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仏ほっとけ会-摩尼寺・大雲院仏教講座第1回のお知らせ(3)

中国歴史紀行


前園さんの『中国歴史紀行』

 21日(日)の仏ほっとけ会が近づいてきました。今日は特別講演をお願いした前園実知雄さんを紹介しておきます。1946年愛媛県生まれ。同志社大学文学部考古系の卒業です。つまり森浩一門下ですね。1969年より奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)に勤務し、藤ノ木古墳などの発掘で一躍有名になりました(藤ノ木発掘中に紅白歌合戦の審査員を打診されたとか??)。
 1981~83年、中国に国費留学されています。わたしとの接点はここから始まります。前園さんは国費留学の2期生、わたしは3期生(1982~84年)でして、1年間重複していました。わたしが北京語言学院で中国語に苦しんでいるころ、前園さんは北京大学の大考古学者、宿泊先生に師事し、中国各地を旅しておられました。
 ごく最近、留学時の紀行を一冊の著作にまとめ刊行されています。『中国歴史紀行』(新泉社、2015年12月)です。amazonのレビューを転載しておきしょう。

  旅した距離は地球一周を超える5万キロ。
  文革後の中国に留学し、「故宮の建物の横には粉々に破壊された石碑の断片がうず高く積まれ、
  道教寺院や孔子を祀る廟の門扉は固く閉ざされていた」時代に各地を訪ね、歴史を学び、
  多くの人たちと出会った考古学者の体験記。

 あのころの旅はきつかった。とくに中国の場合、列車の旅行がハードなんですが、前園さんは飛行機に乗らず、敢えてしばしば列車やバスを使って旅したそうです。不便な時代でしたが、町並みや田園・山野の風景は見事なものでした。あのころの中国、おれたちの中国を返してほしいと思うこともあります。
 わたしは研究所を辞めてから中国とも疎遠になってしまいましたが、前園さんはいまでも頻繁に訪中されているようです。わたしはもう無理だわ。ただし、青海省のような奥地の遊牧世界ならまだ大丈夫です。このたびの特別講演では、その青海省の考古学についてお話しいただきます。滅多に聞ける話ではありませんよ。ぜひ会場に足を運んでください。
  仏ほっとけ会の次第については「続き」に再録しているので、ご参照ください。


仏ほっとけチラシ 画像あり 縦位置_02web 仏ほっとけチラシ 画像あり 縦位置_03sam (新案)右画像をクリック!


 今年度の研究活動のうち、倉吉の歴史的風致と居住環境に係わる成果は第4回および第5回れきまち研究会で報告し、討議しました。倉吉と並ぶもう一つの大きな研究軸は、いうまでもなく、大雲院と摩尼寺です。この2寺についての調査研究はまだしばらく続ける予定ですので、「摩尼寺・大雲院仏教講座」なる企画を始めようと春ころから思案しておりました。ただ、このままだと言葉の響きが重すぎる。こういう場合、寅さんは頼りになります。仏ほっとけ・・・帝釈天の門前で育ち、僧侶に化けて法要を仕切ったこともある寅さんの口癖の一つです。映画「男はつらいよ」オリジナルの科白なら著作権侵害にあたりますが、古き諺に「仏ほっとけ神構うな」というのがあるとのことでして、私どもが拝借しても問題ないでしょう。というわけで、講座の愛称を、

   仏ほっとけ会 (ほとけほっとけぇ)

とさせていただきます。「仏ほっとけ会」は、摩尼寺と大雲院を主題とはしていますが、仏教に係わることならなんでもテーマにできる会にしたいと考えています。今回も、前園実知雄さんに「チベット仏教成立前後の考古学」と題する講演をしてだきますし、その前座としてゼミ生が「第4次ブータン調査速報」を発表します。古代日本の密教とチベット仏教は類似性が少なくないと言われており、両者を併行して研究する意義を再確認できる会にしたいと思っております。
 ようやく講座の次第が固まりましたので、以下にお知らせします。


挨拶文(仏ほっとけ会)_02 ←申し込み用紙(クリックすると拡大します)


 仏ほっとけ会-摩尼寺・大雲院仏教講座 第1回 【一般聴衆限定30名】
   日時: 2016年2月21日(日)12時30分~
   会場: 大雲院本堂(鳥取市立川町4-24)
    12:30 住職挨拶(田尻光照)
    12:40 趣旨説明(浅川)
    12:50 第1部 チベット系仏教遺産に関する講演会
  ①大石忠正&武田大二郎(公立鳥取環境大学保存修復スタジオ)
    演題「第4次ブータン調査速報」
  ②前園実知雄(奈良芸術短期大学教授・愛媛県埋蔵文化財センター理事長・
         橿原考古学研究所指導研究員・法蓮寺住職)
     演題「チベット仏教成立前後の考古学-もう一つのシルクロード(青海路)の調査から」
  14:10 コメント(茶谷満) 質疑応答
14:30【休憩】
 14:45 第2部 環境大学保存修復スタジオの活動報告
   吉田建人「大雲院の建築と建築厨子」
   高後敬太「樗谿所在旧大雲院の本坊に関する基礎的研究-平面の復元を中心に-」
   三島啓希「大雲院所蔵美術品の整理と分析-西国三十三観音像を中心に-」
   浅川滋男「摩尼山・摩尼寺の保全にむけて」
 15:30 コメント(佐々木孝文・眞田廣幸) 質疑応答
 15:50 大雲院美術品 特別拝観
 16:40 閉会

 *聴講希望の方は、事務局までご連絡ください。
  事務局:公立鳥取環境大学保存修復スタジオ(浅川研究室)
   〒689-1111 鳥取市若葉台北1-1-1
    e-mail: hozonshufuk@yahoo.co.jp  m-ysdknt@kankyo-u.ac.jp
    ℡&FAX: 0857-38-6775 09014499213

【解説】 摩尼寺は大山寺・三徳山と並ぶ天台宗の拠点的霊山であり、遅くとも平安時代後期には開山していました。その後、戦国時代に荒廃したものの、江戸時代前期に復興が進みます。その中興を担ったのが大雲院です。大雲院は鳥取東照宮を勧請した藩主、池田光仲(徳川家康の外曾孫)によって樗谿(おうちだに)に造営され、東照宮の管理・運営を一手に担いました。大雲院は藩内の寺社を統括する触頭(ふれがしら)でもあり、三仏寺・摩尼寺などの主要な天台系寺院をすべて末寺としていたほどです。とりわけ大雲院と摩尼寺の結びつきは強く、中興期の摩尼寺住職は引退した大雲院の住職が務め、没後は摩尼寺の墓地に埋葬されました。
 明治維新に伴う神仏分離令により、大雲院は東照宮奉仕をやめて境内を引き払い、立川にある末寺霊光院の敷地に移転しましたが、大雲院だけでなく三仏寺・摩尼寺など多くの社寺関係文書、西国三十三観音をはじめとする夥しい数の仏像、徳川家および池田家の位牌と建築厨子など大量の史料と仏教美術品を保管しています。その文化財価値は驚くほど高く、このたびようやく調査の第一歩を踏み出したところであり、ここに成果概要を報告する次第です。

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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