男はつらいよ-ハ地区の進撃(5)

8月30日午後、小雨。昼食後、調査に出発。高度はさらに上がっていく。我々がソナム・ジンカ・ファームハウスと反対側の山の中腹にピンク色の花を咲かせた畑が見える。その付近にみえる建物に向かって車を進めた。
連戦連敗-カツォ寺
カツォ寺はドゥク派の僧院だが、やはりグル・リンポチェの縁起がある。グルどころか、グル以前の伝承まであって、当初はポン教の聖地であったというのだ。それが、グルの瞑想によって浄化され、ニンマ派の道場になる、という筋書である。本尊はグル・リンポチェ。両脇に十一面観音ほか多くの仏像を併祀している。住職のテンジンさんは32歳の青年僧で、ハ地区の生まれだが、タシツォゾンで一時期学び、瞑想を経験することなくカツォ寺の住職になった。いつ瞑想を経験するかは分かっていない。タシツォゾンの指示を待っている状態である。いまは教師である。カツォ寺で小学生レベルの少年僧を教育している。少年僧は10人ばかりいる。

本堂は2階建。1階は講義室、2階が仏堂である。14世紀にはこの本堂があったというが、何度も再建されているようで、材は新しくみる。30日は途中から雨がひどくなり、いくらまっても已まなかった。レーザー測量器による屋根伏図の作成はまったく進まなくなった。表門ゴラゴ(↑)で待機した。その間、ケント先輩は門の平面図を黙々と描いている。その採寸を終えても、まだ雨は降りやまなかった。下山するしかない。

教師と少年僧



8月31日(水)午前。雨は降り止んでいた。カツォ寺での調査を再開した。住職からの聞き取りでドラフ(瞑想場)があるとの情報を得ていた。本堂からずいぶん離れていると聞いた。山までもう少しのところにある農村の小路を歩いてあがっていった。絶壁にドラフがみえる。ジュネドラという有名な瞑想施設らしい。ドラフの下にはチョルテンもある。その左上方にも建物がみえた。山の上なので鳥葬場ではないかと訊ねたところ、「ラカン」とガイドは答えた。みなおどろいた。そうか、あれが昨日調査した本堂なんだ。本堂と瞑想場の関係が一目瞭然。両者は絶壁を切り裂いた蛇行する道でつながっている。
だれもいない。牛さえ通らない。この絶壁をドローンで撮影することができれば、どんなに素晴らしいだろう。しかし、ガイドはドローンのリュックを車からおろすことさえ許さなかった。周辺にインド軍の兵隊がいるんだそうだ。

側面からドラフとラカンの屋根の座標をおさえ、カツォ寺本堂に移動した。32歳の若い住職と再び交渉し。なんとか放射性炭素年代のサンプルが採れないか、ということなんだが、2階本堂の柱はみな新しくなっている。探し回ったあげく、1階か2階にあがる木梯が古くみえたので、年輪サンプルの採取した。材種はマツで35年輪の一番外側の年輪資料を採取しました。交渉の甲斐あり、本堂内部(後側のみ)の写真撮影を許可された。


そうこうしていると、また雨が降り出した。ケントさんの測量が大変だが、なんとか座標を採り終えることはできたみたいだ。住職が「お茶」を誘ってくださった。我々は長屋ジムカンの2階でミルクティとポン菓子をいただいた。雨が已むまで、少年僧たちと楽しい時間を過ごした。

↑↓ジムカンで雨宿り

↑澱粉カットはどうなった?