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大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅩⅢ)

大雲院本堂(旧霊光院)の鰐口

 8月30日(火)、会長の指導の下、私とキム3号で大雲院仏教美術品の調査を行いました。キムは本堂密壇周辺の法具、私は鰐口や寶篋印塔など仏堂の外側にある美術品を中心に調査しました。
 大雲院には鰐口が二つあります。一つは大師堂に飾られている大雲院本来の鰐口。もう一つは今回調査した旧霊光院本堂の鰐口です。以前計測した大師堂の鰐口とデータを比べると、二つの鰐口の特徴が明らかになります。


20160830ブログ用①.jpg
本堂(霊光院)の鰐口
縦:528mm
径:573mm
幅:218mm

20160830ブログ用②.jpg
大師堂(大雲院)の鰐口
縦:377mm
径:410mm
幅:182mm

 今回調査した旧霊光院本堂の鰐口サイズは、大雲院の鰐口サイズをすべての値で上回っています。また、鰐口の形状にも違いが見受けられます。とくに鰐口の「目」と言われる部分が注目されます。「目」とは鰐口の左右にある筒上の突起物を指し、この目の付け根と目の先端との距離によって、鰐口の年代をおよそ判別ができます。付け根と先端との距離が離れているものほど古い鰐口といえるそうです。この説に照らして、二つの鰐口の目を見比べてみましょう。
 大雲院の方が霊光院のものよりも、目の付け根と先端が離れているように見えます。大雲院鰐口の制作年代が東照宮勧請の慶安3年(1650年)に遡るのに対して、霊光院本堂の鰐口の制作は天保10年(1839年)と幕末まで下るのです。両者の制作年代は200年近い差があります。時代が進むにつれて現れる鰐口の変化を読みとることができるでしょう。


20160830ブログ用④.jpg
左:大雲院鰐口  右:霊光院
20160830ブログ用⑩  20160830ブログ用③.jpg


鐘楼梵鐘

 梵鐘は昭和37年に制作されたものですが、鐘楼の基壇は昭和12年に築造されています。鐘楼という一つの建物を構成する二つの部位に時間差を確認できます。住職曰く、もともと梵鐘も基壇も同じ年につくられていたが、太平洋戦争を迎え、国から鉄の徴収を受けて、以前の梵鐘を国に供与したそうです。昭和37年に現在の梵鐘を鋳造し、鐘楼の木部を新装したとのことです。


20160830ブログ用⑤.jpg
大雲院鐘楼梵鐘
口径710mm
全長1238mm

20160830ブログ用⑥.jpg  20160830ブログ用⑦.jpg


寶篋印塔

 本堂前にある二つの寶篋印塔を調査しました。二つの塔の番付として、本堂から見て左の塔を「寶篋印塔A」、右の塔を「寶篋印塔B」と仮に決めました。採寸のほか、塔に刻まれている文字を記録しました。塔の制作年は、寶篋印塔Aが文化2年(1805年)丑七日、寶篋印塔Bは文化12年亥五月日とあります。梵字も彫ってあります。「寶篋印塔B」は虚空蔵菩薩の梵字ですが、「寶篋印塔A」の梵字が何を表しているかわかりません。他の文字は両塔同じでした。今後の調査で詳しく調べたいと思います。


20160830ブログ用⑧.jpg
寶篋印塔A
全長3483mm
20160830ブログ用⑨.jpg
寶篋印塔B
全長3451mm

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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