復元検討web会議(第4回)

7月22日(木)午前、第4回復元検討web会議を開催した。「円形建物」をはじめ、全体の構想が煮詰まってきたが、細かな問題もも浮き彫りになってきている。発掘データを重視する建築考古学と建造物修理の立場で若干意見の相違があるけれども、どちらかを優位に位置づけることはしない。復元に決定打はなく、複数の案を呈示するというスタンスを維持したい。
1.円形建物-栄山寺八角堂をベースとするオーソドックスな案
これまでの協議をうけつぎ、建設年代の近い栄山寺八角堂をベースとする復元案を第1案(主案)とする。すでに軸部のパースを描けるほどの段階に達しているが、以下のような問題についての指摘があった。
1)基壇を栄山寺に倣って八角形にするのはよくない。現場の地覆抜取穴を観察すると、2~3枚の直線状の遺構はたしかに存在したが、発掘担当者はその全体を「円形」と表現しており、調査者の意見を軽視して「八角形」と断じるのは控えるべき。「円形に近い正多角形」と考え、基壇の形状は土庇(裳階)屋根の十六角形に準ずることとする。
2)基壇の階段が土庇柱に近接しているが、もう少し短くしたい。基壇高を低くする必要がある。
3)裳階の垂木掛を本体の頭貫の位置としているが、古代建築を調べ直してみると、向拝や裳階の垂木上端は連子窓マグサの位置に渡した内法長押に掛けている。こうすると、屋根上面がちょうど頭貫の位置で納まる。
4)建物の高さを確保するため柱の長さを1.2~1.3倍したが、建具はもとの寸法のままになっている。軸部全体を1.2~1.3倍する必要がある。これによって、垂木掛の位置もある程度は高くなる。
5)土庇(裳階)の屋根は板葺き案だけでなく、檜皮葺き案も必ず作成する。一方の案では、基壇を八角にするか。
6)本体瓦屋根の隅に風鐸を吊るすならば、1980年代の調査(奈良大学報告書)で出土しているので、その遺物を参照せざるをえないか。
7)土庇柱と本体柱をつなぐ虹梁の中間に蟇股(東大寺転害門)を配しているが、貧相な掘立柱に似合わないので、どうしても蟇股を使いたいなら、おとなしい造形のものとする。

2.円形建物-興福寺北円堂を意識した第2案
興福寺北円堂が奈良時代の和様をよく継承していると仮定して構想した副案についても検討した。
1)奈良時代には、尾垂木のない三手先の建物が確認されていないが、今回はそれを北円堂が継承している、と仮定して採用する。こうした三手先により、土庇(裳階)上が高く華やかになり、八角屋根が際立つ。
2)八角堂の隅に三手先を設ける場合、栄山寺風の四本柱ではおさまらない。夢殿風の内側八本柱に変更する必要がある。
3)掘立柱の貧相な土庇と本体をつなぐ虹梁は省略することも考える。