fc2ブログ

雲のかなたへ-白い金色の浄土(6)

0914金沙江01 0914金沙江03


金沙江をこえて

 14日は大理を出発して、喜洲・麗江を経由し、午後3時に金沙江の畔に到着しました。橋の名称は不明ですが、「普達(プーター)」という看板が目を引きます。麗江の海抜が2300mまであがっていたのに対して、この谷筋では1800mまで下がっていますから、山間部ながら昆明より標高が低いことになります。金沙江は長江最上流部の一部であり、青海西部の崑崙山脈中に源を発し、チベットと四川の省境を南下して雲南に入り、玉龍ナシ族自治県の石鼓鎮あたりを分水嶺として南から北へ流れを反転させます。その後、四川の宜賓で岷江と合流して長江となります。チベット東部のカム地方を東西に二分する川であり、川底から砂金を採取したことから金沙江の名がついたといいます。


0914金沙江02 0914金沙江01


 コンクリート橋の対岸には大きなストゥーパ(チベット式チョルテン=多宝塔)がみえます。橋を渡り終えると、そのストゥーパの前側には大きなヤクの彫像が複数展示されていました。大理・麗江はそれぞれペー族とナシ族の居住区ですが、これから先はチベット族の世界であることを強く印象づけています。一説に、能海寛は金沙江をこえ、徳欽から阿東あたりまで進んで行方不明になった言われていますが、同行した何大勇さんは何の根拠もない、とにべもありません。むしろ能海は金沙江をこえることができなかったと推測しています。当時、金沙江に関所が存在したからです。金沙江の対岸は今は雲南省の一部ですが、実質的にはチベットであり、大理で付人と離れ一人で行動していた能海が関所をこえるのは難しかったろうと何さんは考えています。どちらの考えが正しいにしろ、この場所は能海を研究する上でとても重要な場所だといえます。
 その後車をしばらく走らせると、玉龍雪山の背面が見えてきました。麗江の町なかでみることのできなかった玉龍雪山が背面とはいえ視界に収まったのはラッキーでした。


0914玉龍雪山背面01 
↑玉龍雪山背景


続きを読む

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2018/10 | 11
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR