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摩尼寺墓地の調査

歴代住職の墓石 場所


 11月18日(水)のゼミで、バス男くんの摩尼寺庫裏展開図・立面図に測り漏れのあることがわかり、急ぎ補足調査をすることになりました。摩尼山の記念物登録をめざすわたしの論文でも、門前墓地の調査がでていなかったので、二人あわせて19日午前9時より摩尼寺に赴きました(ケントさんが車で送ってくださいました)。


継子落としの滝 継子落としの滝2


継子落としの滝

 今まで何度か「継子落としの滝」をみつけようと試みていましたが、今回ようやくその場所を確認できました。摩尼寺関係資料では「継子(ままこ)落としの滝」と書かれていましたが、ネットでは「児落(こおとし)の滝」とあります。その滝の場所は、国道9号線から摩尼寺へ至る坂道を登り、高架橋をくぐった先の摩尼川岸右側です。その滝の周りには、資料と同じように、石仏が安置されており、ヒアリングとの整合性からみても、「継子落としの滝」であるのは間違いないと思います。門前からかなり遠い位置にあるので、字単位での登録を構想している関係上、摩尼山と一体的な資産登録は難しいかもしれません。


2代目栄春の墓石 2代目栄春墓


摩尼寺 歴代住職の墓石調査

 摩尼寺住職の墓地は門前の東北対面にあります。大雲院=鳥取東照宮の成立した17世紀中期以降、18世紀の初めまで、大雲院の住職は高齢になってその職責を引退して後、摩尼寺の住職になり、摩尼寺で一生を終え、摩尼寺の墓地に埋葬されました。墓地の表側に大きな墓石が集中して立っていますが、さらに奥へと続く道があり、少し気になってその道をと進んでみると、数十基の小ぶりの墓がありましたが、明治や昭和のものが大半でした。
 墓石の年号を調べました。明治、昭和など近代のものと、文化、安和、安永、明和、享保、天明、寛政、享和、文政、寛保、嘉永など江戸時代のものもたくさんあります。


3代目廣海の墓石 3代廣海墓


 田尻住職作成の「大雲院年表」によると、元禄3年(1690)に大雲院二代栄春が荒廃していた摩尼寺の復興に着手したが、明暦3年(1657)死去し、摩尼寺に埋葬。三代廣海も延宝2年(1674)に摩尼寺で死去し、埋葬。元禄2年(1689)四代観海が大雲院から摩尼寺に隠居して、30年がかりで堂舎・仏像などの整備を進め、享保3年(1718)に死去したようです。今回の調査で、二代栄春、三代廣海、四代観海の墓石を確認した。檀家のないことで知られる摩尼寺だが、『因幡志』の著者、小泉友賢の墓もこの地にある。特別な人物のみ埋葬することを許したのだろうか。
 これらの墓石にはまだ読み切れないところもあるので、撮影してきた写真を精査し、摩尼山資産構成範囲図に活かしたい。(Norbody)


4代目観海の墓石
↑4代観海墓 ↓裏に淳光院(大雲院の旧名)の文字を刻む墓石
裏に淳光院の文字のある墓石

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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