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2018年度卒業研究PS/修士研究一年次中間発表会のお知らせ

 またたくまに時は流れ、あと2週間で卒業研究ポスターセッション、その4日後に修士研究中間成果発表会を迎えます。

卒業研究ポスターセッション
1.日時: 2月15日(金)午後
2.会場: 環境大学学生センター 多目的ホール、 1階及び 2階のギャラリー(廊下)
3.スケジュール: 前日(14日) ~11:30 ポスター設置準備
 15日 12:00~13:30 学籍番号【奇数】 学生のポスター発表
1157071 佐藤 柚実(中間報告)  
  環オホーツク海沿岸狩猟民族の罠技法に関する比較研究 
                     [副査講評担当] 041景山 045河合
 15日 13:30~15::00 学籍番号【偶数】 学生のポスター発表
1157066 佐々木 香奈(中間報告
  重要文化財「河本家住宅」の幕末家相図をめぐる基礎的考察  
1157134 森 彩夏(中間報告
  能海寛を読む-『世界に於ける仏教徒』(明治26年)の口語訳と批評
                 [副査講評担当] 040越智 042鍛冶、044神谷
 
大学院修士課程1年次中間発表会
1.日時: 2月19日(火) 09:00~10:40
2.会場: 環境大学 13講義室
3.発表者数: 5名
4.発表時間: 20分(質疑応答含む)
5.発表要旨:A4 2枚まで  ※写真・図可、文字フォント9以上、字数制限なし

 09:20~ 09:40 3187002 岡崎 滉平
  フォトスキャンを活用した文化遺産の分析-近世民家を中心に(仮題)

卒論締切日: 2月20日(水) 卒論本文・概要2部を指導教員に提出

【残念なお知らせ】 年度末恒例の対外的な成果報告会については、ASALABゆかりの重要文化財「河本家住宅」(琴浦町)での開催を予定しておりましたが、卒業生の引っ越し、一部研究の進捗の遅れなどのため、今年度は開催しないことになりました。来年度はなんとしてでも復活させたいと思っております。

ヒマラヤの魔女(14)

(1) 2018P4ヒマラヤの魔女01イントロ校閲0118_01 0130ヒマラヤの魔女(発表会)00聴衆02sam


満員御礼! P2&P4 発表会

 1月30日(水)の発表会は、数年ぶりに午前11時~という良い時間帯があたったせいか、13講義室は満席状態。おそらく80名以上の入室者があり、一部の学生は入室を断念するほどの盛況ぶりでした。
 発表は無難でした。スピーチはリハーサルのかいあって全員がスムーズでした。心配していたファルスの問題もポスター発表にするなどの工夫により、ざわめきがおきることもなく、むしろ聴衆からみれば期待外れ?で、物足りなかったかもしれません。


0130ヒマラヤの魔女(発表会)01イントロ01 


1.イントロダクション(パワポ)
  渡部・松本・岩立・安田

 プロジェクトの目的を説明した後、以下の活動記録を示しました。

10/04 オリエンテーション-チベットの魔女について
10/11 文献輪読(2年)「ブータンの宝塔」
10/18 文献輪読(1年)「空飛ぶファルス」(1)
10/25 文献輪読(2年)「空飛ぶファルス」(2)
11/08 DVD鑑賞 『チベット 死者の書』 
11/10 摩尼山(賽の河原)トレッキング参加
11/15 文献輪読(1年)「空飛ぶファルス」(3)
11/22 民話絵本翻訳(2年)「アケゲム」
11/29 民話絵本翻訳(1年)「ハ地区のカブ」
12/01 能海寛生誕150周年国際シンポジウム「雲南に消えたチベット仏教求法僧」参加
12/12 資料整理
12/19 資料整理
01/10 資料整理
01/24 発表会準備 リハーサル 
01/30 発表会  11:00~ @13講義室


0130ヒマラヤの魔女(発表会)02アケゲム01 0130ヒマラヤの魔女(発表会)02アケゲム02sam


2.ブータンの民話絵本『アケ・ゲム』(パワポ)
  松原・湊・湯原

 貧乏な男がお金持ちだとウソをついて、美女アケ・ゲムをお嫁さんするが、洞穴住まいに呆れたアケ・ゲムは嫁ぎ先から逃げて故郷をめざします。その途中、ツェンツォカという湖ですったもんだのあげく、アケ・ゲムは湖に落ちてしまいます。妻をなくした夫を憐れむ湖の守り神は、湖を見渡せる大きな崖に男を変身させたのです。ところが、アケ・ゲムはケンドムという女神(魔女?)だったので、湖で溺れることなく無事にふるさとに帰って幸せに暮らすというお話です。男はつらいよ・・・
【和訳全文】http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1968.html


0130ヒマラヤの魔女(発表会)00聴衆01 開始前



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河本家住宅家相図の研究(5)

河本家ヒアリング調査ブログ 河本家全景


河本家住宅-建造物研究史

 1月6日(日)、琴浦町の重要文化財「河本家住宅」を訪れ、家相など家の方位観に関するヒアリングをおこなわせていただきました。ブログの記載に先立ち、これまでの河本家住宅建造物に関する研究史について略述しておきます。

鳥取県近世民家緊急調査(1972)
 河本家住宅は鳥取県東伯郡琴浦町(旧赤崎町)箆津393に所在する江戸時代前半期の古民家である。昭和47年度に鳥取県近世民家緊急調査の第三次調査対象となり、報告書『鳥取県の民家』(鳥取県教育委員会 1974)に最初の調査概要が掲載されている。この報告に基づき、鳥取県は昭和49年3月29日、河本家住宅のオモヤとキャクマを鳥取県有形保護文化財に指定した。その後、昭和53年にオモヤの屋根葺き替えがおこなわれ、貞享5年(1688)の棟札が見つかった。

河本家住宅-建造物調査報告書(2005)
 平成15年度(2003)、赤碕町は河本家の味噌蔵・米蔵を同家収蔵品の展示室に衣替えする企画を検討したが、ASALAB有志が味噌蔵・米蔵をはじめ周囲の土蔵群を視察した結果、それらの建物も高い文化財価値を有することが判明した。また、『鳥取県の民家』に掲載されている河本家住宅の報告も短いものであり、オモヤ・キャクマ等についての本格的な調査・分析がなされていなかった。これらのことから、赤碕町教育委員会と鳥取県教育委員会は河本家住宅の建造物に関する総合的な調査を決定し、ASALABが町の委託を受け平成16年度(2004)、ASALABが調査に取り組んだ。そのときのリーダーが一期生のタクヲさん(現大田市教育委員会)であり、タクヲさんが年度末に卒論としてまとめ、その成果を教授が校閲・編集し、『河本家住宅-建造物調査報告書-』(2005)を刊行した。この報告書をもとに国の文化財審議会で審議され、平成22年(2010)にオモヤ、キャクマは県指定から国指定に格上げされ、敷地内の土蔵群・長屋門なども国の重要文化財に指定された。このとき棟札等も重要文化財に附(つけたり)指定されている。 その後、鳥取県教育委員会が奈良文化財研究所に調査を委託して刊行された『鳥取県の近代和風建築-近代和風建築総合調査報告書-』(2007)には、河本家の分家にあたる河本誠之家住宅(箆津386)の基礎的な調査報告が掲載された。


幕末家相図の発見(2006)
 『河本家住宅-建造物調査報告書-』刊行からまもない平成18年(2006)10月、河本家の味噌蔵を整理中に家相図が発見された。その報告として坂本敬司氏(当時県史編纂室)が内部資料として短い報告を残している。内部資料ではあるが、家相図の基礎分析として嚆矢にあたるものであり、本研究においてもおおいに参考させていただいた。材質、法量、作成年代、記載内容、付属品、保存状態、所見などについて記載されている。その基礎情報を再度転載しておく。
  (1)材質 紙本彩色
  (2)法量 2275×1425mm
  (3)年代 嘉永七年(1854)年9月 *袋表紙の記載
 この幕末の家相図も歴史資料としての価値は高く、棟札と同様、重要文化財に附(つけたり)指定されている。


河本家ヒアリング調査ブログ 河本家庭園


庭園は県指定名勝へ
 近年の活動は、住宅よりもむしろ庭園(↑)にむいており、平成30年(2018)10月9日、河本家の庭園は県指定名勝となった。家相図に描かれる幕末ごろの様子が現在まである程度遺存しており、地域屈指の豪農の近世庭園のひとつとして学術的価値が高いことや、キャクマを介して南北に庭園を設える空間構成や限られた敷地で水路をうまく活用した池の構成の芸術的価値が高いことなどが評価された。


河本家ヒアリング調査ブログ 古民家ツアー


古民家ツアーと家相図研究リスタート
 2017年11月28日、二年次対象の演習「人間環境実習・演習A」の活動の一環としてひとつとして教授の主催する古民家ツアーをおこなった(↑)。鳥取県の二大古民家でいずれも東伯郡に所在する重要文化財「尾崎家住宅」(湯梨浜町大字宇野1518)と河本家住宅を訪問したのである。参加者は教授はじめ教員4名、ゼミ4年生2名、講義履修者27名であり、現地では会長がサポートされた。ただし、ASALAB以外の参加者が多かったことで印象が薄れた感が否めない。このとき土間に展示されていた家相図複写版を教授が下見調査したことで本研究は11年ぶりの再スタートをきることになる。家相図は特殊な、いわば呪術的方位観による未来計画図の場合がしばしばあり、一般的な指図とは違って平面復元の根拠とは必ずしもならないため、発見後十年以上経過するが、家相図の調査研究は全く進んでいなかった。しかし、あらためて観察すると、河本家の家相図には復原史料としての価値もみとめられることが見えてきたため、私の卒業研究として教授からご提案していただいた次第である。その後5月に浅川教授が河本家を訪問し、家相図複写版を借り受け、複写版を複写し、研究の基礎資料とした。


河本家ヒアリング調査ブログ 河本家家相図


フォトスキャンによる家相図オルソ写真の撮影
 2018年8月4日、研究室メンバー6名(教授、会長、岡崎、佐々木、森、野表)で家相図等の詳細調査をおこなった。借り受けた家相図の複写版は縁(ふち)周りが映っておらず、解像度も高くなかったため、高解像度の全景撮影を目指したが、畳二帖をこえる規模や傷み具合を考慮して壁吊り撮影は断念した。代わって教授と森が2台のカメラを用いて、一人100枚(計200枚)ほどの斜め撮影を現場でおこない、そのデータを研究室に持ち帰ってフォトスキャンで3D化したところ、オルソ写真としてかなり正確で解像度の高い正面写真を得ることができた(↑)。一方、家相図と現状平面の異なる部分があきらかになったので、該当部分の部材(鴨居・敷居・差鴨居など)を丹念に観察し写真撮影した。その結果、家相面は嘉永七年(1854)制作時の現状図を示す可能性が高いことはほぼ確実になった。




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UAEのアジア杯(3)

嵐をよぶイラン

 嵐だか芥子だかしらないけれど、アラフォーのアイドル・グループが2年後に活動休止するというので、大坂さんの全豪制覇も、玉鷲の初場所優勝もみんな脇役においやられ、朝から晩まで中年ジャニーズのニュースばかりやっているから、テレビをみる気がなくなった。なんとなく、ロシアW杯のコロンビア戦とベルギー戦の録画をまわしたのだが、日本はほんとうに良いサッカーをしている。ともかくパスがよくつながる。2タッチ以内でのパスが多い。とくに香川-乾-長友の左サイドはまさにストロングポイントになっていて、絶妙の間(ま)が生まれていた。これに柴崎と大迫が絡めば無双状態である。この2試合をみる限り、日本は世界ランク15位くらいに評価されても全く不自然ではない。
 じつはその前の日に、中国対イランのアジア杯準々決勝の録画も視ていたのだが、これはまぁひどい試合でした。イランの戦法たるや、後ろからCFのアズムンめがけての放り込みのみ。それがわかっていながら、中国のストッパーはかぶりまくって2点連取されてしまう。まったく同じパターンであり、1点め取られたところで、アズムンにはマーク一人、カバー一人を徹底しておけば、少なくとも0-3の大敗にはならなかったでありましょう。カテナチオの権化であるはずのリッピ監督は、なんの打つ手もなく、イランにやりたい放題やられて大敗し、たぶんこれで監督業から退くことになるのでしょう。
 中国もひどいが、イランのサッカーも前時代的なキック&ラッシュそのもので、こんなチームに日本は負けるわけにはいかないと思って車を走らせ、キックオフに間に合った。前半のイランは予想どおりの放り込みとロングスローの繰り返しだが、何度やっても日本の壁に跳ね返される。ただし、またしてもGKのフィードミスがあり、それがきっかけで、しばらくパスサッカーのテンポを失ってしまったのは残念でありました。ポルティモンセに移籍するそうですが、こんなんで出番はまわってくんのかな?
 前線では、あいかわらず南野のテンポが周囲と合わない。どうしてもこうしても、どんな位置でもターンして前を向き、パチンコの釘のなかに突っ込んでいきたくてしかたないのだけれども、堂安ほどのスキルはないので、あっさりボールを奪取される場面が目についた。その堂安も今夜は不調で、ボールロストが多かったですね。

 後半はあっさり3点とってしまった。いちおう南野が活躍したことになっているが、このままレギュラーでいいのか、疑問を覚えています、相変わらず私は。いちどロシアW杯のスタメン(GK以外)に戻して再出発を図るべき、という大迫の発言に協会幹部は耳を傾けてほしいのですが、イランに3-0で勝っちまって元の木阿弥か。要らん大勝だったのかもしれませんぜ。
 アジア最強の呼び声が高かったイランを圧倒したことで何が分かったか、というと、やはりアジアは弱い、ということでありましょう。UAEもカタールも似たようなもんですよ。「中東の笛」さえなければ勝つでしょう。勝ってしまうと、チームの欠点が露わにならないまま、監督は延命する。オフトも、トルシェも、ジーコも、ザックもみなそうだった。途中で負けたのはオシムとアギーレだからね。この二人のほうが、他の4人より有能な指導者ではなかったかな?
 南野はトップ下の選手ではないね。2トップの下がり気味のストライカーだな。それが悪いと言いたいわけじゃない。やはり香川のような洗練されたトップ下を使うゲームがあっていいんじゃないか、ということさ。相手チームの特徴にあわせて、どちらを使うべきか選択すればいい。
 欧州で干されている乾と香川と柴崎はみんなまとめて神戸か鹿島に戻ればいいんだ。ともかく試合に出ないと。出ていれば、柴崎みたいに勘が戻ってくる。この3人がそろう試合をもう一度みてみたい。

環境大学地域連携事業報告会(1)

 2018年度公立鳥取環境大学学内特別研究費に地域連携事業として採択された「登録記念物『摩尼山』の景観整備に関する基礎的研究-賽の河原と地蔵堂の復元を中心に-」については、摩尼山リーフレットの刊行や「賽の河原」トレックイベントなどの開催などをしてきました。地域連携事業では、研究成果発表会と成果報告の執筆が義務付けられており、最近連絡があったので、メモ代わりに記しておきます。

1.平成30年度 研究報告会
 
 日時: 平成31年5月8日(水)13時30分~16時30分
 会場: 公立鳥取環境大学 学生センター2階多目的スペース
 定員:200名
 参加料:無料
 主催:公立鳥取環境大学地域イノベーション研究センター
  (プログラム)  ☆報告時間 各20分/人 ※質疑含める、報告順序は変更可。
  13:30~13:35  開会挨拶          
  13:35~14:55  4演題
  14:55~15:05   (休憩/10分)
  15:05~16:25  4演題
  16:25~16:30  閉会挨拶           
 ※報告会に際して、概要を記した配布用資料(A4用紙1枚程度)を準備。

2.平成30年度 研究報告書
 原稿締め切り:5月31日(金)
 5月上旬 おおよそのページ数、カラー印刷の有無を聞き取り
 6月末日 発行予定   



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黒い鉢巻

祝全豪優勝!

 今夜は大坂なおみですね。家族が牡蠣鍋をほくほく頬張っているのを横目に最初から最後まで画面を凝視しておりました。正直、テニスのことはよく知らない。とくに女子については、大阪以外ではセリーナとケルバーぐらいしか選手の名前が浮かんでこないんで、昨年のWTAマスターズのベスト8を調べてみました。

1 シモナ・ハレプ(ルーマニア)
2 アンゲリク・ケルバー(ドイツ)
3 キャロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)
4 エリナ・スビトリナ(ウクライナ)
5 大坂なおみ(日本)
6 スローン・スティーブンス(アメリカ)
7 ペトラ・クビトバ(チェコ)
8 カロリナ・プリスコバ(チェコ)

 2019全豪オープンの対戦相手は以下のとおり。

決勝 P. クビトバ(チェコ)2-1
準決勝  K. プリスコバ(チェコ)2-1
準々決勝 E. スビトリナ(ウクライナ)2-0
ラウンド16 A. セバストワ(ラトビア)2-1
ラウンド 32 謝淑薇(台湾)2-1
ラウンド 64 T. ジダンセク(スロベニア)2-0

 印象に残ったのは謝淑薇ですね。彼女はいわゆる「高砂族」、つまり台湾先住民のプレーヤーだと思います。がんばってほしい。柔よく剛を制すの典型的なスタイルで、決勝にひけをとらない接戦を演じてくれました。正直、大坂さんが負けるかと思った。
 それにしても、チェコは悔しいでしょう。大坂さんさえいなければワンツー・フィニッシュだったわけです。しかもクビトバが優勝していたとしたら、ウィンブルドンを2回制したヒロインの華麗なる復活になったわけだから。強盗襲撃による左手の大けがなんて、そりゃ挨拶で泣きたくなるよね。
 深夜の再放送を視てあらためて気づいたのですが、1セットでクビトバは黒い鉢巻(ヘアバンド)をしていた。ちょっと不気味な風貌でした。2セットから鉢巻を外し、奠(くま)のイメージは消えたのだけど、猛暑のなか発汗と疲労が映し出されてしまった。その点、ピンクのサンバイザーの大坂さんは涼しい顔をしていた。山あり谷ありのタフな試合でしたが、勝つべき人が勝ったと再放送を横目に見ながら思ってます。感謝感激。
 どうかマスコミにふりまわされませんように。松岡修三要注意!

UAEのアジア杯(2)

もうすぐ春さ

 うぅぅ~ん、ターンオーバーしなかったですねぇ。中二日というのは、サッカーでは鬼門でして、ユーロなどの結構重要なトーナメントでも、強豪が一敗地に塗れる試合をみてきたので、まさかレギュラーメンバーを一人も変えずに戦うとは思いもよりませんでした。2日前にサウジとあれだけの消耗戦をやっているだけに、調子のよかった吉田、長友、酒井、遠藤、原口あたりもコンディションがいまいちであり、相変わらず北川と南野には特点の匂いがしなかった。じつは前半は車中で音声だけを聞いていたんですが(画像は映らないようにセットしている)、前半に吉田のゴールがVARで取り消され、その直後に権田-吉田の連携ミスで失点しそうになったときは聴覚だけではありましたが、ヤなムードを感じましたよ。
 一方、柴崎のコンディションが上がってきていて、W杯のレベルに戻りつつあり、大迫の復帰は朗報ですね。あとは塩谷と乾の使い方だな。3-0と大勝した中国戦をみる限り、イランは絶好調であり、今度は日本が5バック3ボランチで臨んでもおもしろいかもしれませんね。大迫と堂安(伊東)だけ残して、前半は8人で守ってみる。南野はもうジョーカーでいいんじゃないでしょうかね。そのほうが活躍するかも?

 さて、蝋梅の苗木を倉吉の瘋狂聖がプレゼントしてくださいました。さきほど奈良の庭先に地植えしたところです。いま花はおろか、葉もついてませんが、アマノミクス(瘋狂聖特製の肥料)を大量に埋め込んだので速やかに成長するであろうと期待しています。この冬は暖かく、木瓜の蕾が膨らんできています。もうすぐ春さ。
 春は別れの季節です。梅じゃなかった、木瓜でもない・・・サクラ、あんちゃんは旅にでたいよ。



↑最近ユーミンをよく聴いてます。荒井由美は天才だね。

ヒマラヤの魔女(13)

「ヒマラヤの魔女」発表会のお知らせ

 早いものであっというまに学年末です。後期のプロジェクト研究2&4「ヒマラヤの魔女-自然と人間の関係を考える-」の発表会の準備は大わらわ。ちょっと欲張りすぎたかもしれません。日程・会場等は以下のとおりです。興味のある方はぜひ会場にお越しください。

 日時:  1月30日(水)11:00~11:45
 会場:  環境大学13講義室
 次第:

  1.イントロダクション
     渡部・松本・岩立・安田
  2.ブータンの民話絵本『アケ・ゲム』(パワポ)
     松原・湊・湯原
  3.ブータンの民話絵本『カブはどのようにしてハにもたらされたのか』(パワポ)
     末次・佐藤・光田
  4.ケサン・ナムゲ「ブータンのストゥーパ(宝塔)」(パワポ)
     政井・山田
  5.ポール・スペンサー・ソチャチェフスキー「空飛ぶファルス」(謎のポスター)
     久保・黒田・佐藤・須田

【発表学生への注意事項】
 1・2年のプロジェクトメンバーは、10時30分までに4409演習室から配布資料をもちだし、10時45分までに13講義室の前に集合すること。データはUSBにまとめておいてください。リーダーのパソコン1台にデータを集中させておいてください。
 

UAEのアジア杯(1)

塩谷の運気に賭けよう!

 ベスト8が出揃いましたね。いまカタール対イラクの録画をみながら書いています。カタール対イラクといえば、3年前の激闘を思い起こします。リオ五輪の出場権をかけたアジア予選の3位決定戦で、アウェイのイラクが逆転勝ちし、選手みな慟哭した感動的な試合です。今回、カタールは中立地で雪辱を果たし(1-0)、8強に進出しました。アフリカ系の帰化選手ばかり、という陰口を叩かれながらも、カタールはいきおい評価を高めています。
 さて、日本は優勝できるか、と問われれば、今回はおおいに疑問です。印象に残ったのはGL初戦のトルクメニスタン戦でした。トルクメニスタンは5バック3ボランチで日本戦に臨み、少なくとも前半はその策がみごと奏功した。自陣ゴール前を「パチンコの釘」状態にしてスペースを消したところ、新日本代表ご自慢の南野と堂安がまったく機能しない。大会を欠場した中島を含めて、この新御三家は前に行こうという気持ちが強すぎて、ボールをなかなか離さない。テンポのよいパスサッカーが消えてしまいました。親善試合と本番では大違いであり、かりに中島が出場していたとしても、トルクメニスタンの守備的戦術には苦しめられたでしょう。
 5バック3ボランチの威力を目のあたりにして、日本も昨年、ああするんだったなぁ、と思ったわけです。ベルギーに2-0とリードしたところで、ゴールに蓋をしていたら、勝ちきっていたかもしれない。ベルギー戦の日本代表に比べると、今回の日本代表は明らかにものたらない。いまのところ活躍しているのは、主としてW杯のレギュラー陣であり、できればベルギー戦の先発メンバー(GK以外)に富安、堂安、塩谷など少数を加えて戦う姿をみたかった。そういうメンバーならアジア杯を制することもできたかもしれないが、ネットの情報を眺めても、決勝予想を「イラン対カタール」とみる向きが少なくないようです。
 大迫がリハビリ状態に入ってから攻撃陣の脅威はさらに弱くなってしまいましたが、ベトナム戦では大迫復帰との情報もながれており、それが確かならば朗報です。武藤・北川・南野の状態(及び相互のコンビネーション)が良くない一方で、地元アルアインの塩谷がCWC以来好調を保っています。塩谷の運気は高い。鍵を握る選手になるのではないかな。おそらく関が原となるであろうイラン戦では、思い切ってシステムを4-3-3に変更してみてはどうでしょうか。ボランチ的な中盤を遠藤・塩谷・柴崎の3枚にして、前の3枚を原口(乾)・大迫・堂安にするというアイデアです。この場合、トップ下は存在しないけれども、柴崎はインナーハーフからトップ下にあがったり下がったりの動きが要求されます(十分こなすでしょう)。
 あまり遠くをみても仕方ないか。明日、中二日で臨むベトナム戦をどう戦うか。いわゆるターンオーバーの試合になるわけですが、まさかGL3戦目のように10人変えるわけにもいかない。乾と塩谷はぜひみたい。守備ラインは4枚レギュラーのままとして、ボランチが遠藤と塩谷、2列目を乾・堂安・伊東、トップに大迫か。また塩谷がなにかやってくれそうなそうな気がします。

ホーム

 ちょっと寅さんのような心境になっていて、そろそろ旅に出なきゃいけないのだけれども、現実にはどこにも逃げ出せないので、久しぶりに音楽のことでも書いて憂さを晴らそうか。ユーチューブでピエール・ベンスーザンの「ウーウェイ」を聞いていたところ、右余白にひげ面のギタリストを発見。タイトルをみて驚いた。

 Andrew York plays Home (1888 Torres)

その動画が下である。

 Guitar Salon International が2016年11月2日に公開した動画であり、すでに169万回の視聴を獲得している。説明書きを訳しておく。
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 ギターは1888年のアントニオ・デ・トーレス (http://tinyurl.com/jehbkhp)。アンドリュー・ヨークはラッセル・クリーヴランド蒐集の1888アントニオ・デ・トーレスで新作を演奏している。カリフォルニア州サンタモニカにあるギター・サロン・インターナショナルのショールームで録音された。アンサンブル・インターフェースの利用については、アポジー・エレクトロニクス (ApogeeDigital.com)のみなさんに深く感謝したい。
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 恥ずかしながら、2年以上前に発表されたこの新作を知らなかった。かつては、ヨーク・フリークとして必死で音源と譜面を追っていたのにね。こういう動画に接し、改めて思います。曲を自ら作って演奏することはじつに神聖な行為なんだと。
 楽譜は以下から入手できるようです。
http://www.andrewyork.net/SheetMusicDownloads.php

 アマチュアには無理かな、と思って、ダウンロードを迷っているんですが、以下のサイトをみると、コード進行は比較的シンプルです。ただ、わたしのギターでは高音域でチューニングが崩れてしまう予感がする。
https://chordu.com/chords-tabs-andrew-york-plays-home-1888-torres--id_6ajTcwJBbw4

 最近、アジア杯をみながら秘かに練習しているのは、チェット・アトキンスの「ヴィンセント」(↓)。ドン・マクリーンがゴッホへのオマージュとした名曲「ヴィンセント」については、かつてジョン・ノウルズのソロを紹介したことがあって、「チェットのアレンジだ」と書いたのですが、間違っていました。下の演奏はチューニングがDGDGBEです。レギュラーの5・6弦を一音下げにしたとも言えるし、オープンGの1弦を一音上げたとみてもいい。たしか武満徹編曲の「ヘイ・ジュード」とか「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア」などもこのチューニングだったような記憶がある。キーがGの場合、高音域を演奏しながら、トニック(G)のルート音を5弦開放、ドミナント(D)のルート音を6弦開放で使えるから良いのでしょうね。一方、オープンGにせず1弦をEのまま残しているのは、高音を2フレット低いポジションで確保できるからなんだろうな。もっと早く気づくべきでした。





 チェット・アトキンスは勝負のソロ演奏ではガットギターを使うことが多いように思うのですが、この曲はスティール弦のアコギで引いている。トレードマークのサムピックは相変わらずですが。ぜひジョン・ノウルズのガットギター・バージョンと聴き比べてみてください。

蝋梅

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雪中四友

 蝋梅(ろうばい)は、中国江南の庭園でよくみかける。「雪中四友」と呼ばれる冬の花である。庭に多用されるほどではない。庭に咲く蝋梅の花をみつけると中国人も嬉しくなるようで、わざわざ「蝋梅だよ」と教えてくれる。わたしも、この黄色い梅の花を好んでいる。蝋梅は屋敷裏側の大きな園林ではなく、建物に囲まれた天井(てんせい=中庭)にポツンと植えられることが多い。年末に訪れた蘇州の耦園でも天井の中で左右対称に孤立して立ち、黄色い蕾が花開こうとしていた(↑)。あの日は雪が降っていた。十年ぶりの雪だというが、雪に蝋梅はよく映える。18年前の蘇州庭園も同じように雪が降った。
 先週訪れた稲常(いなつね)西尾家の前庭では蝋梅が満開になっていた。蝋梅は「唐梅(カラウメ)」とも呼ばれる中国原産の樹木であり、江戸時代に日本にもたらされたのだという。使い方も中国的であり、裏庭ではなく、主屋と土蔵と長屋門に囲まれた天井のような前庭にポツンと植えられて、スペースのアクセントになっている。寒い一日だったが、ついに雨は雪に変わらなかった。ただし、庭には少しだけ根雪が残っていた。


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 そして、昨日も蝋梅にであった。近所のトスクで切り花が売られていたのである。周辺に置かれた野菜と同様、農家が持ち込んだものであり、栽培者の氏名を書いたシールが貼ってあった。切り花は二株あり、大きな方が250円、小さな方が180円であった。下宿の面積を考慮するならば、後者にするしかないと判断して家に持ち帰ったが、普通のコップに立てても不安定なのでダイソーに走り、200円の花瓶を買うと蝋梅の切り株は安定し、仏壇代わりの棚をみごとに荘厳してくれた(↑)。
 そして今日、浅漬けの素を仕入れようとまたトスクにでかけると、昨日買わなかった大きい方の蝋梅がまだ残っていたのだが、なんと値段は100円まで下がっている。即買いを決めた。メダカ並みの爆買いである。問題は花瓶だが、これ以上出資する余裕もないので、シリアルや乾燥パスタを納めるプラスチックポット風のタッパに水をいれて立てると安定した。その結果、下宿のリビングには蝋梅の咲く黄色の築山が誕生し、艶やかな芳香がたちこめている。
 倉吉の瘋狂聖によると、12月から3月が植え付け時期だというので、苗木を取り寄せ、奈良の家に地植えしようと思い始めている。


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能海寛を読む(7)

おわりに

 能海寛の主著『世界に於ける仏教徒』(1893)との出会いは2017年12月23日にさかのぼる。能海寛研究会長の岡崎秀紀氏が主催する東方学院松江校定期講座の輪読会にオブザーバーとして参加させていただいたのである。会場は中村元記念館の近くにある八束公民館第1講義室。その日の輪読の担当は赤井厚生氏であり、『世界に於ける仏教徒』のうち、以下を音読された。
   第6章 道徳上ノ仏教(戒律論)   第7章 比較仏教学
   第8章 サンスクリット(梵学)   第9章 仏教国ノ探検-西蔵国探検ノ必要
  内容にはただただ驚いた。能海寛は、明治中期にあって世界に視野をひろげ、仏教を語ろうとしている。しかも、その視野は中国・チベット・南アジアなどの仏教圏にとどまらず、欧米にまで及んでいた。第1章「宗教ノ革新」に目を通すだけでも、アメリカ人宣教師ドレッパー、統計学者レラニレビ、ノルマンディのフランシス・カアラーンデル女史、ルソン島米国領事ラッセル・ウェップらを引用してキリスト教の形骸化を指摘しつつ、アメリカの神智学者オルコット、アイルランドのジョンストン女史、ドイツの哲学者ショッペンハウエルらの名を挙げて、欧米有識者の仏教への傾斜を強調している。おそらく哲学館修学の集大成なのだろう。わくわく感がしばらくとまらなかった。
 このわくわく感には伏線がある。輪読会に先立つ同年11月18日、チベット文献史学の世界的権威、今枝由郎先生(京都大学こころの未来研究センター特任教授)を鳥取に招聘して、「ブッダが説いたこと」と題する講演会を企画し、欧米と日本における仏教観のちがいを拝聴していたからである。
 聴講してなにより驚いたのは、欧米の知識分子が仏教をポジティブな知的財産として高く評価していることである。具体的には、以下の3名の発言が例にあげられた。

  フリードリッヒ・ニーチェ (1844-1959)
    仏教は歴史が我々に提示してくれる、唯一の真に実証科学的宗教である。
  アルベール・アインシュタイン(1870-1955)
    仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教である。
  アンドレ・ミゴ(1892-1967)
    ブッダは、信仰を知性に、教義を真理に、神の啓示を人間の理性に置き換えた
    最初のインド人である。

 欧米(の一部)で仏教が高評価を得ているのは、古代インドの仏典、あるいはその直訳に近いチベットの仏典をヨーロッパの言語に翻訳したことにより、仏教思想の理解が容易になったからである。その結果、翻訳された仏典は、哲学者や科学者にとどまらず、経営者・起業家などの座右の銘ともなり、いまや「成功者のバイブル」とさえ称賛されるようになっている。たとえば Apple の創業者スティーブ・ジョブズは仏教から経営の極意を学んだ代表者としてよく知られていよう。
 一方、日本人は漢訳仏典に悩まされてきた。ブッダが入滅して今に至るまで長い時間が流れ、伝承としてのブッダの説法は成文化し、注釈され、漢訳されて難解な経典に変わっている。その漢訳にも写本が複数あり、漢訳自体に誤りや省略が含まれることもあって、仏教学を修めた大家ならいざ知らず、一般の信徒はそこに何が書いてあるのかさっぱり分からない。お経に接するのは喪に服する葬儀や法要のときに限られ、僧侶の導くまま訳のわからぬ念仏を唱えるだけになっている。仏教国であるはずの日本の仏教は、少なくとも民衆レベルでは形骸化している。あるいは、ずっと形骸化していた、というべきか。もっと突っ込んで言うならば、日本は仏教国ではなく、無宗教の国であり、家に構える仏壇に仏像を祀ることはない。仏壇は祖先の位牌を置く小さな廟であり、葬儀・法要のときのみ僧侶にお出ましいただくにすぎないのである。日本人にとって重要な信仰は仏教ではなく、祖先崇拝だと言い切っても大きな間違いではないだろう。


 

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稲常西尾家の調査(2)

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残雪蝋梅

 1月16日(水)、鳥取市河原町稲常にある西尾家住宅(旧河原町長宅)を訪問し、主屋の平面図の実測をさせていただきました。13時過ぎ、3年ゼミ生と院生は研究室に集まり、コンベックス・画板・方眼紙などの調査道具と先生が下さったおやつのプリッツをもって稲 常(いなつね)に向かいました。稲常は2年次だった2017年10月に人間環境実習・演習Aの町並みスケッチで訪問しています。久しぶりに来たなあ、という感じで した。


0116西尾家01実測01表01 0116西尾家01実測01表02 表側

 
 家主さんは外出されておりましたが、置き手紙が玄関の式台に置いてありまし た。製図には座敷の和テーブルを使ってください、などの指示があり、そこにいくと新聞紙までひいてくださっていて、家主さんのご厚意が感じられま した。さっそく調査を始めます。
 外は雨がパラパラ降っており、気温はとても低く、寒さが身に染みる中、6名で分担して平面図を取って いきます。一年前のカフェ黒田での実習時と同様、学生は一人2~3部屋ずつ担当し、重ねあわせの部屋をところどころに設けて大学で図面をつなぎあわせることにしています。ただし、先生だけは裏側の広い範囲を今回も実測されました。久しぶりの平面実測で したので、懐かしい『民家のみかた 調べ方』をみながら平面図の描き方を思い出しての作業です。


0116西尾家01実測03土蔵脇01 0116西尾家01実測03土蔵脇02
↑↓ナンドと土蔵のつなぎ目
0116西尾家01実測03土蔵脇03窓01



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能海寛を読む(6)

11.批評としての大内青巒序

 最後に『世界に於ける仏教徒』の序文を取り上げる。序文は、能海の兄弟子筋にあたる大内青巒(1845-1918)が序文を書いている。大内青巒は幕末に仙台藩宮城郡東宮浜に生まれた。常陸国水戸で出家し(曹洞宗)、その後江戸へ出て仏教の研究を志す。維新後は西本願寺第21世宗主の侍講をつとめたが、のちに還俗して在家主義を唱えた。別号を藹々居士(あいあいこじ)という。大内の序文はごく短いものだが、『世界に於ける仏教徒』の内容にはほとんど触れていない。持論を述べている。短文なので全文の口語訳を引用する。

  見色明心―「眼に於ける仏教徒」でありたいなら色(形)を見て心を明らかに
  すべきです。聞声悟道―「耳に於ける仏教徒」でありたいなら声を聞いて道を
  悟るべきです。鼻に舌に体に心に、いずれに於いても仏教徒でありたいもの
  です。家にあっては家の仏教徒でありなさい。国にあっては国の仏教徒で
  ありなさい。みなそれぞれの因縁があるから果報があるのです。因果をごま
  かしてはいけないと知るならば、国にあっては国の因縁にふさわしい願行
  (がんぎょう)があるべきですし、家にあっては家の因縁にふさわしい願行が
  あるべきです。今の世は世界交通の時代になっているとかで、いわゆる
  「世界に於ける仏教徒」であろうと思う者がここにおります。石見の能海氏は
  その(世界の)因果をあきらかにし、その願行を著して一巻の書物に書き上げ、
  『世界に於ける仏教徒』と名付けました。それが今の世の急務だというけれども、
  世間のいう「世界」はわたしのいう「世界」とは異なっています。わたしのいう
  「世界」は時空無限の「世界海」のみをさします。世間にいう「世界」に於ける
  仏教徒にとどまらず、わたしのいう「世界」に於ける仏教徒でありたいと願う者は
  いるでしょうか。(世界は)ここにもあり、そこにもあります。わたしのいう
  「世界海」は昨夜忽然と芥子(けし)の実の中に入っていってしまいました。
  だから世間の人はこれ(世界海)を知らないのですよ、芥子はどこにあるのか。
  それは鼻頭(はなさき)にあり、舌端(したはし)にあります。色(形)となって
  あらわれてきます。声となって聞こえてきます。眼を開け、耳を開け。

    おもしろや 散るもみぢ葉も咲く花も
      おのづからなる法のみすがた

                癸巳(明治二六年)九月   藹々居士しるす

 序文冒頭の「見色明心」と「門声悟道」の対句は有名な禅語で、小さな色(形)のちがいやちょっとした音声を全身全霊五感をもって感じとることが悟りに近づく第一歩だと示唆している。そうしたミクロな次元に「世界」があるのだと青巒は言いたいのであろう。能海の羨望する海外=世界とは異なる次元で、自分の身の回りにも「世界」がある。それは時空無限(三世十方塵々刹々無邊無盡)の「世界海」である。欧米などの海外で通用する新仏教徒になることも大事であろうが、個人の生活世界に眼を見開け、聞き耳を立てよ、と訓じている点、特異な序だと言わざるをえない。能海の主張に対する柔らかな批判とも受け取れるからである。
 ちなみに、末文の一歌は青巒の作ではなく、有名な古歌を貼りつけたものである。散り落ちたもみじの葉であれ、咲く花であれ、すべて仏法の姿をあらわすものであり、全身全霊五感をもって感じ取れ、と暗示するものならば、冒頭の「見色明心、聞声悟道」の返しの役割を担わせていることになる。あるいはまた、落葉も咲く花も同じであり、仏法の御姿とは「空」であると言いたかったのかもしれない。 
 さて、大内の序文にあらわれる「芥子(けし)」は古代インドの舎衛国(シュラーヴァスティー)を舞台とする仏教説話をイメージさせる。
 幼い男子を亡くしたばかりの女性キサー・ゴータミーが遺体を抱えたまま「子供に薬を下さい、薬を下さい」と狂ったように街中を練り歩いていた。ゴータミーは舎衛国を訪問していた釈尊の噂を聞き、そこまで出向いて同じように薬を求めた。釈尊答えて曰く、「よろしい、芥子粒をもってきなさい。ただし、いまだ死人を出したことのない家からもらうんだよ」と。ゴータミーはあちこち家を訪ねて芥子粒を探し回ったけれども、ついに条件を満たす芥子粒を得るに至らなかった。死人のでていない家などないと分かり、人生の無常を知って、ゴータミーは後に出家したという。
 世界海とは芥子と同じでどこからも手に入らないし、だれも見ることのできないものだが、鼻や舌で微かに感じることもできるし、形や音となってあらわれることもある。それらの現象を注意深く観察し、聞き耳を立てなさい、と諭しているのである。大内には、能海が芥子を探し回るゴータミーに重なってみえたのかもしれない。
 いずれにしても、能海が本文で強く訴える内容と、大内青巒の序文には大きな乖離がある。青巒は本書の原稿に眼を通し、能海の意見に若干の違和感を覚えたため、素直な推薦文を書くことを躊躇ったような気がしてならない。欧米やチベットに視野を広げることが必ずしも仏教の向上や改革につながるわけではなく、結局は個人の問題に行きつくことを予見していたのではないだろうか。


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能海寛を読む(5)

9.宗教の優劣

 能海寛は宗教学を重視し、第三章「宗教学上の仏教」で以下のように述べている。【原文16頁】

  仏教とキリスト教の優劣は何をもって決するべきでしょうか。(略)宗教は哲学
  とは異なるものなので、仏教とキリスト教の勝敗は、宗教学上の問題であり、
  宗教学上の判断を得るものですから、今日この宗教学を深く研究していくこと
  が必要だと分かるはずです。(略)宗教学はキリスト教に対しては不利ですが、
  仏教に関しては最も良い伴侶であり、実際にこれが今日の宗教大変動の
  原因であり、この問題を判決することができるものなのです。[下線筆者]

 仏教とキリスト教の優劣を決するにあたって、宗教学が役に立つ。宗教学はキリスト教には不利になるが、仏教の良き伴侶になるという、結構な問題発言をしている。そもそもなぜ仏教とキリスト教の優劣を決しないといけないのか。Aという宗教がBという宗教より優れているとか劣っているとか、そんなことは誰も証明できないし、そういう発想をもつこと自体が間違っている。Aという宗教はAの信者たちにとって重要であり、Bという宗教はBの信者たちにとって重要なものである。その勝敗を決したいと能海はいう。しかしながら、宗教学、とくに比較宗教学は、多様化した宗教の相対性と普遍性を明らかにする科学であって、一方が優位で他方が劣位であることを論議する学問ではない。能海の発想はこれを歪曲し、宗教学を学べば仏教がキリスト教より優位にあることを証明できる、としている。明らかに間違った考え方であり、本書の読者は宗教学の捉え方自体を修正して読まなければならない。
 こうした能海の仏教優位論は、どんどん増長していく。【原文18-19頁、22頁】

  今日この(旧仏教という)不完全な宗教を大成し、かつ完全な宗教を発現させるの
  は、新仏教の義務なのです。なぜならば完全なる宗教は仏教の上に存在するから
  です。(略)仏教が積極的に講ずるべきなのは宗教学です。宗教学上の仏教は
  諸宗教の王だからです。[下線筆者]

 前半の記載によれば、「完全なる宗教>仏教>仏教以外の諸宗教」という優劣の図式が成立し、後段になると、仏教を「諸宗教の王」だとまでもちあげている。未だ仏教は完全なる宗教ではないが、仏教以外の宗教は仏教以下であり、これから誕生するであろう新仏教は完全なる宗教に脱皮していく。こうした見通しに立脚しているからこそ、先に引用したとおり、第六章【原文36-37頁】において、「理論上においては哲学の面で勝利を得て、実際においても歴史上最強の仏教である」とか「歴史上においては最上無比の仏教」などの慢心が導かれるのであろう。第四章「宗教と哲学的論理」では仏教と哲学の優劣にまで議論を進める。【原文22-23頁】.

  (私はあえて仏教を哲学として論じるものではありませんが)哲学の基礎を有する
  宗教でなければ、到底今日以後の宗教思想を満足させることはできません。キリ
  スト教の敗北は実際にこの理論の乏しさが原因です。したがって仏教をもって
  キリスト教に代わり、将来欧米の宗教にさせようとする者は、決して哲学の考究を
  怠ることができません。(略)将来における宇内一統宗教(世界統一宗教)は仏教
  であると言ってもよいでしょう。

 キリスト教の敗北は哲学的論理が欠如しているところなので、新仏教は哲学の基礎・論理を学ばなければならない。そうすれば、宇内一統宗教(世界統一宗教)に近づけるという主張である。しかも、仏教の妙理は哲学以上であるとも主張する【原文.27頁】

  同じ宗教といっても、キリスト教のようなものは哲学以下であり、学理に背反する
  ものなので、妄信と言ってもよいでしょう。(略)私はこの章において哲学の必要
  性を論じてきて、ついに仏教の位置を定め、仏教の妙理は哲学以上のところに
  あって、将来の宗教は哲学上においても仏教が宇内一統宗教(世界統一宗教)
  であるべき資格があることを論じたまでです。[下線筆者]



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雑煮学事始(5)

お雑煮


京田辺の雑煮とおせち

お雑煮と縁起物
 元旦の朝ごはんはお雑煮、エンギモノ、お神酒をいただきます。我が家のお雑煮は白みそに大根、里芋、丸餅が入ります。大根は4センチほどの太さのものを輪切りに、里芋は一口大のものを選んで入れています。お雑煮には白くて丸いもののみを入れるのが鉄則です。汁の鍋に、焼いた丸餅を、食べる直前に入れます。食べるときは、汁物はそのままいただき、餅は別のお椀に入れたきな粉につけて食べます。これは祖母の出身地である奈良に隣接した地域の食べ方だそうで、祖父は祖母と結婚してからこの食べ方になったといっていました。
 次にエンギモノ(縁起物)です。エンギモノは黒豆、数の子、田作り、昆布巻き、小梅が少しずつ小皿に載せられています。これらのエンギモノには一つひとつ意味があ り、その説明を毎年祖母から聞いて、新年の挨拶を家族でしています。年男や年女 がいる年は、この他に鯛も用意します。
 お神酒は、それぞれ自分の干支の小皿に入れていただきます。今年は鳥取の鷹勇をお土産に持って行ったので、お神酒として使ってもらいました。


鯛


おせち
 おせちは元旦の昼ごはん以降にいただきます。おせちの中身は写真の左上から時計回りに高野豆腐、かまぼこ、たけのこ、はり はりごぼう、にんじん、ながいも、レンコン、こんにゃく、そして中央がぼうだ らです。祖母曰く、ぼうだらは京都では必ず入れる料理とのことです。我が家ではこん にゃくは毎年近江の赤いこんにゃくを使っています。味付けはどれも薄味で、料理を重箱に詰めるときは色付きの料理(こんにゃく、 にんじん、れんこん、ぼうだら)と白い料理(長いも、高野豆腐、はりはりごぼ う)はなるべく隣り合うように入れて紅白のバランスをよくするようにしています。(もなか)


おせち

能海寛を読む(4)

7.宇内一統宗教と釈迦の正伝

 旧仏教とは従来の仏教のことであるが、そういう伝統の宗教に対して新しい仏教徒があらわれなければ、宗教大革命の波乱を静め、世界の宗教を統一できない、という論理を能海は展開する。そうした世界的宗教としての新仏教を彼は「宇内一統宗教」と命名している。現在の言葉に置き換えるなら「世界統一宗教」となるであろう。【第1章(原文)10頁】

  東洋においては、旧仏教徒に対して新仏教徒が現れなければならないということ
  なのです。新仏教徒が現れ、初めてこの宗教大革命の波乱を鎮め、宇内一統宗教
  (世界統一宗教)の大業を成就することができるでしょう。

 新仏教を宇内一統宗教(世界統一宗教)と位置付ける構想は、肯定的にとらえるならば大胆かつ壮大かもしれないが、現実的には実現不可能な戯言のようでもある。とりわけ能海の場合、萌芽すらしていない宗教大革命の機運を、「波乱だ、変動だ」と煽り、欧米が新仏教を切望しているかのごとく喧伝している点が気にかかる。たんなる世界に普遍的な宗教をめざしているのではなく、新仏教がキリスト教を駆逐し、欧米の宗教に取ってかわることをめざしていたのである。
 このような「宇内一統宗教」をどのようにつくりあげていくのか。その方法については、まず第九章「仏教国の探検」【原文60頁】から引用しておこう。

  今日は世界宗教の形勢が新仏教徒の勃興を促進し、将来における宇内一統宗教
  (世界統一宗教)はまさに仏教であるという気運に際し、これに対して一大準備を
  すべき時代であることは、しばしば論じてきたとおりです。その準備の中で最も
  肝要なことは、ブッダの真聖なサンスクリット本を探したり、ブッダの正しい歴史を
  求め、その真実の説を発揚したりすることにあります。ですから、インドより直接
  伝わったチベット仏教の研究、サンスクリット語の原本の探索などの必要性は、
  言うまでもありません。

 ブッダの真言と正史を明らかにすれば、仏教諸派は連合され、大きな勢力として生まれ変わると考えていた。という流れに従って、能海の思想は古代インドとチベットに傾斜していく。方法的には、とくに歴史学と比較仏教学が重要な位置を占める。まずは第五章「歴史上の仏教」から抜粋する。【原文2頁】

  歴史的な仏教の考究とは、第一に釈迦の正伝を探求することです。これは言うまで
  もなく難儀です。なぜならば、三千年前の事実、特に歴史にあまり残ってない古代
  インドの事となると、どうしても完全に正伝を手に入れるのは難しいですが、できる
  だけ探索をして、現在残っているあらゆる材料を集め、互いに比較・検討して、完璧
  な釈迦の伝記を編集すべきです。

 第7章「比較仏教学」では次のように述べている。【原文47頁】

  同じく漢語訳といっても新訳があり、旧訳があり、同本異訳があります。巻数が異
  なるものもあります。また、漢語訳と他のチベット語訳やセイロン語訳、または今日
  のヨーロッパ諸国の訳もあり、その意味が異なるような場合もあります。これらは
  みな、比較研究をする必要があるものです。(略)もしこの比較仏教学が起こらなけ
  れば、今日この多岐多端に分かれた仏教の統合を期待してはなりません。外に
  対しては一統宗教たらんとする仏教は、どうしても内にこの組織的一致上の仏教を
  欠くことはできません。 

 諸国の仏典や翻訳を比較することで、仏教の起源たる釈迦の思想をあきらかにでき、仏教の統合が実現する。それが宇内一統宗教として世界に拡散していくという発想である。



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雑煮学事始(4)

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内モンゴルのお正月料理

羊の丸焼き
 まずは羊を屠る方法から説明します。最初に幼い羊を選び、横向きに四本の足を縛って倒し、羊の胸骨の5センチの所で切りあけ、そのまま手を入れて心臓を直接引っぱり抜きます。残酷なようですが、こうすることで羊の痛みやダメージが一番少なくなると思われています。同時に、羊の肉もおいしく、柔らかくなります。羊を締めるときびっくりさせないのが基本です。地域によって少々違いがあるかもしれませんが、ほとんどの牧場ではこういう方法を選んでいます。そして、地面に一滴の血も落とさずに別の部屋に運んで血を抜く作業をおこないます。もし、羊を締めるとき大きな出血があれば、羊の魂が消えてしまったとみなされるので、血を落とさず葬る文化がありました。


ヒツジ03ホルモン


 次に羊をきれいに洗い、内蔵を取り出して別のメニューに使います。日本のホルモン煮のような料理ですが、味付けは辛口です(↑)。一方、内臓を取り去った羊のおなかには香辛料をふりかけ、味付けをします。その後、外に運び、炭火で回しながら丸焼きします。焼く時間6時間ほどです。羊の丸焼きは、焼けば焼くほど味がでるという訳でもないので、火の加減がすごく大事です。誰でもできる丸焼きではないので、手間もかかり、ある程度慣れないと焼くのがとてもいそうです。
 最後にできあがった丸焼きを台車にのせ、皆で切り分けて食べます。ただし、いただく前にみんな民族衣装を着て、儀式をおこないます。羊の丸焼きは毎日食べられるようなものではないので、たとえば結婚式やなにかのお祝いで食べます。お値段が少し高くて、およそ10万円はします。もし、本物の丸焼きを食べたいならば、モンゴルに来てください。


ヒツジ02


日常生活の乳製品
 写真(↓)はモンゴル語で「チャガン・イデー」といいます。牛乳で作られたチーズのような食品です。具体的な作り方は私は詳しく知らないです。難しいと聞きましたが、今度ぜひ一度作って見たいと思います。 (嘎嘎嘎)


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能海寛を読む(3)

5.旧仏教批判-葬式仏教論

 能海寛は明治期に「旧仏教」を批判し、「新仏教」を構想した。以下のように述べている。【第二章(原文)12頁】

  私は「世界に於ける仏教徒」(世界宗教としての仏教徒)であるという覚悟、
  そしてその事業について論じようと思います。新仏教徒が旧仏教徒に対して、
  不徳を責めて悪癖を改めることは、今日キリスト教徒が旧仏教徒に対して
  攻撃することよりもむしろ厳重なことです。

 たしかに旧仏教についても舌鋒鋭く批判している。【第六章「道徳上の仏教」(原文)36-37頁】

  新仏教の今日の興起は、いたずらに空理空論上に現れたものではありません。
  理論上においては哲学の面で勝利を得て、実際においても歴史上最強の仏教
  であるとはいえ、未だ新仏教徒の本色(本質的な特色)が成立しているわけ
  ではありません。いかに歴史上においては最上無比の仏教であったとしても、
  いたずらに過去の経歴に留まっていては、空論と同じです。(略)
  旧仏教はただ外形と虚偽に陥って自ら実際に行動することを欠いています。
  これが旧仏教徒である所以であり、仏教が不振の理由はここに起因して
  います。[下線・太字は筆者]

 下線・太字の部分はひとまずおくとして、最後の3行については、常識的な範囲の批判にとどまっているが、第九章「仏教国の探検」【原文54-56頁】では、以下のように過激な発言も飛び出す。

  今日の僧侶は交通が自由である上に、欧米の人たちが求めてやまない仏教
  の布教に尽力しないで、ただ宗派内の争いに汲々として、宗派の紛争・議論が
  起きたり、権力闘争や出世争いが起きたりしています。些細なことにあくせくし、
  虚偽的で野蛮で、無神経・無気力な事がらにむなしく時間を費やしています。
  あぁ、世も末ですね。かれら旧仏教の腐敗した脳髄を撃破し、真正なブッダ
  の光明を発揮する新仏教徒が生まれなければ、この宗教界の乱世をどのように
  したらよいのでしょう。[下線・太字は筆者]

 「欧米の人たちが求めてやまない仏教」という表現(太字)にも問題があるけれども、最も過激なところは、下線を引いた「旧仏教の腐敗した脳髄を撃破」という部分である。やはり昭和戦後における左翼運動活動家の煽動と似た匂いがする。旧仏教をずばり「葬式仏教」だと切って捨てる批判もしている。【第二章(原文)14頁】 

  仏教とはただ寺院・僧侶・経巻であって、僧の仕事は葬儀の取り扱い、そうで
  なければ墓地の番人のようなものだとみなされているではありませんか。僧侶
  自身もまた品行が収まらず、識徳なく檀家の布施を貪って、人びとを教え導くと
  いう本職を忘れる者が多く、一所懸命になるのは葬式、年忌、灌頂、祈祷、御札
  書きなどの枝葉末節にとらわれ、僧侶自身の位置がどこにあるのか知る者は少
  ないのです。このような旧仏教はもとより日本だけのことではありません。
 
 この点は基本的に賛同したい。かつて新幹線にビュッフェがあったころ、作務衣を着た僧侶の一群が入ってきて、メニューのなかでいちばん高価なサーロインステーキを食べ、ワインを飲み、食後はたばこを吹かしている光景にでくわした。また、法要の直会で、一升瓶を抱え込んで離さず周囲に酒を強要する住職もいたし、客人を庫裏に呼びつけて宴会を催しては酩酊し若いころの自慢話を吹聴する住職もいた。すべての僧侶がこうだと言うつもりは決してないけれども、肉を食らい大酒を飲んでくだを巻く輩を仏教者として尊敬せよ、と言われても無理な話である。ただし、それは日本国内の状況であって、渡航経験のない外国の状況にまで踏み込む必要はなかった。「日本だけのことではありません」という最後の一行は余計であり、勇み足となって以下の発言につながる。【原文14‐15頁】

  朝鮮、中国、みなそうです。タイ、インドなどの仏教徒も甚だ精神に乏しく、
  とくにインド、ミャンマー、ベトナムのようにイギリスに征服されたりフランス
  に占領されたりと、悲惨の境地に沈められたところもあります。しかしながら、
  これら仏教徒の活力を鼓舞し、各仏教徒が同盟を結んでいって宗教革命の
  大業を成就し、国内では仏教の総体内部の大改善を実行し、ブッダの聖地
  ブッタガヤを回復させ、世界の仏教徒を一堂の元に集めて、仏教万歳を唱える
  重大な責任をもつ者は、日本の仏教徒以外にありません。[下線筆者]


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雑煮学事始(3)

正月料理01納豆汁 01 納豆汁


秋田の正月料理

納豆汁
 山形や岩手、秋田などでひろく親しまれる料理。地元湯沢市では地方料理 として知られる。基本的に正月料理として扱われるものではないが、我が家では 年末年始に決まって作られる。地域ごとの違いは主に以下の通り。
 岩手: 納豆味噌スープを作った後、更に納豆を具材として追加する
 山形: 納豆をペースト状にしたものを汁に入れる。また、1月7日の七草粥の代わりに納豆汁を食べる風習がある。郷土料理となっ ており、具の多い汁である
 秋田県(院内・湯沢): 岩手と山形の中間的な仕上がり。豆が細かく砕ける程度にすり潰した納豆 を汁に溶き、具材はわらび等の山菜がふんだんに使われる。

正月料理02納豆汁02 正月料理03納豆汁03 正月料理04納豆汁04 納豆汁の材料


雑煮
 出汁は鶏ガラと椎茸の戻し汁で、醤油で味付けする。具材は鶏もも肉と椎茸、ナルト、ミツバ。東京の雑煮に近いと思われる。ただし、みりんは使わない。焼いた角餅を入れる。秋田の一部では納豆汁仕立てになるものや、 しょっつる(ハタハタを原料とした魚醤の1つ)を用いる。


正月料理06雑煮01 雑煮


氷頭なます
 氷頭(ひず)とは鮭の鼻先の軟骨部分。氷のように透き通っていることからこの名がある。 ①生鮭あるいは新巻鮭の頭部を薄切りにし、②塩をして酢で洗い、③さらに酢につけてしばらく置いた後、④荒めに切って洗っておいた大根と合わせて、酢・砂糖・塩を合 わせた調味料で和えてなますとする。(Task)


正月料理07氷頭なます01 氷頭なます 

能海寛を読む(2)

3.日本の仏教戦争についての釈明

 能海寛は、キリスト教が政治に癒着し、戦争を好む宗教だと断じているが、体制に寄り添う宗教はどこの国でもある。わが日本にしても、古代以来、仏教は鎮護国家の宗教として高い地位と権威を与えられてきた。たとえば、中世の臨済宗は室町幕府の庇護の下おおいに勢力を増長させ、中国禅宗の規律であった五山・十刹・諸山の数を激増させて、その本質的な意義を解体させてしまった。日本仏教はキリスト教を批判できるような非権力の宗教勢力では必ずしもなかったと言わざるをえない。
 戦争の問題にしても、またあとで論じるが、宗教と戦争はコインの表裏のような関係にある。そもそも戦争は一つの勢力だけでなせるものではなく、ある宗教(もしくは宗派)への一途な想いが結果として戦争の種になるわけで、日本でも宗教の関わる戦争はいくども発生してきた。これについては能海も気にしており、

  欧米におけるキリスト教のように、戦争とともに発達した流血的・殺伐的宗教に
  代わって、現在の欧米の大戦国に入り込み、ブッダの慈悲を普及させようとする
  なら、いっそう宗教や過去の経歴に照らして事をなすべきなのです。(略)ここで
  一言弁解をしておくべきことがあります。日本において仏教徒が兵乱を起こした
  ことです。私はもとよりあえてこれを弁護しようとはしません。ただ、世間の
  人びとの誤解を解こうとするためです。

として釈明を始めている。蘇我馬子と物部守屋の争い、平家による興福寺・東大寺の焼き討ち、比叡山悪僧の横暴、織田信長と石山本願寺の戦などがあったことを例にとる。【上下とも第5章(原文)33頁】

  私はこれに対して一言、世間の誤解を論破しようと思います。第一に、守屋と馬子
  の争いについては、大内青巒氏が、馬子は仏教徒の仮面を被った者であって、真
  の仏教信者ではないことを証拠を挙げて論じられ(略)当時下賎の身分から立身
  出世する方法は、ただ仏門に入って出世の意志をひろげようとしたり、当時の武勇
  の軍人だとか、罰せられたり、その他の事情によって、真実の信仰なしに一時の
  手段や私利名誉のために僧侶となった者は多く、実際に仏道修行のために僧侶に
  なった者は少なかったのです。このため、かれら武人勇猛の性格は(僧になっても)
  そのままで挙動にあらわれ、武器を携えて乱をなす者があったのです。この風潮が
  徐々に増幅し、ついに比叡山南部の武僧(山法師)を生み出すに至りました。白河
  法皇が(「加茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と)嘆息
  されたゆえんです。

 日本でも仏教徒の係る戦争はたしかにあったが、それはいやいや僧侶になった元武門の輩などがなした悪行であって、本物の仏教徒は戦争を回避する温厚な平和主義者であり、戦争好きな欧米のキリスト教徒とは本質的に異なるという弁明である。ほんらい仏教が温厚な平和主義であることを認めるとしても、キリスト教が好戦的で仏教が平和的だという事実を証明しようとするならば、日本だけでなく、インド、スリランカ、チベット、中国などにまで視野をひろげ、仏教内の権力闘争や他宗教等との争乱が多くなかったことを示さなければならない。研究室が毎年調査しているブータンを例にとるならば、17世紀前半、チベットで権力闘争に敗れたガワン・ナムゲルが西ブータンで勢力を拡張していたドゥク派勢力と合流して全土の統一を成し遂げたわけだが、その前段階たる15~16世紀は宗派林立の戦国時代であり、多くの山城が造営されていた。宗派相互の戦争がなかったとは決して言えない状況だったのである。



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雑煮学事始(2)

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ヤツガシラの川越風味

 現在の実家は東京都練馬区にありますが、両親とも埼玉県川越の出身なので、お正月料理及びお雑煮はその伝統が強いかと考えられます。
 材料は、大根、ニンジン、小松菜、八頭(ない場合は里芋)、餅(角餅を煮る)、そのとき家にあった具材(今回は餅巾着)で、カツオ出汁と醤油で薄く味付 けします。
 調理工程は、各食材を大きめに切り、葉物以外を水で煮込み、後に出汁と醤油で味付けします。
 その時点で葉物と餅を入れ、煮込み、全体的に火が通ったら盛り付けをします。

 八頭(やつがしら)というのは千葉、茨城など関東を産地とする里芋の一種です。 年末年始、おせち料理の時期に多く流通しています。里芋の5~7倍ほどの大きさで、サトイモほどぬめりがなく、ホクホクした触感をしています。お雑煮や煮物の中に里芋と同じ扱いで入れたり、湯掻いて醤油をつけて食べたり、 など、おせち料理のいたるところに八頭が登場します。
 末広がりの「八」と、子孫繁栄や人の「頭」になるようにという縁起物としておせち料理によく使われるそうです。

 おせち料理は通販の物や近くの西友で購入するので特別な感じのものはないです…(八木部長)

雑煮学事始(1)

2018雑煮01


グランド塩の醤油出汁

 1月9日(水)、小雨が降っていたので摩尼山の初詣を回避し、学内で初ゼミとなりました。20日間におよぶ冬休みの課題として、3年生にインデザインを触ってもらおうと思い、実家の雑煮とおせち料理をインデザインでレイアウトするというホームワークを課したんです。
 おもしろいもので、雑煮という食べ物をみな「普通のもの」だと思っている。ところがどっこい、発表を聞いてみると、秘密のケンミンshow丸出しで、よくもまぁこれだけ地方色がでるものだと驚いた次第です。食材によっては、縄文食にまでさかのぼりうる具材さえあるではないか、と大げさにコメントしたりしました。これはひとつブログで取り上げるか、といま思いついたところですが、もちろんみな帰宅しているので、本日は我が家のお雑煮から紹介しましょう。

 上は年末年始に留守番をしていた息子の作品です。我が家はもともと醤油味・丸餅に水菜を垂らす程度のシンプルな雑煮でしたが、最近息子はカツオだしに凝っていて、とんでもない量の鰹節で出汁をとり、一晩寝かせておく。これに醤油・酒・味醂を少しずつまぜて煮立て、さらにグランド塩をパラパラ散らします。フランス製のグランド塩は、最近フランス帰りのマダムから推薦されアマゾンで取り寄せたのですが、結構多めにふっても、体内に残る塩分は普通の塩の1/4程度というのです。高血圧に苦しむわたしは、奈良でも鳥取でもすべて古い塩を捨てグランド塩に変えたのですが、本当に優しくやわらかな味のする塩でして、たとえば出汁醤油を味噌汁の隠し味にしていたのをグランド塩に変えたりしています。野菜をオリーブオイルで炒めてグランド塩を振るだけで十分美味しい。


セルマランドゲランド ゲランドの塩 セルマランドゲランド ゲランドの塩


 グランド塩を隠し味にした薄い醤油味のスープに丸い焼き餅を二ついれて水菜を垂らし、鰹節をまぶして柚子の皮で香りをつけます。これで上品ないい味がするのね。おせちはCOOPです。グランド塩に慣れてきたせいか、ちょっと味が強く感じてしまいます。魚介類が多く、プリン体も心配の種だなぁ・・・
 酒は上海のスーパーで仕入れた紹興酒。スーパーでは10元/瓶だが、レストランででてくると150~200元/瓶に跳ね上がります。冬はぬる燗にして生姜の千切りをいれると体が温まるんだ。その紹興酒を飲むお猪口代わりに、衡山路のラピスラズリでシノワズリのカップを買い込んだの。調子よく飲んでいたら、あっさり取っ手がとれてとっても驚いた。百均でエポキシ接着剤を仕入れ、大急ぎでくっつけました。


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能海寛を読む(1)

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『世界に於ける仏教徒』批評

 大学に戻ったら、上の新聞記事が届いていました。2018年12月1日(土)に開催した能海寛生誕150周年国際シンポジウム「雲南に消えたチベット仏教求法僧-能海寛の風景と思想」の報道は12月7日の山陰中央新報鳥取版に掲載されていましたが、今回の記事は同紙の12月18日文化面(7頁)に掲載されたもので、鳥取・島根両県で報道されたことになります。なんだか、わたし一人が能海批判派で、他の研究者は能海支持派のような印象をうけますが、実際にはちがっています。また、わたしたちはあくまで『世界に於ける仏教徒』という著作の批評をしたのであって(批判ではなく批評です)、能海という人物の業績すべてを批判し、否定したわけではありません。

 さて、12月1日開催国際シンポのうち第二部「能海寛の思想」で森・浅川は「能海寛を読む-世界に於ける仏教徒-」と題する発表をおこないました。能海の主著『世界に於ける仏教徒』(哲学書院1893、復刻本2002)の解読をめざすスピーチであり、森がイントロとして本書の概説役を務め、浅川が思想の核心部分について原文対照の口語訳により批評を試みました。森の概論は現在、卒論として執筆中であり、以下の目次を示すにとどめます。


   能海寛『世界に於ける仏教徒』

 第1章 宗教の革新
 第2章 新仏教徒
 第3章 宗教学上の仏教
 第4章 哲学上の仏教
 第5章 歴史上の仏教
 第6章 道徳上の仏教
 第7章 比較仏教学
 第8章 サンスクリット(梵学)
 第9章 仏教国の探検
 第10章 仏教徒の連合
 第11章 仏跡回復
 第12章 総会議所
 第13章 巡礼
 第14章 海外宣教
 第15章 仏教学校
 第16章 仏典翻訳
 第17章 本山政論 第一
 第18章 本山政論 第二

 これから始める連載は、浅川が能海生誕記念シンポ第二部で発表した内容をもとに成稿していきます。『世界に於ける仏教徒』からの引用については、基本的に口語訳文を採用しますが、逐一原文掲載ページを併記しますので、原文もあわせてご確認ください(原文は以下のサイトを参照)。
 
 原著初版本(哲学書院1893) 国立国会図書館デジタルコレクション
  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816791
 復刻本(能海寛研究会2002) 波佐ネット
  http://hazaway.com/docs/bukkouto.pdf


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囍来登記(4)

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世界上最大的星巴克

 大晦日の晩餐は上海蟹のフルコース。痛風の源たるプリン体の塊だから、このシーズンは日本海の親ガニすら避けていたのだけれど、上海蟹のフルコースだからねぇ。それにしても、みんな蟹を食べるのが下手なんだ。殻ごとしゃぶりながら実を吸い尽くすという感覚が分からないんだな。その一方で、いざ食べ始めるとみな沈黙して会話は弾まないし、写真も撮らなくなる。おかげで、まともな写真は上の一枚だけでした。


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 一夜明けて元旦。まずは母校の主席を参拝し、そのまま南京西路をめざした。以前から十字路の角地にスターバックスはあったのだが、その対面に「世界最大のスターバックス」が最近誕生した。2017年12月5日のことである。その店は定型化したスターバックス(星巴克)ではなく、「リザーブ ロースタリー」という特別な名前が与えられていて、面積約2700㎡に及ぶ。内部はただのカフェではなく、珈琲豆の貯蔵場や焙煎工程を露出させているばかりか、専用のパン工房もあり、なによりグッズ売り場の充実ぶりには目を見張る。


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 わたしは、さほどスタバを愛しているわけではなく、むしろ老舗の喫茶店志向がつよい方だが、正直、この規模と設備とデザインには驚きを禁じ得なかった。いざ、注文。中国は豆乳の本場だから、ソイラテを飲む。期待にそぐわぬ味がした。苦い珈琲と濃厚な豆乳がよくマッチしている。紙コップではなく、オリジナルのマグカップを使っているところも好感がもてる。パン工房で焼いたホウレン草のピザも手作り感があって美味しい。値段は高いが、全体にファーストフード感が大きく薄れ、高級レストランのイメージを強くアピールしている。


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 飲食の後がまた大変で、カップ、ポット、バッグなどすべてのデザインが秀逸であり、5000円~9000円の品物が飛ぶように売れている。購買者は中国人よりも外国人(おもにアジア人)のほうが多い印象。自宅ではなく、職場で目立たぬよう使いたい。そういう実用品が多いのも特徴である。
 リザーブ ロースタリーは現在、本拠地シアトルのほか、ミラノと上海の3ヶ所だけにしかないが、まもなくニューヨーク、サンフランシスコ、東京(中目黒)などでも開店予定だという。東京は上海の後塵を拝した。ただの珈琲店の開店とはいえ、すでに東アジアの中心都市が上海に移っていることを暗示する出来事ではないだろうか。


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囍来登記(3)

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上海の街角で

 大晦日。早くも一年が過ぎ、62回めの誕生日を迎えた。午前に訪れた嘉定区の南翔鎮は、古い町並みを残す「嘉定三鎮」の一つであると同時に、小籠包発祥の地としても知られている。まずは 雲翔寺が旅客を出迎え、まもなく銅製双塔の広場に出る。前者は重建(再建)、後者は修復だというが、こちらも限りなく重建に近い修復であろう。水郷の町並みは見事なものだが、柱や礎石に骨董品の風貌をみとめる以外、多くの部分は新しくなって古色を塗っている。じっさい、取り外された古い両折戸(もろおれど)をみた。
 

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南翔積雪

 寒さはいちだんと増している。桶巻造の平瓦の上に2~3センチの積雪があり、元旦に真冬の風情を添えている。平瓦の雪が少しずつ解けて滴水の先から雨垂となって石畳を濡らす。風流でもあり、衣服を濡らすわずらわしさもあり。街をぶらぶら歩きながら干し肉(ジャーキー)を買いこんだ。一昨年のマカオで味をしめて、正月の酒菜として楽しみな食材になっている。
 その後、大衆食堂で名物の小籠包に舌鼓。前夜の四川料理の唐辛子の影響か、腹具合がいまひとつ。酒精は控えた。


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 南翔をあとにし、豫園と外灘を結ぶ古城公園まで戻った。黄浦江のこちらもあちらも高層ビルだらけ。いちいち写真なんぞ撮ってられるかと思いつつ、その反対のことをしてしまうのだから人間とは不思議な動物だ。そこから豫園商場まで歩き、昨春杭州龍井の新茶に唸った「春風得意楼」を短時間ながら再訪した。
 それにしても寒い。雪はやんだが・・・


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・上海の街角で(東海林太郎)
https://www.youtube.com/watch?v=A9HwHFCTS34


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囍来登記(2)

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蘇州夜曲

 「蘇州夜曲」は李香蘭(山口淑子)のために書かれた楽曲であり、李香蘭が主演した映画「支那の夜」(1940)の劇中歌ではあるけれども、最初にレコーディングしたのは渡辺はま子・霧島昇である。作詞・西條八十、作曲・服部良一の名曲であり、じつに多くの歌手がカバーしている。とくに驚くのは、キャラメル・ママをバックに歌う雪村いずみのバージョン(1994)。ぜひ聴いてみてください。

・蘇州夜曲(李香蘭)
https://www.youtube.com/watch?v=UZyg3Jg6B3A


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寒山拾得

 「蘇州夜曲」の歌詞に登場する寒山寺は南朝(6世紀初)まで由緒が遡り、唐の貞観年間(627 - 649)に瘋狂聖、寒山が草庵を営んだと伝承される。張継が「楓橋夜泊」を詠んだのは8世紀中頃であり、伽藍の創建は8~9世紀であろうとされる。唐宋時代は隆盛を極めたが、元末以降なんども火災で焼失し、現存建物は清末の重建だが、近年の大改修もおおいに目につく。わけても目障りなのが人字形中備と卍崩し高欄であり、あきらかに唐以前の様式を意識した想像復元であり、専門家として気持ちが萎えないとは言えまい。
 寒山(↓左)は天台山国清寺近くの寒山にある洞穴に住み、相棒の拾得(↓右)は国清寺の豊干(ぶかん)和尚に拾われたので拾得と称した。豊干の導きで交流を始めた二人は奇行と詩作を得意とする瘋狂の徒だったが、仏教の哲理に精通しており、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の輪廻転生とされた。
 寒山寺訪問の翌日は大みそかであり、除夜の鐘のセレモニーの準備に境内はせわしくみえた。


1230蘇州01寒山寺02寒山拾得01  1230蘇州01寒山寺00


耦園雪景

 無錫は1983年秋に一度訪れたきりだが、蘇州は84年に二度訪れている。そして、2000年にも再訪した。どういうわけか、蘇州古典園林の第2次世界文化遺産申請の審査がまわってきたからである。あのころは白い壁の建物がまだ町中に残っていた。いまは無錫と同じで、ビルの林立する工業都市に変貌している。国家歴史文化名城は、まさしく名ばかりの文化財保護制度である。
 無錫から南下してきたのに寒気は増し続け、寒山寺を離れるころから雪が舞い始めた。江南の降雪は十年ぶりなのだという。まもなく耦園(ぐうえん/オウユェン)にたどり着く。18年前に審査した蘇州古典園林の一つであり、じつはあのときも雪が降り、緑地にかすかな積雪をみた。めったにないことだと言われたのをよく覚えている。欲を出して揚州園林にまで足をのばしたところ、積雪のため大渋滞に巻き込まれた苦い思い出もある。
 降る雪をレンズに納めたかった。


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↑滴水に散る雪 ↓東花園
1230蘇州02耦園05池02 1230蘇州02耦園04円洞01



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囍来登記(1)

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↑↓南禅寺(重建) 原寸大のレプリカです
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無錫旅情

 『無錫旅情』は尾形大作が1987年に大ヒットさせた ど演歌 だが、上海から同行してきたガイドのシーさんによれば、尾形は一発屋だそうである。私的には、以前書いたような記憶があるけれども、故M部長がカラオケで愛した曲のひとつであり、よく聞かされた。地元無錫でも、もちろんこの歌はよく知られていて、太湖畔に歌碑があり、歌詞は中国語に翻訳され尾形自身が唄っている。
 1983年の秋、浙江から江蘇まで約2ヶ月間にわたってフィールドワークに携わった。そのとき無錫も訪れている。水路に沿う都市住宅の内部で実測をしていたとき、白い制服を着た公安官が突然入ってきて血の気を失った。取り調べから投獄かと一瞬観念したが、実態はその真逆であり、警察官は「何か手伝えることはないか」と申し入れてくれた。留学先の同済大学が文書で正式に援助を依頼していたのである。


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 あのころの無錫は「上海、蘇州と汽車に乗」って数時間を要した水郷の小都市であり、小河に沿って古い建物が軒を連ねていた。いまは新幹線で上海から45分。古い町並みは河沿いの一部を除いてほとんど削られてしまい、ビルの林立する大都市となって、人口は600万人に及ぶ。人口600万人と言えば、日本では大阪クラスだが、中国ではB級なのだそうである。北京・上海・天津・重慶が特別区の超A級、各省都がA級(江蘇省の場合は南京)、蘇州・無錫らはB級にあたる。
 B級とはいえ、都市の変化は凄まじい。無錫も蘇州も国家歴史文化名城(国指定の歴史的著名都市)など名ばかりであり、開発の波は広範囲に及び、歴史的にみえる町並みも重建(古いものに似せて新しく立て直している建築)がほとんどである。雲南の大理・麗江でもそうだったが、蘇州・無錫はわたしたちの知っている街ではすでにない。


1229南禅寺13城門02町並み

1229無錫02水郷02町並み01
↑(上2枚)城濠に沿う古い町並み地区がライトアップされていて、レストランなども少なくない。これが怪しい。古い建物の改修ではなく、重建(再建)が幅を利かしている。

・无錫旅情 (中文版)
https://www.youtube.com/watch?v=soBA-6Om4mE

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平成三十一 謹賀新年

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 新年あけましておめでとうございます。
 年号の変わる歳を迎え、ひときわ忙しく時が過ぎていくでしょうが、 
 世相に押し流されず、落ち着いて大切な日常を過ごしていきたいと願っております。
 引き続き、研究室へのご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

                                    平成31年 元旦

BS11番組「出雲大社 巨大神殿はあったのか?」のお知らせ
放送日時: 2019年1月7日(月)午後7時~8時(再放送の可能性あり)
放送局: BS11
番組タイトル: 歴史科学捜査班「古代ミステリー 出雲大社 巨大神殿はあったのか?」
出演者: 宮本隆治(元NHKアナウンサー)他
関連サイト:
 http://www.kankyo-u.ac.jp/news/2018nendo/20181220/
 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1964.html



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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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