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2019卒業式

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卒業おめでとう!

 3月20日(水)、公立鳥取環境大学の卒業式がとりぎんホールで挙行されました。ASALABからは、あやかめさん、ゆずまるさん、小次郎さんの3名が卒業です。みなさんご卒業おめでとうございます。キプロス出張のため式を欠席された教授に代わり、会長さんが3人に卒業証書を渡されました。
 この学年は当研究室では珍しい女子ばかりで、初めはどうなるかと思いましたが、みなそれぞれの分野でゼミに貢献してくれました。これまで卒業した女子学生がゼミ室に顔を出す可能性は2パーセントほどだそうですが、こちらは大歓迎なのでぜひとも気軽に遊びに来てください!
 また有難いことに、卒業生の3人から記念品として、教授にポット、私にはマグカップをいただきました。ありがとうございます! そのお返しとして、教授と私から3人へ苔玉をプレゼントしました。大事に育ててあげてください。
 最後になりますが、みなさんと過ごした2年本当にお世話になりました。みなさんの今後のご活躍をお祈りいたします。本当にありがとうございました!(ザキオ)


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↑教授は別件もあり、いったん16日深夜には帰鳥され、17日にネコヤナギと菜の花で上の飾り付けをされたようです(わたしは岡山で就活中)。18日は半日、資料コピーで大学におられたそうですが、わたしとは入れ違いになってしまいました…


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氷の微笑-カーリング夢想2019(3)

 ネット情報ですが、ラトビア戦は圧勝したみたいですね。アイスドールはフィンランド戦後のインタビューで「出来の悪かったデンマークからの切り替え」について問われ、平然と「過ぎたことは忘れる」と言ってのけました。こりゃ手ごわい、いろんな意味で。
 ようやく5勝4敗まで戻してきましたが、残るはスイス、中国、スウェーデンであり、なんとしてでもスイスに勝たないと6勝6敗に持ちこめません。今回の中国は敗者復活予選からの勝ち上がりなのに憎たらしいくらい強いし、スウェーデンはオリンピック・チャンピオンだからね。今夜のスイス戦にかかっている。ただ、スウェーデンは日本に甘いところがあって、昨年のオリンピックでもラウンドロビンで負けてくれたから、最後はそれに頼ったりしてね・・・
 日本より下にスイス、ドイツ、アメリカ、デンマーク、フィンランド、ラトビアの6か国がいったとして、まだ7位か・・・これにカナダ、スコットランドが絡んでくるわけだ。スイスに勝てば望みがないわけじゃない。なによりアイスドールの出来次第だね。

 さて、昨夜のフィンランド戦のハーフブレイクで、両角コーチが「欲張るな」とアドバイスしていたのが印象的でした。悪夢のデンマーク戦は1回に2点とろうとしてスティールされ、そのあとも3点とろうとしてスチールされる場面があった。不調なときはダマでのピンフ1000点が効くんですよ。左下がりの運勢をちょこっとだけV字回復させる。その1000点は勝負に影響がない。しかし、流れを変える壱打になりうる。そのあと、2000点か3900点につなげて、そのうち満貫でドガンと逆転するチャンスが来る。
 複数点とれなくても、安定して1点とり続けることが大事なんじゃないかな。




氷の微笑-カーリング夢想2019(2)

 昨夜の日韓戦には失望しましたね。まるで、日本選手権決勝のLS北見の録画を巻き戻すように、中電は失点を重ねていきました。両角コーチは自分の前日ストーンチェックが甘かったからだと選手を庇っていましたが、10回投げるんだから中盤から立て直してこないとね。韓国だって1回にアイスが読めないで2点スチールされたけれども、そのあとは見事に回復したわけだから、日本の悲惨さは目に余るレベルでした。そもそもドイツ戦で逆転の勢いがあったのに、勝ち切れなかったあたりで、このチームは国内選手権での無双ぶりのメッキが剥げてきてしまっていて、続くロシア、韓国での負け方をみると、LSや道銀はつけいる隙があると微笑んでいるのではないかな。
 6戦終えて3勝3敗。苦しい展開です。まだ、中国、スウェーデン、スイスが残っている。スイスには勝ちたい。あとは中国をなんとしてでも引きずりおろしたいところです。最終的には6勝6敗ではなく、7勝5敗にしないとベスト6の決勝トーナメントには上がれないような予感がします。いまベスト6と予想されるのは、中国・韓国・スウェーデン・ロシアがほぼ確定で、残る2席を日本・スイス・ドイツが争うことになるんでしょうね。だから、ドイツには勝っておかなければならなかった・・・
 2016年の世界選手権と比較すると、LS北見はラウンドロビン(予選)を9勝2敗の2位で通過し、銀メダルを獲得したわけですが、ちょっとそのレベルではないことがみえてきましたね。この戦いぶりは、くりかえしますが、北海道勢を勇気づけるでしょう。

 しばし観戦。デンマーク戦はさらなる悪夢でした。組み立てはできているのですが、アイスドール北澤さんはクールな表情とは真逆のプレーを繰り返してしまった。あれは、前半でフォースを替えるべきだという、それほど悲惨な状態で、結果としてこれまで1勝もしていないデンマークにコンシード負け。これだと、LSのレベルには程遠く、昨年の富士通に近いというのが現実であります。
 明日からキプロスに旅立つので、TV視聴できなくなるのが残念ですが、こういうときは視ないほうがよいかもしれませんね。


環境学部の本チラシ_s_01
↑「環境学部の本」が3月28日に出版されます。わたしは書かない予定だったのですが、昨夏の体験が強烈だったので、その記録をとどめたいと筆をとりました。刊行後、正式に広報しますので。

氷の微笑-カーリング夢想2019(1)

中電無双!

 一昨日からカーリングの世界選手権が始まりましたね。落ち込んでいる暇などなく画面を凝視しています。
 今回出場している中部電力は、日本選手権でLS北見に三連勝したチームです。いまや国内では無双状態で、世界に出しても相当やるだろうという予感がしておりました。両角兄がコーチとなったことで技術と戦術に大変革がおきたようです。ベテランの清水をリザーブ、スキップだった松村をサードにまわし、若いセカンドの中島がスキップを担い、同級生の北澤をフォースに抜擢した。とくに北澤さんはアイスドールと呼ぶにふさわしい強心臓の持ち主で、ここで好成績を残せばいずれ解説者かキャスターになっていく人材かもしれません。
 海外も世代交代が進んでいます。ジェニファ・ジョーンズ(加)はいうに及ばず、ミュアヘッド(蘇)もホランド(加)も藤沢五月もめがね先輩(韓)もみな過去のレジェンドになりつつある。そして、今回の特徴は中韓の東アジア勢が非常に強いということです。おそらく2ヶ国とも決勝トーナメントに進むでしょう。

 日本は初日のスコットランド戦では10-4の圧勝(8回コンシード)、昨日の第2戦アメリカ戦は9-5で快勝(9回コンシード)、第3戦のドイツ戦も勝つだろうと予想していたのですが、どういうわけか、ドイツの調子がよく、最初から苦しい展開を強いられ、いったん持ち直したのですが、7-10で惜敗してしまいました。いまのところ2勝1敗で、今日のロシア戦、カナダ戦を1勝1敗で乗り切れば決勝トーナメント進出がみえてくるでしょう。
 目が離せませんよ!



↑これからしばらくビル・エバンスを貼り付けます。やっぱりこの人、レベルが違うわ。ピエール某さんと同じ薬中だったんだけど、ジャズの世界はみんなそうでね。ドルフィーも、トレーンも、マイルスも、ゲッツも・・・いくら書いても書ききれない。そうして早死にしていったミュージシャンが多いのだけれど、音楽が色褪せることはありません。それは歴史的な事実です。

陳従周先生生誕百周年(3)

さよなら、語言!

 中国留学時代の古いノートを引っ張り出して、汚い文字列を読み返してみた。今となっては貴重な資料である。
 1983年8月26日、北京語言学院での一年間の研修を終えて上海に向かった。午後7時、九楼前に集合すると、半年間同室だった武藤や、倉吉出身の鵜沼などの日本人の若者たちに加えて、カメルーンやネパールの留学生が見送りにきてくれた。北京での一年間、私は「北京語言学院六楼隊」というサッカーチームに属していて、左サイドバックでそこそこ勝利に貢献していた。チームメートは大半がアフリカ系の留学生であり、一部アジア系も含んでいて、そのメンバーが北京駅にまでついてきてくれたのである。あおちゃんとゆーぼうも駅に来ていて驚いた。家庭教師をしていた新聞社特派員のお子さんたちである。
 上海行きの夜行列車(21次特快)は午後9時8分、北京駅を出発した。切符がノートに貼り付けてある。「硬座特快臥(中)」とプリントされており、コンパートメント(軟臥)ではなく、硬い三段ベッドの中段で眠ったようだ。値段は43.10元。当時のレートを調べると、1元(中国)≒120円(日本)なので、日本円なら5,172円に換算できる。たしか軟臥は8,000円ぐらいだったと思う。記憶も記録も残っていないが、このチケットは自分で購入したのではなく、語言学院が買い与えてくれたような気がする。ちなみに、硬座(ハードシート)はつらいが、硬臥(ハードスリーパー)は快適である。寝台に横になれるわけだから、2~3日乗ってもさほど疲れない。目覚めると、車窓は江南の水郷地帯に変わっていて、それはまもなくわたしの研究主題になる風景であり、どれだけ眺めても飽きはしなかった。
 20時間近く列車に揺られ、翌27日の午後4時25分、上海駅に着いた。同済大学外事弁公室の劉利生氏と徐毓盛氏の出迎えをうけ、車で大学へ。留学生楼2階の2029号室をあてがわれた。木造ではあるが、十畳ばかりの大部屋だ。一般の学部留学生なら2人、中国人の学生なら4~6人の相部屋となるが、わたしは大学院生だったので特別扱いを受けたのである。


880826特快21次北京-上海


同済大学文遠楼接待室

 翌28日は譚垣教授(1903-96)の自邸に招かれた。谭先生は広東の出身で、解放以前にペンシルバニア大学(米)で建築を学び、帰国後は上海の范文照建築師事務所で設計に携わった。1931年から南京中央大学建築系教授となり、1937年には重慶大学建築系併任。1947年より之江大学教授。解放後、1952年より同済大学建築系教授となった。1918年生まれの陳先生より15歳年上で、1983年当時すでに80歳であり、日本でいえば名誉教授にあたるが、中国では教授は永遠に教授である。ちなみに同年、陳先生は65歳、わたしは26歳であった。
 翌29日は何もなかった・・・わけではない。一年前のこの日、ぼくは鳥取で結婚式をあげていた。新婚旅行は北京だった。1週間後、新婦は嬉々として帰国し、ぼくは一人ベソをかいて北京に残った。記念日なので、キャンパスをでて大きな郵便局から国際電話をかけて新婦と長話をした。月にいちどの浪費である。
 8月31日、同済大学文遠楼接待室に院儀三副教授(都市計画)、呉光祖副教授(建築史)、路秉傑副教授(建築史)、劉利生氏(外事弁公室)の4名が集結し、わたしの研究計画について話しあった。とくに呉氏の提案により、江蘇・浙江の民家を調査することを教育部に提出してみてはどうか、と言われ、有難く同意した。9月2日、再び文遠楼接待室へ。呉先生の紹介により建築系主任の羅小未教授と面会した。譚垣教授が開学当初のボスであり重鎮であるとすれば、羅教授は1983年当時の建築系リーダーであった。やはり広東の人で、解放前夜の1948年に上海の聖ヨハネ大学を卒業し、解放後、同済大学に着任した。専門は建築理論・西洋建築/近代建築史。後に『時代建築』誌の主編者となる。あの日も最新の『時代建築』を1冊贈呈された記憶がある。また数年後に来日され、奈文研で再会した際、枯山水に大変興味があると仰っていた。



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環境大学地域連携事業報告会(2)

「賽の河原」の風景-摩尼山地蔵堂の考証と復元

 2018年度公立鳥取環境大学学内特別研究費地域連携事業成果報告会の時間配分が固まりましたので、小生の発表題目・概要とあわせてお知らせします。

【平成30年度 研究報告会】 
 日時: 平成31年5月8日(水)13時30分~16時30分
 会場: 公立鳥取環境大学 学生センター2階多目的スペース
 定員: 200名
 参加料: 無料
 主催: 公立鳥取環境大学地域イノベーション研究センター
  (プログラム)  ☆報告時間 各20分/人 ※質疑含める
  13:30~13:35  開会挨拶 
  13:35~14:55  4演題  
   ①13:35~13:55戸苅 ②13:55~14:15山本 ③14:15~14:35重田 
  
④14:35~14:55 浅川
 演題: 「賽の河原」の風景-摩尼山地蔵堂の考証と復元
 概要: 鳥取市覚寺の摩尼山は大山・三徳山と並ぶ天台宗の拠点的霊山であり、因幡の民の霊魂は必ず摩尼山に滞留してから昇天すると信じられてきた。その淵源は平安時代中期に遡り、18世紀まで境内は山頂に近い「奥の院」にあった。2009年以来、「奥の院」の発掘や境内建造物の調査に取り組み、その成果によって摩尼山南半は2016年に国登録記念物となった。日本最大の面積(約37万k㎡)を誇る登録名勝が県内に誕生したのである。2018年度はこれまで未調査地であった鷲ヶ峰「賽の河原」の研究に取り組んだ。荒地に近い「賽の河原」が明治末に整備されて地蔵堂等が建ち並んでいたが、今は遺跡化している。整備事業に資するため、辺土の歴史をたどり、景観をCGで再現する。

  14:55~15:05  (休憩/10分)
  15:05~16:25  4演題   
   ⑤15:05~15:25門木 ⑥15:25~15:45倉持  ⑦15:45~16:05磯野 
    ⑧16:05~16:25太田
   
  16:25~16:30  閉会挨拶           
 ※報告会に際して、概要を記した配布用資料(A4用紙1枚程度)を準備。

[参考サイト]
環境大学地域連携事業報告会(1)
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1996.html
2018年度 公立鳥取環境大学学内特別研究費に新規採択!
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1824.html

陳従周先生生誕百周年(2)

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『山湖処処』詩集から

 『陳従周詩詞集 山湖処処』(浙江人民出版社・1985:p.28)に以下の詩を発見したので転載しておく。これからも、折に触れて先生の詩を引用したいと思ってるが、訳は難しい。

*関口欣也先生のご逝去に因み、以下二篇の詩の和訳を更新したので、以下のサイトを参照されたい。
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2227.html   2020年5月28日追記

浙遊雑詩
 1980年、日本の工学博士、横浜国立大学助教授の関口欣也君が同済大学に留学してきた。わたしが指導した。いっしょに浙江省中部に赴き見学・調査した。たまたま感ずるところあり、詩にして記録した。これを友人の横山正、田中淡両君にもみせた。

 武義延福寺(*1)

軽舟導夢到桃渓  小舟にのれば桃渓に行く夢をみる
延福相迎喜上眉  延福寺は眉をあげて喜び迎えてくれるだろう  
我未忘情重到此  私はここを再訪したい気持ちを忘れてはいない
風雲十裁記依稀  千切れた風雲をぼんやり覚えている

 延福寺は武義桃渓(*2)にあり、以前わたしは正殿が元代延佑四年(1317)の建築であると鑑定し、論文を「文化大革命」前夜に発表した。


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陳従周先生生誕百周年(1)

文人と園林

 中国に恩師が二人いる。一人は楊鴻勛先生(中国社会科学院考古研究所・建築考古学)である。昨年、福州大学での記念シンポジウムに参加させていただいた。楊先生は二人めの指導教官である。すでに奈文研に就職していた1992年に学術振興会特定国派遣研究員として中国社会科学院考古研究所等で「中国早期建築の民族考古学的研究」に携わった際に指導していただいた。
 最初の指導教官は陳従周先生(同済大学・庭園史)であった。大学院時代、中国に留学した1982~84年の後半一年間、同済大学建築系で「長江下流域明清時代住宅調査」に取り組んだ際の指導教官である。陳先生は同済大学建築系の教授であり、国内ではひろく江南園林の研究者・作庭家として知られた方だが、それ以上に「文人」としての匂いを残す稀有の教養人として知られていた。そもそも陳先生は、之江大学(現浙江大学)の文学部を卒業されており、若いころは徐志摩という詩人の研究に没頭されていた。そこから建築と園林(庭園)の専門家に転じられるのだが、先生にとっては建築よりも園林がはるかに重要な研究対象であった。ただし、中国の「園林」とは、その文字面と異なって、樹木や池水の占める面積比率は大きくない。建築の占める面積がひろいので、園林研究は建築系の学科が担当する。日本庭園の研究が農学部の主題であるのとは対照的であろう。
 陳先生は作庭に持論をもっておられた。曰く、「中国で園林をつくる者は職人や技術者ではなく、文人である。文・詩・書・画・戯曲などに長けた人物でなければ庭は作れない」。陳先生はそうした文人としての作庭家の代表であった。
 
 昨年は陳先生の生誕百周年にあたり、浙江大学でシンポジウムが開催され、その成果文集を出版するとのことで、最近わたしにも執筆の打診が届いた。あれだけの恩人の記念事業に関わらせていただくこと、とても嬉しく思い、もちろん即答で快諾した次第である。この正月には母校を訪問したばかりであり、まことに良いタイミングで依頼を頂戴したものだと感謝している。
 その後、論文ではなく、随想でよいという情報がもたらされた。雑文書きを得意とする私としては、さらに気持ちが上向いてきている。しかしながら、同済大学で陳先生の指導を受けたのは35年前のことであり、忘却の彼方になってしまったところが多いので、ここはまず基礎情報を整理しようと思うに至った。
 というわけで、初回はまず陳先生の簡単な年表づくりに取り組んでみる。この作業はそんなに楽ではなかった。まず中国のネット制限が厳しく、グーグルを始めとする自由主義陣営の検索エンジンが上手く機能しない。中国の場合、「百度」というエンジンが有効です。それにしても、中国語の力は錆びついており、翻訳自体容易ではなく、その前提となる簡体字と繁体字の変換すら危ないもので、結構時間がかかりました。えんやこら・・・


陈从周先生01若いころ01 陳先生の晩年 ←陳従周先生 (左)青年期 (右)晩年



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沈丁花

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苔玉返礼

 週明けに大学に出てみると、部屋のドアノブに袋入りの何かが吊り下げてあった。なにこれ、と訝しく眺めていると、院生のザキオ君が戻ってきた。卒業生からの贈答品だと聞いて仰天し、ただちにお礼のメールを送信した。わたしがいただいたのは、tea and coffee server TIME で、ザキオ君によると、非常に保温性能が高いティーポットだとのこと。中国茶を愛していますから、有難い品物です。一方、ザキオ君への贈り物は蓋付きThermos mag cup でありまして、TIME より高そうにみえるんだな、これが(笑)。
 急いで返礼を用意せねばならんと、6日午前、智頭宿に飛びました。あいにく駐車場ののど元にある土産物店は定休日でしたが、所望の「苔玉」は店頭で無人販売してあり、人数分だけ買い揃えることができました。沈丁花2株、樹種不明1株、蝋梅1株。車は打って返しで大学方向に戻り、ダイソーでガラスの器も買い揃え、活けてみたのが上の状態です。


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片柴 梅の空き家

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七転八起-道はひとつだ!

 3月5日(土)。会長さんの紹介で、東伯郡三朝町片柴にある空き家になった古民家Y家を見学してきました。本来なら11時30分頃に下宿を出発し、13時までに現場い到着しなければならなかったのですが、私のミスによって30分遅刻してしまいました。この場を借りてお詫び申し上げます。三朝町の教育長を始め、ご参集いただきました皆様、本当に申し訳ありませんでした。
 今回は「下見」です。町の観光課の担当者が家人から聴き取りした情報によると、Y家は明治37年(1904)、すなわち115年前の建築だそうです。家主の方は現在東京在住で、2016年から空き家となっています。敷地には、大型の主屋が前庭に面して建ち、その背面に土蔵群が軒を連ねています。


0305片柴00しちてんばっき01 0305片柴00時計


 主屋の玄関を入ると、トオリニワ(土間)はすでになくなっており、壁や柱なども一部新しい材が目につきました。右奥の部屋には囲炉裏の煙を逃がす排煙口を発見し、その近くには大黒柱もありました。改造が激しいので、まだ当初の姿がイメージできませんが、広間型から展開した六間取りかと想像しています。今は中二階型の桟瓦葺ですが、当初が茅葺であったのは間違いないと思います。


190305旧岩也家内部01 190305旧岩也家内部02 排煙口跡
↑背面側のイロリ間 ↓前側の居間
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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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