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(卒論)功徳と回向の石積み-モンゴル・チベット・日本の比較研究

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功徳と回向の石積み-モンゴル・チベット・日本の円錐/戒壇状堆石に関する比較研究
Piling-stones for accumulating good deeds 
-Comparative study on the cone-shaped or ordination platform styled stone heaps in Mongolia, Tibet and Japan                                                           Gabira


「賽の河原」と「回向の塔」

 「賽の河原」とは、此岸と彼岸の境界を流れる三途川の河原のことである。阿部恭庵の『因幡志』(1795-)には、摩尼山の鷲ヶ峰を「財の河原」と記してケルン状の積石を多数描く。摩尼寺所蔵「西院の河原」和賛本はそうした積石を「回向の塔」と表現する。ここにいう回向(えこう)とは「自らの徳」を他者に転回することである。夭逝した子どもらは賽の河原で石を積む。石を積むことは徳を積むことであり、積んだ徳を娑婆で生きる親兄弟に転送し、幸福を願うのである。徳を積み上げる「回向の塔」を押し崩す「地獄の鬼」が現れ子供たちを悩ませるが、その子供たちを救い天に導くのは「能化の地蔵尊」である[浅川2019]。 


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チベット仏教とマニタイ信仰-西北雲南と四川高原の調査-

 2018年夏、ASALABの調査隊は西北雲南の黄南チベット族自治州阿東でマニタイと呼ばれる積石構造物の群集に出会う。単体としてみた場合、それは日本の卒塔婆に似ているが、基礎に板石を積み上げている。その板石にはすべて極彩色の真言(マントラ)が刻みこまれ、その積石を基礎として胴張りのついた標柱を立ち上げる。柱の頂部は法輪を突き抜けて日・月を彫刻し彩色する。この「墓石+卒塔婆」風の小ぶりのモニュメントは、人が亡くなった際、親族が死者を供養するために造作するモニュメントだという。ただしチベット仏教では、輪廻思想との関係から遺骨や遺灰に執着せず、それらを山水に廃棄するため、積石の地下には遺骨や遺品はいっさい埋めない。死者1名に対して1本の標柱を立てる。
 こうしてチベット族のマニタイに関心を抱き始め、2019年度前期に雲南民族大学の知人から送信されてきた「浅谈藏族崇尚嘛呢堆的缘由(チベット族が尊ぶマニタイの由来に関する序説)」[凌立2005:626001]という中国語の論文を日本語に翻訳した。凌立氏の論文によれば、「マニタイ」は西蔵・四川・青海などのチベット仏教文化圏の森林・湖畔・橋の渡り口・交差点などで積み上げられることが分かった。さらに、昔は狩猟のための防御壁であり、神霊と俗人の道標でもあった。また、祭の場となる聖域から邪気を払い吉祥を求める縁起物でもある。「オン・マ二・ぺメー・ホーン」という六字真言や各種の仏像、吉祥の図案を板石に彫り込む。それらは魔除け、邪気払いのシンボルであり、衆生を加護するものであるという。また、標柱については、武器もしくは狩猟具の意味があり、悪霊を遠ざける武威を誇示するものだという。


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 四川省ギャンツェ・チベット族自治州の調査(2019)によると、この地域では標柱のない板石積上げが一般的である。それらはやはり墓石ではなく、人が亡くなると死者の子供が近くの山に旗をたて死者をとむらい、板石に真言を自ら彫ってストゥーパ周辺などの聖域に積んでいく。チベット仏教の信者たちは幼少期から自分の手で真言を石に彫る訓練を積み重ねてきたが、近年、機械彫りの品を代金払って買うことが多くなっている。真言や仏像を含む板石を積み上げることで、此岸と彼岸の吉祥・平穏を祈るのである。
 一方、リンボンと呼ばれる素朴な石積み塔が車道沿いにほぼ等間隔に並ぶことを確認した。リンボンに文字・図像を刻むことはないが、手に石を持ち、ゲルク派の真言「心咒(シンジュー)」を口にしながら積んでいくそうである。


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モンゴル族のオボー信仰 

 オボーとはモンゴル平原で築かれる積石(+標柱)である。一般的に小高い丘や峠などの聖域に造営される。それは旅する際のランドマークであり、また宗教的な祭祀対象でもある。今はチベット仏教の尊格を祀る場合も少なくないが、仏教浸透以前から北アジアの遊牧民族に普及していたテングリ(天神)信仰や山岳信仰とより深く関与している。参拝者は木枝や棒をオボーに立て、青いカタを巻きつける。カタとは絹のスカーフであり、テングリを象徴している。2019年9月、内蒙古ダルハン・ムミンガン連合旗(*旗=連合組織)で以下4件のオボーを調査した。
 ホンゴルオボー: ダルハン・ムミンガン旗から94km離れた山頂(海抜1,669m)に所在する私有オボー。高さ約9m、直径約8m。三段円錐形の戒壇状を呈し、左右に3つずつ小さな石積みの痕跡があり、群集型オボーになりつつある。
 スルデオボー: ダルハン・ムミンガン旗から32km離れた山頂(海抜1,670m)にある旗所有の独立系オボー。高さ約6m,直径約6mでやはり三段円錐形を呈する。築後わずか70年ばかりだが、連合旗から車で容易に往来できるので、参拝者は多いという。スルデはチンギス汗が出陣する際の武器であり、敵を威嚇する道具であって、先端のジリバルという部分は鋭い矛状を呈し、その鉄器は円盤(法輪?)を貫いている。雲南のマニタイと同じ魔除けの武具を立ち上げているとみなすことができる。
 バヤン・ボグドオボー: ダルハン・ムミンガン連合旗所有の群集系のオボー(海抜高1,658m)。旗のなかで最も歴史が古く、1886年に築かれた。高さ12m、直径60mに及ぶ。周辺に高さ3m,直径2mの三段円錐形の小型オボーを12基伴う。
 エルデン・チャガンオボー: ダルハン・ムミンガン旗より17.5km離れた山頂(海抜1,509m)にある連合期所有のオボー。清朝の時代から祭祀をおこない、今に至る。高さ約14m,直径約58m,四段円錐形を呈し、左右5基ずつ小型オボーを伴う群集系。


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(卒論)『鳥取県の民家』を訪ねて-古民家「終活」の時代-

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『鳥取県の民家』(昭和49年刊)を訪ねて -古民家「終活」の時代-
Re-visit "Traditional private houses in Tottori prefecture" published in 1974
-Toward the times to finish the private houses in the intensive depopulated areas
                               NOGUCHI Sayaka


研究の背景-『鳥取県の民家』再訪

 昭和40~50年代の高度経済成長に伴う国民生活の劇的な変化によって伝統的な民家は著しく数を減らしていった。この状況に危機感を覚えた文化庁は全都道府県で民家の緊急調査を実施し、鳥取県でも昭和47~48年度に調査がおこなわれた。その成果報告書が『鳥取県の民家-鳥取県民家緊急調査-』(以下「報告書1974」と略称)である。報告書1974刊行後45年が経過し、さらなる近代化と過疎の進行によって国土の景観は大きく変化してきている。こうした時代の流れのなかで、報告書1974第3次調査対象民家の現状と変容を探り、鳥取県がどのような方向にむかおうとしているのかを見通そうと考えた。本稿はゼミ全体の研究成果であるが、筆者は麒麟特別研究費助成研究との係わりから、麒麟地域(因幡・但馬)を主な対象として考察した。


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報告書1974-『鳥取県の民家』

 鳥取県緊急民家調査は昭和47年度に第1次調査として市町村教委担当者が民家108件を選び出し、その中から80件を絞り込んで県建築士事務所協会が第2次調査をおこなった。翌48年度は指定の候補となる39件を選定し、民家建築史の大家、白木小三郎教授(大阪市立大学)を主任調査員に迎え、第3次調査をおこなった。同年度末刊行の報告書1974はおもに第3次調査の成果をまとめたものである。

新聞連載「失われゆく古民家」

 昭和47~48年には、日本海新聞に「失われゆく古民家」と題する連載が50回続いた。執筆者は県立博物館の木島幹世氏である。報告書1974掲載民家と重複する例も少なくないが、木島氏は建築の専門家ではなく、民家集落の歴史や住まい方を中心に叙述しており、報告書1974と相互補完的な内容として評価できる。2014年には幹世氏のご子息、木島史雄氏が連載を集成し単行本『失われゆく古民家』として上梓されている。

『兵庫の民家』二種

 麒麟地区に含まれる但馬(兵庫県北部)については、2冊の関係図書を取り寄せた。1冊は兵庫県教委(1969)『兵庫の民家-播摩地区調査概報-』、もう1冊は広瀬安美(1974)『兵庫の民家』である。前者は報告書1974と同じ文化庁緊急調査の成果であるが、内容は播磨地域に限定され、但馬の民家を含まない。後者は画家である著者のイラストをふんだんに織り交ぜた随想集であり、今和次郎の名著『日本の民家』(1922)を思わせる。後者は但馬の民家も含み、刊行年も報告書1974と一致するので調査対象に含めることとした。


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古民家再訪調査と現状分析

 2019年度前期前半に報告書1974と新聞連載のデジタルデータ化に着手し、そのアーカイヴを踏まえつつ現地調査に移行していった。結果として、報告書1974掲載民家39件に加え、新聞連載東部地区(重複分除く)14件、『兵庫の民家』掲載但馬民家3件を調査した(計57件)。なお、民家に番付をしている。たとえば「№027⑦福田家」とある場合、№027は報告書第1次調査番号、⑦は第3次調査番号を表す。また、「新聞No.25中島家」は連載第25回の民家を示す。調査ではヒアリングに加え、GPSデジカメでの外観撮影と座標計測、ドローンでの空撮に取り組み、その成果を報告書情報と包括したデータベースを作成した。

古民家変容のパターン

 こうした情報収集により、民家の変容パターンを以下のように分類した。在方農家はA類~D類、町方町家・武家はD類~F類(D類は共通)に分けられる。

 A類:指定による民家の保全(17件)
    A-1 現地保存 A-2 移築保存 A-3 指定解除
 B類:未指定だが茅葺き屋根を維持(5件)
    B-1 茅葺き露出 B-2 茅葺き鉄板被覆   
 C類:未指定のまま平屋建茅葺きから中二階和風への改修(4件)
 D類:未指定のまま撤去(17件)
    D-1 撤去後空地 D-2 撤去後別の建物を新築
 E類:町家等の保全修景による維持保全(13件)
    E-1指定・登録による現地保存
    E-2 未指定・未登録のまま外観をほぼ維持し、本来の機能を継承
    E-3 未指定・未登録のまま外観をほぼ維持しているが、無住状態(空き家)
 F類:未指定のまま建物を改修(1件)
 その他:所在不明・判別不能など(1件)


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(卒論)ブータン仏教の調伏と護法尊に関する基礎的研究

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 2/12(水)に卒論ポスター発表会が行われました。その際の発表内容を概要とともにご報告させていただきます。卒業論文執筆に際し、図面や写真を先輩方にご協力いただいたこと、また内容の向上にむけて教授にご指導いただいたり、叱咤激励していただいたことをこの場をお借りして御礼申し上げます。(バレー)


ブータン仏教の調伏と護法尊に関する基礎的研究 -白/黒の対立と融合-
Basic study on purification and reproduction of the negative spirits by the Bhutanese Buddhism
-Confrontation and unification between black and white -
                                      TANI Manaka


ヒマラヤの魔女

 ヒマラヤ山脈周辺を「魔女」が支配している。7世紀にチベット最初の王朝「吐蕃」を建国したソンツェンガンポ王はネパールから妃を迎えて仏教に帰依した。その後、大地に貼りつく「魔女」を浄化するためチベット・ブータン・ネパールに12の仏寺を造営したと伝承される。ここにいう「魔女」とは何か。仏教伝道以前から深く根付いていたボン教には多くの神霊が存在し、とくに一部の雪山は「女神」として崇められている。仏教の側からみれば、土着のボン教は邪教であり、その神霊・女神は「悪霊」「魔女」として厄災の原因と認知された。仏教の修法(おもに瞑想)によってこれらを調伏し、仏教側の護法尊(守護神)に変換していったのである。


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護法尊の諸相

 英語のdeityは「神」と訳されるが、godとは意味が異なる。godが創造主たる「神」であるのに対して、deityは何がしらの「神格」あるいは「神性」を意味する。仏教の場合、古代インドのバラモン教(あるいはそれ以前)の武勇神を調伏して釈迦あるいは仏寺を守護する四天王、仁王、帝釈天などの護法尊とした。これらがdeityである。大半は忿怒の形相をしており、門前で邪神や外敵の侵入を防ぐ。
 一方、guardian deity(守護神)はボン教系の「魔女」「悪霊」を瞑想によって調伏し、仏教側の護法尊として再生するが、それは「土地の守護神」であることを継続する。土着の神霊を否定するのではなく、仏教側に取り込む方法で地域支配を成し遂げてきたわけであり、宗教的な植民地支配の手法だと言えるかもしれない。ヒアリングをくりかえすなかで、deityとguardian deityは明確に区別されていることを知った。

仏教と土着信仰の習合

 ASALABは2012年以来、8年連続でブータン調査を実施している。2017年度までの調査では、主に崖寺と瞑想洞穴に注目をしてきたが、この2年間(2018-19)はとくに「調伏と護法尊」の問題に関心を集中させている。調査が進むにつれ、ブータン仏教を理解するためには、ボン教や民間信仰と仏教(後期密教)との習合状況をあきらかにする必要があるという思いを強く感じるようになり、本稿も、そうした視点から民家仏間の調査や高僧からのヒアリングをおこなった成果である。


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瘋狂聖クンレーとファルス信仰  

 中世の怪僧ドゥクパ・クンレーはチベット・ブータン地域の谷筋を訪ね歩き、巨大な金剛(ファルスの比喩)によって谷奥に潜む魔女を次々と調伏していったと伝承される。品行方正な一般僧侶のアプローチとは真反対の「瘋狂の知恵(crazy wisdom)」を駆使した振る舞いにより、ブータンでは大衆の人気を集めていった。プナカのチメラカン寺では、本堂仏壇の中心に仏教の尊格像が居並ぶが、仏壇手前右隅に護法尊アムチョキムの立像を配している。アムチョキムこそクンレーが金剛で骨抜きにした「魔女」であり、流域の守護神として崇められている。その姿はブータンの一般女性と変わるところがない。周辺民家の壁に魔除けとして大きなファルスを描き、軒先にファルスの木彫を吊すゆえんである。
 同じプナカの別の谷筋にあるナギリンチェン崖寺では仏壇と離れた洞穴の奥にギュンダップとツォメンの像を祀っていた。いずれも元はボン教系の神霊であり、今は前者が土地の守護神、後者が水の神として崇拝の対象になっている。プナカ城の中には地下の大魔王ルモが小型ストゥーパ形の覆屋ルゥに封じ込められている。連子窓の向こうの奥壁に魔王ルモの姿絵を貼りつける。年に一度の大祭のときだけ、大きなルモの偶像が出現する。それは竹編みのフレームに紙を貼って絵を描いたものであり、普段は張りぼてのフレームを城の奥部屋に隠しておく。


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歓喜仏の壁画

 ブータンの民家仏間は仏寺本堂の圧縮のようにして釈迦、グルリンポチェ、阿弥陀、文殊など多様な尊格を中央に祀るだけでなく、護法尊・忿怒尊を偶像・壁画・タンカ(掛軸仏画)に表現する。2年間の調査で6軒の民家仏間を調査したが、ここではパロ地区シャリ村のツェリン家の状況を報告する。
 ツェリン家では3階の居室部分に居間と仏間があり、版築壁で囲まれた仏間を核として左右正面に仏間前室を伴う。仏間には内陣柱が2本独立して立ち、祭壇壁面は版築壁を穿って仏龕を2孔設け、中央の大きな仏龕に釈迦(Sangay)を1体、向かって右隣の小さな仏龕には千寿観音(Cheringji)を2体祀る。厚さ80㎝の仏間版築壁には、内外両面にびっしり仏画を描いており、これまで見てきた民家仏間のなかでひときわ仏堂に近い古風な姿を残している。
 仏壇に向かって左側の壁には歓喜仏(ヤブユム)を何組も描く。歓喜仏はチベット仏教に特有な尊格で、男女2体が座位で性交している様を表現している。歓喜仏には穏やかな顔をしたものと激しい忿怒の形相(忿怒相)をしたものの両方がある。ツェリン家の場合は後者であり、男女とも鬼のように怖い顔をしている。第7次調査(2018)のガイド、ウタム氏によると、仏界でなされる性的行為は悟りの境地を表現しており、歓喜仏はそれを図像化したものであるが、あくまでイメージであり、実際に僧侶や尼僧がそのような行為に及ぶことはないという。また、鬼のような形相をしている歓喜仏はやはり元は「悪霊」であり、調伏されて歓喜仏に変わったとも聞いた。しかし第8次調査(2019)のガイドのウゲン氏は、ウタム氏の説を強く否定した。歓喜仏は仏格の変化の一種であり、決して異教の神ではないという。


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お帰り寅さん(2)

鳥取シネマでまもなく上映開始

 「お帰り寅さん」がついに鳥取市に上陸します。2月21日(金)より3週間ばかり「鳥取シネマ」で上映されるという情報が来年度の新規ゼミ生からもたらされました。上映時間は10:30~と18:00~の2回だそうです(21日~27日)。
 おれは行くぜ。奈良で1回、鳥取で1回。


 鳥取シネマ
 鳥取市栄町606 まるもビル3F・4F
 https://movie.jorudan.co.jp/theater/1001311/


ポスターセッションを終えて

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 ハッピー・ヴァレンタイン!

 2月11日(火)、祝日であるにも係わらず、ゼミ生が一同に会した。本来ならば、カルマ・プンツォさんを囲むフォーラムを開催していた日である。ブータンからの来日延期の報には落胆したが、卒業生たちには良かったと今は思う。翌12日が卒論ポスターセッション(PS)だったからである。本来は11日までにポスターを完成させ、フォーラムで展示する予定だったが、私(教師)自身、京都~奈良の視察地同行で鳥取を不在にすることになっており、指導にエネルギーを注ぐことは不可能だったでしょう。
 11日は午前11時から4409演習室で4人のパワポを聞いた。正直、出来はよくない・・・午後3時から下宿に近いオシャレなカフェで送別の宴を催したが、その会場でもなお、1名の卒業生のパワポを根本的に改訂するよう指示し続けていたほどである。
 翌12日(水)、つまりPS当日の朝から電話が鳴った。ちょっとした騒動が発生したのだが、こういうとき、騒動の本人は何がわるいのかよく分かっていないものだ。まわりは迷惑している。4年女子も院生も呆れているが、全員PSに向かって動くしかない。安心したのは、3名の学生のポスター(パワポ8枚)の出来がおおいに向上しており、多くのお客を集めていたことである。以下は卒業生の感想文です。到着順に掲載します。


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ブータン仏教の調伏と護法尊に関する基礎的研究 -白/黒の対立と融合-
Basic study on purification and reproduction of the negative spirits by the Bhutanese Buddhism     
-Confrontation and unification between black and white -


 11日(火)にゼミ内でポスターに沿って発表を行いました。年末の中間報告よりは何とか形にはなりましたが、いくらか修正点があり、ご指導いただきました。ポスター発表前日に良い機会でした。
 発表の後は八木部長さんオススメの「G'sカフェ」で送別会をしていただきました。恥ずかしながら、連日不規則な生活をしていた私にとって、お野菜たっぷりの食事は久しぶりでとてもおいしかったです。
 送別会後に3年生から素敵な花束もいただきました。嬉しかったので、半分はドライフラワーにして卒業式のとき髪飾りに使おうと計画中です。溌剌としていて非常に優秀な3年生たちが、来年から研究室を引っ張ってくれると思うと心強いなぁ、と思います。会える機会がもうないと思うと残念ですが、最後にたくさん話せてよかったです。温かい会をありがとうございました。
 12日(水)はポスター発表でした。私は出席番号が偶数なので後半の発表でした。副査の先生の他にも、何人かの先生方に発表を聞いていただきました。環境学部の先生方にとって馴染みの薄いテーマでしたが、興味を持って質問してくださったり、「頑張って調査しましたね」とねぎらいの言葉もかけていただいたり嬉しかったです。他の学生の発表もそれぞれの研究室のカラーが出ていて面白かったです。あとは残り1週間卒業論文提出に向けてコツコツ頑張りたいと思います。(バレー)


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功徳と回向の石積み-モンゴル・チベット・日本の円錐/戒壇状堆石に関する比較研究
Piling-stones for accumulating good deeds -Comparative study on the cone-shaped or ordination platform styled stone heaps in Mongolia, Tibet and Japan

 2月11日(火)。最終ゼミとして、4年生以上はポスター用パワーポイントを発表しました。緊張しながら、発表をしたのですが、やはりたくさん修正しなければいけない内容がありました。先生からご指導を頂き、発表会を終わらせました。14:00 ころからに4年生以上、3年生、2年生(一人)、先生、会長さんの合計12人で「ジーズカフェ」まで移動し、送別会をおこなってもらいました。
 2年間のゼミ生活が愛しく、食事中は「これはみんなと最後の食事会なんだねー」とずっと思っていたので、無言で食べていました。15:30ころ4年はゼミ室に戻り、翌日のポスター発表のため頑張ろうと思っていたところ、3年生たちから花束をいただきました。驚きと感動でいっぱいでした。こんなに素敵な後輩たちがいて、本当に嬉しかったです。


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環境学部卒論・修論発表会のお知らせ

 早くも卒論・修論の発表会の季節となりました。学生たちにとっては、カルマ博士講演会の延期は幸運だったのかもしれません。なにせ準備がのんびりしてます。〆切ぎりぎりにならないとやらないので、もしあのままフォーラムが開催されていたら、面倒見切れなかったでしょうね・・・

卒業論文ポスターセッション

1.日時: 2月12日(水) *卒論提出は18日(火)
 09:30~11:30 各ゼミでポスター設置
 12:00~13:30 プレゼンタイム①(奇数学籍番号)
 13:30~15:00 プレゼンタイム②(偶数学籍番号)
 15:15~15:45 記念撮影
 15:45~16:30 後片づけ(学生全員)

2.会場: 本学学生センター2階

 今年の4年生の卒論テーマは以下のとおりです。

1167045 葛蓓莉 プレゼンタイム①
功徳の石積み -モンゴル・チベット・日本の円錐/戒壇状堆石に関する比較研究

1167084 谷 プレゼンタイム②
ブータン仏教の調伏と護法尊に関する基礎的研究 -白/黒の対立と融合-

1167105 野表 プレゼンタイム①
『秋田県の近代化遺産』その後 -湯沢市周辺の現状とデータベースの作成

1167106 野口 プレゼンタイム②
『鳥取県の民家』(昭和49年刊)を訪ねて -鳥取の地域社会は持続可能か-

 副査担当: 035オチグチ① 036カイトウ② 037カクタニ① 038カジタニ②

卒論配置図_01 ポスター配置図


修士学位論文発表会

1.日  時:2月18日(火) 10:00 ~   
2.場  所:(たぶん)14講義室
3.発表者数:4名 
4.発表時間:30分(発表20分、質疑応答10分)
5.発表要旨:A4 4頁まで ※写真・図可、文字フォント9以上、字数制限なし
  
10:00~10:30 中治研修了予定者発表
10:30~11:00 3187002 岡崎
中期密教の宝塔/多宝塔とチベット仏教ストゥーパの比較研究-構造と配置に関する基礎的考察-
 
【備考】発表要旨提出・・・・令和2年2月17日(月)12:00まで
 発表データ提出・・・令和2年2月17日(月)17:00まで(USB等で持参)
 発表データ差替・・・令和2年2月18日(火)最初の発表者の発表開始時間15分前まで


『秋田県の近代化遺産』その後(2)

秋田県の近代化遺産(ファイルメーカー)I-01新屋農業倉庫 秋田公立美術工芸大学実習棟(新屋倉庫)


2.近代化遺産を通してみた秋田県の変動

 以上の調査で得た情報(2019)と報告書『秋田県の近代化遺産』(1992)の記載事項を包括的に整理したデータベースを作成し、考察の基礎情報とした。上はI-01旧国立新屋農業倉庫8棟のデータベースである。後述するように、秋田公立美術大学のキャンパスの一部(実習棟)として再活用されている。上記データベースの成果と先述の池田氏提供資料により、報告書刊行後の動向を分析する。なお、第3次調査対象物件の後につけた数字は2019年度調査の番号である。
 
近代化遺産の文化財指定 
 
 調査の始まった平成2年、I-18旧比立内発電所が北秋田市の指定文化財となり、その翌年(1991)、同市のI-18旧阿仁鉱山外国人官舎が国の重要文化財に指定された。これらを皮切にして報告書刊行後、調査中から報告書刊行後にかけて、秋田市のC-01藤倉水源地水道施設(1993指定)とI-41旧秋田銀行本店本館(39・同左・1994同)、鹿角郡小坂町のI-13旧小坂鉱山事務所(27)・康楽館(28・2002同)が国重要文化財となり、参考例として調査したにかほ市の「由利海岸波除石垣」(文化年間・略号無)が県指定から国指定の史跡に格上げされた(1997同)。また県指定としては、湯沢市のT-03菅生橋⑨(2003同)とにかほ市のI-02「上郷(小滝)の温水路群」⑰(2009同)が建造物として、小坂町の小坂鉱山資料2,059点(1997同)、旧止滝発電所1号発電機・旧小坂鉄道貴賓客車1両及び11号機関車1両(1999同)が歴史資料として県の指定を受けた。


菅生橋 皆瀬川に架かる菅生橋と、川面には村の鳥・オシドリのつがい
↑皆瀬川に架かる菅生橋(県指定文化財)は湯沢のシンボルであり、マンホール蓋にもデザインされている。


登録文化財の爆発的増加 

 阪神・淡路大震災の翌年にあたる平成8年(1996)になって、文化財保護法に登録有形文化財(建造物)の制度が導入された。近代化遺産という新しい概念の、身近な文化財をできるだけ多く保護するために構想されていた制度が動き出したのである。近代化遺産調査の先駆である秋田では、登録文化財が爆発的に増加した。報告書の第3次調査対象では、I-01国立新屋農業倉庫(36)、I-04合川営林署「天神荘」、I-11旧角館製糸工場⑩、I-26渡辺彦兵衛商店、I-29両関酒造、I-32石孫本店⑦、I-34長坂商店②の7件のみだが、登録の候補は第1次調査対象にまで及び、さらに2004年刊行の『秋田県の近代和風建築』の成果もあいまって、2018年11月現在、登録文化財の総数は220件に及ぶ。うち128件は近代化遺産・近代和風建築調査の成果である。 


近代化遺産web指定登録一覧

秋田県近代化遺産の国・県指定一覧(池田憲和氏作成資料を浄書)
注1 旧阿仁鉱山外国人官舎 明治15年(1882)北秋田市 県有文より重文に格上げ
   藤倉水源地水道施設 明治44年(1911)秋田市 県史跡より重文に格上げ
   旧秋田銀行本店本館 明治45年(1912)秋田市 県有文より重文に格上げ
   康楽館 明治43年(1910)秋田市 県有文より重文に格上げ
   旧小坂鉱山事務所 明治38年(1908)鹿角郡小坂町 町有文より重文に格上げ
注2 北鹿ハリストス正教会聖堂 明治25年(1892)大館市 未指定より県指定に
   旧雄勝郡会議事堂 明治24年(1891)湯沢市 未指定より県指定に
   菅生橋 昭和6年(1931)湯沢市 未指定より県指定に
   上郷の温水路群 昭和2年(1927)以降 にかほ市 未指定より県指定に
注3 「2019年度 秋田県の生涯学習・文化財保護」文化財保護Ⅲ資料 
   登録有形文化財参照
注4 小坂鉱山資料 鹿角郡小坂町
   旧止滝発電所一号発電機械一式 鹿角郡小坂町
   旧小坂鉄道貴賓客車一両及び11号機関車一両 鹿角郡小坂町
注5 由利海岸波除石垣 にかほ市 県史跡より国史跡に格上げ
注6 旧院内銀山跡 湯沢市  旧国史跡解除その後未指定より県指定史跡へ
    早房坑
   ※五番坑…御幸坑とも言われ明治14年(1881年)9月明治天皇が行幸される
    金山(俗称 山)神社



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『秋田県の近代化遺産』その後(1)

秋田県の近代化遺産(表紙) 秋田県の近代化遺産(池田資料)_02調査票


1.『秋田県の近代化遺産』を訪ねて

研究の背景-秋田県の近代化遺産緊急調査
 
 全国47都道府県を対象にして文化庁が近代化遺産の緊急調査を始めたのは平成2(1990)年度からであり、群馬県と秋田県が嚆矢たる大役を担った。私は奈文研の一員としてその第3次調査(1991)を主導し、報告書『秋田県の近代化遺産』(1992)の編集に携わった。昭和の高度経済成長にも翳りがみえ、平成の停滞に踏み込んでまもない時期のことである。
 近代化遺産とは「産業・交通・土木に係わる幕末~昭和戦前の遺産」と定義されている。近世民家・社寺建築とは異なって、一般的な建造物にとどまらず、鉱山・ダム・鉄道などの土木遺産を含む多様性があり、調査の方法すら漠然としていたが、多くは身近な文化遺産であり、地域の特性を映し出す歴史資料の塊でもあったので、調査は愉快この上なく、想い出深い経験として記憶に残っている。今年度、湯沢市出身の学生が卒業論文で『秋田県の近代化遺産』掲載第3次調査対象を追跡する取組をした。総数58件のうち40件を訪れている。これに伴い、緊急調査時の県教委事務局担当であった池田憲和氏から大量の資料をご送付いただいたので、それらの成果をここに報告する。なお、報告書では近代化遺産を産業(I)、交通(T)、土木(C)、教育・文化(E)に大別している。この分類と略号は本稿でも継承する。


池田資料(秋田県の近代化遺産)p13分布図改訂web ×消滅 △一部消滅(報告書1991:p.13を池田氏改訂作成)


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【緊急告知】カルマ・プンツォ博士講演会《延期》のお知らせ

 明日の出国を控え、ブータンのカルマ・プンツォ博士から昨夜メールが入りました。ブータン厚生省やロデン財団のスタッフが新型コロナウィルスの問題を重くとらえ、出国しないよう警告してきたというのです。私と京大の担当教授は、日本でコロナウィルスの被害ははなはだ限定的であり、日常生活に支障ないことを強調しました。しかし、経由地バンコクの状況がかなり悪化しているという認識をブータン側はついに崩さず、カルマ博士自身さんざん悩まれましたが、さきほど正式に出国を断念されました。

 まことに残念な結果ではありますけれども、受け入れるしかありません。カルマ博士は5月以降の延期を言葉にされております。当方としては、なんとか今秋に講演会を開催すべく尽力していく所存です。開催が決まりましたら、再度広報させていただきます。
 多くの参加予約があり、まちなかキャンパスの会場を2室確保して、講演室の隣室でも聴講可能な設営をしようと思案していたところであり、とても残念です。参加希望者の皆様をはじめ、事務処理に携わっていただいた方々に深くお詫び申し上げます。
 

《関連サイト》
「カルマ・プンツォ博士を囲むフォーラム」延期のお知らせ
(大学HP)http://www.kankyo-u.ac.jp/news/2019/20200203/
(予報1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2165.html
(予報2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2169.html
(予報3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2173.html
(予報4)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2176.html


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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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