大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅩⅡ)


建築厨子の多重撮影
8月3日(水)。この日のゼミ活動は昨日に引き続き、大雲院にある仏教美術品の多重撮影をおこないました。大師堂にある不動明王厨子を棚からおろして、東照大権現厨子を撮影しやすい位置に動かすため、試験期間中の3年男子2名も手伝いに来てくれました。左にある不動明王の厨子を下に運ぶ作業はとても大変でした。
下の写真は畳に降ろした不動明王厨子を撮影しているところです。厨子の内部には本来仏像が収められているのですが、厨子を運びやすくするため中の仏像はあらかじめ別の場所に移しておきました。そして、内部をみたところ、厨子の背面壁板にびっしり墨書が残っています。そのなかに「右尊像者天保九戌五月當山祖堂…」の墨書を残し、仏像は天保9年(1838)の制作であることが分かります。さらに住職によれば、この時期に樗谿の大雲院では元三大師堂の再建をしているそうです。不動明王厨子の制作された天保9年ころに樗谿大雲院で大師堂を再建したということから、幕末に樗谿で建立された大師堂を明治以降に曳家した可能性も浮上してきています。大師堂がかりに幕末にまで遡るとすれば、樗谿大雲院建造物の唯一の遺構ということになるので、今後精査する必要があるでしょう。18世紀中期に遡る「大雲院本坊指図」には再々建された大師堂を描いており、渡り橋で本坊とつないでいます。指図中の大師堂は現在と同じように2室に分かれていて、立川大雲院の大師堂にきわめてよく似ています。


左:不動明王厨子 右:同内部


鰐口と御正体
上はは大師堂前にある鰐口です。大雲院には二つの鰐口があるのですが、本堂の鰐口は霊光院のもので、今回撮影させていただいた大師堂前にある鰐口は樗谿大雲院の鰐口だそうです。大師堂とともい鰐口をもってきた可能性もあるでしょう。鰐口の表面には「慶安三年九月吉祥日」とあり、裏には鰐口制作者の名が書かれています。
さらに今回は、三つの御正体を撮影させていただきました。台座は木製で、鏡が飾ってあります。鏡の裏には欝や亀といった絵が彫られている他、釈迦と阿弥陀をあらわすサンスクリット文字も彫られています。今回の調査は厨子の移動という大がかりな作業を要しましたが、無事に撮影し終えることができました。調査に協力していただいた皆様に心より御礼申し上げます。良い研究となるよう精進する次第です。(麻原ビンビン20)
御正体

(御正体 「柄鏡」


(御正体 左から「釈迦」 「阿弥陀」)