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スコア




 先日の浜田行の車中、音楽の話になり、そこにいたすべての学生がなにか楽器をやっていることがわかった。かのOK牧場君まで下宿にエレピがあって、時々弾いているというから驚いてしまう。こういうピアノ系の人たちは、楽譜には強いがコードには弱い。逆にギター系の連中はコードには強いが譜面は苦手である。
 それで、バンドスコアを複写して配った。めざすは聖誕節、つまりクリスマスなんです。なぜならば、今年は12月にイベントを予定しているもんで、そこでなにかできないか、と模索が始まったわけです。ともかく還暦過ぎと二十歳過ぎがあわせるしかないわけだから、まずは音源を聴いていただくしかない。ということで、おなじみのユーチューブ映像を並べることにしました。


トワイライト・アヴェニュー




ふたり




もう一度ハーバーライト




クリスマス・イブ






↑これは凄い。ときどきミスタッチがあるところがまた良かったりしてね。几帳面なクラシック・ギタリストがやったらきっとこんなに味がでない・チューニングはオープンGの6弦1音下げ(CGDGBD)2カポのようですね。



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シュガーは汐(うしお)時

 円通寺橋を過ぎたあたりで、右耳の奥がキュポンと鳴った。あれっと思い、鼻をつまんで口を閉じ、おもいっきり息を押し出したら、またキュポンと鳴る。右耳の閉塞感が緩んだ瞬間だと察知した。耳鼻科専門医の投薬と点耳薬が効いたのだろう。
 いったん下宿に戻り、すぐにジムへ向かう。熱いからだろうか、夜遅いからなのか、人は少ない。健康診断を2日後に控えているにもかかわらず、この二ヶ月まったく通うことができなかった。何回か、夕方になって今日こそと決めたことがあるのだが、帰宅して横になると眠りに落ち、閉店の時間を過ぎてしまうのが常になってしまった。
 週末に家内とも相談したのだが、「潮時ではないか」という思いが強くなっている。58歳で通い始めたころは、夜に運動しても、そこからまた一仕事する馬力があったものだが、還暦をすぎた今ではそういう気力が湧いてこない。現に、今夜も大学に行って最終講義資料のコピーをしようと目論んでいたのだが、あっさり断念した。明朝早くおきて行くことにする。
 運動してよいことは多々ある。腹が少しへっこんで、体重が落ち、植物人間と化していた心身がわずかながら動物に戻るわけで、男子たるもの、どこかにそういう自分を残してかないと、生きていて楽しくもなんともない。動物的な自分を取り戻すためにはジムに不定期でも通い続ける必要があるのだけれども、2ヶ月ものスパンがあいてしまうと、月謝のことが気になり始める。要するに、寄進しているようなものではないか。
 久しぶりに道場の敷居をまたぎ、コーチに「潮時だと思う」という気持ちを伝えたところ、あろうことか「淋しいからそんなこと言わないで。忙しいんなら休会にすればいい」と慰留された。会費の1/3を支払えば、休会状態で月一度のトレーニングはできるし、再登録する際の入会費も要らないから、という。しかし、自分には続けられる自信がなくなっている・・・
 コーチは少し不機嫌になって、普段よりも重いミッションを課した。3キロのダンベルを持たされて左右に体をひねる腹筋に腹の肉がつりそうになったし、ミットのスピードもずいぶん速かった。へとへとになって、コーナーに倒れこんでしまった。
 契約上、解約は1ヶ月前に連絡しなければならないので、8月にも在籍はする。しかし、8~9月は夏休みであり、今年もまたブータン調査があり、さらに雲南・チベット境の踏査もすでに決まった。ジムに通える日数は限られている。なにより体重を落とすには運動以上に食物管理のほうが有効だという感触も得ている。
 コーチは履き捨てるように「辞めさせない」と言った。くりかえし申し上げると、こんな私を慰留してくれる人は世界中にごく少数しかいない。ありがたいことだが、年に換算すると8万円ばかりの会費がネックになっているのも事実なのである。8万円あれば上海で3泊4日楽しめるな・・・そうすると、また太るか?
 散歩と自転車の運動に切り替えたい。あとはキャベツとそばの実を毎日食らうしか痩せる途はないだろう。



ギシル・コーヒー(2)

ギシルDSC_0495 二番煎じ一晩置


夫婦生活の変容

 この年初からしばしば家内を連れて鳥取に戻り、2~3週間生活することが何度かあった。義父が危篤だということで鳥取に飛んで帰り、市立病院に直行するのだが、たいてい3つめか4つめの抗生物質の点滴が病に効あり、体力をもちなおすパターンが反復的に発生しているのだ。市立病院は大路川を挟んで私の下宿に近い。家内が杖歩行ながら歩いて通える距離にあるので、入院中は毎日1~2回往復する。残念ながら、実家のある津野は病院から遠すぎるので義母は週に1~2回の見舞いになる。平時は奈良に住んでいる三女が結局のところ、いちばん病院に近い位置に陣取りうるため、病院からの第一連絡者に任命されるという栄誉に浴している。
 かくして週末のみの夫婦生活が少し長めになってきていて、それ自体は結構なのだが、残念なことに、功罪両面がある。奈良の家の維持管理が疎かになってしまうのである。先週も10日ぶりに戻ってきたと思ったら、鉢植えの紫陽花やキーウィの株が猛暑のため軒なみ枯れていたし、玄関水槽の金魚の数が少なくなっていた。植木鉢への水やりは家を離れる前、子供たちに口を酸っぱく言っておいたのだが、夏野菜類にだけ水をやって他の鉢への水やりをほとんどしなかったらしい。金魚の方は、要するに水替えの回数が多く、水を綺麗にしすぎてしまうのである。金魚の生育にとって、糞尿を解体する微生物の繁殖と藻類の光合成が必要不可欠だということが分かっていない。水は必ずしも透明である必要はなく、水中ポンプのスポンジをどろどろにしている藻と微生物の塊こそが生命線なのであるが、それを清掃しすぎると金魚は生きていられなくなる。


ギシルDSC_0492 一番煎じ


豆つきギシル

 我が家自慢の珈琲の樹にも影響がでた。夫婦が鳥取にいたこの春の間に、赤く熟した珈琲の実が続々枯れていき、実は鉢の土面やフロアに落ちて廃棄物扱いされていた。2週間経って戻ってみると、枝についた実は著しく少なくなっていたのだが、それでも、あきらめきれないので、残された実を乾燥させ続けて今に至る。
 ギシル・コーヒーのことが頭にあったのである。珈琲の実から種(ビーンズ)を取り出した、皮の部分を乾燥させて熱湯を注ぐと、ギシル・コーヒーと呼ばれる飲み物になる。珈琲栽培に乗り出したBSの「晴れ時々ファーム」で紹介されたことで知ったのだが、我が家の方が珈琲栽培を先んじていたのにギシル・コーヒーのことを知らなかったので悔しい思いをした。
 珈琲の実を乾燥させてすでに2ヶ月以上経つ。面倒くさいので、種(つまり珈琲豆)は取り出さず、実のまま熱湯を注ぎこんだ。なかなか実は湯に沈んでいかず、白湯に色づいていかない。それでも、そういう浅淹りのギシルもそれなりの味がした。BSでコメントされていたとおり、「漢方薬のような味」がたしかにしたが、すこし生臭い匂いがないわけでもない。娘は「エンドウマメのスープのようだ」と評した。いずれにしても、健康的な味がして家族4名みな飲み干した。
 二番煎じの湯を注いで、まる一晩おいたのが上の状態である。いい色味でてるでしょう。
 今年ははすべての珈琲樹の鉢をひとまわり大きくしたので、また白い花がたくさん咲いた。来年は必ずもういちど珈琲の実を何百粒が収穫して珈琲を飲み、ギシル・コーヒーもおまけで飲みたいものだ。
 台風12号で少しだけ樹が傾いたが重症ではなく、紐でポーチの柱に結びなおした。大雨も台風ももう懲り懲りだね。将校ら13名の処刑が二度に分けて執行された月に常軌を逸した水災害が二度発生したことになる。


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↑イスタンブールの小鉢で乾燥させた珈琲実 ↓熱湯を注いだ直後 
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旧小倉家住宅が登録有形文化財に答申!

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災害と登録制度

 文化庁の文化審議会は、2018年7月20日(金)、新たに209件の建造物を登録するよう文部科学大臣に答申した。この結果、登録有形文化財の総数は11,981件 (47都道府県925市町村(区))となった。鳥取県内では、以下の5件が答申の対象となり、年末には官報告示を受ける予定である。
  
  長田神社(鳥取市東町1丁目)  8棟
  高田家住宅主屋(鳥取市鹿野) 1棟  
  金平家住宅主屋(琴浦町太一垣) 1棟
  蚊屋島神社(日吉津村日吉津) 8棟
  旧小倉家住宅主屋・土蔵(倉吉市河原町) 2棟
     主屋:昭和11年(1936)  土蔵:大正4年(1915)


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 あれは、3年ばかり前の春の出来事であった。2013~15年度県環境学術研究費「倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査」(2013-15年度)をようやく終えて新しい研究に軸足を移そうとしていた矢先、倉吉からお呼びがかかり、河原町東地蔵の裏手に建つ土蔵を取り壊す構想があるのでなんとかしたい、という相談に乗ったところ、とんとん拍子で登録文化財をめざすことになり、前期から3年生のメンバーを主体に主屋と土蔵の調査に着手した。とはいうものの、すでに建築・環境デザイン学科は解体しており、実測等の訓練を十分積んでいたのは大学院生のケントだけだった。スローペースではあったけれども、ケントに率いられて当時の3年生が旧小川家と隣の大鳥屋の実測作図を進めていき、後期になって申請書類の準備をはじめようとしたところに鳥取県中部地震が発生し、旧小川家の土蔵が被災して、白壁の一部が剥落し、屋根瓦がずれてブルーシートに覆われたまま今に至る。


0614河原町旧小川家06白壁破損03屋ね01 0614河原町旧小川家06白壁破損02
↑県中部地震での被災状況

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↑旧小倉家土蔵断面図(ケント作成)



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中村元を語る会

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耳の閉塞感

 耳の痛みのピークはW杯準決勝のころだから、もう3週間近く前になる。歩いて3分のところにあるホームドクターに診てもらい、抗生物質2種と痛み止め、軟膏塗薬をもらって、3位決定戦のころには痛みは治まってきていた。それでも、まだ右耳に閉塞感があり、追加で薬をもらい、鳥取で10日間過ごした。
 その閉塞感がまだ消えない。学生のしゃべりが聞き取りにくく、さらにはまた8月1日(水)に年に一度の定期検診が迫っているので、正式に耳鼻科で診療を受けることにした。3か月に一度通院する眼科に近いコープの敷地に耳鼻科はあった。
 某有名国立大学卒業の女医さんであった。ただちに耳をひらいて、細い綿棒で耳垢をとる。否、耳垢ではないという。わたしとホームドクターは疲労からくる強烈なけんびきで、外耳周辺のリンパ腺が腫れあがったものだと推定していたが、いや違う、リンパ腺ではなく耳管の炎症だと診断された。おそらく鼻から菌が入ってきたのであろうとのことで、外耳から採集される粘液はその死骸にあたるものだという。


耳の機能と構造


 こうして採取された粘液は、わたしたちがサンプルとする木材年輪チップや版築壁内の炭化木片にあたる資料であり、業者に成分分析を依頼すると言われる。パレオやパリノに相当する分析会社である。そこで、菌を抽出して、その菌を死滅させる抗菌剤(抗生物質)を用意するが、それまでは常識的な錠剤を出しておく。また、点耳液も出す。
 点眼液なら常用しているが、点耳液は初めての経験である。まず耳のなかを細い棒で掃除して、そこに3~4滴たらすのだが、右耳が上になるように体を横にむけないといけない。その状態で4分間動かないようにするのだと教えられた。
 還暦すぎてはめまら全部不調ですが、こんどは耳に異常が発生して、おまけにダイエットもうまくいかないまま定期検診を迎えようとしている。毎日のようにジムに行かねばと思いながら、夕方になると体が疲れて眠りに落ちてしまう。ジムもそろそろ潮時かと思う今日このごろ。早朝の散歩に切り替えようか・・・


中村元記念館開館5周年記念事業

 さて、8月1日には中村元記念館の開館5周年記念事業が執りおこなわれるという連絡が突然ありました。しかし、その日は午後2時から健康診断となっており、出席が叶いません。どなたか代わりに行ってくれませんかね。
 

5周年ポスター_02web 5周年ポスター_01

登録記念物「摩尼山」被災(2)

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被災した参道のドローン撮影

 7月25日(水)。「寅さんの風景」発表会の直後、全体ゼミの時間を利用して、西日本豪雨で被災した摩尼寺へ訪問してきました。7月上旬から1週間ばかり降り続いた大雨。鳥取でも総降雨量が500ml以上になり、雨の影響で智頭・若狭・八頭町などで大きな被害が出ています。摩尼寺の被災状況は先生が2週間前に速報されているとおりです。


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 摩尼寺では境内へ上がる長い参道石階のうち、仁王門と山門の中間部分で法面の地滑りが起こり、石段が半分塞がれて通ることができなくっています。参拝客にとっては、大変に目障りで危険な状態にあると言えます。
 今回の活動は被害状況の確認とドローンによる空撮が目的でした。
 しかし、ここ最近はとにかく暑い!!!
 連日35℃以上の猛暑が続いていて、「生命にかかわる」とまで言われています。本来は奥の院から立岩までのぼり、被害の全体像を把握したうえで、ドローンを飛ばす予定でしたが、市教委の報告では山上部に土砂崩れなどは発生していない模様で、おまけに、暑さのため学生が熱中症で倒れるリスクなきにしもあらずだったので、無理せず本堂までの視察に留めました。また石段上には樹木の梢が入り乱れており、オープンカットの青空に舞い上がるのも容易ではありません。
 そんなこんなで苦労しましたが、なんとかドローで被災地の全景を撮影し、将来的にはフォトスキャンで3D化するため70枚以上の重ね撮りをしました。ごらんのとおり、崖の土砂崩れは境内西南隅の公衆便所まであと2〜3mまで迫っており、法面の修復は十分な補強が必要と思われます。


0725マニ被災01空撮01全景01 0725マニ被災01空撮01全景02sam


 ドローンを飛ばすのは院生以外は初めてです。4年のあやかめさんと私は前日に学校のグラウンドで練習していましたが、いざ摩尼寺の石段にて飛ばすとなると、なんとも足場が悪い・・・。離陸はよいのですが、自動着陸の際に飛行機が転倒する危険もありました。正真正銘の初心者、小次郎さんや3年生はとても緊張して操作していたようにみえました。


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0725摩尼山(4) 0725マニ被災01空撮11撮影01石段03
↑ドローン操作中



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今年も、寅さんの風景(13)

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前哨戦

 10日〆切の原稿をほったらかしていたら、23日になって編集者から25日がデッドラインだとするやや不躾な宣告があり、内心では編者としては玄人ではないと直感したけれども、なんとか2日間で書き上げた。昨日、25日(水)の午前は、その詰めの段階であり、早く書き終われば摩尼寺の被災現場に駆けつけようと思っていたのだが、途中からそんな意欲も失せてしまった。午後一番で「寅さんの風景」の発表会を抱えていたからである。


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 文化庁の主任が三徳山の仕事で来鳥されることが決まっていた。登録記念物「摩尼山」の誕生に尽力してくださった方でもあり、短時間ながら急遽、摩尼寺参道の被災現場を視察していただくことになり、常識的にはわたしも参上すべきだが、時間がないものはないのである。わたし自身は行けなかったが、国の官僚が来るとなれば、県・市・寺の関係者は(珍しく一同に)現場に集結し、倉吉の会長までその場を訪問したというから驚きである。これまで登録記念物で「災害復旧」に補助金がでたことはないらしいが、なにぶんこのたびの集中豪雨は桁違いであり、首相自ら財政出動を宣言しているくらいだから、あるいは一定のサポートを得られるかもしれない・・・確証はありませんが。


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2018プロジェクト研究1&3発表会

 同日午後1時からの「寅さんの風景」発表会は無事に終了しました。構成は以下のとおりです。

  1.イントロ(安冨)
  2.第13作「寅次郎恋やつれ」1973年 (白井、鈴木)
  3.第19作「寅次郎と殿様」1977年 (大賀、小川、岡田)
  4.第27作「難波の恋の寅次郎」1981年 (嶋田、松浦、宮永)
  5.第38作「知床慕情」1987年 (佐藤、許、村上)
  6.第44作「寅次郎の告白」1991年
    ①ストーリー(川乗、柴田)
    ②再現ロケ(新、沖田、峯)


20180(寅)発表会0725合成01_22 寅次郎と殿様


 パワポは何回も校正したので、上々の出来になっていましたが、残念なことに、スピーチで噛む学生が多く、またスライド・チェンジのタイミングがずれるところもあって、わたしのまわりで聞いていた上級生たちも「聴きづらかった」という感想を述べておりました。前日、食堂で出会った複数の学生には「しっかりスピーチ練習しておくように」と指示しておいたんですが、実際には練習していない学生が大半だったということでしょうね。せっかく苦労してつくったパワポなのに、もったいないことをしました。もちろん例外もあって、第38作「知床慕情」をスピーチした1名の声がよく通っていて、上級生等からも好評でした。


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新刊紹介-田中淡著作集1(その三)

中国語ピンイン表記の問題

 さて、以下の問題については指摘するのを憚るべきかとも悩んでいたのだが、田中淡という研究者の名誉に係ることなので、あえて記すことをお許しいただきたい。本書を冒頭から読み進めていって、とても残念なことに気がついた。中国語のカタカナ・ルビに誤りが多いのである。第1部-1だけでも以下のような誤記がある。

 5頁左から1行目:
  【誤】主屋(チョンファン) → 【正】正房(チョンファン)
 6頁右から3行目:
  【誤】院子(ユワコウ) → 【正】院子(ユァンツ) 11頁にも同じ誤りあり
 6頁右から3行目:
  【誤】一顆印(イークーメン) → 【正】一顆印(イーコイン)
 10頁右から9行目:
  【誤】巻棚(チュウニンポン) → 【正】巻棚(チュェンポン)

 こうしたミスを田中さんは犯さない。共同で何かを翻訳したり執筆したりする場合、中国語のカタカナ表記をくどいほど指示された経験がある。おそらく人文研の先達から厳密な表記法を訓練されていたのだろうと想像している。たとえば、「顆」という漢字のピンインは ke だが、この語の母音 e はアとエの中間音であって、ピンインの keはカタカナ表記の場合は「コ」と書く(軽声の場合、「ク」も可か)。こうした原則がいくつかあって、訳書①『中国の住宅』、③『中国建築の歴史』などでは一連の原則が徹底されている。
 中国語音声の誤表記だけでなく、誤字も散見される。最も目についた例だけここでは取り上げておく。第ニ部の主題が「玉座の空間」となっているのに対して、同-ニの章題が「王座の空間」となっているので、いったいどうしたことかと読み進めていくと、その章では「玉座」「王座」「宝座」の三用語が錯綜としており、あるいは意味のある使い分けかもしれないと不安になって、本論原載の『家具言語』創刊号「特集 玉座」(1992)を確認したところ、「王座」はすべて「玉座」の誤りであった。
 田中淡という著述家は非常に几帳面であり、こうした誤植がまったくないとは言わないけれども、非常に少ない方であった。藤井教授を代表者とする編集委員のみなさんが骨を折って公刊された著作集の第1巻であり、感謝こそすれ、非難などいっさいするつもりはない。藤井さんが退官事業で忙殺されていたことは疑いなく、出版助成をうけた学術振興会の締切が厳しいことを私だって身を以て知っている。校正が納得できるまで遂行しえなかったであろうことは想定の範囲として理解できる。しかしながら、本書は田中淡という突出した歴史家・文筆家の著作集なのであるから、せめて正誤表を添付していただけないものか、と老婆心ながら願う次第である。


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新刊紹介-田中淡著作集1(そのニ)


四合院の多様性と源流

 『田中淡著作集1』は、いわゆる「民居」系の論考が比較的多くを占めており、それらは初期の翻訳業績と相関性がある。1970~80年代の若手時代、田中さんは、古代建築に関わる珠玉のような論文を書き続け、『中国建築史の研究』(弘文堂・1989)として刊行する一方、多くの中文・英文の専門書を翻訳された。その嚆矢となったのは、①劉敦楨『中国の住宅』(鹿島出版会SD選書、1976) であり、②アンドリュー・ボイド『中国の建築と都市』 (鹿島出版会、1979)などを経て、③中国建築科学研究院編『中国建築の歴史』 (平凡社、1989)で一つの完成形を迎える。これらの翻訳業績だけでも、他の追随を許さない圧倒的な存在感があり、少し失礼な物言いになるかもしれないが、一連の民居系の論考は翻訳の副産物というべきものかもしれない。とはいうものの、いずれも訳書の不足を的確に補い、まさに簡にして要を得る佳作集になっており、中国住宅史を学ぶ者が避けて通れない古典的必読文献だと言える。
 田中さんは漢族の閉鎖中庭型住宅の構成原理について北京四合院を代表例にして解読しつつ各地の地方類型を紹介するだけでなく、考古資料を駆使して、その起源にも言及している。殷墟以前の夏王朝期に遡りうる河南省偃師二里頭遺跡の宮殿群、陝西省岐山鳳翔周原建築遺跡(西周の宗廟跡)、 山東省臨淄朗家荘1号墓出土漆器に描かれた家屋図(東周)などは今となっては誰でも知っている中庭型の遺構・画像資料ではあるけれども、いずれも1980年代に田中さんが先んじて建築学界に紹介したものである。この種の重要な考古資料や復元研究は、ほとんどが田中さんの業績に刺激を受け、『考古』『文物』『考古学報』等を渉猟してまわった経験が思い出される。

干闌-中国古代建築史からみた日本

 田中さんは、閉鎖中庭型の宮室より以前の住まいについても論じている。たとえば、『礼記』礼運篇の「昔者(むかし)先王未だ宮室有らず。冬は則ち営窟に居り、夏は則ち樔巣す」に代表されるように、王の宮室がない時代にあって、冬は穴居し、夏は巣居(高床もしくは樹上居住)した、という慣用句が儒教古典の修辞として散見される。後には「冬と夏」の住み替えを「北と南」の地域差に入れ替える例も出てくるわけだが、この種の原初的建築についても、考古資料を幅広く検討され、さらには文献史料をも読み込んでその起源と展開を考察されている。第1部-9が穴居、とりわけ窰洞(ヤオトン=横穴住居)、同-10は「干闌」すなわち高床建築を主題とする。「干闌」を古くは「昆侖」と書いた。
 『漢書』武帝紀によれば、元封5(前106)年、武帝が天地に即位を知らしめる封禅の儀式を泰山で挙行したとき、かつて東北の山麓に黄帝が明堂を築いていたことを聞いてこれを再現したいと願ったが、建築形式がわからない。そこに公玉帯という済南人があらわれ、黄帝時代の明堂図を寄贈した。明堂図には「中に一殿あり。四面に壁なく、茅をもって蓋う。(略)複道をつくり、上に楼あり、西南より入る。命じて昆侖という。天子はこれより入り、以て上帝を拝祠す。」という添書があった。
 すなわち、黄帝が上帝を祀る明堂は、四面に壁のない茅葺きの高床建築(楼=昆侖)であり、複道とはおそらく空中廊下のように長い木階であろう。楊鴻勛先生(中国社会科学院考古研究所)は「西南より入る」という点にとりわけ注目し、「偶数間取りの古制に従うと、おそらく建物の各面を二間とし、木階は西面南側の柱間にあったはずである」として大社造最古の神魂神社本殿に近似する黄帝時明堂の復元図を描いておられる(『先史日本の住居とその周辺』同成社・1998)。神魂神社本殿にも似た高床建築をさす「昆侖」とは、タイ・カダイ語等の語彙 gan lan に近い音声を漢字で表記したものであり、それが後に「干闌」という漢語に入れ替わったのである。第1部ー10において田中さんは安志敏の考古学的知見などを踏まえつつ長江以南にこの種の高床建築がひろく分布していたことを推察して、中国建築は北の「穴(土)」と南の「巣(木)」が複合して成立したという斬新な視点をもたらしたわけだが、副題に掲げる「中国古代建築史からみた日本」を見通す最後の3行が私は今でもよく理解できないでいる。ここに引用しておく。

  『後漢書』東夷列伝・倭に「城柵・居室あり」と。また『魏志』倭人伝に「居処・宮室・
  楼観・城柵、厳かに設く」と。城柵といい、楼観というのは、その一方の伝統に属する
  こと、すでに明らかであろう。ただ、東夷といいつつ、干闌の蛮俗という直截的表現の
  見えない点を異にするにすぎぬ。

 按ずるに、「楼観」「城柵」は長江以南の伝統であるけれども、倭人伝は高床住居のことを直接的に表現していないだけだと言いたいのであろうか。しかしながら、倭は東夷の一群であり、東夷とは北方のツングースや古アジア語族の狩猟・漁労民であって、長江以南に展開した南蛮・百越などとは一線を画すべき雑多な集団である。東夷の一部としての倭の居住文化のベースはあくまで穴居であり、その中に大型もしくは高層の木造建築を含んでいただけのことであって、中原・華北とも長江以南とも異なる独自性を有していたと考えるべきであろう。これについては、長江を境界とする安志敏の南北二系統に加えて「東北系統」を想定した厳文明の三系統説が有効であり、最も北側にあたる新石器時代の東北系統が発展して東夷の文化に成長し、そこに中原や江南からの影響が部分的に及んだと理解したい。 


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2018人間環境実習・演習B期末発表会(5)

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宇内一統宗教の構想と矛盾

 最後にこの4ヶ月の輪読の成果をまとめようと思う。能海は『世界に於ける仏教徒』(1893)において、世界的に普遍性をもつ「宇内一統宗教」、すなわち世界統一宗教としての新仏教の構想を示した。アジア各地の仏教国を訪問し、ブッダの思想を直接的に反映する古代インド仏典やチベット仏典を収集・英訳することで、正しいブッダの思想を明らかにして世界に伝道し、衰退するキリスト教にとって代わろうと目論んだのである。
 そうした野心を裏付けるかのように、キリスト教に対する攻撃は苛烈をきわめており、東南アジアの上座部仏教に対する差別的な発言も散見される。文章を読んだ感想としては、仏教徒としての「寛容さ」以上に、他の宗教・宗派に対する「排他性」が露骨にうかがわれる点、残念に思った。キリスト教などの西洋文化や廃仏毀釈が仏教を危機的な状況においこんでいたことを差し引いても、旧宗教勢力に対する辛辣な物言いは想定範囲を大きく超えている。
 能海の批判は、キリスト教などの異教にとどまらず、葬式仏教に堕した日本の旧仏教にも及んでいる。

  【口語訳】第2章より抜粋
   (日本の旧)仏教とはただ寺院・僧侶・経巻でしかなく、僧の仕事は葬儀の取り扱い、
   そうでなければ墓地の番人のようなものだとみなされているではありませんか。

 ところが、こういう堕落した状況は中国、インド、東南アジアでも同じであり、新仏教の責任者となるのは日本人以外にないと開きなおっている。妻帯・肉食・飲酒・喫煙の許される世俗化した日本の僧侶に「新仏教」のリーダーたる資格はあるのだろうか。戒律遵守に加えて、深い教養をもち、複数の言語を操る現在のチベット仏教のリーダー、ダライラマ14世のような修行者でなければ仏教の世界的リーダーにはなりえないのではないか。
 ちなみに、ダライ・ラマ14世(1935-)は2歳までアムド(青海)の農村で育っていたが、輪廻転生の導きによりダライ・ラマの後継者に指名され、1940年に4歳で即位して、1951年までチベット君主の座にあった。その後、中国の軍事進攻から逃れるため、1959年にインドに亡命してダラムサラに中央チベット行政府を樹立した。仏教の魅力を分かりやすく伝える点で彼の右に出る人物はいない。欧米でも高い評価を得ており、1989年にはノーベル平和賞を受賞した。現在、ダライラマ制度そのものの廃止を検討中と聞く。


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信仰の自由/宗教の多様性

 教授に教えていただいたのだが、ドイツの哲学者カール・ヤスパース(1883-1969)は『歴史の起源と目標』(1949)のなかで信仰の未来について論じている。 難しい訳文だが、引用しておこう。

   世界の統一が信仰の統一なしに起こるだろうということが、ありそうにもないと解される
   にしても、私はあえて反対のことを主張する。すなわち、(世界帝国とは異なった)世界
   秩序という万人に拘束力をもつ普遍者は、さまざまな信仰内容が、ひとつの客観的
   普遍妥当的信仰内容に統一されることなく、歴史的な交わりにあってあくまで自由である
   場合、ほかでもなくこの時こそ、初めて可能なのである。(重田英世訳 1964:p.416 、理想社)

 かみくだいて言うならば、宗教あるいは信仰の未来は、宗教相互が他の宗教の存在を容認し、レスペクトしあうことによってのみ共存共栄の道が可能になる、そうでない限り、宗教に未来はない、とヤスパースは主張しているのである。新仏教が低劣なキリスト教を覆い尽くすと言わんばかりの能海の主張に比べれば、ヤスパー スの考えははるかに洗練されたレベルに達している。仏教の起源と未来に向き合った能海の考えは高く評価されるべきだが、いちがいに礼賛すべきではない側面も少なくなく、 「宗教の多様性」という観点からとらえなおす必要があると思われる。(Task)


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2018人間環境実習・演習B期末発表会(4)

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第九章「仏教国の探検」概要(2)-チベット探検

 第9章の後半では「チベット探検」について詳しく述べています。上のスライドの右側にみえる少年はラモ・トンドゥプ、すなわちに後にダライ・ラマ14世(法名テンジン・ギャツォ)となる人物です。1935年、アムド地方(青海省)の農家に生まれました。


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 能海は、まず入蔵(チベット入り)すべき理由について述べています。

【原文】漢文読み下し調の文語体
 かつこの国はアジア洲中の最も仏教盛にして僧侶多き地なり。故に蒙古の人民此を霊地として、隔遠の地方より来り、巡拝する者常に多し。(略)其首府拉薩は、(略)又壮麗なる寺院、堂塔及び広大なる弥陀堂ありて、其中無数の仏像、金銀宝玉を満す。(略)又、国内都邑に住する人民は、礼譲に厚く、文学を研究する者多く、星学暦法の如きも この国自ら発明あり。
【口語訳】
 そして、この国はアジア大陸の中で最も仏教が盛んであり、僧侶の多い地方です。ですから、(チベット仏教を信仰する)モンゴル人民の聖地として、はるかに遠いところから巡礼しにくる人が常に多いのです。(略)その首都ラサは、(略)壮麗な寺院、堂塔や広大な阿弥陀堂もあり、その堂の中に無数の仏像、金銀宝玉が満ちています。(略)また、国内の街や村に住む人たちは、礼儀に厚く謙虚で、文学を研究する者も多く、天文学なども独自に発明したものがあります。


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 仏教の再興に必要な要件について以下のように述べています。

【原文】漢文読み下し調文語体
 又今日は宇内宗教の形勢が新仏教の勃興を促し、将来に於ける宇内一統宗教は仏教たらざるべからざるの気運に際し、之に対して一大準備をすべきの時代なること、屡々論ぜんしが如し。其準備中最も要用なるは、あるいは仏陀真聖なる経典の梵本を探り、或は釈尊の正伝を求め、其真説を発揚するにあり。然れば印度よりして直伝せる西蔵仏教の研究、原本の探索、其必要なる論を俟たず。
【口語訳】
 また近年、世界宗教の形勢が新仏教徒の勃興を促進し、将来に於ける世界統一宗教はまさに仏教であるという気運に際し、その一大準備をすべき時代であることについてはしばしば論じてきました。その準備の中で最も肝要であるのは、一つはブッダの真聖なサンスクリット経典を探しだすこと、いま一つはブッダの正しい歴史を求め、その真説を発揚することです。従って、インドより直伝したチベット仏教の研究、サンスクリット語の原本の探索などはその必要性を論じるまでもありません。


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2018人間環境実習・演習B期末発表会(3)

0718能海03野口01 背景:チベット語経典(350枚)


第九章「仏教国の探検」概要(1)

 能海は第9章「仏教国の探検」の前半部分で上のスライドのような内容を述べている。


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 まず探検(実際に他国へ赴き、様々な調査をすること)の必要性を能海は主張 し、以下のように述べている。

【原文】漢文読み下し調文語体
 教家の探検に二種ありて、一は伝道開教の為め(略)。今、予が将に爰に論ぜんとする所は、第二仏教国の探検にして、是最も今日の急務なり、仏書の原本を 得んと慾し、又古今仏教伝播の状況及び仏教の正史を探らんと欲せば是非古来よ り仏教の伝りたる国々に向いて探検を試みざるべからず。
【口語訳】
 宗教家の探検には二種類あり、一つは布教のためのものです(略)。いま私がまさにここで論じようとしているのは、第二仏教国の探検であり、これは今日の最大の急務です。仏典の原本を手に入れようと思うのなら、また過去から現在に至るまで仏教が伝わる状況や、仏教の歴史を調査しようと思うのなら、必ず古くから仏教が伝わった国々に出向いて探検を試みなければなりません。

 ここにいう「第二仏教国」とは、インドからまず仏教が伝わった国を指すものと思われる。上座部仏教ではスリランカ、大乗仏教ではアフガニスタン、チベット仏教ではチベットが第二仏教国にあたるであろう。


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 アメリカ大陸の発見について興味深い記録が残っているようだ。

【原文】漢文読み下し調の文語体
 鈴木氏著の『亜細亜人』(政教社、1891年)の報に由れば、米国の発見は巳にコロンブスに先だつ数百年前に於て、亜細亜人の発見したりし所にして、特に仏教の僧侶なりと云う。(略)古代の仏教何ぞ夫れ活発なる。
【口語訳】
 鈴木券太郎氏の著書『アジア人』などの報告によれば、アメリカ大陸の発見は、コロンブスに先立つ数百年前、すでにアジア人がなしており、その発見者は仏教の僧侶であったといいます。(略)昔の仏教はどうしてそこまで活発だったのでしょう。

 つまり、昔の僧侶は布教伝道のためアメリカ大陸にまで遠征していたということである。 


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2018人間環境実習・演習B期末発表会(2)

0718能海02谷01 背景:サンスクリット経典


第八章「サンスクリット」概要

 中間報告では『世界に於ける仏教徒』冒頭の第1~2章を読んだが、その後は 本書の中核部分である第8~9章を読んだ。第8章では章全体を通してサンスクリット語で書かれた原典がなぜ必要か書かれている。


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 初めに能海はサンスクリット語を学ぶことがなぜ必要か述べている。

【原文】漢文読み下し調の文語体
 予は先きに歴史に於ける仏教の探考、並に比較仏教学の必要を論じたるが、此等緊要なる考究に於て、最も欠くべからざるは梵学の研究なり。梵語は是れ仏教の言語なり。誰れか此言語を学ぶを不要と考えるものあらんや。
【口語訳】
 私は先ほど歴史上における仏教の考察、そして比較仏教学の必要を論じましたが、これらの差し迫った考究において最も必要であるのはサンスクリットの研究です。サンスクリット語は仏教の原語です。この原語を学ぶことを不要だと考える者など一人もいません。


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 次に仏典の外国語翻訳の現状について述べる。

【原文】漢文読み下し調の文語体
 過去に於ては、仏典は只支那訳になしたるまでにして、其外は殆ど異文の国語 に翻訳なし。而るに今日之を欧州文に訳せんと欲せば、是非原本に由ること必要なり。又原本を失いて、支那訳のみ存するもの多し。之を又訳するに於ても、亦梵学の力を借らざるべからず。
【口語訳】
 過去においては、仏典はただ漢語訳になったにとどまり、それ以外ほとんどの外国語での翻訳はありません。しかしながら今日これをヨーロッパ諸語に訳そう と思うのなら、必ずサンスクリット語の原本に基づくことが必要となります。また、サンスクリット語の原本を失って漢語訳のみが存在するものも多いです。これを訳すのにも必ずサンスクリット語学の力を借りなければなりません。


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 さらに能海は原文翻訳の必要性についても説いている。

【原文】漢文読み下し調の文語体
 今日の急務はいまだ欧人も着手せざる支那訳の経文をば、其原本を求めて之に照し、充分なる考証を遂げ数十の専門学者をして、正確なる翻訳を成就し、欧人が経文に対する疑点に解答をなすべきなり。
【口語訳】
 今日の急務は、いまだにヨーロッパ人も着手していない漢語訳の経典について、そのサンスクリットの原本を探し出し、これと対照し、十分な考証をおこなうことで す。そして、数十の専門家をもって、正確な翻訳を完成させ、ヨーロッパ人が漢語仏典に対してもつ疑問点に解答すべきです。

 この時代、ヨーロッパの仏教学者はすでに一部の古代インド仏典を英訳していたが、その分量は限定的であり、能海はもっと多くの仏典英訳に挑もうとしていたのである。


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2018人間環境実習・演習B期末発表会(1)

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能海寛生誕150周年記念シンポの報告

 7月18日(水)、表記の会が開催され、ASALABは大トリを務めました。中間報告に引き続き、能海寛『世界に於ける仏教徒』輪読および口語訳だが、 今回はこの本の最も重要な位置を占める、第八章と第九章を訳すことにした。また、7月8日(日)に浜田市金城町で開催された能海寛生誕150周年記念シンポの概要についても報告する。


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 最初に能海寛と彼の著作『世界における仏教徒』について簡単に復習しておく。能海は島根県浜田市の浄蓮寺に生まれた明治の僧侶である。明治維新後、西洋文明と科学技術が流入する時代にあって、衰退するキリスト教にとってかわる世界宗教としての「新仏教」を構想した若い革新的な僧侶である。とりわけサンスクリット(梵)語で書かれた古代インドの仏典に注目し、その直訳経典を残すチベットへの入国をめざした。
 明治26年(1893)に出版した『世界における仏教徒』で、能海はアジア各地の仏教国を訪問してサンスクリット古典やチベット仏典を収集し、その翻訳、とくに英訳により宗派を超えた普遍的宗教としての新しい仏教を提案する。


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 今年は明治150年にあたる年だが、じつは能海寛生誕150周年でもある。7月8日、これを記念するシンポジウムに5名で参加してきた。まずシンポジウムが始まる前に能海が生まれ育った浄蓮寺を訪れた。江戸時代から続く浄土真宗の古刹だが、現在の建物は、能海寛がチベットに旅立つ前に設計を依頼しておいたものである。能海の死後、大正5年(1916)に本堂や山門が竣工した。山門脇の顕彰碑は、昭和57年に町民の寄付によって完成したものである。
 下にシンポジウムのチラシと構成を示す。主催は能海寛研究会、会場は金城町波佐の公民館(ときわ会館)である。基調講演からパネルディスカッションの終了まで4時間を要する長丁場だった。ここでは、印象に残ったパネラー3名の発言を取り上げる。


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紫陽花の露西亜(16)

ベストイレブン発表!

 連休明けの医院は大入り満員。リンパの痛みは引いたものの、耳管の閉塞感が消えないので、追加で薬をもらいにいったのだが、控え室の時間は進まない。暇つぶしにベスト11を考える。8人は決まるのだが、残りの3人でおおいに悩んだ。
 まずシステムは、ベルギーが新しい地平を切り開いた3-4-3を採用します。そのベルギーから、クルトワ(GK)、デブルイネ(MF)、アザール(LW)は当確。ルカク(CF)が微妙なんだな。ケインと同じで、得点の過半はGLのパナマ戦、チュニジア戦だから。16強戦以降は点を取っていない。日本のDF陣に完封されたし。サッカーダイジェスト誌はカバーニ(ウルグアイ)を推しているが、16強戦を欠場している(GL出場のみ)なので、ベスト11の対象外とします。このポジションは人材難なんだな。ジルー×、ケイン×、マンジュキッチ△・・・大迫も決して悪くないと思ったりするんだけれども、ルカクと比較するとやはり見劣りがするか。いったん保留しよう。

 優勝国フランスからは二人のCB、ヴァラン(レアル)とユムティティ(バルサ)が当確。もう一人のCBは、悩むところなんですが、ウルグアイの堅守を支えたゴディン(アトレチコ)でどうでしょうか。渋すぎるかな。クロアチアのストッパーも頭をよぎるんだけど、失点が多すぎたね。ウルグアイは堅守のイメージが強い。フランスには0-2で完敗したが、開催国ロシアを3-0で圧勝零封しているところは印象が良いね。
 フランスでは他にアンカーのカンテ(チェルシー)、RWのンバッペ(PSG)も当確。グリーズマンが悩みの種でしてね。これもペンディングとします。つまり、トップとトップ下をどうすべきか。大迫+香川も良かったよ、ほんと。
 準優勝国クロアチアからは、残念なことに、MFのモドリッチ(レアル)一人のみです。クロアチアは日本と似ていますね。突出した個の集まりというよりも、最上級のコレクティブなチームでした。
 
 じつは、さきほどまで蹴球酒場で相談に乗ってもらっていたの。悩みに悩んだわたしのアイデアを打ち明けたんです。つまりね、メッシを使う。メッシは言われているほど悪い出来ではなくて、フランス戦でも2アシストしている。ナイジェリア戦の得点もスピード感溢れる素晴らしいものでした。どこに使うか迷ったんだけど、偽9番つまりCF(トップ)です。この場合、トップ下はグリーズマンとなります。上下反対でもいいし、ルカク-メッシ、ルカク-グリーズマンでもいいんだけど、今回の発想では、メッシが偽9番で、グリーズマン、ンバッペ、デブルイネと頻繁に入れ替わる。
 と、まぁ、こんなところが私の限界でありました。イギリスの専門誌やサッカーダイジェストよりはマシだと自負しております。みんな自負するでしょうが・・・それでは4年後まで、みなさん、さようなら。 【完】


                   メッシ
          アザール             ンバッペ
                  グリーズマン
           デブルイネ          モドリッチ
                    カンテ

           ユムティティ   ヴァラン  ゴディン

                    クルトワ


*国別では、フランス5、ベルギー3、クロアチア・アルゼンチン・ウルグアイ各1
**チーム別では、チェルシー3、バルサ・レアル・アトレチコ各2、マンC・パリSG各1

                

紫陽花の露西亜(15)

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フランス 4-2 クロアチア

 大味な決勝戦でしたね。もう少し緊張感のある繊細な試合を期待したんですが、レフェリング、乱入などが流れを分断してしまいました。フランスの前半の2得点が世界中で疑問視されています。さっそくビデオを巻き戻して再確認したんですが、2点めは主審がビデオを視に行った段階でPKになるだろうと思いました。この制度を使うのなら仕方ない結果でしょう。1点めはたしかにグリーズマンのダイヴも非難されてしかるべきなんですが、それ以上にFK時のポグバがオフサイドですから、ここは線審が見逃してはならなかった。決勝ですからね。シミュレーションやオフサイドはきっちり判定してもらわないと困る。
 前半の2失点も堪えましたが、試合全体を決定づけたのは後半のカンテの交替でしたね。クロアチア自慢のラキティッチ-モドリッチの中盤をカンテとポグバで潰しにかかるというのが戦前の予想でしたが、むしろポグバ-カンテのボランチをクロアチアが激しくマークし、とくにカンテはミスが多くなって失点に絡み、イエローまでもらってしまった。デシャンはその攻防を見切ってカンテを下げた。ここで勝負あり。
 前半飛ばしたクロアチアは失点も重なり、後半にはプッシー・ライオットの乱入でリズムを断ち切られ、体力・精神力ともにガス欠状態に陥ってしまいました。そうした状況を差し引いても、ポグバとンバッペのゴールは見事でした。クロアチアの完敗だと思います。
 でも、よくがんばってくれました。懐かしいクロアチアの風景が頭に浮かんできます。旧ユーゴ地域は、西欧の「田舎」であり、優秀な人材はイタリア、スペイン、フランスなどに「上京」していきます。大型バスの運転手は「みんな、あっちに行っちゃうんだ」と呆れ顔で笑っていました。日本の田舎と同じなんです。だから、こんなに愛着があるのかな。


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PSG理論の完成

 我がPSG理論は一つの例外もない盤石なものとなって大会を終えました。以下のとおりです。

  クロアチア(無) 3-0 アルゼンチン(ディマリア欠場)
  フランス(ンバッペ) 4-3 アルゼンチン(ディマリア)
  ウルグアイ(カバーニ) 2-1 ポルトガル(無)
  ベルギー(ムニエ) 3-2 日本(無)
  ブラジル(ネイマール+シウバ) 2-0 メキシコ(無)
  フランス(ンバッペ) 2-0 ウルグアイ(カバーニ欠場)
  ベルギー(ムニエ) 2-1 ブラジル(ネイマール+シウバ)
   フランス(ンバッペ) 1-0 ベルギー(ムニエ欠場)
  ベルギー(ムニエ復帰) 2-0 イングランド(無)
  フランス(ンバッペ) 4-2 クロアチア(無)

 繰り返しますが、2年前のユーロで鍵を握っていたチームはレアルです。当時の世界最高峰がレアル・マドリーだったということを否定できないでしょうから、今後の世界を制覇するのはパリ・サンジェルマンだということを予測せしめる結果ではないでしょうか。ちなみに、列強のなかで最も悲惨な結果に終わったのはバイエルンです。ドイツ代表8人に加えて、レヴァンドフスキにハメス・ロドリゲス・・・よほどの梃入れをしないとブンデスリーガですら勝てなくなっていくかもしれません。


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紫陽花の露西亜(14)

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ベルギー 2-0 イングランド

 開始4分、出場停止が解けたムニエ(PSG)のゴールで勝敗は決してしまいました。ベルギーは1点取っても守備に傾かない。クロアチア戦のイングランドも少なくとも前半はこうしてほしかった。あるいは、こうすべきでした。
 ベルギーとイングランドでは相当な実力差がある。ベルギーはフランスに惜敗したものの、サッカーの質としては、1974年のオランダを彷彿とさせる衝撃を与えてくれました。オランダが弱体化したのと入れ替わりで隣国ベルギーが列強に加わったとみればいいわけです。そして、クライフが攻撃サッカーの完成形とした3-4-3システムはベルギーによって完成されたと言っていいかもしれません。逆にイングランドは、3決の顔としては力量不足の感が否めませんでした。ウルグアイ、アルゼンチンなどの南米勢が準決の1チームに加わるほうがおもしろかったでしょう。日本もベスト4のチームとしては未だ物足りないですが、少なくともイングランドよりは魅力的なサッカーをみせてくれたと思います。日本のサッカーはイングランドより質が高い。ポーランド戦を勝ちにいっていたら、イングランドの代わりに3決に勝ち上がっていた可能性があり、そこでベルギーを苦しめていたかもしれません。  


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 さてさて、ムニエの復帰と活躍により、ベルギーはイングランドを寄せつけなかったわけですが、当方としては、またしてもPSG理論を裏付けるデータが追加されたことになります。以下に示します。

  フランス(ンバッペ) 4-3 アルゼンチン(ディマリア)
  ウルグアイ(カバーニ) 2-1 ポルトガル(無)
  ベルギー(ムニエ) 3-2 日本(無)
  ブラジル(ネイマール+シウバ) 2-0 メキシコ(無)
  フランス(ンバッペ) 2-0 ウルグアイ(カバーニ欠場)
  ベルギー(ムニエ) 2-1 ブラジル(ネイマール+シウバ)
   フランス(ンバッペ) 1-0 ベルギー(ムニエ欠場)
  ベルギー(ムニエ復帰) 2-0 イングランド(無)


0715スパ氏03 猛暑日です


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耳が痛い

 耳が痛い。昨日のコメントで耳が痛くなった人が若干いるかもしれないけれども、わたし自身はだれかに何かを言われたわけではない。いや、振り返ると、4月末の福州でアメフト大学プー先生に結構説教されたな。平時は紳士を気取っているが、酒が入ると人格は一変し、言いたいことはなんでも言う。酒精依存症の酒飲みを相手にしているときは、こんな私でも我慢します。心の底では、獨逸てやろうかと思っているわけですがね。まがりなりに仏教をかじってる学者さんだから、場合によっては、山陰に呼んで講演してもらおうか、なんて考えることもあったのだが、やめにしました。酒につきあうのヤだもん。

 さて、3日前から、本当に耳が痛いのである。その前は左の親不知に痛みを感じていた。鳥取の歯医者に二度通った。詰め物をいれなおした後、歯肉炎を発症していたのである。抗生物質を日々飲んだが、完治するまで1週間近くかかった。それと入れ替わるように、右耳に異常を感じ始めた。奈良に帰ってホームドクターに診てもらうと、耳管だけでなく、耳全体が大きく腫れているし、その腫れは頬にまで及んでいた。外耳炎というよりも広い範囲でリンパに炎症がおきているのではないか、との診断である。二種類の抗生物質と痛み止めと塗り薬をもらった。
 痛みはなかなか引かない。病気の原因は分かっている。W杯病である。朝3時(27時)からの試合を見続けてきたわけだからね。そういう生活もあと2日で終わる。今夜が3決で、明夜が決勝。幸いなことに、キックオフは23時~24時であり、朝まで起きる必要はなさそうだ。
 学期末で仕事が増えてきている。早くもとの生活に戻さないといけない。しかし、あと二日だけは4年に一度のW杯を堪能します。

登録記念物「摩尼山」被災(1)

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参道の土砂崩れ

 7月4日(水)のゼミ後、今秋のイベントに関わる打ち合わせのため3人で寺を訪問した。終盤に自治体からも一名参加されたが、徐々に暗鬱な気分になっていった。反論するのもばかばかしくなって口を閉じたが、顔は苦虫をかみつぶしたようになっていたのを、まわりが気づいていたのかどうか。
 その夜、世話になってきた東京の知人に電話して、昨年と状況が変わらないことを報告した。蕁麻疹がでるほど切羽詰まった一年前のことを忘却しつくした対応に呆れかえると同時に、ああいうメンタルでないと行政では生きていけないだろうと感心したりした。結局、今年も私が学内特別研究費で摩尼山の活動を継続する以外はまともな事業計画はなにもない。3年計画の2年目の活用事業とはいったい何なのか。ただ、少額の予算をつけていて、その仕事は来年度に繰り越してもいい、という発言まであった。そういう事情はすべて東京に報告した。


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 電話で半時間ばかりそういう話をしたのだが、じつは二人ともワールドカップに関心が集中している。東京方は「ブラジルが強い」というので、当方は「今回ばかりはフランスのほうがブラジルより強いという人のほうが多いね。その前にベルギーがブラジルを倒すんじゃないか。今年の決勝はフランス対クロアチアだと思う」と反論し、果たして当方の推測のとおりになった。最近、「仰るとおりになりましたね」というメールを頂戴したばかりである。学問は下り坂、行政に対する影響力も著しく低下した昨今ではありますが、サッカーの予想だけは当たるんだ。別の東京の知人二名からは「おまえ、ロシアにいるの?」と聞いてくるメールもあったりしてね。ロシアじゃ行かないよ。東欧ならまたちがったかもしれないけれど。


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↑地蔵の帽子が吹っとんだ


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紫陽花の露西亜(13)

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クロアチア 2-1 イングランド

 3時起床。体も頭もふらふらでしたが、テレビのチャンネルをつけてソファに横たわりました。空調をまわしているのに布団をかぶるという矛盾に満ちた格好で。あれっ、2戦連続延長戦を戦ったクロアチアもふらふらしているではないですか。
 前半5分、早くもイングランドのフリーキックがゴールネットを揺らす。ヤな予感がしますわね。昨夜の巻き戻しだ。フランスの得点は後半6分だったから、約40分カテナチオの布陣を敷いたわけですが、イングランドは開始5分で自陣に引いてしまった。トップにスターリングを残して10人で守り、ボールを奪ったらロングキックで前線めがけて蹴り上げ、スターリングを走らせる。一方のクロアチアは本当に疲れていて、モドリッチ-ラキティッチを軸とする自慢の中盤にミスが多く、ゲームを組み立てられない。
 嗚呼、今夜も昨夜と同じ結末かと諦めながら、しかしイングランドの守備組織からはフランスほどの理念というか信念を感じられず、少しずつ綻びも見え始めていった。それになにより、かれらのサッカーは相も変らぬキック&ラッシュ戦法であって、いまごろラグビーでもこんなにアバウトなゲーム運びはしない。次第に「ファイナリストにふさわしくない」サッカーだと感じるようになっていきました。こんな、キック&ラッシュ戦法の国が決勝に出る資格はない! イングランドの真似をするなら、今のままの日本代表のほうがはるかにいい。あれは反面教師だ。

 あとはごらんのとおりでして、今夜はペリシッチの出来が素晴らしかった。1点目のボレーシュートは、わたしたちの少年時代なら「デインジャラス・プレー」をとられかねないほど、足を高くあげていたけど、トルコ人の不安定な主審は見逃しましたね。延長の2点目のアシストもペリシッチでした。モドリッチ-ラキティッチの不調を補って余りある活躍であり、たぶんMOMになっているでしょう(ほんとはあと2点ぐらい取れてたけど)。

 決勝ももちろんクロアチアを応援します。PSG理論に従う場合、優勝はフランスになりますが、要はフィールドにPSGの選手がいなければいいわけで、その方法がないわけではないよね。口には出しませんが、クロアチアは何か考えているかもしれない。そういえば、クロアチアはディ・マリアのアルゼンチンを3-0でやぶっている。唯一の例外じゃないかね。

 これから寝ます。午後から授業。ゼミで威張れるんだ。女子学生1名がイングランド優勝を予想していて、なかなか運気の良い人だから、イングランドが勝つかもしれないと不安だったんだけど・・・やはり、正義は 勝つ のよん。

 
0711マニ災害02あじさい01 摩尼寺参道

紫陽花の露西亜(12)

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フランス 1-0 ベルギー

 我がPSG理論は恐ろしいほど当たりますね。心情ではベルギーを応援していましたが、結果はンバッペ(PSG)を含むフランスが辛勝しました。
 PSG理論の科学的根拠はありません。しかしながら、2016ユーロにおけるレアルと同様に、今回はPSGが勝敗のカギを握っている。例外はありません。これまで以下のような結果となっています。日本を含む片側の山にパリSGの選手が集中しており、その存否もしくは対決により勝敗が決しているという考え方です。( )内はPSGに属する選手を示します。

  アルゼンチン(ディマリア) 3-4 フランス(ンバッペ)
  ポルトガル(無) 1-2 ウルグアイ(カバーニ)
  日本(無) 2-3 ベルギー(ムニエ)
  メキシコ(無) 0-2 ブラジル(ネイマール+チアゴ・シウバ)
  フランス(ンバッペ) 2-0 ウルグアイ(カバーニ欠場)
  ベルギー(ムニエ) 2-1 ブラジル(ネイマール+チアゴ・シウバ)
  ベルギー(ムニエ欠場) 0-1 フランス(ンバッペ)


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 ムニエ欠場の代償は大きかった。最初は右WBに起用されたシャドリが好調で、みごと代役を果たすかに思われましたが、まもなくデシャン監督はその不均衡を埋めてしまいます。もうひとり、ボランチで先発したデンベレは不調のように私にはみえました(後半まもなく交代)。さらに、日本戦の逆転劇に貢献した長身のフェライニもポグバとのマッチアップとなって、日本戦やブラジル戦ほど機能しておらず、ついには交代させられます。しかし、フェライニを下げてよかったのかどうか。ルカクとフェライニを比べると、ヘディングで競り勝ちそうなのはフェライニのように思えましたが、3戦無得点のレギュラーCFとの心中をマルチネス監督は選択し、結果としてルカクは不発に終わりました。


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能海寛生誕150周年記念シンポジウム 速報!

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天頂山浄蓮寺

 大雨の翌日にあたる7月8日(日)、浜田市で開催された能海寛生誕150周年記念シンポジウムに参加しました。連日の大雨により、行くかどうかぎりぎりまで悩まされましたが、私の卒論の題材ということもあり、決行することになりました。朝7時に集合し、島根県浜田市金城町波佐の会場(ときわ会館)に着くまで5時間を要しました。波佐は典型的な里山地域であり、コンビニが1軒あるだけで、レストランなどはまったくないため、コンビニでお弁当を買おうとしたのですが、災害のため流通が遮断されており、みんなでカップラーメンを買って食べました。それから、能海寛の生まれ育った浄蓮寺を訪ねました。先生の見立てによれば、本堂・山門などは近代の和風建築だそうです。このほか浄蓮寺の境内には能海寛の顕彰碑や歌碑などがあり、改めて彼の偉業を感じることができました。


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 会場では、ASALABのOBでもある大田市教育委員会のタクヲさんとも合流し、6人で講演などを拝聴しました。第1部は江本嘉伸氏による基調講演。江本さんは『西蔵漂泊 チベットに魅せられた十人の日本人』(1993-94)や『能海寛 チベットに消えた旅人』 (1999)などの業績で知られるジャーナリスト&探検家です。
 第2部はパネルディスカッション。パネラーは、岡崎秀紀氏、奥山直司氏、飯塚勝重氏、高本康子氏、能海教信氏の5名を予定していましたが、高本さんは豪雨の影響により不参加ということでした。それぞれ違った観点で話をしていただき、勉強になりました。私が興味を持ったのは、奥山さんの以下の発言です。

  能海寛を調べているほとんどがチベット学者ということで、能海寛=チベットというイメージが
  ついているけれども、そうではなくてチベットは彼の一部であることに注意すべきだ。


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0708浄蓮寺04里山 浄蓮寺顕彰碑



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紫陽花の露西亜(12)

0707大路川0738 0707大路川0738sam 大路川(朝)


行くべきか、行かざるべきか

 7月7日(土)。白伯戦が終わったあと何度も外に出て雨を確認する。少しずつ雨足が激しくなっているようだが、近くの水路をみても水位は溝底に近く、浸水の危険性は低いと判断し、床についた。ところが、市のパトロール車がやってきて、「命を守る行動をしてください」とスピーカーで訴え続けるので、仕方なく荷物を詰め直し、車を大学に走らせた。4階の研究室に至る途中、別の教員が目覚めたところで軽く会釈してくれた。
 小さなソファベッドでただちに就寝。昼前にめざめると完全に小降りになっていて、まだ「避難指示」は解除されていなかったが帰宅を決意する。買い込んでいた弁当を腹にいれると、また眠くなった。気になるのは8日(日)に開催される能海寛生誕150周年事業(浜田市)である。特別警報はすでに解除されていたが、「江の川の氾濫」をひどく不安視する向きもあり、各所に連絡するも、決断できない状況が続いていた。

 夕方から仕事しようと思うのだが、どうにも体が動かないので、思い切ってパトロールにでかけた。倉田から円通寺まで往復して大井手と千代川の水位を確認した。時間は過ぎてゆくばかり。松江在住グループ2名のシンポ不参加を確認した。松江在住の島根県民でさえ浜田に行きたがらないのに、鳥取から5時間を要する我々はどうしたものか。倉吉の会長に何度も電話して話し合い、さまざまな要素を考慮して予定通りの参加を決断したころには深夜10時を過ぎていた。


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イングランド 2-0 スウェーデン

 あまり興味のない試合でした。サッカー好きはイングランドを好まない(人が多い?)。一方、予選のプレーオフでイタリアに引導を渡し、ドイツのいるグループリーグを首位で突破して、16強戦でスイスに勝ち切ったスウェーデンは、おもしろいサッカーではないけれども、決して侮れません。しかしながら、結果はイングランドの圧勝でした。ユーロ2016のていたらくから回復できたのは監督交代とケインら若手の成長が大きいのでしょう。それにしても、ヨーロッパの主要国は、スペインやクロアチアをのぞくと、アフリカ系の選手が著しく増えていて、どのチームがアフリカ系の良い選手を確保するかで強弱が決まってしまうような気がします。たとえば、ベルギーのルカクは英仏白、どの国でも選べたのではないでしょうか。日本も他人事ではありませんよ。実際、ラグビー日本代表は多国籍連合軍であり、サッカーもそのような方向に多少なりとも変わっていかないと欧米列強に対峙しえないのではないか、と思っています。

クロアチア 2-2 ロシア (PK4-3)

 8日早朝の出発を控え、早めに就寝しました。苦戦するだろうが、クロアチアが勝つと信じて床に就いたのです。6時起床。ビデオを早回しして、ラキティッチのPK成功を確認。ロシアはこのあたりで負けておくのが正解です。これ以上勝ち進むと、またぞろ疑惑を抱かれかねない。五輪では夏冬2大会連続で参加禁止だったのですから、自国開催でランク70位のチームが決勝に勝ちあがるなら、李下に冠、瓜田に履(?)の誹りを免れえません。今大会の場合、フランスはもちろん、クロアチアとベルギーも勝ち上がるべきチームです。10番対決が今から楽しみですね。アザール、ンバッペ、モドリッチ・・・イングランドはだれだ!?


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紫陽花の露西亜(11)

0706大路川02 大路川 7日午前1時


フランス 2-0 ウルグアイ

 7月6日(金)。夏休みの海外出張に関わるを書類作成に熱中していたら夜になっていて、気がつくと、ネットもTVも「数十年に一度の災害をもたらす大雨」について報道している。「大雨特別警報」の対象地域がヤフーのトップページにでていて、クリックすると我が鳥取市の美保地区もそこに含まれているではありませんか。この地域は大路(おおろ)川に近接しており、しばしば「避難勧告」の対象になるのですが、今回の場合、生命にかかわる災害ということで「避難指示」に格上げされ、電話で3ヶ所から連絡あり「早く逃げて」と言われ、荷物をまとめることになってしまった。しかしながら、避難指定場所の小学校に行くのは躊躇われたので、高台にある大学に行こうと決めて、着替えや食料、パソコン、ハードディスクなどを車に積みこんだ。
 それにしても不気味な雨だね。将校たち七人が死刑執行された日に大雨が降る。先進国のなかで死刑制度を残す国は日本とアメリカだけだそうです。座頭市2003のラストシーンを覚えていますか。「・・・思い残すこたぁない、さぁ切れ(殺せ)」と開き直るくちなわの首領に対して、市は「だれが殺すかい」と啖呵を切って首領の両目を十字に切った。死ぬより辛い想いをさせてやろうというわけです。命を奪うことなく、命を奪う以上の刑罰を考え出すことができるならば、死刑制度は廃止できる。


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 それにしても、よりによってW杯準々決勝の2試合がある夜に大降りしなくてもよかろうに、神様だか将校だか知らないが意地悪なふるまいで俗人を苦しめるではないか。しかし、文明は進歩しています。我々にはカーナビがある。校舎の玄関ポーチに車を停め、ガードマンさんに予め怪しい者ではないことをお知らせした。炭酸水を飲みながら、画面をみつめる。前半はウルグアイのプレスが強く、フランスは自慢の中盤が機能しなかった。カンテとボクバがビルドアップできない。しかし、前半40分にコーナーキックからのヘッドでフランスがあっさり先制。
 いったん車から外に出て、雨を観察するに、たいした降りではない。どうしても 大人しくしていられなくなり、パトロールを兼ねて市街地へ出発。蹴球酒場は開いていました。お客は3名。大画面のモニターでは、すでに後半が始まっていた。ウルグアイは前半でエネルギーを使い果たしたのか、うってかわってフランスに中盤を支配されている。そしてまもなくグリーズマンのミドルをGKが弾いて2点目を失い、勝敗は決した。PSG理論に従う場合、やはりカバーニの負傷欠場が響いた。カバーニがいたら、もう少しもつれる展開になったでしょう。予想どおり、ンバッペが勝ち上がった。


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紫陽花の露西亜(10)

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三顧の礼でもう一度

 西野監督の退任が決まりましたね。契約が7月末までとのことですが、協会側が遺留しなかったとの報道に落胆を禁じえません。本気で、真剣に、誠実に遺留すれば続投もありえたのではないでしょうか。選手選考やターンオーバーなどに問題を抱えていたものの、単に16強に進出しただけでなく、日本サッカーのあるべき姿を示した点、突出した業績であり、西野さんがアジアカップでタクトをふるう姿をみたかった人は少なくないでしょう。淡々とした記者会見でしたが、大器の人物であることが滲み出ており、これまで選手選考などで批判してきた自分が恥ずかしくなったほどです。しかしながら弁解すると、わたしは根っからのハリル解任論者でしたから、西野さんが16強に勝ち上がったことを心から喜んでいます。ハリルは隣国の新監督候補になっているそうです。あちらのサッカーにはあうでしょう。日本のサッカーと国民性には不適合です。

 後任人事については、読売系が「クリンスマン確定」、朝日系は「森保を軸に調整も難航」と報じています。監督としてのクリンスマンの印象を述べておきますと、ベンチの周辺でピョンピョン飛び跳ねている軽い人物であり、とても戦略・戦術に長けた策士とは思えませんし、日本文化やJリーグを理解しているわけでもありません。クリンスマンの補佐に浦和OBのブッフバルトを雇用するという情報もながれていますが、ブッフバルト自身が日本のパスサッカーにふさわしい指導者とはとても思えない。
 日本で長期指導している外国人監督として真っ先に思い浮かぶのはネルシーニョです。加茂周のていたらくに際し、いちどは代表監督の最有力候補になったものの、たしか長沼につぶされ、「腐ったミカン」発言をしたのははるか昔になりました。


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人間環境実習・演習B中間報告会のお知らせ

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能海寛『世界に於ける仏教徒』口語訳(続編)

 5月下旬の中間報告会終了後、まもなくロシアでW杯が始まり、時空を一気にワープして、3年生の実習・演習の期末報告会をまもなく迎えることになります。日程・会場は以下のとおりです。

【日時】 7月18日(水)5限【教授会終了後】16:10~
    *発表時間 一人あたり5分程度(スライド5~6枚)
【会場】 A班(4409演習室) 山口研・浅川研・遠藤研
     B班(1階環境デザイン演習室) チョン研・中治研・中橋研 
    
 ASALABの3年生4名は中間発表会から引き続き、能海寛『世界に於ける仏教徒』の輪読及び口語訳の成果を発表します。以下の構成を予定しています。

     1. 能海寛生誕150周年記念事業速報
       ~第8章「サンスクリット」概要(1)
     2. 第8章「サンスクリット」概要(2)
     3. 第9章「仏教国の探検」概要(1)
     4. 第9章「仏教国の探検」概要(2)-チベットをめざして
   
 『世界に於ける仏教徒』第1~2章の輪読では、キリスト教に対する攻撃があまりに激しいため、一部の学生にアレルギー症状が出てしまいました。よって後続する第3章は避けることとし、能海が恋焦がれる古代インドとチベットを主題とする第8~9章を6月以降読み進めました。また、来たる7月8日に開催される能海寛生誕150周年記念シンポジウムの成果も速報します。まだどうなるか分かりませんが、秋の摩尼寺イベントでも能海寛絡みの内容を検討しています。予定は未定ですので、またお知らせします。


今年も、「寅さんの風景」発表会
 
 1・2年生のプロ研「寅さんの風景」発表会は25日(水)です。これについても、近々報告させていただきます。


【人間環境実習・演習B中間報告については以下を参照】
(1) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1802.html
(2) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1803.html
(3) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1804.html
(4) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1805.html
(5) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1806.html
(6) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1807.html

鳥取城跡での演習

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天守をめざして

 6月25日(水)。昨日も報告があったように、今回のゼミは前半に鳥取県立鳥取西高等学校SGH参加班と、鳥取城登山隊の二班に分かれて活動し、合流後は仁風閣付属の宝扇庵と周辺庭園の配置図のスケッチ と測量を行いました。
 鳥取城隊は4年2名、3年3名の5名で久松山の天守跡に登りました。あまり登山慣れしていない5人で気温は31℃、たくさん汗をかき苦戦しながらの登山です。登山道はよく整備されており、山道ではあるものの山中の階段を上っている気分でした。水分補給と休憩をはさみながら山頂に到達し、鳥取県庁・駅周辺・日本海を 一望できる素敵な眺めを堪能しました。私は登山が5年ぶりくらいでしたので、 後日の筋肉痛におびえています。


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宝扇庵のスケッチ

 各班が合流したのち、仁風閣に向かいます。仁風閣敷地内に入るのは初めてです。疑洋風建築の仁風閣に併設された池泉回遊式「宝隆院庭園」のなかに宝扇庵という数寄屋風のお座敷が設けられています。そこが史跡整備委員会の会場です。仁風閣背面から広 がる宝隆院庭園が洋(仁風閣)と和(宝扇庵)を違和感なく繋いでいて、HPなどで見るのとはまた違う印象を受 けました。宝扇庵をスケッチする学生、仁風閣周辺庭園の配置図を作成する学生に分かれて活動し、方眼紙にシャーペンで描き込んでいきました。一日中重たい曇り空でしたが、スケッチを描いている最中は雨が降らずほっとしま した。


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↑↓宝扇庵と宝隆院庭園のスケッチ
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過去への旅路(6)-鳥取西高SGH

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シエスタの教室

 6月27日(水)、曇り。水曜午後は全体ゼミの時間ですが、今回は鳥取城跡周辺で活動しました。教授が鳥取西高SGHと史跡鳥取城跡整備委員会を連続でこなさなければいけないための苦肉の策であり、ゼミ生はまず西高SGHブータン班参加組(2名)と鳥取城天守跡登山組に分かれました。教授にとっては、前週の母校(京大)に続く、母校(西高)での活動であり、とくにSGHについては昨年の「トンレサップに学校をつくろう」課題で大変よい印象をもたれており、とても楽しみにされていました。
 わたしは昨年のSGHにも参加したのですが、教室に入った瞬間、昨年とは雰囲気がちがうように感じました。溌剌とした明るさがなく、どこか空気が澱んでいます。
 講演の題目は「ブータンの崖寺と瞑想洞穴 -チベット仏教と遊牧民」。結論から報告しますと、講演が始まって10分もしないうちに居眠りする生徒が出始め、教授は何度かやわらかく警告を発せられていたのですが、昼下がりのシエスタに身をゆだねる生徒は増える一方になり、開始15分に至らない段階で「こんなに居眠りが多くては講義できない」と発言され、最後列に座っていた私たちに「帰ろう」と呼び掛けられました。
 その後、わたしたち2名は他のゼミ生と合流し、仁風閣付属の宝扇庵と周辺庭園の配置図の測量実習に移行しました。この日は14時半より宝扇庵で鳥取城跡整備委員会が開催されるので、教授も会場に向かうかと思われましたが、今回の問題について母校の校長と話したいということで校舎に残られ、県庁にいる校長の帰学を待たれたようです。しかしながら、校長の帰学が遅れたため、教授は教室に戻り、生徒の質問に答えたとのことです。

 2年連続で参加した私の感想としては、昨年のトンレサップ班に比べ、ブータン班は生徒の事前学習が十分ではなかったように思います。あとで教授が問われたところ、SGHの取組そのものに違和感を訴える生徒もいたそうです。「参加を強制されている」という意見を正直に述べる者もおり、そういう意見を校長に伝えたとのことです。2・3年合同の演習らしいですが、とくに3年生にとっては受験との兼ね合いが微妙な時期でもあり、どれだけのエフォートをSGHに注ぐべきか、悩ましい問題だと思いました。父兄も心配されていることでしょう。
 研究室側の反省もあります。昨年はまず生徒の話を聞き、それから土地勘を掴んでもらうためにパワポをみせて生徒に刺激を与えました。昨年と同じやり方のほうがよかったのかもしれません。そのためには事前の打ち合わせが必要であったと思います。昨年は、ハロン湾の筏住居模型の受け渡しなどのため教授自身が高校を事前に訪問したり、担当教員が大学の研究室に来られたりしていました。そういう準備がいっさいなかったことが今回の失敗の遠因になったと考えます。
 同じ母校でも京大の研究会では素晴らしい講演になったのに対して、今回の西高での指導は非常に残念な結果に終わりました。昨年のトンレサップ班が例外的に活力あるグループだったのでしょうか。(OK牧場)


西高居眠り

紫陽花の露西亜(9)

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日本 2–3 ベルギー

 ベルギーと言えば、チョコとワッフルでしょ。ネットで店を探すと、学園前駅前のレオニダスがヒットした。電話して確かめた。ゴディバと並ぶ老舗らしい。夕方、家族を引き連れ店に行き、チョコとワッフルを買った。

   ベルギーを食う!

ことが目的である。


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 そして、同じく学園前のとんかつ専門店「かつ喜」へ。おもいっきりロースかつをたいらげた。

   ベルギーに勝つ!

などと威勢のよいことを言ってましたが、本心を打ち明けるならば、2点差での敗北と予想していました。


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紫陽花の露西亜(8)

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カギにぎるPSG

 やっぱワールドカップ、おもしろいねぇ。ノックアウトのトーナメントに入って、一気にギアが2段ばかりあがり、ヒートアップしてきました。メッシとロナウドがともに敗退したわけですが、このレベルになると、選手一人ではどうにもならない。かれら二人は所属チームでいかに優秀な仲間に囲まれているか、ということです。
 しかし、いっかなバルサやレアルをもってしても、昨夜のフランス代表を倒せたかどうか、疑問ですね。それだけキリアン・ンバッペの出来は凄まじかった。事実上のハットトリックですから。 ディ・マリアやバンジャマン・パバールの超絶ミドルシュートが霞んでしまうほどの離れ業でした。
 メッシの出来も決してわるくはなかった。カンテに密着マークされながら2アシストしたんだから、十分ノルマは果たしたと評価すべきです。ンバッペがメッシを上回っただけのことなんだ。2年前の日本シリーズで登板した黒田(広島)のことを思い出しました。広島はすでに2勝し、3試合めに登板した黒田は6回、大谷翔平を打ち取ったところでアクシデントが発生し、降板。その後、大谷の活躍で日ハムが逆転し、以後連勝して日本シリーズを制覇した。ヤンキースなどでエースを張った黒田と大谷の入れ替わりを強く印象づける一戦となったことを記憶しています。黒田から大谷へ。そして、リオネル・メッシからキリアン・ンバッペへ・・・時代は変わってゆく。
 一方、クリロナもウルグアイの堅守の前になにもできなかった。ウルグアイは今大会有数の守備力を誇っており、ンバッペ対策をどうしてくるか、見物ですね。


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 一昨年のユーロ2016の決勝を予想するにあたって「CL再現」という記事を書いたのですが、ヨーロッパ選手権の行く末を決めているのはCLを制覇したレアルに所属する選手たちだという結論に達し、レアルに所属するクリロナとペペ(当時)を擁するポルトガルがフランスを下すであろうと予測して結果はそのとおりとなりました。フランスは地元フランス大会で優勝できなかった。それは、エースのグリーズマンがCL決勝でレアルに敗れたアトレチコの選手であり、優勝したレアルの選手を一人も含まなかったから、という背景があると独断で推定しておりました。
 今回、勝敗のカギを握るのはパリSGみたいですね。フランスはンバッペ、アルゼンチンにはディ・マリアがいましたが、ンバッペが役者の違いをみせつけた。ウルグアイはカヴァーニが2得点して勝利を決定づけた。他のチームでは、ブラジルにネイマールとチアゴ・シウバがいます。残念ながら、我がクロアチアにはパリ所属の選手は一人もいません。しかしながら、どうやらこのあたりのチームがチャンピオンになるような予感がしてきました。問題は次のフランス対ウルグアイで、ンバッペがウルグアイの堅守を突き破ることができるならば、そのまま走り抜けるだろうと予想する次第です。いまや、メッシ超えを果たしたンバッペがネイマールをも上回る可能性は高いと思われます。


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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