男はつらいよ-ハ地区の進撃(6)


婿入り民家-ゾング家
8月31日(水)、カツォ寺の調査を終えて、いったん宿舎に戻り、昼食をとる。キンレイのいる食堂は楽しい。キンレイはそのまま午後の調査先まで案内してくれた。キンレイはジンカ一族の分家筋の娘さんである。民宿が本家筋、川を挟んで対岸にキンレイの実家がある。ジンカ一族の家はほかにもある。調査対象の民家はジンカ家本家の隣に建っている。屋号はゾングである。ゾング一族の民家の一つということである。


まず驚いたのは、ゾング家のご主人は夫ではなく、奥さんのほうだったこと。旦那さんは近所から婿入りしたそうで、キンレイの親戚だと言っていたように記憶する。このデータだけみると、ハ地区の家族は母系で妻方居住のように思える。ひょっとすると、遊牧民の社会制度を継承しているのかもしれないが、ゾング家のような組織がどれだけ普遍的なのかはまだよく分からない。ちなみに、あとでキンレイに聞いたところでは、婿入りが多いけど、嫁入りもあるという。双系?

ところで、わたしたちの研究は「崖寺と瞑想洞穴」を主題としているのに、なぜ民家を調査対象に加えたのか。今回はとりわけ規制が厳しく、以前のように本堂内部の調査で充実した成果が得られなかったからである。本堂の場合、なかなか精度の高い実測ができないし、撮影も原則として許可されない。民家は実測ができるし、仏間の写真を自由に撮れる。僧院本堂では、とりわけ本尊や脇仏、タンカ(仏画)の撮影を強く禁じられるが、農家の仏間にならぶ諸仏やタンカの撮影ができるので、本堂調査を補完するものとなるのである。


↑(左)仏間 (右)タントン・ゲルポの小像


↑チュンドゥ神


デイティ
人びとはもちろんドゥク派を信仰している。仏間奥の仏壇の中央にタントン・ゲルポが祀られていました。タントン・ゲルポはドゥク派の高僧で、14世紀にチベットからブータンへ南下し、布教した。橋などインフラ面に関する建設事業に寄与し、ブータンではいくつもの寺院を創建した。パロのタグツォガン寺の吊橋はとくに有名なものです。また、仏間の左側にチュンドゥ(chundu)というハ地区の守り神を祀っています。いつものパターンですね。仏教浸透以前に普及していたポン教の神霊が「悪霊」であり、それが仏教によって浄化されることで守護神となるパターンである。ゾング家の裏側で再建工事を進めている寺院の名前もチュンドゥ寺という(次回のブログで詳述)。
この守護神というタームを説明する場合、ガイドは決して god という英語は使わない。deity という用語で説明する。ダイエットじゃないよ、デイティ。悪霊(evil spirit)は仏教によって浄化され、地域の守護神(deity)に変わる。


ゾング家は100年ばかり前に立てられた普通の農家である。先生は、このような一般的農家建築を「ゾン(城)型」と呼ばれている。3階建の主屋はゾンの中心施設であるウチ(高僧建築)に見立てたものであり、ゾンではウチの周囲を回廊がめぐるが、民家では高僧主屋を塀・門・家畜舎が囲む。そもそもブータンの場合、主屋を3階建にする必要はない1階は家畜舎だが、二階は空き部屋ばかり。3階に居間・台所(食堂)・寝室・仏間・仏間前室を集中させる。そして4階にあたる部分が屋根裏である。ここに上がってみると、改めて版築壁の大きさに驚かされる。幅は1メートルを超えているのだ。版築壁の上に大屋根を支える小屋を組む。一材の木柄は太いが、構造は単純明快。棟木は中心柱上に舟肘木を添えて支える。深くて長い軒は木材をせりだしていく。ここでじっくり版築壁を観察したことがその後の調査に少なからぬ影響を与えた。

キンレイの発熱はこの日の夜中におこった。半日調査につきあってぐったりしたのかもしれない。高熱に苦しむ彼女に薬を与えたことで、民宿のオーナー(キンレイの叔父)は感謝感激、繰り返しロビーで頭を下げられる。そして、何でもするから遠慮なくってください、と仰った。そこで、調子に乗りましてね。「助けて欲しいんです。航空管制局でドローンの使用を禁じられたんですが、ここで使わせていただけませんか」と先生がお願いすると、「いいですよ、うちの中庭から飛び立って、ジンカ一族の建物に限るということであれば、いくらでも撮影してください」と快諾されたのである。宝の持ち腐れになってたドローンが、こうして息を吹き返した。キンレイが発熱したことで空撮が許可されたのだから、キンレイこそがデイティだと思わざるをえなかった。
翌9月1日(木)。朝食を終えたぼくたちは、ジンカ家の中庭からドローンを離陸させ、敷地内の撮影をした。(くらのすけ15)

↑民宿の食堂・厨房(手前の平屋)と宿坊(高層部分)

↑民宿中庭(離着陸地点)

↑ジンカ一族の民家主屋群