fc2ブログ

菅原遺跡報告書批評のための習作(18)

批評-1981年調査区の基壇建物跡と小型瓦の関係

 卒論発表会が明日に迫ってきて、最後の詰めをいろいろやっている。報告書2023の巻末に掲載されている遺物の一覧表で、小型瓦を再確認したところ、「小型瓦」は11点、「小型瓦?」は3点を数えた。「小型瓦?」は小型瓦かどうか分からないので排除し、書評では「小型瓦」の総数をこれまでどおり11点とする。学生は、その出土位置を遺構図に落とそうとして混乱した。一覧表にはSC150とSB150の両方があるからだ。SC150が誤記である。SCは回廊の記号であり、西面の回廊はSC160である。SB150は伽藍の北にある東西棟掘立柱建物で、法隆寺東院になぞらえるなら、舎利殿・絵殿に相当する。菅原遺跡南区の場合、南側にも東西棟らしき遺構の一部が検出されており、こちらは法隆寺東院の礼堂にあたる。こうしてみると、ますます菅原遺跡と法隆寺東院の平面配置が近しいものにみえるが、いちばん大きな違いは東面が回廊ではなく塀(SA)になっている点であろう。この塀の地盤はもともと傾斜面であり、そこを整地して塀を築いたものである。おそらく地盤が不安定であったため、回廊の建設を控え、塀に代えた可能性が高いと思われる。
 いずれにしても、小型瓦は西面回廊SC160と北面東西棟SB150で集中的に出土しているので、この瓦を円形建物SB140の所用瓦とみなすのは難しい。小型瓦はSB150・SC160に用いられたとみるべきである。報告書2023では、SB140の屋根は約80mも離れた1980年調査区でみつかった小型瓦で葺いたと決めつけているが、
報告書2023第4章第2節「出土瓦の検討」の執筆者も「1981年調査でまとまって出土した軒丸瓦6316M-軒平瓦6710Dのセットは、(略)1981年調査の基壇建物の所用瓦であると考えられる」この部分保留中
と述べている。それでは、方形基壇建物跡はどのような建築と理解されていたのか、報告書192を読んでみると、3つの平面の可能性を指摘していることが分かった。ここに引用する(1982:pp.41-42)。

   本遺跡で検出された基壇の上面は大きく削平をうけており、礎石、
   礎石抜き取り穴等は全く検出されなかった。また基壇縁自体の
   後世の削平のため、東西方向の基壇長は明確にすることはでき
   なかったが、南北方向はかろうじて両側縁を確認することができた。
   このような条件下であるが、残存する基壇、雨落ち溝、ピット等から
   基壇建物の復元を試みたい。
    まず、棟の方向により、以下の三案が考えられる。
   Ⅰ.正方形プラン建物:平坦面東側が大きく削平を受けており、
     東方3m近く伸びていたと考える。すなわち、基壇南北長、
     東西長共に約22mをもつ方形の建物を推定する。また
     平坦面東側の地形を考慮に入れると、建物は南面していた
     と考えられる。
   Ⅱ.東西棟建物:平坦面東側が大きく削平を受けており、平坦部
    がより東にのびていたと考える。すなわち、基壇南北長22m、
    東西長18m以上を測る桁行7間、梁行4間の東西棟建物が考えられる。
   Ⅲ.南北棟建物:平坦面東側はあまり削平を受けておらず、かなり旧状
    を保っているものと考え、基壇東西長は基壇南縁の現存長とほぼ等しい
    と想定する。この場合、基壇は南北長約22m、東西長約18mとなり、
    桁行5間、梁行4間の東面した建物が考えられる。

 以上の3パターンのうち、Ⅰ案は「奈良時代において正方形プランの建物の類例は認められないから積極的に肯定できない」、Ⅱ案は基壇の桁行総長が「35m~48m」にもなるので考え難いとして排除し、Ⅲ案は梁行総長が「16~18m」程度で納まるので最も可能性が高い、とする。


続きを読む

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
01 | 2024/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 - -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR