2016居住環境実習・演習(Ⅱ)期末発表04

2.倉吉河原町五叉路周辺の町並み保全
2-1 旧小倉家住宅・大鳥屋について
倉吉河原町五叉路周辺の町並み保全について報告する。まずは旧小倉家住宅と大鳥屋での調査概要を述べる。
今年2月に倉吉河原町(図-1の赤色部分西側)の東地蔵背面にある土蔵を取り壊す話が持ち上がった。土蔵が取り壊され駐車場になれば、町並みは激変。伝統行事である地蔵盆も台無しになり「まちの風情」が失われるだろう。そこで、地元有志が協議し、旧小倉家住宅を国の登録文化財にして、その活用をめざすことになった。4月に旧小倉家主屋と土蔵内部の下見をおこなった。これについては中間発表で報告している。その後、6月22日に実測・採寸調査に着手した。
図-2の赤枠内の建物が旧小倉家住宅主屋と土蔵で、オレンジの枠内の建物が大鳥屋である。立面図は今年卒業した先輩方によって作成済みなので、今回は平面の調査をした。 具体的な調査の内容は、旧小倉家の主屋と土蔵の実測と採寸、および大鳥屋の再採寸である。大鳥屋平面は2007年ごろに東京芸術大学による実測・作図がなされているが、よくみると敷居線などのない「略平面図」であり、このたび再採寸をおこなって本格的な平面図に改めることとした。
旧小倉家住宅は、所有者からの聞き取りによれば、昭和7年(1932)の建築だそうだ。所有者はとなりの敷地に新居を建て、こちらの町家は空き家になって数年が経つ。
土蔵は主屋より古く、中2階の平入り形式である。立川の例にみるとおり、中2階形式は、明治までさかのぼる可能性があり、昭和7年以降に改築されたものと推測される。内部の壁面がベニヤ板に覆われているが、その壁の内側については類似例から推測しつつ、平面と断面の実測をした。岡﨑の報告で詳しく説明する。この土蔵は、地蔵盆の維持をはじめ、地域の活性化を持続する上でなくてはならない文化遺産である。いうなれば、河原町の未来を担う建物といっても過言ではないだろう。


大鳥屋は旧小倉家住宅の東に近接する古い町家で、現在は「IJU大学」として都会からの移住者をサポートしている。東京芸大の実測から7~8年経過し、以前と異なる部分が目立つようになっている。これを含めて寸法の確認を行った。大鳥屋は中2階式の町家で、正面1階の庇屋根に湾曲した腕木を残す。図-3にこの腕木が増築の板ガラスによって内外に分断にされている様子を映している。腕木の内側と外側はこの通りだが、倉吉の場合、この腕木の形状と彫刻によって町家の建築年代を推定することが可能である。

ASALABでは、倉吉町家の腕木に関する編年研究を続けている(図-4)。棟札などにより建築年代のわかっている町家の腕木と他の町家の腕木の形を比較し、建てられた年代を推定するのである。今回、参考にしたのは同じ河原町にある小川家住宅の腕木である。図-5は小川家住宅の矩計図(かなばかりず)である。腕木の形状が大鳥屋とよく似ていることが分かる。小川家住宅は明治30年ごろに建築なので、大鳥屋もまた明治中~後期の建築と思われる。今後の調査で大鳥屋腕木の拓本をとり、より詳しい分析を行う予定である。(だっしょ)
