大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅧ)

長岡安平「 樗谿公園設計圖 」
5月17日(火)。樗谷公園の権現茶屋でまずミーティングをしました 。その後、2班に分かれました。やまびこ館(鳥取市歴史博物館)に所蔵されている長岡安平資料の閲覧班と立川~樗谷の町並み踏査班です。わたしはやまびこ館の閲覧・撮影を補助しました。過去に事故を起こした経験のある自分としては史料の扱いということで緊張を隠せませんでした。


今回閲覧したのは、日本初の造園家として知られる長岡安平の設計図書です。樗谷公園の計画を長岡が手がけているのですが、いわゆるアンビルドで終わった幻の計画案のようです。具体的には以下の史料から構成されています。
1)「樗谿公園設計圖」: 長岡直筆の設計図明治45年)
2)同上模写(昭和29年)
3)「豫僃參考圖」 : ベンチなど多くのエクステリアのイメージパース
4)「鳥取市樗谿公園設計書 (全園ニ通スル部、工事參考圖)」: 1)の仕様図書
1)は見事な大図面ですが、傷みが激しかったので、昨年の表装などの修復作業がおこなわれたばかりと聞きました。建物や広場の配置の他に新規で植樹する樹木を彩色していたり、それらの間を縫うような遊歩道やベンチの配置が精密に描かれていました。また、設備の設計資料も含めて完成後や現在のものとはとはだいぶ異なっており豫僃參考圖に描かれた備品、施設の数々もそのほとんどが実際に作られることがなかったとのことです。

イノシシに怯える公園
資料の撮影を終えた後、やまびこ館内の売店で多数の図録を買いました。これまでASALABは鳥取城下町を対象とした調査研究をしていません。しかし昨年度より、樗谿と大雲院に係わる建造物・美術品の調査を開始し、今年度は立川~上町・中町~樗谷お町並み調査にも着手しました。やまびこ館発行の図録類は避けて通れない先行研究となっています。逆の見方をすれば、ASALABがついに近世鳥取のどまんなかを主題とする研究に踏み込んできたということでしょう。

その後、樗谷公園や周辺の家屋の撮影をおこないました。昨年度の大雲院本坊指図の復元研究であきらかになったように、樗谷公園には藩政期大雲院の遺跡が眠っています。この位置を確定するために、将来的には試掘をおこなう可能性もあり、公園の現状を理解しておく必要があるのです。参道付近を通る樗谿公園内の水路は長岡計画図には描かれていません。そこはただの運動場になっています。運動場のひろい範囲に本坊が存在したはずですが、いまでは水路によって分断されています。うねりまがる水路が
本坊の遺構を破壊している可能性は高いでしょう。発掘するとなれば、トレンチをどこにあけるべきか、慎重に判断しなければなりません。

公園については、金網の柵が園路の際にべた~っと連続しており、緑地を市民が使うのは不可能になっています。緑地にはベンチなどもおかれていますが、実際にそれを利用するのは不可能になっているのです。柵そのもののデザインも殺風景で、緑地公園の景観を大きく阻害しています。なぜこんなことをするのか理解に苦しんでおりましたが、あとでイノシシ防御のためであることが分かりました。野生イノシシによって芝生が荒らされるのです。され、これで仕方ないとするべきか、柵を高い生け垣などに替えるべきか、悩むところですね。