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再訪ー蘇州古典園林(4)

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北海道の上海蟹

 昨日の夕食のメインディッシュは北海道産の蟹であった。単価280円の蟹を二枚、近くのコープで仕入れたのだ。毛ガニだが、海産ではなく、川の毛ガニ、つまり上海蟹の類である。大の好物であり、おまけに安価でもあり、無意識に手がのびた。サイズは北海道産のほうが一まわり大きい。プラスチック容器の中で蟹は動いていた。帰宅して家族は呆れている。動く蟹をみて驚き、だれも近づこうとしない。もちろん、わたしが調理するしかない。料理酒にショウガの皮を何枚もほうりこんで蒸すだけなのだが、動いている蟹の洗浄に苦労した。シンクに蟹を解き放す。水道の蛇口を回転させながら、水をふりまく。水を得た蟹である。元気を取り戻して、なかなかつかまらない。畢竟、わたしの右手親指は大爪の餌食となった。痛かった。なんとかいったんプラスチック容器に2枚の蟹を戻して、酒の入った大鍋にまるごと放り込んで蓋をする。酔蟹である。あとは火をつけるだけ。


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 蟹には白ワインが合う。その夜、ワインは1本もなく、摩無志(まむし) という宮崎の芋焼酎をロックにして淡水毛ガニをしゃぶった。極楽、極楽。調べてみると、上海蟹の和名はチュウゴクモクズガニといい、中国では「大閘蟹」が通名で、上海語ではドゥザッハと呼称する(おそらく蘇州語もこれに近い)。驚いたことに、中国有数の珍味として知られる上海蟹は世界中で繁殖の傾向をみせており、「世界の侵略的外来種ワースト100」にランクインしている。あないに美味のもの、繁殖したら乱獲して食いまくれば済むのにね。開高健がアマゾンの蟹をたらふく食べたように、蟹の殻を山のように積み上げながら、白ワインを脇においてむしゃぶりつきたい。外来種と危険視されているが、北欧などで養殖が始まり、輸出品になっているという。日本でも東北で同じような試みをしていると聞いたが、まさかの北海道産を奈良で発見し、自ら調理して家族と食べるなんて・・・コロナ禍のなかコープを訪れた大半の客は北海道産の淡水毛ガニが中国でいかに高価で珍味な食材なのか、ご存じないであろう。


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陽澄湖のドゥザッハ

 昨年11月11日の蘇州、朝から腹を下していた。食中毒ではなく、疲労からくる(習慣的な)下痢である。いつぞやの三徳山登拝では同じ症状で雉打つ失態を招いたが、正露丸を車に置き忘れたため瀕死寸前まで陥った。海外には必ず小瓶2本もっていく。もちろん朝から多めに服用していた。昼食は粥でも啜ればよいのだが、なにせ江南に来ている。好物の上海蟹が脳裏の片隅から消えない。おまけに、上海蟹の最も有名な産地は、蘇州の陽澄湖なのだ。昨夜から町歩きをしていて、市場の水槽に蟹が溢れているのをしっかり確認していた。蟹が腹によいわけはない。しかし、蟹をしゃぶりたい。わたしはこの誘惑に負けた。ドライバーに頼む。昼食はドゥザッハを食したい、と。ドライバーは答える。まともなレストランで蟹を注文したら、小さいの2枚で200元(約3,000円)以上とられるぞ、と。わたしは即座に言い返す。それでもいい、と。


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研究表現としての麻雀警察(1)




 昨年度の実績報告を2本書き、オンラインゼミの準備に時間を割いたおかげで、「蘇州古典園林」連載は中断を余儀なくされました。今日は4年の第3回ゼミで、いま話題の「教育機関の9月開校」をとりあげたんですが、4年生は全員賛成でした。大学生活が半年延長されることを卒業予定者たちは歓迎しています[追記注:翌日の3年ゼミでは賛否が半々に分かれた]。ネット上のアンケートでも7割方の回答者が賛同している。これこそパラダイム・シフトの最たるものなんですが、慎重論の言い分も理解できます。社会制度全体に及ぶ大変革だから、どさくさに紛れてそこまでやるか、という反論です。感染拡散の防止と医療制度の整備をなにより優先すべきであって、その他のことは後回しで構わない。教育分野では優れたオンライン授業の構築こそ重要だという主張です(嗚呼パワポの録音まだやってない【泣)。禍転じて彼岸に足を踏み入れるか此岸にとどまるか、まさに重要な政治的判断の局面を迎えつつある。このさいだから、また余計なことを書いておきましょう。わたしは以下の3つの改革に期待しています。

  〈1〉オリンピック村のコロナ感染者・濃厚接触者への全面開放(オリンピックは4年延期)
  〈2〉公共事業等「不要不急」の予算を1年以上延期し、その経費を医療・学業・休業補償等へ
    転回。回向の思想です。
  〈3〉アカデミックイヤーを欧米基準に変更するか。議論は慎重であるべきだが、来秋からなら
    やらないほうがいい。いま困っているのは、小中高大の最終学年であり、かれらには来年
    4月と同時に9月卒業・入学の権利を与えたい。ためしにJリーグを欧米型に移行してみるか。
    まずは隗より始めよ。

 さて、みなさんにとってはどうでもいいことでしょうが、最近わたしは「麻雀警察」というyoutube動画にショックを受けています。感嘆し唸っていると言ったほうがいい。いちばん有名な動画は「誰も教えてくれないMリーガーの本当の強さ」です。これはすでに「黒い砂の器」の最後に貼り付けています。
  




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実績報告(2019年度環境大学特別研究費)

 研究題目: 四川高原カム地区のチベット仏教と能海寛の足跡に係る予備的調査研究

 研究実績の概要: 2019年8月20~28日、浅川、岡﨑滉平(本学大学院生)、何大勇(雲南民族大学教授)、韓正康(四川省民族研究所助理研究員)の4名で四川省甘孜藏(カンゼ・チベット)族自治州を訪問し調査した。本研究は当該地のチベット仏教遺産と能海寛の行程追跡の両方をめざし、同州の康定~丹巴~炉霍~色達~理塘~巴塘の踏査を目標にしていたが、色達~巴塘の距離は数百キロあり、能海が金沙江沿岸で足止めされた巴塘への移動は断念した。ただし、『能海寛遺稿』に記録の残る大渡河の瀘定橋を訪れた。一方、色達にはチベット仏教最大の寺院「ラルンガン大僧院」があり、外国人はめったに参拝できない高山の聖地である(標高4,000m)。調査対象はストゥーパ(宝塔)とマニタイ(摩尼堆)に焦点を絞った。両者は複合する傾向にある。昨年雲南で発見したマニタイについては、前期から凌立氏の論文「浅談藏族崇尚摩尼堆的缘由」(2005)を和訳して調査に備えた。この論文によると、マニタイは森林・湖畔・橋の袂・辻などに設置され、かつては狩猟のための防御壁であり、神霊(聖)と人(俗)の境に立つ道標でもあった。近年は死者を供養する役割が強化されており、親族に不幸があると、板石に「オン・マ二・ぺメー・ホーン(観音菩薩は心の中に)」の六字真言を彫って積み上げる。以前は幼少期から真言彫りの技術を習得したが、現在では専門の職工に機械彫りを依頼する。その工房も訪問した。四川での観察例では卒塔婆風の標柱はなく、墳丘状の積石のみ。雲南と同様、地下に遺骨の類は一切埋納しない。凌氏によれば、標柱は武器・狩猟具の意味があり、魔除けの道具であるという。武器を呪法具とする傾向は仏教の転法輪(戦車の車輪)がまさしくその類であり、モンゴルの石積オボーでも槍を突き刺す。真言を刻む板石を寺院に寄進する場合もある。德格県のザシ寺では、真言刻みの板石を数十万枚積み上げて壁とする「石経城」をみた。ストゥーパについては、仏教とボン教の両方でデータを収集した。今回とくに境内とストゥーパの位置関係に注目した。日本古代の特殊な仏塔遺跡(東大寺頭塔など)の解釈に貢献する可能性があると考えたからである。


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再訪ー蘇州古典園林(3)

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環秀山荘

 11月11日(月)。父の命日だ。昨夜契約した運転手と一日の行程を確認した。まずは環秀山荘からだというと、「あそこは小さくて有名じゃないから観光客は行きたがらない」と敬遠する。こちらにしてみれば、第1次評定(1997)4園のうちの一園であり、譲るわけにはいかない。どうやら環秀山荘の周辺に駐車場がないことがドライバーの躊躇する理由であるらしい。山荘のある景徳路の辻に車を停め、そこから結構歩いた。なんのことはない、この町並みこそが環秀山荘のバッファゾーンである。昨夜の宜多賓巷に似た白い風景がひろがっており、またしても懐かしさがこみあげてきた。


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 環秀山荘は唐~五代の銭氏金谷園の故地にあたる。宋代には文学者、朱長文の「楽圃」であり、明の万歴年間から大学士の住宅となり、清代は蒋楫、畢沅、孫士毅らの邸宅であった。嘉慶12年(1807)、園主の孫均が築山棟梁の戈裕良を招いて造園させ、道光年間に「環秀山荘」と改称した。別名「頤園」。1949年の解放時には荒廃しており、築山1ヶ所、池1ヶ所と補秋舫を残すのみとなっていた。1984~85年、蘇州市園林局と刺繍研究所から共同で出資して、「有谷堂」「環秀山荘」等の建築を再建し、植栽するなどして往時の園景を取り戻した。88年に全国重点文物保護単位。


https://baike.baidu.com/item/%E7%8E%AF%E7%A7%80%E5%B1%B1%E5%BA%84

http://www.e-asianmarket.com/suzhou/suzhou62.html

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 園景は築山(仮山)を主とし、池水がこれを補う。太湖石の扱いはとくに優れている。獅子林ほど太湖石の数は多くないが、質朴で重厚な趣があり、芸術性が高い。建築は少ない(敷地面積2,179㎡に対して建築面積754㎡)。この敷地は「蘇州刺繍博物館」に含まれ、堂宇の一部も展示等に活用されている。庭は小さいが、気の勢いが強く、中国人の自然観と人生観を映しだす華のようだと評されている。


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↑太湖石の築山。築山のなかに石橋、渓谷、洞穴を設けている。 ↓八仙卓
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再訪ー蘇州古典園林(2)

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五度目の蘇州

 昨年(2019)11月9日の中国建築学会シンポジウム講演(中国工業大学)の翌日、上海虹橋経由で蘇州まで移動し、1泊2日滞在した。振り返れば蘇州は5回めだが、実質20年ぶり。鄙びた古都、あるいは歴史的な地方都市の面影はおおきく薄らいでいる。いまや人口数百万人の大都市であり、ビルが林立する街は人混みにざわめく。私はと言えば、蘇州市街地のホテルに投宿する前から疲労困憊。前日の講演はエネルギーを凝縮し発散し続けた作業の最後の場面にすぎない。ステージに立って話をするのは体力・気力の最後の一滴を振り絞ってのことであり、半時間のパフォーマンスを終えるや否や、そそくさとホテルの部屋に戻り、横になるしかなかった。準備にエネルギーを使い果たしたのである。なにより中国語に苦しんだ。今回ばかりは通訳は絶対に使わないと心に決めていたものの、それは思いの外おおきな負荷になってしまった。


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怡園

 午後3時、園林群はまもなく閉園であろうと思いながらも情報を集め、いちばん近くにある「環秀山荘」をめざす。地図をみながらの町歩きであったが、方向音痴の実力をもろに発揮し、たどり着いたのは「怡園」であった。人民路に所在する怡園は世界遺産登録の九園には含まれない。1982年、蘇州市文物保護単位(1963)から江蘇省文物保護単位に格上げされていたので、第2次評定(2000)には間に合ったはずだが、選から漏れてしまった。清末に下る庭だというが、同里鎮の退思園などは光緒年間の作庭であり、あのとき申請していれば落選にはならなかったであろう。


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 怡園は清末の官僚、顧文彬が退官後帰省して造営した私邸庭園である。同治12年(1874)から光緒8年(1883)までの施工というから、作庭は明治前期にあたる。面積6,270 ㎡の敷地を東西2ブロックに分け、西に祠堂、南に住宅を配する。怡園の怡(い)は『論語』の名言にちなむ。「(にこやかに)なごむ」という意味である。

  子路問いて曰わく、何如なるをか これを士と謂うべき。子曰わく、切切偲偲怡怡の如きたるは
  士と謂うべし。朋友には切切偲偲、兄弟には怡怡の如きたり。
  《口語訳》 弟子の子路が「どういう人を士と言うべきなのでしょうか」と問うたところ、師(孔子)は答えました。
   「(まわりの人を)励ましなごませることができれば士と呼ぶべきです。友人を励まし、兄弟をなごませるのです。」


 訪問した日は、園内にモデルらしき女性が数名いて、麗しい点景になっていたが、近くに寄ると傾城というほどでもなく、白粉を厚くしてそれなりの衣装を纏えばこの役は務まるだろうと思われた(御免)。結婚式の記念撮影もやっていた。これもまた文化遺産の活用か。
https://baike.baidu.com/item/%E6%80%A1%E5%9B%AD/4851122


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宜多賓巷の砂鍋

 怡園を短時間で切り上げ、環秀山荘を足早にめざした。門前に着いたのは午後4時5分。制服を着た警官はあっさりいう。閉門した、と。がっくりきた。なにせ環秀山荘は第1次評定の対象だから。評定の前から国家重点文物保護単位の庭として認められていたわけだから、若いころ見学したのかどうか覚えていないが、期待に胸を膨らませていた。仕方がない。街をぶらつく。山荘に近い景德路の皮革商店に立ち寄り、牛革製のハットを買った。もちろん寅さんを意識してものだが、イタリア製7万円というわけにはいかないけれども、なかなかの値段をふっかけてきたので、少々まけさせた。


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再訪ー蘇州古典園林(1)

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第2次世界文化遺産評定

 本来は公開すべき案件ではないのだが、すでに20年が過ぎて時効扱いになっていると判断し告白すると、蘇州古典園林の世界文化遺産第2次申請(2000)の評定を担当した。当時、奈文研の一職員にすぎなかったが、立場上はICOMOSからの派遣である。第2次申請に先行する第1次申請は1997年におこなわれていた。パキスタンの研究者が審査を担当したと聞いている。蘇州古典園林の第1次世界文化遺産評定の対象は全国重点文物保護単位に指定済の以下4園である。

  1.拙政園  明・正徳4年(1509)
  2.留園   明・万暦21年(1593)
  3.網師園  清・乾隆24年(1758)
  4.環秀山荘 明・万暦年間(16世紀末~17世紀初)
 
 いずれも中国庭園(園林)の傑作であり、まもなくユネスコの世界文化遺産リストに登録された。


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 3年後におこなわれた第2次世界文化遺産評定(2000)では、以下の5件が対象となった。第1次申請と異なり、すべてが江蘇省の省級文物保護単位である。日本の文化財で喩えるならば、第1次の対象は国指定の重要文化財/名勝(あるいは国宝/特別名勝)であるのに対して、第2次対象は都道府県の指定クラスということにある。

  5.獅子林  元・至正二年(1342)   
  6.耦園   清・擁正~光緒年間(19世紀)
  7.芸圃   明・嘉靖年間(16世紀中頃)
  8.滄浪亭  明・嘉靖年間(16世紀中頃)
  9.退思園  清・光緒11~13年(1885~87)


拙政園 倚玉軒・別有洞天・荷風四面亭02 拙政園 倚玉軒・別有洞天・荷風四面亭

  
 評定は春近い2月下旬におこなわれた。まず第1次評定4園のうち拙政園と留園の見学を希望した。温かい江南地方に雪が舞い、微かな積雪をみた。十数年ぶりの出来事だという。黄昏の拙政園(↑)は緑と白銀の斑織りの絨毯に赤い夕陽が反射し、北寺塔(報恩寺塔)を借景にする池水の風情に溜息が漏れる。そのときまで既に二度訪れてはいたが、これ以上の感動を覚えた瞬間はない。留園もまた、蘇州最大の太湖石を立石とした「冠雲峰」などに度肝を抜かれた(↓)。いずれも世界遺産と呼ぶにふさわしい名園であると納得した。


留園01曲渓楼と濠濮亭 留園02冠雲峰


 第2次評定の対象5園も江南有数の名園ではあるけれども、単体としてみた場合、「省級文物保護単位に世界文化遺産の価値があるのか」という疑問が最初からあり、実見後も、拙政園や留園、あるいは揚州の重点文物保護単位「何園」「個園」には如かずという感触を拭えないでいた。「世界文化遺産の六つの登録基準(クライテリア)のうちⅵ以外の5項目に充当する」という中国側の主張についても、3項目が限度ではないか、と思っていた(一項目でも該当すれば世界遺産登録の資格はある)。


獅子林 仮山王国 太湖石の仮山と石峰
↑仮山王国「獅子林」 太湖石の仮山と石峰 ↓獅子林のバッファゾーン
獅子林 周辺の水路 獅子林 周辺の町並み


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Not optimistic, But pojitive!

台湾大学化学部の徐丞志准教授のモデルweb


Stay positive! Stay home!!

 超圧縮型のガイダンスが終わったとはいえ、授業はGW開けからです。しかし研究室活動として、3・4年のオンラインゼミを続けています。自粛中の学生たちに少しでも光明を与えたいと思い、パワポの最初に上のグラフを示し、今後の収束の可能性について素人ながら言及したところです。4月20日(月)に配信された以下のサイトをご覧になった方も少なくないでしょう。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200420-00010007-wedge-soci

 台湾大学化学部の徐丞志准教授(生物医学)は、これまで中国と韓国の感染者数の推移と収束のシミュレーションを試み、かなりの確度で的中させています。その人物が、このたび日本の近未来を予測した。徐先生は「悲観的シナリオ」と「楽観的シナリオ」の両方を想定しています。( )内は私の勝手な補足。

 楽観的シナリオ: 日本の感染のピークは4月16日となり、累計の感染者数は2万人以上に達する
          (が、そのレベルでとどまる)
       
 悲観的シナリオ: 日本の感染者数のピークは4月26日前後になり、日本全体の累計感染者総数は
          5万人に達する可能性がある。1日あたりの感染者は2000人を超える。

 徐先生は、「日本は第二の湖北省になる可能性はあるが、それ以上に被害が深刻なイタリアや米国のようにはならないだろう」と結論づけています。どちらかというと、彼の結論は「悲観的シナリオ」寄りであり、その理由は「湖北省のように厳格な都市封鎖(ロックダウン)をしていない上、韓国のように大規模な検査と隔離もおこなっていないので、感染が中韓よりも長く続くとみられる」からです。
 この根拠は的を得ている。しかしながらグラフは、「悲観的シナリオ」の場合でも、6~7月のあたりで収束の方向に転じるよう描かれています。これを鵜呑みにしてはいけませんが、前期中に狂騒曲は一段落する可能性があるのではないか。学生たちにはそう伝えました。前期内収束のためには、GWが終わってもなお「自粛」が必要であるのは言うまでもありません。これを継続できないなら、大学後期の正常開始はもちろんのこと、小中高校の再開だとか、来年のオリンピック開催はまず不可能でしょう。

 我々は決して楽観的(オプティミスティック)になってはいけない。しかし、いつも前向き(ポジティブ)に上をむいて歩いていきたい。ステイホーム&ステイポジティブがさらに数ヶ月の規範であり続けるでしょう。




パラダイム・シフト

パラダイム


コロナ後の世界像

 最近LABLOGで二度「パラダイムの転換」に触れました。コロナ禍以降、生活が大変わりして、デジタル嫌いの年寄りが、オンライン授業や電子書籍やU-nextパイレーツについて学び、それらの良さを評価し始めたわけですからね。驚いたことに、昨夜のBS1の番組では、世界の高名な学者やジャーナリストがこぞって「パラダイム・シフト」を口にした。いま革命的な変化がおきつつあり、賢者たちは同じような未来を頭に描いているのです。今回のコロナ禍で、社会生活や価値観が変わってしまった。その変わり方はすべてがネガティブなものではない。たとえば、オンラインの会議や授業は、コロナ収束後も十分活用可能なシステムになりうるし、クルーズ船のようなツアーはCO2をものすごく排出するだけでなく、疫病や戦争に巻き込まれる危険性が高いので半永久的になくしたほうがいいとか、院内感染を生じさせない医療システムの構築だとか、さまざまな新しい見通しを体験として得ることができ始めている。その結果、コロナ後の世界は、コロナ前に戻るのではなく、コロナ禍で得た新しい知見や技術を生かした世界に脱皮していく、と予想されるわけです。これを専門家は「パラダイム・シフト」と呼んでいる。社会構造と価値観の転換です。クーン以後、しばしば用いられた概念ではありますが、今まさにわたしたちはそうした画期のなかにいる。

 昨日、学位授与後はじめて、旧4年生・大学院生にメールを送りました。「めばるさん」のことを伝えたかったからなんですが、さっそく2名から返信がありました。一人は神戸、一人は埼玉です。二人とも特別警戒地域で生活していて、鳥取を「楽園のようだった」と懐かしんでいます。それだけ彼の地では感染状況が悲惨であり(すでに医療崩壊しているとの報あり)、入社式から研修まで何もかもオンラインだったということです。そして、二人とも使用ソフトは「ズーム」だと教えてくれました。ところが、奈良からたまに連絡をくれる某銀行員によりますと、ズームは情報がすべて中国に筒抜けで流れる仕組みになっているので、自分たちはスカイプを使っていると言ってます。スカイプのオンライン飲み会が流行っているんだって。


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砂の器-全国緊急事態宣言

 本日は、全国緊急事態宣言開始の一日でした。新学期の改訂スケジュールが送信されてきたばかりの昨日夕刻、NHKが緊急事態宣言の全国拡大を速報で伝えたため、確定したはずのスケジュールは「砂の城」となり、本日、対人接触頻度をさらに少なくした改訂版が再送信されてきました。
 ガイダンスは4月20~21日のみで、3年以上は中止、授業は5月11日以降。非面接系のオンライン授業が大半を占めることになりそうです。私見では、ゼミはwebexが機能しそうですが、大人数の講義は別のソフトのほうがいいでしょう。あるいは、このさいだから、大学内に何室かスタジオを設置し、ライブもしくは録画で講義を配信するのがよいかもしれません。コロナ禍が去っても、スタジオは有効に働くでしょう。

黒い砂の器

 さて、県内では「砂の美術館」の関係者が1名感染したことをめぐって、県知事と市長の間にぎくしゃくした空気が流れました。その殺伐感が映像として報道されてしまった。私見ながら、感染者1名/経路不明という市側の説明は納得できるものではありません。「砂の美術館」の海外アーティスト17名や近親者を含む40名以上が陰性であるとすれば、いったいだれが罹患者にウィルスを感染させたのか。弥生町などの飲食店に源があるのかないのか。謎が謎を呼んでいるのは、海外アーティスト17名のうち帰国した14名全員が陰性であるという情報を鵜呑みにできないからです。犯人探しなど意味がない、前をむいてウィルスと共闘すべき、というのが不機嫌な市長さんの主張ですが、こういうと申し訳ないけれども、こうした正義感で歴史的真実を覆い隠そうとしているように外野席からはみえてしまう。少なくとも市は、

  1)リスクの高い自粛の時期に17名の外国人を県内に長期滞在させたこと
  2)外国人の作業場所が「美術館」という密閉空間であったこと
  3)全国の多くの博物館・美術館が休館を余儀なくされているなかで、開館を準備したこと
  4)県外者の来県を控えてほしい時期に旅客を招きいれる観光施設の展示準備をしたこと

の4点について、誠実な説明をしてただきたい。また、感染者1名という数の矛盾についても理解可能な情報公開が求められます。誰かが罹患者に感染させ、罹患者は別の誰かに感染させた可能性があるとすれば、感染者は少なくとも2名以上でなければ理屈にあわない。隣接する島根県では、最初の1名が発見されたあと芋ヅル式に人数が増加したわけですが、こちらのほうがよほど自然にみえます。感染者を非難するつもりはまったくありません。問題とすべきは情報の隠蔽や意図的な操作であり、美術館展示を強行しようとした理屈と背景です。



↑「黒いデジタル」石橋伸洋(パイレーツ・最高位戦)。これが弱いのね。全然黒くない。パイレーツの3番手は渋川難波と入れ替えだという噂が毎年流れます。がんばれ、石橋! 応援してるぞ!!


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またもやアイアンロード

 「アイアンロード~知られざる文明の道~」のフルバージョン、すなわち前編「古代ユーラシアを変えた 荒野と草原の民」と後編「東アジアの激闘 そして日本が生まれた」は、2月7日(金)と14日(金)に連続放映されたのですが、なにぶん貧しくて、BS4Kなど視られるはずもなく、あとで奈良と鳥取にDVDを送ってもらいました。
 そのフルバージョンが、ついに地上波(Eテレ)で放送されます。以下の日時です。

前編:4月19日(日)午後2:30~3:44 
後編:4月26日(日)午後2:30~3:44

 青谷のCGが登場する日本パートは後編です。興味のある方はぜひ録画してください。ただし、コロナ禍の影響があり、放送時間が変更になる可能性もあるそうです。

 というわけで、寝ても覚めてもコロナさ。昨日のBS-TBSの夜の報道番組では、韓国の感染医療システムを紹介していました。見事ですね。韓国はあきらかに収束の見通してを得ている。ロックダウンとか、休業補償とはまったく異なるコンセプトで韓国はコロナを抑え込んだ。ドライブスルーのPCR検査以上に、医院外に650ヶ所以上設けたコンテナ式の屋外診療所(発熱外来?)が効果を発揮しています。院内感染を防ぎながら、大量の検査が可能になった。さらにまた隔離者の施設、食料等の配給も十全であり、その一方で隔離者の行動をGPSで徹底的に追跡し、違反者には罰則を適用しています。アメとムチの使い分けが上手い。こういう方法だと極端な都市封鎖をしなくてもよいので、一定の経済活動の継続が可能になります。革命的な手法ではないでしょうか。このたびの総選挙で大勝したゆえんです。
 日本は要らぬプライドを捨てて、台湾や韓国の先進的な手法を積極的に取り入れるべきだと思います。場合によっては、専門家を招聘してシステム構築を指導してもらったほうがいい。国際関係改善の一助にもなる。欧米にではなく、台湾・韓国に学ぶことで事態は好転する可能性が十分ある。パラダイムの転換だね。


アイアンロード01地図01 アイアンロード02
いま知りたいのは「鉄の道」ではなく、「コロナの道」ですよね。これだけ世界中に感染者が増えているということは、それに比例してデータが多いということだから、大量のデータを時系列に再構成すれば、コロナの起源と拡散が明らかにできるはずです。これはWHOの仕事だと思うのですが、この組織には残念ながら期待できないけど・・・

新年度初ゼミ-オンライン授業の試み

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Cisco Webex オンライン会議

 昨日は4年、今日は3年の初ゼミをおこないました。新年度の開校は4月20日以降ですから、もちろん出校してのゼミではありません。Cisco Webex というオンライン会議のフリーソフトを使用してのゼミです。Cisco Webex については、8日の学部会議で講習があり(個体間距離を確保するため大講義室で開催)、なんとか動かせるようになりました。その後、ゼミ関係者にマニュアルをpdfコピーして送信し、昨日と今日のゼミのためにインストールを終えて、わたしのミーティングに参加できるよう要請しておきました。結果は良好。会長以外、ほぼすべてのゼミ生とオンラインでの面談が可能となりました。以下にわたしのミーティングサイトと番号を公開しておきます。

https://meetingsapac4.webex.com/join/asax13
571677116

 こういう情報を公開しても大丈夫です。不審者が乱入しようしても、「許可」のボタンを押さない限り、ミーティングに入ってくることはできませんのでね。

 昨日の4年生卒論ゼミは順調かつ楽しく進行しました。ひさしぶりに皆の顔をみて安堵し、前期の活動方針もほぼ固まりました。今日の3年生ゼミは、最初は6人中3人しか会議に入ってこれませんでしたが、少しずつ参加者が増えていって、若干1名の声が聞こえなかったものの、次回はうまくいくであろうという感触を得ました。大変有用なテレビ電話システムです。スマホを使わないので不案内なのですが、この分野ではスカイプやズームが人気が高いようですね。シスコ社も最近、テレビでCMをよくみかけます。心配なのは100名前後の学生に講義するケースですが、それは有料のソフトを使うらしいので、またいずれ別に報告しましょう。
 少なくともゼミでは、フリーソフトでも十分役に立ちます。在宅で全員の顔をみながら、パワポなどの資料を画面で共有し、話ができます。学内演習室のゼミでも効果的です。感染防止のため個体間距離を3m以上とる場合、学生の声が聞き取りにくくなりますが、このオンラインソフトを併用すれば、音響器材なしで十分コミュニケーションが可能になります。大きな声を出す必要もありません。
 わずか2日間の経験ですが、オンライン授業の手ごたえをつかんで、少々元気になりました。


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実績報告(2019年度科学研究費)

研究題目: ブータン仏教の調伏と黒壁の瞑想洞穴 -ポン教神霊の浄化と祭場-

 研究実績の概要:   2019年度は8月に四川高原のギャンツェ・チベット族自治州でチベット仏教のストゥーパ、マニタイ、リンボン(石積)等を調査し、9月に第8次ブータン調査をおこなった。第8次調査の主フィールドはワンデュポデン県ポプジカであり、ガンテ寺、クブン寺、ケワン寺などで本堂の尊格配置、護法尊、ストゥーパなどについて調査した。とくにケワン寺は表向きニンマ派の仏寺だが、7世紀に起源が遡ると伝承されるボン教の寺院であり、本堂1・2階の中央間は仏像を安置するものの、2階の脇間はボン教の秘仏を祀る隠し部屋としている。中国の西蔵側には今もボン教寺院が散在するが、ブータンではここが唯一のボン教寺院である。
 ガンテ大学の仏教大学長と2時間ばかり面談し、白壁と黒壁の洞穴での瞑想の違いや護法尊の由来をご教授いただいた。学長によれば、白(善)と黒(悪)は必ずしも対立する概念ではなく、表裏一体の関係にあるという。たとえば、人間の心の中にも白(善)と黒(悪)が同居しており、黒い部分を浄化することで一定の神格に再生しうる。これはボン教神霊を調伏した護法尊ではなく、いわゆる憤怒尊と係るであろう。
 11月9日の建国70周年中国建築学会招聘講演(北京)で東大寺頭塔を復元的に論じる際、チベット密教のストゥーパの構造形式や境内との配置関係とも比較した。また、11月16日の中国科学技術学会招聘講演(福州)で木造建築の科学的年代測定について論じる際、ブータン各地に残る版築壁跡から採取した有機物の炭素14年代についても言及した。新年2月11日には、ブータンからカルマ・プンツォ博士(オクスフォード大学東洋学phd)を招聘してフォーラム「Human wellbeing from the view of Bhutanese Buddhism」を鳥取で開催する予定であったが、コロナ禍のため延期となった。今年度秋以降の再開で調整している。

 キーワード: ブータン チベット仏教 後期密教 護法尊 憤怒尊 調伏 ボン教 ポプジカ

 進捗状況と進展状況:  第8次調査では護法尊や憤怒尊の情報を多く得ることができ、ブータン唯一のボン教寺院「ケワン寺」を訪問することもできた。ドゥクパ・クンレーの伝承に因むファルス信仰についても、民家軒先につるす木彫ファルスが剣と複合的に表現されることを実際に観察した。この場合、ファルスは魔除け、剣は無知を切り裂く武器である。また、高名な僧侶から長時間のヒアリングもおこなえた。こうした成果を、中国の建築学会(北京)と科学技術史学会(福州)で発表することもできた。中国とブータンは国交がないけれども、西北雲南や四川高原の旧チベット領カム地方はブータンと宗教/文化的なつながりが強く、昨年度は四川高原のチベット族自治区を訪れ、多くの情報を収集できた。二つの学会の招聘講演でも、チベット仏教やブータンの文化遺産について強い関心を抱いていただいたと確信している。ブータンと中国領チベット仏教文化圏の宗教文化/文化遺産の調査と研究を十分遂行したと思う。昨年度、唯一残念だったのは、ブータン史・チベット仏教学の大家、ローペン・カルマ・プンツォ博士を囲むフォーラム「Human wellbeing from the view of Bhutanese Buddhism(ブータン仏教からみた人間の幸福)」が新型コロナウィルスのため中止になったことである。コロナ・ウィルスが蔓延し始めた2月初旬のことだが、こればかりは防ぎようのない事態であった。国際状況を鑑みながら今年度内での開催をいまいちど模索したい。カルマ博士とは、昨年9月の第8次ブータン調査の際、首都ティンプーで面談し、鳥取でのフォーラムをご快諾いただいたばかりか、今年度は博士の故郷である中央ブータンの廃寺にご案内いただくことになっていた。コロナ禍が収束しない限り、実現がむつかしく、予算が執行できるか不安を抱えている。ブータンに近接する旧チベット領カム地方(西北雲南・四川高原)でも調査を継続したいが、こちらもコロナ禍の問題を抱えている。海外渡航が禁止される場合は、外国文献の翻訳や論文の執筆、報告書の編集に集中するしかないかもしれない。


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ダーナの論理

摩尼寺参拝祈願

 4月9日(木)、報告書を持参して数ヶ月ぶりに摩尼寺を訪れた。門前に人影はまったくない。茶屋の灯りも消えている。そのまま、脇道の山道を車で上向。本堂裏の境内片隅にたどりつき、庫裏の正面側まで歩いて行った。ここも人影はない。そこに住職代行があらわれ、報告書を手渡した。

  「この境内だけはコロナの塵埃がまったく感じられませんね~」

  「ええ、ここは浄化されてます、大丈夫です。」

 そんな会話をしてから本堂を参拝。ささやかなお賽銭とともにコロナ駆除を祈願した。馴染み深い静閑な山寺に癒された。

 もう一ヶ所、報告書を預けたいところがあった。市内の紅茶店には、かのシンポジウムの広報でお世話になっていて、できればお茶を飲みながら報告書の内容を語り合いところだが、そういう時期ではないという自覚も強くあり、行くべきか否か車中で悩んだが、もしも客人がいたら入店しないと決めて長田神社の方角をめざした。こちらも人影がない。一台の車も停まっていないし、ガラス窓越しに店内を覗いたが、やはり一人の客もいなかった。少々安心して扉をあける。報告書をわたして、茶葉を買いたいというと、「いまはキームン以外、神戸の貿易商に茶葉が届かない事態になっていて、生憎ですが売れないんです」とめずらしく素っ気ない。少々粘る。

  「このまえマツコの番組をみていたら、チャイの達人おじさんがでてきてね。アッサムCTCを
  水とミルクで煮出したあとルフナで香りづけすると良い味になるとのことなので、試したくて
  買いにきたんですけどね・・・」

と事情を説明すると、あっさり了承され、CTCとルフナを50グラムずつ売っていただいた。八朔のマーマレードも買った。この人気店に一人の客もいないのをみたのは初めてのことである。
 この夜、島根で初のコロナ感染者が発覚した。その松江の高校生は夜の飲食のバイトをしていて、先月の3連休に母親と大阪旅行をしたとのこと。母親も感染しており、濃厚接触者は少なくないようだ。ネット上では、鳥取・島根の両県民が励ましあうコメントが溢れ、島根などの県外者から鳥取に対して「決勝進出おめでとう! 優勝してください」との激励があった。


禁断の蕎麦屋

 翌日、まる十日ぶりに奈良の自宅に戻ることにした。鳥取道は修理工事中で、河原インターから地道に降ろされ、智頭南まで走っても高速に上がれない。駒帰を過ぎて「みちくさの駅」が右手にみえたので、蕎麦の誘惑をこらえきれず入店。やはり客は一人もいない。3月いっぱい冬季休業だったので、久しぶりに大ザルをたくりたかったが、残念なことに、蕎麦は最後の一人前(並)しか残っていなかった。客足が落ちこむことを見越して、蕎麦打ちの量を減らしているのだという。また、テーブルは対面を回避するため片側座席に変更していた。二人でざるそば一杯、半殺し餅2本を注文。その後、お客が二組(3名+1名)入ってきた。二組とも蕎麦を所望したが、申し訳ないけれども、いま売り切れたばかりであり、一組は珈琲、一組はそばがきを注文された。



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素人の独り言

mリーグをつくろう

 本日夕刻、緊急非常事態が7都府県で発令されるようですね。主将も焦らしてくれるではありませんか。もうね、ここにきて躊躇している余裕はない。野球もJリーグもラリーガもセリエAもみんな中断してるし、トップリーグやウィンブルドンや全英オープに至っては中止なんだから、オリンピックの日程固めてる場合じゃありません。五輪などなくても人類は死滅せんからね。感染症から人類(国民)を救うために選手村を開放すべき日が近づいてるんじゃないでしょうか。
 ともかく、スポーツ中継もなにもあったもんじゃない。いまやライブ映像で観戦できるプロ・スポーツ?といえば、mリーグしかありません。すでにプレーオフのセミファイナルも終わり、ファイナル進出の4チームが決まりました。全体的に言えるのは、モンドTVを支配してきた日本麻雀連盟のエース級が続々敗れ去ったことであります。その最たるはフリン火山の二階堂・勝俣(+滝沢)、ついで雷電の瀬戸熊・黒沢、さらには麻雀格闘倶楽部のヒサト・前原・高宮・藤崎・・・こんなに負けていいのか、会長。小島さんが三途の河原(の向こう)で不甲斐ない、不甲斐ないとフガフガしてるぞ。最後の砦はサクラナイツの沢崎とフェニックスの魚谷か・・・やはり昭和の麻雀はデジタルには敵わないんだな、連盟はおおいに反省して雀風の改革を進めてください。





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近代化遺産は元気かい

石孫本店礼状web


湯沢からの礼状

 秋田魁新報3月8日8面(文化面)に7段ぶち抜きで掲載された「近代化遺産は元気かい」は反響が大きかった。以下は、元秋田県教委の文化財保護スタッフでリーダー格だった方からのメール抜粋である。

  (略)それにしても、30年間に指定登録済みを上回るほどの消滅件数になったのは、
  どう振り返れば良いのか、記事を読み込んだ県内読者が、当時の事務局担当者に問い
  あわせたのも分かるような気がします。解体消滅が避けられないとして、古材リサイクル
  のような具体策の提言も傾聴すべきと思います。加えて、やはり文化財行政の体制強化、
  そして文化財アーカイブ論のような方法論の確立は、どうしても、必要なことのように
  読ませていただきました(文化庁長官に読ませたいです)。ある意味、この国をどうもって
  行くか、とても、とても大きな問いかけの一端を、秋田の近代化遺産を材料に記事にして
  いただきました。ありがとうございます。

 これ以外にも県内外から暖かいコメントをメールで頂戴していたのだが、新学期になって郵便物を受け取りに行くと、メールボックスに達筆の葉書が投函されていた。『秋田県の近代化遺産』第3次調査で訪れた湯沢市の老舗醸造元、石孫本店社長さんからの礼状である。社長の奥様からも新聞社に「(新聞記事を読んで)土蔵を大切に維持しようとの思いを強くしました」との礼状が届いたそうだ。ささやかな雑文が紙面を飾ることで、登録文化財所有者の保存意識が高揚したという成果を実感し、とても嬉しく思った。多くの民家や近代化遺産が消滅し登録抹消されていくなかで、石孫本店は健全な保全活用を継続している稀少かつ貴重な例である。


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今井町の静閑

 一方、近畿の私立大学のベテラン教員からは久しぶりに電話を頂戴した。町並みのアーカイブを4Kで作成しようとしている方であり、重伝建「今井町」を素材に新しい研究に着手しつつあるということで、vrxplayerというフリーソフトと動画のデータを送信してくださった。このさいだから春休みを利用して、久しぶりに今井町を訪ねてみようと思い立った(患者は付き合ってくれなかった)。今井町や大阪の富田林は、町並みの質が猛烈に高いのに、それを町づくりに活かそうという意識が低い。観光客むけに町家等を改修した土産物店やカフェ等が少ないのである。信長と一戦交えながらも一目置かれた寺内町としてのプライドが遺伝子となって抑制を効かせているのか、高級な歴史的町並みを観光資源にしようという意欲が希薄である。観光振興の極致というべき倉敷などとは対極の閑けさに包まれている。


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今年も、二つの新作

能海表紙web


 昨日(2日)、新入生との短いミーティングがありました。入学生を3班に分けて3つの時間に振り分け、大教室内部でもチュータ(担任)単位に大きなブロックを設けて、学生たちが席を離れて着席し、15分程度の情報交換をした次第です。鳥取県の場合、未だ1名も感染者がでていませんが、本学の新入生・在校生の7~8割は県外者であり、感染を回避するためには致し方ない措置だと思います。こうした短い交流を済ませ、学部事務室に立ち寄ると、年度末に編集した二つの報告書が届いておりました。年末から年度末にかけて海外出張を控え、老骨に鞭打って校正とレイアウトに取り組んできました。能海の報告書については、3年女子1名が編集長として整理を補助してくれましたし、表紙は3年男子1名が方針を決めてくれました。そして、昨年から知己を得た地元の印刷会社さんが粉骨砕身尽力され、年度内の納品が叶ったこと、とても嬉しく思っています。
 以下、書誌情報です。

能海寛を読む

 2018年度にゼミ生全員で輪読し、アヤカメさんが卒論としてまとめた研究の成果報告書です。令和元年度公立鳥取環境大学特別研究費「四川高原カム地区のチベット仏教と能海寛の足跡に係る予備的調査研究」の成果でもあります。

1.書名: ASALAB報告書 第38輯
      能海寛を読む-『世界に於ける仏教徒』の口語訳と批評- 
2.編集: 浅川滋男・森彩夏
3.版型: A4版横書(ただし第2章と付録2は裏表紙より縦書)総頁数118p.
4.発行: 公立鳥取環境大学
5.発行年月: 2020年3月
6.印刷: 西尾印刷所

7.目次:  第1章 序論
       第2章 『世界に於ける仏教徒』口語訳(巻末に縦書で掲載)
       第3章 能海寛を読む-『世界に於ける仏教徒』批評
       第4章 おわりに
       付録1 雲のかなたへ-白い金色の浄土
       付録2 明治26年刊『世界に於ける仏教徒』原文転載 (総頁数118p.)  


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魏志倭人伝を読む

 こちらは記憶に新しい昨年度(2019)P2&P4「漫画と文献で読む魏志倭人伝」の成果です。学内内部資料の教材として編集しました。書誌情報は以下のとおりです。

1.書名: ASALAB報告書 第39輯(内部資料)
      魏志倭人伝を読む-後漢書倭伝・魏志倭人伝・宋書倭国伝の口語訳- 
2.編集: 浅川滋男
3.版型・頁数: B5版横書 32p.
4.発行: 公立鳥取環境大学保存修復スタジオ
5.発行年月: 2020年3月
6.印刷: 西尾印刷所
 
 *入手希望の方はご一報ください。ただし、『魏志倭人伝を読む』の方は内部資料の教材ですので、本学の関係者以外には基本的に頒布できません。

   ASALAB報告書 第40輯 まで あと1冊!!

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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