『鳥取県の民家』を訪ねて(36)

失われゆく古民家(1)-岩美町大谷の大屋敷
この日(9月3日)の調査から、新聞連載「失われゆく古民家」(1973-74)掲載49件のうち県東部の民家も追跡調査することにしました。この日むかったのは岩美郡岩美町大谷に所在する新聞No.25中島家住宅です。事前調査では住所が分からなかったので、現地でのヒアリングから始めました。近所の方曰く、「中島さんは知らないけど大きな家があったことはわかる、龍岩寺に聞いてみれば良い」とのことで、龍岩寺に足をむけました。お寺を訪ねると、中島家のことをよく知っている住職さんがとても丁寧に質問に答えてくださいました。龍岩寺の奥の間に通していただき、おいしいコーヒーをいただきながらお話を伺います。

中島家と龍岩寺は昔から深い関係があったそうです。中島家は代々大庄屋であり、殿様も立ち寄るほど核の高い屋敷でした。1974年当時の民家は茅葺屋根鉄板被覆であり、役人を迎え入れる式台のある四間取りであったと新聞には記載されています。大谷村は駆馳山峠を越えて海岸に位置するため、風から民家を守る防風林を持つ家が多いそうで中島家も例外ではありませんでした。
住職さんもおよそ20年前に龍岩寺に着任されたらしく、民家はその時から無住状態であったため人づての話ですけども・・・と断りながらお話しされます。当時の新聞にも、中島さんは東京に居るとの記載がありますので、少なくとも45年前から無住であったと思われます。時々留守番の人がいたみたいですが、建物の劣化・損傷が激しく、近隣住民の要望で取り壊しが決定したそうです。現在の空き地を案内してもらいました。民家変容パターンはD-1類です。