fc2ブログ

2018地域イノベーション研究 vol.6 刊行

 img097表紙


「賽の河原」の風景

 昨年度(2018)の公立鳥取環境大学特別研究費助成「登録記念物『摩尼山』の景観整備に関する基礎的研究-賽の河原と地蔵堂の復元を中心に-」の成果論文が本学地域イノベーション研究センターの年報に掲載されました。論文の内容は5月8日の環境大学地域連携事業報告会の講演に基づくものです。畏れ多くも、新天皇即位後はじめての論文になります(これより先に中国語の論文を書いていたのですが、刊行は秋ごろになる見込み)。
 以下に論文の基礎情報を示します。

  浅川滋男(2019)
  「『賽の河原』の風景-摩尼山地蔵堂の考証と復元-」
  『地域イノベーション研究』vol.6(2018年度):pp.17-37
  発行: 公立鳥取環境大学地域イノベ―ション研究センター
       令和元年(2019) 7月
  構成:
      1.序論
      2.摩尼山鷲ヶ峰と「賽の河原」
      3.三祖堂と地蔵堂
      4.明治以降の境内と地蔵堂
      5.地蔵堂の構造形式と類例分析
      6.鷲ヶ峰地蔵堂跡の遺構解釈と復元
      7.鷲ヶ峰の鐘楼
      8.復元連続立面図と復元CG

  論文は以下のサイトよりダウンロードできます。

http://www.kankyo-u.ac.jp/research/innovation/publication/business-report/20190730/



摩尼寺護摩焚き・山道(旧参道)巡り

0901摩尼寺イベント_01web

人のおごりと慢心を戒める寺

 この四月に救急車で運ばれ、著しく体調を崩したことで日々の生活を反省し、休会していたシュガー・ナックル・ボクシングジムを5月末に再開しました。週に一度、わずか一時間のペースですが、体調は恢復に向かっていきました。やはり人間は動かなければいけません。なによりジムを再開したことで、馴染みのメンバーはとても喜んでくれました。本当にありがたいことです。おかげでシュガーな経験をしてしまい、味をしめたエドガー君からまた誘惑があったりして、ぐふふ・・・

 さて、奇遇なことに、シュガー・ナックル・ボクシングジムはこの9月1日に摩尼寺でのイベントを開催します。今秋はとくにイベントを計画していないので、ぜひとも参加し、日ごろの恩に報いねばと思う気持ちがあって、ここにチラシを掲載する次第ですが、わたし自身の日程はかなり厳しい状態です。すでに恒例になってしまいましたが、この夏もブータン・チベット方面に出かけます。いまのところ次のようになっています。

 8月20~27日: 四川高原カンゼ・チベット族自治区
 9月4~11日: ブータン調査(プナカ~ポプジカ

 27日に帰国して体調が回復しているようなら参加したいと思っています。ただ、ほんに体調だけはあてにならないから・・・
 あとは、精進弁当を推奨しますかね。税込み1,080円。経験上、みんな喜んでくれますから。

0901摩尼寺イベント_02

『鳥取県の民家』を訪ねて(16)

2019年度人間環境実習・演習B 期末発表会のお知らせ

 早くも前期末です。「『鳥取県の民家』を訪ねて」を主題とする人間環境実習・演習B(3年次)は中間発表会以降も順調に調査研究を重ねてきました。発表会は以下のように月末になります。6つのゼミを2班に分けての発表会で、ASALABはランドスケープ及びインテリアのゼミと同室です。

 日時: 7月31日(水)4限~  *14:40より3ゼミ全体で90分程度
 会場: 人間環境演習室(4409演習室)
 発表構成(案):

  1. 前期後半の活動(藤井・佐藤)
  2. 昭和40~50年代の鳥取(蔵田)
  3. 民家変容のパターン(沼野)
  4. 二つの関係文献から(藤井・井上)

 お暇な方はどうぞご来場ください。



続きを読む

『鳥取県の民家』を訪ねて(15)

0709松本家01茅葺01妻01 庭からみたオモヤ背面側


№029⑨松本家住宅 2回目の調査

 7月9日(火)、晴れ。鳥取市北部に広がる江津地区の№029⑨松本家住宅 は前回(6月12日)の調査時にご不在であったので、その後、先生が何度も電話されて調査の内容を説明し、ようやく内部の調査を実施する日を迎えた。
 インターホンを押すと元気で気品のある奥様が玄関まで迎えにこられ、すぐに「お茶でも飲みますか?」とのお誘いをうけた。床の間のある奥座敷に通され、和風のテーブルで冷たい麦茶とお茶菓子をいただいた。とても暑い日だったので冷茶が身に染みてありがたかった。世間話もそこそこに家と民家の変遷についてかなり詳しいお話を聞かせていただいた。


0709報告書1974 松本家外観 報告書1974


 松本家の建物は200年前ぐらいから続いているそうだが、大庄屋としての最盛期は江戸中期に迎えたというから、現存する幕末の建物は最盛期後の再建ということになるのだろう。しかし、農地改革により多くの土地を失い現在に至る。
 松本家の所在する江津は千代川の河口に近く、古くから川が暴れて流路を変えた。その詳細は橋本寿雄(1983) 『千代水村誌』に記載されている。驚いたことに、茅葺屋根をいちど総改修した際には屋根裏から水車が三基も見つかったそうだ。


0709松本家01茅葺02座敷01 0709松本家01茅葺02座敷01sam


 数年前に屋敷林を伐り、ソーラーパネルを設置したことで、今のように茅葺が外からも見えるようになったのだという。さらに、40年ほど前、奥様の嫁入りのさいにも水まわりなどを近代的に改修されたそうだ。内部改造が多いので、文化財指定は早くから見送りとしたが、登録については検討された時期もあったようだ。しかし、ご主人が「指定・登録しなくていい」との遺言を残されたため、文化財保護の対象となる考えはない。そうしたお気持ちでありながら、茅葺き露出の屋根を継承されている点はあっぱれというほかない。茅葺きには郡家の職人さんを使われ、4面のうち1面ずつ4回にわけて葺き替えをおこなわれるという。


0709松本家06旧駐車場01 駐車場を改装した洋間



続きを読む

『鳥取県の民家』を訪ねて(14)

小椋家空撮 調査の様子(ドローン)


№040⑯小椋家

 6月26日(水)、くもり。三徳山を下りた後、No.040⑯小椋家を訪ねた。東伯郡三朝町木地山に所在しており、木地屋集落といわれるほど木地屋(ろくろを使って木材をくりぬき漆器等の素地をつくる職人)が多い地域であった。報告書によると、当家は幕末に建てられた民家であり、木地師の生業を物語る大小の作品を所蔵している。土間を張り出した五間取りになっているけれども、当初は入側柱を取り込んだ広間型三間取(↓左)に復原される。『鳥取県の民家』報告書刊行後、三朝町の指定文化財になったが、平成28年(2016)、相続者から民家の管理が難しいという申請を受けて指定が解除された。


040小椋家02平面図 040小椋家01配置図


 当家は空き家であるため、近隣住民からのヒアリングを試みたが、あたりを探しても誰一人見当たらない。そこで会長さんが自治会長のお宅を探し、なんとかドローン空撮の許可をいただいた。このほかGPSカメラ・一眼レフでの撮影、調書取りなどをおこなった。
 そうこうしているうちに夕方5時を過ぎ、向かいのご主人が帰宅されたので短い時間だったがヒアリングをおこなうことができた。


0626木地yama01小椋03 小椋家外観
↑現状外観  ↓報告書掲載写真(1974)
040小椋家03立面写真02 調査の様子(調書)


 当家は茅葺屋根に鉄板を被せた入母屋造平入平屋建である。オモヤの現在の屋根は茅葺屋根鉄板被覆だが、『鳥取県の民家』調査時(1972)では鉄板被覆はされておらず、茅葺が露出している(↑)。軒下から見上げると、屋根の茅がかなり抜け落ちて薄くなっており、それを補うために鉄板をかぶせたのかもしれない。付属屋は土蔵2棟とみそ蔵を確認したが、屋根が崩れていた。これらは報告書掲載の配置図にも描かれているが、オモヤ上手のハナレは配置図に描かれていないので、おそらく昭和50年代の新築であろう。


茅葺屋根 付属屋(土蔵)


続きを読む

必殺草鞋人

0626三徳山001案内板02web 0626三徳山001案内板01sam


空飛ぶ投入堂

 6月26日(水)、梅雨入り前日の日に教授、会長、院生・学生7名で三徳山に登りました。13:30に登山口に集合、おそるおそると石段を踏みあがります。私(バレー)と3年の月市くんは、入山口での靴のチェック後、草鞋で登山に挑戦することになりました。登山歴10年目にして初めての草履登山にワクワクしました。


0626三徳山003承01かずら03草鞋01 0626三徳山003承01かずら01


 三徳山三仏寺奥院投入堂は7世紀に役行者(えんのぎょうしゃ)が開き、9世紀に円仁が再興したと縁起にいう天台宗の古刹です。役行者とは、数々の不可思議な事績を残した伝説上の偉大な修行者で、修験道の開祖として崇められてきた存在です。これをたんなる伝承上の人物と切り捨てる意見とともに、全国で役行者の係る霊山があまりに多いので、複数の修行者の総称として捉える向きもあるようです。一方、円仁は比叡山延暦寺の第三代座主ですが、円仁開山とする仏寺は全国に六百以上あり、円仁伝承自体を後世の附会とみるのが常識的です。


0626三徳山003起01 0626三徳山003承01かずら02縦sam


 縁起はともかくとして、三朝町の三徳山は県内有数の密教・修験道の修行場であり、道中険しい難所が度々出てきました。はじめの難所は「かづら坂」です。木の根っこを頼りに急斜面を上ります。かづら坂を抜けた後は山道を進みます。第二の難所である「くさり場」では、鎖をを手にして岩場を登りました。 登った先に桃山時代の文殊堂と地蔵堂があらわれます。その後、納経堂、観音堂、元結掛堂などを経て、奥の院の投入堂に至ります。
 会長のお話によると、死ぬような思いをして登った先にある文珠堂や地蔵堂に到達することで生き返った気持ちになる。登山で生死を体験することが修行になるそうです。


0626三徳山004転01くさり坂01 0626三徳山003承02縦web


  登山開始から1時間後、投入堂に到着しました。投入堂は懸造の仏堂で、軟らか いう下側の凝灰岩層と硬い上側の玄武岩層の境に建っています。 岩陰に建っている建物を見ると、去年の夏に行ったブータンの崖寺や瞑想洞穴が思い出されます。国は違えど、やはり修行の場は厳しい場所にあるのだなぁと思いました。


0626三徳山005結02投入堂02不動堂01 0626三徳山005結02投入堂01
↑右側の小堂は「不動堂」です


続きを読む

入梅前のこと(4)-友人の訃報

ユニフォーム


さよなら、山村

 6月21日(金)未明、大学サッカーチームの同窓、山村正光くんが逝去した。30代から苦しんでいた白血病が近年再発し、一年半ばかりの入院と闘病の結果である。一昨年の同窓会では、久しぶりの再会に鳥取駅で抱き合った記憶が生々しい。
 通夜は24日(月)、葬儀は25日(火)であり、いずれも勤務日で出席は叶わぬので、思い切って浜松の実家に電話し、土曜日に焼香にあがりたいとお願いしたところ、電話に出られた弟さんにご快諾いただき、22日、奈良の家から浜松に向かった。第二名神に乗るのは初めての経験であり、250キロ以上の距離を遠く感じた。
 浜松市倉松町の実家は二度目の訪問になる。今から十年ばかり前、山村の奥様が急逝された。東京にいる友人と二人、浜松駅で待ち合わせて倉松町の実家を訪ね、焼香させていただいたのである。今回、風景の記憶はあったが、道には迷った。カーナビの導く道が狭すぎて通り過ぎてしまい、彼の家のまわりをぐるぐるまわってなんとかたどり着いた。
 弟さん二人と娘さんが出迎えてくださった。奥の座敷に案内されると、遺体が布団にくるまれ横たわっていた。穏やかで良い顔をしている。枕元にFCゼクストン(京大文学部サッカー同好会)のユニフォームや記念ボールが飾ってあったので、写真を撮らせていただけますか、とお願いしたところ、この件もご快諾いただいた。記念ボール以外は棺に納めて遺体とともに火葬するという。
 いまにも口を開きそうな遺体に間近で接し、この場所に来たのは大正解だと思った。通夜や告別式ではすでに棺に収まってしまい、参列者も多いであろうから、まるで生きているような山村に接することはできないだろうと思ったからである。かれは本当に雑談に加わってきそうな気配すらあったので、遺体を前にして誰もじめじめしていない。思い出話を明るくさせていただいた。
 きっと山村も彼岸で奥様と再会し明るくおしゃべりしていることだろう。仲のよい理想のカップルであり、その一粒種のお嬢さんもこれからが楽しみな逸材だと感心しきりの半時間だった。

 お二人の、ご冥福をお祈り申し上げます。

入梅前のこと(3)

2019古代都城の空間操作01表紙


 アメリカが連覇しましたね。サッカーの女子W杯です。どうしても、日本を倒したオランダを応援したくなりましたが、アメリカの底力は桁違いのものでした。ヨーロッパがアジアに取って代わった今大会の勢力構造の変化のなかで、ひとりアメリカだけが旧態然として最強の力を誇示している。ワンバック+ソロの時代よりも今のほうが強いのではないか、と思わせるほどでした。地元フランス、イングランド、オランドを倒しての優勝は価値あるものです。対して、日本はね・・・オーラがありません。ベスト4以上の舞台にふさわしいと感じたのは岩渕選手一人だけだった。東京五輪では、せめてベスト8に入ってほしい。

古代都城の空間操作と荘厳

 さて、もう3週間近く前に遡りますが、研究所時代の同僚から新作の書籍が送られてきました。研究所入所は先輩でしたが、同い歳であり、たびたび同じ現場班で平城を掘り、同時(2001年3月)に退所して大学に移りました。しかし、能力には雲泥の差があった。著者に対するまわりの評価は「数学者のような考古学者」であり、発掘の技術も最上位級ということで羨望の眼差しを集めていた方です。新著のタイトルは上下に示すとおりであります。なにぶん都城を主題としているだけに、ページを開く前はおもに研究所時代の論考をまとめたものかと予想していたのですが、いざ中身をみると、さほどに古い考察は一篇だけで、他はすべて退所以降のものでした。このあたりも、わたしと全然ちがいます。
 目次と書籍情報を掲載させていただきます。

著者: 岩永 省三(九州大学総合研究博物館 教授)
書題: 古代都城の空間操作と荘厳

   序論
 1.大嘗宮移動論-幻想の議政官合議制-
 2.大嘗宮移動論補説
 3.大嘗宮の附属施設
 4.内裏改作論
 5.二重権力空間構造論-並列御在所の歴史的評価-
 6.古代都城における帝国標章の浮沈
 7.日本における都城制の受容と変容
 8.老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景
 9.正倉院正倉の奈良時代平瓦をめぐる諸問題
 10.頭塔の系譜と造立事情
 11.段台状仏塔の構造と系譜
 12.蟹満寺本尊・薬師寺金堂本尊をめぐる諸問題
   あとがき

出版社:: すいれん舎 (2019/6/7)  A5版 484ページ 5,500円+税
ISBN-10: 4863695829    ISBN-13: 978-4863695825
  
 アマゾンの内容紹介によると、「古代天皇大嘗宮の移動に隠されたものは何か、天皇の宮と譲位した太上天皇の宮の関係はどうだったのか。古代天皇の代替わり遺跡を紐解き、古代王権の本質に迫る労作」となっており、天皇交替の昨今にうってつけであり、専門書にしては値段も手ごろなので、よく売れるのではないかと期待されます。



続きを読む

入梅前のこと(2)

2019火薬庫01二材02 2019火薬庫01二材01


旧陸軍弾薬貯蔵施設の建築部材

 6月17日(月)、奈良の家から鳥取に戻る途中の時間を使って某府文化財センターの分室を訪れた。高速道路の高架下にある施設で、カーナビを使っても右往左往の連続。結局、地下鉄駅前のバス亭まで迎えにきていただいた。
 さて、この機関の名称に注目したい。公立の埋蔵文化財センターではなく、公財の文化財センターである。名称に「埋蔵」があるかないかは大問題であり、かつてわたしたち非考古系の文化財技師は「埋蔵文化財センター」を「文化財センター」に改組することを懇願し続けたものだが、いっさい状況が変わることはなかった。日本の文化財とは埋蔵文化財であり、文化財主事(技師)とは考古系の発掘調査員にほかならなかった。そういう時代がバブル期に延々と続き、その後遺症に全国が悩んでいる。
 いまはむしろ考古系の技師たちが「文化財センター」への改組を願うようになってきている。開発に伴う行政発掘の仕事がなくなってしまい、バブル期に採用された考古屋さんたちの行き場がなくなってしまったからである。某府の場合、余った人員を高速道路工事を抱える鳥取県などの地方自治体に貸し出してきたわけだが、その鳥取県でも高速の工事はほぼ終わりつつあり、他府県と同様、県内の余剰人員の扱いをどうするか、で頭を悩ませ始めている。「埋蔵文化財センター」が「文化財センター」になり、調査研究の対象が建造物・庭園・工芸美術などに拡大したとしても、それらに向き合う人材は変わらない。ほぼ全員が考古系であって、人間の嗜好や能力がそう簡単に変わるはずはないことを私たちはよく知っている。そこにはまた別の問題がおきつつある。


2019火薬庫02梁02 2019火薬庫02梁01 



続きを読む

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
06 | 2019/07 | 08
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR