大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅩ)

鳥取東照宮 随神門・中門の実測演習
5月24日(火)。4年・院生ゼミで鳥取東照宮建造物の実測・測量演習をおこなった。ケントさんが先行してスケッチを進めていた屋根伏図の測量と中門・随神門の平面実測である。鳥取東照宮の拝殿・幣殿と唐門・本殿は重要文化財に指定されているが、それらに付属する中門・随神門・手水屋等は未指定・未登録であり、調査されていない。将来の指定・登録にむけた基礎情報を得るための基礎調査を兼ねての演習である。

調査の概要は以下のとおり。
1.屋根伏図測量(吉田・キム3号)
権現茶屋横の中門から本殿に至る境内の測量。ケントさんの屋根伏スケッチは相変わらず見事だが、先生は「重要文化財指定にともなう図面がすでにあるのではないか」と言われていた。ASALABが培ってきたインパルス測距計によるものである。


2.中門-切妻造平屋建本瓦葺平入(石田)
変形の八脚門で柱は六本のみ。三間一戸の六脚門である(↑)。主柱と控柱で男梁を支え、男梁上の笈形で棟木を支えるシンプルな構造をしている。男梁先端木鼻のウズ絵様は彫りが太く、幕末~明治の建築と思われる。絵様を比較する限り、随神門・手水屋より一段新しいようにみえるのだが、後述する天保の年代観でおさまる可能性がないとは言えない。化粧垂木の野地板や本瓦が新しく見える。近年の改修であろう。構造がシンプルなので、次回は断面を作図することになった。




3.随神門-切妻造平屋建スレート葺平入(大石)
桁行3間×梁間2間の三間一戸門。いわゆる三棟造の小屋組であり、正面側の天井がなく、三棟造の化粧屋根裏としている(↑左)。丸柱を腰貫・飛貫・頭貫でつなぐ。飛貫は虹梁型で絵様を彫る。本殿・拝殿などと同じ総欅造だが、様式的にみて、東照宮勧請の宝永三年(1650)にまで遡ることはない。拝殿・唐門のウズは細くて丸みを帯びているが、随神門ではやや凹んで、彫りが太くなっている。当初、その年代は18世紀後期~末ころかとも思われたが、手水鉢の正面に「天保三年(1832)」の銘があり、随神門と手水屋の様式は近似しているので、天保年間に随神門と手水屋を同時に再建もしくは新設した可能性があるだろう。脇間の神像は木連格子より内側に縦板を張っているため見えない(すでに移設か)。

↑随神門細部 ↓手水屋


4.手水屋-切妻造平屋建鉄板葺
随神門の斜め前に併設される。手水鉢側面の銘(↑右)は水が垂れて全文を解読できないが、
慶安三年四月十七日・・・
天保三年九月十七日・・・
とみえる。慶安三年(1650)は東照宮勧請の年であり、天保三年(1832)はその年から182年後にあたる。慶安の創建、天保の再建とみるべきであろうか? 今後、水垂れをとめる工夫をして、銘文の拓本を採取し、全文を解読したい。また、平面図等は未実測なので、次回に期したい。

【活動を通して】 平面図を描いたのは久しぶりであった。スピード重視のあまり、きれいな図面を描くことができなかった点は反省しないといけない。共同研究の場合、自分でCAD図に清書するならよいが、他人に任せる場合もあるので、実測図は丁寧に描くよう先生に教ええられた。今回調査した3棟の建造物は東照宮勧請期までは遡らないので重要文化財の追加指定とまではいかないが、県市の指定nあるべき文化財価値を備えており、指定・登録に向けた基礎資料になる平面図であることを踏まえれば、もう少し気を付けるべきだった。建造物の実測は中国留学生(院生)の荊さんにも手伝っていただいた。きびきび動けたが、直角方向の見通しに苦労した。先生からは曲尺(かねじゃく)を使うべきだと教えられた。次回は曲尺を使ってみたい。(内蔵助)


【絵様の比較】 拝殿と随神門の細部を比較してみます。

↑拝殿(1650) ↓随神門(1832?)
