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遥かなるNews250

卒論ゼミで視聴したバンク尻

 ある講演のオファーが届いた。場所は本学、聴衆は高校生。正直、得意ではない。高校生相手の講演で成功したためしがなく、ある中学校では大すべりした。自分の講義・講演に自信がないわけではないが、中高生相手となれば話がちがう。これについて、本日の卒論ゼミ休憩中に学生たちに意見を求めた。そのときなぜか覚えてないが、「バンク尻」の話題になった。学生たちは、バンクシーの名前を知っていたが、「バンク尻」はみたことがないというので、その場で「News250」まで一気にみて、全員大笑いし、おののいた。バンクシー本人からではなく、バンクシー展事務局からのオファーだとはいえ、バンク尻が入口脇に展示されるなんて凄いの一言。この動画をみたことで、やはり何にでも真剣に取り組む姿勢が大切だと思い改め、講演の依頼元に「少し悩みましたが、受けることにします」と返信した。
 中高生が喜ぶために、何をどうしたらいいのか、じっくり考えて準備しようと思う。


バンクシー展のバンク尻01 バンクシー展のバンク尻



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どん兵衛と吉牛の具材を入れ替える実験




 日々エガちゃんねるを視ております。おかげで他のサイトをみる時間が減ってしまい、わたしの身体上の健康にも影響しているのですが、精神上のウェルネスは著しく安定してきました。いま「バンク尻」の回をみていました。謎の前衛芸術家(集団)バンクシーもびっくり、横浜で開催されたバンクシー展から展示オファーが届くなんて、畏れ入ります。わたしも少しは彼の領域に近づきたいと、ある試みをしました。


0127吉牛どん兵衛コラボ01 0127吉牛どん兵衛コラボ02


 上の動画「勝手にコラボ飯」は、どん兵衛天ぷらそばと吉野家の牛丼の具材を入れ替えてグルメにしようと企てたものです。アイデアは相変わらず奇抜で面白く、実際、吉野家の牛肉をどん兵衛にのせた肉そばは極上の味になったといい、蕎麦屋の肉そばより美味いとブリーフ団(L)は喜んでますが、同(M)(S)に割り当てられた天丼=吉野家白飯にパリパリ乾燥状態のどん兵衛天ぷらをのせたドンブリ=は、言葉にならない食感になってしまったようです。日々夕食の支度をしている教師からみれば、天ぷらをどん兵衛湯蒸しの段階でカップの中に入れ、ほぐしておかなかったのが敗因と考えられたので、その調整を試みた次第です。
 湯蒸しした天ぷらをつゆだく気味に吉牛白飯にのせ、肉蕎麦+天丼を週末の昼食としました。結果を申し上げると、両者ともまずくはないけれども、「うましら~」レベルとは言い難く、とくに牛丼が並以下の天丼になったのは残念でした。夫婦で話しあった結果、①このたびは牛丼・天蕎麦両方二人前買いそろえたが、二人あわせて一人前ずつで十分、②具材を入れ替えるのではなく、元通りの牛丼+天蕎麦のほうがはるかに美味い、という意見で一致しました。モスの宇治抹茶シェイクやクラムチャウダー、マックシェイクとアップルパイのコラボには当方も嵌りましたが、たぶん吉牛とどん兵衛の具材入れ替えは二度とやらないであろうと思われます。


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ノビタのなまず放浪記(2)-千葉県印旛沼

 研究室OBのノビタです。昨年11月19日、「ノビタのなまず放浪記(1)-埼玉県吉川」がアップされると同時に教授からメールがあり、「おまえさんは、こういう仕事が向いているね」というお褒めの言葉を頂戴しました。学生時代に文章で教授の血圧を上げたことのある私からすると、この一文はとても嬉しいものでした。それにしても、「ノビタのなまず放浪記(1)」というタイトルは、自分がつけたものより面白いとは思いましたが、違和感を拭えないところもありました。そうなんです、タイトルにナンバーが振ってあるではありませんか。次の作品への期待がナンバーとして表れているのです。こうした書かざるを得ない状況み追い込む手法を、昭和漫画の編集者が使っていたのをどこかで読んだことがあります。
 この件(次の作品)については、昨夏から言われていたものの、なかなか食レポ・ロケの時間をとることもできませんでした。なにぶん仕事は宙ぶらりんで、恋も玩具も失っておりました。しかし、アプリの威力凄まじく、新たなcatfishを釣りあげることに成功したので、クリスマス・イブには、印旛沼漁協が直営する「水産センター」を訪れ、関東で二度目の鯰を食することができたので報告させていただきます。

1.印旛沼について

 印旛沼については、田沼意次が干拓を進めたという日本史の教科書程度の知識しかないので、公益財団法人印旛沼環境基金のサイトに基づき簡潔に紹介させていただく。印旛沼とは、千葉県北西部の下総台地のほぼ中央に位置する湖沼である。以前はアルファベットの「W」のような形状で面積は約29k㎡であったが、昭和期の開発事業による埋め立てにより、現在は北印旛沼(6.26k㎡)と西印旛沼(5.29k㎡)に分かれている。印旛沼の開発は、享保期から始まり、およそ60年ごとに計3回おこなっており、天保14年(1843)には、鳥取藩池田家も水路の掘削工事に参加している。面積については、鳥取市の湖山池が6.9k㎡だと記せば、その大きさをイメージしやすいだろう。
 印旛沼で水揚げされる魚種は豊富で、昭和期の開発事業以前と以後で大きく異なるが、開発前は利根川から遡上してくるサケ、マルタウグイ、ボラや、在来種であるシラウオ、モツゴ、ギンブナ、ナマズの他にカワムツをはじめとする移入魚種といった多くの魚介類が生息していたという。開発後は、一部の在来種が姿を消し、代わりにオオクチバスやブルーギルといった外来種を加えた40種類が平成21~30年度に確認されている。
 印旛沼全体の漁獲対象の魚種はコイ、フナ、その他の魚種が大きな割合を占める。その多くは佃煮の材料として消費されたモツゴである。漁獲量は昭和43年(1968)で約800トン。以降800トンを上限とし漁獲量は増減するが、平成16年(2004)には81トンと急激に減少している。この原因は、霞ヶ浦で発生したコイヘルペスの蔓延に加えて、消費者の淡水魚の魚食離れが大きく影響しているとされ、加えて高齢化による漁業人口の減少や食料資源としての社会的価値の低下をはじめとする種々の課題、先に挙げたオオクチバスやブルーギルなどの特定外来生物、近年ではチャネル・キャットフィッシュ(アメリカナマズ)の侵入も原因の一つとなっている。

【写真1】水産センター外観 【写真1】印旛沼漁協 水産センター外観


2.実食 ナマズの天丼

 それでは本題の「ナマズの天丼」の話に入ろう。上の建物【写真1】が印旛沼漁業協同組合直営の水産センターである。昭和40年代頃の建物というイメージだ。JR成田駅から車で11分の距離にある。建物正面の壁には「うなぎ」の文字が目を引くが、個人的にはもちろん「うなぎ・なまず養殖事業」が気にかかる。印旛沼でもナマズを養殖しているのだろうか。心は踊る。2023年のクリスマス・イブにナマズが食べられる幸福を噛みしめる。
 店内に入る前にメニュー表が置いてあった【写真2】。やはりメインとなるのはウナギであり、特上ともなればそれなりの価格である。その中でナマズの天丼は、メニューの中のご飯の上におかずを盛った定食系の中では親子丼に次ぐ安さである。


【写真2】水産センターのメニュー表 【写真2】水産センターのメニュー表


 店内は、昔懐かしい大衆食堂といった趣きで、窓から甚兵衛広沼を望むことができた。カウンター上の「こい なまず うなぎ」と書かれた暖簾にはとても驚いた。この暖簾が作られたころは、この三種が代表魚だったと察せられる。意外にも客は多く、席の7割ほどが埋まっていた。一瞥すると、皆ウナギ料理を食べている。私が注文するのはもちろんナマズの天丼。ついでに珍しさからドジョウの唐揚げも注文した。心なしかオーダー時に店員が意外な顔をしたような気がする。
 10分もしないうちに、ドジョウの唐揚げが卓に届く【写真3】。思っていたより小さいドジョウだったが、初めてのドジョウ料理に心は踊り、ただちに箸を付ける。非常にサクサクした食感で、小エビよりもその感覚は上であり、スナック菓子のようだと形容した方がよいかもしれない。見るからに丸揚げだが、骨は気にならない。箸が進むにつれてビールが欲しいと思った。臭みもなく、淡白な味であるが、料理が少し冷めてくると苦み、いわゆる内蔵の味を仄かに感じたものの、味の変化を楽しめて面白い。一尾ごとパクリと口に運んでいき、またたくまに平らげてしまった。終始ビールが欲しい一皿だった。
 少しすると、ついにナマズの天丼が運ばれてきた。盆には丼と吸物、そして香の物とシンプルなものであった【写真4】。丼の蓋を開けてお目見えしたのが写真5である。ご飯の上にはナマズの天ぷらが五切れとシイタケ、ナス、ピーマンといった野菜の天ぷら三切れが載せられタレがかかっていた。


【写真4】ナマズの天丼のセット内容 【写真4】ナマズの天丼のセット 全景


 いざ、ナマズの天ぷらを口に運ぶ。唐揚げと同じくカラっと揚がった衣を噛み潰すと、その中からフワッとしたナマズの白身が露わになる。もちろん臭みはなくとても柔らかい。久しぶりの食感である。今回は揚げたてのようで衣は温かかった。季節が冬のためか吉川のそれよりも身は締まっているように感じたが、天ぷらのやや端を掴み持ち上げると、自重で折れてしまうほどの柔らかさである。タレは甘辛、ウナギ料理のタレと同じかは定かではないが、多すぎず少なすぎず丁度良い量であった。完食まで10数分、最後に香の物で締める。腹八分とは言うものの、もう少し量があった方が良かったとは思った。しかし満足度は非常に高い。


【写真5】ナマズの天丼 【写真5】ナマズの天丼近影02 【写真5】ナマズの天丼



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Student from Afghanistan

 怪しい英文のメールが届いた。訳文を確かめると、いつもの国際学会詐欺(シンポジウムを開くから参加しないか、参加費〇〇ドルを振り込め)のたぐいではなく、アフガニスタンの女性が救済を求める内容だった。原文を転載する。

Im Ms. Hakimeh Akhlaqi, from Afghanistan, I have completed my studies in geography engineering and urban planning due to the Taliban government's prevention. I am currently in Iran. I have the activities of executive management and environmental monitoring in Afghanistan and I have done artistic activities such as story writing and directing. Complete documents are available. If possible, accept me as a student so that I can continue my studies and be useful to myself and society

 以下のようなことを訴えている。

  アフガニスタン出身のハキメ・アクラキです。タリバン政府の妨害により、
  地理工学と都市計画の学業がストップ*しました。 現在はイランにいます。
  アフガニスタンでは、経営管理と環境モニタリングの活動をしてきました。
  物語の執筆や監督などの芸術活動にも携わりました。
  書類一式は揃っています。 可能であれば、私が学業を続け、自分自身と
  社会の役に立つことができるように、私を受け入れてください。
    *complete を「完了させる」「修了させる」と訳せば意味が通じないので、こう訳した。

 添付資料もあり、クリックするのが怖かった。なにぶん以前、Dr.Central Bridge 偽装メールの添付資料をクリックし、返信したばかりに、「トロイの木馬」ウィルスに感染し、メールの情報を盗まれ、不特定多数の方々に大迷惑をかけているので、慎重にならざるをえなかったが、上の文面をみて、添付画像をクリックしたところ、当該女性のパスポート・コピー(jpg)であった。もちろん返信はしていない。わたしのアドレスは大学のホームページに掲載しているので、誰でも分かる。とはいえ、「拝啓、浅川様」の一言もないので、多くの国の、それこそ不特定多数の研究者にメールを送っているのだろう。
 わたしには何もできない。残された時間は短く、外国から研究者を招聘する資金も余裕もない。タリバンに弾圧されているアフガニスタン国民のためになりたいとは思うけれども、わたし一人ではどうにもなりません。だれか救いの手を差しのべてあげてください。

  氏名とメールアドレス: HAKIMAH AKHLAQI  hakimahakhlaqi@gmail.com


古民家カフェと郷土料理のフードスケープ(8)

0124発表会01 会場となった100講義室


大雪警報の発表会

 1月24日、早朝6時起床。窓外を覗くと、小雪が舞っていた。積雪3㎝。すでに大雪の警報は出ていた。これが特別警報に格上げされたり、公共交通が全休となれば、大学は休講になる。7時になって、大学のホームページを確認。休講掲示はない。この日はプロジェクト研究2/4の発表会であり、運悪くわたしたちの班の発表は朝一の9時からに割り当てられていた。8時過ぎに家を出た。用心のため2リットルのペットボトルに水道水を詰め、後部座席に転がしておく。これが夕刻、救世主になることを、そのときはまだ知らない。
 いつもなら15分以内で大学に着くのだが、スリッピーな路面に車は渋滞し、40分近い時間を要した。ただちに発表会場の100講義室へ。集合時間と決めた8時45分に教師自ら遅刻してしまったが、学生たちは自主的にプロジェクターの準備を進めていた。9時のチャイムがなり、聴講者数十名に対して、こう挨拶した。

   雪で大変な朝になってしまったけどね、能登半島の被災者に比べれば
   なんてことない。一所懸命準備してきたから、君たちも一所懸命聞いて
   ください。今日も元気に行きましょう!


0124発表会02石川02 0124発表会02石川01 石川出身学生は郷土の川魚料理を紹介した。長崎から加賀藩預かりとなった隠れキリシタンが謹慎地で食べるようになった泥鰌の蒲焼は今や石川のソウルフードになっているという。冬休みには「りんどう」という料理屋(左の写真)を再訪する予定だったが、大地震のため閉店しており、訪問が叶わなかった。


 発表は見事なものだった。先週のリハーサルとは打って変わり、みな流暢な語り口で、安心して聴いていられた・・・というのは教師側の感想であり、トリを務めた学生に訊ねると、「(緊張して)声がでませんでした」という。この学生の一家は神戸から丹波篠山に移住し、農業に従事しつつ古民家カフェを経営していたが、ある事情から店を閉めた過去がある。「みちくさの駅」の閉業とも関係するので、発表ラストの大役を果たしてもらった。明るい学生だが、発表後は少し神妙になっていたような気がする。いつも厳しい教師だけれども、この日ばかりは学生を褒めちぎった。


0124発表会05篠山02 0124発表会05篠山01 発表を締めた篠山出身の学生は重伝建「福住」のなりとぱんを紹介し、じつは実家も移住者として、その近くで古民家カフェを営んでいたが、閉業した理由などを報告した。若者の発表ながら、哀愁を感じる好演。

麻薬シェイクを車中でちゅるちゅる

 発表会には、院生滅私と4年ウェイチァンも駆けつけた。発表が終わり、少し休んだ後、11時半が近くなり、そば切り「たかや」へ行こうと二人を誘って車に乗る。雪は吹き降りになっていたが、積雪は10㎝程度であり、4駆なら問題ない。後部座席の滅私に確認した。ペットボトルが床に転がっているだろう、と。これが命綱になるんだ、と。
 そば切り「たかや」は閉まっていた。大雪警報の一日だから、個人経営の店は閉店もやむをえぬか。そこで車は放浪し、まもなくカレーのCoCo壱を探しあてる。カレーはあったまる。寒い日の昼食としては最高だ。そこから車はモスバーガーへ。CoCo壱から近い距離にあるのだ。家内に知られたら大変だが、いまがチャンスだと判断し、速攻でモスのドライブスルーに滑り込んで宇治抹茶シェイクのSを3個注文。暖かい車内でちゅうちゅうするシェイクは極楽そのもの。


0124発表会03関金 倉吉出身の学生は、関金の「渓流料理いわなや」を紹介した。12月から3月まで休業とのことで、新学期になったら訪ねてみようと思う。



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ブータン民話絵本の解題(3)

ブログ01Just the way it is


3.カルマ・ツェリン作『じんせい なんて そんなもの』

書名:Just The Way It Is じんせい なんて そんなもの
テキスト: Karma Tsering カルマ・ツェリン
イラスト: Homebasedillustrator  在宅イラストレーター (ウゲン・ドルジ)
出版年: 2021
ISBN:ISBN-978-99980-887-2-6

以下は裏表紙の宣伝文である。

   じいちゃん(アガ)は、ドルジのいちばんの友だちだった。じいちゃんが
   なくなったとき、人生には変化がつきもので、永遠なものなどないことを
   学ばなければならなかった。ドルジはこの真実を受け入れることができる
   のか。はたしてドルジは平穏な気持ちになり、自分の人生をとりもどすこと
   ができるのだろうか?

 本書は2021年11月27日、ブータン王国文学祭「ブータン・エコーズ」プログラムの中で売り出された子ども向けの絵本である。不思議なことに、本書のどこにも出版社が記されていない。著者のカルマ・ツェリン(1977-)は、ハ地区出身の児童文学作家である。彼女はインドのデリー大学シュリラム女子カレッジで社会学を専攻した。2006年に奨学金を得て、ニューヨークの名門コロンビア大学大学院に進学して行政学修士号を取得した。学業を終えたカルマは人道的支援に熱心となり、赤十字インターナショナル・バザーの委員会メンバーとしてボランティア活動に取り組んだ。とりわけタイ赤十字社の活動推進に無私の献身を捧げた功績により、2019年にマハー・チャクリ・シリントーン王女から赤十字感謝勲章を授与されている。受勲の前後から子ども向けの文学作品を立て続けに世に送り出す。①『おくりもの』The Gift, 2018)、②『愛犬カド、ツェチュ祭に行く』Kado Goes to the Tshech, 2019)、③『ただしいこと』The Right Thing, 2020)、④『ギャップ』The Gap, 2021)であり、①と③はタイ語に翻訳され、①は2019年にタイの「幼児向け優良図書」に選ばれている。カルマはこうした童話絵本を書く理由を「おとぎ話の共有」だとして以下のように述べている。

   わたしたちは外国のおとぎ話を読んで育ちました。でも、
   わたしたち自身の物語を(世界と)共有できたらいいなと
   思ったのです。(略)本を通して子供たちに物語を伝え
   れば、価値観を共有することができると思うのです。

 子どもたちが小さな頃に読んだ物語は一生心に残る。世界中の子どもが同じ物語に感化されるならば、その価値観は自ずと肉体化され、大人になっても損なわれることがない。国が離れて接点のない人々に価値観が共有され、平和な世界の基礎になる、と考えたようだ。こうした目的意識のなかで生まれた最新作が、本書『じんせい なんて そんなもの』Just The Way It Is 2021)である。カルマ本人は、本書を著した理由を「亡くなっていった人はいつまでも心の中に残る」ことを主張したかったからだという。しかしながら、読者が読み取るのは「いつまでも心に残る」余韻以上に「無常の受け入れ」ではないだろうか。無常と言えば空であり、空と言えば仏教だが、カルマは仏教について一切語らず、最愛の祖父を失った少年に「無常の受け入れ」を諭す。なにも釈迦や如来や菩薩だけが仏教ではなく、いちばんの友だちだったじいちゃんや、いつでも無限の愛をふりそそぐ母親こそがブッダ(目覚めた人)であり、

  変わらぬものは一つとしてない

という言葉で世の理(ことわり)を伝えようとする。そして、旅立っていった人を想っていつまでも悲しむのではなく、あるがままを受け入れ、前向きに生きていくことを少年に促すのである。こうした「変化」の代表例として、作者は2020年以降のCovid-19パンデミックを例にとり、自らの想いを告白している。

   最近の本は、パンデミックが引き起こした変化に影響されています。
   パンデミックに見舞われ、すべてが変わりました。すべてがおとぎ話では
   ないことに気づかされます。物事は変化しうるし、実際に変化するのです。

 わたしたちは「おとぎ話」の世界に生きているわけではない。いつまでもピーターパンではいられないし、与えられた時間も限られている。本書は、そのことを優しく、暖かく教えてくれる「ブータンのおとぎ話」だという読後感がある。これまでブータンの絵本は何冊も訳してきたが、クンサン・チョデンの作品だけが頭抜けており、他の追随を許さないと感じていた。しかし、今回初めてカルマ・ツェリンの作品に接し、ようやくクンサンの域に近づく絵本作家が現れたと正直思った。和訳本の巻頭にもってくるべきは本書だという想いも芽生え、悩んだのだが、これまでの和訳本の流れを断ち切ることも躊躇われた。いずれにしても、本書の翻訳は素晴らしくやりがいのある仕事になったと感謝している。(安部・脇野・浅川)

《参考サイト》
・Karma Tsering
https://www.booknese.com/author/karma-tsering
・BHUTAN ECHOES. "Teaching Impermanence to Children Through a Book".
https://www.drukyul.org/teaching-impermanence-to-children-through-a-book/



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ブータン民話絵本の解題(2)

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2.READブータン作『ギャルポ王とヤンチェン姫』

書名: Sharchog Gyalpo and Ashi Yangchen . ギャルポ王とヤンチェン姫
文章指導: Sonam Deki ソナム・デキ
イラスト指導: Jhana Tshong ジャナ・ツォン
装幀指導: Che Dorji チェ・ドルジ
出版:READ Bhutan(2017) 出版補助金: ジョン・ロバート・グレッグ財団(NYコミュニティ信託内)
印刷:Kuensel C0.Ltd, Thimphu クエンセル株式会社、ティンプー
ISBN-978-99980-887-2-6

READブータンについて
 READとは、Rural Education and Development(農村教育と開発)という非営利組織の略称である。READという四文字が示すように、「読書」に重きをおいて、貧農社会の向上をめざしている。本部はREADグローバルと呼ばれ、合衆国カリフォルニア州サンフランシスコにあるが、南アジアの農村部を活動地域とする。その活動はネパールで始まった。語学教師で教育研究者のアントニア・トニ・ノイバウアーが旅行会社のスタッフとしてアジアを旅していた際、ネパール人のトレッキングガイドが口にした「自分の村にも図書館が欲しい」という一言がREADグローバルの設立のモチーフとなり、1991 年、ネパールのジュンベシ村に最初のREADセンターが設立された。こうしたローカル・コミュニティ・ライブラリーの活動が全国に広がり、2006 年にREADネパールはその革新的アプローチが評価され、ビル&メリンダ・ゲイツ財団の学習アクセス賞を受賞した。
 ネパールで成功したコミュニティ・ライブラリーのモデルを周辺諸国にも拡大すべく、2008年にはインドとブータンでも事業が開始された。READブータンは情報アクセスの確立、読書文化の構築を基盤に据え、地域住民の協力を得ながら農村コミュニティの変革を目標に掲げている。ブータンはアジアの中で識字率が最も低い国の一つであり、READが最初のセンターを設立するまでは、公共貸出図書館が全国に一ヶ所しかなかったが、現在までに国内 9ヶ所にREADセンターは増えている。READブータンは、農民に農業研修を提供し、子供たちに環境持続可能性プログラムを提供することで、活気に満ちた場所の創出を構想している。トレーニング内容も多様で、識字プログラム (教育省との提携)、読み書きプログラム、コンピューター・リテラシー、女性の健康クラス、コミュニティ・ラジオなどがある。これらの事業は、READブータン事務所の7人のスタッフと、全国9ヶ所のREADセンターでコーディネーターを務める 18 人の図書館員によって運営される。現在も過疎農村地域において子供の読書の啓発活動、パソコン教育をおこない、教育の発展と農村コミュニティの向上をめざしている。また、READブータンは、文化継承活動の一環として、若い有志たちが年配者から民話を採集し、自分たちで文章とイラストを作成して、多くの絵本を出版している。

研究室との係り
 2018年度後期のプロジェクト研究2/4「ヒマラヤの魔女」でREADブータンが制作した民話を2冊翻訳した。1冊は『カブはどのようにしてハにもたらされたのか』、いま1冊は『アケ・ゲム』である。このときはまだ組織との交流はなく、ただブータンで入手した民話絵本を日本で翻訳したにとどまる。翌19年の第8次調査最終日(9月10日)に、パロ空港でREADブータンのスタッフを紹介され、その後、メールでケサン・チョデン所長と交信するようになった。そこからはコロナ禍である。



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ブータン民話絵本の解題(1)

 今年度前期から、新3年生は共同でブータン民話絵本3冊の和訳に取り組んできた。3冊はいずれもコロナ後再開したブータン調査(第9次、2022年末)時に入手したものである。いまや研究室の伝統となったこの演習は、従前どおり、小学校高学年の児童でも読める、分かりやすい日本語文章に置換することを目標とした。今回は、これまで以上に漢字の使用を少なくし、ひらがなが連続する場合は、適切な位置で半角アキのコマ送りをしたり、例外的に漢字を使用する場合には、送り仮名を工夫した。おそらく今年度が最後の翻訳になるので、一定の到達点を示そうと考えたしだいである。そして今回は、翻訳だけでなく、書籍の「解題」にも学生自ら取り組むことにした。そのレポートを校正し、公開する。


(ブログ)Ashi Tshomen_表紙 (ブログ)Ashi Tshomen_裏表紙


1.クンサン・チョデン作『アシ・ツォメン: 湖のマーメイド』

 ブータン初の女性作家、クンサン・チョデンの民話絵本については、これまで5作すべてを和訳している。今年度前期、彼女の最新作『アシ・ツォメン: 湖のマーメイド』の翻訳に取り組んだ。まずは書籍情報を示しておく。

書名:Ashi Tshomen:The Mermaid Princess アシ・ツォメン: みずうみのマーメード
著者:Kunzan Choden クンサン・チョデン
装幀:Pema Tshering  ペマ・ツェリン
出版:RIYANG BOOKS リャンブックス(初版2021年) *この出版社はクンサン夫妻が設立した
ISBN:978-99980-48-02-7

以下は裏表紙の宣伝文である。

  アシ・ツォメンは地下の大魔王ルーのお姫さまで、上半身は人間、下半身は
  ヘビの姿をしています。姫は水中で湖の友だちと遊ぶだけでなく、地上に住む
  人間たちの観察が大好きです。ところが、人間たちが身勝手で軽率な行動を
  したため、姫の住む湖は汚染され、湖の生き物たちは傷ついてしまいます。
  アシ・ツォメンの父である湖の王は怒り、人間たちを処罰しようとしましたが、
  アシ・ ツォメンは上手な解決策をみつけようと努力します。
  この児童書は、現代世界を舞台にして、水源を守る地底の精霊ルーと人間の
  伝統的な関係をわかりやすく説明しようとするものです。

著者 クンサン・チョデン 

 本書の著者クンサン・チョデン(Kunzan Choden)は1952年、中央ブータンのブンタン地区タン渓谷に封建領主の娘として生まれた。彼女はチベット仏教史上特筆すべき高僧ドルジ・リンパ(Dorje Lingpa 1346−1405)直系の子孫である。チベット生まれのドルジ・リンパは、ヴァイローチャナ(毘盧遮那=大日如来)の転生を自認するニンマ派の僧侶であった。青年僧の時期から、ニンマ派の埋蔵経典を発見し続け、いわゆるテルトン(宝物発見者)として知られる。1370年、ブータンに南下し、おもにブンタンでそれらの隠された古典を公開した。1376年、チベットに戻るが、息子の一人がブンタンに残り、ブータンでも血統を存続させる。クンサン一家はその家系にあたる。余談ながら、クンサン・チョデンの民話絵本『炎立つ湖』は、15世紀のテルトン僧、ペマ・リンパ(Pema Lingpa 1450-1521)の故事に係るものだが、ドルジとペマに血縁はない。
 クンサン・チョデンは幼少期、封建領主であった両親の多忙により、孤独な時間を過ごすことが多かったという。しかし、一人ぼっちではなかった。毎日のように、民話の語り部の会に参加し、昔話に熱中した。領主の父親は初等教育から彼女をインドに留学させ、英語を学ばせた。その後、1976年にインドのデリー大学で心理学の優等学士号、1987年にはアメリカのネブラスカ大学リンカーン校で社会学の学士号を取得した。こうした長い海外生活のなかで、彼女は日々「自分とは何か」という問いかけを忘れることはなかったという。そのとき必ず幼少期の民話の会の記憶がよみがえり、ブータン人としてのアイデンティティを強く意識する。帰国後、ブータン初の女性作家となり、民話や小説などの執筆活動に邁進する。
 活動の拠点は首都ティンプーではなく、彼女の生家があるタン渓谷の山里、ウゲンチョリン村である。ウゲンチョリンの旧領主居館は、中庭中央の楼閣ウチを回廊や長屋が取り囲むゾン(城郭)形式のものである。こうした旧領主/地主系の大邸宅は一般にナグツァン(Nagtsan)と呼ばれるが、ナグツァンは必ずしも小型ゾンの形式をとるわけではない。たとえば、ブータン第9・10次調査で訪れたトンサ地区ベンジ村のナグツァンは、中庭を伴わない一般的な3階建民家が大型化したものである。ウゲンチョリンのナグツァンは創建が16世紀まで遡るが、大火にあって19世紀に再建されている[Kunzang Choden and Dolma C. Roder 2012]
 クンサン・チョデンは帰国後、しばらく首都ティンプーで国連関係の仕事をしていたが、ナグツァンの法人化に伴い、拠点をウゲンチョリンに移す。以来、スイス人の夫ウォルター・ローダー氏とともに故郷で暮らしている。中央楼閣ウチが民俗博物館となり、回廊・長屋にはカフェ、ブックストア等、回廊外側にゲストハウスが整備され、いま夫妻はナグツァンの近くに新居を構える。研究室の調査隊は、2015年の第4次調査で初めてウゲンチョリン博物館を訪問してクンサン夫妻と面談し、2023年の第10次調査で再訪し、翻訳済の絵本や報告書を献呈した。


東竹林寺ツォメン 東竹林寺ツォメン@雲南省シャングリラ、2018



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続・ホームレスマインド

令和の寅さん

 17日(水)の5限、1年次以上のオムニバス「人間環境概論」第15回(最終回)で、少し迷ったのだが、例年通り「ヴェニス憲章と日本」を講じた。これはいわゆる私の十八番であり、昨年末の放送大学面談授業の最終回でもこれを話した。放送大学のとき、少し内容を膨らませ、スライドを追加したままにしておいたので、スピーチの時間がいつもより10分長くなり、BRD(授業内小レポート)回答の時間が短くなってしまったが、大半の学生は終了のチャイムが鳴っても席を動かず、回答に熱中した。わたしはいつまでも待った。集まったBRDをみて驚いたことに、紙面びっしりの回答ばかりである。みなよく聴いてくれたのだと感心しきり。授業後の夕刻になっても、4人の学生が残っておしゃべりの花が咲いた。
 
   「先生、もう学生とらないんですか?」
   「今年からとってないよ」
   「大学、辞めちゃうんですか?」
   「あと1年でね・・・」
   「新しい先生が来るんですか?」
   「たぶん来ると思うけど、こういう遺跡の話は私以外できないよ・・・」

 嬉しい会話であった。講義は楽しい。しかし、時間は限られている。次のステップに進む準備をしなければならない。翌18日(木)、今度は3年次以上の「地域生活文化論」第13回で「名勝と文化的景観」を講じた。先週のBRD回答の最後に、例の「わたしはどこに帰りたいのか」と悩む感想を匿名で取り上げ、現代人は「家をもつホームレス」という日常意識について説明した。ただし、自分(教師)はホームレスではなく、拠り所が二つあるとした。一つは「お家」、一つは「エガちゃんねる」だと真剣に述べた。エガちゃんねるは視ればみるほど心を奪われる。笑いへのこだわりだけでなく、笑いを超えた奥の深さに言葉もない。たとえば、「江頭、モンスター人喰いザメを釣る!」という動画などは、本学の教材に使ってよいほどの壮大なドキュメンタリーに仕上がっている。


南部町IMG_20240119_140912 1月19日(金)、南部町のそば処「門所」と古民家カフェ「てま里」を訪ねた。前者は古民家ではなく、平成以後の新築和風住宅の店舗改装であり、和の意匠がベースだが、骨董の匂いはしない。後者は古民家再生の多機能施設であり、フリースペースの奥にテナントのカフェがある。内部は完全に新装されており、とくに奥のカフェはアメリカンなインテリアを強調している。しかし、そのカフェも今月末、安来(店主の実家がある町)に移転するという。空いたテナントには、また別の店が入る予定だという。写真は「てま里」。外観は古風なままだ。



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古民家カフェと郷土料理のフードスケープ(7)

 1月18日(木)、プロジェクト研究2/4発表会のリハーサルを終え、発表の内容、日時、会場が確定したのでお知らせします。この数日、ブログのアップを中断して、1・2年生十数名から送られてくるパワポを連結し、スライドデザインの調整、科白の校正をおこなってきました。しんどい作業でした。修正済のパワポ・データを担当学生には断続的に送信してきたのですが、リハーサルをやってみると、科白を噛みまくる者もいて少々落胆。発表会当日までに最低10回は音読の練習をするよう依頼しました。化けるか、転ぶか、分かりません。

日時: 2024年 1月24日(水) 9:00~9:50
会場: 公立鳥取環境大学 100講義室
    *学生は8:45に100講義室集合 指定聴講は3限・5限
発表題目・構成: 
古民家カフェと郷土料理のフードスケープ

1 なぜかナマズから始まった
1-1 ナマズ食の文化史的再評価(2年L三宅)
1-2 ナマズの天丼弁当-環謝祭「東鯷人ナマズ屋」(1年L小口) 

2 日本各地のナマズ料理・川魚料理
2-1 長野(1年小口)
2-2 石川(1年坂下)
2-3 岡山(2年山部)
2-4 愛媛(1年高市・大野)

3 郷土の川魚料理店-古民家再生系
3-1 ざいごうどん本家 わら家(高松市 2年吉岡)
3-2 こつこつ庵(大分市 2年三宅) 
3-4 渓流料理いわやな(倉吉市関金町 1年藤原)
3-5 そば処 門所/てま里(西伯郡南部町 1年土手口)

4 古民家カフェでの活動
4-1 川のHotori用瀬(鳥取市 1年大野)
4-2 カフェ黒田(八頭郡郡家町 2年松浦)
4-3 さよなら、みちくさの駅(智頭町福原 2年藤川)
(1)「みちくさの駅」の7年間
(2)賛否両論ーセカンドハウスは可能か

5 郷土の古民家カフェ
5-1 馬舎/耦祥庵(鹿児島県 2年吉海)
5-2 森ノヲク(京都府宮津市 2年真下)
5-3 天地有氣(鳥取市岩美町 2年山本)
5-4 なりとパン(兵庫県丹波篠山市 2年森田) 
(1)重伝建「福住」の古民家パン屋
(2)実家経営古民家カフェのてんまつ


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私はどこに帰りたいのか

ホームレスマインド

 新年開始早々、二日連続で講義をした。10日(水)は1年次以上のオムニバス「人間環境概論」第14回、11日(木)は3年次以上の「歴史遺産保全論」第12回である。例年と内容を変え、少し迷ったが、両者ほぼ同じ講義とした。昨年の上海講演「古民家再生の新基軸ー過疎地に探る居場所のあり方」に手応えを感じており、それを学生に伝えたかった。結果、3年次以上の講義では、BRD(授業内レポート)の平均点は10点満点の9.1点、1年次以上の講義でも8.6点に達した。3年次のレポートの感想欄に「人間の居場所についてコメントしてほしいです」と追記したところ、多種多彩な意見が寄せられた。とくに、毎回真っ先にレポートを提出する学生の感想(以下)には驚かされた。

  学校にいても、一人暮らしの家にいても、実家にいても、地元にいても、
  「帰りたい」と思うことがあります。私はどこに帰りたいのか、と思います。  


バーガー  ただちに思い浮かんだ本がある。学生時代に愛読した知識社会学の名著、バーガー・バーガー・ケルナー『故郷喪失者たち―近代化と日常意識』(1977訳)。現代社会において 「宗教」が衰退し、代わって「科学」が世界を支配し始める。「科学」を絶対神とする近代工業化社会(と官僚制度)によって、人間は「機械の部品」 のような存在であることを強いられる。代替可能なサイボーグと化した現代人。個性は埋没してニュートラルになり、かつての宗教が果たした「拠り所」のない喪失感に苛まれる(この隙間を縫って怪しげな新興宗教が台頭する)。P.L.バーガーらはこのような日常意識を「ホームレスマインド(故郷喪失感)」と呼んだ。現代人は家をもったホームレスであり、帰るべき故郷と居場所を失っている。

お家へ帰ろう

 わたしには帰るべき場所がある。ほかならぬ自分の家だ。職場での仕事を終え、夕刻、アパートに戻って扉をあける。おおきな声で「ただいまぁ」と言うと、リビングから「おかえりぃ」の答えが返ってくる。この瞬間が一日のなかでいちばん幸せかもしれない。夕食の支度をするのはおっくうだが、小さなテーブルに皿を並べて二人で晩酌する時間は至福である。乾杯して呑んで食べてを繰り返し、いつしかソファで眠りに落ちる。わたしは田舎暮らしを指向しているけれども、その場所はどこでもいい。鳥取でも、奈良でも、岡山でも、その他の県でも、不便が過ぎないなら大丈夫だが、大都市だけはいけない。夫婦ともども無理だと感じている。居場所とは地域や空間ではなく、一定の条件なのだと思う。


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古民家カフェと郷土料理のフードスケープ(6)

スケッチ(川のhotori)大野さん_page-0001 川のHotori


発表会迫る!

 1月11日(木)、1・2年生のプロジェクト研究(P2/P4)も再開しました。来週のリハーサルを経て、発表会は1月24日(水)です。ちょうどゼミの日なので、3年以上のゼミ生にもぜひ聴講してもらいたいですね。
 現在、下記のような発表構成を考えています。*更新事項は こちら を参照してください。

日時: 1月24日(水) 9:00~9:50 
会場: 公立鳥取環境大学 100講義室
題目: 古民家カフェと郷土料理のフードスケープ

1.なぜかナマズから始まった
1-1 ナマズ食の文化史的再評価(2年L三宅)
1-2 ナマズの天丼弁当-環謝祭「東鯷人ナマズ屋」(1年L小口) 

2.日本各地のナマズ料理・川魚料理
2-1 長野(1年小口)
2-2 石川(1年坂下)
2-3 岡山(2年山部)
2-4 愛媛(1年高市・大野)

3 郷土の古民家系郷土料理店
3-1 こつこつ庵(大分市)2年三宅
3-2 ざいごうどん本家 わら家(高松市)2年吉岡
3-3 との町たる井(愛媛県大洲市)1年高市・大野
3-4 渓流料理いわやな(倉吉市関金)1年藤原
3-5 そば処「門所」(西伯郡南部町)1年土手口

4 古民家カフェでの活動
4-1 川のHotori(用瀬)1年大野
4-2 カフェ黒田(郡家)2年松浦
4-3 みちくさの駅(智頭町福原)2年藤川
(1)「みちくさの駅」の7年間
(2)賛否両論ーセカンドハウスは可能か

5 郷土の古民家カフェ
5-1 耦祥庵(鹿児島県出水市)2年吉海
5-2 森ノヲク(京都府宮津市)2年真下
5-3 てま里(西伯郡南部町)1年土手口
5-4 なりとパン(丹波篠山市)2年森田 
(1)重伝建「福住」の古民家パン屋
(2)実家経営古民家カフェのてんまつ

 ご来場をお待ち申し上げます。


スケッチ(カフェ黒田)山本さん_page-0001 カフェ黒田


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うだつの上がらぬ町家(1)

0107古町01外観03


猫と娘に見送られ

 地震、空港事故、火災、葬儀などいろいろあったが、家族に限っていえば、この正月は久しぶりに全員が揃い、平和な時間を過ごすことができた。淀の競馬場に出かける者、大阪湾まで釣りに行く者、ママさんバレーを掛け持ちする者などいて、団結的な行動をとるわけでは決してないが、いつも誰かが何かを買ってくるので、集まればただちにお茶にしよう、珈琲にしようとあいなり、ブレイクの時間が長くなる。また、娘が母親に楽々スマホを買ってあげると言い出して、ドコモに3名で乗り込んだ。残念ながら、家内の適応は20%程度にとどまる。電話を受け取り、かけるのが精いっぱいだから、ガラケーのままの方がよかったのかもしれない。手続の手間やレッスンの甲斐もなく、いまだラインすら使えない状態だが、何度も使い方を教えるため母親のまわりに子供たちが群がることとなった。ドコモショップは、同じような高齢者で溢れていた。いまこの世代に売れる機種が求められているのだと思う。ITに弱い高齢者、身障者用のスマホを上手く開発すれば、おおいに売れるだろう。いまはまだユニバーサルデザインのレベルに達していない。
 1月7日(日)、翌日は成人式だからまだ休みは続いていたが、夫婦は所用があり、一足先に鳥取に戻ることになった。早朝から大阪湾に釣りに行った1名を除く2名は、いつもと反対で見送る側になり、母との別れを惜しんでいる。猫も二階部屋の窓際からその光景を眺めていた。


0107古町01外観01


うだつの上がらぬ町家の正体

 午前中に奈良を出発し、午後2時、大原古町に到着した。例の買い物の問題で、地元の建築家Mさんとともにもう一度内部に入って観察しようということになったのである。1階の土間は広くてよかったが、Mさんは一目視るなり、「壁が少ない」。耐震構造の基準に達していない、ということだ。壁の少なさは本棚を並べる壁を内部に復活することで対応できる。書棚の裏の壁だから、伝統的な構法に従う必要もなかろう。外壁の断熱も経費がかかるらしいが、やはり一面書棚として、裏に断熱・防湿シートを張り、書棚の前に明かり障子の建具を通せば一定の断熱効果はあるだろうし、見栄えも落ち着く。表の格子窓(掃出し)の内側にも障子を通すか、外側に雨戸をつけるしかない。この場合、右手で盛んだったというミツマタ和紙の障子紙を使えれば最高だろう。


0107古町02土間内部01 0107古町02土間内部06天井01 0107古町02土間内部05 


 ぼろぼろになった新しい天井を取っ払って、大引や根太を露出させたいと思っていたのだが、それらの古材を残すのは表側のみで、奥側は天井の裏側に鉄骨をしのばせているようだ。ただし、わたしは文化財建造物の鉄骨構造補強を支持する者なので、一部に鉄骨を露出させてみせるのも悪くないと思っている(鉄骨も新材に差し替えるべきだろうが)


0107古町02土間内部02 0107古町02土間内部03 0107古町02土間内部04


 2階はたしかに雨漏りが目立った。早急の修復が必要である。少なくとも、当該部分の屋根にブルーシートを被せる必要がある。畳を復活させるつもりはなく、断熱材の上に板敷フロアとする。続き間はすべて多機能スペースとし、寺子屋風の講演会を開いたり、OBや家族のゲストハウスとする。外からみると、2階のデザインは古町特有の袖壁(古町流うだつ)のない格子窓だけのシンプルなものであり、1階とよく調和しているけれども、2階内部をみれば材はさほど古くなく、おそらく元は茅葺屋根の平屋建物であったろう。この町家を「書庫兼アトリエ」のセカンドハウス(兼小規模カフェ)とする場合、正直、2階は不要であり、撤去しても良いぐらいだが、撤去費と新しい平屋の屋根づくりの費用は相当な額になるから、法隆寺金堂のように飾りの2階と考えるしかないが、構造だけは健全化しなければならない。


0107古町03上階01 0107古町03上階03奥の部屋01 0107古町03上階02天井01


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本家うだつの町並み-美濃市美濃町

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茶匠金森

 大徳寺真珠庵の庭玉軒は有楽苑如庵(二畳半台目)より小さい二畳台目だが、講義では千利休没後の「反利休」の一例として紹介している。内坪(うちのつぼ)を構えるからである。内坪とは閉鎖的な土間の玄関だが、利休はこれを取っ払い、露地からいきなり躙口を潜って小間の茶室に入るようにした。利休が廃した内坪を復活させたのは金森宗和である。庭玉軒では内坪に飛石・蹲踞・刀掛を取り込み、躙口を大きめにつくっている。利休好み二畳の息苦しさに抗う姿勢がうかがえる。宗和の茶室は公家社会で歓迎されたという。


1026美濃01うだつ06 1026美濃01うだつ02


 宗和は京都隠棲後に剃髪した際の号である。実名は金森重近(1584-1657)。飛騨高山の初代藩主、金森長近の長男として生まれた。金森という氏名は、応仁の乱で活躍した大畑定近(後の金森定近)が一族ともども近江の寺内町、金森に住んでいたことに因むという。 長近は茶の湯の才にも秀でており、秀吉が伏見在城の時は伏見城下の自宅に書院と茶亭を造り、しばしば秀吉を招いた。千利休の弟子として茶会に招かれたり、古田織部とも交流があった。しかも、秀吉が利休に切腹を命じた時、利休の嫡男、千道安を飛騨高山に匿った。その時、重近(宗和)が、道安から茶の手ほどきを受けたという。 大阪の陣の直前、父長近が徳川方につくことで袂を分かち、重近(宗和)は京都に隠棲した。以上の生涯をみる限り、宗和は利休系の茶人であるとはいえるけれども、内坪はむしろ利休の師匠、武野紹鴎の四畳半茶室の形式を受け継ぐものである。


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虎渓山永保寺

1226永保寺01開山堂02梵音巌01 1226永保寺01開山堂01


巌と窟の禅寺

 「住まいの建築と歴史」講義の第11回「金閣と銀閣-禅宗様と方丈と枯山水」、第12回「書院造」をまたぐようにして、夢窓疎石(1275-1351)の話をする。動画も活用しながら。もちろん虎渓山永保寺を取り上げるのだが、これまで訪問したことがなかった。ただし、本家lablogには2回登場している。いずれも賀状の写真として修理現場の技師(今は独立、菅原遺跡と関係あり)から送られてきたものである。私学としての環境大学が終わろうとしていたころの年賀紹介である。文末にサイトを示しておく。じつは先日の「崖と建築のヒエロファニー」でも梵音巌なる巨岩が聖地の始まりであり、仏寺はその聖地を活用したものであろうと述べた。本堂にあたる観音堂(国宝・南北朝)は、案内板によると、聖観世音菩薩坐像を岩窟に祀るとあり、ますます巌(いわお)や窟(いわや)との関係を感じたが、内部も背面もみていないので、どうなっているのかは分からない。


1226永保寺02庭01梵音巌01 1226永保寺00全景01


 梵音巌は思っていたほど大きくなかった。岩上に六角堂を構え、多数の石仏をまわりに配す。観音堂から池の対岸に木造アーチ式の無際橋をわたす。中央に亭あり。わたしと家内の脚でもなんとか渡りきった。橋を渡って右に折れると最上の撮影スポットがあり、記念写真を撮影しようと待機していた。来た、来た、3人家族だ。娘さんに撮影をお願いすると、「ここを押せばいいんですか」と訊ねられたその発音で中国人であることがわかった。


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有楽苑如庵

1225有楽苑03如庵02


 「住まいと建築の歴史」講義で紹介する歴代建築のなかで自ら訪問したことのないものも、恥ずかしながらいくつかある。クリスマスに訪れた明治村の近辺に2つの傑作があることに気づき、2日に跨いで訪問した。

ジョアンの茶室

 一つは織田有楽斎の茶室「如庵」。第13回「茶室-わびの空間」の 2.利休と反利休 で取り上げる。
 有楽斎の実名は織田長益(1547-1622)。四百年前の人である。信長の実弟だが、年は13歳も離れていた。本能寺の変では二条新御所を脱出し、安土を経て美濃へ逃れたという。その後、甥の織田信雄に仕え、小牧長久手の戦では徳川方に与す。関ヶ原の戦でも徳川方の東軍の将として活躍し、その戦功により、有楽は大和に3万2000石、長男の長孝は美濃野村に1万石を与えられた。このように、有楽は歴史の転換点ではつねに徳川方にあったが、淀君(姪)の庇護者たる豊臣家の重臣でもあり、大坂冬の陣では大坂城に籠もった。その立ち位置は、あくまで穏健派として徳川との共存-実質は徳川の外様大名として生きのびる未来-をめざしていたので、NHK大河ドラマ『真田丸』では、徳川の間諜とされていた。井上順の好演をよく記憶している。


1225有楽苑03如庵03


 茶室「如庵」は、大坂陣後の元和3年(1617)もしくはその翌年、建仁寺正伝院に建立された。有楽斎は千利休にわび茶を学び、利休十哲の一人ともされる。如庵は二畳半台目の小間であり、わたしはこれを利休系として講義しているが、茶室の専門家からみれば、そうではないとお叱りを受けるかもしれない。長益は以前から有楽如庵と号していた。その如庵とはクリスチャン・ネーム「ジョアン」の可能性あり、ということで、なんとも不気味な人物である。織田家は(反比叡・真宗の意味からも)キリスト教を許容していたが、豊臣・徳川がそれを禁じたということであろうか。茶室はキリスト教の影響を受けて誕生したという説をずいぶん前のNHK番組で観た記憶があり、朝鮮半島民家や東南アジア民家の影響も認められないわけではない。深掘りしたらキリがなさそうだから、今はやめます。如庵は国宝なので、有楽苑(犬山城の対岸にあるホテルの庭園)の高い入場料を払ったぐらいでは入室できない。だから、鱗板も有楽窓も腰張古暦もみることができなかった。如庵は移築を繰り返して、犬山城下に落ち着いたが、この地と茶室を結びつけるとしたら、有楽の子、長孝が美濃に1万石を与えられたことの因縁かもしれない。


1225有楽苑03如庵04


 

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悔いのない一日

 泣いてしまいました。棺を囲んで、喪主(奥様)の挨拶を聴いていて涙をこらえることができなかった。「体調がよい」という連絡が朝からラインであり、「お正月は家で過ごせるかもしれないね」と返信した28日、午後から酸素マスクで口と鼻を覆われ、「ぼく、重症みたい」というラインが届いたが、コロナ等対策のため面会できないまま、帰らぬ人になったという話を淡々とされた。横で娘さんが故人の遺影を両手でもっている。何年前の写真なのだろうか、白髪の笑顔が清々しい。
 自分の親族を除いて、人様の葬儀に出ることなどない私が、このたびは礼服を新調し、慣れないたびねっとで新幹線のチケットを予約し、東京駅と浅草橋と町屋で迷子になったけれども、悔いのない一日を過ごすことができました。バルドにいる大貫さんに改めて感謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。


1225有楽苑01旧正伝院書院(重文)04含翠門01 有楽苑含翠門


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To the Moon

町屋はどこにあるの

 東京駅で迷子になりました。浅草橋駅に直行するなら総武線らしいので、案内板に従って歩きエスカレータで防空壕のような地下に潜行すると、そこは「快速」だけの乗り場で間違ったらしい。秋葉原で乗り換えてその次の駅が浅草橋駅なんだな。そういえば、寅さんに嵌まっていたころ、そんなルートで動いていた気がする。歩き疲れては人並みの隙間にもぐりこんで、なんとかホテルにたどり着き、すでにぐったり疲弊していたのだけど、腹も空いていて、蕎麦屋で珍しく温かい天そばをたいらげた。ほろ酔いで部屋に転がり込み、再開したmリーグをみていたら、すぐに眠りに落ちて、いつものように、この時間に目が覚めてしまいました。やるべきことはいくらでもあるんですが、明日は9時までに朝食を済ませ、チェックアウトして、10時には式が始まる。会場は「町屋」。再確認しておこう。やっぱり都会は苦手だね。頭がくらくらします(いつもしているけど)。

《町屋斎場》〒116-0001 東京都荒川区町屋1-23-4 ℡0120-622-288
東京メトロ千代田線「町屋」駅(1番出口)より 徒歩5分

 
 タケシに比肩する高評価ですね。見ている人は見ているんだ。肩書ではなく、実力で評価されている。あたおか増長天も早く気づくべし

エガちゃんは石川に乗り込むか

 石川を中心とする地震と津波、大変ですね。石川と言えば、佛子園の拠点であり、大火事になっている輪島市街地の輪島カブレがとても心配です。鳥取でも岩美や境港などで津波が観測されているようですが、奈良北部は15~20秒ほどの横揺れがありました。震度4。元旦に長女が東京から帰ってくる予定だったのですが、東海道新幹線はいったん動かなくなり、にわかに再開したものの、結局チケットが買えなくて、本日の移動となりました。横浜の二胡奏者から、被害を心配するメールあり。わたしたちは何も問題ありません。北陸だ。この3年、研究室で通い続けた聖地じゃないか。被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
 当方、一昨年家内の母が旅立ち四人の親を失ったのを契機として、賀状は打ち上げと昨年の寒中見舞いで広言したにも拘わらず、また賀状が結構届いたので返事に時間を費やしていた(予想して50枚だけ用意していた)。まったく時間と家計の無駄だと思います。さらに、メールで中国やらブータンやらに新年の挨拶をし終えて、歌姫の添御縣坐(そうのみあがたにいます)神社に初詣に行きました。その後、マックのドライブスルーへ(モスは元旦休業)。主食は胡桃ちゃん推薦のえびフィレオにして、サブメニューは、他の2名がマックシェイクにポテト+アップルパイ。私だけ、昨日の約束どおり、黒ウーロンとサラダの糖質制限を遵守したんだ。辛いなぁ。
 帰宅し、それらのジャンクを超遅めの昼食として口にしようとしたとき、地震警報が鳴り、大地が揺れて、テレビでは津波からただちに逃げろ、の指示が連呼された。アニメ「君の名は。」の最後のシーンを彷彿とさせる(増長天よ、「彷彿」とはこういうときに使うんだ!)。画面からくだらないバラエティがすべて消え、エガちゃんねるを開くと、一部のあたおかが騒いでいる。エガちゃんは3.11福島のときのように、石川に支援物資をもって自力でのりこむんじゃないか、と。人気のなかったプロレスラー知事よりも速く能登入りするんじゃないか? 馳は猪木を見倣え! 猪木ならどう動くか、考えろ。

 大地震に直撃されて家は倒れなかったとする。何が必要なのか。停電で水もでない。食料はインスタントのラーメンとカレーを備蓄していたとする。カセットフーが必需品だな。ボンベ10本ばかりとチャッカンマンも添えて最低2台は要る。水は近くの川の水を煮沸し、珈琲フィルターで漉せば飲めるであろう。1995年ころ西北雲南の瀘沽湖の畔でモソ母系社会を調査していたとき、珈琲フィルターで湖水の煮沸水を濾過したら家畜尿の匂いが消えた。あの方法は災害時でもきっと使える。

 まさか元旦に・・・正月どころの騒ぎではない



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新年快乐 万事如意

2024年賀状(帝国ホテル)字消し 在弗兰克-劳埃德-赖特的帝国酒店(明治村)过圣诞节


  新年あけましておめでとうございます。
  今年もよろしくお願い申し上げます。


 昨年前半はナマズの動画に嵌ってご利益があり、後半からはいつのまにか あたおか と化し、笑いの時間が増えています。どんな状況でも、エガちゃんねるを視た後は安らかになる。いまや完全に「頭のおかしいお前ら」の一人になってしまいました。同朋は少なくとも数百万人おります。おかげで、苦手のマックを克服し、マックシェイクにアップルパイを突っ込んで食べるようになり、モスの宇治抹茶シェイクを六日連続吸い続けたりして、呆れられました。結果、賀状にみるとおり、体型はブリーフ団(L)級になっています。退院直後は「痩せたね」とよく言われていたのに、一昨日イオンの服屋で姿見を目の当たりにして大反省。とりあえず退院直後の食生活に戻すべく、以下の決断を昨日の誕生日、家族に宣言したところです。

 一、モスの宇治抹茶シェイク、マックのアップルパイ、シャトレーゼ等、全禁。
 一、病院食に立ち返り、米は食べるが、パン(小麦類)は食べない。蕎麦粥、復活。
 一、病院食に立ち返り、肉・魚類は白身に限る。鶏・豚肉は許容、牛・鰹・ジビエ等はアウト。
 一、医師等の指導に従い、飲酒は少量可。ただし、日本酒・ビール厳禁。
 一、苦手なブロッコリー、もしくはカリフラワーをできるだけ食べるようにする。
 一、散歩を復活する。

 みなさまも、なにとぞ健康な一年をお過ごしください!

令和六年元旦


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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