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近代化遺産を往く-秋田紀行(1)

0824増田02町並み01旧松浦家(重文)周辺 図01 増田-旧松浦家(重文)周辺の町並み


 令和二年度(2020)公立鳥取環境大学特別研究費に採択された「文化遺産報告書の追跡調査からみた過疎地域の未来像」の一環として、去る8月24日(月)~27日(木)の4日間、秋田県各地に所在する近代化遺産を訪問した。これは浅川が編集した『秋田県の近代化遺産』(秋田県教委1992)の追跡調査である。昨年も同種の予備的調査を地元出身の学生が自主的におこなったが、今回はドローンによる空撮やヒアリングなど、一歩踏み込んだ調査に取り組んだ。本文は副題に「紀行」の語を含むが、行程に沿った旅行記の体裁はとらない。遺産の特性によって種別を分け、各種別ごとに現状を報告する。

1.近代化遺産と町並み

(1)重伝建「増田」の町並み
 8月24日(月)、コロナ対策のため東京羽田経由ではなく、伊丹空港から秋田に向かう。スーパーはくと4号(鳥取~大阪)はガラガラ状態、JAL2173便も空席が過半を占めている。午後2時半過ぎ、秋田空港に到着。池田憲和氏(秋田県文化財協会副会長)と小林克氏(元秋田県埋蔵文化財センター所長)の出迎えを受ける。池田先生は、平成2~3(1990-91)年度に実施された「秋田県の近代化遺産総合調査」で教授と行動をともにされた方である。ちなみに、秋田県の調査は、全国の近代化遺産調査のさきがけとして群馬県と同時に実施されたものという。


0824増田00ポスター 重伝建「増田」ポスター


 挨拶もそこそこに予約していたレンタカーで県南内陸部の横手市に向かう。1時間ほどで横手市増田町の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に到着する。車を保存地区南端の「増田の町並み案内所 ほたる」に駐車し、南北にのびる増田蔵町通り(小安街道)を北に進む(図1)。見慣れた重伝建の景観と違うと感じたのが第一印象。後で、通りに面する主屋の外観と、いわゆる「看板建築」の存在からくる印象であることに気づく(図2)。


0824増田02町並み02看板建築群01 図02 蔵町通り(小安街道)に軒を連ねる看板建築


 重伝建の「横手市増田伝統的建造物群保存地区」は、出羽国を縦断する羽州街道から分かれ、宮城県に抜ける東西方向の手蔵街道と、南北方向の小安街道の交わる交通の要衝に形成されている在郷町である。明治時代には、生糸や葉タバコの集散地として栄えたという。保存地区内の伝統的建造物は、短冊型の敷地に通り側から、店舗兼住宅の主屋、その背後に主屋と連続する鞘(さや)と呼ばれる上屋で覆った土蔵(内蔵)を設け、その後ろ側に別棟になる土蔵(外蔵)や付属屋、庭などを配置する。増田の町並みの特徴は鞘で覆われた内蔵にあり、「蔵の町」として知られている。これら建造物の多くは明治時代以降の普請という。どうやら江戸時代に数回発生した火災と豪雪が影響しているようだ。建造物以外にも、江戸期に整備された地割と水路などが今も存続し、近代にかけて繁栄した歴史的風致をよく伝えている。この町並みを顕彰する住民の動きは平成11年頃からみられ、平成22年度からの伝統的建造物群保存対策調査をへて、平成25年(2013)重伝建に選定されている。


図01 増田の町並み
↑↓ 重文「佐藤家住宅」の2階からみた対面の住宅と町並み
0824増田01佐藤家02対面の住宅01
*図1枚増加の場合、↑を使う


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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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