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ウクライナ避難民支援と人類社会の未来像(3)-民族共生/ごちゃまぜ型の居場所に係る考察

3.ウクライナ避難民と地方居住  

 出雲に逃れたロシア人  ここからウクライナ等避難民の話題です。在留ウクライナ人の数は今二千人を超えています。その国内分布は東京、神奈川、大阪など大都市圏に集中しています。鳥取や島根など日本海側諸地域への避難者は大変少ない。日本の人口分布そのままの「過疎過密」状態が読み取れます。これは必ずしも避難民の指向を反映したものでないことは後で述べます。わたしたちは、日本やブータンで、田舎暮らし、あるいは過疎地の居場所の問題を長く考えてきましたので、避難民についても地方居住の観点から考察しようと思います。
 わたしたちが最初に接触したウクライナ戦争の被害者はロシア人でした。ロシアの古都サンクトペテルブルグの日系IT企業で働いていた4人のロシア人が昨年6月、島根県出雲市に避難してきたのです。そのうち1名の男性がモスクワで反戦デモに加わって拘留されました。保釈されたものの、懲罰としてウクライナの最前線に派兵される可能性が高まったので、日本人のCEOが4名を日本に連れ帰って来たのです。なぜ出雲かというと、CEOとコネのある人物が出雲にいて、その人物に支援を要請し受諾されたからです。4名は、まさか出雲に滞在することになるとは思っておりませんでしたが、出雲にいる長所・短所を以下のようにまとめています。まず長所ですが、
  ①都市部に比べて家賃が安い、物価が安い、暮らしやすい。
  ②優秀なIT技術者ならどこにいても、世界中の仕事ができる。
  ③戦争のストレスが長閑な田舎暮らしで癒される。
ですが、短所については、
  ④友人・知人が少ない。外食しようにも、仲間がいない。 
とのことです。
 4名のロシア人は、ウクライナ避難民の雇用や住宅を支援するネット上のサイト「Dopomoga」を立ち上げ、出雲を拠点に活動を続けています。情報時代の田舎暮らしを実践している点、わたしはとても感銘を受けています。

 彦根のキッチンカー  2022年の9月初旬、彦根から福井、石川をまわり、9名のウクライナ避難民と面談しました。滋賀県彦根はウクライナ人の運営するキッチンカーで有名です。日本人男性に嫁いだ娘を頼り、イリーナ・ヤボルスカさんは彦根に移住してきました。支援してくれる日本人に恩返しをしたいという思いとともと、日本人に「ウクライナの日常文化」を知ってもらいたいと考え、彦根城下に「ウクライナ・スイーツキッチンカー」Faina(ファイナ)をオープンしています。イリーナさんは英語も日本語も話せません。言葉によるコミュニケーションが難しいけれども、食べ物ならなんとかなると考えられたようです。ほんと、現場で観察していても、スマホの翻訳機能以外、何も使えないのに、よく意思疎通できるものだと思いました。
 メニューはウクライナのクレープ「ブリンチキ」、伝統的なドリンク「ウズバル」、オリジナルの「ファイナシェイク」です。
・ブリンチキの中身は、チキン(温)、サーモン(温)、チーズ(冷)の3種類です。
 キッチンカー「ファイナ」は、レンタルでスタートしましたが、クラウドファンディングで寄付金が貯まったので新車を購入し、その後、東京丸の内店、大阪淀屋橋店をオープンされたようです。まるで田舎志向がありませんが、これは大都市に滞在する多くのウクライナ人の「職場」をめざしているからだそうです。ただ一つ心配になることもありました。ファイナのメニューは三品しかないのです。このたびは取材ということもあり、二日連続でキッチンカーを訪問しましたが、ただの旅行者なら一度の訪問で十分であったでしょう。なかなかリピータを確保しにくい状況にあり、持続的な経営が不安視されるところです。知人がキッチンカーを経営したことがありましたが、その人物の発言によると、キッチンカーは90%閉業する、といいます。その人の場合、800万円で購入したキッチンカーの新車が、売却時には200万円にまで値を落としたそうです。


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ウクライナ避難民支援と人類社会の未来像(2)-民族共生/ごちゃまぜ型の居場所に係る考察

2.社会福祉法人「佛子園」の取り組み

 ごちゃまぜのまちづくり  2020年から21年にかけて、コロナ禍で海外渡航が不可能になりました。ブータンにも行けないので、わたしたちは、ブータンと係る日本国内の人や組織を探しました。そこで圧倒的に興味を引いたのが、石川県白山市に本部をおく社会福祉法人「佛子園」です。佛子園は2013年以来、ブータン高地貧農支援のため、ブータン産の蕎麦の実を大量に輸入しています。障碍者を含む農家から優先して蕎麦実を買っているそうです。輸入した蕎麦の実は機械製粉・製麺をおこないます。手打ちしないのは障碍者を雇用するためです。そして、ブータン蕎麦を主要なメニューにした居酒屋を福祉系複合施設の中に必ず設けます。これについては、あとでまた述べます。
 佛子園」は、いわゆる特別養護老人ホーム(特養)型施設のアンチテーゼとして台頭してきました。その活動方針は「ごちゃまぜ」です。「ごちゃまぜ」とは、

   障害の有無、性別、年齢、国籍、文化、人種や宗教、性的指向など
   あらゆる人が認め合い、つながること。

です。非常に特殊なことを主張しているようですが、これは現実の社会のあり方に近いものですね。また、「国籍、文化、人種や宗教」という項目に注目するならば、本研究の主題である海外からの避難民の同化や多民族共生社会と重なり合う概念だと考えてよいでしょう。佛子園は、これまで排除・隔離されてきた障碍者や認知症系高齢者を普通の社会に近い状態で健常者と共存してもらいたい、と思っているのです。これを「ごちゃまぜのまちづくり」と呼んでいます

 B`s行善寺  佛子園は石川県内に数か所、福祉系の施設を抱えていますが、まず拠点となる白山市のB`s行善寺を紹介します。ご覧のとおり、ウェルネス(ジム)、保育園、児童発達支援センター、住民自治室、クリニック、カフェ、キッチンスタジオ、温泉、蕎麦処「やぶそば」、製粉・製麺工場などが中庭を囲むように配置されています。B`s行善寺の速水代表の言葉を借りるなら、「過疎社会において一施設一機能の時代は終わった、多機能で人を集める」という方針であり、老若男女が集う多様な施設が同居し、まさに「ごちゃまぜ」の都市的様相を呈しています。いま鳥取県内では、トスクや道の駅が不振に陥り、逆に、ドラッグストアが機能を拡大し勢力をひろげています。過疎地の施設の在り方自体を考え直す時代になっているともいえるでしょう。  
 B`s行善寺の中核がブータン蕎麦の店「行善寺やぶそば」です。ブータン蕎麦を主要な食材にしているので、名目は蕎麦屋ですが、実質は居酒屋に近い。障碍者、高齢者をはじめ老若男女の交流センターになります。温泉に入ったり、ジムで汗を流した後に「やぶそば」で一杯。癌の末期患者さんもこの店にボトルをキープしていたりする。近く往生するのを覚悟している方もここで楽しく酒を呑む。見知らぬ人がどんどん知り合いになっていき、一方が他方を看取って、しばらくすると、看取った側がまた別の人に看取られたりするのだけれど、キープされたサントリーオールドのボトルはなぜか存続しつづける。そんな場所になっているようです。
 じつは、わたしもこの5月に脳梗塞を患い短期入院しました。軽度ではありましたが、後遺症として依然歩行に難があり、疲労しやすい体質になってしまいました。家内も十年以上前に脳の病を患い、障碍者手帳をもっております。いま二人で暮らしていて、なんとか二人で一人前の生活を送ることができていますが、もし一人になったら、わたしは佛子園に行こう、と考え始めています。特養で人生最期の時間を過ごすのではなく、できれば、昼から一杯やりたい。晩年の居場所をみつけたい、と思っています。

 三草二木の助け合い  もうひとつ、小松市にある佛子園の施設「三草二木」での出来事を紹介しておきます。廃寺を再生活用した施設です。重症心身の男性がいたそうです。首の可動域が狭く、理学療法士の処方でも快方に向かわない。そこに、深夜徘徊が多くなってきた認知症のおばあちゃんが加わる。おばあちゃんが男性にゼリーを食べさせようとしたが、男性は首が動かないし、おばあちゃんの手が震えてうまくいかない。ところが、ある時男性のほうから首を傾けてゼリーを食べるようになった。理学療法士が治せなかった首の可動域が広がったのです。一方、おばあちゃんのほうも男性が心配になり、生活リズムを整え始めた。重症心身男性にゼリーを食べさせる「責任」と「役割」が発生したことで、おばあちゃんの深夜徘徊が減った。ホームヘルパーの補助では難しかったことを自ら改善したのです。 これも「居場所」だと思うのですね。特定の人を排除し隔離するから、深夜徘徊したり奇声を発したりするのであって、きちんとした役割や生きがいを与えれば、普通の心性に戻っていくということではないか、と。 


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ウクライナ避難民支援と人類社会の未来像(1)-民族共生/ごちゃまぜ型の居場所に係る考察

 9月22日(金)に開催された令和4年度サステナビリティ研究所成果報告会(SDGs特集)での講演は、オンライン形式で半時間以内という時間制限がきっちりあったので、科白をノートに埋め込み音読しました。以前にも述べたように、視聴者は10名足らずという悲しい状態でしたので、ここに科白をつないだ発表原稿を掲載しておきます。


ウクライナ避難民支援と人類社会の未来像
-民族共生/ごちゃまぜ型の居場所に係る考察



1.ブータンが教えてくれた居場所のあり方 

 GNHからSDGsへ   環境学部の浅川でございます。わたしが最後の発表のようで、まだ視聴してくださる方がいらっしゃるのか分かりませんが、半時間ばかりスピーチさせていただきます。さて、昨年2月にロシアのウクライナ侵攻が始まりました。自分が生きている間にこのような20世紀的「侵略戦争」が勃発するなどとは思いもよらず、かなり気が動転しまして、遠い極東の地にいてやれることは何か、と考えたあげく、日本が受け入れているウクライナ避難民の問題を考察しようと思うに至りました。もっとも、わたくしどもはこれまで東欧研究とはほぼ無縁であり、専門分野はアジアの地域研究です。とりわけ、この10年間はブータンの宗教文化と民族建築に係る調査に熱中しておりました。本日はブータンの話題から始めて、最後にウクライナ等避難民の問題でまとめようと思います。うまくいくかどうか、わかりませんが、お付き合いください。
 さて、SDGsで本研究が最も関与するのは、目標3の「GOOD HEALTH AND WELLBEING」であろうと思います。その和訳は 「すべての人に健康と福祉を」となっていますが、残念ながら、良い訳とは言えません。wellbeingを「福祉」と訳すのはちょっと納得できない。HEALTHが身体(からだ)の健康を表すのに対して、WELLBEINGは心(精神)の健全さを意味する言葉だからです。ですから、GOOD HEALTH AND WELLBEING は、「心と体を健やかに」とでも和訳するのがよいように思っています。
 この心身の健全さの問題は、ブータン国王が50年前に提唱した「国民総幸福GNH」の概念と重なりあうところが少なくありません。GNHは仏教的な世界認識を背景にしています。利益最重視の競争社会ではなく、精神的な充足感を伴う wellbeing な社会を目指そうというのが国民総幸福量GNH、Gross National Happinessの考え方だといえるでしょう。
 GNHは、ブータン王国の第4代国王ジクメ・センゲ・ワンチュクが1972年に提唱したものです。世界の人口の多くが、極度の経済的苦しみに直面していることからして、物質的発展が必要なことは自明ではあるけれども、豊かな北半球でも、不安やストレスなどの精神的苦しみが大きいことを考えると、心の充足が必要なことは、それ以上に明白であるとして、すべての生きとし生けるものの幸せ、あるいはウェルビーングを願う、崇高かつグローバルな理念をブータンという小さな国の国王が主張したのです。こうしたGNHの考えは、SDGsの目標3だけでなく、いま世界的課題となっている環境保護、持続的発展、循環型社会の構築などに通じる思考です。こうした世界的秩序の再編成にかかわる提言が、ヒマラヤの小王国から50年も前に発せられたのは驚くべきことです。

 ブータンに探る居場所の課題  GNHやウェルビーイングの問題と絡めて、ブータンでしばしば考えさせられるのが「居場所」の問題です。「居場所がある、ない」という議論は、日本語ではよくしますが、これまで英語や中国語に訳そうとして苦労してきた経験があります。敢えて英訳するなら、wellbeing place for dwelling とでもなるでしょうか。居心地の良い場所、ということですね。
 2019年にリリースされた『ブータン 山の教室』 という映画をみてから、居場所の問題をとくに意識するようになりました。映画のあらすじを述べてみます。首都ティンプーで教師の研修生となったウゲンですが、ミュージシャンになる夢を捨てきれず、オーストラリアに渡ろうとしていました。ところが、ビザが下りる直前になって、標高4800メートルの山間僻地にあるルナナ村の小学校に赴任するよう命じられます。1週間以上山道を歩いてルナナ村に到着するのですが、あまりにみずぼらしい学校の建物や宿舎などをみて、ウゲンは「自分には無理だ、すぐに帰りたい」と村長に直訴します。
  ところが、その翌日から、教育を受けたいと心から願う村の純真な子供たちに動かされ、またウゲンを死んだヤクの生まれ変わりだと信じる村長や村人に慕われて、ウゲンはルナナ村での教師生活に生きがいを覚えるようになっていきます。そこではまた、大自然の支配者にむけて、鶴のように無心に歌う少女の「ヤクに捧げる歌」を聴き、歌あるいは音楽の本質を教えられます。その後、村長らの勧めもあって、大雪の積もる冬になる前に首都にいったん戻ることになり、結局、オーストラリアに渡って、シドニーのバーで毎夜流行歌をうたう日々を始めます。しかし、客のだれも自分の歌に耳を傾けることがなく、自分の音楽に無力感を覚え、歌うのを突然やめてしまいます。そして、ルナナ村で教わった「ヤクに捧げる歌」をアカペラで歌い始めるシーンで映画は唐突に終わります。


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美山紀行(Ⅳ)

石田家住宅1 石田家住宅2


 2日めの6月17日、重文「石田家住宅」、重伝建「美山北」を訪問しました。

重要文化財「石田家住宅」ー北山型民家の最古例

 石田家住宅は、縁桁に記された墨書から江戸時代初期の慶安三年(1650)の建造と知られており、国内有数の古民家である。教授の地域生活文化論講義でも取り上げられている近畿民家の代表例の一つであり、馴染みがないわけではないが、実際に訪問するのは初めてのことだった。重文指定は1972年。入母屋造妻入。重厚感のある茅葺き屋根は、軒が低く、全体の外見は古代の竪穴式住居を彷彿とさせます。実際、軒下を通るたびに何度も頭をぶつけそうになってしまうほどで、長身の学生が軒下に立ってみたところ、地面との間にスッポリとおさまったことから、軒高はおよそ182cmほどだと分かりました。


石田家住宅 軒下1 石田家住宅 軒下2
かなり軒下が低く、油断すると頭をぶつけそうです...。


 内部の見学もできました。頭をぶつけないよう、頭(こうべ)を垂れて中に入りました。まず釿(ちょうな)で仕上げられた柱が目を引きます。釿は台鉋が発明される前の大工道具で表面の加工や荒削りを行う時に使用されていました。台鉋の発明は18世紀ということなので、墨書の年代とよく対応しています。釿の加工痕跡を残す柱が林立しています。小屋組はオダチ・鳥居組です。サスは併用されていません。やはり17世紀の特徴をよく残しています。アゲニワにも注目しました。「ニワ」といっても「庭」のことではなく、「土間」のことを指しており、床板近くまで土を高く盛った土間をアゲニワと呼びます。このアゲニワに加えて、妻入り、座敷(オモテ)と台所(ダイドコ)が食い違った間取りの特徴を有している民家を「北山型」と呼びます。石田家住宅は北山型民家の中でも最も長い歴史を持っています。


石田家住宅 チョウナ仕上げの柱 石田家住宅 アゲニワ
釿仕上げの柱(左)とアゲニワと呼ばれる高い土間(右)


 重要文化財の実例を見るという貴重な経験をすることができ、とりわけ内部のオーセンティシティにはかなり圧倒されました。その一方で、重要文化財は現代生活に見合う変更が禁じられており、居住者不在の考古学的標本になってしまっているのは、他の多くの重文民家と同様です。


石田家住宅 記念撮影
約1名、しっかりかがまないと顔が写りません


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美山紀行(Ⅲ)

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美山の古民家再生湯葉料理レストラン Beans cafe.miyama

 6月16日昼に茅葺き民家集落の保全活用で全国的に有名な南丹市美山町に到着しました。まずは昼ご飯ということで、教授のお姉様にご案内いただいたのが古民家再生カフェ&レストランの「Beans cafe.miyama」です。古くさい匂いはまったくなく、内部は新装された和風建築のようでした。お洒落な空間がひろがっていて、薪ストーブもおいてありました。しかし、新しく手を加えすぎているため古さが失われているのも事実です。教授曰く、内部のアメニティ(快適性)を極限まで高めようとしているため、建築のオーセンティシティ(真実性)が減衰している、とのことです。なお、カフェ二階にはかやぶき屋根の天井裏で、ここでは多くの古材をみることができます。


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 このレストランには、裏に湯葉の制作工房があり、もちろんメニューも湯葉がメインです。たとえば、下左の写真の真ん中の料理は「汲み上げゆばのたまご乗せ」です。ごはんとの相性はもうちろん最高で、ゆばがプルプルで柔らかく絶品でした。また、美山の美白鶏を使った衣揚げはサクサクしていてとても美味しく、やはり湯葉と相性も素晴らしいです。どのお料理も大豆の甘さが感じられゆばを堪能できました。


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 昼食後には黒豆ルイボスティーと笹ゆば餅をいただきました(上左)。黒豆ルイボスティーは飲んだ瞬間、紅茶のようなスッキリした甘さの中に黒豆の香りが口の中に広がりました。笹ゆば餅は黒ゆばで仕上げたスィーツで、ふわふわもちもち食感を楽しみました。敷地の裏側にある湯葉工場は、見学時間が終っていたため体験ができませんでしたが、次回訪れた際は体験してみたいです。
 

古民家宿全貌 古民家宿泊看板


古民家宿「百日紅」

 放射性炭素年代サンプルの採取を終え、野口家のアトリエから移動して18時半ごろに、この日の宿である古民家宿「百日紅」に到着しました。敷地内はかなり広々としていて、外観は落ち着いた雰囲気。しかし、肝心の鍵がなく、管理人が来るまで中に入れないため、各々写真を撮ったり、宿の周りを見て回ったりしていました。管理人が到着して古民家の中へ入り、料金の説明をうけましたが、想定していたよりも高い料金に少し驚きました。



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美山紀行(Ⅱ)

中国新聞0829埋もれ木_page-0001 8月29日報道(クリック拡大)


4800年前の埋もれ木!

 前報では紹介し忘れてしまったが、埋もれ木の年輪サンプル採取は2班に分かれ、一般部を3名(院生1・3年男子2)、突起部を2名(3年女子1名・4年男子1名)が担当した。わたしは突起部の担当。突起部はA・B2ヵ所でマチ針を打っていった。一般部に向かって左側がAライン(年輪数119)、右側をBライン(年輪数126)である。長さを測り、その後サンプルをとった。突起部の横幅は55㎝、縦長はAが16.5㎝、Bが20.5㎝。彫刻刀とピンセット、トンカチを使ってチップを採取した。一般部と同様、ウィグルマッチを想定していたので、A・Bとも3ヶ所でチップを採取した。木の状態が良いところを選び、Aは上から1~2年輪目、60~62年輪目、118年輪目、Bは1年輪目、62~63年輪目、118年輪目の計6か所を選んだ。情報ラベルを書き、サンプルの木片とラベルの写真を撮り記録した。サンプルはアルミホイルで包み、ラベルと共にジップロックに入れた。
 今回の実習は、初めて見るもの、聞くこと、体験することがたくさんあり、とても勉強になった。とくに16日に取り組んだ年輪サンプル採取は、何回も年輪を数えなおし大変だったが、なかなか体験することのできない貴重な時間だった。専門家のH室長のアドバイスを受けながら実際に作業に加われて良い経験になった。


野口家 木材 突起部 詳細図



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美山紀行(Ⅰ)

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謎の埋もれ木

 教授のお姉さまは彫刻家であり、アトリエが京都府南丹市美山にある。そこに長径約180㎝の埋没木材の根っこが保管されており、年代を調べて欲しいという依頼があった。この材は、山口県阿武の圃場整備で出土し、鎌倉時代に東大寺大仏殿を復興した重源(山口出身)が用材として使用したヒノキ材の残りだと新聞報道されたいる(1996発見・1998報道)。6月16日(金)午後、野口家アトリエで放射性炭素年代測定ためのサンプル採取をおこなった。この大木の根っこが、重源の活動時期と重なるかどうか、確認するためである。調査には、年輪幅の変動による年輪年代測定の専門家、H室長(奈文研)も参加されたが、年輪が鮮明で均一ではなかったため、その方法は途中で断念した。鉋やカッターなどで木材の木口面を削ったが、木材が湿っていたという理由などもあり、上手くいかなかったのである。結果、放射性炭素年代測定のためのサンプル採取のみ実施することになった。放射性炭素年代測定は、C14の半減期(Libbyの半減期5568年)を利用して木材の年代を推定する方法である。

野口家 木材 概念図sam

放射性炭素年代測定のためのサンプル採取

 調査対象の木材を「一般部」「突起部」に分け、年輪サンプルを採取した。まず、どちらも木材の外側から内側に向かって5年輪間隔でマチ針を打ち、その合計(確認可能な総年輪数)を数えた。ただし一般部は、木材の中心部分の年輪が鮮明ではなかったため、年輪が肉視で確認できる範囲にとどめた。結果、マチ針の合計は65本を数え、これは325年輪に相当する。また、年輪不鮮明の中心部分は、最も内側のマチ針から樹心までの距離を測った。その測定値は12㎝。その後、木材の長さ・幅等を測った。一般部と突起部を含めた全体の長さはおよそ190㎝で、一般部の横幅の最も長いところはおよそ110㎝(髄を通る部分の長さは101.5㎝)、横幅の最も長いところはおよそ92㎝(髄を通る部分の長さは約95㎝)であった。


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我在上海(4)

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張園

 10月23日(月)、8時半に大型バス2台でエクスカーションに出発。昨日の日本人学生に加えて、3人の中国人学生がサポートしてくれた。一度バスで出発した後、すぐに杖(傘兼用)を部屋に忘れてしまったことが分かり、サポート学生がただちに大学の関係者に電話連絡してくれた。最初の見学地は「張園」。庭園ではなくて、里弄(路地裏)です。フランス租界の石庫門住宅群の保全的再開発ですから、かの「新天地」と同系統だが、「張園」のほうがセレブ度がいっそう高いレベルにあって、ディオールやらルイヴィトンやら、わたしとは全く無縁のお店ばかりに衣替えしている。


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 戦略として、こういう贅沢店舗への再開発は意味がないはずはない。おおいに繁盛するかもしれないし、背伸びしすぎで方針転換を強いられる可能性もあるだろう。それはそれでよいとして、わたしの立場からみて重要なことは、建造物群がオーセンティシティを維持できているか、ということである。実見した感想はと言えば、新天地と大差ない印象である。古材を残しているのかもしれないが、上出来の複製品にみえるのだ。少なくとも外側はそういう風情であり、内装はずいぶんお洒落に仕上げている。こういう再開発は、日本ではまずできない。全体主義国家であるからこそ実現可能な保全的大改変だというほかない。近代史風空間を堪能できるが、少なくとも私の居場所ではありませんね。


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サイクルショップ多いですよ。高級車ばかり。街のレンタサイクルは使い捨て。かつての主要交通手段はいま健康遊戯の道具となり。


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我在上海(3)

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早くも閉幕式

 10月22日(金)、シンポ二日目。会議は順調に進み、無事閉幕式を迎えた。この日はただ聴講するだけだが、お昼休みはちょっと抜け出して、4人で昼食会をした。メンバーは、楊昌鳴教授(北京工業大学)、羅徳啓ご夫妻(元貴州省建築設計院長)と私。1990年ころにおこなった、貴州省黔東南ミャオ族トン族自治州での調査の主要メンバーである。楊先生は私の一歳下、羅先生はすでに83歳になられる。羅徳啓ご夫妻はずいぶん前から上海に引っ越されているが、夏の3ヶ月は避暑のため貴陽(貴州省都)に滞在されている。9月23日に戻ってこられたばかり。楊先生と羅先生は東南大学(旧南京工学院)の校友、奥様と私は同済大学の校友である。


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 昼食会場は、南京東路の「新雅」。上海生まれの奥様が子供のころから使ってきた上海料理の老舗である。開業百年と聞いた。この4日間の上海滞在で、初めて人間らしい食べ物をいただいた。ホテルも大学も美味いことは美味いのだが、みな大量生産大量消費の味。新雅は違う。文句なく美味しい。広東料理系の上海料理であり、もし上海を訪問することがあるなら、ぜひご利用ください。


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 驚いたことに、ご夫妻の趣味は麻雀で、貴陽ではほぼ毎日、近所の友人と打たれており、上海では週にいちどお嬢様たちとの夕食会があるので、そこで必ず食後の麻雀大会になるという。ちなみに、ご自宅には自動卓があるというから相当な凝りようで、次回の訪問では、「必ず打とう!」と誓い合うことになった。新雅を出て南京路を歩き、地下鉄の駅に向かう。南京路は歩行者天国で人が溢れている。ところが、そこに電気自動車の小型バスが走っている。街がディズニー化しているのだ。驚いて写真に撮り、私と楊先生は互いを外地人(田舎者)と揶揄しあった。地下鉄に6駅のると同済大学。大変近い。楊先生は地下鉄で逆方向の虹橋に向かい、そのまま北京に飛行機で戻られた。


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我在上海(2)

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第4回建成遺産国際学術シンポジウム(同済大学)での招聘講演を終えて [予報]

 講演時間の変更には、やはり苦しめられました。音読の準備はなまやさしくなかったし、圧縮も十分できなかった。大学のホワイエを借りて練習してたんですが、もう一日あればと思いつつ、いざ大講義室に入室し、他の先生方の話を聴くと、これがもう延長につぐ延長で、わたしは最後のスピーカーなので、時間が限界まで押されていて困りました。でも、しゃべりたいことはしゃべらせてもらいましたよ。講演終了後、結構な拍手を頂戴しました。ここはもうあんまり反省しないで、まぁまぁの出来だったということにしましょう。
 講演の題目と目次を改めて示しておきます。

古民居再生的新轴线—在人口减少地区寻找“居场所”
古民家再生の新機軸 -過疎地にさぐる居場所のあり方
New Axis in the Revitalization of Traditional Japanese Houses
- Wellbeing Places to Dwell in the Depopulated Areas –


1. 日本的人口稀少和人口过密问题与古民居再生
 1.日本の過疎過密問題と古民家再生
2.被指定为文化遗产的古民居的实际状况
 2.文化財となった古民家の実態
3.真实性和舒适性--神奇的“竹所”庄
 3.オーセンティシティとアメニティー奇跡の集落「竹所」
4.余论-借鉴不丹的古民居利用和“居场所”
 4.ブータンに学ぶ古民家利用と「居場所」のあり方
5.重新发现隐藏在人烟稀少地区的“居场所”
 5.過疎地に潜む「居場所」の再発見


1021講演楊01ロビー00 1021講演00演習中01


 発表原稿(日本語原文)については、すでにLablogで発表しているので、ご確認いただければ幸いです。

(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2673.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2676.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2677.html


1021講演02会場天井01
会場となった大講義室の天井。壁全体をスクリーンとしているのは非常に良い。

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我在上海(1)

1019ホテルで記念撮影01
レセプション後、麗芮ホテルで記念撮影 左:徐蘇斌教授(天津大学)、右:楊昌鳴教授(北京工業大学)


同済大学講演、急遽一日繰り上げ!

 出国前、何人かの知人に今回の発表原稿(中国語論文pdf)を送りました。そのなかで、日本在住の中国人女性研究者から長文の返信があり、「泣きそうになった」と書いてあるので驚きましてね。もとより、日本語原稿の中国語訳はわたしが中心になってやったものではありません。まずはディープル翻訳のお世話になり、ついで張くんという日本語の達者な留学生に校正してもらって、最後にわたしが校閲するという手順を踏みました。大きな間違いはないと思うけど、全くないわけではなかろうし、自信があるかと言えばない。そういう心理の状態にあるなかで、「泣きそうになった」と中国人が言ってきた。ひょっとしたら、わたしの文章を読んで、故郷遼寧のことを思いだしたのかもしれないね。


1019外灘01 1019外灘03浦東


 この反応はちょっとした自信にはなりました。それほどひどい中国語の文章ではないのだ、という程度の自信です。パワポも上出来の方だと思います。問題は、音読なんだな。中国語の発音と声調はほんと難しい。いつまで経ってもダメ、というか、四年ぶりの実践なので、これまで3回中国で講演しているんですが、今回がいちばん緊張しているかもしれない。
 たとえば、「居住者」という言葉を例にとると、そのピンインは以下のようになります。

jūzhùzhě

 カタカナで読むと、「ジュウチュージャ」あたりが近いかもしれない。でも、そんなに楽ではなくて、一筋縄ではいきません。jūzhùzhě を綺麗に発音できる人は上級者だろうと思います。


1019外灘02 1019外灘05振り返る


 なお、中国語の単語に注をつけるようにして、小文字(上付1/4角)のピンインを付すサイトを張くんが教えてくれました。以下です。

https://www.iamwawa.cn/pinyin.html

 これは便利なアプリですが、すべての単語もしくは文字にピンインが自動的についてしまうので、却って全体の文章が読みにくくなってしまいます。ですから、そのうち難読文字だけピンインを残す工程が発生する。これに手間取りますね。

 ところで、同済大学「建成遗产国际学术研讨会」での講演は22日午後になるだろうと予告されていたのに、本日(21日)午後に繰り上がりました。20日夕刻レセプション前の宣告です。外国人が中国語で講演するの、舐めてんじゃないですかね?
 音読の練習は2日かけてやろうと思ってたんですが、時間が足りないので、もうここに書き出していきます。


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行基と菅原遺跡に係る意見交換@松山(8月)

愛媛県埋蔵文化財センター所長との対話

 2023年8月21日、私の卒業研究「大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討-奈良市菅原遺跡の発掘調査報告書の刊行をうけて」(中間報告)に係る活動の一環として、愛媛県埋蔵文化財センターを訪問し、仏教考古学の大家、前園所長と意見交換しました。所長は、1980年代前半の中国留学時から教授とは旧知の間柄で、昨年度末に報告書『竹林寺忍性墓』(奈良県文化財調査報告書第194集)を編集・刊行されたばかりであり、大変新しく刺激的な情報をご提供いただきました。今回の意見交換に先立ち、あらかじめ菅原遺跡発掘調査報告書及び元興寺による復元案の問題点を、以下のように整理し、座談会に臨みました。

1.時代背景に関する事項
 元興寺案には、前提となる密教・行基・多宝塔等の仏教史的理解に曲解が認められる。とりわけ、今にいうところの「多宝塔」が奈良時代に存在したという根拠のないまま、それを「ある」と断定して復元案を示した点、本末転倒甚だしい。
2.遺構解釈・遺物に関する事項
 基壇の地覆は否定しつつも、大壁基礎は受け入れるなどの矛盾を含む。一部の遺物についても、円形建物との関係性は確実ではないのに、断定的に決めつけている。
3.復元の諸問題
 ①復元のモデルとした宝塔「慈光寺開山塔」(1556)は桃山期の建造物であり、それと対比している発掘遺構も平安期後半~中世のものであって、奈良時代との時代差が明らかにある。②多宝塔の場合、大屋根も裳階(もこし)も方形にして意匠を整えているが、このたびの元興寺案では「大屋根=方形/裳階=円形」というアンバランスな組み合わせが不自然。元興寺当初案では、大屋根・裳階とも円形として、ネパールのストゥーパのごとき外観にしているけれども、日本に二重円形の建物など存在したはずもなく、上下層とも多角形(円の代替)にすべきではないか? ③基壇端に大陸式の大壁を円形にめぐらせているが、溝状の基礎、杭跡(小舞相当)や壁土など一切痕跡はなく、無謀きわまりない復元というしかない。旧石器捏造レベル。④建物配置やスケール感に対する考察がない。夢殿、北円堂などの供養堂は回廊等で外界と遮蔽されており、菅原遺跡と近似する。回廊等を伴う多宝塔の類例はないはず。さらにまた、元興寺案多宝塔は回廊等と対比してスケールアウトだが、周辺施設は一切復元していない。等等。
4.行基墓・忍性墓の八角形石櫃と円堂の類似性
 行基墓・忍性墓の水瓶型舎利容器をおさめる八角形石櫃の形態的重要性に気付いていない。
5.論文を記載するにあたっての注意事項


無題7 愛媛県埋蔵文化財センターにて前園先生と記念撮影


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報告書『居場所とマイノリティ』の刊行と関連講演(2)

 昨晩紹介した報告書『居場所とマイノリティ』の年度末刊行をうけて、関係する講演が2回おこなわれました。

1.令和5年度鳥取市尚徳大学講義

 鳥取市文化センター内の尚徳大学で、「過疎地に潜む幸福な居場所-秘境ブータンから学び得ること」と題する講演をおこないました。聴講者約70名。

> 日時 令和5年7月5日(水)13時30分から90分程度
> 場所 鳥取市文化センター2階大会議室

 目次を示しておきます。

過疎地に潜む幸福な居場所 -秘境ブータンから学び得ること

1. 居場所とは何か
1—1 居場所とウェルビーイング
  (1)居場所を失う若者たち
  (2)障碍者・高齢者の居場所
  (3)過疎社会の居場所

2. 幸せの国ブータンとGNH
  (1)GNHの世界観-現代社会と仏教
  (2)GNH的生活の実体験
  (3)GNHとSDGs

3. 社会福祉法人「佛子園」の実験
  (1)ごちゃまぜのまちづくり
  (2)佛子園の取り組み
  (3)ブータン蕎麦の輸入と開業
  (4)速水代表は語る-双方向支援に向けて
  (5)佛子園ブータンの活動

4. 青年海外協力協会JOCAの活動
  (1)佛子園とJOCA
  (2)注目すべきJOCA南部の活動

5. おわりに
  (1)双方向支援の問題
  (2)ウェルビーイングな場所としての鳥取

 なお、尚徳大学は初めての講義だと思いこんでいましたが、パソコンを検索したところ、2003年8月22日の郷土コースで「出雲大社巨大本殿の起源と復原-五本柱と九本柱-」と題する講義をおこなっていました。まる20年前、パワポの拡張子がppt.だった時代です。改めてパワポを確認すると、画面づくりも内容も未熟なので呆れつつ、懐かしく思い起こしました。


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報告書『居場所とマイノリティ』の刊行と関連講演(1)

居場所論表紙裏表紙 (左)裏表紙、(右)表紙


激動の2022年を構造的にふりかえる

 令和4年度公立鳥取環境大学特別研究費助成の成果報告書『居場所とマイノリティ -ブータンとウクライナ、そして過疎社会‐』が昨年度末(2023年3)に刊行され、好評を博しています。2022年にウクライナで戦争がはじまり、大変なショックを受けて2022年度の活動は進んでいきました。ウクライナ支援のチャリティ・コンサート、佛子園・JOCAの精鋭が勢ぞろいした「龍岩寺ごちゃまぜBOX」、そして3年ぶりに再会されたブータン調査の内容を「居場所とマイノリティ」という立場から整理したものです。報告書刊行後も、この書の内容に係る講演が2回あり、また現在、先生が出張されている上海の講演でも「居場所」を含む内容が講じられるようです。

 以下、図書情報です。

  書名: 居場所とマイノリティ-ブータンとウクライナ、そして過疎社会
      ASALAB報告書 第41輯
  編集: 浅川 滋男(編集補助:東将平・テイケンキン)
  表紙デザイン: 小林功典
  WWUT ロゴ・ステッカー等デザイン: QUTUCO
  発行者: 公立鳥取環境大学保存修復スタジオ
  印刷所: 西尾印刷所  発行日:2023年3月31日  総頁数:124ページ

 入手ご希望の方には頒布いたします。この記事のコメント欄、または「拍手」のコメント欄などにご連絡ください。そのさい必ず電子メールアドレスをお知らせください。「管理人のみ閲覧」のコメント及び「拍手」コメントの場合は、個人情報は完全に保護されます。
 なお、刊行からすでに半年以上経過しており、在庫僅少になっています。目次を「続き」にしめしておきます。


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オーセンティシティとアメニティの両立へむけて-古民家再生の新しい潮流《2023年度卒論中間報告》

オーセンティシティとアメニティの両立へむけて-古民家再生の新しい潮流-
Toward the Compatibility of Authenticity and Amenity -New Trends around the Revitalization of Traditional Private Houses


考古学的標本としての重要文化財民家

 1960~70年代の高度経済成長期、活発な国土開発が進み、国民の生活スタイルと地域景観が劇的に変貌するとともに、大都市と地方の過疎過密問題も露呈し始めていた。これに危惧を覚えた文化庁は、日本庶民文化の特性溢れる農家・町家等の保全をめざし、全国47都道府県で緊急民家調査を実施する。そこでは主に旧地主階級の大型民家が対象とされ、突出した価値を有すると評価された物件が国や自治体の指定文化財となった。鳥取県では、昭和47~48年度に緊急調査がおこなわれ、その成果報告書『鳥取県の民家』(1974)が刊行されている。研究室では、刊行後45年を経た2018~19年度に報告書掲載39件を悉皆的に追跡調査し、報告書『古民家「終活」の時代』(2020)を公刊した。ここでそのすべての内容を紹介する余裕はないが、最も身近な例として、大学近隣の鳥取市紙子谷に所在する重要文化財「福田家住宅」を取り上げる。
 福田家住宅は典型的な「広間型三間取り」の平面をもち、小屋組の梁にはオダチの挿し込み痕跡を残す。壁は大壁、玄関まわりの部材には手斧はつりの痕跡を確認できる。これら一連の特徴により、17世紀の建立と推定される。中世的な特徴を残す重要な歴史的建造物であり、『鳥取県の民家』刊行直後に国の重要文化財に指定された。以来、断続的な維持修理が施されており、近年はほぼ常時公開の状態になっている。そうした公開が可能になったのは、居住者が古民家の対面に新居を構えて引っ越したからである。残念なことではあるが、古式の要素を維持もしくは復原した重要文化財古民家は文化財建造物としてのオーセンティシティ(真実性)を維持している反面、現代生活にみあう変更は禁じられており、住まいとしての居住性能あるいはアメニティ(快適性)の向上が極めて難しい。このため、居住者は重要文化財民家での居住を断念し、近隣に新居を設けて移り住むのである。結果、重要文化財民家は空き家化して生活臭を失い、一種の考古学的標本の展示物と化して、一般公開が可能となる。
 筆者がみたもう一つの実例は、京都府南丹市美山の重要文化財「石田家住宅」である。慶安3年(1650)の棟札を残す稀少な摂丹型民家で、とりわけその内部空間の古めかしい真実性には圧倒された。しかし、やはり居住者不在の空き家であり、考古学的標本として日々公開されている。重要文化財の使命とされる文化財価値=オーセンティの素晴らしさと共に、人間らしい生活の条件である住み心地の良さの喪失を実感した。


図 福田家 図2 石だ家 
福田家住宅(鳥取市 重文 17世紀)外観 (左)石田家住宅(美山 重文 1650)内部(右)


苦境に陥る自治体指定民家

 重要文化財民家の場合、居住者が消えてしまっても維持修理の補助金は潤沢であり、国の手厚い補助があるため、建造物そのものが滅失したり、指定が解除されたりすることはまずない。しかし、県市町村の指定民家になると状況が一変する。まずなにより、民家を維持保全しようにも補助金が少なく、自己負担に耐え切れなくなるばかりか、住み心地を改善しようとして申請しても認められないため、「指定解除」を居住者が求めるケースが出てくる。加えて、鳥取のような豪雪過疎地帯になると、後継者が都市部に流出して完全に管理者不在となったり、雪害や地震などの災害で建造物が損壊し、建造物の維持自体が困難になる。鳥取県では、この半世紀の間に4件の指定解除が発生している。

重伝建と登録文化財民家における内部改装

 昭和50年(1975)の文化財保護法改正で重要伝統的建造物群保存地区(重伝建築)の制度が導入され、状況がやや変化する。国の町並み保全地区(重伝建)を構成する民家・町家等の場合、外観を維持又は復原的修景すれば、上限一千万円の補助金が支給されるが、その場合内部の改修に規制はないと定められた。また、阪神・淡路大震災(1995)の建造物被災を反省し、文化財保護法が再改正され始まった登録有形文化財の制度も、民家等歴史的建造物の内部改装には寛容である。ここにいう「登録」とは表彰の制度であり、対象の建造物を歴史的に価値が高いものとして評価するが、原則として補助金は支出されない(災害や戦災の場合、救済の措置はある)。補助金(税金)を投入しないため、保全建造物に対する規制は緩く、改変のための事前申請は必要なく、事後の届出だけでよいとされる。
 重伝建と登録文化財の制度では、いずれも民家等文化財建造物の内部の改変は自由であり、民家内部のアメニティの向上に期待が持たれた。しかし、それでオーセンティシティとアメニティの矛盾が完全に解消されたわけではない。一例として、兵庫県丹波篠山市の重伝建「篠山」の中心にあたる河原町の蕎麦屋Hを取り上げてみよう。蕎麦屋Hの外観は、重伝建「篠山」の旧城下町並みにふさわしい見事なタカ2階型の妻入土蔵造である。店内で蕎麦を食べるのを楽しみにしていたが、いざ中に入ってみると、新材のパネルが壁や天井に張り巡らされており、オーセンティックな内部空間が著しく損なわれていて落胆した。木造のインテリアや山水の風景にふさわしい蕎麦食のフードスケープではなかった、ということである。自由に内部を改装していると、こうして文化財建造物のオーセンティシティや魅力を大きく損失する危険性があることを肝に銘じるべきだろう。


花格子外観 花格子内部 重伝建「篠山」蕎麦屋H 外観(左) 内部(右)


 一方、京都府南丹市の重伝建「美山北」は日本を代表する茅葺き民家集落であり、ここに軒を連ねる古民家レストランは大きな内装改変が加えられていない。オーセンティックな木造空間の中で飲食を楽しむことができるが、バリアフリーの配慮を欠くところに憾みがある。土間と畳座敷の段差や畳の座り心地の問題は古民家再生にとって永遠の課題だろう。畳は日本の住文化の象徴的存在だが、現実問題として高齢化社会にふさわしい家具とは言いにくい。高齢者・障がい者は、畳上に胡坐をかいたり、畳から立ち上がることが容易ではなく、ときに苦痛さえ覚えるからだ。段差も同類の問題を孕んでいる。快適な内部空間の向上のため、畳と段差の問題をどう改善していくべきだろうか。


美山カフェ内部 美山北(京都府南丹市 重伝建) カフェ内部


 大学の近隣に所在する鳥取市古郡家の蕎麦きり「たかや」は、その点有意義な示唆を与えてくれる歴史的建造物の改装例である。「たかや」は昭和戦前期の農業倉庫を改装した店であり、外観はもちろん、内部の軸組や立体トラスの小屋組をよく残しており、オーセンティシティが発露している。その一方で、低めのテーブルやカウンターに椅子を配して客が座りやすく立ちやすい工夫をしているし、壁などの装飾に骨董・地元の窯元の器・水墨画屏風などを小綺麗にあしらい、数奇屋の風情を演出している。極上の蕎麦食のフードスケープと言えるだろう。蕎麦きり「たかや」は、重伝建の一部でもなければ、登録文化財でもない。蕎麦を愛する主人が自らの美学で構想した店構えであり、行政主導の古民家再生に先んじて、オーセンティシティ維持とアメニティ向上の両立を実践している点、次項に示すカール・ベンクス氏の活動と同じ方向を向いている。


たかや 内部 そば切り「たかや」(鳥取市 未指定未登録)内部


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休講掲示(歴史遺産保全論)

10月19日休講(歴史遺産保全論)のお知らせ_page-0001(1)


極秘情報

 パワポは完成したとたかをくくっていたんですが、ピンイン(中国語の発音記号)をノートに書きこむ作業で手を焼き、その作業がまだ続いています。明日は午後の合同ゼミで全員に指示を出し、その後、奈良に戻ります。ところが困ったことに、家内関係で訃報が一通届いてしまい、いや、困ったな・・・家内が残るか移動するか、難しいところですが、私の予定は以下のとおりで、今回もメモ代わりに書いておきます。

 KIX CZ8390 1305-1455 19OCT  OK 2PC 1 T2
 Pdg CZ8389 1545-1845 23OCT  OK 2PC T2 1

酒店信息
Radisson Red 上海五角场丽芮酒店 wǔjiǎo chǎng lì ruì jiǔdiàn
10月19日入住,10月23日离开
地址:四平路1251号,近国康路
电话:021-65986888

QRコード

古民家カフェと郷土料理のフードスケープ(2)

東鯷人ナマズ屋表彰写真1 東鯷人ナマズ屋表彰写真2


屋台人気投票 第3位!

 朗報です。わたしが説明するより、滅私くんのメールを転載する方が早いので、以下を読んでください。

  昨日のナマズ屋台の件ですが、模擬店コンテストの人気部門でASALABが3位に選ばれ
  表彰されました。聞くところによると、売上個数(個)、投票ボックスで集計した割り箸・串の
  投票数(グラム)で審査されていました。両日とも2時間余りの営業で他のお店より売上個数は
  少ないはずなのに大変驚きました。ナマズ天丼を食べてくれた人が皆、ASALABへ投票
  してくれたのだと思います。景品はカルピス500ml24本でした。

 昨日も書いたように、一日の実働2時間余りで90箱を売り捌いたのですから、東鯷人ナマズ屋が実質1位だと感じていましたが、まぁ3位でもいいか。景品はカルピスじゃなくて、炭酸水かノンアルコールビールだとよかったが・・・糖尿にカルピスはないな(笑)。


ナマズ屋台景品2 ナマズ屋台景品3 ナマズ屋台景品1

 
 さてさて、先週10月12日のプロ研4(2年生)のレポートも届き始めているので以下に転載します。

ナマズの文化がナマズ食を消滅させた?

課題1 ミニ講義「ナマズ食の文化史的再評価」に対する感想
 今回の講義で西日本の内陸部で縄文・弥生人では、ナマズやコイが食べられていたということを知ることができた。漢の時代には、西日本の人は「東鯷人」と呼ばれていた。それほど西日本は、ナマズとの関係が深いということを理解することができた。日本ではあまりナマズ料理が浸透していないが、ナマズ料理は世界的にはグルメな食材であることが分かった。村上龍の料理小説の引用や先生がナマズを食べた感想などを聞いていると、ナマズの身は揚げると柔らかく、刺身で食べるとよい歯ごたえがあり、美味しい食材だということを感じることができた。しかし、今ではナマズを使ったナマズ粥の郷土料理店(愛媛)がもう調理していないなどナマズ料理を出すお店がなくなっている印象を受けた。ナマズがあまり食べられなくなった理由として、寺嶋昌代・萩生田憲昭が書いた論文「世界のナマズ食文化とその歴史」に【ハレの日のごちそうであったり,あるいは地震と関連づけられたりして,単に食べ物である魚というだけではなく,文化的意味づけがされてきた】と記載されていた。このように文化的意味付けもあり、ナマズを食べるという文化が薄まってしまったのだような気もする。また、最近ではナマズを捕獲できるルートが少なくなったことや泥抜きなど手間のかかることからナマズ料理を出すお店が減ったのだと考えることができた。うなぎや他の魚の取れる量が少なくなっている中で、ナマズの養殖やナマズを食べる機会が増えるといいと思った。
<参考資料>寺嶋昌代・萩生田憲昭「世界のナマズ食文化とその歴史」日本食生活学会誌 第25巻 第3号 より
URL: https://www.jstage.jst.go.jp/article/jisdh/25/3/25_211/_pdf 2023/10/13時



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メラニークロスから愛を込めて、激売れ50箱の日曜日!

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東鯷人ナマズ屋、予約客溢れる!

 10月15日(日)。快晴ではないが、雨は降っていない。薄晴と言ったところか。わたしは、朝からパワポの調整と中文原稿に取り掛かっていた。退院後、毎日2回血圧を測り、記録にとどめてきたが、二日ばかりほったらかしになっていたので、久しぶりに計測したところ、やはり高かった。明らかに、諸々の作業で睡眠が不足しているためだが、後戻りはできない。
 10時半が過ぎて家を出た。大学に近いスーパーで蜜柑を3袋買った。東鯷人ナマズ屋の屋台に着いて早速差し入れした。学生の人数は増えているが、店先に客がいないので、今日は売れてないのか、と問うた。全員、首を横に振る。それどころか、軒下には早くも「終了」の貼り紙あり。それでいて、テント内での揚げ物の作業に学生はせわしく動いている。


1015ナマズ05よしかの 1年長野人ヨシカノ


 どういうことなのか理由を訊くと、10時半から開店して、小一時間で全部売れたのだという。ここにいう全部とは、限定50食(2日間)のことである。決められた容器が必要なのである。EMS委員会の配給する「肥料になる紙製弁当箱」以外使っていけない、という原則があって、追加分が届かない限り営業できない、というのだ。学生たちは賢くて、すでに紙箱の追加注文はしており、銀行や人気店で常用される待機番号札を自前で作っており、昨日から予約客に配っていた。つまり、店先に客がいないのではなくて、客には予約番号札を渡していたということだ。
 携帯電話を確認してみた。不在電話やショートメールがいくつかあった。愛弟子のエアポート君からのメールは以下のとおり。

   先ほど着きましたが、11時半の時点で既に売り切れでした。


1015ナマズ00エアポート02三朝01 1015ナマズ00エアポート01


 まもなく、彼の一家が姿をあらわした。売ってもらえないんですよ、と嘆く。聞けば、わたし(教師)の分もない、という。まもなく、印刷会社のNさんが現れた。番号札をカウンターの女子に渡して、弁当2箱を受け取り「予約していたんですよ」と笑顔になる。ついで、M町のT課長夫妻もやってきた。「買えるんでしょうか}と不安げだが、みんな番号札をもらって予約し、待機するしかない。そうこうしているうちに、リーダーの院生滅私君が新しい弁当箱を抱えて戻ってきた。ここで、予約が一斉に動き始め、我々3人も無事「ナマズの天丼弁当」をゲットできたしだいである。
 わたしは今日も2箱買った(1箱は蜜柑代でタダにしてくれた)。1箱は自分の昼食だが、もう1箱は紙子谷の重文「福田家住宅」の奥様に届けたいと思っていた。先日学生たちだけで古民家を訪問した際、お土産を頂戴していたので、そのお返しがしたいのと、じつは上海の講演で重文民家と新居(ハナレ)が併存する写真を使いたかったからだ。


1015ナマズ04東が映る 1015ナマズ03マネー


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土曜のナマズ天丼、爆売れ39箱!

1014ナマズ屋10終了 1014ナマズ屋02屋台01


東鯷人ナマズ屋初日の繁盛記

 10月14日(土)、ついに東鯷人ナマズ屋の初日を迎えました。学生たちは、前日にテントを張り、当日は朝8時半に集合。順調に10時の開店を迎えたようです。わたしはと言えば、上海講演の準備が遅れ気味で、朝から一人黙々と自宅のパソコンに向かっていましたが、流石に10時半にもなると、気分が落ち着かず、奥を連れてキャンパスへGo!
 早速、二人分を注文して、中庭のスタンドに腰掛け、ナマズの天丼弁当に舌鼓を打ちました。もちろん美味しい。奥の感想は、ナマズの感触が柔らかすぎて、茄子などと区別がつかない、などとほざいておりましたが、そんな文句を言うのは一人だけであります。快晴の広場でしばしくつろぎ、奥を家に連れて帰って、またしばらくパソコンに向かうも、もちろんそのままでは居られません。午後1時過ぎに屋台に戻ると、テントの中には学生3人しかいない。しかも、男子2名はマカナイを頬張ってる。


1014ナマズ屋03ナマズに食われた男02お買い上げ 1014ナマズ屋03ナマズに食われた男


 完売した、と言います。みれば、軒先に「終了」のお札が垂らしてある。しかも、39箱も売れたんだって。マジかよ、ほんと。炊き足したご飯がなくなったんだって。予定は25箱限定販売ですからね。それが39箱も出たんだから。思い起こすに、去る火曜日にエレベータホールで、某准教授が語りかけてきたんだ。「先生、25箱ぐらいすぐ売れますよ」と。そうでもないと思いますよ、と返事したのですが、彼の予感は正しかったことになる。
 まるで、そば切り「たかや」じゃないの。11時半に開店して、午後2時までには必ず蕎麦が売り切れる。いい勝負じゃないですか。自慢じゃないけど、周りのお店には品物はずらりとあって、閉店5時まで粘る勢いでしたよ。うちの学生はヒマになって、5時の片づけ時間までやるこがない。ガハハ、みたか! 天丼の威力。みんな天丼が好きなんだな、山盛りの天丼を500円で食べられるんだから。おまけに、ナマズですよ、ナマズ。西日本に住む者は、縄文の時代からナマズを食っていたんだからね。そういう遺伝子をわたしたちはもっている、ぐふふ・・・


1014ナマズ屋06P1 1014ナマズ屋05チュータ―
↑(左)サポートに来てくれたP1の2名。授業外活動なので、加点しますよ! (右)天丼を買ってくれたチュータ担当1名


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古民家再生の新機軸ー過疎地にさぐる居場所のあり方(3)

4.余論-ブータンに学ぶ古民家活用と居場所のあり方

4-1.国民総幸福量(GNH)の理想と現実

(1)若者の国外流出

 ブータンは大乗仏教を国教とする唯一の国家であるが、非仏教的土着信仰も根強く息づいている。ハ(Haa)地区の土地神を祀るチュンドゥ(Chundu)寺は、表向きは仏教寺院であるけれども、じつはチュンドゥという土地神を祀っており、わたしたちが訪問した今年の9月1日には、年に一度の大祭が催されていた。
 ここは仏教寺院であるから、本堂の中心に大きな仏壇を配しているが、仏壇の両脇にチュンドゥとその弟ジョウヤの土地神を祀っている。仏教が修行者を悟りに導く崇高な役割を担うのに対して、土地神は地域住民の生活にご利益をもたらす存在だと信じられている。
 近年、ブータンでは、富を求める若者の国外流出が激増している。オーストラリアやアメリカに人気があるけれども、ワールドカップ・ドーハ大会の前からカタールへの移住も増えてきている。チュンドゥ寺の大祭で知り合った若い女性は、驚いたことに、ドーハのスターバックスで働いており、2週間の夏休みで帰省したところであった。このように、海外への移住者が順調にビザを取得し、海外で安寧な生活を送れるようにと、土地神へ祈りを捧げるのである。

(2)GNHの国づくりー仏教的世認識の下に
 ブータンは敬虔な仏教国である。今から50年以上前の1972年、第4代国王は、仏教の世界認識を背景にして、国民総幸福量GNH(Gross National Happiness)を提唱した。世界の人口の多くが、極度の経済的苦しみに直面していることからして、物質的発展が必要なことは言うまでもないが、豊かな北半球でさえ、不安やストレスなどの精神的苦しみが大きいことを考えると、心の充足が必要なことは、それ以上に明白である、として、GNHを国民総生産量GDP(Gross Domestic Product)に優先する国づくりを宣言する。こうしたGNHの考えは、いま世界的課題となっている環境保護、持続的発展、SDGs等の先駆けとなるものである。

4-2.GNH的生活世界の体験
(1)生きている古民家の活用

 1961年に第3代国王が鎖国制度を廃して、市場経済を導入した。しかし今でも、都市域を除く地方僻地の大半では自給自足的な生活を送っている。山間部に立ち入ると、ホテルもレストランも商店もほとんどなくなるので、私たちは、毎日のように、農家で食事をしたし、農家に宿泊したこともある。農家で提供される料理は、菜食主義を基本とする。

(2)自給自足の菜食主義
 レストランや旅館として正式に機能する農家は、道路沿いに大きな看板を掲げている。しかし、実際には、看板のない一般農家で食事をすることもしばしばある。たとえば、チュンドゥ寺で知り合った女性は、近隣にある実家でもてなしてくれたので、その翌日は、有料にして昼食をオーダーした。蕎麦のパンケーキ、乾燥マツタケ炒め、蕪スープの簡単な食事でしたが、とても満足できた。

(3)薪ストーブに癒されて
 冬のブータンは乾季にあたり、快晴が続く。ヒマラヤ山麓というイメージとは異なって、雪はほとんど積もらないが、気温はー7℃まで下がり、それなりに冷え込む。大型のホテルを除くと暖房空調施設は完備されていないが、宿泊コテージ等には、食堂にも寝室にも必ず薪ストーブがあり、朝夕の寒さをしのぐだけでなく、その炎に気持ちが癒され、心まで温かくなる。薪ストーブの薪は、販売品ではなく、各家が共有林から集めてきて、家の周りで乾燥させたものである。薪となる木材の伐採量は、政府によってコントロールされている。

(4)オーセンティックな生活空間―有形・無形文化の自然な融合     
 トンサ地区のベンジ村は、8世紀にチベットから逃れてきたボン教徒が居付いた秘境の「隠れ里」で、旧領主の大邸宅Nagtsanには母系の大家族が住んでいる。そこに私たちは寝泊りして調査した。この大邸宅の厨房兼食堂で、都合9回食事し、5回のお茶の時間にミルクティーやバター茶を飲んた。厨房の中心にあるのはやはり薪ストーブであり、大型のカマドの役割を果たしている。薪ストーブでチーズをつくったり、地酒を蒸留する過程も観察した。
 初めてこの厨房に入って食事したとき、あまりにリアルな食・住の文化に圧倒された。ブータン特有の木造建築空間の中で、ブータンの母系家族に囲まれ、ブータン農家の料理を食べる。他の民家でも似たような経験をしたことはあるけれども、「隠れ里」ベンジ村での文化的オーラは抜きんでていた。そこには無形と有形の文化が本来あるべき姿で複合的に現象している。本物のオーセンティシティとは何か、改めて考える機会を与えてくれた。


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古民家再生の新機軸ー過疎地にさぐる居場所のあり方(2)

3.奇跡の集落-竹所の古民家再生

3-1.古民家部材再利用住宅の反省―鳥取環境大学学長公舎

(1) オーセンティシティとアメニティのバランス

 以上の考察をいったん整理しておこう。まず、重要文化財民家のように、オーセンティシティの維持に拘泥すると、民家は考古学的標本と化して、住む人の転居を招き無人化してしまう。一方、内部を大胆に改装して、住み心地の良さを求め過ぎるならば、その建造物は文化財としての価値や魅力を失ってしまいかねない。要するに、オーセンティシティ(真実性)とアメニティ(快適性)のバランスをどのように演出すべきか、が問われているのである。これについては、降幡廣信(1929-)らの先駆的建築家が早くから腐心してきた。ただ、そうした日本人の先達たちは、まず和風の建築空間を気映えよく整然と仕上げることに主眼を置いてきたように思われる。少なくとも、単一文化的な作風であったとは言えるだろう。

(2)鳥取環境大学学長公舎の失敗
 じつは、わたしも、空き家化した古民家の移築・再生を主導したことがあるのだが、その結果は満足ゆくものではなかった。2001年の鳥取環境大学開学にあたって、学長公舎を古民家の移築・再生によって建設することになり、私は設計者ではなかったけれども、指導委員会の委員長を務めた。選ばれた古民家は、茅葺き屋根を多く残す国府町神護(かんご)の明治時代後半(清末)の建築である。すでに空き家になって久しく、室内外の劣化が目立っていたが、まずは解体して再利用可能な部材や建具を選び、設計図を作成した。
 解体された部材や建具は、大学のある若葉台ニュータウンに運ばれ、再度組み上げられ、学長公舎の骨組となった。内部には新しい木板のフローリングが施され、キッチンや寝室は現代的な造作としている。こうして、現代的な住み心地の良さは確保したのだけれども、わたしには不満が残った。古材のリサイクル率が低く、公舎の外観がありふれた近代和風住宅になってしまったからである。古材のリサイクル率を高めると同時に、外観は茅葺き民家の姿に固執する必要はなかったけれども、地域のシンボルたる工夫が必要だったと思っている。こうして改めて取り上げても、やはりこの仕事に失敗したと後悔し、反省の念が消えない。


3-2.カール・ベンクスの挑戦

(1)限界集落に挑む東ドイツ出身の建築家

 わたしが学長校舎の建設に取り組んでいたころ、新潟の限界集落に移住し、ほぼ同じ手法で古民家再生に挑んでいたのが、旧東ドイツ出身の建築家、カール・ベンクスさんである。カールさんは、それまで日本人が思いつかなかった斬新な手法によって、多数の古民家を再生させれいった。
 ベルリン生まれのカール・ベンクスさんは、父が所蔵する『日本の生活と家屋』などブルーノ・タウト(Bruno Taut 1880-1938年)の著作を子供のころから読み親しんでおり、日本の文化と武道に愛着をもっていた。1966年に初来日し、大学で建築デザインを学び、1993年には新潟県竹所の古民家を購入して、自邸「双鶴庵」に再生させた。カールさんが購入した当時の民家は廃墟に近い空き家であった。土地と建物をあわせて150万円だったそうである。

(2)ベンクス夫妻の自邸「双鶴庵」 
 カール夫妻の自邸「双鶴庵」は、北陸特有の「中門造」民家を解体し、その主要部材を組み直して、内部を住みやすくしたものである。1階天井は部分的に取り去って、梁組・小屋組を露出させており、古材のオーセンティシティを誇示している。また、①ペアガラス、②厚さ10センチの断熱材、③床暖房、を組み合わせた防寒対策も万全である。内部は、基本的に椅子座式の西洋スタイルであり、リビングに置かれたピンクのソファが鮮やかに目を引く。ソファの前のガラステーブルの脚部は、古い囲炉裏の基礎石を再利用している。アメニティが高く、遊び心の旺盛なインテリア空間になっている。


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大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討《2023年度卒論中間報告》

大僧正行基の長岡院に関する継続的再検討
-奈良市菅原遺跡の発掘調査報告書の刊行をうけて

Continuous Re-examination on the Annex called Nagaoka-in built by Archbishop Gyoki in the 8th Century
-Upon the Publication of the Formal Report on the Excavation of the SUGAWARA Site, Nara City



 2021年度卒業生の玉田は、2020年に調査された奈良市菅原遺跡を主題とする卒業研究「大僧正行基と長岡院-菅原遺跡を中心に-」(玉田2022)に取り組んだ。本研究はその続編に位置づけられる。

菅原遺跡の歴史と特異性

 奈良市疋田町の菅原遺跡は、2020年10月から元興寺文化財研究所(元文研)が発掘調査し、2021年の5月22日にその成果が一斉に報道され、脚光を集めた。国指定史跡の価値があると高く評価されたものの、遺跡の保存は叶わず、大規模宅地造成により滅失した曰く因縁の奈良時代遺跡である。
 菅原遺跡は喜光寺(菅原寺)の西北約1kmの丘の上にある。『行基年譜』(1175)にいう「長岡院 菅原寺の西の岡にあり」の記載に一致し、東大寺大仏の造営を指揮した大僧正行基(668-749)が創建した「長岡院」説が有力視されている。そこで発見された遺構は、同心円的平面を呈する「円堂」を回廊・塀などが囲んでおり、全体の空間構成は夢殿を中心におく法隆寺東院を彷彿とさせる。また、円形建物も、法隆寺夢殿・西円堂、栄山寺八角堂、興福寺北円堂・南円堂などの八角円堂(供養堂)と類似する施設の可能性があり、「行基の供養堂」とみる解釈が報道当初からあった。遺跡の立地する高台は、東に東大寺大仏殿を遙拝でき、南に大仏殿の圧縮モデルとされた喜光寺の境内を俯瞰できる絶好の場所である。
 本稿では元文研の表現に倣い、遺跡中心部の円形建物跡を「円堂」と仮称して考察を進める。円堂跡は円形もしくは正多角形を呈する基壇らしい遺構の縁石(地復)が部分的に残り(直径10,2m前後)、その周辺に16本の掘立柱堀形・抜取穴が同心円状に配列された特異な構造をしている。平安時代初期の真言宗開創に伴い、空海によって円形の宝塔・多宝塔が日本に持ち込まれるが、それに先行する奈良時代に円形平面の建物が日本に存在した確証はない。奈良時代の場合、夢殿に代表される八角平面の建物は「円堂」もしくは「八角円堂」と呼ばれる。純粋な木造構法でインド仏教的石造円形モニュメントを表現するのは困難であり、東アジアの木造文化圏では、円の代替として正多角形が採用されたものと推察される。

無題14 菅原遺跡遺構図(元文研2021 一部改訂)


菅原遺跡「円堂」の復元四案

 2021年には、玉田ほか当時の4年生が奈良を訪ねて、古代~中世初期の八角円堂の観察に取り組む一方、研究室OBも含めた復元設計チームを組織し、遺構図[元文研2021]の細かな寸法分析などに着手した。そこで注目したのは、まず基壇の縁石(地覆)と思われる据付(もしくは抜取)痕跡である。これらの溝状遺構は、必ずしも円弧をなしていない。少なくとも3~4ヶ所は直線を呈しているので、基壇が完全な円形であったとは限らず、正多角形の可能性も十分ありうると考えた。次に、中央の円堂跡と周辺の囲繞施設には約3°の方位軸のずれがあることを確認し、造営年代に時間差があったと推定した。円堂は天平19年(749)の行基没後まもない750年代に造営され(出土軒瓦年代745-757)、出土土器年代に対応する760年前後から掘立柱の囲繞施設が造営され、9世紀前半に全体が廃絶したものと推定した。
 こうした遺跡上建物跡の上部を復元設計する場合、ASALABは「復元に決定案はない」というスタンスを堅持している。地中からあらわれた柱穴や基壇跡は建築情報のごく一部にすぎず、類例として参考にできる現存建造物も限られるから、復元に正解があるという思考自体が誤りだと考える。実際、復元の主モデルとして選択した現存建造物を変更すれば、復元後の姿は一変する。こうしたスタンスから、復元研究にあたっては、複数の案を図化するよう努めてきた。菅原遺跡円堂の場合、①栄山寺八角堂を意識したA案、②薬師寺玄奘三蔵院玄奘塔を意識したB-1案、③安楽寺八角三重塔を意識したB-2案、④興福寺北円堂等を意識したC案、を提示したが、囲繞施設とのスケール・バランスを考慮した結果、①A案が最もふさわしいであろうと推断した。

無題15  菅原遺跡復元CG円堂A案 伽藍俯瞰(浅川研2021)


『菅原遺跡』発掘調査報告書-批評の必要性

 2023年3月に元文研が『菅原遺跡-令和2年度発掘調査報告書』を刊行した。一般に行政発掘の調査報告書は客観的な事実記載に重きをおくものだが、この報告書は菅原遺跡の特異な円堂跡を、後世にいう「多宝塔」の初源形態とみなす解釈に著しく傾斜している。報告書の記載全体がその方向に終始していることは一読すれば明らかである。空海が高野山に根本大塔を造営する以前、日本にはなかったはずの多宝塔が奈良時代の平城京寺院に存在したとすれば、それは日本史の常識を大きく覆す発見ではあるけれども、現状で十分な証拠が出揃っているわけでは決してない。そのような状態の遺構に対して、おもに中近世の宝塔・多宝塔の建造物や出土遺構を無理やり参照・援用して、日本・中国・南アジアのどこにも存在しない復元案を一案だけ断定的に提示している。このような歴史的常識に抗う結論を下すからには、まず関係学会誌に投稿して審査を受けるべきだが、そうした手続きを踏むこともなく、独断的な結論を披歴したのは大変残念なことである。厳正な書評が必要と考える所以である。

無題12 無題10 無題11

左:速報に掲載された菅原遺跡円堂の復元パース (元文研2021)
中央:菅原遺跡復元案 下層平面図(元文研2023)
右:菅原遺跡復元案 立断面図(元文研2023)


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東鯷人ナマズ屋のチラシ完成!

チラシ修正03_page-0001 チラシ完成!


 10月14~15日(土日)の環謝祭(大学祭)に出店する「東鯷人ナマズ屋」のチラシが遂に完成しました! 1日25食限定ですので、お早めに!
 前回、今回のチラシをプリントして屋台にお持ちの方は、「ナマズの天丼」弁当をディスカウントします。ゼミやプロジェクト研究で試作して、「とても美味しい!」「また食べたい!」等の声をたくさんいただいている「ナマズの天丼」弁当をみなさんぜひ食べに来てくださいね。(ダンサー1号)


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古民家再生の新機軸ー過疎地にさぐる居場所のあり方(1)

1.日本の過疎過密問題と古民家再生

1-1.大都市の過密と地方の過疎 ―表日本と裏日本

 日本列島のうち本州島はその南北中央の境に標高数百メートル~3,000m級の山々が連なる。その背骨となる山脈を軸として、日本海側を「裏日本」、太平洋側を「表日本」と呼び分けている。この山脈は北東側のシベリア方面から寒風を受けとめる障壁となるので、日本海側には冬に積雪が多く、夏の降雨量も太平洋側より多い。こうした気候と地勢が、日本全体の社会構造にも大きく影響している。雨雪の多い裏日本の人々は卑湿な風土を嫌って表日本側の都市部に移住する傾向が強く、とくに昭和戦後から人口流出が激化している。この結果、裏日本では人口が著しく減少する「過疎」が進行し、表日本の大都市に人口が集中して「過密」な状態を生み出した。これは、現代日本の深刻な社会問題だが、この地域格差の解消に真剣に取り組もうとする政治家や研究者は多くない。

1-2.過疎地と居場所の諸課題

 日本海側の諸地域すなわち裏日本は、いま過疎と高齢化が勢いよく進んでいる。私の住む鳥取県は日本で最も人口の少ない県であり(約55万人)、日本有数の豪雪地帯である東北地方の秋田県は日本で最も人口流出の激しい県として知られている。こうした地域に住み続けることを、とりわけ若い世代は嫌うので、地域の活力は失われてきている。その一方で、そうした過疎地の自然や文化を愛する人たちもいる。厳しい気候条件さえ、かれらは愛しており、いくら不便でも「故郷」を離れることをしない。こうした過疎地は、その人たちにとって、かけがえのない「居場所」だからである。
 この「居場所」という言葉を日本人はよく使う。「居場所」は住所という意味ではない。英語に訳すなら、wellbeing place for dwelling とでもなるだろうか。「居心地の良い場所」という意味である。この場合の wellbeing は幸福(happiness)とはちょっと違って、心(精神)が持続的に健全な状態を表している。健やかで、安らかな気持である。現在、日本では、子どもや若者や高齢者が「居場所」失っているとして、社会学の重要課題になっている。都市・地域計画の分野でも「福祉のまちづくり」を推進する上で、居場所が鍵を握っている。
 ここ10年ばかり調査を継続しているブータン王国での経験も、示唆に富むものであった。とくに、2019年にリリースされた映画『ブータン 山の教室』(原題:Yak in the Classroom)をみてから、居場所やwellbeingの問題を強く意識するようになった。標高4,800mの山間高地にある小学校の教師として慕われる若者が、ミュージシャンになる夢を捨てきれず、オーストラリアに渡ったのだけれども、そこでの生活に違和感を覚え、自分のアイデンティティと居場所を考え直すストーリの映画である。
 ブータンも裏日本と同じく、過疎と高齢化、若者の国外流出の問題で苦悩しており、ここでは日本とブータンの両国の状況を、古民家の保全・再生・活用と関連づけて論じてみようと思う。


2.文化財となった古民家の実態

2-1.古民家の緊急調査と文化財指定

(1)考古学的標本としての重要文化財民家

 1960~70年代の高度経済成長期、活発な国土開発が進み、国民の生活スタイルと地域景観が劇的に変貌するとともに、大都市と地方の過疎過密問題も露呈し始めていた。これを危惧した文化庁は、日本庶民文化の特性溢れる農家・町家等の保全をめざし、全国47都道府県で緊急民家調査を実施する。そこでは主に旧地主階級の大型民家が対象とされ、突出した価値を有する民家が国や自治体の指定文化財となったのである。
鳥取県では、1972~73年度に緊急調査がおこなわれ、報告書『鳥取県の民家』(1974)が刊行された。この報告書に掲載された39件のうち、とくに文化財価値の高い民家が国の重要文化財(重文)や自治体の文化財に指定されたのである。ここにいう国の重要文化財を「重文」と略称する。中国の「重点文物保護単位」にあたる。県の指定文化財が「省級文物保護単位」相当である。わたしたちは、緊急民家調査報告書の刊行から45年を経た2018~19年度に、報告書掲載39件の民家を悉皆的に追跡調査し、その変化のパターンを読みとった。
 分布図に示したように、39件のうち6件が(矢部家・福田家・尾崎家・河本家・門脇家・後藤家)が重文、10件が自治体の文化財に指定された。しかし、自治体指定のうち4件がすでに指定解除になっている。指定解除の理由については、後で述べる。
 福田家住宅(重文): まず、環境大学の近隣に所在する鳥取市の重文「福田家住宅」を取り上げる。福田家住宅は典型的な広間型の三室構成で、部材の加工痕や壁・屋根の構法に古式を残すことから、17世紀の建立と推定されている。1974年の指定以来、断続的な維持修理が施されており、近年はほぼ常時公開されている。公開が可能になったのは、居住者(老夫婦2名)が古民家の近くに新居を構えて引っ越したからである。古態を残す重文民家は、文化財建造物としてのオーセンティシティ(真実性)に充ちているけれども、現代生活にみあう改装を禁じられており、住まいとしてのアメニティ(快適性)の向上が極めて難しいのである。このため、居住者は重文民家での生活を断念し、近隣に新居を設けて移り住むケースが増えている。近隣に住みながら、重文民家を管理するので、それは完全な空き家になったわけではない。
 石田家住宅(重文): 江戸時代(清代)の民家の中で最古の墨書を残す例を紹介しよう。京都府美山の重文「石田家住宅」では、西暦1650年の墨書が建築部材に残っていた。この民家を訪問すると、手斧で削られた痕跡のある古い部材などの真実性に圧倒される。しかし、やはり居住者不在の空き家であり、考古学的標本として日々公開されている。重要文化財の使命とされるオーセンティックな文化財価値の凄みを体感するとともに、人間らしい生活の条件である「住み心地の良さ」の喪失を知ることができる。
 箱木家住宅(千年家・重文): 日本最古の古民家を紹介しておく。箱木家住宅は、移築以前、大きな屋根に覆われた1棟の大型民家であった。移築に伴う解体調査の結果、当初は主屋と隠居屋の2棟に分かれていたことが明らかになった。隠居屋は江戸時代(清代)、主屋は室町時代(明代)の建築と推定されていた。ところが、発掘調査と部材の科学的年代測定の結果、主屋の建築は鎌倉時代(元代)にまで遡ると考え直されている。1977年までは実際に人が住んでいたが、ダムの建設により旧所在地が水没するため、神戸市北区の田園地帯に移築され、その後は無人化した野外博物館として一般公開されている。
尾崎家・河本家住宅(鳥取): いままで紹介した古民家は、とくに江戸時代初期(清初)から中世(元・明)にまで遡る年代の古さに最大の文化財価値を認めることができる。一方、芸術性の高い民家も存在する。鳥取県の場合、中世戦国時代(明末)の武家が敗戦などのため帰農し、土着した場所で地主になって住んだ豪農の大邸宅がいくつかある。座敷と一体になった庭園も見事である。
武家が豪農になったのだから、その住宅には武家屋敷に特有な「書院造」の風格が強く影響します。書院造は、現代和風住宅の原型でもある。これら豪農の大邸宅の一部(キッチン・バス・トイレなど)は指定前から現代的に改装されていたため、今も重文民家に住む人がいる。しかしながら、住み手は老夫婦など少数であって、後継者不在の状況に陥っている。後継者不在であるから、面積の広い民家・庭園を管理するのは大変であり、多くの場合、近隣住民や文化財愛好者によって「保存会」が組織され、公開・活用等のサポートをしている。とはいうものの、そう遠くないうちに空き家となるのは、ほぼ確実であり、明るい未来が開けているとは言えないだろう。

(2)苦境に陥る自治体指定の古民家
 重文民家の場合、居住者が流出してしまっても 国の手厚い補助があるため、建造物そのものが滅失したり、指定が解除されたりすることはまずない。しかし、自治体指定の民家になると状況が一変する。まずなにより、維持修理のための補助金が少なく、自己負担金に耐え切れなくなる。また、住み心地を改善しようとして自治体に改装を申請しても認められない。これらの理由から、「指定解除」を居住者が申請するケースが増えてくるのである。
 地方自治体がいったん民家を文化財指定しながら、結果として指定解除になった4件の民家の位置を示している。4件とも山間部の超過疎地にあり、予算不足、居住者流出による後継者・管理者不在に加え、雪害や地震などの災害で建造物が損壊し、文化財としての維持が困難になっている。 たとえば鳥取県西部の限界集落、日野町内井谷では、江戸時代末期(清代後期)に建立された内藤家住宅が1974年に県指定文化財となった。毎年の豪雪などで建物の劣化が進んでいたが、2000年の大地震で倒壊し、指定解除を余儀なくされたのである。今はただの空き地になっている。まわりに建つ2棟の民家にも住み手はなく、集落は廃村化している。これが裏日本の山間過疎集落の現実である。


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東鯷人ナマズ屋のチラシ案

ナマズ屋チラシ二稿_page-0001 チラシ案二稿


東鯷人ナマズ屋のチラシをお持ちの方には割引します!

 10月14~15日(土日)の環謝祭(大学祭)に出店する「東鯷人ナマズ屋」のチラシ案が3年WK君より送られてきたので、一度校正し、再送信されてきたのが上の図です。90%OKですが、最後に微修正しようと考えているので、現在はチラシ「案」ですが、ここに掲載しておきます。今回のチラシをプリントして屋台にお持ちの方は、「ナマズの天丼」弁当1箱500円を400円にディスカウントしますので、よろしくお願いします。
 先週木曜日のプロジェクト研究の活動報告がまた一人届きましたので、下に転載します。


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古民家カフェと郷土料理のフードスケープ(1)

1005ナマズの天丼10天丼完成 ナマズ天丼+ブータン山椒+梅風味汁


 2023年度後期のプロジェクト研究2(1年次)・同4(2年次)が9月末より始まっています。1・2年生とも9名、計18名の履修生がありました。今回の主題は以下のとおりです。

<テーマ> 古民家カフェと郷土料理のフードスケープ

<概要> これまでソバ食・精進料理・エスニック料理のフードスケープ(食の風景)のプロジェクトに取り組んできました。今回は少し見方を変え「古民家」、とくにクラ(土蔵)の活用に注目します。古民家・土蔵をカフェなどに再生する例が全国的に増え、人気を博しているからです。メニューについては、郷土料理系(川魚・山菜・ソバ食等)、エスニック系(アジア料理・洋食等)、喫茶系に分けて考える予定です。歴史的建造物や木造建築系空き家を再生活用したカフェ&レストランの魅力をおもに空間づくりから分析しつつ、提供されるメニューとの関係にも考察をひろげます。また、環謝祭(大学祭)に出店する屋台「東鯷人ナマズ屋」の食材を、郷土の古代食を意識して創作します。
<授業計画> 
01.(0928)オリエンテーション【1・2年合同】4限+α
02.(1005)古代食再現-環謝祭出品「ナマズ食(燻製)」【1年】4~5限
03.(1012)郷土料理創作-環謝祭出品「ナマズ食(天丼)」【2年】4~5限 
 *上海で開催される国際学会招聘講演のため10月19日は休講→補講は12月14日の合同フォーラム
04.(1026)大学近隣の古民家(カフェもしくは空き家)で実習(1)【1年】4~5限
05.(1102)大学近隣の古民家(カフェもしくは空き家)で実習(2)【2年】4~5限
06.(1109)ネットで探る出身地の古民家カフェ(喫茶飲食系)【1年】4~5限
07.(1116)ネットで探る出身地の古民家カフェ(郷土食系)(1)【2年】4~5限  
08.(1130)ネットで探る出身地の古民家カフェ(郷土食系)(2)【1年】4~5限
09.(1207)ネットで探る出身地の古民家カフェ(エスニック系)【2年】4~5限
10-11.(1214)木造建築系カフェでフォーラム【1・2年合同】4~5限(1コマは1019補講分)
12.(1221)パワポ作成・発表会準備(1)【1年】4限 【2年】5限
13.(0111)パワポ作成・発表会準備(2)【2年】4限 【1年】5限
14.(0118)発表会リハーサル【1・2年合同】4限+α
15.(0124)発表会【1・2年合同】  *活動内容は天候・感染症などの影響で変更になる可能性があります。



1005ナマズの天丼06天プラ開始


「東鯷人ナマズ屋」の準備ー環謝祭(大学祭)で出店

 この前期、大学院の「歴史遺産保全特論」で、ナマズ食に係わる活動をしました。実際にナマズを捕獲したり、琵琶湖を訪問したり、大変活力ある授業になりました(成果は近く大学院生が報告します)。その成果の第一段階として、10月14・15日(土日)に開催される環謝祭(大学祭)で「東鯷人ナマズ屋」という屋台を出店し、「ナマズの天丼」弁当を販売します(1箱500円の予定)。ちなみに、屋台名に使った「東鯷人」とは「東のナマズ(鯷)人」を意味します。日本(倭)に関する最古の文字記録『漢書』地理志に記載された言葉であり、漢代(日本では弥生時代)の中国人は倭人のことをナマズ人と呼んでいたことが分かります。考古学的には、縄文~古代の西日本に限定されてナマズの骨が多く出土しており、いずれも鳥取を含む西日本とナマズの関係性の深さを示唆しています。そういう点から「東鯷人ナマズ屋」という店名を採用したしだいです。


1005ナマズの天丼02山椒02sam 1005ナマズの天丼02山椒01
9月の第10次調査で宿泊したトンサ地区ベンジ村でいただいた山椒。調査時、家の前で枝付きのまま乾燥させていた。今回の作業では、まず山椒実をこつこつと枝からもいで、粉状にしようとしたが、すり鉢では難しかった。

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第4回建成遺産国際学術シンポジウム(上海)での招聘講演予報

 来たる10月20日(金)〜22日(日)、上海留学時の母校、同済大学で開催される第四届建成遗产国际学术研讨会(第4回建成遺産国際学術シンポジウム)で招聘講演することになった。

Regulation and Innovation: Regeneration of Historic Built Environment in Urban Development
(規制と革新: 都市発展における歴史的建築環境の再生)
https://mp.weixin.qq.com/s/Culz-_8pz-4f9hNpmo_LcA

 最初の打診は7月にあり、もちろん受諾したのだが、その後、福島原発の放水問題が影響したのか否かは不明ながら、8月下旬から動きが鈍くなった。招聘中止か、オンラインもありうると思いつつ、交渉を重ねていた。そのころから、国際旅行社に相談するようになり、中国のビザが異常に取得し難くなっていることを知る。手続きは厄介きわまりない。1)全ての前提として公印を含む正式な招聘状(pdf)が必要であり、2)申請外国人のアンケートは83項目もあり、3)ビザ用写真は厳格極まりなく、4)すべての書類がそろった後、大阪の中国ビザセンターにまで出向いて、指紋と顔写真をとられ、自ら申請しなければならない、ということであった。中国はいままさに国慶節の長期休暇中だが、この休暇のおかげで領事館の仕事も動かないので、9月下旬までに申請しないと渡航にまにあわないとアドバイスされた。
 ほとんどもう諦めかけていた9月末になって、ようやく正式なオファーのメールが届き、ビザを取得できる目途もついたところではあるけれども、これから発表論文やパワポの準備を急がねばならぬと思うと頭が痛い。なにぶん病気の後遺症は完全に解消したわけではなく、以前のような馬力がないところが心配の種である。それでも、4年ぶりに上海を訪問できるのは本当に嬉しい。ビザの問題があり、家内を同伴できないのが残念で仕方ない。

 以下、中国語の論文概要と目次を示しておく(今後、改訂・圧縮の予定)。


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崖と建築のヒエロファニー 三徳山《日本遺産》フォーラム(予報1)

230515中ノ郷公民館01摩尼寺奥の院 中ノ郷ポスター


中ノ郷地区公民館 ふるさと教養大楽「摩尼寺 奥の院」講演

 前期5月15日(月)は、Jリーグ発足30周年(にして息子の誕生日)でありました。この目出度き日に、鳥取市市覚寺の中ノ郷地区公民館で「摩尼山 奥の院」と題する講演をおこないました。内容構成は以下の通りです。

   0.最澄・空海・円仁-密教の伝来
   1.喜見山摩尼寺の歴史と伝承
   2.摩尼寺「奥の院」遺跡
   3.岩窟・岩陰と複合する懸造(かけづくり)仏堂の比較 -日本・中国・ブータン

 1時間の短い講座でしたが、摩尼山の山麓にあたる覚寺の地域住民約30名ほか、研究室OBのエアポート君も聴講してくれました。その後、摩尼寺の境内で昼食(コンビニ弁当)。食後には岩美のブルームまで足をのばし、快晴の山陰海岸を満喫し打ち上げに代えました。この翌日夕刻、脳梗塞を発症するなど予想だにせぬまま・・・


三徳山フォーラムチラシ(最終校⑤)_圧縮 画面をクリックするとチラシが拡大します


三徳山《日本遺産》フォーラム「崖と建築のヒエロファニー: そのアジア的視座」の開催

 その後もろもろの依頼や協議があり、来たる11月25日(土)に三徳山《日本遺産》フォーラム「崖と建築のヒエロファニー: そのアジア的視座」を開催することになりました。今回は予報の1回めで、詳報は次回にまわしますが、台湾やブータンの留学生が筑波大・岡山大から参加され、国際色豊かなものになりそうです。今回の主催は、日本遺産三徳山三朝温泉をまもる会で、ASALABは共催の立場ですが、研究室全体でこの会を盛り上げていこうと考えております。
 参加等の問い合わせは、事務局(三朝町教委社会教育課)にお願いします。
    ℡0858-43-3518 Fax0858-43-0647 e-mail:shakaikyouiku@town.misasa.tottori.jp

 なお、筑波大等のご希望により、11月24~25日に以下のツアーを企画しております。

11月24日(金) 昼過ぎ:不動院岩屋堂(若桜町・重文)外観のみ
          午後: 若桜の重伝建をみて、若桜鉄道で鳥取駅着
  25日(土) 午前:三徳山投入堂(国宝・日本遺産)登拝
         午後:本堂でフォーラム「崖と建築のヒエロファニー」
  26日(日) 午前:摩尼山(国登録記念物)「奥の院」登山  摩尼寺護摩供養見学 
 
  こちらの問い合わせはASALABにお願いします。



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科研実績報告(新旧2種)

 この2年間、海外渡航が叶わなかったため、新旧科研2種の遂行が滞っており、予算の年度繰り越しをくりかえしてきたが、2022年度にはようやくブータンでの調査が再開された。ここに実績概要を公開する。

1.2018~2022年度 科研実績報告(2年繰り越しの最終年度)

①研究課題名: ブータン仏教の調伏と黒壁の瞑想洞穴-ポン教神霊の浄化と祭場
Exorcism of the Bhutanese Buddhism and Black Wall Meditation Caves
-Purification of Bonism Spirits and their Ceremony Places

基盤研究(C) 課題番号 18K04543 [申請概要]

②研究分野: アジア民族建築史
③キーワード: ブータン 密教 ポン教 非仏教 チメラカン クブン寺 男根 センデンデワ

④研究成果の概要: 2018年度、怪僧ドゥクパ・クンレー縁りのチメラカン(プナカ)本堂で魔女アムチョキム像を観察。寺院周辺の集落には魔女除けの男根を壁に大描きしたり、その木彫を軒先から吊したり、仏壇隅に祀る家が集中する。地霊ルーを封じ込める小祠も多数確認。その最大規模例はプナカ城内にルーポダン(ルーの宮殿)である。これら非仏教系信仰の神霊は仏教側の守護神に変換されるが、実際には流域の土地神であり続け、大祭が催される。これら全てをポン教と一括するのは間違いである。けれども、ブータン人は非仏教=ポン教と認識する傾向も認められるようだ。2019年、ポン教の開祖センデンデワがポプジカに開山したというクブン寺の二階隅にポン教系神霊を祭祀する秘奥の間を確認。2021年にも継続調査した。
 English Summary: In 2018, I observed the witch Amchokim image at Chimelhakhan Buddhist monastery in Punakha, which is associated with the monk Dukpa Kunley. Around the monastery, many houses are clustered with large paintings of phallic figures on the walls, their wooden carvings hanging from the eaves, and enshrined in the corners of Buddhist altars to ward off witches. Many small shrines were also observed to contain the underground spirit Ru.The largest example is in Punakha Castle. These non-Buddhist deities are converted to Buddhist guardian deities, but they continue to be the local deities of the basin and the subject of major festivals. All of them should not be understood as Bonism deities, but the Bhutanese people seem to recognize that non-Buddhism is just Bonism. In 2019, we identified the Bonism Secret Room in the upstairs corner of the Kubum monastery, which was founded by Bonism founder Senden-Dewa in Phopjikha, and I continued to investigate Kubum monastery in 2021.

⑤研究成果の学術的意義や社会的意義: ブータン仏教は北インドより伝来した後期密教の一派であり、厳格な体系性を有するとされるが、寺院や仏間を訪問すると、非仏教的な祭祀対象-魔女、地下王、水神、赤鬼・青鬼等が重要な位置を占める。それらは格式上仏像群に劣り、仏壇の片隅に置かれたり、ギュンカンと呼ばれる脇部屋を祭場とするが、ブータン人の精神世界においては依然存在感が大きい。それらは黒壁瞑想洞穴での瞑想などにより調伏され、仏教側の守護神に変換されるけれども、そうした表向きの変化を裏切るかのように、流域の守護神であり続け、大祭が催される。それらを前仏教的な「ボン教」の神霊として一括できるわけではないけれども、F.ポマレ[2014]が説くように、ブータン人は非仏教=ボン教とみなす傾向がある。チベット系の仏教はこのように著しく土着化している。古代インド仏教世界の再現モデルとさえ思われたチベット系宗教文化のイメージを覆す研究成果がもたらされた。


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第9次ブータン調査活動概要

 2022年12月18~31日、ブータン第9次調査を実施しました。じつに2年3ヶ月ぶりのブータン出張であり、不安も少なからずありましたが、望外の収穫を得ました。残念なことに、諸々の事情で、これまでのようなブログでの連載ができませんでしたが、ここでは、大学事務局に提出した出張伺復命書の用務概要をアレンジして転載しておきます。なお、時間差については、日本時間=タイ時間+2時間、ブータン時間+3時間となっています。ヒマラヤ山麓だけに冬の寒さを警戒していたが、乾季で日差し明るい。高地では朝夕ー7℃まで冷え込むが、薪ストーブに温められ、癒された。

12月18日(日) @関空~バンコク
  08:00 関空集合 11:00 TG623便離陸 15:30スワンナプーム国際空港(バンコク)着 17:30 スクンビットのホテルにチェックイン。この日はW杯ドーハ大会の決勝があり、スクンビットの大喧騒のなかで、フランス対アルゼンチンの決勝を堪能した。これにつては、また別に報告するかもしれない。

12月19日(月) @バンコク、アユタヤ
  10:00 世界遺産「アユタヤ遺跡」訪問のタクシーを予約。 0:30 ホテルを出発 12:00 アユタヤ遺跡着 アユタヤ遺跡環濠をボートで周回(1時間)。14:45~17:30 アユタヤー王宮跡(ワット・マハナート)、ワット・プラ・シー・サンペット、ワット・ローカヤースッター、ワット・プーカオ・トーン、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンを視察。 19:00 ホテル帰着。スクンビットのインド・レストランでハイデラバード料理を満喫。

12月20日(火) @バンコク
 10:00~ 王宮とその周辺の仏教寺院の視察。後期密教(チベット仏教)との関係が強いと思われる大型ストゥーパを境内に構える寺院を優先した。ワット・アルン(暁の寺)→ワット・ポー(寝釈迦仏)→王宮→ラク・ムアン 18:30ホテル帰着

12月21日(水) @バンコク ダムヌン・サドゥアック
  9:30 ダムヌン・サドゥアック水上集落着。集落を構成するワット・チャルン・スカラーン寺、水上マーケット等を視察。14:30 バンコク最大のスラム「クロントイスラム」着。クロントイスラムの支援活動を続けるシッカ財団の事務所を訪問。ブータンの民話絵本(和訳版)などを献呈。スラムにあるコミュニティ・ライブラリーの運営を活動の基盤としており、予想以上に絵本の献呈を喜ばれた。まずシャンティの事務所で八木沢克昌所長のパワポ講義を受ける(約90分)。その後、スラムと図書館の視察。所長、早稲田留学生と夕食。20:00 ホテル帰着

12月22日(木) @パロ空港、ティンプー、プナカ(ブータン)
  4:00 ホテル出発 07:00 KG153便離陸  09:30 パロ空港着陸  11:30 READブータン(ティンプー郊外)。READとは Rural Education And Development(農村教育と開発)の略だが、もちろん読書(Read)の意味もある。ブータン全土9か所にコミュニティ・ライブラリー(+パソコン室)を設置。シャンティと同様、絵本類の寄贈を喜ばれた。ケサン・チョデン所長と半時間の面談後、施設を案内される。15:30 チメ・ラカン着(プナカ)。本堂の魔女像アムチョキムの逸話等ヒアリング。18:00 ホテルチェックイン(プナカ泊)

12月23日(金) @プナカ、ポプジカ
  11:00 ノブディン村で一般住居の棟に立つ幡ギョンダルと壁画ポー(男根)を撮影。12:00 ラワラチョルテン撮影。12:20 サナム村の民家レストランで食事と仏間等の調査。14:30 ケワンラカン着。本堂内部を視察後、寺の横に広がる湿原でオグロヅル(チベットからの渡り鳥)を観察。14:50 オグロヅルセンター着。オグロヅルの伝承を描く絵本『天の鳥』(和訳版)を寄贈。18:00 民宿コテージ「ユエロキ」チェックイン、食文化の調査を開始。

12月24日(金) @ポプジカ
  9:30クブン寺着。1階の仏堂撮影許可される。2階中央間も仏間だが、左奥の部屋はボン教秘奥の間。黒く塗りつぶされた髑髏の空間。撮影不許可(観察のみ)。その後、住職の許可を得て、本堂前の前身建物(石積壁)で目地の乾燥土採取、その横にあるセンデン・デワの樹(樹齢千年以上と伝承される枯木)の年輪サンプル採取。帰国後、放射性炭素年代測定をおこなった。13:00 ラム・ゴカ村の民家レストラン、シゲ家で食文化と仏間の調査。14:30 ガンテ寺着。本堂にて巨大な曼荼羅を観察。その後歩いて町を散策。16:00 ガンテ寺門前の八百屋で、唐辛子など野菜類の調査。18:00ホテル帰着。

 【センデン・デワの樹】  クブン寺の開祖センデン・デワ(ボン教の高僧)が植樹したとされる大木(イトスギ)が境内の前に立っていたが、1987年の大風で倒木。枯木となったまま横たわるが、内側が大きく空洞化している。直径約150㎝、空洞部分の直径70㎝前後。枯木のチップを持ち帰ると御利益があると信じられており、住職の勧めもあって、空洞側で大きめの木片(270×70×35mm)を採取した。帰国後、最も内側の年輪のAMS法放射性炭素年代測定をパレオラボ社に依頼したところ、2σ暦年代範囲で以下の結果を得た。

1504-1597 cal AD (75.69%)および1617-1644 cal AD (19.76%)

 センデン・デワの樹は1987年に倒れたので、残存部分の樹齢は483~343年となる。現状で、内側の年輪は16~17世紀前半と推定されるが、これに空洞部分の年輪数を加えて植樹年代が推定される。L・K・ティンレイ[Thinley 2013]によれば、デワはチベットのララユン僧院からブータンに落ちのびたボン教のシャブドン(領袖)であり、その生存年代は不詳ながら、チベットのラビジュン暦法が始まる前の13世紀以降と推定している。昨年12月の調査時には、現地でセンデン・デワを7世紀と聞いてありえないと思ったが、13~14世紀であるとすれば、空洞部分の年輪数が300ばかりで整合する。これについては、2023年9月にも追跡調査をしたので再度報告したい。

https://www.orientalarchitecture.com/sid/1560/bhutan/wangdue-phodrang/kumbu-lhakhang
Blake, Laura. Bhutan's Buddhist Architecture. San Francisco: CreateSpace, 2015.
Karmay, Samten. “Dorje Lingpa and His Rediscovery of the ‘Gold Needle’ in Bhutan.” Bhutan Studies Journal, Volume 2 No. 2.2000.
Tashi, Kelzang (Tingdzen). Contested Past, Challenging Future: An Ethnography of Pre-Buddhist Bon Religious Practices in Central Bhutan. The Australian National University, 2020.
Thinley, Lopon Kunzang. Seeds of Faith: A Comprehensive Guide to the Sacred Places of Bhutan. Volume 2. Thimphu: KMT Publications, 2013.
Tsering, Dawa. Introduction to the Traditional Architecture of Bhutan. Thimphu: Department of Works, Housing and Roads, 1993.



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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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