。校正マシーンを自称して、学生の卒論等をケチョンケチョンに書き直す我が身の指導のあり方を再考させられた。
 本文はもちろんたいした言語芸術だが、その解説がまたおもしろい。初版本に「あとがき」を書いた式場隆三郎(精神病理学)は冒頭で「旅行記は、清のかいたものに私が手を入れたり、清の口述を私が筆録したものである」と公表している。本書は好評を博し受賞までしているが、一部には「添削や筆録がうますぎて、清らしくない」という批評もあったようだ。これに対して式場は、ゴッホの作品が弟テオとの合作であったように、清の文章・陶芸・素描などは山下と式場の合作であることを認めてほしい、と反論している。自分の推敲があったからこその受賞だという自負が式場にはあったのだろう。
 ところが、あとがきに続く解説「山下清の文章とその魅力」を著した寿岳章子(国語学)の見方は全然ちがった。山下清の自筆日記3冊を研究室をあげて手仕事で模写・分析し、一冊のガリ版の報告書をつくりあげ、その結果からこう述べている。

   世に「山下清の文章」としていろいろ出ている本は、率直に言って私たち
   には少々不満である。やっぱり生の彼の文章はべらぼうに面白い。


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マリアージュのチャイ

 『日本ぶらりぶらり』に唸っていると、チャイがテーブルに運ばれてきた。甘いチャイだった。甘いチャイを飲んだ経験がないわけではない。スリランカの茶畑労働者が飲むチャイは甘い。かなり甘い。一般家庭で振る舞われたチャイも甘かった。熱帯で働く労働者のエネルギー補給のため、つまり血糖値上昇のため甘いチャイが必需品なのである。一方、ムンバイ周辺のホテル等で飲んだチャイはミルクティに多めのガラムマサラを振りかけたものであり、シュガーは原則まぜない.。いや、店の人はシュガーが要るか否かを問うてきたかもしれない。結果として、入れるわけはない。わたしは息子との二人旅で、このチャイが大好物になり、大量のガラムマサラを仕入れて帰ってきてすでに数年経つがまだ、そのときのガラムマサラが若干残っている。茶葉にはアッサムCTCを使う。鍋底に少々水を浸してアッサムCTCを多めに入れ、牛乳を大量に注いでゆっくり沸かしていく。この段階で生姜を混ぜてもいい。沸騰したらガラムマサラをふりかける。これでインド風のほぼ完璧なチャイができあがる。
 ズージャのチャイは男性化粧品のような芳香がした。おそらくマリアージュのマルコポーロ系の茶葉を使ってミルクティを煮出し、砂糖をいれたのでしょう。糖質制限中だから言うわけではないけれど、これは邪道です。インドの本物のチャイではないし、そもそも芳香剤つきの紅茶はインド人もスリランカ人も飲みません。新鮮な茶葉のないフランスで発展した偽の紅茶文化だとわたしは思ってます。少なくとも、チャイに関しては、我が家のほうが美味い。間違いありません。 【続】


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サテンドール(ⅩⅩⅢ)

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遠音

 サテンドール・シリーズを復活しようと思い立ったのは、八雲立つ出雲の街に「サテンドール」という名のジャズ喫茶があることを知ったからだ。しかし結局、その店を訪れることは叶わなかった。すでに発症してしまっている。
 スタートは米子市郊外の奥谷にある「遠音」という店。ジャズ喫茶と言えば、音楽を鑑賞する場所である。時によっては、メモをとったりする。実際、わたしは主人に対して、今流れているアルバムについて質問し、

   リー・コニッツです。アルトではなく、テナーを吹いているコニッツ。

という返事を頂戴したので、小曽根真&ゲイリー・バートン@松山のチラシ余白にそそくさとメモ書きした。調べてみるか・・・


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 おそらく『インサイド・ハイ・ファイ』(Lee Konitz - Inside Hi-Fi ・1956)であろうと思う。クール・ジャズの雄コニッツが、アトランティックに残した初期の代表作で、「アルト・サックスをはじめ、テナー・サックスを吹いたトラックも収録した貴重盤」と紹介されている。メンバーは、リー・コニッツ(as,ts)、サル・モスカ (p)/ビリー・バウアー (g) 、ピーター・インド(b)、アーノルド・フィシュキン(b)、ディック・スコット(ds)。トップ・レビューには、「ギター(ビリー・バウアー)とのユニゾンプレイはまるで2管のように響く。コニッツ作品の中でも最上の出来」と絶賛している。
 ここまで書いたからには買わねばなるまい。1000円で新品が届きます(中古より安い)・・・いやまて、買うならビリー・バウアーか。そうしよう。輸入盤にレアで良いのがあるな。


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ブッダが説いたこと(一)

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秋の仏ほっとけ会(第3回) 第一報!

 昨夏のブータン調査に携帯した『ブッダが説いたこと』(岩波文庫・2016)は、スリランカ出身の学僧ワールポラ・ラーフラ(1907‐97)が、パーリ語・サンスクリット語の仏典に収められたブッダのことばのみに依拠して、仏教の基本的な教えを体系的に説いた英語圏最良の仏教概説書(1959年刊)であり、2016年に本邦初訳の運びとなった。訳者の今枝由郎氏には昨年8月末にテインプーでお目にかかり、以後、本書の内容を講演していただきたいと水面下でお願いしてきたが、このたび今年度の予算が確保されたので正式に依頼しご快諾いただいた。大急ぎで日程・会場を調整しほぼ確定したので、第一報としてお知らせする。

 日 時: 11月18日(土)13時開場 13時半開演
 会 場: 県民ふれあい会館 講義室(120席)入場無料・先着順
       http://fureaikaikan.jp/  TEL 0857-21-2266
 講演者: 今枝 由郎 (京都大学こころの未来研究センター特任教授・
        元ランス国立科学研究所CNRS研究ディレクター)
 演 題: ブッダが説いたこと
 講演概要:  仏教の最も古い形態を現在まで継承しているスリランカのテーラワーダ仏教の高僧ワールポラ・ラーフラの著作(今枝訳『ブッダが説いたこと』 岩波文庫・ 2016)に基づいて、ブッダの教えの中心的概念を紹介する。その後2500年ほどの間に、この教えはアジアのほぼ全域に広まったが、地域ごとに様々な形態に変化していった。その中で、現在のチベット・ブータンの仏教、および日本仏教を取り上げて、本来の仏教と比較し、現代における仏教の意義・役割を考えてみる。

 主催・事務局(問い合わせ先): 公立鳥取環境大学保存修復スタジオ 
               TEL&FAX 0857-38-6775 hozonshufuk@kankyo-u.ac.jp



     今枝由郎(いまえだよしろう)先生 略歴・業績等

【略歴】
 1947年 愛知県生まれ
 1974年 大谷大学文学部学士号取得
 1978年 高等学問研究所(EPHE)第4部門歴史・文献学修士号取得(フランス)
 1987年 パリ第7大学国家文学博士号取得(フランス)
 1974~91年 フランス国立科学研究所(CNRS)研究員
 1981~90年 ブータン国立図書館顧問(出向)
 1991~2012年 フランス国立科学研究所(CNRS)研究ディレクター
    ~1995年 カリフォルニア大学バークレー校客員教授(出向)
    ~2007年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所客員教授(出向)
 2016年~ 京都大学こころの未来研究センター特任教授(現在に至る)

【研究領域】 
  仏教史、チベット語圏歴史・文献学


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今年も、晴耕雨読(三)

苗


 5月10日(水)。合同ゼミで3年生の居住環境実習・演習(Ⅱ)中間発表の一回目の練習を聴いた後、3年生3名ととも茶室奥の菜園に行きました。苗植え第2弾です。植えたのは、きうり・トマト・大葉・ローズマリー・バジルです。去年よりハーブ系が目立ちますね。残念ながら、先生ご所望の珈琲苗はカインズにも百均にもありませんでした。

 私が畑で働くのは昨年8月以来。久しぶりに行くと山道の入口の草木が伸びて非常に入りにくくなっていました。3年生に聞いたところ、先月訪れた時はこれほどではなかったそうです。5月に入り気温も夏日になることが多く、すでに毛虫や藪蚊がみられました。昨夏、藪蚊に足首をかまれてすごく腫れたのを思い出します。(みひろ)


完了
↑奥の方に新しく苗を植えました。
 今年はどれほど収穫できるのか楽しみにしています!

パリンカの夢(1)

2017居住環境実習・演習(Ⅱ)中間発表会のお知らせ


 こんどは学内の研究発表会です。3年次の実習・演習ですが、今年度から参加する研究室が増えたので、発表会場を2室に分けました。


  1.日時 6月7日(水)4~5限
  2.会場   ①建築・都市計画班 @1F環境デザイン演習室
         ②景観・地理・歴史班 @4409人間環境演習室
  3.発表時間  学生一人あたり4~5分とします。
      発表は個人、グループどちらも可。グループの上限は4名程度(発表時間15分)。
  4.準備  各班はスクリーン、プロジェクター、ベル、マイク等を準備のこと。
  5.その他
   1)2班に分かれた発表を評価する関係上、発表会は最初から最後まで録音します。
     録音データはネット上サーバーにアップし、教員全員が共有。
   2)期末発表会では班編成を変更します。

 ASALAB3年はこれまでとまったくちがうアプローチをしています。乞ご期待!

どんどろけ

 鳥取中央ロータリークラブの卓話が迫ってきましたが、似たようなミニ講演の依頼がありました。依頼された演題も同じです。何処でも、何度でもやりますよ。認知度が著しく下落した摩尼山・摩尼寺の広報のためですから。以下、メモ書きです。


1.日時 6月19日(月) 午後7時~
2.講演時間 30分
3.主催 どんどろけの会
4.会場 ジャパンズ  ℡0857-24-3939
   〒680-0832 鳥取市弥生町220

5.講演題目  摩尼山-日本最大の登録記念物

6.講演概要  2016年10月、摩尼山南半の約36万㎡が日本最大の登録記念物(名勝地)に
        なりました。平安期まで遡る摩尼寺「奥の院」遺跡を中心に文化遺産と景観を
        紹介し、今後の展望をお話しします。

 ちなみに、「どんどろけ」とは因幡方言で雷のこと。県中部には「どんどろけ飯」という炊き込みご飯もあるようですが、わたしは食べたことがない。
 「どんどろけの会」はわたしと同い年の政治家さんを支援する非公認組織であると聞き、いったいなんぞやということで検索していくと、本を出版されている。さっそく中古本を取り寄せました。


Arte

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昭和の看板-寅さんの風景

 最近ちょこちょこ図面・写真の転載依頼が届きます。今日お知らせするのは鳥取県文化振興財団の情報誌【アルテ】Arteの5月号。いまメールを遡って確認すると、4月12日に電話とメールで依頼がありました。
 倉吉市本町通り商店街に残る「旧吉田商店看板」の撮影に出向いたところ、震災後の修復中でシートがかかっており、LABLOG掲載の写真を転載したいとの申し入れでした。もちろん快諾して、上のように誌面を飾ったわけです。
 昨日、情報誌を落掌。ざっとテキストを読んでみたのですが、提供した写真と直接関わる部分はありませんね。どうやら昭和30~40年代文物の代表格としてこの写真を掲載したかったみたいです。ほかに似たような候補はいくらでもあるだろうに、とも思うわけですが、こうして広報していただくほうがたしかに有難い。文化財行政の基本を見通すならば、こうした看板や「看板建築」が除去されかねないと心配していたからです。わたし自身還暦を迎えましたが、昭和30~40年代の遺産・景観も築後半世紀を経たわけですから、登録文化財の資格を得ている。むやみに排除できません。
 編集部に問い合わせたところ、「民家の屋根が地震により被害を受け、それを修復するために一時看板をはずしている」ものであり、「民家復旧後に看板は再設置される」とのことなので、胸をなでおろしました。
 倉吉もまた「寅次郎の告白」の舞台となったところです。わたしたちの世代をはぐくんだ昭和の風景は、そのまま寅さんの風景でもあり、歴史・文化的な価値がある。守れるものは守ってほしいですね。


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↑こちらがオリジナルの写真。研究室のブログながら出典を探し出すのに骨が折れます。「倉吉 本町通り 看板 画像」で検索すると、該当の画像が含まれていて、元のサイト(↓)にリンクしています。

【遥かなまち、くらよし探訪(Ⅰ)】 2010/06/27(日)
http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-2230.html

トラ、トラ、トラ-半島有事に備えよ(3)

 メッシ上手い、メッシうまい、メッシ美味いぞ。5年も待ったから、ほんとにうまいぞ、あはは・・・
 今日の選挙はどーでもいい。半島有事も一段落です。明日、世界は(一部ではありますが)浄化される。
 プーチンが消えたようなもんです。



↑走れコータローの原曲か?  加藤和彦は元々バンジョーの使い手だったそうです。

再び、珈琲の蕾と花

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 GWといえば、かつて世界卓球どっぷりであったが、今では鉢植え三昧です。どこの家でも似たようなものでしょう。ただし、植苗の数は少なくなりました。体力の衰えが否めないからではありますが、じつはマッド・アマノ氏より頂戴した大量のチューリップ?球根が次期を遅らせながら芽生え始め、また同じくアマノ氏より寄贈されたブルーベリー4株も順調に成長したおかげで、大型プランターが足りなくなってしまったからでもあります。いまさら新しい鉢を買うのはしんどい。プランターを買えば肥沃土も必要になりますからね。節約、せつやく・・・


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 プランター仕事の〆は珈琲樹の移設。半年過ごしたリビングを離れ、玄関前のポーチに居を変えました。その際、まず妹(3歳)のほうで蕾と花を確認。昨年はまだ少女レベルだった樹も高さ1mほどになり、ついに開花したのだ。さらに驚いたことに、つい先日赤い実を収穫したばかりの姉(4歳)の方にもやはり蕾と花がついている。
 嬉しいですね。今年も大事に育てて、一年後にはまた一家で正真正銘自家製珈琲を味わいたい。ただ、残念なのは、珈琲の挿し木はうまくいかないみたいだ。3株中2株はすでに枯れて、1株だけがなんとか緑色を一部に残している。でも、挿し木の実験はこれからも進めますよ。それと、どうやら百均やホームセンターに珈琲苗を売る店があるようなので、どこかでみつけたいものだね・・・いまアマゾンで検索したが、なかなか高価だ。送料を含めると1000円を超える。パスだな・・・


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 母の日も近くなってきた。佐治の義母にはGW中にカーネーションをさしあげました。我が家は紫陽花にしたんだ(↓)。カーネーションは一年草だが、紫陽花は多年草なので、年々累積していくよね。垣根に飾れば色とりどりの梅雨を過ごせるもの。さて、仕事だ・・・


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 邪馬台国の所在地に諸説あるように、中国においても伝説の夏王朝の存否及び所在地は百家争鳴の状態にあった。しかし、河南省偃師の二里頭遺跡が殷(商)代初期にあたる二里岡文化(河南省鄭州市)に先行することが確定した結果、前世紀末までには、二里頭こそが夏の中心域であるとみなされるようになった。建築的には、『周礼』考工記に記載された「殷人重屋、四阿重屋」を彷彿とさせる裳階(もこし)付の正殿を広大な回廊で囲い込む宮殿跡が注目される。

 夏王朝の創始者を禹(う)と云う。あくまで伝承の域をでないが、禹は黄帝の玄孫にあたり、前二十世紀ころの中原(黄河中流域)を支配した。禹は人望篤く、黄河の治水に尽力した人物として史書に特筆されている。これと関係して、白川静は「禹」なる文字を「魚(の一種)」、藤堂明保は「蜥蜴(とかげ)」の象形とみる。禹(と黄帝)には『山海経』の霊獣に似るところがあり、洪水を制御する水神としての意味を担うという説が有力である。後代における龍のような神格、あるいは龍の起源とみなせるだろう。


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 二つの睡蓮鉢で冬を越えたメダカは数えるばかり。今年も加西パークで色とりどりのメダカを仕入れ、鉢に放り込んだ。4月28日(金)、その様子を確かめようと鉢を覗きこむと、別の小動物が水草上に浮遊している。両生類か爬虫類のようにみえたので、まずは柄杓で掬おうと試みたところ、いっさい抵抗を示さない。おそるおそる手で触れてみた。蜥蜴だ。溺愛しているペットのように物怖じすることなく、浮輪に揺られてゆらゆらするばかり。
 睡蓮鉢を治める禹にちがいない。このまま水に浮かんで極楽をきわめてほしい。数時間後、鉢を覗くと禹は消えていた。


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失敗を怖れるな

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失うものはなにもない

 さて、子どもの日だ。午後になってから田原本で開催されている版画展が最終日であることに気づき、大急ぎで会場をめざす。ところが、カーナビが木瓜てましてね。平城NTから二十数キロしか離れていないのに高速に乗ってしまい・・・近回りしているのか、遠回りなのかさっぱり分からない、おかしな道中になりました。
 西竹田という農村集落にある和風住宅をギャラリーに活用している。常設ではなく、GWなどの限定期間でギャラリー&カフェにしたものなんだろう。最近、こういう活用が流行ってますねぇ。


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 和風住宅は新しくみえるが、中2階形式であり、トオリニワ(土間)の痕跡を残すので、やはり明治中期ころに始まり近頃改修したものであろうか。全体に数寄屋を意識している。続き間の座敷には版画をのせたイーゼルが規則正しく並んでいる。素朴で剽軽な版画に目を奪われた。動物・仏像・風景を主題としつつ、漢語の格言と複合させるパターンが多い。漢文は案外読めた。復元と係わる主題のものもある。唐古・鍵の楼閣をみてどきりとした。懐かしいようで、冷めてもいて、微妙な心境。


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↑見覚えのある?風景


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立川~樗溪の町並み調査(9)

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自転車にのって

 5月2日(火)。大雲院で打ち合わせを終え、境内背面の立川4丁目に建つ楠城醤油屋さんにも挨拶に上がりました。昨年11月、町並み調査中に紅茶を差し入れて頂きました。つるべ落としの肌寒い午後の調査だったので、とても体が温まりました。本当にありがとうございました。
 さて、私とみひろさんは町並みを卒業論文のテーマにする予定です。馬声のように嘶いては顰蹙をかったつくつくぼうし変態種さん*1の卒論を見なおし、立川・倉吉・上方往来などの町並み研究を前進させたいと思っています。
 醸造家奥様のお話によると、醤油屋さんは明治33年開業の老舗です。大雲院周辺の町並みの中で核になる建物のため、是非実測を行いたいと願い、交渉を始めたところです。平屋に近い中2階の町家ですが、庇が他の町家より長く奥行1間以上あり、2階の窓が低くみえます。正面には結構大きな改修があったのかもしれません。


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海鼠壁と見越しの松

 醤油屋さんの隣には、松が印象的な町家があります。この松は「見越しの松」と言って、海鼠壁とともに一家のステータスシンボルだったそうです。先週のゼミ活動で見学した吉田璋也写真展(@仁風閣)でも、松のある風景写真が特集されていました。町家は、垂木まで漆喰で上塗りされている土蔵造りであることが分かります。海鼠壁と合わさって、防火性が高い町家の代表格で、苗字から察するに登録文化財「吉村家住宅」の親類縁者なのではないか、と思われますが、空家のようにみえます。ただし、見越しの松を初めとする植え込みの剪定はしっかりなされています。この町家も実測調査の有力候補ですが、それが叶わなくともフォトスキャンによる正面図だけは作成したいと思っています。
 昨年の研究を発展させるために、日焼け対策をばっちりして今後の調査を頑張ります。(ぱでぃ)


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↑見越しの松と海鼠壁


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大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅩⅧ)

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浄土変と宝塔

 5月2日(火)、GWの真っ最中ですが、先生は3限に講義があったので、就職活動をしていない4年生は4限の卒論ゼミに集結しました(4年の就職活動学生は仕方ないとして、3年ゼミ生に講義欠席多く・・・嘆きの声あり)。
 天候が素晴らしく、年度初めの挨拶を兼ねて大雲院へ出発。今年度は未確定のところもありますが、きびたろうが浄土変、わたしが宝塔(多宝塔?)を担当することになりそな気配です。
 就職活動のため欠席したきびたろうの代わりにまずは浄土変(↑)について住職にうかがいました。大雲院所蔵の浄土変は名高い当麻曼荼羅をモデルとして制作されたものだそうです。霊光院ではなく、藩政期の大雲院にて模造されたものですが、年代はあきらかではありません。霊光院の巨大な阿弥陀三尊はこの浄土変が影響している可能性もあるようです。


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 御霊屋の本尊「多宝塔厨子」については、建築形式からみると、裳階(もこし)がついていないので「宝塔」に分類されます。宝塔に裳階をめぐらせた上円下方のストゥーパが多宝塔なのです。ところが、住職は御霊屋の本尊こそが正真正銘の多宝塔だとおっしゃるので、先生との間で会話がかみあいません。そこで、建築史ではなく、仏教史における「多宝如来」について少し学んでみました。以下、wikipedia の解説を要約してみましょう。

 多宝如来(プラブータ・ラトナ)は釈迦以前に悟りを開いた無数の過去仏の一人であり、東方無限のかなたにある宝浄国の教主で、名を阿僧祇(あそうぎ)という。日本に限らず中国・朝鮮半島に多宝如来単独の造像例はほとんどなく、法華経信仰に基づいて釈迦如来とともに2体1組で表される(一塔両尊)。一塔両尊の伝統は『法華経』見宝塔品(けんほうとうほん)説話に基づく。すなわち、釈尊が説法をしていたところ、地中から七宝で飾られた巨大な「宝塔」が出現し、空中に浮かびあがって、釈尊の説法を称える多宝如来の大音声が聞こえてきた。多宝如来は自らの座を半分釈尊に譲り、隣へ坐るよう促した。釈尊は宝塔内に入り、多宝如来とともに坐し説法を続けた。


0502大雲院0005 方行造一軒


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珈琲一杯の幸せ

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 先週末帰宅して簀の子縁に足を運び、天日干していた珈琲豆をみると、カラカラに乾いていた。色は限りなく白に近いモスグリーン。いまだ珈琲豆の面影には遠く、節分の豆にみえる。
 焙煎には慎重になった。ネットのサイトを漁り、知り合いのカフェのマスターにも電話して情報を集める。なにぶん失敗は許されない。純喫茶ペパーミントからを譲り受けたのは4年前に遡る。4年もの歳月をかけて育てあげた珈琲豆なのだ。そうだね、大切な娘が赤ん坊から成長して嫁入りし、初孫ができたような、そんな感覚がある(未だ初孫はいないけど)。なんとしても焙煎を成功させ、一家で味を楽しみたい。


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 乾いた豆の収穫後、家族全員がそろう時間を狙っていたが、なかなか調整がつかないまま二日が過ぎた。4月30日(日)夕刻、娘は外出していたが、豆を放置していても新鮮さが失われるばかりだから、焙煎を決意した。

08:39 豆蔵人の指示に従い、IHコンロに鉄のフライパンをのせた(↑左)。
08:42 火力が強すぎて、いきなり一部の豆が焦げて慌てる(↓左)。
08:59 20分焙じてなお白黒まだらのまま(↓右)。


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09:12 焙じ始めてから33分経過。ようやく斑が目立たなくなってきた(↓)。


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09:24 さらに12分焙じてほぼ完成とみなした。炒り始めから43分経過している。この間、IHの温度は2~3を原則としたが、まれに4~6まであげた。


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男はつらいよ-寅さんの風景(3)

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私の寅さん

 4月27日(木)。2年生に第12作「私の寅さん」をみてもらいました。マドンナは岸惠子。だれがどう考えても、絶対手の届かないスーパー美人に寅さんが恋して振られる初期の定型バージョンですが、類似作品と違うのは、家族が九州に旅にでて寅さんは柴又で留守番するところ。やはり寅さんが旅にでないと調子がくるいますね。旅先では思いやりのある正義の味方のような役割で人望を集めるのに対して、実家に戻ると大変な我が儘になる寅さんのギャップが表現されていないのが残念です。

 <ストーリー> とらや一家が九州旅行へ出発する前日、寅さんが帰って来た。隠しだてされてムクれる寅さんだが、結局淋しくタコ社長(梅太郎)と留守番をすることになった。それから数日後、小学校の級友・文彦に再会、懐かしさのあまりに悪酔いし、文彦の妹・りつ子の家で彼女の大切なキャンパスを汚して追い返された。翌日、とらやへ謝罪に来たりつ子と意気投合、互いが病気のときにお見舞いへ行き来する関係になった。しかしりつ子は絵を生涯の伴侶として生きていくつもりで、寅さんとは一生友達としてつき合っていきたいと語るのだった。 所詮つりあわない女流画家に寅さんが胸を恋焦がすシリーズ第12作。(アマゾン



↑女のインテリと便所のナメクジほどヤなものはないんだ・・・



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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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