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長押の起源-伊予紀行(1)

0204新谷赤田遺跡02田舟01 0204新谷赤田遺跡02田舟02


田 舟

 先週末は瀬戸内の乾いた空気を満喫していた。車窓に映る風景は山陰の5月ころを思わせる。車を下りると冷たい風が頬をうつのだけれど。
 昨年に引き続き、新谷(にや)遺跡群の発掘が進んでいて、遺構もみせていただいたし、なにより建築部材(おもに弥生後期)の追加分(新谷森の前遺跡)の観察に時間を費やした。出土木材の総数は300点以上におよぶが、なかなかこれといった建築部材がみつからない。まず目をひいたのは田舟です。弥生の低湿地遺跡の整備で使えそうな代物。全国的にみても、田舟の出土例は少ないらしい。


0204新谷赤田遺跡03長押01


長押をとめる栓

 長さ1メートルほどの丸太の両端に細工がしてあった。大きめの四角い孔があいていて、その孔にかぶるように、背面側(と思われる面)に半円の溝を抉っている。新谷の建築材をみてきて、直径15センチ前後の半円仕口に接合すべき材は円柱と推定された。とすれば、この丸太材は柱の外側に貼り付けられた水平材ということになる。いわゆる「長押(なげし)」もしくは「長押状の水平材」ということができるであろう。
 長押は中国・朝鮮半島にない日本特有の建築部材と言われている。少なくとも奈良時代に遡る材だが、柱の外側に貼り付けるため鉄釘が必要になる。鉄釘を打ち付けて長押を柱にとめ、意匠化した釘隠しで釘を隠す。これが長押の作法である。印象として「化粧材」のイメージが強いけれども、柱相互を緊結する構造材でもあって、このあたりに日本建築としての重要な特徴があらわれている。弥生はむしろ貫(ぬき)の時代というイメージがありますね。板状の貫を柱の中間にとおして柱相互をつなぐ。しかしながら、柱径が短いと貫孔をあけられない。直径15センチの柱を貫でつなぐのは難しいであろう。だから、長押を使った? 使ったとすれば、いったい何で長押を柱にとめたのか?


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↑長押状丸太の裏側  ↓長押状丸太の釘栓
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 新谷森の前遺跡では、栓が一点だけ出土している。鳥取の青谷上寺地遺跡建築部材データベースを調べてみると、「接合材」として、栓183材、栓?69材が掲載されている。青谷の栓の多様さと数は思い出しても血の気がひくほど驚異的なものである。いったい何に使うのかよく分からなかったが、纒向遺跡の復元の際、一部の用途に気付いた。それは蓋部分が斜めに傾いている栓で、千木をとめる笄(こうがい)であろうと推定したのである。そういう蓋の傾いた栓がたしか3点あったはずだ。


0204新谷赤田遺跡03長押03栓05


 要するに、多彩な栓は木の「釘」である。だから、これから「釘栓」と呼ぶことにする。新谷森の前の「長押」の場合、四角い孔に釘栓をつきさす。釘栓は柱をも貫く。そして、鼻栓か込栓で釘栓の先端をとめるのである。鼻栓/込栓を差し込む孔は釘栓の先端にあいている。板状の材はもちろんたくさん出土している。青谷の場合、紐をとおしたであろう小さな穴がたくさんあいていた。上下、左右の板材を紐でつないだものだと思う。新谷の場合、そういう小さな穴はほとんどない。数センチから10センチ四方の大きめの孔があいている。これらは釘栓をうける孔だと思えばいい。板の裏側に板柱をたてて釘栓で壁・板柱の両方を貫き、釘栓の先端に鼻栓を差し込めば板は上下に連なる。


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 青谷で出土したおびただしい栓についても、こうして「木釘」もしくは「釘栓」と理解することができるであろう。この場合、受けにあたる板状の材、もしくは水平の材にあけられた孔のサイズが問題になる。7000点も部材が出ているのだから、栓のサイズとあう孔を探すのはそう難しいことではないだろう。新谷では釘栓が1点しか出土していないけれども、とりあえず、出土栓にあうサイズの孔を探すしかない。

 たいしたことでないと思う方は間違っていますよ。新谷でみつけた水平丸太材と釘栓は、日本建築の特質である「長押」の起源の出現が弥生時代にまで遡る可能性を雄弁に示唆するものであろう。青谷にもあれだけの数の釘栓があるのだから、「長押」もまた存在した可能性はあるだろう。これまでは輪薙込(わなぎこみ)と貫(孔)だけで片付けてきた軸組構造に長押も付加して検討せざるをえなくなったと思っている。その点、新谷森の前の発見は画期的であるといえるだろう。


0204新谷赤田遺跡01鍛冶関連01
↑新谷赤田遺跡の鍛冶関連遺構? 中央ピットから周壁方向にのびる溝を特殊視する傾向があるけれども、壁溝も放射状の溝もすべて湿気抜きの水溜めだということを知らない考古学者は思いのほか多い。中央ピットも水溜めであり、中央ピットの外側に赤焼土面があるのも普通のことである。つまり、遺構としてみた場合、上の竪穴は一般的な竪穴住居と変わるところがない。仮に鍛冶関係だとした場合、どれだけの火力が中央の炉にあったのだろう。草屋根なら全焼間違いなし。

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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