(卒論)功徳と回向の石積み-モンゴル・チベット・日本の比較研究

功徳と回向の石積み-モンゴル・チベット・日本の円錐/戒壇状堆石に関する比較研究
Piling-stones for accumulating good deeds
-Comparative study on the cone-shaped or ordination platform styled stone heaps in Mongolia, Tibet and Japan Gabira
「賽の河原」と「回向の塔」
「賽の河原」とは、此岸と彼岸の境界を流れる三途川の河原のことである。阿部恭庵の『因幡志』(1795-)には、摩尼山の鷲ヶ峰を「財の河原」と記してケルン状の積石を多数描く。摩尼寺所蔵「西院の河原」和賛本はそうした積石を「回向の塔」と表現する。ここにいう回向(えこう)とは「自らの徳」を他者に転回することである。夭逝した子どもらは賽の河原で石を積む。石を積むことは徳を積むことであり、積んだ徳を娑婆で生きる親兄弟に転送し、幸福を願うのである。徳を積み上げる「回向の塔」を押し崩す「地獄の鬼」が現れ子供たちを悩ませるが、その子供たちを救い天に導くのは「能化の地蔵尊」である[浅川2019]。

チベット仏教とマニタイ信仰-西北雲南と四川高原の調査-
2018年夏、ASALABの調査隊は西北雲南の黄南チベット族自治州阿東でマニタイと呼ばれる積石構造物の群集に出会う。単体としてみた場合、それは日本の卒塔婆に似ているが、基礎に板石を積み上げている。その板石にはすべて極彩色の真言(マントラ)が刻みこまれ、その積石を基礎として胴張りのついた標柱を立ち上げる。柱の頂部は法輪を突き抜けて日・月を彫刻し彩色する。この「墓石+卒塔婆」風の小ぶりのモニュメントは、人が亡くなった際、親族が死者を供養するために造作するモニュメントだという。ただしチベット仏教では、輪廻思想との関係から遺骨や遺灰に執着せず、それらを山水に廃棄するため、積石の地下には遺骨や遺品はいっさい埋めない。死者1名に対して1本の標柱を立てる。
こうしてチベット族のマニタイに関心を抱き始め、2019年度前期に雲南民族大学の知人から送信されてきた「浅谈藏族崇尚嘛呢堆的缘由(チベット族が尊ぶマニタイの由来に関する序説)」[凌立2005:626001]という中国語の論文を日本語に翻訳した。凌立氏の論文によれば、「マニタイ」は西蔵・四川・青海などのチベット仏教文化圏の森林・湖畔・橋の渡り口・交差点などで積み上げられることが分かった。さらに、昔は狩猟のための防御壁であり、神霊と俗人の道標でもあった。また、祭の場となる聖域から邪気を払い吉祥を求める縁起物でもある。「オン・マ二・ぺメー・ホーン」という六字真言や各種の仏像、吉祥の図案を板石に彫り込む。それらは魔除け、邪気払いのシンボルであり、衆生を加護するものであるという。また、標柱については、武器もしくは狩猟具の意味があり、悪霊を遠ざける武威を誇示するものだという。

四川省ギャンツェ・チベット族自治州の調査(2019)によると、この地域では標柱のない板石積上げが一般的である。それらはやはり墓石ではなく、人が亡くなると死者の子供が近くの山に旗をたて死者をとむらい、板石に真言を自ら彫ってストゥーパ周辺などの聖域に積んでいく。チベット仏教の信者たちは幼少期から自分の手で真言を石に彫る訓練を積み重ねてきたが、近年、機械彫りの品を代金払って買うことが多くなっている。真言や仏像を含む板石を積み上げることで、此岸と彼岸の吉祥・平穏を祈るのである。
一方、リンボンと呼ばれる素朴な石積み塔が車道沿いにほぼ等間隔に並ぶことを確認した。リンボンに文字・図像を刻むことはないが、手に石を持ち、ゲルク派の真言「心咒(シンジュー)」を口にしながら積んでいくそうである。

モンゴル族のオボー信仰
オボーとはモンゴル平原で築かれる積石(+標柱)である。一般的に小高い丘や峠などの聖域に造営される。それは旅する際のランドマークであり、また宗教的な祭祀対象でもある。今はチベット仏教の尊格を祀る場合も少なくないが、仏教浸透以前から北アジアの遊牧民族に普及していたテングリ(天神)信仰や山岳信仰とより深く関与している。参拝者は木枝や棒をオボーに立て、青いカタを巻きつける。カタとは絹のスカーフであり、テングリを象徴している。2019年9月、内蒙古ダルハン・ムミンガン連合旗(*旗=連合組織)で以下4件のオボーを調査した。
ホンゴルオボー: ダルハン・ムミンガン旗から94km離れた山頂(海抜1,669m)に所在する私有オボー。高さ約9m、直径約8m。三段円錐形の戒壇状を呈し、左右に3つずつ小さな石積みの痕跡があり、群集型オボーになりつつある。
スルデオボー: ダルハン・ムミンガン旗から32km離れた山頂(海抜1,670m)にある旗所有の独立系オボー。高さ約6m,直径約6mでやはり三段円錐形を呈する。築後わずか70年ばかりだが、連合旗から車で容易に往来できるので、参拝者は多いという。スルデはチンギス汗が出陣する際の武器であり、敵を威嚇する道具であって、先端のジリバルという部分は鋭い矛状を呈し、その鉄器は円盤(法輪?)を貫いている。雲南のマニタイと同じ魔除けの武具を立ち上げているとみなすことができる。
バヤン・ボグドオボー: ダルハン・ムミンガン連合旗所有の群集系のオボー(海抜高1,658m)。旗のなかで最も歴史が古く、1886年に築かれた。高さ12m、直径60mに及ぶ。周辺に高さ3m,直径2mの三段円錐形の小型オボーを12基伴う。
エルデン・チャガンオボー: ダルハン・ムミンガン旗より17.5km離れた山頂(海抜1,509m)にある連合期所有のオボー。清朝の時代から祭祀をおこない、今に至る。高さ約14m,直径約58m,四段円錐形を呈し、左右5基ずつ小型オボーを伴う群集系。
