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登録記念物-摩尼山の歴史性と景観の回復(11)

因幡志にみる摩尼寺奥の院_02web


『因幡志』にみる摩尼山奥院

 冬休みに書いた連載(7)-(10)を関係者に送信したところ、さっそく反応があった。ご指摘に従い、安部恭庵の『因幡志』(1795)にみえる立岩・奥の院エリアの描写についてもここで取り上げておこう。
 『因幡志』の「摩尼山奥院 邑美郡角寺村上下に記す(一)」に掲載された喜見山摩尼寺奥院之図(↑)をみると、巨岩の岩陰らしき場所に小さな方形屋根の仏堂が描かれており、その右上に「弘法大師」と添書きされている。また、図の左上には「大師堂ヨリ絶頂立岩ヘハ一町許」との端書もある。すなわち、この小堂は弘法大師を祀る大師堂であり、現在善光寺如来堂から登山路を少し上がったところに建つ六角堂(↓)に相当するものと思われる。前住職から六角堂は「弘法大師を祀る仏堂であり、やはりかつては山の中にあった」と聞いたことがある。なお、一町(丁)は60間(303mm×6×60=109m)なので、立岩までの距離「1町ばかり」は約100mということになるであろう。実際には、高低差なら50~60m、距離なら150m程度ある。


六角堂01 六角堂02


 一方、『因幡志』の同(二)には「奥院絶頂 立岩之図」が掲載されている。中央上側に「竪岩都合カ?高サ凡ソ四丈」の注記がある。立岩らしい巨岩は比較的小さめに表現されており、その付根に「財河原 石仏」とみえる。その周辺の凸凹地形や岩の上に小石を積み上げている。賽の河原(財河原)の風景がまさに展開しているわけだが、建物らしきものは一切表現されていない。18世紀末の段階では、鷲ヶ峰に地蔵堂は存在しなかったということであろう。『因幡志』に続く米逸処の『稲葉佳景無駄安留記』(1858)は中腹の境内を詳細に描くものの、立岩・奥の院エリアについては記載がない。


因幡志にみる摩尼寺奥の院_02立岩02web


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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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