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Blue in Green

 Like Someone in Love


 今宵はビル・エヴァンスをお届けしましょう。そんな気分です。
 「ブルー・イン・グリーン」(↓)は、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』(1959)で初演されたモードの名曲ですが、作曲はマイルス説/マイルス&エヴァンス説/エヴァンス説の3つがあり、まるで端田宣彦と坂庭省悟の「花嫁」みたいに著作権がもつれている。エヴァンスは『カインド・オブ・ブルー』のピアノを担当しているのですが、同年に発表された自作『ポートレイト・イン・ジャズ』でも「ブルー・イン・グリーン」を演奏しているから話はややこしい。みんな死んじゃった今となってはどうでもいいんだけどね、良い音楽はいつまでたってもよい。それでいい。マイルスはもちろん、エヴァンスも音を使いすぎないところ、つまり「間」を重視して慎重に音を選択するところに特徴がありますね。早弾きすればいいってもんじゃありません。あとは艶気をどうだすか、だ。夜の音楽なんだから。




久方の後記

ヒマラヤの魔女

 ブータンの民話/絵本を1・2年生演習の教材として使い始めたのは2014年度後期のことであり、その後、あしかけ3年6期を翻訳に費やした。成果は以下の内部資料3冊である。

  『メンバツォ -炎たつ湖/メトの大冒険』(2015年3月)
  『心の余白/ねずみのおばさん』(2016年3月)
  『グルリンポチェがやってくる/ツェゴ -命の着物』(2017年3月)

 このうち童話「メトの大冒険」をのぞく5作は、ブータン最初の女性作家、クンサン・チョデンさんの作品(創話もしくは再話)である。彼女の作風は連鎖した韻文のようであり、含蓄深く詩情に溢れており、他の追随を許さない。そう思って優先的に翻訳してきたのだが、手持ちの絵本も尽きてしまったので、2017年度からは「寅さんの風景」シリーズに切り替えて一年半を過ごした。これもまた愉快な取組みではあったけれども、鳥取を舞台とする映画は第44作「男はつらいよ-寅次郎の告白」(1991)のみであり、まもなくネタ切れとなって、軌跡はJターンを描き、2018年度後期に「ヒマラヤの魔女-自然と人間の関係を考える-」というプロジェクトを立ち上げた。
 その年の夏の経験が強烈すぎたのである。ブータンではプナカのチメラカン寺周辺でポー(ファルス)に塗れ、西北雲南では山村での交通事故の直後に雲が飛散してチベット族の神の山「梅里雪山」が全景をあらわにし、朝焼けの中で金色に輝く姿をみた。二つの出来事は無関係なようで、その背景に「魔女」の存在を読み取れる。そんな経験から浮かび上がったプロジェクトが「ヒマラヤの魔女」だったのである。
 本書はその成果報告書として編集を構想したものだが、これまで未発表であった二つの民話絵本の翻訳も含んでいる。なにぶん貧乏な研究室であり、翻訳したすべての民話を印刷・製本する財政的余裕がなかったので、この機に乗じて在庫一掃セールの運びとなった。結果として、本書は以下の6つの翻訳を収録している。

 1.ラジャ-天の鳥 p.01-40
 2.ヤクと野牛の物語 p.41-66
 3.アケ・ゲム p.67-78
 4.カブはどのようにしてハにもたらされたのか p.79-92
 5.ブータンの宝塔-真実にむかう心のよりどころ p.93-95
 6.魔力と戦うフライング・ファルス p.96-98

1.ラジャ-天の鳥
原題:The Heavenly Birds (2014)
テキスト:ペマ・ギャルツェン(Pema Gyaltshen) 
イラスト:チャンダ・S・スッバ(Chandra S. Subba)

 ポプジカ谷に飛来するオグロヅルと人間の交流を描いた民話絵本(再話)。年老いたツルが動けなくなってしまい、憐れに思った訪問者が水をかけてやり、若いツルたちがチベットまで塩を取りにいってツルの命を救う。その後、人間に恩を感じたツルの群れが毎年ポプジカに飛来するようになるという起源譚である。チベットは岩塩の産地として知られているが、それはヒマラヤがかつて海底にあったことを示す地質学的な証拠でもある。2016年度前期、当時の1年生(現3年生:野表・高田・森下・中前・藤堂・成崎・小林)が翻訳および画像処理に携わった。

2.ヤクと野牛の物語
原題:The Story of the Yak and the Buffalo(2015)
テキスト:リンジン・リンジン(Rinzin Rinzin)
イラスト:テンパ・ラブゲ(Tempa Rabgay)

 仲の良いヤクと野牛がチベットの美味しい岩塩を舐めに行こうと相談するのだが、チベットは寒すぎる。思案のあげく、野牛がヤクに自分の毛皮を貸すことになった。ヤクは二重のコートにくるまれ、一人チベットにむかう。二重の毛皮により寒さを避けながら岩塩の美味しさを知り、そのままチベットに居ついてしまう。一方、毛皮をなくした野牛はチベットに行けないので、ただただヤクの帰りを待つという民話絵本(再話)。ブータンのヤクと野牛はもともと似たような牛だったが、毛皮をゆずった野牛は「水牛」化して比較的暖かいブータンに適応し、ヤクは毛むくじゃらになって寒冷地適応したことを言いたいのではないか。本文に「水牛」の語は出てこないが、野牛の角は水牛を思わせるよう描かれている。一方、チベットで岩塩を発見したのはヤクだという伝承もある。2016年度後期、当時の1年生(現3年生:池田・橘・田邉・大竹・宮川・米田・和田)が翻訳と画像処理に取り組んだ。


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2018年度卒業論文概要(3)

能海寛『世界に於ける仏教徒』(明治26年刊)の口語訳と批評
Translation to the modern spoken Japanese and Review of "New Buddhist in the world"
written by NOMI Yutaka in 1893
                                    MORI Ayaka

 能海寛(のうみ ゆたか)は明治維新の直前、島根県浜田市の浄蓮寺に生まれた。廃仏毀釈の嵐によって仏教が衰退を余儀なくされ、キリスト教の勢力拡大に脅かされた明治期にあって、能海は「新仏教」のあり方を模索する。哲学館などで仏教学や語学などを学び、世界的な視野から旧仏教の革新を主張した。また、仏教の原点を探るため、当時鎖国中であったチベットへの入境をめざす。しかし3回にわたる挑戦もむなしく、雲南省の奥地で消息を絶つ。これまでの能海に関わる研究はこうした彼の事跡に係わるものが大半であり、能海の思想にまで踏み込んで考察するものは少ない。本研究では、能海の主著『世界に於ける仏教徒』(1893)を口語訳して、宇内一統宗教(世界統一宗教)をめざす能海の「新仏教」構想を明らかにし、その内容を批評する。

1.『世界に於ける仏教徒』の概要と批評
 第1~2章は、世界は宗教大変動の時代であり、欧米諸国でのキリスト教の信仰は衰え始めているという指摘から始まる。これを踏まえ、宗教の革新が起こる理由や欧米仏教の現況について述べているが、ここからキリスト教を厳しく批判する文章が続く。また、旧仏教(従来の仏教)の堕落を嘆くとともに、新仏教がキリスト教にとって代わり、「宇内一統宗教」の大業を成就すると主張しているが、現実的には実現不可能な構想と評価せざるをえない。
 第3~6章では、宗教学上、哲学上、歴史上、道徳上においての仏教について述べている。「仏教とキリスト教の優劣を決するにあたって、宗教学が役に立つ」「歴史上最強の仏教」などの問題発言が次つぎ出てくる。しかしながら、「仏教が宗教史上最強」などということはそもそも証明できるものではない。また、欧米の哲学者が評価するのは上座部(小乗)仏教である。小乗仏教こそ仏教の本流と唱えたマックス・ミューラーらの「大乗非仏説」に能海は反発し、サンスクリットやチベット大乗仏教などの研究を通して、ブッダの思想と大乗仏教を結びつけようと考えた。
 第7章では、インドに仏教が起こってから東洋諸国に伝播したが、互いに交流がなかったため、各国においてどのような進歩をしてきたのか、どのような教義をもって今日に至ったのか明らかになっていないと述べる。これを実証するには仏教の比較研究が必要だとしている。諸国の仏典や訳本を比較することで、仏教の起源たる釈迦の思想を明らかにでき、仏教の統合が実現する。それが「宇内一統宗教」として世界に拡散していくという発想である。
 第8~9章では、仏教の原語であるサンスクリットの学習と第二仏教国の探検を急務としている。前者は当然のこととして、後者については、中央アジアの植民地支配を大国が競いあう時代であったことと無関係に把握すべきではない。探検とはフィールドワークとほぼ同義であるけれども、それを最大の情報源とする民族学の分野は植民地支配の前提として発展してきた歴史的経緯がある。能海に資金提供した本願寺の側からみれば、中国大陸での布教の前提となる基礎情報を欲していたわけで、この場合の探検は、宗教的支配のための情報集めという側面を有することになる。
 第10章~第16章では、まず他の宗教に比べて仏教徒の数は多いが、釈尊の入滅以来、南の小乗と北の大乗に隔絶していたため、今後は団結しなければならないと説いている。また、仏教一般について学ぶ仏教学校や、海外への宣教、仏典の翻訳など、仏教徒に必要なものを挙げて論じている。
 ここまで旧仏教を批判してきた能海だが、第17~18章では、旧仏教を極端に破壊するのは顧みて考えることを要するとしている。「差別即ち平等、平等即ち差別なり」と述べ、各国や社会に対して仏教の制度や組織を異にすることは仏教の真理をますます発揚させるものと説く。明治22年(1889)には、大内青巒が井上円了らとともに、天皇崇拝に重きをおく仏教政治運動団体「尊皇奉仏大同団」を結成する。能海も本書で「仏教は日本の国粋」という類似の発言をしている。思想史的にみれば、「尊皇奉仏」という概念には矛盾が露呈している。仏教が史上最大の苦境に陥っている原因は王政復古にあったのを承知の上で、尊皇奉仏の宗教家たちは、神道に対する批判的な論調はいっさい隠しながら王政に与し、その矛先をキリスト教に向けたのである。こうした思想は、おそらく「個人の資質」以上に、王政復古の機運が宗教家たちに投影した「時代の資質」と呼ぶべきものと思われる。いずれにしても、明治維新の年に生まれた能海の宗教観と明治維新の思想的背景のかかわりを否定するのは難しい。

2.大内青巒の序とカール・ヤスパースからみる宗教観
 能海の兄弟子筋にあたる大内青巒が『世界に於ける仏教徒』の序文を書いている。ごく短いものだが、『世界に於ける仏教徒』の内容にはほとんど触れていない。序文冒頭の「見色明心」と「門声悟道」の対句は有名な禅語で、小さな色(形)のちがいや、ちょっとした音声を、全身全霊五感をもって感じとることが悟りに近づく第一歩だと示唆している。そうしたミクロな次元に「世界」があるのだと青巒は言いたいのであろう。能海の羨望する海外=世界とは異なる次元で、自分の身の回りにも「世界」がある。それは時空無限の「世界海」である。欧米などの海外で通用する新仏教徒になることも大事であろうが、個人の生活世界に眼を見開け、聞き耳を立てよ、と諭している点、特異な序だと言わざるをえない。能海の主張に対する柔らかな批判とも受け取れるからである。
 カール・ヤスパースは『歴史の起源と目標』(原著1949)のなかで、互いを容認しあう以外宗教に未来はないと考察している。ヤスパースの主張に従う限り、能海のいう「宇内一統宗教」などこの世に必要ないものである。能海の主張に比べれば、宗教の多様性を重んじるヤスパースの考えははるかに洗練されている。仏教の起源と未来に向き合った能海の考えはそれなりに評価されるべきだが、宗教相互の軋轢を生む危うい側面も備えている。宗教学を重視するというのならば、自らの宗教を客観視することが必要であろう。

3.西北雲南での調査と能海寛シンポジウム
 2018年9月12~19日に4名でチベットに近い西北雲南を訪ねた。能海は明治34年(1901)4月、金策尽きて四川省重慶から連れてきた付人を帰すにあたり、妻に宛てた手紙を託す。そこには「西北に向かって(チベット)内地をめざす」と書いてある。わたしたちは大理から麗江を経由して金沙江を越え、旧チベット領カム地方の南端にあたるデチェン・チベット族自治州のシャングリラ(中甸)、徳欽まで移動した。標高2,000~3,200mの高地であり、車での移動でさえ険しい道のりであった。一人チベットをめざした能海の労苦が偲ばれる。
 12月1日には、本大学で能海寛生誕150周年記念国際シンポジウムを開催し、私は雲南での調査と、『世界に於ける仏教徒』の口語訳の成果を発表した。このシンポジウムでは、『世界に於ける仏教徒』を読み解くことで、今まで取り上げられなかった能海の思想に踏み込むことができた。

《主要参考文献》
能海 寛(1998復刻)『能海寛遺稿』五月書房
江本 嘉伸(1999)『能海寛 チベットに消えた旅人』求龍堂
カール・ヤスパース(原著 1949 重田英世訳 1964)『歴史の起源と目標』理想社


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2018年度卒業論文概要(2)

環オホーツク海沿岸狩猟民族の罠技法に関する比較研究
Comparative study on the trap techniques of the hunting peoples
in the coast areas around the Okhotsk sea             
                           SATO Yumi

1.研究の目的
 オホーツク海沿岸域に住む極東の諸民族は、古アジア系とツングース系に大別できる。古アジア系民族とは、ツングースが東北アジアに拡散する以前から居住していた先住民(チュクチ、コリヤーク、ニブフ、アイヌ等)を指す。対してツングース系は、古モンゴロイドから約2万5000年前に枝分かれした新モンゴロイドの一部で、寒冷地適応した身体的特徴を持つ民族(エヴェンキ、エヴェン、ウデヘ、オロチ、ナーナイ、ウィルタ、ウリチ等)を指す。これらのオホーツク海沿岸諸民族の狩猟文化を卒業論文の主題とし、各地の博物館等での標本調査、データベースの作成、罠の実用実験を踏まえて、実験民俗考古学的な比較・分析を試みた。


2018卒論概要写真_05佐藤 図01北方ユーラシア諸民族分布


2.罠の基本類型
 収集した罠具のデータベースは110点を数え、そのデータから分析すると、北方諸民族が使用していた伝統的罠具の構造は、単純で、罠の素材は自然の中で調達できるような木の枝や弦などを利用したものが多い。罠の殺傷能力は高く、仕掛け弓型・圧殺式・くくり罠型の3類型に大別される。その使い方については、ヒアリングと文献から考察する。

3.国立民族学博物館「罠具」の熟覧
 2018年6月4日に国立民族学博物館所蔵の北方ユーラシア地域の罠具27点を熟覧し、写真撮影、採寸、スケッチ等をおこなった。
 図2はサハリン地方ヤクートの仕掛け弓型の罠でテンやキツネ等の中型獣を対象にしており、獲物を獣道におびき寄せ、弓の弦につながった紐に触れると矢が発射する。図3はハバロフスク地方のナーナイ族の圧殺式罠で、リスやテン等の小~中型獣を対象とし、丸太等の重しを乗せた格子のストッパーが外れると格子が落下し獲物を圧殺死させ捕獲する。図4はサハリン地方ウデヘ族のくくり罠型で、オコジョ等の中型獣が対象であり、輪罠部分で首を絞めて捕獲される。[国立民族学博物館収蔵庫資料]


2018卒論概要写真_06佐藤 図02仕掛け弓(ヤクート) 


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2018年度卒業論文概要(1)

重要文化財「河本家住宅」の幕末家相図をめぐる基礎的考察
Basic study on the illustrated divination map of the late Edo period
owned by Important cultural property "the Kawamoto Residence"
                         SASAKI,Kana


 河本家住宅は鳥取県琴浦町(旧赤碕町)に所在する江戸時代の古民家である。鳥取県は昭和49年3月にオモヤとキャクマを県の有形保護文化財に指定した。その後、昭和53年のオモヤ屋根葺き替えの際、貞享五年(1688)の棟札がみつかった。17世紀にさかのぼる民家の棟札は全国的にも珍しいものである。平成15年度になって浅川研究室が屋敷内の土蔵群を視察した結果、それらの付属建物も高い文化財価値を有することが判明したため、町は平成16年度事業として研究室に建造物の総合的な調査を委託した。その成果が『河本家住宅-建造物調査報告書-』(2005)であり、2010年には敷地に建つ十数棟の建造物が国の重要文化財に指定された。


2018卒論概要写真_01佐々木 図1 家相図オルソ写真


1.河本家の家相図
 家相図とは、住宅などの建造物の敷地平面図に一定の方位観を記した絵図をさす。河本家では、2006年10月に土蔵から一枚の紙本彩色の家相図が発見された。絵図を納める紙袋表紙の記載によると、嘉永七年(1854)9月の制作である。畳二畳(2275×1425mm)ほどもある家相図には、河本家の屋敷全体の建物配置、建物内の間取り、庭の植栽等まで精密に描写されている。保存状態としては、乾燥した糊の接着部分が弱って剥がれている箇所も少なくないが、彩色は良好に残っている。
 発見後十年以上経過するが、家相図の調査研究は全く進んでいなかった。家相図は特殊な(呪術的)方位観による未来計画図の場合が多く、一般的な指図とは違って、平面復元の根拠とは必ずしもならないからである。しかし河本家の場合、調査を進めるにつれて復原資料としての価値も十分あることがみえてきた。絵図の複写はデジカメの多重撮影データをフォトスキャンで加工し、正確なオルソ写真を作成し、分析の基礎とした。

2.平面の異同と復原
 家相図が現状と大きく異なる部分は以下の3ヶ所である。
①オモヤ広間: 式台から入る前側の玄関は十畳で、四枚障子を挟んで奥側の広間も現在は十畳だが、家相図では十五畳半となっている。ダイニング上部に新しい化粧版に隠された古い差鴨居があると推定される。また、玄関と広間の境は四枚引違障子だが、鴨井は3本溝になっていて、建具と一致しない。これらの痕跡から、当初はダイニングも広間の一部であって、土間側に突き出た部分も含めた凸凹形が幕末の十五畳半であったと推定される。
②オモヤ納戸: 表の座敷とナンドの間に押入を幅半間設け、さらに奥は二畳の茶室となっている。ナンドに畳床が増築されて
いることから数寄屋造色が強く、幕末~明治の意匠のように思われる。
③ハナレ: 奥の六畳は八畳に拡大されており、部屋の周囲に縁をめぐされる。床の間の対面の壁にひび割れが2本あり、幕末期に存在した柱の位置を教えてくれる。また、現状は三座敷の続き間であるが、南側四畳の東半を土間とし竈をおいていたことから幕末はある程度独立した世帯の「住まい」として機能していた可能性がある。おそらく明治期に改修・増築されたとみられ、主屋ナンドの改修時期と重なると推定している。


2018卒論概要写真_02佐々木 図2 オモヤ~ハナレ間取り比較


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フォトスキャンを活用した文化遺産の分析(2)

190219修士中間発表スライド10 190219修士中間発表スライド11


続・大学院修士課程1年次中間発表会の報告

琴浦町河本家住宅の幕末家相図
 河本家住宅(重文)は東伯郡琴浦町に所在する江戸時代前期の古民家である。昭和53年に貞享五年(1688)の棟札がみつかり、建築年代の明らかな民家としては山陰地方最古の遺構とされる。家相図は、2006年に発見された。嘉永七年(1854)の制作で、法量は2275×1425mmを測る。はじめ絵図を壁に掛け全景を正面から撮影しようとしたが、サイズは畳二帖より大きく、傷みも少なくないので断念し、畳においたまま斜め方向からの多重撮影データによるオルソ写真作成を試みた(100枚以上×2台)。自然光の濃度が微妙にグラデーションしており、LEDで2方向から照らし明るさをできるだけ均一化しつつ撮影をおこなった。結果は良好で、実物と縦横比の同じオルソ写真を作成できた。家相図と河本家住宅現状平面を比較した結果、嘉永七年当時の状況を反映している可能性が高いと判断され、復原を試みた。


190219修士中間発表スライド17 


 時間の関係上、今回はハナレの変化についてのみ説明する。ハナレは家相図より古く、文政3年(1821)の建造である。現状のハナレは三方向を縁に囲まれており、奥の座敷が8畳になっている。しかし、家相図では南と東の縁はなく、奥の座敷も6畳で、その北側に縁が付属している。また、南側の4畳は東側半分が土間になっていて、板間との境にカマドをもうけている。カマドがあるということは、だれかの住まいとして使われた可能性があると思われる。おそらく、明治期に南の4畳を畳間にし、奥の6畳を8畳に拡張してさらに縁を周囲にめぐらせ、全体を接客の建物にしたと推定している。


190219修士中間発表スライド12



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フォトスキャンを活用した文化遺産の分析(1)

190219修士中間発表スライド01 190219修士中間発表スライド02


大学院修士課程1年次中間発表会の報告

 2月19日(火)、大学院修士課程1年次の中間発表会が開催されました。わたしの題目は「フォトスキャンを活用した文化遺産の分析-近世民家を中心に」であり、その内容について報告させていただきます。

フォトスキャンとは
 フォトスキャンは重なり合う複数の写真から3Dオブジェクトを高精度に作成するソフトウェアである。対象物を多重撮影し、それをソフトに読み込ませることで様々なスケールの3Dデータの作成が可能となる。フォトスキャンを使う前提としてはハイスペックのパソコンが必要となる。建物の撮影を例にとると、多重撮影のポイントは、①可能な限り被写体に正対し、②建物の最高点まで画角に収め、③建物の写真データを60%以上オーバーラップさせることの3点である。フォトスキャンを活用した調査研究は2017年度から、町並み連続立面図の作成に取り組んできたが、今年度は空撮データの処理や絵図の多重撮影も試みたので、その成果を発表する。


190219修士中間発表スライド03  


ドローンとの複合活用 
 使用した機体はDJI「Phantom 3 Standard」である。これまで町並みでは人がカメラで撮影するため、撮影できる範囲が限られていたが、ドローンを用いることでよりフォトスキャンの可能性が広がった。特に摩尼山では、地蔵堂と鐘楼が建っていた明治末年ころの景観をCGで再現する作業を、研究室OBの一級建築士と共同で進めた。その前提として、「賽の河原」周辺をドローンで90枚ほど多重撮影し、フォトスキャンで3Dモデルを作成した。上空からの写真や3Dモデルと復元建物の画像を複合させることで、明治期の「賽の河原」の景観がみごとに再現された。


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稲常西尾家住宅の調査
 鳥取市河原町の稲常(いなつね)は中世にまで遡る拠点的な農村集落である。中世には背面の山上に稲常城があり、その城主は西尾伯耆守と伝えられている。西尾家は四つ辻の北東の角地に建つ旧庄屋邸宅であり、家伝によると門前のエノキは樹齢250年以上であるという。教授の見立てによると、主屋も同時期に遡る可能性があり、緊急の調査をおこなった。西尾家周辺では、2017年度人間環境実習・演習Aの履修生が共同で手描きの連続立面図を作成しているが、西尾家外観の立面図だけはフォトスキャンでも作成した。2018年度は主屋平面の実測と復原を試みる一方で、ドローンによる多重空撮データからフォトスキャンで屋根伏図を作成し、主屋と長屋門・エノキの配置関係を検討した。


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菅了法五言詩-世界に於ける仏教徒(3)

仏跡荒廃

 卒論のポスターセッションは終わりましたが、19日には修士研究中間発表会があり、20日が卒論提出日です。こんな状態でなお『世界に於ける仏教徒』の口語訳の最終校正をしております。BGMは、サーカスとYMOの40周年音楽なんですが、当時かれらはともにアルファレコードに所属していたことが分かりました。
 なことはどうでもいいんですが、第11章「仏跡回復」に漢詩が含まれていたので、この口語訳を紹介してシリーズのフィナーレにしようと思った次第です。
 能海寛は『反省会雑誌』(後の『中央公論』)などからの情報で南アジア仏教霊場の荒廃を嘆き、郷里の先輩にあたる菅了法がセイロン(スリランカ)で口吟した五言詩を引用している。

   千歳名教地  変為貨殖林  南商交北賈  東語又西音
   俯仰無窮感  江山萬古心  土人何解事  連榻鬻清陰  
  
【読み下し文】

 千歳名教の地  変じて貨殖の林と為す   
 南商は北賈と交わり  東語にまた西音
 俯仰するに無窮の感  江山は萬古の心
 土人何んぞ事を解せん 榻を連ね清陰に鬻(ひさ)ぐ

【口語訳】

 千年の昔から続く仏教の名地が
 商売人の群集地に変わってしまった
 南の商人は北の売人と交わり
 東と西の言葉が交わる
 あたりを見回すと無限の感覚があり
 山河は太古の風情を伝えている
 土地の人たちはなぜこうしたことが分からないのだろう
 長椅子を連ね、涼しい木陰で商売している


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アムール




愛で殺して

 サーカスにすっかり嵌ってしまいました。もちろん西洋雑技のサーカスではなく、親族的合唱集団のサーカスです。
 サーカスのデビューは昭和53年(1978)であり、その年がピークでもありました。デビュー2曲めの「Mr.サマータイム」が大ヒットしてあっさり紅白出場を果たします。続く「愛で殺したい」と「アムール」もなかなかの名曲です。「愛で殺したい」は「Mr.サマータイム」と同じミシェル・フュガンの作品ですが、訳詞家がちがう。後者は竜真知子、前者はなかにし礼です。なかにし礼の詞は刺激的すぎる。

  離れないで 躰をはなさないで
  コーヒーなんか沸かしに行かないで
  毛布の中で 愛がからまりあって
  息をひそめているから 動かないで
  あなたを愛で 殺したいほどよ
  悪そうな目も すばやい手も 嘘つく口も 好きなの

 ウソかホントか知らないけれども、NHKはこの曲を「放送禁止」にしたとか??・・・こういう性愛の描写はフランス的とも言えるんでしょうが、昭和の歌謡曲では普通でありまして・・・我らが青江美奈の「伊勢佐木町ブルース」「恍惚のブルース」などは今なら確実にセクハラでアウトしょうし、奥村チヨとか辺見マリとか山本リンダも、みな同じ系列です。
 一方、「愛で殺す」という表現は、ネスカフェCMでお馴染みのロバータ・フラック「やさしく歌って」を思いおこしますね。原題は、

Killing Me Softly with His Song


 これを直訳すると、「(彼の歌で私を)やさしく殺して」となります。この場合「殺」=「逝」ともとれるわけですが、kill という動詞は結構やっかいでして、「殺す」という原義から「鎮静する」とか「うっとりさせる(悩殺する)」などの意味が派生しているようです。だから、原題は(彼の歌で私を)「穏やかな気持ちさせて」か、「うっとりさせて」という感じなんでしょうね。つまりネスカフェの場合、「やさしく殺して」ではなく「やさしく歌って」で正解なんでしょう。一方、サーカスの方は「逝」の直截な表現だとみればよかろうと思うのですが、異論のある方はお知らせください。





アムール

 「愛で殺したい」に続くシングルが「アムール」。黒龍江じゃありませんよ、フランス語の「愛」を意味する言葉です。ロシア語のアムールにも「情愛」の意味があるというから驚きですが、サーカスの「アムール」はフランス人(やロシア人)の作品ではありません。作詞:竜真知子、作曲:滝沢洋一。曲調・歌詞ともに「Mr.サマータイム」を意識したものでしょうが、不倫なのか、ただの三角関係なのか、ちょと分かりづらい。


 デビューアルバム「サーカス・ブティック」(入手困難) A面。
1曲目「愛で殺したい」のバックで流れているギターのアドリブが冴えてます。B面は↓
https://www.youtube.com/watch?v=et4ZL4JDQp0


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菜花のカルボナーラ

01カルボナーラ04完成01


塩ラーメンの大変身!
 
 生まれてはじめてカルボナーラを作りましたよ。我らがライバル「晴れ時々ファーム」のぱくりであります。塩ラーメンがあれば10分ぐらいでできます。このたびは、マルちゃん正麺の塩ラーメンを使いました。


01カルボナーラ01 材料(二人分)


 1)水ではなく牛乳で麺を茹でる。牛乳は目分量でいいんですが、最初は少なめにして味見しながら少しずつ増やしていくのがよいかと思います。


01カルボナーラ02 


 2)菜花は皿を容器にして熱湯に軽くひたしてから水道水で締める。水分を切って別にとりおく。


01カルボナーラ03


 3)麺は堅めに茹で、火をとめる前後に「塩ラーメンの濃縮スープ」と「とろけるチーズ」をまぜる。二人前の麺に対して濃縮スープ1袋、チーズ1枚で十分。スープ2袋だと塩味が強くなりすぎるし、中華風の匂いが消えない。塩味が弱い場合、チーズを1枚足すか、塩を振る。


01カルボナーラ02web


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荒城への階段



 
横山バホット・ツェッペリン

 毎度おなじみ流浪の番組、横山ホットブラザーズ、じゃなかった、タモリ倶楽部、みてますか。わたしは毎週録画しております。
 さて、またえげつない動画をいくつか発見してしまいました。ふだんは国際線で配られるイヤホンを耳につけ液晶にヒビの入ったiPadを聴いておるのですが、どういうわけか、数年前に購入した新品のヘッドフォンが廃棄物のようにころりとでてきたものですから、これを耳に被せると素晴らしく良い音がする。恐れ入って聞き惚れて授業の準備が遅れる、という今日このごろです。
 それでは、いまはなきBAHOの快演をお届けします。関西ののりはちがいまんね・・・




↑YHBアコーディオン担当の次男さんは絶対音感をもっているそうです。でなきゃ、こんな演奏できないよね。ギタリストたちのやっかいなアドリブも採譜できるらしい・・・



BABY, DON'T WORRY !




 ストリート・スライダーズの隠れマニアです。能海寛風にいうと、歴史上最強無比のバンドだ、まちがいなく。ハリーはオープンチューニングの使い手らしいですな。もちろんキースの影響でしょう。

 くよくよしたって始まらないぜぇ~~
 




ミスター・サマータイム




遠い夏の日のまぼろし・・・

 すごい動画を発見しました。老舗コーラスグループ「サーカス」が結成40周年を記念し、新旧メンバー7名が一同に会して「Mr.サマータイム」を歌っています。視聴回数は210万回を超えている(↑)。
 あまりに凄いパフォーマンスなので、懐かしいけれどもそんなに詳しくないこのグループについて、少しだけ調べてみました。

第1期(1978-)
 叶正子(長女)、叶高(長男)、叶央介(次男)の三人姉弟と従妹の卯月節子の4人編成でデビュー。78年 に 「Mr.サマータイム」で紅白出場(↓)。不倫を悔やむ女心を歌った 「Mr.サマータイム」はフランスのミッシェル・フュガンの作品であり、これを竜真知子が訳詞して大ヒットした。当時はシャンソン風歌謡曲の印象がありましたね。翌79年は「アメリカン・フィーリング」のヒットで紅白再出場を果たす。





第2期(1984-)
 卯月節子(結婚)、叶央介(ソロ活動)が脱退し、原順子と嶋田徹が加入。88年に嶋田徹が離れ、叶央介が復帰。91年、叶央介と原順子が結婚した。下は2012年のアレンジ。ずいぶんジャズっぽくなっていますが、次頁(続き)ほどではない。左右二組の間の距離が未来を予感させる??






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金柑の収穫

0202猫と金柑03金柑の実01


諸ジャムの王

 近所の散歩道にベジカフェがあります。農家がやっているカフェでして、お惣菜定食や野菜カレーを売りにしているのですが、客の入りが芳しくなく、営業日がどんどん減ってきて、たまに開いている日には、前のガラス窓に「営業中です、助けてください」と書いた紙を貼り付けている。で、たまに助けに入るわけですが、目的は飲食ではなく、百円野菜の仕込みです。大根、カブラ、白菜などのほかに、金柑を安く売ってくれるので、まとめ買いします。


0202猫と金柑01


 恥ずかしながら、金柑ジャムづくりを得意としております。ジャムづくりに嵌っていたのは2010年ころですが、以来ひとつの信念をもってジャムづくりに勤しんできました。すなわち、イチゴやリンゴのような、食べて美味しい果物をジャムにする必要はない。そのまま食べても味がいま一つの果実こそジャムに適している。金柑はその代表であります。
 ベジカフェの安価な金柑はジャムに早変わりします。おもにヨーグルトのトッピングとしていただきます。能海寛風に自画自賛するならば、金柑ジャムは「諸ジャムの王」であり、「歴史上最強無比のジャム」だと秘かに思っています。ほのかに苦みを含む、薬草のように健康的な甘みの美味しいジャムです。レシピは こちら に紹介していますが、いまはこんな複雑なことはしてません。

 1)煮沸した湯で金柑をまるごとさらっとゆでる。
 2)湯を切り、ヘタをとってから、金柑を包丁で半割にし、種を取り出す。
 3)あとは果皮と綿のついた果肉を水と白ワインで煮込む。
 4)味付けは適量の蜂蜜とオレンジ・ジュース。
 5)低温で煮込みゲル状になったら完成。柚子汁などをしぼって足してもよい。


0202猫と金柑05金柑の樹03アップ 0202猫と金柑05金柑の樹01縦


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UAEのアジア杯(4)

0201猫と蝋梅01 0201猫と蝋梅02満月


猫も狼狽

 週末にトスクでまた蝋梅の切り花を170円で仕入れ、奈良のテーブルに飾ったところ、猫も狼狽・・・国民はみなカタール戦の惨敗に狼狽してしまいましたが。
 サンチェス・バス監督の策がずばり当りましたね。日本が大苦戦したトルクメニスタン戦の5バック3ボランチで臨んできた。日本をよく研究している。この布陣にすれば、球離れの遅い堂安・南野が消えてしまい、長友・酒井のオーバーラップも抑止できる。これに加えて、生命線というべき柴崎-大迫を徹底マークすれば、日本は機能しない。トルクメニスタン戦とさらによく似ていたのは、遠藤の欠場で、あのときは富安をボランチ、ストッパーに槇野をいれたが、2失点している。今回は塩谷がボランチに入り、富安が本職のストッパーに戻りましたが、結果は3失点。
 1点めのオーバーヘッドキックは交通事故のようなものでした。コーナーポストにあたって入ったんだから。吉田のマークはたしかに甘かったけど、体を接触させてアリが倒れたらイルマトフ主審はPKの笛を吹く可能性があった。
 問題は2点目のミドルシュート。あれは防げた。まわりに3人も日本のディフェンダーがいたんだから、挟み撃ちにすればいい。とくに正面で相対していた吉田はなぜ間合いを詰めなかったのか、理解に苦しんだ。トルクメニスタン戦の1失点めを彷彿とさせました。前半の2点目で事実上勝敗が決してしまった。なんとしてでも0-1で前半を踏ん張る必要がありましたね。
 2点差での後半、森保監督は一人のメンバーも入れ替えることなく、ゲームに入った。多くの人がコメントしているように、あそこは堂安を下げて、右に原口をまわし、左に乾を配するべきだった。こうすれば、ロシアW杯の陣形に戻り、長友と酒井はオーバーラップしやすくなって攻撃のバリエーションが増えたでしょう。とにかく森保は、乾を使わないと決めていたのでしょうね。あれだけの功労者を呼んでおいて干すとは何事か。五輪世代の堂安を育てたい気持ちはわかるけれども、場面はアジア杯の決勝なんだから勝ちにいかないと話にならない。


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BS11「歴史科学捜査班」再放送のお知らせ

再放送を視るコツ!?

 日本がカタールに圧倒されているアジア杯決勝の最中、深夜のガラケーにメールが飛び込んできた。BS11「歴史科学捜査班」の担当ディレクターからである。1月7日(月)に放送された「古代ミステリー 出雲大社 巨大神殿はあったのか?」 の放送が好評で、再放送が決まったそうである。「浅川さん部分も好評で」と書いてある。出演したわたしの感想はといえば、とりあえず着慣れないスーツ姿がさほど不自然でなく、デブにはみえなかったことに安堵した。番組の内容については、見るべき価値があったのは前半のみであり、後半の「出雲大社灯台説」以降は論外としか言いようがない。縄文時代の巨木信仰が平安まで継承されているなどという誇大(古代?)妄想の歴史観であり、青谷の楼観までもが巨木=高層の灯台だというが、青谷の部材は細いことが最大の特徴の一つであって、縄文の巨木とも平安の神殿とも無縁である。駒沢大学の教授によれば、出雲大社は縄文の巨木信仰をうけついだ海女族の灯台であり、 神門水海の汀線が今よりはるかに大社寄りにあったので船からよくみえたと主張している。この説に対して、ボーリングによって汀線を復元し、番組でコメントした地元の学芸員からは以下のメールを頂戴している。

   私への取材は、直接は古代における神門水海の状況についての聞き取りでした。
   御懸念のとおり、取材の中で、私見では、現在の出雲大社の位置は砂丘列の後背
   に当たり、少なくとも海から目立つ場所ではないと説明しましたが、その部分は
   生きていなかったようですね。

 実際そうしたコメントは消去されており、まるで「出雲大社灯台説」を裏付けるコメントのように使われていた。メディアとはこのような情報操作を平気でやってしまうものなのである。なお、制作会社から送られてきたDVDをゼミで学生にみせはしたのだが、後半は教育上好ましくないので割愛した。
 ただし、前半はそんなにわるくないですよ。八足門より内側の大社の風景は神聖な空気に溢れています。正月の放送をお見逃しの皆様はできれば再放送の前半のみご覧ください。以下、番組情報です。

 放送日時: 2019年2月17日(日)19:00~20:00(再放送)
 放送局: BS11
 番組タイトル: 歴史科学捜査班「古代ミステリー 出雲大社 巨大神殿はあったのか?」
 出演者: 宮本隆治(元NHKアナウンサー)他

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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