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科学的年代測定と建築史研究(3)

3.ブータン仏教僧院本堂の成立時期を探る

(1)チベット・ブータンの国家と仏教
  チベット・ブータン地域に最初の統一王朝「吐蕃」を建国したソンツェンガンポ(Srong btsan sgam po、中国名「松贊干布」581- 649頃)はネパールから妃を迎えて仏教に帰依した。それ以前のヒマラヤ山麓地域では自然崇拝に基礎をおくボン教(笨教)がひろく信仰されていたが、仏教はこれを邪教視し、とりわけボン教の女神を「魔女」とみなした。そして、大地を支配する魔女を浄化し地下に封じ込めるため、チベット・ネパール・ブータンに12の仏教僧院を築いたと伝承される。それを絵画として表現するのが、17世紀以降の作と推定される「魔女の磔(はりつけ)」図である。この図では、魔女の胴体がチベット、右足がネパール、左足がブータンにあたり、ブータンではブンタンBumthangのジャンバラカン(Jambay-lhakhang)寺とパロParoのキチュラカン(kichu-lhakhang)寺がソンツェンガンポ創建の僧院として描かれる。
 こうしてチベット・ブータンの地に仏教は萌芽するが、次第に衰退の兆しをみせはじめ、ティソン・デツェン(Khri srong lde brtsan 742-797)王が仏教再興の肝入としてパドマサンバヴァを北インドから招聘した。パドマサンバヴァはボン教系の「魔女」や「悪霊」を調伏し仏教側の護法尊として取り込みながら、インドの後期密教を巧みに変容させてチベット仏教の基礎を築いた。同時に、ブータンを2度訪問し、タクツァン(Taktsang)僧院などで悪霊調伏のための瞑想をした。ブータンでは、パドマサンバヴァをブータン仏教の開祖とみなし、今もグルリンポチェ(Guru Rinpoche)という尊称で篤く崇拝している。パドマサンバヴァがおこした最初期の宗派をニンマ派(古派=紅教)という。11世紀以降、チベット仏教は諸派林立の時代となり、チベットでは14世紀にツォンカパ(宗喀巴)のおこしたゲルク派(格鲁派=黄教)が興隆して主導権を握り、ブータンでは17世紀にドゥク(druk)派が勢力を拡大し、ブータンという国家を誕生させる。
 2012年以来、毎年ブータンを訪問し、すでに8回の調査を終えている[浅川2019]。初期の研究主題は「崖寺と瞑想洞穴(修行洞)」であった[吉田・浅川2016]が、最近はボン教系神霊の調伏による仏教「護法尊」への取り込み(仏教とボン教の習合関係)などに焦点を絞りつつある。ボン教の理解なくしてチベット・ブータン仏教の理解はなしえないからである。一方、日本で取り組んできた科学的年代測定を海外でも実施すべく多少のサンプルを採取し成果を得始めている。科学的年代測定の目的は、ブータン仏教僧院における本堂成立時期を確定することである。一部のインフォーマント(情報提供者)が、ブータンにおいて仏教僧院の本堂は17世紀前半以降の国家形成期から一気に増加すると繰り返し発言していたことによる。たしかに、ブータン仏教発祥の地とされるタクツァン僧院(海抜3,050m)でも、今に残る巨大な本堂の建立は1692年まで下る(1990年代にほぼ全焼し再建)。こうした山上崖寺の初期構成について想いをめぐらすに、高山の岩陰洞穴における瞑想があくまで密教修行の根幹をなし、その場所はおそらく僧坊と修行洞に小さなストゥーパを加えた程度のものであって、仏像を安置する本堂は存在しなかったところが多いであろう、とイメージされる。このイメージは正しいのか否か。要するに、本堂はいつの時代から仏教僧院に登場したのか、科学的年代の成果から考えてみたい。

(2)平屋型本堂内陣柱の年代測定
 一般にブータンの仏教僧院では、本堂内部の写真撮影が禁止され、器材を使う実測などの調査も歓迎されない。しかし、一定額の寄進をくり返したり、寺院側が薦める高額の書籍・図録などを購入すると、内部の調査が許可される場合がある。以下、内陣柱の年輪サンプル採取を許可された数少ない例を報告する。
 ジャンバラカン: ソンツェンガンポ造営の12寺は、パドマサンバヴァの密教伝道以前に遡ると言われているが、12寺の開山自体が伝承にすぎないという見方ももちろんある。少なくともブータンの2寺についてはいつの時代の創建なのか詳らかでない。ただ、キチュラカン(パロ)、ジャンバラカン(ブンタン)の両寺とも山上の崖寺ではなく、河川流域の平野部に立地しており、また、大半の仏教僧院が本堂を楼閣形式とするのに対して、両寺とも本堂は平屋である。こうした共通性が古代の伝統を反映するのか否か。
 筆者らは2015年の第4次調査でジャンバラカンを訪れた。8世紀以前と伝承されるのは本堂の内陣のみであり、外陣は後世の増築もしくは大改修だと僧侶は言う。本堂の内陣は内部に二本柱を対称配置する構成であり、年輪サンプルを採取したのは二本のうちの北側の柱である。柱は上から布で覆われて赤い塗装がなされているが、床面から10cmほどの高さまでは木肌が露出していた。そして、床から8mmの位置で、南面の南西隅から年輪を数え、6年輪のみを確認した。その位置で、一番外側から3年輪分を採取した。樹種と部位(心材/辺材)は不明である。帰国後、このサンプルでAMS法放射性炭素年代測定を実施した。最外層年輪年代の測定結果は以下のとおりである[浅川・大石・武田・吉田2017]。

   1526-1555 cal AD (信頼限界16.3%)  1632-1666 cal AD (信頼限界74.4%)
   1784-1795 cal AD (信頼限界4.7%)

 この内陣柱は16世紀以降の伐採であり、信頼限界からみて、17世紀以降の伐採の可能性がより高いと考えられる。つまり国家形成期以降の柱材ということでになる。この結果には二つの解釈が可能である。一つは古代に遡る本堂が17世紀以降に「再建」もしくは「修復による部材差し替え」された可能性である。いま一つは、本堂がこの時期に新設された可能性である。後者の場合、「国家形成期(17世紀)以前に本堂はなかった(あるいは少なかった)」ことを裏付ける資料だということになるけれども、かくも少ない資料ではこれ以上の憶測は無駄であろう。
 ツァルイゴンパ 首都ティンプー市にあるツァルイゴンパ(Tshalui Goempa)の本堂は14世紀建立の寺伝がある。2016年の5次調査(2016)で2回訪問し調査した[浅川・大石2018]。一般にブータンの僧院本堂は揚床板敷とし、その上に柱を立てるが、ツァルイゴンパの本堂は内陣の地盤が外陣より高い位置にあって、柱が土間から直に立ち上がっており、内陣柱自体も非常に古くみえた。現状は2階建の楼閣式だが、当初は平屋の可能性もあると考え、内陣2本柱のうちの1本の年輪サンプルを採取させていただいた。外側から20年輪を確認し、うち最外層2年輪を採取した。樹種・部位(心材/辺材)は不明である。以下に測定結果を示す。

   1494-1602 cal AD(信頼限界74.2%) 1616-1645 cal AD(信頼限界21.2%)

 この結果をみると、伐採年代は17世紀以降もありうるが、15世紀末~16世紀の可能性がより高い。寺伝にいう14世紀の造営までは遡らないけれども、国家形成期以前の部材である可能性を示唆している。



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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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