サテンドール(ⅩⅩⅡ)

でぃあ珈琲
春日の冷たく清澄な空気にくるまれ、心身を浄化された。歩き疲れ、冷えたので、お茶の時間である。故あって高畑をめざした。町家の改修が進んでいる。目当ての店は二つも閉まっていたので、隣の珈琲店に入った。小さな珈琲専門店である。名は「であい」と読めそうで、そうではなく、「ディア」であった。聞けば、dear(こんにちわ)と deer(鹿)をかけているのだそうだ。
女性ボーカルのカントリー&ウェスタンが流れていた。「デキシー・チックスでしょ?」とあてづっぽうでカマをかけると、若い店主は「えっ、そうですよ」と驚いた顔をした。普段はジャズやボサノバを流しているのだそうだが、もともとカントリーが好きなので、デキシー・チックスをかけたのだという。最近は猫も杓子もジャズ&ボッサだから、別の音楽のほうが印象深いでしょうね。ピエール・ベンスーザンがマニアックなカフェには似合うと思ってます。
名曲「愛の恵みを」。JTとの競作もぜひ。
そういえば、鳥取の豆蔵人によると、奈良は珈琲専門店の聖地なのだそうである。でぃあ珈琲という新しい店もそういう匂いがプンプンしている。わたしはウガンダ、刀自はグアテマラを注文。両方美味しい珈琲だが、飲み比べると、グアテマラの方にやや軍配ありかな。そういえば、豆蔵人のグアテマラも逸品である。ケーキはレアチーズとキャロットにした。キャロット・ケーキについては、近所のアルペンローゼが製造を中止して以来、食べていない。でぃあ珈琲のキャロット・ケーキはシナモンが効いて、とても美味しい。レアチーズケーキも濃厚な味がした。手作りでなければでない風味である。小さな店だが、珈琲もケーキも絶品であり、少しずつかもしれないが、リピーターが増えるような気がした。


大乗院庭園
そこから歩いて大乗院庭園へ。最近、発掘庭園を主題に遺跡のオーセンティシティについて考えることがしばしばあり、自ら発掘した庭を訪ねてみたくなったのだ。1995年以来、何度か大乗院を掘った。外注の作業員1班をひきつれて、一人で掘った。確実に記憶にあるのは東大池の東岸(洲浜)と奈良ホテルのチャペルの事前調査だが、あと一回、だれかが担当した屋敷部分の発掘の補助もしたような記憶がある。
整備は、毛越寺庭園跡、一乗谷朝倉氏遺跡、宮跡庭園などの遺構露出型ではなく、出土した洲浜に少々盛土して新しい石敷をつくる東院庭園型である。発掘と併行して洲浜再現の工事が進んでいて、その監修を埋蔵文化財センターの故人が担当していた。ところが、その先輩はほとんど現場にあらわれず、気がつくと、土木工事の護岸のような似非洲浜が半ばできあがっていて、幹部・OBの逆鱗にふれ、冗談半分に「名勝解除」の声も聞かれるようになり、州浜工事はやりなおしとなった。

かくして、いまにみる小石の石敷きに変更されたのである。新しい洲浜は20年を経て風景になじんでいる。しかし、どうにも幅が短い。わたしの掘った洲浜はもっと長かった。水嵩が増えて洲浜が短くみえるのか、盛土が影響して短くなったのか、よく分からない。100円の入場料を払って庭にでると、庭園館長さんがわざわざいらして説明してくださったが、そのあたりの理由はよく分からないそうだ。
遺跡のオーセンティシティを考える場合、復元建物よりも庭園の方が核心をつける。還暦近くになって、ようやくそのことに気づき始めた。もう少し発掘庭園をまわってみよう。灯台下暗しで、身近なところから。

=参考文献=
浅川(1996)「大乗院庭園の調査(第260・268次)」
『平城宮跡発掘調査部発掘調査概報』1995年度: p.60-67
【概要】大乗院に先行する禅定院園池(平安時代)の洲浜護岸を検出した。平安時代の洲浜は、
自然堆積の石層を活用したものであり、大乗院の園池にも受け継がれている。
浅川(1997)「大乗院の調査(第275次・第278次)」
『奈良国立文化財研究所年報』1997-III:p.66-70
【概要】大乗院北東隅の発掘調査報告。御所の裏側に設けられた石組の円形井戸を検出し、
その廃絶が明治末の奈良ホテル建設時であることをあきらかにした。