科学的年代測定と建築史研究(1)
1.建築年代と科学的年代測定
(1)年代判定の三角形
建築年代を知る手がかりとして、文字(及び画像)史料・様式・科学的年代測定データの3種の資料がある。文字史料のなかで「棟札」は突出して高い価値を有する。建物の造営時に屋根裏の部材に貼り付ける祈祷札であり、そこに記された年代は建築年代そのものを反映するからである。同じ文字史料でも、縁起書・家伝書・地方志などは、執筆時から隔たるほど、記載内容の信頼性が薄弱になる。また、建築細部の「様式」によりおおよその建築年代を推定できる。たとえば社寺建築の場合、虹梁・木鼻・蟇股などの建築細部の形状や線刻模様(絵様)などの変動を通時的に把握し、当該の遺構と比較して建築年代を判定する。考古学における土器型式の編年のようなものである。ただし、細部様式により推定された年代の幅は30~50 年あり、年代の特定が可能なわけではない。こうした建築年代の曖昧さを克服するため、科学的年代測定の手法を建築部材に適用しようという動きが1980年代から活発になってきている[浅川・原島編2014, 2015]。
(2)放射性炭素年代測定と年輪年代測定
科学的年代測定のうち放射性炭素年代測定(radiocarbon dating)は古くから先史考古学の分野で多用されてきた。有機物に含まれる炭素14(14C)の半減期(5,568年)を利用した年代測定法であるため誤差が100年以上に及ぶほど大きく、石器時代遺物の年代判定にはある程度有効だが、歴史考古学・建築史学には不向きであると長く認識されてきた。なお、14C半減期については、1947~1950年に放射性炭素年代測定法を開発したウィラード・フランク・リビー(Willard Frank Libby)博士が採用した5,568年を現在も採用している。リビーの半減期は過去の大気中の14C濃度が一定であったという仮定のもとに算出されたが、その後、過去の大気中の14C濃度は必ずしも一定ではなかったという説が有力視され、より確からしい半減期として5,730年が示されネット上でもこの値をよくみかける。しかし、半減期の値が変わるたびに14C年代を書き換えるという混乱を避けるため、半減期は5,568年を使うことが国際的に決定して今に至る。
放射性炭素年代の曖昧さを乗りこえるため、奈良文化財研究所(奈文研)年代学研究室はおもにドイツ考古学の影響のもとに、年輪幅の変動により年代を特定する年輪年代学(dendrochronology)の技術的向上に邁進してきている。気候条件のほぼ一定なエリアにおいて古今あらゆる時代の木材をできる限り集成し、年輪幅の平均値から標準年輪曲線を作成する。これが基準となって、新たな対象材の年代を測定する場合、その年輪幅の変動曲線を標準年輪曲線と対照することで、一年刻みの正確な年代を知ることができるのである。ただし、測定対象となる材種はスギ・ヒノキ等一部の針葉樹に限られ、また木材年輪が少なくとも100 年以上(できれば200年程度)残存し、しかも年輪が幅1~2mm程度の密度をもってほぼ均等に並ぶことを必要条件とする。また、年輪年代測定に取り組む研究機関が奈文研だけであったため、測定結果のクロスチェックができない、という批判にも晒されてきた。
(3) 出雲大社境内遺跡の年代測定
近年、放射性炭素年代測定は加速器質量分析法(Accelerator Mass Spectrometer = AMS 法:1点計測)とウイグルマッチ法(wiggle-matching = 年輪の暦年較正による年代補正:3点計測)の開発によって精度をおおいに高めている。2000~2001年におこなわれた出雲大社境内遺跡(島根県)の発掘調査はこうした高精度の放射性炭素年代測定の評価に画期をもたらした。出雲大社境内遺跡の大型本殿跡では3本の丸太を束ねた直径約3mの柱材が3ヶ所で発見され、まず辺材を含む2本の柱根と柱穴に含まれる落葉の放射性炭素年代が測定され、以下の暦年代(cal)を得た[浅川2005, 2013, 浅川編2013]。
①宇豆柱(棟持柱)南柱材:1215~1240 cal AD
②心柱北柱材:1212±15 cal AD(以上、ウィグルマッチ法 国立歴史民俗博物館測定)
③宇豆柱の柱穴から出土した落葉:1242~1280 cal AD(AMS法・名古屋大学測定)
①②は木材の伐採時に近い年代を示すのに対して、③は建設中(立柱の過程)の年代を反映している。①~③はすべてスギ材で、年輪数は130層前後を数え、材種・年輪数の基本条件を満たしているが、年輪の幅に粗密がありすぎて、年輪年代測定には不向きであると判断された。一方、心柱の下側から発見された礎板(柱の不同沈下を防ぐ板状の材)は、年輪が280層に及び、ほぼ均等かつ密に並んだ辺材型であることから奈文研は年代測定に取り組み、最外層が1227年であることを明らかにした。上記①②と同じく、樹皮に近い辺材の年代であることから、1227年より若干遅れた時期に伐採された材であることが分かる。従来は測定年代に100年前後の開きがあった年輪年代と放射性炭素年代がみごとに整合し、当時の関係者は驚嘆の眼差しでこの結果を受けとめたことを生々しく思い出す。そして、③柱穴中落葉の年代を重視するならば、出雲大社境内遺跡の大型本殿跡(推定高40m以上)は文献史料に多出する平安時代後半(11~12世紀)の遺構ではなく、鎌倉時代に入ってまもない宝治二年(1248)造営の本殿である蓋然性が一気に高まったのである。
出雲大社境内遺跡大型本殿跡における科学的年代測定の結果は、年輪年代と放射性炭素年代双方の信頼性をおおいに高めた。とりわけ、歴史考古学・建築史学の分野には不向きとされてきた放射性炭素年代は、AMS法とウィグルマッチ法という高精度測定手法の開発により、以後、歴史的建造物の年代判定の有力手段となっていく[中尾2009・2011、上野・中尾2012、浅川編2013bなど]。
(1)年代判定の三角形
建築年代を知る手がかりとして、文字(及び画像)史料・様式・科学的年代測定データの3種の資料がある。文字史料のなかで「棟札」は突出して高い価値を有する。建物の造営時に屋根裏の部材に貼り付ける祈祷札であり、そこに記された年代は建築年代そのものを反映するからである。同じ文字史料でも、縁起書・家伝書・地方志などは、執筆時から隔たるほど、記載内容の信頼性が薄弱になる。また、建築細部の「様式」によりおおよその建築年代を推定できる。たとえば社寺建築の場合、虹梁・木鼻・蟇股などの建築細部の形状や線刻模様(絵様)などの変動を通時的に把握し、当該の遺構と比較して建築年代を判定する。考古学における土器型式の編年のようなものである。ただし、細部様式により推定された年代の幅は30~50 年あり、年代の特定が可能なわけではない。こうした建築年代の曖昧さを克服するため、科学的年代測定の手法を建築部材に適用しようという動きが1980年代から活発になってきている[浅川・原島編2014, 2015]。
(2)放射性炭素年代測定と年輪年代測定
科学的年代測定のうち放射性炭素年代測定(radiocarbon dating)は古くから先史考古学の分野で多用されてきた。有機物に含まれる炭素14(14C)の半減期(5,568年)を利用した年代測定法であるため誤差が100年以上に及ぶほど大きく、石器時代遺物の年代判定にはある程度有効だが、歴史考古学・建築史学には不向きであると長く認識されてきた。なお、14C半減期については、1947~1950年に放射性炭素年代測定法を開発したウィラード・フランク・リビー(Willard Frank Libby)博士が採用した5,568年を現在も採用している。リビーの半減期は過去の大気中の14C濃度が一定であったという仮定のもとに算出されたが、その後、過去の大気中の14C濃度は必ずしも一定ではなかったという説が有力視され、より確からしい半減期として5,730年が示されネット上でもこの値をよくみかける。しかし、半減期の値が変わるたびに14C年代を書き換えるという混乱を避けるため、半減期は5,568年を使うことが国際的に決定して今に至る。
放射性炭素年代の曖昧さを乗りこえるため、奈良文化財研究所(奈文研)年代学研究室はおもにドイツ考古学の影響のもとに、年輪幅の変動により年代を特定する年輪年代学(dendrochronology)の技術的向上に邁進してきている。気候条件のほぼ一定なエリアにおいて古今あらゆる時代の木材をできる限り集成し、年輪幅の平均値から標準年輪曲線を作成する。これが基準となって、新たな対象材の年代を測定する場合、その年輪幅の変動曲線を標準年輪曲線と対照することで、一年刻みの正確な年代を知ることができるのである。ただし、測定対象となる材種はスギ・ヒノキ等一部の針葉樹に限られ、また木材年輪が少なくとも100 年以上(できれば200年程度)残存し、しかも年輪が幅1~2mm程度の密度をもってほぼ均等に並ぶことを必要条件とする。また、年輪年代測定に取り組む研究機関が奈文研だけであったため、測定結果のクロスチェックができない、という批判にも晒されてきた。
(3) 出雲大社境内遺跡の年代測定
近年、放射性炭素年代測定は加速器質量分析法(Accelerator Mass Spectrometer = AMS 法:1点計測)とウイグルマッチ法(wiggle-matching = 年輪の暦年較正による年代補正:3点計測)の開発によって精度をおおいに高めている。2000~2001年におこなわれた出雲大社境内遺跡(島根県)の発掘調査はこうした高精度の放射性炭素年代測定の評価に画期をもたらした。出雲大社境内遺跡の大型本殿跡では3本の丸太を束ねた直径約3mの柱材が3ヶ所で発見され、まず辺材を含む2本の柱根と柱穴に含まれる落葉の放射性炭素年代が測定され、以下の暦年代(cal)を得た[浅川2005, 2013, 浅川編2013]。
①宇豆柱(棟持柱)南柱材:1215~1240 cal AD
②心柱北柱材:1212±15 cal AD(以上、ウィグルマッチ法 国立歴史民俗博物館測定)
③宇豆柱の柱穴から出土した落葉:1242~1280 cal AD(AMS法・名古屋大学測定)
①②は木材の伐採時に近い年代を示すのに対して、③は建設中(立柱の過程)の年代を反映している。①~③はすべてスギ材で、年輪数は130層前後を数え、材種・年輪数の基本条件を満たしているが、年輪の幅に粗密がありすぎて、年輪年代測定には不向きであると判断された。一方、心柱の下側から発見された礎板(柱の不同沈下を防ぐ板状の材)は、年輪が280層に及び、ほぼ均等かつ密に並んだ辺材型であることから奈文研は年代測定に取り組み、最外層が1227年であることを明らかにした。上記①②と同じく、樹皮に近い辺材の年代であることから、1227年より若干遅れた時期に伐採された材であることが分かる。従来は測定年代に100年前後の開きがあった年輪年代と放射性炭素年代がみごとに整合し、当時の関係者は驚嘆の眼差しでこの結果を受けとめたことを生々しく思い出す。そして、③柱穴中落葉の年代を重視するならば、出雲大社境内遺跡の大型本殿跡(推定高40m以上)は文献史料に多出する平安時代後半(11~12世紀)の遺構ではなく、鎌倉時代に入ってまもない宝治二年(1248)造営の本殿である蓋然性が一気に高まったのである。
出雲大社境内遺跡大型本殿跡における科学的年代測定の結果は、年輪年代と放射性炭素年代双方の信頼性をおおいに高めた。とりわけ、歴史考古学・建築史学の分野には不向きとされてきた放射性炭素年代は、AMS法とウィグルマッチ法という高精度測定手法の開発により、以後、歴史的建造物の年代判定の有力手段となっていく[中尾2009・2011、上野・中尾2012、浅川編2013bなど]。