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訃報

 4月18日(月)、演習室の電話が何度か鳴って、内蔵助が対応し、メールで連絡してきた。中国人女性からの電話で、その人の名はリーさんという。確認すると、携帯にも着信があった。リーさんは『営造法式』で博士学位を取った若手研究者で、旦那さんのS君も中国建築史を専攻している。中国研究から縁遠くなった私にいったい何の用なのか。
 しばらくして、携帯が鳴った。神妙な声で、彼女は呟く。

   楊鴻勛先生がお亡くなりになられました。

 楊鴻勛先生は中国留学期における私の指導教官の一人である。最初に同済大学(1983-84)で陳従周先生(庭園史)に学び、その後、中国社会科学院考古研究所(1992)で楊鴻勛先生(建築考古学)に教えをうけた。このあたりの事情については、「楊鴻勛先生と語る(Ⅰ)」をご参照いただきたい。
 最後にお目にかかったのは、2010年3月4日の大山・隠岐・三徳山シンポジウムであった。振り返るに、招聘しておいて本当に良かったと思う。あのころは田中淡さんもご存命だった。いまごろ、二人の巨匠は天国で再会されているのかもしれないね。
 北京の王秀蘭さん(楊夫人)からリーさんに電話連絡があったそうだ。楊先生は胃癌を克服して大著『大明宮』を出版されたが、その後、癌が大腸に転移したらしい。1931年のお生まれだから、享年85歳。夫人は「浅川さんに伝えて」と仰ったそうである。夫人の携帯番号を教えていただいたが、なかなか電話する気力が湧いてこない。怖ろしい。少し気持ちを整理し、話すべきことをノートにでも書き連ねてからでないと、電話しても意味がないような気がしている。

  中国建築史・建築考古学の大家、楊鴻勛先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。



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↑北京のレストラン「大三元」にて(2008年秋)。右端が楊先生、中央が王夫人。

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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