『鳥取県の民家』を訪ねて(37)

失われゆく古民家(2)-鳥取市立川吉村家住宅
鳥取市立川町にある新聞No.22吉村家住宅です。新聞掲載後四半世紀を経て国の登録有形文化財(1998)になりました。鳥取市最初の登録文化財です。現地を訪れると、外観が新聞掲載当時のままだったのですぐに分かりました。ただ、茶色ジの瓦屋根と青黒い瓦屋根の立派な民家が二軒続いており、どちらが新聞掲載の建物なのかが分かりませんでした。ベルを鳴らして出てきてくださった男性にお話を聞くことにしました。茶色の瓦屋根が本家であり、青黒い瓦屋根は分家であり、その男性は本家の管理係(留守番)だそうです。しかし、本家の今のご当主が内部公開及び個人情報の開示はNGだそうで、分家についてと民家の変容ついてお話ししてくださいました。

↑新聞(1974)↓現在(2019)

新聞によると、吉村家は富豪の代表的な一族であり、民家は明治16年頃の建築であるとされています。このころは廃藩に伴い大工たちが仕事を失うことが多く、江戸の掟が解禁されたタイミングも相まって、大工たちの腕を振るう一大仕事で建てられた民家であったと記されています。道路の拡張、鳥取地震の被害にも揺らがず、往時の威厳を両家ともそのまま現代に伝えています。また、茶室を別棟にせず、主屋内の一部屋にしていた点など、鳥取の上流町家であったことがうかがえます。品格のある土蔵造の瓦葺き民家で、本家・分家とも10年以上前に瓦を葺き替え、壁の塗り直しをおこなったとのことです。現在、分家のご当主は関東にいらして、年に数回戻ってきているいるけれども、通常は空き家になっているとのことです。
せっかく登録文化財になったのに、内部の公開・活用が一切なされていないことを残念に思いました。民家変容パターンはE-1類ですが、厳密に言うと、E-1類は「指定」民家ですから、このパターンの名称を変更する必要がありそうです。