男はつらいよ-ハ地区の進撃(3)


連戦連敗-ツァリゥ寺
午後はティンプー西郊にあるツァリゥ寺を訪問しました。川を挟んだ崖のふもとに本堂ラカンがあり、100mほど高い山上の岩陰に黒いドラフ(瞑想場)が見られます。対岸から望むと旗が立っていて、中で誰かが瞑想中ではないか、と思われました。ドゥク派の僧院ですが、創建は14世紀に遡るといいます。正面に釈迦三尊像、入口の両脇に四天王を祀っています。
本堂ラカンの内陣は14世紀に建てられたもので、外陣は後補であろうとのこと。その内陣は、中央が板敷で、そのまわりをコ字形にタタキ(三和土)の土間が残っており、土間上に2本柱が立っています。これまでみたすべてのラカンで2本柱は板床上に立っていたので、これには驚きました。ラカンは一般に2階建ての楼閣(ウチ)形式であり、これを先生はゾン(城)型のラカンと呼んでいますが、ジャンバラカンやキチュラカンなど古代に遡る創建伝承のある寺の本堂は平屋であり、土間に柱を立てるツァリゥ寺の本堂も元は平屋であった可能性があると思われます(今は2階建切妻造)。


このラカンは一時廃寺に近い状態にあり、劣化が進んでいたようです。それを、下手にあるツァリゥ村の人が保護していった。僧侶はいま3名が常住しています。いずれも高齢で、60~70代。維持修理費が高くつうので、2003年に政府へ僧院の管理を委託した。最近になって、「研修・教材センター 」プロジェクト(Training and Resource Center Project)が始まり、東側の斜面に新しい施設を建設中です。この新しい施設は尼寺になる予定だという。


ケントさんとぼくが本堂周辺の地形測量をしていると、イケメンの若い男性が近づいてきてサポートしてくれました。プロジェクトに携わっている技師さんだそうです。本堂背後の山の上には瞑想施設ドラフがみえます。技師さんの案内で少しずつ斜面を上がり、測量を進めていきました。しばらくすると、本堂の調査を終えた先生がガイドのウタムさんを連れてわれわれのベンチマークまでやってきました。先生たちはさらに上に向かいます。ウタムさんは心配そうです。山頂に近い岩陰でだれかが瞑想をしていたとすれば、ドラフに近づけないからです。ところが、エンジニアさんによれば、下からみるドラフは一年前に建ったばかりで、まだだれも使っていないそうです。実際、まだ壁に色が塗られていません。白でも黒でもない、素木の色なのです。そのままさらに上にあがっていくと、まず巨岩の岩陰を発見しました。ひょっとすると、ドラフのあった場所かもしれない。さらに上がっていくと、岩陰の下に石積壁が残っていて、その中に骨小塔ツァツァがたくさんばらまかれています。ドラフの遺跡とみて間違いないでしょう。その遺跡から少しあがったところで、山頂岩陰に新築されたドラフの真下に来ました。まだ30mばかり離れているが、撮影と測量には抜群のポイントです。



ところが、そこで麓の道路から大声が聞こえました。女性が「早く下りてこい」と吠え続けているのです。聞けば、プロジェクト・リーダーだそうです。若い技師さんやガイドさんが事情を説明するのですが、女性のヒステリックな興奮がおさまることはなく、5名全員が山をおりました。測量器材を麓の車道に据えると、ぎりぎり山頂のドラフを捉えることができました。ところで、女性プレジデントはなぜ怒っていたのか。技師さんに聞いたところによると、いまだ建設中の建物群なので「未公開」であり、プロジェクトと係わる敷地に入って撮影したり、測量してはいけない、とのことでした。とはいっても、敷地の境界が柵などで示されているわけでもなく、若い技師さんの案内で山にあがっていったわけですから、こちらとしては納得しかねる調査の中断でした。
このように、調査の初日には午前・午後とも、調査に規制が加えられ、もどかしい気分になりました。正直なところ、これまでこれほど厳しい取り締まりを受けたことがないので、「今年はちょっと違うかも?」という自覚が芽生えた次第です。とくにガイドのウタムさんは、同行する外国人旅行者が禁を犯した場合、ライセンス剥奪になる可能性もあるので、少々ナーバスになってしまったようです。
(くらのすけ)



本堂と山頂ドラフ 全景