座談会「民族建築その後」(その6)
スモール・ベースボールの精神で
栗原 京大人環の客員助教授時代と、鳥取環境大学に移られてからを比較すると、やはり京大時代は個人指導で、鳥取では研究室活動になっていったのですか。
浅川 研究室というほどの組織はなかなか成立しなかったよね。開学したばかりの大学だから、1期生の清水拓生くんたちが4年生になって卒論に取り組むあたりまで、実質的に研究室は存在しなかった。たとえば、2002~03年に倉吉の町並みの基礎調査を私一人でやっているんですね。途中から、当時のタクオさんの彼女をバイトで雇ったりして助けてもらいましたが。
清水 それはオフレコで。
浅川 では、オフレコにしよう(笑)。環境大学に移ってよかったのは、中国以外の海外に行けるようになったことですね。ベトナムから始まって東南アジアのほぼすべての国を踏破したし、シベリア、ロシア、ヨーロッパにも行けるようになって、中国の比重が一気に下がった。東南アジアやヨーロッパは居心地がいいね。
山田 海外出張の原資はやはり科研費ですか。
浅川 そうです。ただし、大きな科研は狙わない。地方の私学で、小さな小さな大学でしょ。有名大学の研究室と本気で競いあっても太刀打ちできない。地方の弱小大学は科学研究費の採択率が低いんです。ですから、無謀な挑戦はできないと判断したの。移籍後しばらくして、ある著名な考古学者から「焼失住居跡」とか「大型掘立柱建物」をテーマにして基盤Bの代表者をやってくれ、という依頼が届いたこともあったんですが、断りました。基盤Bや基盤Aを申請して惨敗を喫し、科研費がゼロ円になるのはなんとしても避けたかったからです。地方の私学なら基盤Cでも通ればマシです。ただし、それを連続してとりたいと考えていました。贅沢を言わなければ基盤Cはわるくない。研究分担者がなしでも申請できるから、全額一人で使えます。交付額をすべて海外旅費につぎ込むこともできる。振り返ると、2007-09年度の「文化的景観の水上集落論-世界自然遺産ハロン湾の地理情報と居住動態の分析-」だけが挑戦的萌芽研究で、それ以外はみな基盤Cなんです。幸い連続して採択されています。出版助成も一度いただきました。
山田 すごいですね。
浅川 いえいえ、そんなことはないです。ただね、田舎にいて「ホームランかっ飛ばしてやろう」という発想は間違いだと思うのね。単打を繰り返し、着実に加点していくスモール・ベースボールの精神でいくしかない。塵も積もれば山となります。鳥取県には、鳥取県環境学術研究費という助成金の制度があります。私学時代は申請すれば必ず通る状態でした。公立化後、採択率が落ちていますが、こちらにも毎回申請してほとんど通ってきました。ほかに、公立鳥取環境大学学内研究費というのもあります。こういう小型の研究費を積み重ねれば、基盤Bぐらいの規模になりますからね。
山田 なるほど。ただ、採択数が多いと、報告書の数も多くなって大変ですね。
浅川 そうそう、しょっちゅう申請書を書いて、年度末には3冊前後の報告書を編集したり、大学の紀要に投稿したり。でも、結局は学生の卒論・修論の改稿バージョンですからね。学生たちの踏ん張りが研究室を支えてきたわけで、とても感謝しています。報告書の数はすでに30冊を超えていますよ。
東南アジアの水上居住
栗原 環境大学最初の海外調査はどちらでしたか。
浅川 2002年春休みのベトナムですね。ホーチミン(サイゴン)から入って、ダナンとフエを経由し、ハノイまで北上した。山形真理子さんというベトナム考古学専攻の研究者にいろいろ情報をいただきまして、たしかサイゴンでも一日ご一緒していただいた記憶があります。
栗原 調査はされたのですか。
浅川 奈文研で大仕事をやった後、ちょっと息抜きをしている状態でして、あまりガツガツしていなかった。世界遺産を視察し、その周辺で水上集落をたくさん発見しています。一年目は実測していないけれど、フエなどでベトナム人研究者と会って、水上居住に関するベトナム語の論文を提供していただきました。それを山形さんに訳していただいて報告書『東アジア漂海民の家船居住と陸地定住化に関する比較研究』(2004)に掲載しましたね。
山田 学生は連れていかれましたか。
浅川 社会人入学の1期生、細谷幸希君を連れていきました。愛称をゴルゴ18と言います。細谷くんは翌年のシベリア調査にも同行しています。
山田 まったく実測されていないのですか。
浅川 2002~03年にタイ内陸のウータイタニとピサノロークで川に浮かぶ筏住居、カンボジアのトンレサップ湖で家船、筏住居、陸上の小型高床住居を実測しています。
栗原 中国にも蛋民がいるわけですが、中国ではなく、東南アジアをフィールドにされた理由は何だったんですか。
浅川 南方中国の蛋民は1990年代以降、共産党政府の強い指導もあって、「陸上がり」が顕著になってきたんです。。一方、東南アジアはどこにいっても、水上居が健在でしてね。活力ある水上集落を至るところでみることができる。民族学的な資料を得るなら、東南アジアが圧倒的に有利だと思った次第です
世界自然遺産ハロン湾の景観シミュレーション
山田 初めからハロン湾をターゲットにしていたのですか。
浅川 たしか2003年に最初に訪れたはずですが、当時は遊覧船に乗って風景を堪能しただけですね。あまりに雄大で快適だったもので、デッキでぐぅぐぅ眠ってしまいました。「大社造の起源と変容に関する歴史考古学的研究」を経由して、2007年から「世界自然遺産ハロン湾の文化的景観」に関する科研がスタートします。
栗原 やはり学生を連れて行かれたのですか。
浅川 学生を複数同行しての海外調査がここでスタートしたんです。岡野泰之(2期生→院生)、嶋田善朗(4期生)、岡垣頼和(5期生)が参加して大活躍でしたね。岡野はハロン湾で修士論文を書くんですよ。
栗原 調査の内容を教えていただけますか。
浅川 世界自然遺産ハロン湾のなかに展開している水上集落の景観変化をシミュレーションしようと目論んだわけです。カルスト地形に特有な急峻な岩山が島となって海上に突き出ているんですが、ほとんど平坦な土地がない。とても測量しづらいエリアでまずは配置図をつくりたい。GPSとインパルス社のレーザー距離計・方位計を使って測量に挑んだんです。レーザー距離計・方位計は小型のトータルステーションみたいな道具ですが、受け側にミラーを立てる必要なない。いわゆるノン・プリズムで、レーザー光線を直接対象物いあてると、そこまでの距離と方位がでる。
栗原 それは優れものですね。
浅川 複数の基準点(BM)から光線を飛ばして、集落の対象物614点の測定をした。そのデータをグーグルアースの地図に重ね合わせ配置図をつくる。さらに写真データや実測図の寸法をモデル化して、3次元化を試みたしていったわけです。そして、①家船のみで集住していた時代の復元景観、②現状景観、③家船が消滅して筏住居だけになる近未来景観のCGアニメーションを制作した。岡野と岡垣の貢献度が高かったですね。
栗原 水上集落の住民にアニメーションをみせられたのですか。
浅川 みせましたよ。世界自然遺産にふさわしくない反面教師としての近未来景観を示したつもりだったんですが、居住者たちにみせると、「こんな家に住みたい」と大騒ぎになり、とまどいました。こうした景観に変化すると、世界遺産の登録が解除になると釘をさしたのだが、効果があったかどうか(笑)。そうだ、文化的景観といえば、大給が筑波の大学院で修士論文のテーマにしたんだよね? 【続】
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