座談会「民族建築その後」(その7)
躍動する建築考古学
山田 2000年代後半は研究室活動が活発でしたね。
浅川 5期生の岡垣と今城が -いまは夫婦なんですが- 2005年度に入学して2010年度に修士課程を終えるまでの数年間が無双でしたね。前後に宮本・岡野(2期)、大城(3期)、嶋田(4期)、木村(5期)、大給(6期)、吉川(7期)、檜尾(8期)が重なっている。清水(1期)も非常勤職員として2009年に大学に戻り、修士号を取ります。
山田 岡垣くんが脚光を浴びたのは、安土城総見寺再建学生コンペ(2008)からでしょうか。
浅川 あれは危ないコンペでね、わたし自身、腰がひけて、何度かやめようと提言したんですが、岡垣はねばり強かったね。
山田 みごと銀賞(全国2等)を獲得しました。
浅川 本当は金賞なんですよ。普通の審査員がまともに審査したら、岡垣が勝ったでしょう。建築史の中谷礼仁氏が総評で「金賞は浅川研だ」と明言しましたからね。あれで少しだけ溜飲がおりた。なんていうのかな、日韓ワールドカップのポルトガル~イタリア~スペイン連敗を彷彿とさせる、プロレス的な超アウェイの審査会で、岡垣はみごと銀賞に輝いた。ほんと、立派です。
栗原 総見寺本堂復元も「建築考古学」の一環とみていいですか。
浅川 えぇ、もちろん。建築考古学については、奈文研時代よりも環境大移籍後のほうがはるかに重要な仕事をしているんです。2005年で出雲大社境内遺跡の大型本殿跡が一段落し、相前後しつつ青谷上寺地遺跡の仕事にシフトしていきました。7,000件に及ぶ弥生時代の建築部材の分析と復元を2008年度まで続け、2009年には纒向(まきむく)遺跡の復元に展開していきます。
清水 毎年のようにマスコミを賑わしていましたね。わたしは2009年の纒向から加わりましたが、メディアの仕事って、なんてハードなんだと思いました。報道ステーションとか、雑誌の『アエラ』とか、超有名なメディアと絡んで、ときどきギスギスしたところもありましたが、良い経験になりました。
浅川 青谷については、嶋田が「弥生時代最長の垂木」による大型建物の復元で2007年度に卒業論文を書くのですが、復元図はほぼ岡垣が描いていました。纒向の復元は岡垣が修士1年次の中間報告会で発表したのですが、ある教授が「これ以上なにをするのか?」と質問するので、わたしが代わりに答えたんです。「岡垣が本当にやりたいのは仏教建築だから、修士論文では仏教建築を別にやらせます」と。
大給 会場がシーンとなりましたね。よく覚えています。
山岳信仰と文化的景観
栗原 青谷から纒向という凄まじい復元研究をされながら、ハロン湾の文化的景観にかかわる調査もされていた。
浅川 それだけじゃなくて、科研のハロン湾調査の裏で、同時期に国内の文化的景観研究に取り組んでいたんです。2008-09年度、県の学術研究費の助成をうけて「文化的景観の解釈と応用による地域保全手法の検討-伝統的建造物群および史跡・名勝・天然記念物との相補性をめぐって-」を進めていた。主題は二つあってね。一つは「限界集落と文化的景観」、もう一つは「山岳信仰と文化的景観」です。
栗原 スモール・ベースボールですね(笑)。
大給 わたしは「山岳信仰と文化的景観」に係わっていましたが、「岩窟/絶壁型の懸造仏堂」の系譜が卒論の主題でして、山岳信仰と文化的景観」そのものについては今城さんが修士研究で取り組まれていました。「限界集落と文化的景観」の方はキム姉さんの卒論ですね。
浅川 「山岳信仰と文化的景観」研究の締めとして、2010年2月に「大山・隠岐・三徳山」という大きなシンポジウムを倉吉未来中心で開催するんです。招聘講演者は楊鴻勛先生(中国社会科学院考古研究所名誉研究員・中国建築史学会長)です。世界文化遺産になったばかりの五台山の建築遺産と文化的景観についてお話しいただきました。
山田 同じ文化的景観でも、水上集落からいきなり山岳信仰に飛ばれた理由は何だったんですか。
浅川 2006~07年に世界遺産暫定リスト入りをかけた国内選考がありましてね。鳥取県は「三徳山とその文化的景観」で申請したのですが、惨敗だったんです。文化庁の審査結果はカテゴリーⅡ。最低の評価でね。「顕著な普遍的価値」を証明する必要がある、と書いてある。
清水 アウトスタンディング・ユニバーサル・ヴァリュー(Outstanding Universal Value)、略してOUVですね。
浅川 いったいどちら様が審査なさってるのか知らないけれども、先行して世界遺産に登録された高野山とか中尊寺の「顕著な普遍的価値」をだれが証明したというのですか。だれも証明していないし、これからも証明できない。高野山や中尊寺は「顕著な普遍的価値」とは別の論理で世界遺産に推薦されたんだよ。私は三仏寺投入堂のフリークじゃありませんが、山陰には岩窟・岩陰と複合する懸造の仏堂が多いので、その系譜を解き明かしてやろうという野心を抱いたわけです。高野山とか中尊寺で証明できていないOUV命題に、一か八か、山陰の岩窟仏堂を材料にして挑んでみようということで、科研に申請したのが「石窟寺院への憧憬―岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流に関する比較研究―」です。
摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査
浅川 基盤Cで研究費は400万円未満と少ないのに、欲張りなことをやりました。まず2010年の8月から4ヶ月間、摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査をした。奈文研をでて、まさか新天地で発掘やるなんて夢にも思ってなかったんです。発掘の怖さは分かりすぎている。だから学生には「無理して発掘やらなくていいから、麦積山石窟に行って一山まるごと復元図を描くってのも面白いよ。どちらか選んで」と問うたんです。すると、岡垣が熟考のうえ「発掘をやりたい」と答えてきた。よぉし分かった、発掘の怖さを思い知らせてやるぜ。岡垣は夏休みの8月中に終わるつもりでいたんですが、なにぶん整地層が厚すぎて地山がみえない。学生数名で作業員もいない状態で、わずか200㎡の調査に4ヶ月を要したんです。
清水 岡垣くんは見事な修士論文に仕上げましたね。
浅川 ほんと、岡垣には足をむけて眠れません。岡垣の修論をベースにして、報告書『摩尼寺「奥の院」遺跡-発掘調査と復元研究-』(2012)を刊行しました。大好評の報告書で、在庫僅少です。早く購入されたほうがいいですよ(笑)。霊山の「奥の院」を発掘すること自体レアなことですし、10世紀後半以降という実年代を得ることもできました。三仏寺投入堂より古い時代に懸造の岩窟仏堂が存在したのは間違いありません。
石窟寺院への憧憬
栗原 系譜をあきらかにするために海外の類例調査をされたのですね。
浅川 主要な石窟寺院など仏教遺産をみてまわりました。だれがどこに行ったんかな?
大給 2009年に山西省に連れっていっていただきました。清水さん、岡垣さん、今城さんと一緒です。雲岡石窟から入って、応県木塔・懸空寺を経由して五台山で中国最古の木造建築をみて、帰りは太原で晋祠と天龍山石窟にも寄りましたね。
清水 平遥にも行きましたよ。世界遺産の町並み。四合院をコンバージョンしたホテルの中庭で赤ワイン飲んで、気持ちよかったぁ!! 2010年は甘粛です。天水の麦積山石窟と仙人崖、敦煌の莫高窟と楡林窟など。天水は黄河と長江の交わる不思議な風土で、黄土高原なんだけど江南の匂いもする。美人の里でしたね(笑)。このときは岡垣と私と先生の3人です。2011年がさらに奥地の新疆ウィグル自治区クチャですね。キジル、キジル・ガハ、クムトラなどの千仏洞とスバシ仏教寺院址。中国最古の石窟寺院があるところですが、中国というよりも東トルキスタンと言うべきかもしれません。会長と檜尾さんが同行しています。
浅川 あぁ、玄奘ゆかりのスパシ故城で下痢を患い、罰があたって?飛行機に乗り遅れ、帰国が一日のびた出張ね。武警新疆公安辺防総隊培訓中心(国境防衛機動隊トレーニングセンター)の招待所に泊まらされ、部屋が足りなくて、タクオさんが・・・
清水 そこからオフレコでお願いします(笑)。2012年は福建ですね。武夷山の丹霞地形(世界自然遺産)を歩いて、丹霞の洞穴に納まる懸造の甘露寺を訪問しました。「大山・隠岐・三徳山」シンポジウムで、楊鴻勛先生が不動院岩屋堂(若桜)と似ている例として甘露寺を揚げられて騒然となり、とにかく行ってみようということで現地に行ったら、建物は1960年代に焼けて再建されていた(笑)。少々がっくりしたんですが、大仏様を創作した重源が視察に訪れたという伝承が残っていることを知り、驚きました。このときは私と会長、中島(9期)、一歩(12期)が同行しています。
浅川 尖閣問題で荒れていたときね。ガイドさんとか茶店の店員さんは親切でしたが、夜のTVのニュースがすさまじまった。軍事評論家がどうのこうの言っているだけではなくて、人民解放軍の大臣クラスがでてきて「ミサイルを日本列島にぶちこむ」って宣言していたからね。帰国後、ご存知のように、大暴動がおきたんです。
栗原 石窟寺院などの調査のときには、清水さんは具体的に何をされていたのでしょうか。
清水 基本的に視察です。一眼レフとGPS付デジカメで撮影し、ノートを取ります。ボイスレコーダーはガイドさんに預けて、説明スピーチはすべて録音しました。お寺さんの関係者にヒアリングするときは、まず中国語の説明を録音し、そのあとに日本語の訳を録音しました。
栗原 録音データはどうなるのですか。
浅川 予算があるときは反訳専門の会社に委託して、すべてワードデータに変換し、関係者に配信します。
清水 実測はまれにしかできませんが、甘露寺は屋根伏図の測量をしましたし、福州にある南方最古の木造建築、華林寺大殿(10世紀)の平面図は実測できました。わたしは不参加でしたが、岡垣・今城などが2010年に韓国慶州の南山をトレックしながら、岩窟仏堂を実測しています。
栗原 危険なことはありませんでしたか。
清水 それが結構スムーズに実測できたんです。人は集まってくるんですが、甘露寺で日本人だというと、珍しがって親切にしてくれました。尖閣の恨みなど微塵も感じませんでした。 【続】
浅川 基盤Cで研究費は400万円未満と少ないのに、欲張りなことをやりました。まず2010年の8月から4ヶ月間、摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査をした。奈文研をでて、まさか新天地で発掘やるなんて夢にも思ってなかったんです。発掘の怖さは分かりすぎている。だから学生には「無理して発掘やらなくていいから、麦積山石窟に行って一山まるごと復元図を描くってのも面白いよ。どちらか選んで」と問うたんです。すると、岡垣が熟考のうえ「発掘をやりたい」と答えてきた。よぉし分かった、発掘の怖さを思い知らせてやるぜ。岡垣は夏休みの8月中に終わるつもりでいたんですが、なにぶん整地層が厚すぎて地山がみえない。学生数名で作業員もいない状態で、わずか200㎡の調査に4ヶ月を要したんです。
清水 岡垣くんは見事な修士論文に仕上げましたね。
浅川 ほんと、岡垣には足をむけて眠れません。岡垣の修論をベースにして、報告書『摩尼寺「奥の院」遺跡-発掘調査と復元研究-』(2012)を刊行しました。大好評の報告書で、在庫僅少です。早く購入されたほうがいいですよ(笑)。霊山の「奥の院」を発掘すること自体レアなことですし、10世紀後半以降という実年代を得ることもできました。三仏寺投入堂より古い時代に懸造の岩窟仏堂が存在したのは間違いありません。
石窟寺院への憧憬
栗原 系譜をあきらかにするために海外の類例調査をされたのですね。
浅川 主要な石窟寺院など仏教遺産をみてまわりました。だれがどこに行ったんかな?
大給 2009年に山西省に連れっていっていただきました。清水さん、岡垣さん、今城さんと一緒です。雲岡石窟から入って、応県木塔・懸空寺を経由して五台山で中国最古の木造建築をみて、帰りは太原で晋祠と天龍山石窟にも寄りましたね。
清水 平遥にも行きましたよ。世界遺産の町並み。四合院をコンバージョンしたホテルの中庭で赤ワイン飲んで、気持ちよかったぁ!! 2010年は甘粛です。天水の麦積山石窟と仙人崖、敦煌の莫高窟と楡林窟など。天水は黄河と長江の交わる不思議な風土で、黄土高原なんだけど江南の匂いもする。美人の里でしたね(笑)。このときは岡垣と私と先生の3人です。2011年がさらに奥地の新疆ウィグル自治区クチャですね。キジル、キジル・ガハ、クムトラなどの千仏洞とスバシ仏教寺院址。中国最古の石窟寺院があるところですが、中国というよりも東トルキスタンと言うべきかもしれません。会長と檜尾さんが同行しています。
浅川 あぁ、玄奘ゆかりのスパシ故城で下痢を患い、罰があたって?飛行機に乗り遅れ、帰国が一日のびた出張ね。武警新疆公安辺防総隊培訓中心(国境防衛機動隊トレーニングセンター)の招待所に泊まらされ、部屋が足りなくて、タクオさんが・・・
清水 そこからオフレコでお願いします(笑)。2012年は福建ですね。武夷山の丹霞地形(世界自然遺産)を歩いて、丹霞の洞穴に納まる懸造の甘露寺を訪問しました。「大山・隠岐・三徳山」シンポジウムで、楊鴻勛先生が不動院岩屋堂(若桜)と似ている例として甘露寺を揚げられて騒然となり、とにかく行ってみようということで現地に行ったら、建物は1960年代に焼けて再建されていた(笑)。少々がっくりしたんですが、大仏様を創作した重源が視察に訪れたという伝承が残っていることを知り、驚きました。このときは私と会長、中島(9期)、一歩(12期)が同行しています。
浅川 尖閣問題で荒れていたときね。ガイドさんとか茶店の店員さんは親切でしたが、夜のTVのニュースがすさまじまった。軍事評論家がどうのこうの言っているだけではなくて、人民解放軍の大臣クラスがでてきて「ミサイルを日本列島にぶちこむ」って宣言していたからね。帰国後、ご存知のように、大暴動がおきたんです。
栗原 石窟寺院などの調査のときには、清水さんは具体的に何をされていたのでしょうか。
清水 基本的に視察です。一眼レフとGPS付デジカメで撮影し、ノートを取ります。ボイスレコーダーはガイドさんに預けて、説明スピーチはすべて録音しました。お寺さんの関係者にヒアリングするときは、まず中国語の説明を録音し、そのあとに日本語の訳を録音しました。
栗原 録音データはどうなるのですか。
浅川 予算があるときは反訳専門の会社に委託して、すべてワードデータに変換し、関係者に配信します。
清水 実測はまれにしかできませんが、甘露寺は屋根伏図の測量をしましたし、福州にある南方最古の木造建築、華林寺大殿(10世紀)の平面図は実測できました。わたしは不参加でしたが、岡垣・今城などが2010年に韓国慶州の南山をトレックしながら、岩窟仏堂を実測しています。
栗原 危険なことはありませんでしたか。
清水 それが結構スムーズに実測できたんです。人は集まってくるんですが、甘露寺で日本人だというと、珍しがって親切にしてくれました。尖閣の恨みなど微塵も感じませんでした。 【続】