宇内一統宗教の構想と矛盾 最後にこの4ヶ月の輪読の成果をまとめようと思う。能海は『世界に於ける仏教徒』(1893)において、世界的に普遍性をもつ「宇内一統宗教」、すなわち世界統一宗教としての新仏教の構想を示した。アジア各地の仏教国を訪問し、ブッダの思想を直接的に反映する古代インド仏典やチベット仏典を収集・英訳することで、正しいブッダの思想を明らかにして世界に伝道し、衰退するキリスト教にとって代わろうと目論んだのである。
そうした野心を裏付けるかのように、キリスト教に対する攻撃は苛烈をきわめており、東南アジアの上座部仏教に対する差別的な発言も散見される。文章を読んだ感想としては、仏教徒としての「寛容さ」以上に、他の宗教・宗派に対する「排他性」が露骨にうかがわれる点、残念に思った。キリスト教などの西洋文化や廃仏毀釈が仏教を危機的な状況においこんでいたことを差し引いても、旧宗教勢力に対する辛辣な物言いは想定範囲を大きく超えている。
能海の批判は、キリスト教などの異教にとどまらず、葬式仏教に堕した日本の旧仏教にも及んでいる。
【口語訳】
第2章より抜粋 (日本の旧)仏教とはただ寺院・僧侶・経巻でしかなく、僧の仕事は葬儀の取り扱い、
そうでなければ墓地の番人のようなものだとみなされているではありませんか。
ところが、こういう堕落した状況は中国、インド、東南アジアでも同じであり、新仏教の責任者となるのは日本人以外にないと開きなおっている。妻帯・肉食・飲酒・喫煙の許される世俗化した日本の僧侶に「新仏教」のリーダーたる資格はあるのだろうか。戒律遵守に加えて、深い教養をもち、複数の言語を操る現在のチベット仏教のリーダー、ダライラマ14世のような修行者でなければ仏教の世界的リーダーにはなりえないのではないか。
ちなみに、ダライ・ラマ14世(1935-)は2歳までアムド(青海)の農村で育っていたが、輪廻転生の導きによりダライ・ラマの後継者に指名され、1940年に4歳で即位して、1951年までチベット君主の座にあった。その後、中国の軍事進攻から逃れるため、1959年にインドに亡命してダラムサラに中央チベット行政府を樹立した。仏教の魅力を分かりやすく伝える点で彼の右に出る人物はいない。欧米でも高い評価を得ており、1989年にはノーベル平和賞を受賞した。現在、ダライラマ制度そのものの廃止を検討中と聞く。
信仰の自由/宗教の多様性 教授に教えていただいたのだが、ドイツの哲学者カール・ヤスパース(1883-1969)は『歴史の起源と目標』(1949)のなかで信仰の未来について論じている。 難しい訳文だが、引用しておこう。
世界の統一が信仰の統一なしに起こるだろうということが、ありそうにもないと解される
にしても、私はあえて反対のことを主張する。すなわち、(世界帝国とは異なった)世界
秩序という万人に拘束力をもつ普遍者は、さまざまな信仰内容が、ひとつの客観的
普遍妥当的信仰内容に統一されることなく、歴史的な交わりにあってあくまで自由である
場合、ほかでもなくこの時こそ、初めて可能なのである。
(重田英世訳 1964:p.416 、理想社) かみくだいて言うならば、宗教あるいは信仰の未来は、宗教相互が他の宗教の存在を容認し、レスペクトしあうことによってのみ共存共栄の道が可能になる、そうでない限り、宗教に未来はない、とヤスパースは主張しているのである。新仏教が低劣なキリスト教を覆い尽くすと言わんばかりの能海の主張に比べれば、ヤスパー スの考えははるかに洗練されたレベルに達している。仏教の起源と未来に向き合った能海の考えは高く評価されるべきだが、いちがいに礼賛すべきではない側面も少なくなく、 「宗教の多様性」という観点からとらえなおす必要があると思われる。(Task)

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